2024-09-09 24:01

#97 Q03.道徳の教科化について | 大学生の質問SP

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道徳が「特別の教科」になってから数年が経ちました。

でも、道徳ってそもそも何を学ぶんだっけ?

話をしていたら、道徳の授業が少しだけ好きになってきました。



《 めいむーん:谷本明夢 》


宇宙物理学科卒のコミュニケーションディレクターとインタビューライター。

物理を本気で楽しむ恩師との出会いで、人生が変わった人。数学者の夫と2人の子供と、東京→アメリカ→デンマーク→熊本→名古屋とほぼ世界一周。アメリカ・コペンハーゲン在住時には小学生を相手にサイエンスワークショップを主催。デンマーク在住時には、現地の教育に興味を持ち、訪問やインタビューを通じて教育と幸福度についての知見を深める。現在は "Being"の解放と価値の最大化を軸に、ことばとコミュニケーションによって自由に生き方を選べる人を増やすための活動をしている。明るい夢を生きる人たちのための応援団長。



《 つぼけん 》


大学の自主映画サークルで映像制作の面白さを知り、映像の制作会社に入社。カメラマンディレクターとして、北極🐻‍❄️から南極🐧まで世界各地で撮影をしてきた。現在は「月曜日に会いたい人をふやす」をテーマに、映像🎥・写真📷・Podcast🎤などメディアを横断して活動中。



《 大ちゃん:大野大輔 》


共育ファシリテーター。

学校と自分が嫌いだった学生時代を、ある恩師が幸せに変えてくれたことがきっかけで教師の道を志す。10年勤めた公立小学校を退職し、現在は(株)先生の幸せ研究所のコンサルタントとして全国の学校園の伴走型支援を行うなど、「教育をもっと自由に」をテーマに活動している。

○(株)先生の幸せ研究所 コンサルタント

○鎌倉市教育アドバイザー

○社会教育士


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【つぼけんX(Twitter) : @tsuboken_mol】

