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ゆいなわさんの聞く人ラジオ。皆さんこんにちは。ゆいなわさんの聞く人ラジオのお時間です。今回は、子供の居場所づくりをする人、池井将さんにお話を伺いました。
現在、神奈川県横須賀市にて、小学校・高学年の子供たちの放課後の居場所づくりをされている池井さん。
まずは、どのような経緯で現在に至ったのかについて伺いました。
さっきおっしゃったように、最初はお仕事としては?
地域新聞の記者みたいなのをやってて、もともとは子供に、今みたいな仕事をしたかったんですけど、
大学時代から子供に関わる仕事をバイトとかボランティアをしてて、その時に子供に関わる仕事ってすごくいいなと、高校の時代に責任のあるものが芽生えていて、
本当に大学生だったんですよ。大学行くより子供と関わる時間の方が長いみたいな、そんな感じのぐらいだったんですよ。
そういう仕事をやろうと思いつつ、でも子供に関わるとしては責任のある、思いがあればあるほど、
当時の自分はあんまり経験がいろんなことになかった自分だったので、それがどうなのかなっていうのがすごくあって、
一回社会を知ろうじゃないですか、社会とかいろんなことを知っておこうっていうところで、例えばそれが人工、人工に勤めたってなっても、
人工のことは分かっても、それが広い世界かというとちょっとなっているところがあって、
多分、ユネマさんも実感されていると思うんですけど、いろんな人の話を聞いたら、いろんな場所に行くっていうのが、
浅いかもしれないけど、すごい広い知識かな、経験かなっていうのがあって、そういう仕事ないかなっていうところで、
自社職っていいなっていうので、3年ぐらいやらせてもらって、その父人地が最初は横須賀だったんですよ。
だから横須賀で3年間、ユネマさんが今やられているような形で、いろんな人の話を聞いて、
僕は文字に起こす感じなんですけど、押しながら記事にしていて、その人脈とかを今もすごい大切にしているし、
ユネマさんも何十人とインタビューされていてそうだと思うんですけど、それってすごい財産になって、
仕事として僕が当時やっていたけど、それも財産になってて、
その繋がっている人たちが今、子供のために体験活動をしてくれたりとかっていうのも全然あったりするので、
だからその聞くって、すごい共通項があるなと思っていて、繋がっていくみたいなところもあると思うし、
実際に普通に、だから僕も、小川先生が繋いでくれたバトンじゃないですけど、逆に、
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僕もわりと横須賀に限れば人脈はある方なので、それこそどなたかご紹介したい人がおったりを今したっていう感じですね。
記者職をされて、3年間と言いますね。
そこでいろんな方に聞きながら、それで次のステージというか、次のことを始めたってことですか?
そうですね。その時に、正確には2年半ぐらいで辞めちゃって、
ちょうどその時に、僕の知り合いの娘さん、本当に僕が横須賀に行って一番お世話になった方がいて、
右も左も分からず一人で横須賀に来て、元々大阪なんですよ。
ああ、そうなんですね。
だから全然知らない場所で行ったっていう思いもあったんで、その時に一番お世話になってくれた方がいて、
その方の娘、よくその方と地域とか教育のこと話し合ったりしてた方があったんですけど、
いけいけさん、実は今日は自分の娘のことで商談があるみたいな話で、重い心臓病にかかっちゃったんですよ、その娘さんが。
でも余命宣告も受けちゃってるぐらいの形で、ただ心臓移植って医療雇用すれば助かるっていうところはあるんだけど、
正直今の日本では難しいっていうところがあって、ただ海外では心臓移植とかっていう医療雇用やってたりするので、
日本でもやってるんですけど、ドナーが少なすぎて、余命宣告の時間的にちょっと難しいって話になって、
海外での心臓移植とかをやりたいと思って、でもやっぱり、例えばアメリカとかだと保険が全然効かなかったりとかするので、
本当にICUに一泊するだけでも180万とかの請求書が来る。
そういう世界なんですか。
そういう世界なんですよ。僕もちょっと実際に請求書を見てびっくりしたんですけど、
でも、そこでいけば、アメリカの方はドナーの文化がすごい進んでるので、患者さんがいっぱいいるっていう話で、
ただやっぱり高額な医療費がかかるので、3億円くらいかかるっていう話で、どうしたらいいかなっていう話で、
で、そういう海外に心臓移植をするために渡航する事例もなくはなかったんで、でもそれこそお金で救える命があるんだなっていうところも僕も思ったし、
最初は3億円ってそんな馬鹿な話あるかなって思ったんですよ、さっき言ったみたいに。
本当に実際に高額医療だったりするところもあったりするし、調べれば調べるほどそこしかないかなっていうところもあって、
元々キッチンは3年しかやるつもりもなかったんで、2年半で辞めて、もうそこから3億円集める保険活動みたいなのを始めて、
半年くらいで、皆さん意外といかないかもしれないけど、世の中暖かい人たちが多くて、3億円の保険額が集まって、
半年で3億円が集まるんですか?
