2022-06-03 42:29

#22「何もない僕だから、学校から社会を変える」(後編) ゲスト:広島県教育委員会 叶松忍さん

spotify apple_podcasts

何となく進学して、何となく就職して、希望したわけではない仕事で連日徹夜の辛い日々を過ごしていたしのぴーさん。
窮地を救ったのは、奥様のある一言でした。

 「自分みたいな人を作りたくないから」とはっきり言う姿に、学校教育の明るい未来が見えます。
自分なんて、と思う方にこそ聴いてもらいたい勇気の回です! 


《 ゲスト:叶松忍さん 》

広島生まれ広島育ち。広島県庁に就職後、教育委員会への出向が人生の転機に。
全寮制の中高一貫校「広島叡智学園」の立ち上げや個別最適な学びのプロジェクト等を歴任。
昨年度は、経済産業省「未来の教室」チームに出向し、子供たちのワクワクを基点にした自律的・探究的な学びを推進するとともに、広島の仲間たちとピースリーダーを育成するオンラインスクール「PEACE CURTURE ACADEMY」を立ち上げ。
現在は広島に戻り、大人も子供も共に学び合い成長するワクワクな遊び場づくりを楽しんでいる♪ 


《 つぼけん 》

 1982年生まれ。東京都出身。
大学の自主映画サークルで映像制作の面白さを知り、2005年に映像の制作会社に入社。
カメラマンディレクターとして多くのテレビ番組に携わる。
子どもが小学校に入ったことがきっかけで、日本の学校教育に関心を持つ。
人生の目標は「Happiness Creactor」(=自分も他人もしあわせにできる創造力をつくる) 


《 大ちゃん:大野大輔 》 

1991年生まれ。東京都出身。
学校と自分が嫌いだった小学生時代を、当時の恩師が幸せに変えてくれたことがきっかけで教師の道を志す。
現在は東京都北区立赤羽小学校の研究主任として、児童に自己決定のある授業や、みんなが幸せで働きやすい職員室づくりに挑戦中。
人生の目標は「全国の共育者と子どもを幸せにすること」
座右の銘は「最高のNo.2」「認任」
○ともはぐ(共育)代表 ○教育の窓口 共同運営
○REACHER BASE 共同運営
○先生の幸せ研究所 第3期
○オンライン市役所 東京都会幹部 

感想はTwitter「#ほぼ教」でつぶやいていただけたら嬉しいです!