00:02
大学生の質問スペシャル、3問目です。
めいむさん、だいちゃん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
お願いします。
じゃあ、どんどん参りましょう。
3問目は、こちら。
道徳の教科化についてです。
はい、道徳って、僕とめいむさんの時代ももちろんありましたけど、
道徳の授業って、ホームルームの代わりみたいな感じのイメージありませんでした?
ちゃんと道徳の話してた?
割としてた。してました。してました。
私の時は。
僕の時は、もう道徳っていう名前の自習時間みたいな。
潰されるためにあるみたいなイメージだったんですけども。
あってもなくてもいいみたいな感じの扱いだったんですか?
そうなんです。
それが、実は5年前?6年前?
ちゃんと教育科っていうのがね、始まったんですね。
平成30年から。小学校と中学校で1年変わってるかもしれませんが、
だいたいそんなもんですけど。
道徳がね、教科になってるんだよね。
特別な教科、道徳っていうことで入ってきましたね。
ただ、数値的な評価しないよっていうのはちゃんと言われていて、
たとえばABCつけるとかでは全くないし、
その子のことを断片的に判断するとかでもないっていうのは示されつつ、
ちゃんと道徳が教科化されたってことで、
結構メディアでもね、話題になりましたよね。
5、6年前ですけど、僕としては意外と浦島太郎で、
あ、そうなんだ。道徳ってそもそも教科じゃなかったっけ?
といろいろ果てながら浮かんだので。
そう、私も今そう思いました。
ね。
違ったんだみたいな。
普通にあのね、理科表に書いてあったから、
普通に教科の1つだと認識してたんだけど、
確かに確かに。
あれは教科じゃなかったんだね。
教科って何?教科ってなんだろう。
教科の定義が分かんなくなっちゃった。
確かに。
えーっと、平成30年ですね。
平成30年に道徳の時間ってあったのが、
道徳科とちゃんと教科になりましたよということですね。
特別の教科、道徳、道徳科ということで、
僕の思い出みたいに、
道徳の授業はなんかホームルームの時間に変わっちゃうとかじゃなくって、
毎時間ちゃんとやりましょうということが求められていると。
そして、ちゃんと教科書がちゃんとできて、
道徳について学びましょうってことが、
ちゃんと決まってるってことなんですね。
あー、なるほど。
転用されがちだったんだね、他の教科に。
そうなんだ。
道徳の時間にドチボールしちゃったりとか。
そうそうそうそう。
そういうことが今までは起こって、
もう特に問題なかったのが、
ちゃんと道徳の勉強として、
その時間使いなさいよっていう枠になったっていうことですね。
そうなんです。
あー、なるほど。
結構話題になったのは、
例えば子供が悪いことしましたと、
で、先生が全員集めて説教してて、
はい、今から道徳やりますみたいな。
あー。
そういうのが割と、
03:00
これ多かったって話ね。
多かったって話だから。
別にやってた人はちゃんとずっとやったわけだし、
ただちゃんとやっていこうぜっていう矢印として、
示されたのは間違いないですね。
はい、そんなふうに道徳が教科科された中で、
トモさんからの質問です。
では聞いてみてください。
どうぞ。
はい、私が質問したいのは、
道徳の教科科について、
現場の先生たちに聞きたいなと思います。
はい、ありがとうございます。
なぜこの質問してくれたんですか?
はい。
道徳は、
教科として教えるっていうのはやっぱり教材とかっていうのを、
ベースとして考えることが多くなってしまうんですけど、
道徳身につけるっていうのは結局日常生活だったり、
人間関係の部分っていうので身につくことが多いなって思うので、
教科で縛ってやるってなって、
やっぱり成績つけるのも難しいかなと思ったので、
教科科についてっていうのは、
先生たちの間ではどういうふうに考えてるのかなっていうのが一つと、
負担がどうしても教科一つ増えてしまうので、
教員の面の負担が増えてしまうので、
実際の先生たちは負担に感じて、
教科として指導案書いたりっていう面でも、
負担は増えちゃってるのかなっていうのが気になったので、
この質問しました。
確かに英語が増え、ICTが増え、プログラミングとかも増えていって、
増えるばっかりでまた道徳も増えるのかよっていうのはありますよね。
道徳の時間が教科科になることについてはご自身はどう思ってますか?
はい、私自身は教科科じゃない方が、
子どもたちの考えっていうのはもう少し広がっていくのかなっていう感じるところが多くて、
教科にしてしまうとテキストラと確実にいじめを悩んでる子、
じゃあこの子はどう思ってるっていう考えてみようっていう問いになってしまいがちで、
そういう場面ってなかなか日常生活で出会うことが少なかったり、
現実味がなかったり当事者の意識で考えることが難しくなってしまうのかなと思うので、
日常的な場面で教えた方がいいかなって私自身は思います。
毎回道徳の気持ちって考えるものなのかなって疑問に思って、
やっぱり日常の生活の中で取り上げる方が、
私的には子どもたちに入っていきやすいんじゃないかなって思います。
じゃあこの今から何分までは道徳の時間だよじゃなくて、
普段からクラスの関わり方であったりとか、
