いとこが大阪にいて、なんとなく関西弁好きだったんですよ。
なので、大阪とか楽しそうだしいいかなとか思って、自分のレベルにも合ってそうだしっていうことで、大阪の方の大学に行ったっていう。
なるほど。将来にこねことしたチョイスじゃなかったわけですね。
なるほど。大学入った後はどんな仕事をされてたんですか?
大学入ってほぼほぼ勉強もせずにバイトしたり、大学でも野球したりとかしてまして、就職どこにしようかなみたいな時に、
銀行さんとかあとは生命保険会社とか、そういったところの先輩からリクルートで電話かかってきたりしたので、話を聞きに行ったりして、面接も何社か受けてたんですけども、
1個その生命保険会社で最終面接まで行ったんですけど、そこで面接官に最後の最後、
バリバリの企業戦士になって全国飛び回りたいか、あるいはマイホームパパになりたいか、どっち?って聞かれて、
そこで特に何も考えずに、どちらかというとマイホームパパですかね、みたいなことを言ったんですけど、
そしたら見事に落とされましてですね。
ですよね。そこはもう企業戦士一択ですよね、面接上ではね。
そうなんですよ。特にだからそれぐらい思いがなかったんだと思うんですけど、その会社に対する。
そこでふと考えて、別に本当に金融とか生命保険とかやりたかったわけでもないしなと思って、
親も公務員だったこともあるし、自分も長男なので、広島帰ろうかなと思って、
で、1年間就職浪人をして公務員試験の勉強をして、
広島帰っても特に行きたいこともなかったんで、とりあえず広島県庁でいいか、みたいな。
そんなノリで県庁を受けて、何とか合格してっていう感じですね。
なるほど。じゃあ県の中でもこんなことをやりたいとか、県をこんなふうによくしたいとかってこともなく。
なんとなく広島は好きだったので、広島に恩返しできたらいいかなぐらいの軽い感じで入りましたね。
目の前のことをもちろん一生懸命やってらっしゃったんでしょうけど、
こういうふうな大人になりたいとか、こういうふうな未来が自分にあったらいいなっていうのは、きっとなかったのかなっていうふうには感じますね。
そうですね。
ちなみになんですけど、これ前半編を聞いてる人のしのぴーさんの見え方と、
今ここまで後半初めて聞いて、ここまでのしのぴーさんの見え方がたぶんほとんど一致しない。
じゃあ本当にこうじゃなきゃいけないとか、
前例とか本当に正解のある仕事っておっしゃってましたけど、
それをずっと繰り返してずっとずっとずっとやってきたら、
この自分っていうのがきっといつしかなくなってたんでしょうね。
でもいいじゃないとやめるっていう選択肢だってあるんじゃないっていうのが、
一つ別の目線が加わっただけで、
ガラッと自分のパワーを出せるようになったっていうことですかね。
そうですね。
じゃあ一言があってよかったですね。
そうなんです。だから本当に僕みたいな人を育てたくないなってずっと思っていて、
もっと自分の頭でしっかり考えて、
自分で主体的に行動できる、
そういう子どもたち、そういう大人もそうなんですけど、
そういう人をもっともっと育成していかないと、
僕と同じような苦しみを味わってしまうなって思っていて、
それが僕が今教育に携わっている理由でもあり、
モチベーションにもなっているところです。
いやーこれ震えますねこれね。
なんか前半を聞いてた方不思議的に今つながってると思うんですけど、
しのぴーさん、僕も入りたいですってさっき言ってましたよね前半で。
うんうん。
自分がやってらっしゃるピースカルチャーアカデミーもそうだし、
英知学園も自分が入りたいですっていうぐらい。
ってことは多分あの当時のしのぴーは、
きっと入りたかったんだと思うんですよ。
でそれをこうじゃあ今の未来のために子どもたちに、
若者に作ろうってやってんだなーって思って、
今つながって嬉しかったです。
そうかー。
じゃあオンラインの向こうだったり、
その島の学校にいる子どもたちに、
どっかこう得られなかった過去の自分が、
姿があったりするのかもしれないですね。
そうですね。
はい。
えっとちょっと前に戻らせていただいて、
じゃあ自分らしく働くっていうことがきっといいんだっていう風にやっと気づけて、
そこから今のこうワクワクプロジェクトにどうつながっていくんですかね。