【つぼけんTwitter : @tsuboken_mol】

00:02
では、後半に参ります。今回のテーマ、「何もない僕だから、学校から社会を変える」ということで、叶松忍さん、しのぴぃさんですけれども、しのぴぃさん、この何もない僕だから、これちょっとどういうことなの?というふうに思っているんですけれども、
はい。
これはどういうことでしょうか?
本当に、ちっちゃい頃からびっくりするぐらい、夢とか特になくって、今、やっと人生の目的とかミッションとか、本当にやりたい夢みたいなのがどんどんどんどん出てきてるんですけれども、それが本当に30代に入ってからだったなっていうふうに思っています。
だって、先ほどピースカルチャーアカデミーでは、子供のやりたいって気持ちをどうやってプロジェクトに変えていって、僕はこう増幅させてってお話をされてましたけど、しのぴぃさんご本人は、やりたいことなんて子供の頃にはなかったってことなんですか?
そうなんです。そうなんです。
いや、だからこそ、そんな子供育てちゃいけないなって、自分を反面教師にしてるところがあります。
そうなんですね。
じゃあ、しのぴぃさんがどんな生い立ちだったのかなっていうふうに伺いたいなと思っておりまして、子供の頃ってどんな子だったんですかね?
子供の頃はですね、結構なんか人見知り激しくって、恥ずかしがり屋のテレ屋さんで、っていう子供時代でしたね。
結構、親が警察官だったんですけども、結構転勤が多いので、県内をぐるぐる転勤していた感じでした。
敷かれたレールの上を歩むような学生時代というか、両親が高卒だってこともあって、いい企業に就職すれば将来安泰だからみたいなことを言われていて、そんなもんなのかと思って。
勉強時代は嫌いじゃなかったんですけど、一生懸命になることは好きだったんですよ。
テストがあるって言ったら、テストでいい点取りたいから、結構一夜漬けとかして、ただ結局何のために勉強してるのか分からんと。
あとは友達はたくさんいたし、だから学校生活は楽しかったんだけど、何で勉強してるのかなっていうのは分からないまま。
でもとりあえず高校行って、とりあえず大学行っとけばなんとかなるかなっていうような感じで過ごしてた学生時代でしたね。
なるほど。じゃあ大学の学部とかも将来につながるからとかいうことで選んだわけではないってことですか?
全然ないですね。高校の時に数学とかが全然できなくて、理系は諦めて、文系って何があるんだって思った時に、
法学部とか経済学部とかあって、経済とかもよう分からんしな、とりあえず法学部でいいかなみたいな感じで、
03:05
いとこが大阪にいて、なんとなく関西弁好きだったんですよ。
なので、大阪とか楽しそうだしいいかなとか思って、自分のレベルにも合ってそうだしっていうことで、大阪の方の大学に行ったっていう。
なるほど。将来にこねことしたチョイスじゃなかったわけですね。
なるほど。大学入った後はどんな仕事をされてたんですか?
大学入ってほぼほぼ勉強もせずにバイトしたり、大学でも野球したりとかしてまして、就職どこにしようかなみたいな時に、
銀行さんとかあとは生命保険会社とか、そういったところの先輩からリクルートで電話かかってきたりしたので、話を聞きに行ったりして、面接も何社か受けてたんですけども、
1個その生命保険会社で最終面接まで行ったんですけど、そこで面接官に最後の最後、
バリバリの企業戦士になって全国飛び回りたいか、あるいはマイホームパパになりたいか、どっち?って聞かれて、
そこで特に何も考えずに、どちらかというとマイホームパパですかね、みたいなことを言ったんですけど、
そしたら見事に落とされましてですね。
ですよね。そこはもう企業戦士一択ですよね、面接上ではね。
そうなんですよ。特にだからそれぐらい思いがなかったんだと思うんですけど、その会社に対する。
そこでふと考えて、別に本当に金融とか生命保険とかやりたかったわけでもないしなと思って、
親も公務員だったこともあるし、自分も長男なので、広島帰ろうかなと思って、
で、1年間就職浪人をして公務員試験の勉強をして、
広島帰っても特に行きたいこともなかったんで、とりあえず広島県庁でいいか、みたいな。
そんなノリで県庁を受けて、何とか合格してっていう感じですね。
なるほど。じゃあ県の中でもこんなことをやりたいとか、県をこんなふうによくしたいとかってこともなく。
なんとなく広島は好きだったので、広島に恩返しできたらいいかなぐらいの軽い感じで入りましたね。
目の前のことをもちろん一生懸命やってらっしゃったんでしょうけど、
こういうふうな大人になりたいとか、こういうふうな未来が自分にあったらいいなっていうのは、きっとなかったのかなっていうふうには感じますね。
そうですね。
ちなみになんですけど、これ前半編を聞いてる人のしのぴーさんの見え方と、
今ここまで後半初めて聞いて、ここまでのしのぴーさんの見え方がたぶんほとんど一致しない。
06:05
真逆ぐらいですよね。
前半はもう未来思考で目的思考でワクワクしてるって。
今後半のこの最初はね、特になんとなくとか、とりあえずとか。
この部分がいわゆるタイトルの言葉なんですね。