社会との関わり方であったりとかっていうのは、
時間外で話していいんじゃないのっていうこと?
わざわざ週1回ってやるよりかはそっちの方がいいんじゃないかなって思ってます。
06:04
なるほど。
はい、というわけでトモさんからの質問としては、
授業でやるっていうよりも、
普段の日常の中でいろんな問題が起きたり、解決しなきゃいけないことっていうのはあるから、
日常の話題っていうのを、この授業ってことじゃなくって考えるっていう方が、
より道徳を学べるようになるんじゃないかっていうような提案でしたね。
でも先生の負担とかっていう面においては大変だよなっていうのはありますよね。
で、トモさんがおっしゃってくださってたみたいに、
日常に起きている中で本当に話せるのが一番もちろんいいなっていうのは思う一方で、
道徳って善悪みたいな概念を少しずつ育んでいく時間なのかなって、
答えがあるものではないから難しいけれども、
日常の中に子供の頃にうまいこと、そういうテーマが出てくるもんなのか、
私の中では日常の中では出てこないけど、人生において大事なテーマっていうのがあるのかなって、
そういうのが教科書に入ってくるのかなって思うので、
一通り私は教科でやってもいいのかなとは思っている方ではありましたけどね。
あとは日常の中から疲労ってなると先生の技量にもよっちゃうのかなみたいな、
問いの立て方とかね。
だからそこが先生の技量に入ってしまうと逆に負担なのかなっていうふうには思って、
教科書があってある程度こういうテーマを使いましょうよってなる方が、
道徳の時間の扱い方がある程度均一になるっていうかね、
底上げされる部分はあるのかなっていう、
気はしました。
これは本当に一保護者くらいの意見ですけど、
今聞いて感じたのはそんな感じですかね。
私はでも教科書、いいと思うというか、
今まで本当に自由に使えるバパの時間だったのかもしれないんですけど、
分かんないんだけど先生たちがどう捉えてたのかは。
でも私はやっぱりそういう話をちゃんとできる機会を定期的に設けてもらえるってすごく貴重だなって、
家でもなかなか改まって話す機会ってなかなかちょっと取れなかったりするので、
できればお家でもむしろ取りたいなって思うぐらいだし、
一保護者の感想でした。
はい、だいちゃんに戻します。
メムね、すごいなと思った。
なんか保護者目線、視点とか言っといて、
結構今回のこの道徳ってテーマにおいては、
09:00
すごい本質的なところを抑えてるんだよね。
ちょっとそのメムすげえなって話の前に前提の話をすると、
道徳の強化化が始まったから道徳をちゃんとやんなきゃいけなくなったっていうわけではなくて、
もともとちゃんとやんなきゃいけなかったっていうのはもちろんありますと。
で、もちろんずっとこうやってる人はちゃんとやってたってさっきも言った通りなんだけど、
強化化っていうのが法的に拘束力が出たみたいなのが結構メディアでも騒がれちゃって、
それによってやらねばならぬことが増えたっていう見せ方がやっぱり出ちゃったよね。
そこは残念だなと思いつつ、
このトモさんが言う通り一定の先生方にとっては負担が増えたっていう見方はできるわけだから、
理想とは違う現実の部分で先生方ファーストな視点すごい嬉しいなって思って、
トモさん優しいっすね。
そうね。
ありがとうございます。
なんかめんぶさんさっき本当にその日常場面で出会うのかなって言ったでしょ。
道徳って補充・進化・統合っていうね、性格があるわけですよ。
で、補充っていう側面がまさにその考えで、
何かっていうと、じゃあ友情っていう価値項目があるんですけど、
友情・信頼っていうね、
その友情・信頼の価値項目に触れる場面が1年間で必ずあるかっていうと、
そうとは限らないじゃないですか。
あったとしてもそれを進化、なんか深めるっていうのを確保されるのかその機会がっていうと、
必ずしもあるわけじゃないじゃないですか。
で、いろんな価値が生きているとね、味わいながら、本当考えながら生きておくわけだけど、
それがじゃあ本当にみんなが統合されていくのかっていうと、
なんかすごい結果としてね、もちろんそれが勝手に行われる子もいるんだけれども、
全員がそんなことをうまくいくかって言ったらそうじゃないよねと。
だから道徳の時間っていうのを使って補充・進化・統合していこうと。
それであるわけだって考えると、必要なんだよね。
で、もう1個のすごい大事なポイントがあって、
じゃあ日常場面でツボ犬って子がいじめたらしいと。
で、メイムって子がやられたらしいと。
これについてみんなで今から考えます。
こういうのを扱う先生もいるよ、もちろん。
学級活動2っていうのを使ってみんなでこう考えていこうっていう風に先生が提案したりとかですね。
学級活動1っていうのを使って学級会っていうので課題解決していこうねっていうのもあるわけだけど、
どうですかツボ犬。
自分が行ったであるかもしれないいじめについて議論されるっていうのがいい場面もあるしきつい場面もありませんか。
きついよね。
なんかこう完全にイメージできるのが、はいじゃあみんな目をつぶってやった人は手を挙げてっていうやつなのかなって思っちゃう。
12:00
そうだよね。
これってじゃあさ、ツボ犬がねいじめましたっていう事実があった1週間後に道徳で今回はいじめについて話します。