集まるんですよ、本当に。でも本当にその時は毎日、僕も本当に毎日保険活動してましたし、
いろんな人にね、今までは聞くが仕事だったんですけど、それからはもうこちらから話すが、仕事とは言わないですけど、
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毎日になって、でもそれも横須賀に来た一つの使命じゃないですけど、
縁もゆかりも、本当はどこに飛ばされるかわからなかったんで、
横須賀で一番最初にお世話になった人の娘さんで、
僕自身も子供のために生きたいって思ったのがきっかけでそういうのが繋がって、
それこそ縁、さっきの縁というか、みなを委ねた幸なのかなっていうので、
すごい頑張って集まって、その子は、当時小学校2年生だったんですけど、
今中学校3年生になる、今はもう元気というか、命が繋がったなっていうのがあって、
それを横須賀でやってたのもあったんで、広がって、
すごい今横須賀10年目ぐらいになるんですよ、次で。
すごいフォームになってきたなっていう感じもあったりするっていうような感じなんですよね。
えー、その娘さんの縁を人と繋いだっていうのは一つ大きなことですよね。
いや、すごい大きかったですね。僕自身にとっても大きかったし、
だから本当にこの聞く人っていうのに繋がってくるかもしれないんですけど、
本当当時は、僕も全然ボランティアでやってるし、半年間就任も全くないしっていう状況でやってて、
すごい大変だったんですよ。
でもやっぱりその後に、横須賀で活動してる中で、繋がった人たちだったりとか、
それをやってる人っていう、ちょっと信頼って言い方があれかもしれないけど、
そういう財産はすごい残ったなと思ってて。
だから、しずくちゃんって子なんですよ。しずくちゃんも助かったし、
僕自身も当時はしんどかったけど、今その遺産とか、遺産って言い方かもしれないけど、
こういう場所もいろんな縁があって、今こういう場所でいるんですけど、
その辺が横須賀での活動が大きかったなと思ってて。
じゃあその、富田さんがお気に入りに集まりました。しずくちゃんの命が繋がりましたって言って、
その後っていうのは?
終わったんで、子供の現場に着こうと思ってたんですけど、
たまたま仕事をしてないフリーの状態だった時だったので、
そろそろ働き始めないとなっている時に、
世界の教育とか子供を回る企画みたいなのを知人が教えてくれて、
せっかくだったらどう?みたいな話で、
ピースボートっていう、
そのピースボートにそのパッケージを今回入れてみるみたいなやつがあって、
ちょうどフリーだったし、3ヶ月くらい行くんで、
1回船に乗っちゃうとね。
だから仕事しちゃうとこれいけないなって思って、
その後1ヶ月はそこの100日間くらい乗せさせてもらって、
行っちゃうんですね。
本当に全財産はたいていったみたいな形で最後の残り乗って、
いろんな国の子供たちとか教育とかに触れ、
最初に僕が記者職をやったのもいろんな経験とか、
本当に経験が少ないなと思ったのは大きかったので、
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いろんな経験を積みたいっていうのが大きかったので、
いろんな世界のこととか、
より子供に関わり方とか教育法とかも少し自分の中で広げてから、
記者職をやってた時とか、
静岡さんのスクールを変えて滑舌の時のご縁で、
ちょうど1個学童クラブを立ち上げようとしてる、
みたいなところから声をかけてもらって。
それは行ってきた後に?
行ってきた後に。小川先生が前にいたってところ。
そこにつながっていくっていう感じですね。
そういうことですね。
実際世界をピースボートで回った際に、
やっぱり課題感があったわけじゃないですか。
子供の生活。
そういうのをやっぱり見たことによって、
得るものというか気づきとか。
すごい広がったかなって思いますね。
2つぐらい印象的なのがあって、何個もあるんですけど、
例えば、カンボジアに寄った街じゃなかったんですよ、実際には。
カンボジアの子たちの話を聞く機会があって、
カンボジアの子供たちって、
聞いた話なんでごめんなさい、あれなんですけど、
カンボジアの子供たちの夢って、
3つあるみたいな。
子供たちが持つ夢って3つあるみたいな。
警察と看護師、医者と兵士さん。
みたいな3つなんですって。
どれかになりたいって大体の子たちが言う話で、
それって要は、その3つの食料しか知らないっていう、
単純にっていう話で。
でもその中に、すごい例えば料理の才能がある、
コックさんみたいな才能を持ってる人がいたとしても、
やっぱりその世界を知らないことによって、
全然それぐらい警察とかになってもっていうのもあったり、
っていう話をちょっと聞いたりもしてて、
やっぱりその子供たちが、なんて言うんだろうな、
やっぱり持つ経験とか、僕自身も感じたように、
やっぱり人っていろんな物事に触れるとか、
体験するっていうのがすごく、
特に子供の頃から触れてるって、
この視野が広がってるっていう状態って、
すごく大事だなっていうのは、
その話を聞いて思ったりもしましたね。
あとはオランダの方にある、
教育部社の人と話す機会もあって、
そこは、トイック会社ちょっと有名なんですけど、
イエナプランっていう、今、
オランダって世界で一番子供の幸福度が高い国って言われてて、
その中、イエナプランっていう教育部があるっていう、
一つの、もちろん社会福祉とかも充実してるんですけど、
イエナプランっていう教育部があって、
みたいな話の中に、
一つワールドオリエンテーションっていう、
科目があるんですけど、
そこが日本で総合探究みたいな、
学習の時間で、
そこもすごいかいつまんでいると、
いろんなワークをやったんですけど、
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ワークをするんですね。
人生で何回もワークショップ受けてきたんですけど、
一番印象に残ったワークショップだったんですけど、
例えばこういう貝殻が一つあるとして、
貝殻でできることって何かなって、
みんなで考えるんですよ、これを。
例えば割るとか、投げるとか、
アクセサリーにするとか、
いろんな考えを出していくんですよね。
この貝が、
写真だったら、みたいな。
写真だったらできることってどう?って言ったら、
写真だったら割ったりはできないなとか消していくんですよね。
じゃあこれが写真じゃなくて、