何もない僕だから学校から社会を変える。
いやーでもこれ知らなかったというか、なんか衝撃の今のしのぴーさんから見えない部分なんですね。
そうですね。
じゃあその何もない当時のしのぴーさんは、なぜ今のワクワク様になったのかってめちゃくちゃ気になります。
そこなんですよ。
県庁に入ってからの続きを伺ってもいいですか。
はい。県庁に入って、最初の所属がイベントの部署だったんですね。
毎年各県で持ち回りでやってる年輪ピックっていうイベントがあって、
高齢者のスポーツと文化の祭典で全国から何万人かおじいちゃんおばあちゃんが集まってイベントするっていう。
それはめちゃくちゃ楽しくて、民間企業の方とか出向に来てて、一緒に楽しく夜中まで仕事をして、
そのイベントが10月に終わったんですけども、
やっと楽しいイベントが終わったと。
あと半年は暫務整理というか、結構暇できるよって聞いてたので、
何して遊ぼうかなって思ってたら、ちょうど地方機関に決員が出たので、
ちょっと地方機関に移動で行ってくれって言われて、
そっから僕の面白くない人生が始まったんですけど、
その地方機関では総務局っていうところで、公共工事とか契約とか支払いとか、
そういった事務仕事とか、あとは物品の発注とか、
そういったいわゆる総務、書務みたいな仕事を2年半やって、
その後また本庁に戻ってきたんですけど、戻った先が人事委員会っていう、
また難しい、固そうな組織で、そこで給与制度とか調査研究をしたり、
ひたすら予算、決算、人事、給与とか、そんな仕事ばっかり。
それってどこかに答えがあるというか前例があって、
その前例の通りにやらないと逆にいけないような、正解のある仕事だったなっていうふうに思うんですけど、
結局その何のため、誰のために働いてるのかとかっていうのが、
よくわからないまま9年間過ごした感じだったんですね。
9年間。
僕はもう完全に正解のある仕事って苦手ってできないので、
できる人すごい尊敬してるんですけど、全然ダメですね。
09:00
だいちゃんもダメでしょ。
ダメ。もうね、多動落ち着きない僕はね、絶対無理だね。
9年管理部門やった人、もう尊敬でしかないです。絶対できないです。
それができる方もすごいと思いますけどね。
すごいと思います。
そこに当時入るっていうのも難しかったし。
どちらかというと、僕もすつぼけんさんとかだいちゃん寄りの人間だっていうことに、
やっぱり最近再認識したんですけど、
ただ、そんな環境にいると、どうしても真面目な自分のほうが勝っちゃってみたいな。
環境がそうしますね。
だから、僕も今本当にその答えのある仕事できない体質になってしまって、
ルーティンワークすげえ苦手なんですよ。
よく課長に怒られてます。
いや、じゃあ9年間はちょっと辛かったですね。
本来の自分をある程度隠して真面目にやんなきゃいけないんだっていう風にやってたわけですもんね。
どっかで猫かぶってた感じだったと思います。
そっか。今までずっとワクワク度がゼロなんですけど。
やった!ワクワクにつながってきて、
今のところね。
今のところ。
転機があるわけですよね、多分ね。
また次のステージお願いします。
その次の部署で、教育委員会っていうところに人事異動で出向という形で行くことになりました。
これが本当に転機になったんですけども、
当時教育委員会っていうと本当にいろんな事件なり何なりたくさんあって、
フヤ城って呼ばれてたんですね。
とにかく残業が多い部署だと。
そういうことですね。
夜中まで仕事してるから。
電気が消えない。
電気が消えない。
はい。
絶対行きたくなかったとこだったんですけど、出向で行けと言われたんで仕方なく行きましたと。
そこで任されたのが総務課の経営戦略係みたいな部署で、
県内の小中高の教育政策全体の企画立案をするような部署に配属になり、
県庁全体の教育政策って言っときながら、たった2人でそれをしないといけないみたいな。
2人!?
たまたま組織再編とかがあって、
前の年までは5人で、教育政策室っていう室があって5人でやってたのが、
係が統合しちゃって、統合したついでに企画担当は2人に減らされて、
残りは予算担当みたいな。
ひどいというか、そんな部署に行かされたんですね。
そういったものの企画立案とかを、言ったら自分1人でいろいろ調整して、
最後は教育長まで1人で説明してあがらないといけないと。
もう1人頼れる先輩がいたんですけども、
その先輩は企画の仕事なんて適当にやっておけばいいからって言ってくれるんですけど、
12:05
その先輩自身がめちゃくちゃ詳しいし、めっちゃきっちり調べて、
すごい調べて調べてやるような方で、絶対真似できねえやと思って、
とりあえず適当にやっておけばいいわっていうから適当に資料を作って、
なんとか課長はOKもらって、その次部長にOKもらって、
次長にOKもらって、
なんとかやっと教育長までたどり着いて、
教育長のところで全然ダメってダメ出しされて、
またゼロかなみたいな。
なんかね、そんな日々がすごい続いて、
夜は毎日残業だし、どんどん仕事も溜まってくるし、
仕方なく休日に出勤するじゃないですか。
でも休日出勤してるの僕だけだったんですけど、