登場人物は本当仮名なんだけど田中くんって子がいてとか言われたとしても、
あ、俺のことかなとか思っちゃう。
で多分その他のメンバーも、あ、あれさツボ犬がやったやつとかさ、あったからいいんじゃね?とか。
そうね。
ちょっとそういう気になりそうじゃないですか。
なる。
だからあえて登場人物っていう物語の人物を通して考えることで、
なんかみんなの中で共通のテーマにもなるし、
共通のストーリーの中で話せるし、
なんかその人物になりきって価値について考えることできそうじゃない。
うん。
この前ドラえもんの映画も見たんだけど、
なんかドラえもんの映画を見て感動したことについて、
僕がなんかのび太くんの気持ちになって語るって、ちょっと語りやすいじゃん。
うんうんうん。
確かに確かに。
でこれがさ、自分が体験したエピソードなんだけどっていうのとハードルが全く違うわけよ。
うんうんうん。
あえてその登場人物に乗せて考える、話すっていうのは、実は子供たちにとってはやりやすいっていう。
なるほどね。
そんな見方もできるわけですね。
ちょっと今部分的なこと言ったから、ちょっと全体としての話はできなかったけど、
結構道徳っていうのは考えられているっていうのもあるかもしれないね。
なんか今の話を聞いていてね、すごく思ったんですけど、
結構大人になってこういう道徳的議論をしなきゃいけないシーンって、
やっぱ出てくると思うんですよ。
その時ってもっと深刻で、
社会問題だったりとか、環境問題だったりとか、
あとは迫害されてしまっている人だったり、権利がない人のね、主張だったりとかに対して、
自分の意見を述べなければいけないシーンって大人になってくるとやっぱり出てくるじゃないですか。
特に国際社会に出ると、なおそこと多分その辺ってすごく議論力がいるなっていうふうに思うんですけど、
その時にやっぱ慣れてないな自分ってすごく思うんですよ。
で、悔しい思いをするのね、不勉強だなとか、
相手の気持ちを持って話せなかったら悔しいとかっていうふうにすごく思うシーンが多かったのね。
で、その時に思うんだけども、やっぱ育ってくると結構その当事者の方たちの声って、
やっぱ感情がすごく乗るんだよね。
やっぱそのいじめの当事者だったりとか、被害受けてる子だったりとかの声って、やっぱそのすごく感情が入るよね。
で、感情が入るとやっぱその議論ってうまく、自分の意見がうまくまとまらなかったりするから、
その手前にちょっとその自分の感情が乗る前のなんか練習?
やっぱその大人になっていろんなシーンに行った時に自分の考えをちゃんと述べられる練習の場として、
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一旦その当事者でない事案において、ちゃんとその感情移入を入れた上でね、
練習をちゃんと子供の頃にできるって、それはなんかすごくいいなって思ったんですよ。
なんかそのいじめの話とかだと、目の前に友達がやっぱ被害者だったらすごく感情が出ちゃうじゃない?
なんか守る側に行っちゃう。その時にやっぱ冷静に例えばその加害者側の気持ちを考えてみようって言ったって、
なかなかできないとかさ、うまくできない子供だからなおさらね、とかってあると、
練習の場としてはもったいないっていうのもなんだけど、機械損失もあるかなと思うと、
公平な、誰にとってもフラットに見れる事案とかストーリーとかケースとかで、そういう練習を重ねて、
本当に自分が何か伝えたくなっている時に、その経験を引っ張り出してきて、
うまくちゃんと対話ができるように、意見が言えるようになっていけるプロセスとしてもすごくありがたい場だなって、
今聞いててすごく思ったというか。
そう考えるとめちゃくちゃ大切な教科ですね。今大切さに初めて気づいたかもしれない。あんななくされてた授業が。
すごい大切。
ちなみにさ、ありがたいとか大切って言葉使ってくれたから、ちょっと立ち戻りたいなと思ったのは、この学生の質問1個目だったらさ、自由ともつながるんだけど、
そういう工夫はめちゃくちゃできます。だから強化化されたからといって、すごい縛られたかっていうと、実はそうでもない。
今全国でね、本当多様な実践をしていて、かなりそういう工夫できますね。
だからそれはね、希望だと思っていて、ぜひトモさんね、今度話しましょうよ。本当自由度高いですよ。
だから強化化されたからといって、すごく縛られたわけではないっていうのはまずお伝えしたいのと、
じゃあちょっと1個のね、方法論としてよくやられるやり方は、まず前半で教材、物語があって、それについてみんなで語ってみるっていうのをやるじゃないですか。
ちょっとあえて今教育的な用語をやめますね。教育者以外も見てるので。
その前半に対して後半は、自分自身の日常生活とか経験に置き換えて考えてみましょうっていって、
講談っていうパターンでちゃんと時間を取るっていうやり方もあるわけですよ。
そうすると、なんかトモさんが言っていたことは叶えられるんじゃないかなと思っていて、
教材を通して考えてみたことを日常場面で自分自身に置き換えてみて考えてみるっていうのもできるわけですよね。
あともう1個がね、この前提として道徳ってその道徳の時間だけでやるものではない。
この教育活動全体でやることなんだ。