絵だったらみたいになったら、
絵だったら本当の色が分からないよねとか消していって、
じゃあこの貝殻が最後、
貝っていう文字だったらどう?ってなったら、
ほとんどできないねみたいになって、
最終発行ぐらいできるってなったら、
ゼロになっちゃうみたいな感じのワークだったんですけど、
それは要は、現物に触れる、
本当のものに触れるっていうのがすごく大事なんだよっていう話。
日本とかって教科書、文字と写真じゃないですか。
それで、これ1個あることとこれで読むことの、
子供の経験の差ってどうですか?みたいなワークだったんですよ。
オランダではそういうのを、
本物に触れるっていうのをすごく大事にしてるみたいな話とか、
そういうのはすごく持って帰れたなと思って。
そうですよね。そっかそっか。
そういうのがあって、
そういうのは自分が放課後の場所を作るときには大事にしたいなって思って、
今もそうですけど、やってますかね。
そっか。じゃあそれでいろいろな経験を持ち帰って、
お母さんと同じところでお仕事される。
そうですね。
そこで2年ぐらい立ち上げからやったんで、
その法人が新しく書くことができるってなって、
ちょっとそこでやってみつつ、
僕はそういう意味で言うと、子どもたちに教育をやりたいというよりは、
子どもたちが過ごしやすい場所を提供しつつ、
いろんな体験とかをさせてあげたいなっていうのがあったんで、
そうすると放課後とか学童が近いかなと思ってやってたんですけど、
やっぱり法人だけだとちょっと狭いなと思って、
学童に関しては僕も知識が少なかったんで、
学童の勉強をちょっとするために2年やった後1年は、
施設長なんですけど半分ぐらいは休むというか、
他の人に任せて、
横須賀学童会は割と全国でも有名な指導者がいたりする場所なんで、
そこにちょっと1年間勉強しに行って、
本来あるべき学童のメソッドと、
僕がこういうのもっとやりたいなっていうところで独立しようと思って、
今ここを作ってるみたいな流れとしてはそんな経緯で。
ここは何年なんでしたっけ?
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ここは今2年経ってつい3年目になるぐらいな。
3年目ぐらい、はいはいはい、未来へですよね。
そっかそっか、場所としての2年目、3年目みたいな。
そうですね、場所としてつい3年目になるっていうところですね、その場所というか。
じゃあここを立ち上げて、最初また人は来ないじゃないですか、最初当然。
でもね、それがあれなんですよ。
割とさっき言った通り、割と近所なんですよ。
学校が近くにあったりとか。
やっぱりだから、引き抜くわけじゃないですけど、僕が前にいたところから。
でも一応こういう場所を僕が作るんでやめますってなるんで。
そっかそこに紹介できるし。
来たかったら来てもいいよっていう感じになるんで。
基本はだからその子たちが今は多いかなっていう感じで。
僕がやりたかったのが、最初は普通の学童をやってたんですけど。
今僕がやってるのが、6年生のお子さんを持ちってことでちょっと近いかもしれないですけど。
学童とは名乗ってなくて、正式には。
放課後の居場所としてしてるのは、今、高学年の子たちしかいない場所なんです。
高学年の子たちが10何人いるみたいな。
高学年かける少人数の居場所みたいな。
その僕がもう学童をやってて思ったのが、
出てくる理想があってやって、また課題があってそれを解決するみたいな流れになってるんですけど。
学童をやって思ったのは、今、学童ってニーズがすごい高まってて。
人施設に、うちのとこもそうだったり、横須賀どこもそうなんですけど。
人施設に4,50人くらい。
そうなってくると、待機児童の解消としてはすごく機能はして、社会的な役割はすごくなっていると思いつつ。
その4,50人の一人一人を見てみたときに、ちょっとやっぱ高校の人生どうなのかって。
息苦しさだったり、気を口だったり、騒がしかったりっていう。
大人数が合う子もいれば、やっぱりちょっとしんどい子もいればなっていうのを見てたところに。
特に高学になってくると、1,2年生かもうるさくてつまんないとかやめなさいみたいな。
で、やめちゃう子もちらほらいたりもしたんで。
全国的に見ると、学童って1年生から3年生までがメインだったりするし、4から6生きれてないってところが結構あったりするんですね。
それこそ、東京の方とかだと語り場さんとかっていうのに美容があったりして。
中高生の居場所作りみたいなのが結構盛んだったりするんですよ。
若者たちの権利をみたいな感じで。
でも、それで言うと、小学校4から6のこの3年の子たちが結構空いちゃってるなって思っていて。
留守番はできる。
学童機能は正直いらないけど。
中高生みたいな10くんとか7くんとか部活とかがあるわけではないみたいな。
この中、微妙な3年間がすごい僕はちょっと気になっていて。
そこに対してアプローチしたいなと思って。
高学年の子たちがのびのび、低学年の生活リズムに合わせずに、高学年らしく過ごせる場所を作りたいなと思って、作ってみたっていう場所なんですよ。
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だから、さっきみたいにああいう崖とかでも遊んじゃうし。
あれが1,2年生がいたらちょっとできないんですよ。
やっぱりちょっと難しいんでって感じがあったとか。
高学年の子たちが過ごしやすく。
最初は引き抜いたとか、勝手に来た子たちがいるんですけど。
3分の1くらいはそれ以外の子たちが入ってきてて。
その子たちがやっぱりお母さんたちからあったのが、一回他の学童を辞めて、要は4年生を留守番させてたけど。
今ってもうスマホもゲームも結構あっちゃったりするじゃないですか。
それになっちゃいますよね。
学童辞めた瞬間、家でずっとこれやってるみたいな。
その放課後ってやっぱりちょっとなってのになって、うちに来たみたいな子たちが今3人くらいいて。
でもやっぱりそういうところにニーズってあるんじゃないかなって思ってて。
今に関して言うと。見えづらいですけど。
ゲームとかスマホは否定するわけじゃないですよ。
ずっとそれやってるよりはね。
家でここで叫びしたり、みんなでコミュニケーション取りながらガンランしたりとかっていう時間が、
割とかけがえのない3年なのかなと思ったりもしてて。
今、高学年の少人数の場所作りみたいなのに、放課後に関して取り組んでるみたいな感じですね。
じゃあ卒業していくってことですか?