休日に出勤しても仕事が進まなくって、
本当になんか自分バカになったんじゃないかなっていうぐらい、
何もできない日々が続いて、
月曜日がすごい嫌で、めっちゃしんどい、
もう半ばうつ病になりかけみたいな、
そんな日々が続いてたときに、
見るに見かねたうちの奥さんが一言、
そんなにしんどいなら県庁やめちゃえばいいじゃんって、
言ってくれたんですね。
そこでハッと気づいたんです。
一つは答えを当てにいきすぎてたなっていうことに気づいて、
なので教育どしろとだったんで、
まずはいろんな関係家に回って、
しっかり対応しながら話を聞いて、
自分で調べたことを自分の頭でしっかり考えて、
きっと正解はないからこうじゃないかなっていう、
最前回を自分で作って、
それを上司にぶつけるようにしたんですね。
そうすると、そんな案でいいんじゃないとかって言ってくれて、
最後教育長もそれでいこうってなって、
ちっちゃな成功体験を繰り返していくうちに、
逆に自分で考えて、
物事を形にして、説明して、実行して、
やっていくのがすごい楽しくなってきて、
気がついたら新しい学校作りだったり、
新しいプロジェクトばっかり回していけるようになっていた。
奥様のやめたらいいじゃないで、
辛いしやめようも別に選択としてあったと思うんですけど、
そうじゃなくって、
あれふと仕事のやり方変えてみようかなに繋がったっていうことなんですね。
そうですね。どっかで吹っ切れたんだと思うんですよ。
本当に最後やめてもいいんだったら、
好きなことをやっちゃおうみたいな。
今そんな感じになったんじゃないかなと思います。
素晴らしい。
15:00
じゃあ本当にこうじゃなきゃいけないとか、
前例とか本当に正解のある仕事っておっしゃってましたけど、
それをずっと繰り返してずっとずっとずっとやってきたら、
この自分っていうのがきっといつしかなくなってたんでしょうね。
でもいいじゃないとやめるっていう選択肢だってあるんじゃないっていうのが、
一つ別の目線が加わっただけで、
ガラッと自分のパワーを出せるようになったっていうことですかね。
そうですね。
じゃあ一言があってよかったですね。
そうなんです。だから本当に僕みたいな人を育てたくないなってずっと思っていて、
もっと自分の頭でしっかり考えて、
自分で主体的に行動できる、
そういう子どもたち、そういう大人もそうなんですけど、
そういう人をもっともっと育成していかないと、
僕と同じような苦しみを味わってしまうなって思っていて、
それが僕が今教育に携わっている理由でもあり、
モチベーションにもなっているところです。
いやーこれ震えますねこれね。
なんか前半を聞いてた方不思議的に今つながってると思うんですけど、
しのぴーさん、僕も入りたいですってさっき言ってましたよね前半で。
うんうん。
自分がやってらっしゃるピースカルチャーアカデミーもそうだし、
英知学園も自分が入りたいですっていうぐらい。
ってことは多分あの当時のしのぴーは、
きっと入りたかったんだと思うんですよ。
でそれをこうじゃあ今の未来のために子どもたちに、
若者に作ろうってやってんだなーって思って、
今つながって嬉しかったです。
そうかー。
じゃあオンラインの向こうだったり、
その島の学校にいる子どもたちに、
どっかこう得られなかった過去の自分が、
姿があったりするのかもしれないですね。
そうですね。
はい。
えっとちょっと前に戻らせていただいて、
じゃあ自分らしく働くっていうことがきっといいんだっていう風にやっと気づけて、
そこから今のこうワクワクプロジェクトにどうつながっていくんですかね。
あそこはですねえっと本当にこうやりながらこんな感じになってきたというか、
一つは広島県の教育の方向性を大きく変えるような、
その学びの変革アクションプランっていうのを作ろうみたいな話になって、
で簡単に言うとその知識詰め込み型の、
何を知っているかっていうインプットベースの学びから、
何ができるかっていうそのアウトプットベースの学びに、
大きく舵を切っていこうっていうでっかいプランを作ったんですね。
それを広島県全体で進めていこうと。
なんだけど、いわゆるアクティブラーニングとかプロジェクト学習とかって、
今は普通に言われているようなものを8年くらい前かな、
作ろうとして、そんなものをぶち上げても、
学校の先生ってそういった新しい学びの教え方も知らないし、
コンテンツもないし、それをどう評価するんだという評価法も知らないし、
18:04
じゃあそういう新しい学びを、
というか広島が目指す学びの変革を先導的に実践していくような、
新しい学校を作って、そこで新しいカリキュラムだったり、
指導法、評価法っていうのを確立して、
それを広島県内のすべての小中高に還元していけば、
っていうでっかい絵を描いて、
それが知事もオッケーして、議会もオッケーしてくれて、
じゃあそういった新しい学校を作ろうよという話になり、
それが広島市学園なんですけども。
すごい。そういうことがあったのか。
どうやって変えていこうかという時に、
いろんなやり方があると思うんですけど、
現役で働いていらっしゃる先生と向き合って、