あそこはですねえっと本当にこうやりながらこんな感じになってきたというか、
一つは広島県の教育の方向性を大きく変えるような、
その学びの変革アクションプランっていうのを作ろうみたいな話になって、
で簡単に言うとその知識詰め込み型の、
何を知っているかっていうインプットベースの学びから、
何ができるかっていうそのアウトプットベースの学びに、
大きく舵を切っていこうっていうでっかいプランを作ったんですね。
それを広島県全体で進めていこうと。
なんだけど、いわゆるアクティブラーニングとかプロジェクト学習とかって、
今は普通に言われているようなものを8年くらい前かな、
作ろうとして、そんなものをぶち上げても、
学校の先生ってそういった新しい学びの教え方も知らないし、
コンテンツもないし、それをどう評価するんだという評価法も知らないし、
当然知事部局の方とかともいろいろ話をするんですけども、
そこで知事部局の計画担当の方といろいろタッグを組んで、
こんなシナリオでこんな感じでいったら絶対にこれならみんな
ハッピーじゃんっていう絵ができたのがそのやり方だったんですね。
何かエッセンスの中でいいところを集めていくようなこととか、
集めていった中で自分なりのキーワードに変えていったりとか、
これだったらいいよねっていう、ここを我慢するときじゃなくて、
これならみんながハッピーだよねってものを見つけるっていうことが
ある程度得意になってきたのかなっていうふうにも感じたんですけど、
そんな部分もあるんですかね。
そうですね。どうせやるならみんながハッピーな方がいいよねっていう。
だから知事もハッピーだし、教育委員会もハッピーだし、
県民もハッピーだし、子どもたちも先生もハッピーだし、
っていうのってどういう形かなとか、
せっかく知事が学校作ろうよって言ってくれてるとか、
あと一方で国の方も当時グローバル人材の育成が急無駄とか、
いろいろ言ってたわけですよ。
今の進学中指導要領の中で主体的対話的で深い学びが必要だって言ってますけども、
その議論がされていった、その議論の内容を広島県先取りしちゃって、
さっきのアクションプランっていうのを作ったんですけども、
そうすることによって学習指導要領がスタートしたのが平成29回。
でも我々がそのアクションプラン作ったのはその5年ぐらい前なんですよ。
5年前から新しい指導要領が動き出すことを見据えて準備を始めようと。
そうすると進学中指導要領が始まった瞬間に先生たちそれに対応できるようになってるよね、
っていうこととか、いろんな人がハッピーになる方法でやってきた感じですね。
何回か前のゲストの回で探求の話があったと思うんですよ。
僕その探求のプロセスと、今しのぴーさんの教育委員会入ってからのプロセスが、
僕はかなり一致してるなと思ってて、もう答えがない問いがあると。
それで別に誰が教えてくれるわけでもないし、それを自分で探しに行くんだと、仲間と一緒に。
そのプロセスってすごい僕はワクワクするんですよね。
みんなでハッピーな最適解っていうのを試行錯誤しながら見つけていくと、
だんだん宝が見えてきて、その宝に向かってサイクル回していく。
それが僕は探求だと思ってるんですけど、きっとしのぴーさんの中にワクワクする探求が生まれて、
気づいたら不老状態になっていたっていう。
だから多分、気づいたらこういう風になってましたって言ってたのは、
多分そういう状態で、多分楽しかったんだろうなって思いながらやってました。
いや、ほんと楽しかったですね。
全くゼロから作れって言われたので、本当に最初3人から始めたんですよ、学校作り。
たった3人で、まずは何するみたいな形で、色んな素敵な学校をベンチマークして、
それこそ知事がイギリスのイートン校みたいな学校がいいんだとかって言うから、
イートン校もベンチマークしてましたし、
当時の軽井沢にできてたアイザックっていう学校もベンチマークしたりして、
そこからカリキュラム作りどうするとか、先生の採用育成どうするとか、
全寮制なんで寮の埋めとかどうするんだとか、
施設も普通の四角い教室だと全然アクティブラーニングとかできないから、
主体的な学びが起こるような空間作りを専門にしているような専門家が東京にいらっしゃったので、
そういった人たちともタッグを組んで、まずは環境から整えていった感じですかね。