だからそこも今悩んでて。
一応去年小6の子が卒業したんです。
卒業っていうか学校は卒業したんですけど。
でもやっぱり、なんて言うんだろうな。
学童って枠じゃない?もうなくなっちゃってるんで。
なんかよくわからない枠なんで。
中学生になって別にダメってわけでもないかって思ってて。
じゃあ来る子は来るみたいな感じの。
それもお金は多少だけでもらってきてて、利用者として今もいるっていう感じ。
だから今、小学校、高学年が場所だけ。
中学生もたまに行けっていう感じになったりしてて。
でも、今後はすごい考えてはいて。
やっぱり運営的には難しいんですよね。
学童って基本はほどきにもらってやる事業なので、社会福祉になるんで。
でもそれはちょっとうちは当てはまらないし、
全国的に見てもこういう活動してるところはないので。
女性からの補助とかはおりないし、
少人数っていったら利用料もそんなに多くはないので。
だから一応僕は保護者にも伝えてるんですけど、
一応今の5年生たちが多いんで、
1回その子たちが6年生になって卒業した後はちょっとどうする?
また考えるみたいな話をしてて。
続ける?続けない?とかやり方も含めて考えるよって話は今してるっていうところなんですよね。
結構スタッフの方が何人かいて、
その皆さんでお話しをしながら、
方向性とか、子供を見ながら。
何がいいかなって考え中というか。
僕も前例がなかったんで、やってみないと分かんなくて。
やってみた結果、
この前も日本放課後学会さんという学会から表彰をあげたりしてて、
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そういう取り組みを評価してくださったりして。
外部評価とか頂いてたんで。
勝手にやったんで、勝手にやったから合ってるかっていう方はないけど。
そういう外部からの評価もあった上で、
やっていくのがそんなに悪いことじゃないなって思いつつ、
子供たちも結局、学童で高学年が辞めるって結構あるんですけど、
うちは全員いてくれてるんで、
居場所づくりとしては良かったんじゃないかなって思いつつ、
経済は回らないので、
次はちょっとどうしようかなっていうのは、
割と今考え中っていうか。
来年は確実にやるんですけど、
再来年度以降は今どうしようかなっていうのを今悩んでるみたいな。
そうなんですね。また形として変わる。
分かんないですけど、何かしらこういう形態が変わっていくとか。
そこは今考え中みたいなところですかね。
芸さん自身はここは続けてはいくという感じ。
でももしかしたらまた違うことをするのかもしれないですね。
っていう可能性もちょっとあって、そこは最近フラットに考えてて、
最初僕10年くらい横浜に幼少期育って、
そこから中学校から大学くらいは大阪で住んでて、
横須賀だいたい10年10年10年くらい。
今僕31なんですけど、だいたい10年ずつくらい住んでて、
横須賀が今すごく人脈だったりとか、経験だったり土地感も含めて、
すごく活動しやすい場所ではすごくあるし、
子ども関係も含めていいなと思いつつ、
いろいろ切れが良くなっちゃうんで、来年度が。
そこは結構割とフラットに考えてたりするかなっていう形で、
ちょっと今人生考えてるんで、いい働き先あったらとかって。
そうなんですね。
やっぱりやりたい方向に自分をシフトさせていきながら、
その時々で考えて、ちゃんと次に次にっていう感じ。
もちろんその最中はどうかわかんないですけど、
ちょっと振り返ると一応繋がってる。
なんとなく繋がっていってる可能性はあります。
海外での心臓移植手術のために募金を募ったお話、
そしてピースボードで世界に教育事情を体感し、
放課後の居場所を設立したことなど、
子どもと関わる仕事をしたいという思いを軸に行動をされてきたヒケイさん。
そしてお話は子どもとの関わりについての思いを伺っていきます。
もともとやっぱり子どもっていうようなテーマというか、
やっぱりそれがあったんですよね。大学というかその頃から。
大学の時にそうですね。
大学の学部とかは全然関係ない学部に入ったんですけど、
その時にちょっといろいろあって、
そういうのがいいなって思ったというか。
それなんでですか?