勉強会したり、説得をしていくようなこととか、
あと教科書を変えようとか、授業を変えようとか、
いろんなやり方ってある中で、
モデルを作ろうっていうのは結構、
決断としては大きな決断だと思うんですけど、
それはなぜモデルを作ろうっていうふうになったんですか?
これが最初の話にも戻るんですけど、
広島県の湯崎知事が知事になったときのマニフェストに、
突き抜けた中高一環を作ろうっていうのがあったじゃないですか。
一方で教育委員会は学校等配合してるから作れないっていうのがあって、
教育委員会としても中高一環、中高6年間の中で、
系統的に語学力だったり、いろんなコンピテンシーを
伸ばしていくことが有効だっていうのは認識していたので、
何かしら中高一環を作っていきたかった。
教育委員会の思いと知事の思いをうまいこと融合して、
中高一環を何個か作って、そこの成果を県全体に広めていって、
教育県広島を復活させていこうみたいな、
っていうでっかい絵を描いて進めていったのが、
モデルから広げていくっていうところに繋がっていったんですね。
なるほど。でも多分、教育委員会に入ったばっかりの
しのぴーさんだったら、県知事がそうやっていうマニフェスト
あげてるのも分かるし、でも党配合してるし、
どっちにを立てても、どっちも満足しないし、
でもどうすればいいんだろう。でも真ん中だったらこんなもんかな
って思って出して、ダメって言われるとか、
っていうようなループにきっと陥ってたんだろうなと思ったんですけど、
でもそうじゃないよね。どっちの言ってることもいいとこ取りして、
しかも自分にやりたいことも乗っけて、これが広島県の新しいスタイルに
しようぜっていうふうにワクワクを掲げたっていうのが、
めちゃくちゃ大きな進化だなっていうふうに思って、
それはなぜそういうふうにできるようになったのかなって改めて思いました。
そこもですね、いろいろあって、当時予算要求とかするときには
21:05
当然知事部局の方とかともいろいろ話をするんですけども、
そこで知事部局の計画担当の方といろいろタッグを組んで、
こんなシナリオでこんな感じでいったら絶対にこれならみんな
ハッピーじゃんっていう絵ができたのがそのやり方だったんですね。
何かエッセンスの中でいいところを集めていくようなこととか、
集めていった中で自分なりのキーワードに変えていったりとか、
これだったらいいよねっていう、ここを我慢するときじゃなくて、
これならみんながハッピーだよねってものを見つけるっていうことが
ある程度得意になってきたのかなっていうふうにも感じたんですけど、
そんな部分もあるんですかね。
そうですね。どうせやるならみんながハッピーな方がいいよねっていう。
だから知事もハッピーだし、教育委員会もハッピーだし、
県民もハッピーだし、子どもたちも先生もハッピーだし、
っていうのってどういう形かなとか、
せっかく知事が学校作ろうよって言ってくれてるとか、
あと一方で国の方も当時グローバル人材の育成が急無駄とか、
いろいろ言ってたわけですよ。
今の進学中指導要領の中で主体的対話的で深い学びが必要だって言ってますけども、
その議論がされていった、その議論の内容を広島県先取りしちゃって、
さっきのアクションプランっていうのを作ったんですけども、
そうすることによって学習指導要領がスタートしたのが平成29回。
でも我々がそのアクションプラン作ったのはその5年ぐらい前なんですよ。
5年前から新しい指導要領が動き出すことを見据えて準備を始めようと。
そうすると進学中指導要領が始まった瞬間に先生たちそれに対応できるようになってるよね、
っていうこととか、いろんな人がハッピーになる方法でやってきた感じですね。
何回か前のゲストの回で探求の話があったと思うんですよ。
僕その探求のプロセスと、今しのぴーさんの教育委員会入ってからのプロセスが、
僕はかなり一致してるなと思ってて、もう答えがない問いがあると。
それで別に誰が教えてくれるわけでもないし、それを自分で探しに行くんだと、仲間と一緒に。
そのプロセスってすごい僕はワクワクするんですよね。
みんなでハッピーな最適解っていうのを試行錯誤しながら見つけていくと、
だんだん宝が見えてきて、その宝に向かってサイクル回していく。
それが僕は探求だと思ってるんですけど、きっとしのぴーさんの中にワクワクする探求が生まれて、
気づいたら不老状態になっていたっていう。
だから多分、気づいたらこういう風になってましたって言ってたのは、
多分そういう状態で、多分楽しかったんだろうなって思いながらやってました。
24:02
いや、ほんと楽しかったですね。
全くゼロから作れって言われたので、本当に最初3人から始めたんですよ、学校作り。
たった3人で、まずは何するみたいな形で、色んな素敵な学校をベンチマークして、
それこそ知事がイギリスのイートン校みたいな学校がいいんだとかって言うから、
イートン校もベンチマークしてましたし、
当時の軽井沢にできてたアイザックっていう学校もベンチマークしたりして、
そこからカリキュラム作りどうするとか、先生の採用育成どうするとか、
全寮制なんで寮の埋めとかどうするんだとか、