ないしは普段の生活の中でも道徳っていうのを意識して先生は働きかけをしていくんだっていうのは実はちゃんと示されてます。
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だからそれはそうなんですよ。
この道徳の年下35時間とか小学1年生と34かなとか示されているんですけども、
それだけじゃなくて教育活動全体でこうやっていくんだっていうところはちゃんとあるので、
そこは安心してもらっていいかなというふうに思いました。
素晴らしい。
じゃあもちろんね、トモさんが言ってくれた通り日常の中でも考えられる機会は確保されてるし、
授業の中でもじゃあもしもの話をある程度フィクションとしても考える練習になったりとかってことで、
大人になってからも身につく力がすごいつきそうだなーってすごいよくわかりました。
具体例出したほうが楽しいなと思って、もうちょっと時間使っていいですか。
筑波大附属小の加藤先生って僕大好きな先生がいて、
その方が出してた本を読んで僕勉強になってよくやってた授業があるんですけども、
そもそも道徳ってね、もともと知ってる価値項目に対して深める、
よりこう深めるっていうのが道徳の性質なわけですよ。
例えば、勇気って大事だよねとか、こんなの誰もが知ってるわけじゃないですか。
友情って大事だよねとか、思いやりって大事だよね、これ全員知ってるでしょ多分。
なんならうちの娘の5歳でも優しいって大事だよねとか知ってるわけですよ。
ただ大事ってわかっても、じゃあ深く考えてみるとムズってこと大人になって結構ありませんか。
あります。
どっちが本当の優しさだみたいな。
その例になるような1個、すごい楽しい話があって、
加藤先生って方が考えた教材なんですけど、アンパンマンの話なんです。
みなさん、勇気ってイメージしてください、勇気。
勇気がある人ってどんな人ですか。
ちょっとお2人言ってもらっていいですか。
アンパンマンのイメージにちょっと引っ張られてるかもしれないけども、
自己犠牲ができる人ってアンパンマンをイメージするとそういうコワードが出てくるかな。
みやむさんは。
リスクが取れる人。
いいですね。
僕は、どんな強大な相手が来ても立ち向かえるとかいうのがイメージはあったわけなんですけど、
今3人が言った言葉ってバイキンマンでも言えません。
リスク取れる。
ほら、言えるでしょ。
アンパンマンは勇気ある、確かに。
でも今言った要素ってバイキンマンもあるわけじゃないですか。
バイキンマンの勇気あるよね、確かに。
あるよね、あるよね。
すごいクソイク風でロボットをよなよな作って、どんだけ負けても立ち向かっていく、あいつ勇気あるやつですよね。
どきんちゃんのために自己犠牲してるわけでしょ。
するしね。
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ってことは、じゃあバイキンマンも勇気あるじゃん。
使い方は間違えてるけど勇気はある。
ちょっと今、めいむさんが言った使い方が間違えてるってどういうことか言ってもらっていいですか。
なんだろうね、嫌がる人の方が多いことに勇気使っちゃってるから。
確かに。
自分のためと、どきんちゃんのためぐらいにしか使わないじゃん。
使い方間違えちゃってるよね、感は少しあるけど、勇気がなくはないよね、あるよね。
勇気って一つの知ってたいようで、実は深めてみると、使い道って大事なんだなっていう気づきがあったりするじゃない。
道徳ってこういう楽しさがあって。
だから、もともと知っていたものを、より概念を一回ぶっ壊して、より考えてみたら、新しい勇気について学べたなとかね。
それで別に先生が答えを押し付けるわけじゃないわけですよ。
教材も押し付けるような教材ではないはずだから、答えを教えてあげるとか道徳を教えてあげるっていうものではないっていうのはわかるよね。
しかも考える、深めるっていうのはすごい楽しいものだし、あり方によっては本当に楽しいっていうのをみんなで考えていきたいな。
めっちゃ面白い。もう哲学ね。
哲学。
哲学になってくるし、大人でもすごく面白い。答えがないし。
それが道徳の授業だったら、その授業受けたいな。
なんだったら、私今日道徳の時間っぽいけどね。
言葉の意味を深めて考えて、ああそうだよなみたいな。
そうかもね。
自由とはとか、道徳とはとか。
確かに確かに。
いろいろ考えさせられてるので。
ぜひね、このラジオにバンバン出てくれてる古内慎吾君は道徳のプロなので、ぜひみなさん聞いてみてください、彼に。すごい面白いんで。
すごい。面白そう。
なんか道徳っていうイメージがどんどんこの時間で良くなっていって、本当に大人になってからもすごく大切だし、
世界の平和のためにも必要なんじゃないかとか、それを育める教育ってめっちゃいいんじゃないかとか、どんどんプラスにとられることができた時間でした。
さすがだいちゃん先生ありがとうございました。
ナイス質問ありがとうございました。
トモさんも質問ありがとうございました。
では3問目、道徳の教科科についてトモさんでした。ありがとうございました。
ありがとうございました。
24:01

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