それは、それも結構僕的には人生大きかったということなんですけど、
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僕結構その、割と親が教育を押し捨てるじゃないですか、
そういう家庭だったりしつつ、僕自身は野球ずっとしてたんで、
結構その生活が、さっき経験が少ないって言ったのは、
勉強か野球かしかしてなかったみたいな人生だったんです。
高校までが。高校を卒業して大学に入学する時に、
大学に入学するとちょっと勉強しなくてもよくなるじゃないですか。
勉強なんかしなくてよくなっちゃったっていうのと、
僕野球がちょっと、野球したかったんですけど、
ちょっと膝手がしちゃって、結構大手が。
全身体切るみたいなやつしちゃって、
ちょっと野球できなくなっちゃったんですよ。
勉強も野球もちょっとなくなったら、
ちょっと何していいか分かんなくなっちゃって、
すごいつまんなくなっちゃって人生が。
自殺しようとまでは思わなかったけど、
でもなんかちょっとこのまま生きてても面白くないぐらいの、
結構勝手にすごい落ちちゃった時があって、
その時に膝の手術をするんですけど、
手術すると入院1ヶ月ぐらいあって、
でもその時結構いろいろ考えたんじゃないけど、
僕を担当してくれる看護師さんだったりお医者さんが、
割と同世代とは言わないけど、多分20代の方だったので、
すごい話しやすかったんですね。
その人たちって割と若い人たちだから、
例えば看護師さんとかもギャルっぽい言葉を使ったりとか、
若いお医者さんも変なノリだったりする時があったりして、
大丈夫かこの人とか、立ち目なんていう職場人だったんですけど、
僕のその中でその人たちが夜中とか23時とかに、
急患で運ばれてきた人たちに対して、
本当にすごい一生懸命対応している姿を見たりもするんですよね。
そういう時にやっぱりその人のために頑張っている人というか、
すごい新鮮というか、
他にも全然勉強とか野球しかしていなかったし、
割と自己中心的に、例えば何だろう、
よくある合唱コンクールの練習とかサボる男子みたいな、
そういうタイプだったんで、全然興味なくてみたいな感じでやってたんですけど、
そういうのを見てて、やっぱりこれから大学とか20歳に迎えに立って、
やっぱりこういう人たちの背中を見て育てれば自分になりたいなっていうのは、
結構マインドが大きく変わって、
そこでいろんなボランティアとかやっているうちに、
子供に関わるのが一番自分にとっても楽しかったし、
保護者と子供の未来を語り合う瞬間とかがすごい自分の中で、
これがすごい自分の軸になっていくというのがあって、
そこから繋がっていっているという感じですかね。
ボランティアというのはいろんなコンクールで。
最初はいろんなボランティア、清掃とかもしたりもして、
その中で一番最初にスポーツクラブのバイトみたいなところが、
子供関係だったんですけど、
僕はずっと野球やってたんですけど、たまたまサッカーの担当みたいになっちゃって、
サッカーもある程度できたんで出してもらってたんですけど、
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そこで子供たちと日々、毎週2,3日会う中で成長していく姿だったりとか、
こうしたと一緒にどうやったらいいかって考える時間とかが、
自分が社会に貢献している感じがすごい。
今では自分のことしかやってこなかった。
初めて他社に対してみたいなのが芽生えたのがわりと子供に関してだったんで、
そこからこういうために行っていきたいなってなって、
そこから勉強という野球しかしてこなかったから、
子供に何か伝えられなかったっていうのがあって、
サッカーっていうか、地域の子供たちを集めるキャンプみたいなのがあったんですよ。
その流れで。
連れてって、夜は定番のカレー作りをしようみたいな。
カレー作りをいざしようってなった時に、
僕がカレーの作り方がわからなかったんですよ。
全然親任だったりとか、自分のやり方しかやってなかったんで、
カレーのルール、これ炒めるのかなみたいな。
キャンプのカレーって基本おいしいじゃないですか。
おいしいですよね。
僕のグループのカレーすごいまずくて。
そんなことはある。
そんなことじゃないじゃないですか。
でもそのレベルだったんで、
その時に子供に関わろうとなって、
いろんなことを知ってたりとか、
ある程度は知ってないと、
子供たちにいい経験だったりとか、
ただただ子供が好きとか、自己満足で関わるだけじゃダメだなみたいなのはその時に結構思って、
それが基礎食をやらなきゃと思ったきっかけになったりということかなという感じですね。
自分がやっぱりそう思わないと、
そこでこれならいかんなみたいな。
そうですね、結構思いましたね、その時。
そっか、キャンプのカレーがおいしくないってあんま聞いてない。
ないじゃないですか。
ないない。
基本みんなで頑張るから、
味補正とかあっておいしい。
そうそう、なると思う。
なんかちょっとごめんみたいな。
そうなんだ。
っていうのがあったかなっていう感じで。
そこに池井さんが子供のっていうのが、
なんかあったんですよね、やっぱり体験を通していく中で。
僕はこれだなっていうのが。
そうですね、そこが繋がっていく。
その辺が先入りをなっている感じですかね。
それも体験ですもんね。
体験してないと、やっぱりないですもんね。
さっきの会のお話じゃないですけど、
そこは今でも繋がって体験をするみたいな。
自分自身がそうだったからっていうのが繋がってるかもしれないですね。
確かにそう言われると。
そっかそっか。
じゃあ実際ここで子さん、子供たちが来ていて、
いろんな体験してて、
子供たちがやったことのない体験を体験してもらって、
開いていくみたいな瞬間がある。
もしかしたら立ち会うかもしれないし。
そうですね。
でも体験とかって面白いのが、
別に見に見えるもの。
数字に見えるものじゃないじゃないですか。
例えば塾とかだったら、
まあまあまあ、なりますよね。
スポーツクラブだったらサッカー上手くなるとか、
見えやすいものもあるけど、
全然そういうのでもないから。
確かに。
でもそれを目指すのでもない。