そんなことをするにあたって全く前例がないし、どこにもたい学校を作りたかったので、
だから必然的に外部の人、特に最先端の知見を持っている方とつながって、
いろんな対話をしていき、その中でいろんなネットワークもできていったし、仲間も増えていったし、
いろんな人が応援してくれたんですね、この学校作りを。
あとは地域と連携した学校、大崎神島という島の素材をしっかり活用した探究学習をしていく学校だったので、
僕が一番に島に乗り込んでいって、そこでいろんな人とつながって、
一緒にみんなで学校作りしていきましょうみたいな感じで、そうこうしてたらそれがすごい楽しくなってきて、
それが今の僕がある音みたいな感じですかね。
ワクワクシノピーが、感情っていうか引き出されたというか。
そうですね、本当に元々持ってたんだと思うんですよね、きっと。
これをちょっとある程度仕事もあって抑えつけたりとかしてたりしたんですけど、
本当はゼロからみんなでワクワクしながら作ろうぜっていうのが大好きな子だったんだなっていうのはすごい感じますね。
そうなんですよ。なんか小っちゃい頃から仲間と一緒に一つの目標に向かって頑張っていくっていうのはすごい好きで、
体育祭とかもそうだったんですけど、最後体育祭本番終わったらもうみんなでこう涙涙の感動のみたいな、
そういうのすっごい好きで。
僕ね、あえて教育現場に重ねてみると、今のシノピーさんのワクワクプロセスを、
僕は学校教育、すべての学校教育に入ってきてほしいと思ってます。
子供がワクワクする、でも答えない問いに対して、ワクワクしながら進めていって仲間ができてきて、
途中壁にぶつかって、もう一回考えて、最後こう見えた景色で、さらにまた新たな問いが生まれていって、そのサイクルをね、入れたいんですよ。
入ってる学校いっぱいありますけど、やっぱりまだまだそうじゃないっていう現状をね、反省しながら僕は今聞いてました。
まあでもシノピーさんもね、本当に広島だけじゃなくって、全国にそういうことをね、広げていきたいっていう風にされてると思いまして、
せっかくなので、今後どうしていくかっていう話をちょっと聞きたいなと思いまして、今後こんな未来にしていきたいなっていうのは何かございますか?
そうですね、今本業としてやってるのが、広島県の教育委員会で、その障害学習をアップデートしようっていう新しいミッションをいただきまして、
障害学習って僕も全然素人だったんですけど、調べたらその学校教育と社会教育と家庭教育と全ての要素が含まれていて、
それを子供から大人までおじいちゃんおばあちゃんまでみんながこうなんか学び合いながら生き生きと暮らしていける、
なんかそういったためにやる学習が障害学習なんだと。
それはアップデートしろって何していいかまだわかんないんですけど、
言うたら文科省がやろうとしているその社会に開かれた教育課程っていうのを実現していくためには、やっぱりその地域の人とか民間企業とかがどんどん学校の中に入り込んでいかないといけないですし、
そんなのもあって文科省の方もその地域と学校との共同活動っていうのを推進していこうっていうのを言っていますので、
一つはその学校を核としてそこにいろんな民間企業とか地域の人大人たちを入れていって、そこのつなぎ役コーディネート役を我々がやっていって、
そうすることで当然子供たちにとっては学びが深まるし、社会とつながった学びができるので成長していくんですけども、
逆にその学校とか子供たちに関わる大人の方もきっと成長していけるんじゃないかな、
学びの大切さだったり生きる意義だったりみたいなやりがいだったりそこに気づいていって、
そんな感じで子供も大人もみんなで関わりながらワクワクしながらともに学び合って成長できるような、
そんな環境を作っていきたいなと思っていて、それをね、かっちりしたものを全然作りたいわけでもなくって、
遊び場的な感じで作っていけたらいいかなと思っているんですね。
ピースカルチャーアカデミーがやっていることもまさしくそうだと思いますし、
勉強するって子供だけの特権じゃないですもんね、大人だって学び続けないといけないし、
それってやっぱ楽しいことだよねっていうふうに僕も思えているのが結構最近かもしれないですし、
みんなそうなっていけばいいなって思ったりもしました。
だいちゃんいかがですか?