施設も普通の四角い教室だと全然アクティブラーニングとかできないから、
主体的な学びが起こるような空間作りを専門にしているような専門家が東京にいらっしゃったので、
そういった人たちともタッグを組んで、まずは環境から整えていった感じですかね。
そんなことをするにあたって全く前例がないし、どこにもたい学校を作りたかったので、
だから必然的に外部の人、特に最先端の知見を持っている方とつながって、
いろんな対話をしていき、その中でいろんなネットワークもできていったし、仲間も増えていったし、
いろんな人が応援してくれたんですね、この学校作りを。
あとは地域と連携した学校、大崎神島という島の素材をしっかり活用した探究学習をしていく学校だったので、
僕が一番に島に乗り込んでいって、そこでいろんな人とつながって、
一緒にみんなで学校作りしていきましょうみたいな感じで、そうこうしてたらそれがすごい楽しくなってきて、
それが今の僕がある音みたいな感じですかね。
ワクワクシノピーが、感情っていうか引き出されたというか。
そうですね、本当に元々持ってたんだと思うんですよね、きっと。
これをちょっとある程度仕事もあって抑えつけたりとかしてたりしたんですけど、
本当はゼロからみんなでワクワクしながら作ろうぜっていうのが大好きな子だったんだなっていうのはすごい感じますね。
そうなんですよ。なんか小っちゃい頃から仲間と一緒に一つの目標に向かって頑張っていくっていうのはすごい好きで、
体育祭とかもそうだったんですけど、最後体育祭本番終わったらもうみんなでこう涙涙の感動のみたいな、
そういうのすっごい好きで。
僕ね、あえて教育現場に重ねてみると、今のシノピーさんのワクワクプロセスを、
僕は学校教育、すべての学校教育に入ってきてほしいと思ってます。
子供がワクワクする、でも答えない問いに対して、ワクワクしながら進めていって仲間ができてきて、
27:06
途中壁にぶつかって、もう一回考えて、最後こう見えた景色で、さらにまた新たな問いが生まれていって、そのサイクルをね、入れたいんですよ。
入ってる学校いっぱいありますけど、やっぱりまだまだそうじゃないっていう現状をね、反省しながら僕は今聞いてました。
まあでもシノピーさんもね、本当に広島だけじゃなくって、全国にそういうことをね、広げていきたいっていう風にされてると思いまして、
せっかくなので、今後どうしていくかっていう話をちょっと聞きたいなと思いまして、今後こんな未来にしていきたいなっていうのは何かございますか?
そうですね、今本業としてやってるのが、広島県の教育委員会で、その障害学習をアップデートしようっていう新しいミッションをいただきまして、
障害学習って僕も全然素人だったんですけど、調べたらその学校教育と社会教育と家庭教育と全ての要素が含まれていて、
それを子供から大人までおじいちゃんおばあちゃんまでみんながこうなんか学び合いながら生き生きと暮らしていける、
なんかそういったためにやる学習が障害学習なんだと。
それはアップデートしろって何していいかまだわかんないんですけど、
言うたら文科省がやろうとしているその社会に開かれた教育課程っていうのを実現していくためには、やっぱりその地域の人とか民間企業とかがどんどん学校の中に入り込んでいかないといけないですし、
そんなのもあって文科省の方もその地域と学校との共同活動っていうのを推進していこうっていうのを言っていますので、
一つはその学校を核としてそこにいろんな民間企業とか地域の人大人たちを入れていって、そこのつなぎ役コーディネート役を我々がやっていって、
そうすることで当然子供たちにとっては学びが深まるし、社会とつながった学びができるので成長していくんですけども、
逆にその学校とか子供たちに関わる大人の方もきっと成長していけるんじゃないかな、
学びの大切さだったり生きる意義だったりみたいなやりがいだったりそこに気づいていって、
そんな感じで子供も大人もみんなで関わりながらワクワクしながらともに学び合って成長できるような、
そんな環境を作っていきたいなと思っていて、それをね、かっちりしたものを全然作りたいわけでもなくって、
遊び場的な感じで作っていけたらいいかなと思っているんですね。
ピースカルチャーアカデミーがやっていることもまさしくそうだと思いますし、
勉強するって子供だけの特権じゃないですもんね、大人だって学び続けないといけないし、
それってやっぱ楽しいことだよねっていうふうに僕も思えているのが結構最近かもしれないですし、
みんなそうなっていけばいいなって思ったりもしました。
30:00
だいちゃんいかがですか?
まさにね、遊び場っていいですね。
たぶん人生最初の探求と遊びというか、かなと私は思ってて、
それがこう学校の中に入ってきたりとか、それからもう地域の中に入ってきて、
ひとつの教室になって、誰でも学べるっていうかを作ろうとしてるんだなと思って、
さらにちょっと応援したいし、一緒に頑張りたいなと思いました。
そうなんですよね。
なんかちっちゃい頃って遊びが学びだったんですよ、だいちゃんおっしゃるとおり。