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体験させるまでになっちゃうと変かなと思ったりもしてて、
自然とこう、自由度が高い空間を用意してあげてて、
その中で子供たちが勝手に山で、
きのぼりの仕方を学んだりとか、
夏はムカデが出るからやめようみたいな、
そんな判断をしたりとかっていうのが勝手に。
もちろんこっちも種は仕掛けたりするし、
高学年、しかも10人とかだから、
いろんなところに連れて行ったりもするんですけど、
そこはどこでどうなるかわからなかったりするんで、
10年後とかに体験がなってくるかもしれないかな。
そこはあんまり狙ってないって言う方はあれかもしれないけど、
体験の種はフィールドだったりとか自由さだったり、
こっちからの仕掛けも含めて、
まいってはいるけど、
それがどうなるかは正直僕もわからないし、
ただ勝手ながら勝手に視野が広がりつつ、
どこかで何か繋がってくる。
そこは縁じゃないけど、
いつか繋がるかもしれないなっていう感じのイメージですね。
ある程度放り出している部分は放り出しているというよね。
放り出している感じですね。
場だけはちゃんと用意しておいて、
その中で自分でやめようみたいな。
最低限は命とかのところはもちろんそこだけど、
例えば普通の学校とかだとさっき言ったみたいに、
家庭の底とか山とかにあんまり行かせられないとか、
僕はリスクの方が高いって思っちゃうタイプなんで、
今は保護者とか関係もあった上で今やってるんで、
竹庇とかもやってたりするから、
そこはまた今だからっていうのも結構あったりするなと思って。
当然そうですよね。
保護者さんもいらっしゃるわけですから、
それで信頼関係が生まれてこないと、
やれたり、それはやめてくださいとかもあるでしょうけど。
そこが大きいのがさっき言った、
割とついてきた人たちがいるんで、
それならいいだろうみたいなのがちょっとあったりはしてて、
そうかそうか。
っていうのもあったりするっていう感じですね。
じゃあ竹庇さんはやっぱりこの場所で長年ちょっと
ちゃんと積み重ねてきたものも、
ちゃんと皆さんには伝わっているとかそういう。
って思いたいけど、
でもそれはあんまりこう、
なんて言うんだろう、
こっちからこれをやらせてますとか、
教育っぽくもなりたくないと思うので、
なんて言うんだろうな。
難しいんですけど、
なんて言ったらいいんだろう。
狙って何かを、
こっちには意図はもちろんあるし、
あるけど、
なんかそれがこう、
子供をこの方向に導いてるみたいになっちゃうのも
ちょっと嫌だなと思ってて、
あくまでこう、
なんて言うんだろう、
子供の横のこっちの視野を広げてあげてるよっていう、
こっちにどう進むかは、
皆さん次第っていうところがあるんで、
親御さんに関してもそうだし、
何かを僕から教育する、
教える、
伝えるっていうのは極力ないかもしれないですね。
そっかそっか。
さっきの、
未知のところに進んでる感じがすごいしますよね。
そうっすね、未知。
だからゴールだと分かんないし、
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見えないっていうのもあって、
でもよくなんか、
学童関係者とかでたまに話したりするんですけど、
自分たち、
僕らがやってることって、
大きな木で例えるんですけど、
大きな木で言うと、
本当に根っこの部分だよねって話をしてて、
見えないんですよね、
何かの成果とかあれには。
分かりやすくさっきみたいに、
勉強ができるようになったとか、
スポーツが上手くなったじゃないものなんで、
多分こういう世界、
居場所ができるとかあって、
でもその土台が、
根っこが広がってるからこそ、
道がしっかりして、
そっから大きな花だったり、
緑がなっていくよねっていう話で、
僕らはここなんじゃないかなっていう話だし、
これが目立とうとすると、
ちょっとあんまり良くないなっていうのがあったりして、
学校とかね、
スポーツクラブでそれぞれ、
みんな習い事もやってるし、
最近は。
そこはそこで、
それぞれ頑張ってくれたらいいし、
うちはうちで、
土台というか、
別に土台を養ってますっていうのも、
ちょっと違うかなって思うし、
そっかそっか、
そこまで言うのも、はいはいはい。
自然と、
みたいな、
そんなイメージというか。
なるほど。
じゃあそこは、
池井さんがやりたいところと言えば、
やりたいところ。
そうですね。
どうしても、
僕もそうだし、
やっぱり教育にかかる人って絶対そうだと思うんですけど、
やっぱり自分の気持ちもあるから、
うんうんうん。
なんか、
JMHとかはそっちに近いけど、
自分がこう、
やったから子供たちが成長したとか、
自分の子供でこう、
子供が変わったとか、
ちょっと嬉しいじゃないですか。
まあまあそうですね。
嬉しくなっちゃうから、
はい。
それやっちゃうとやっぱり自分の、
僕の価値観とか、
やっぱり僕のこう、
思いが、
うんうん。
ちょっと、
変に入っちゃうようにしてて、
はいはい、
そうですね。
あんまり好きじゃないなと思ってて、
やっぱりそれって子供たちが持ってるものを、
逆に邪魔しちゃう可能性もあるなと思ってるんで、
なるべくなんだろう、
子供たちの感性とか、
持ってるものを邪魔したくないというか、
ああ。
そういう大人にはなりたくないみたいな言い方がちょっと違うけど、
ああ。
あの、そうですね。
むしろ子供のなんか持ってる矢印の方向に押しちゃいでるみたいな。
ああ、なるほどね。
それをこう、
あんまりこっちだよとかって、
そっかそっか。
言いたくないっていうか、
そっかそっか。
言いたくわかんないし、
実際の人生っていうものはもうので。
ああ。
ただそれが伸びるような仕掛けとか、
うんうん。
こっちに行ってもいいし、
こっちに行ってもいいような環境とか、
うんうん。
育てとか、
うんうん。
安心感の場所にはしたいなっていう、
なるほどね。
なんかイメージ。
でも分かります、
分かります、すごく。
すごいちょっとあれですけど。
そっか。
だからそこ、
あの、僕も親なので、
はい。
ついついなんか、
ああ、こういうなんか差異があるというか、