まさにね、遊び場っていいですね。
たぶん人生最初の探求と遊びというか、かなと私は思ってて、
それがこう学校の中に入ってきたりとか、それからもう地域の中に入ってきて、
ひとつの教室になって、誰でも学べるっていうかを作ろうとしてるんだなと思って、
さらにちょっと応援したいし、一緒に頑張りたいなと思いました。
そうなんですよね。
なんかちっちゃい頃って遊びが学びだったんですよ、だいちゃんおっしゃるとおり。
なんだけど、いつしか遊びと勉強は別物とか、遊びと仕事は別物とかっていう同調圧力に負けちゃって、
そうだよねってみんなが固定観念的に思ってしまってるんだけど、
遊びの中に学びがあるし、遊びの中に仕事、遊びから仕事ができていくというか、
っていうところもあるんじゃないかなと思っていて、
なので、今広島の仲間たちと作ろうとしてるのは、それこそプレイスペースっていう、
本当に広島の中に遊び場を作ろうと、っていうプロジェクトも立ち上げていて、
まさに広島を経営するみたいなことができないかなと思っていて、
そこでやるのは、当然教育的な、さっき言ったようにピースカルチャーアカデミーとか、
キャリア教育的なソーシャルビジネス的なこともやっていくんですけども、
それ以外に観光だったり、企業連携だったり、
あとはメタバース的なテクノロジーだったり、
あとは広島をブランディングしていこうみたいな、
もうちょっと仲間たちと一緒にやっていきたいな、
でもそれって結局、ベースになるのはワクワクだし、遊び心なんですよね。
ちっちゃころって大好きな友達とずっと一緒に遊んでたじゃないですか。
はい、そうですね。
でも、大人になっても大好きな人とずっと一緒に、
共に時間を過ごせる方法が一つだけあって、
それって一つのプロジェクトにしちゃえばいいんじゃないって思ったんです。
いいな。
遊びを仕事にしちゃえば、大好きな人と一緒に大好きなことがずっとやっていけて、
でも、好きな楽しいことだから、めちゃめちゃワクワクエネルギーで、
どんどんどんどん形になっていってプロジェクトが進んでいって、
でもそのプロジェクトって結局誰かのためになるプロジェクトだから、
結局そのやればやるほど社会に貢献できるし、
社会に貢献するつもりでやってるわけでもないんだけど、
でも、結果それでみんなもハッピーになるし、
より良い未来が作っていける。
これすごい素敵だなと思ってて。
そういう世の中、みんながみんなそんなやりたいことができて、
遊びの中で楽しくワクワクしながらやりたいことがやっていけるような、
そんな世の中になっていったら本当にみんなハッピーだし、
それこそ平和な世界が作れていくんじゃないかなっていうふうに思っているところです。
今、聞きながら間違いないなって裏付けしてもらった気持ちなんですけど、
何もないんじゃなくて
この人っていいよね子供っていいとかあるよねおじいちゃんおばあちゃんって最高だよねみたいなのを
自分っていうのをある程度フィルターにしないでこれもいいこれもいいこれもワクワクするっていうのを
集めるっていうことができるっていうのがおそらく才能だったんじゃないかなという風に途中で思っていて
なので何もないっていうのが言ってみたら決めつけないみたいな
いいですね。
風になっていたのかなっていう風に思ってきっとそのずっと悶々としていた9年10年の県庁の仕事もきっと無駄じゃなかったんだろうし
何かこう悶々としていたからこそ今のしのぴーさんがあってワクワクをブーストしていくような姿があるのかなと思って
しのぴーさんなら信じられるってすごく思った1時間でした。
しのぴーさんが最初の自己紹介かなって言ってたとこに僕ヒントをもらったんですけど教師のあり方
先生のあり方で最初しのぴーさんが言ってたのは
H学園とかピースカルチャーアカデミーで伴奏と応援をしてるって2つ言ってたんですよ
多分それってご自身の経験でどんな先生や大人が近くにいてほしかったかっていうのを表してるんだろうなって勝手に思ってて
だからやっぱり今僕たち学校にいる大人は伴奏だったり応援をする環境を作るっていうのをすればきっと子供はもう学んでいくんだろうなっていうのを
かなりヒントしてもらったなって思いました
改めて我々が番組の中で繰り返したことに近いものがあったと思うんですけど
でも実践もされていてまだまだブーストさせていくっていうね
終わんないですよ
勇気もらいましたね
しのぴーはこっからですから
本当に繰り返しになりますけど本当に自分が何もないって今思ってらっしゃる方も本当に勇気の若いだなと思って
いい話聞いたなと思いました
これを聞いてですね私もやってみようとか私もワクワクしてみたいなって思った方もたくさんいらっしゃるかと思いますので
もしもいいなと思ってくださったらご意見ご感想をツイッターのハッシュタグ
ほぼ教 ほぼはひらがな 教は教育の教でつぶやいていただけたらと思います
番組はですねアップルポッドキャストとスポティファイというプラットフォームを使っています
再生回数だけではなくてフォローをしてもらえると番組の応援にもつながっていきますのでぜひフォローもお願いいたします
はいというわけで熱い回でしたがだいちゃん最後なんか一言ありますか
しのぴーさんありがとうこれからもよろしく
そうし相愛ですからね一緒になんか言っていければいいなというふうに思います
はいというわけでお聞きいただいて本当にどうもありがとうございました