なんだけど、いつしか遊びと勉強は別物とか、遊びと仕事は別物とかっていう同調圧力に負けちゃって、
そうだよねってみんなが固定観念的に思ってしまってるんだけど、
遊びの中に学びがあるし、遊びの中に仕事、遊びから仕事ができていくというか、
っていうところもあるんじゃないかなと思っていて、
なので、今広島の仲間たちと作ろうとしてるのは、それこそプレイスペースっていう、
本当に広島の中に遊び場を作ろうと、っていうプロジェクトも立ち上げていて、
まさに広島を経営するみたいなことができないかなと思っていて、
そこでやるのは、当然教育的な、さっき言ったようにピースカルチャーアカデミーとか、
キャリア教育的なソーシャルビジネス的なこともやっていくんですけども、
それ以外に観光だったり、企業連携だったり、
あとはメタバース的なテクノロジーだったり、
あとは広島をブランディングしていこうみたいな、
もうちょっと仲間たちと一緒にやっていきたいな、
でもそれって結局、ベースになるのはワクワクだし、遊び心なんですよね。
ちっちゃころって大好きな友達とずっと一緒に遊んでたじゃないですか。
はい、そうですね。
でも、大人になっても大好きな人とずっと一緒に、
共に時間を過ごせる方法が一つだけあって、
それって一つのプロジェクトにしちゃえばいいんじゃないって思ったんです。
いいな。
遊びを仕事にしちゃえば、大好きな人と一緒に大好きなことがずっとやっていけて、
でも、好きな楽しいことだから、めちゃめちゃワクワクエネルギーで、
どんどんどんどん形になっていってプロジェクトが進んでいって、
でもそのプロジェクトって結局誰かのためになるプロジェクトだから、
結局そのやればやるほど社会に貢献できるし、
社会に貢献するつもりでやってるわけでもないんだけど、
でも、結果それでみんなもハッピーになるし、
より良い未来が作っていける。
これすごい素敵だなと思ってて。
そういう世の中、みんながみんなそんなやりたいことができて、
遊びの中で楽しくワクワクしながらやりたいことがやっていけるような、
そんな世の中になっていったら本当にみんなハッピーだし、
それこそ平和な世界が作れていくんじゃないかなっていうふうに思っているところです。
今、聞きながら間違いないなって裏付けしてもらった気持ちなんですけど、
33:00
今、自分の東京帰宅の中でトモハグっていうプロジェクトやってるんですけど、
それで今、みんなでコンセプトを出してるところで、
こうしたいが叶う街にしようぜと。
大人も子供もどちらもなんですけど、
その運営の一人が、
そういえば北区の歴史巡りとかしたいんだよなって、
たまたまその場で言ってたんですよ。
そしたら、歴史詳しい人を呼んで、
巡ってその後ご飯食べるみたいな場を作ろうかって言って、
そんな30代のこうしたいがあったと。
それ言ったらプロジェクト的に歴史学ぶプロジェクトやっちゃうよって言って立ち上がって、
今動いてるんですけど、
そんな感じで街がこうしたいが叶っていくとかって、
たぶん本当にね、それで遊びの中な感じが僕はしますね。
仕事として別にやってないし、
なんか活動?いや違う違う。
なんか遊びな感じっていうのは聞いてて、
間違いないなって思いました。
たぶんそれが生涯学習にもつながっていくんじゃないかなと思うんですよね。
人作りにもなるし地域作りにもなるし。
いいっすよね。で、卒業生の子がね、
赤羽根って街を世界ナンバーワンにしたいんですよって。
めちゃめちゃいいですね。
僕が聞いたわけ。
世界ナンバーワンって何のナンバーワンなのって。
そしたら、いやここ住んでてよかったとか、
そういうナンバーワンにしたいんですよって言うわけですよ。
じゃあどうしたらいいのって言って、
今、3個ぐらいプロジェクト出してきたんですけど、
今度言います。かなり、かなりいいですよ。
子供もこうしたいとかいっぱい持ってるから、
それがもう学校の中でできちゃうとかなったら最高なんですけどね。
いやーほんと、しのぴーさんお帰りなさいというか、
お帰りしのぴーさん。
誘惑のしのぴーさん。
帰ってきました。
後半の最初ちょっとどうしたって。
思ったけど、そこもしのぴーさんにつながってるっていうね。
いやほんとそうですよ。ほんとそう思いました。
いいこと聞けた。
一時はもう辞めたらって言ってた奥様は、
今はお仕事ぶりを見て何ておっしゃってるんですか?
あのー楽しそうだねって。
楽しそうだねって。
もう中に行ってもダメだから好きに死んじゃいって言われてます。
死んじゃい?いいですね。
泣きしちゃうねそれね。
まあでも安心された部分はあったんじゃないですか?
もう冬場で月曜日行きたくないって言ってる旦那さんよりもね。
だからそうだなってほうがいいですよね。
まあそうですよね。
どうもありがとうございました。
いやーもうしのぴーさんのわくわくの厳選がとってもよく分かりました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
しのぴーさんこうやって自分の経歴をじっくりお話しするっていうのは
いかがでしたか?
36:00
いやー本当に今までなかった経験だったので