はい。
ああ、いいじゃんって思ったら、
はい。
ああ、はいはい。
僕がやっちゃうんだけど、
やっぱりそこまではせずに、
そうですね。
ある程度まではちょっとなんかしといてっていう。
そうですね。
ああ。
分かんないですよ。
それはでも、
知らんのが。
そう、知らんのが。
人それぞれの成功育て論とか教育論が出てくるんで、
ああ。
分かんないですし、
むしろだからそれはなんか親御さんの皆様、
逆にね、
育てたいっていう方あらゆるかもしれませんが、
うんうん。
そういう方向にお子さんをしたいとかっていうのもあると思うんで、
うんうん。
それはもう、
うんうん。
親御さんの自由だなって思うし、
はいはいはい。
でも逆に僕はその、
僕もそれももしかしたら自分の要請権もあるかもしれないんですけど、
ああ。
36:00
だから言われたところに僕がこう、
逆にこうハマってきてしまった感じがあったので、
ああ。
だからもしかしたら僕もさっき言ったみたいに、
勉強と野球じゃない道がもしかしたらあったかもしれないけど、
そっかそっかそっか。
なんかもうそこにしか行かなかったんで、
まあそれはちょっと自分、
まあ自分の人生の反省じゃないけど、
ああ。
だからなんかこう、
いろんなことができる環境だったりとか、
そっかそっかそっか。
そういうところに場所と方向を用意してあげるみたいなイメージかな。
なるほど。
じゃあご自身もしかしたら自分の経験体験が、
まあそこにもつながってて。
まあ経験体験としてはあるかもしれないし。
そういうことですね。
ああ。
なるほど。
でもやっぱりそれってその、
親に言われたからとかになっちゃうと、
やっぱり人のせいにしちゃうじゃないですか。
はいはいはいはい。
でもなんか例えば、
理想するとこうやって自分な環境って、
自分で決められる環境があるんだったら、
基本人のせいにできないっていうか、
うん。
自分が、
そうですね。
自分が決めて自分でやったことでしょってなってくると、
やっぱり自分に対しての反省だったりとか、
振り返りが出てくるのかなと思ったりもしてて、
そういう意味でやっぱり自分で決めたり、
自分で行動するって、
最終的にいろんなところにつながっていくのかなとか、
って思ったりとかします。
うーん。
今自分もそうで、
はいはいはい。
個人事情みたいになっているし、
うんうんうん。
なんかいろんなこう、
文句もそれもちろんある、
口もある、
いろいろあるんですけど、
そうですね。
ということは全部自分で決めたことってなっちゃえば、
はいはいはい。
上司に文句言ったら、
社長に文句言ったら、
そうですよね。
全部自分で決めたことじゃないかってなってくると、
やっぱり全然考え方もね、
そうですね。
同じだと思いますよね。
分かります分かります。
はい。
そうそうそう。
そうそうそう。
っていうのはあったりするなって思ったりして。
あーそうか。
そうそう。
なんかすいません、
しゃべりたいことばっかりしゃべっちゃって。
いえいえいえ。
全然全然。
とんでもないです。
あー面白いな。
そうか。
でもなんかすごく分かる感じ。
ちゃんとつながってますよね。
そうですね。
思えば。
うん。
ほんと今まではつながってきてるんですけど、
うん。
ほんとだから、
来年度、
次の来年がちょっとどうなってるかがすごい、
自分でもまだ分かんなくて。
あーそうか。
でもだからそういうのを見るとさっきの
井沢さんじゃないけど、
こう聞いてくる人の先にこう、
井沢さんの今の信じるところは人生があるわけじゃないか。
そうですねそうですね。
まあそれに近いような考えじゃないけど、
僕もまあちょっと今またこの半年ぐらいやってる、
なんかこうやってこういう色んな出会いも含めてね、
うん。
なんか道が見えてくるのかなと思ったりもしつつ、
なるほど。
まあでもちょっとやっぱりここ、
もうここでいいなって思ったりもするなって思ったりもします。
あーそっかそっかそっか。
なんかそこは今揺れ動きながらみたいな感じですね。
ここやっぱりなんか居心地が良い感じがすごくしますね。
そうですね。
場所としての。
環境としてはもうほんとにかなり良いところではね。
そうですね。
そうですね。
そうそうそう。
だからそこを今どうするかってのは、
たださっき言ったように経済的なところだったりとか、
うんうんうん。
まあ僕もここ始めたときに20、
まあそんなに変わんないですよ、
20、
20代に始めて。
うんうんうん。
でまあさっき言ったみたいに、
まあ平日だけじゃどうしても僕も終わんないから、
はいはいはいはい。
こういう土日の副業とかもしながらやってるんですけど、
うん。
まあちょっとやっぱりこう、
今まではこう、
とりあえず頑張れば何とかなれてきたところもありつつ、
はいはいはいはい。
やっぱりちょっと30になってくるとちょっとずつ、
うーん。
人間のピークはちょっとこの体の後ろにピークが出てくるじゃないですか。
あーそっかそっかそっか。
はいはいはいはい。
これをちょっとずっとはやっぱできないなとかって思ったりもしたりとか。
あーそっかそっか。
39:00
なんかそこはね今ちょっとこう、
なんかすごい割と理想に、
何か午前中不登校の子たちのための社会工程ができてて、
うーん。
僕はその、
なんかあんまり全国的にこう見られてない、
こういうニッチな場所に目をつけて、
はい。
そういう子たちのためにできてるような、
はい。
環境もあって、
割とこう理想に近いもの。
うん。
でここはこれとこれ地域工程にもなって、
うんうんうん。
これは教育に近い、
はい。
このドレッシング事業なんですけど、
そうですよね。
そういうのもできてます。
割となんか、
うーん。
割といい人生だなと思いつつ、
ちょっとそれだけだと、
やっぱ自分がしんどくなってくるなっていうのがあって、
そっかそっか。
っていうちょっとそこら辺が今悩みというか、
どういう方向に進もうかなっていうのがあったりしつつ、
うーん。
はい。
その、
このお話聞く中で皆さんにその仕事聞くんですけど、
うん。
もう一個好きなことを聞くんですけど、
はいはい。
好きなことはじゃあ何ですかって言われたら何っていうのってありますか?