でも改めてなんか自分の人生を振り返ることができたし
改めて僕の前半みたいなイケてないしのぴーみたいな人たちは
これ以上増やしたくないなっていうのは改めて強く思いましたね。
なるほど。
まあでもしのぴーさんならもうみんなをわくわくに変えていけるなって改めて思いましたよ。
ありがとうございます。
どうもありがとうございました。
はいありがとうございます。
というわけで本編を以上にしようと思います。
今回のテーマは何もない僕だから学校から社会を変える。
ゲストは加納松忍さんしのぴーさんでした。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
それではエンディングです。
いやーしのぴーさんのわくわくのエネルギーももらいましたし
その前のギャップすごかったですね。
いやーすごいですよね。
なんかいろいろなメッセージがある回だったと思うんですよ。
肝に銘じなきゃいけないのはしのぴーさんの後半編の最初みたいな状態を
今学校はそうさせてるんじゃないかっていうメッセージ。
僕かなりドキッとしたところがあって。
じゃあどうしたらいいのかって考えて
僕の中で2つぐらい浮かび上がってきたのは
子供は人はもともと学べるんだと。
もともと遊びに近い学びだとして。
そういう力を持ってるんだっていうことはやっぱり再認識したなっていうところですね。
だからこそそういう環境を我々は作っていかなきゃいけないんだっていう2つが浮かび上がってきたんですよ。
環境によってはそういう学ぶ意欲を止めてしまうし
環境によってはそういうのがどんどん引き出されて楽しくなっていくっていうのを
我々は作ることができてしまう。
どちらもっていうのはメッセージとして強いなと思いました。
どうですかツボケンは。
僕も同じですね。
何もない僕は私は本当に何もないなって思ってる子ってたくさんいると思うんですよ。
親としても子供を見ていて
全然ダメだなぁ他の子と比べて何か協調性もないし何もないしっていうやってたくさんいると思うんですよ。
しのぴーさんも自分自身が本当に何もないなって思っていったと思うんですけど
目覚めた後のしのぴーさんは何もない僕じゃなかったんだなって気づいて
持っていたのが人のいいところが分かる僕を持っていたんだなっていうことに気づいたんですよ。
39:02
何もないんじゃなくて
この人っていいよね子供っていいとかあるよねおじいちゃんおばあちゃんって最高だよねみたいなのを
自分っていうのをある程度フィルターにしないでこれもいいこれもいいこれもワクワクするっていうのを
集めるっていうことができるっていうのがおそらく才能だったんじゃないかなという風に途中で思っていて
なので何もないっていうのが言ってみたら決めつけないみたいな
いいですね。
風になっていたのかなっていう風に思ってきっとそのずっと悶々としていた9年10年の県庁の仕事もきっと無駄じゃなかったんだろうし
何かこう悶々としていたからこそ今のしのぴーさんがあってワクワクをブーストしていくような姿があるのかなと思って
しのぴーさんなら信じられるってすごく思った1時間でした。
しのぴーさんが最初の自己紹介かなって言ってたとこに僕ヒントをもらったんですけど教師のあり方
先生のあり方で最初しのぴーさんが言ってたのは
H学園とかピースカルチャーアカデミーで伴奏と応援をしてるって2つ言ってたんですよ
多分それってご自身の経験でどんな先生や大人が近くにいてほしかったかっていうのを表してるんだろうなって勝手に思ってて
だからやっぱり今僕たち学校にいる大人は伴奏だったり応援をする環境を作るっていうのをすればきっと子供はもう学んでいくんだろうなっていうのを
かなりヒントしてもらったなって思いました
改めて我々が番組の中で繰り返したことに近いものがあったと思うんですけど
でも実践もされていてまだまだブーストさせていくっていうね
終わんないですよ
勇気もらいましたね
しのぴーはこっからですから
本当に繰り返しになりますけど本当に自分が何もないって今思ってらっしゃる方も本当に勇気の若いだなと思って
いい話聞いたなと思いました
これを聞いてですね私もやってみようとか私もワクワクしてみたいなって思った方もたくさんいらっしゃるかと思いますので
もしもいいなと思ってくださったらご意見ご感想をツイッターのハッシュタグ
ほぼ教 ほぼはひらがな 教は教育の教でつぶやいていただけたらと思います
番組はですねアップルポッドキャストとスポティファイというプラットフォームを使っています
再生回数だけではなくてフォローをしてもらえると番組の応援にもつながっていきますのでぜひフォローもお願いいたします
はいというわけで熱い回でしたがだいちゃん最後なんか一言ありますか
しのぴーさんありがとうこれからもよろしく
そうし相愛ですからね一緒になんか言っていければいいなというふうに思います
はいというわけでお聞きいただいて本当にどうもありがとうございました
42:04
今回のテーマは何もない僕だから学校から社会を変える
ゲストは加納松忍さんしのぴーさんでした
どうもありがとうございましたありがとうございました
42:29

コメント

スクロール