あーだからそれも僕分かんないですよね。
あーでも、
本当に、
いや、
結構難しい問いだなって自分でも思ってて、
うん。
もちろん中には、
じゃあキャンプが好きみたいなことの方ももちろんいるんですけど、
趣味的なことでも。
そうじゃなくてやっぱり、
好きって何ってすごくでかい玉というか、
うん。
だと思っているので、
あー確かに。
広いですよね。
そうそうそう。
だから結構、
えーなんだろうねっていう方多いなっていうのは思うんですけど、
うん。
もちろんだからそれで、
ないっていうこともなんか分かんないけど、
うん。
なんだろうねっていうことを最近すごく自分で聞いておきながら、
思うんですよ。
でも確かにね、
はいはい。
意外とこう、
深く考えると難しいかもしれないですね。
そう、そんな感じがしますね。
でもなんか趣味で、
僕例えば趣味でサッカーとか、
もちろんそういうソフトボールとかも好きなんだけど、
うんうん。
それはそれで一個の多分好きだなと思うし、
はい。
でももうちょっとこの、
よりこう広い目線で見たらそっちの好きって、
なんだろうっていうのはちょっと、
うーん。
えー確かになんだろうって。
でもそこも最近すごく考えているのかもしれないですね。
あー。
なんか今はその、
正直言うと、
自分の時間が正直言うとあんまりないっていうか、
ほんとなんか日々こう、
いろいろなものに、
そっかそっか。
ね、なんか子供が来てる時点でもう、
はいはいはい。
もうそろわーってなって、
いろいろこう毎日が、
そっかそっか。
毎日で割と子供と接しちゃう、
うーん。
になっちゃってるんで、
うーん。
まあ、
なっちゃってるって言い方だけど、
あの、いいんですよ。
はいはいはい。
で、そういうこういうジムとかね、
うんうん。
あのいろんな作業とかしてると、
はいはいはい。
あんまりこう自分の時間とかが、
あー。
あんまりなくて、
まあ別にそれが嫌とかじゃなかったんですけど、
うんうんうん。
なんかそういう余白がないと、
でもさっきの、
なんて言ったかな、
それとさっきの話に違ってくるんですよね。
僕自身が意外とそうなってくると、
余白がないから、
うんうん。
またちょっとこうなってるんじゃないかみたいな、
あーそっかそっか。
ちょっと狭くなってるんじゃないかみたいな、
はいはいはい。
ところもあったりもしてて、
最近はその自分の人生の余白も作りつつ、
例えばなんて言うんだろう、
まだやったことがないこととか、
うーん。
そっかそっかそっか。
なんかすごい狭くなってきてしまってるなっていうので言うと、
なんかそういう好きなこととかも、
もしかしたらちょっとこう、
自分で勝手に狭くしちゃってるのかもなと思ったりもしてて、
42:00
うーん。
この場で言うとね、
なんか子供と接するのも多分普通に好きだし、
はい。
なんかまあさっきちょっと言った、
ちょっと言ったことが矛盾しちゃうかもしれないですけど、
子供が成長してる姿とか、
まあ保護者と一緒にその子供の成長を見ていくっていう瞬間もやっぱりは、
今でもやっぱすごい好きだし、
まあ最近はその、
コスカでさっき言ったようにすると割と人脈はないので、
まあいろんな人のおつなぎをやったりとか、
あのうち今ね、あそこにヤジさんいたんだけど、
ヤジさんがこういう、
例えば、
ヤジ、なんだろう、
例えば草困ってる人をこう繋いであげたりとか、
なんかそういうのとかをする、
なんかこう話したりとか、
はいはいはい。
あの、なんだろうな、
なんかそういう、
人つなぎみたいなのも、
まあ別に仕事でもなんでもないんですけど、
まあなんかそういうのも楽しいなとか思ったりとか、
はいはい。
あのうちのバイトできてる子たちが、
つい就職になる年、大学4年生になる年なんですけど、
まあその子たちにちょっとなんか、
なんかアドバイスじゃないけど、
こういうね、今の見えた話を伝えたりとか、
なんかこう、
じゃあこういう職業に興味あるんだったら繋いでいけるよとかっていう、
そうかそうか、そういうこともできますもんね。
そういうのもちょっと最近楽しいなとか思ったりとか。
ああ、すごい面白い。
でもなんかこれって一言とか二言でちょっと、
なんか本当はある気もするんですよ、頑張れば。
そっか、そっか。
でも最近確かにこうやって自分の機会を話すっていうのはあんまりなかったんで、
なんか今すごいちょっと話しながら考えたりもしたっていうところはあったりするっていう感じですかね。
だからすごい僕もちょっともう本当休みなくバーって働いちゃう時とかも、
本当すごいちょっと、
全然お金は貯まってないみたいな時もあるんですよ。
はいはいはい。
そういう時はもう本当すごいしんどいとか、
何やってんだろうって思って。
周りは結婚したり、ワイトいい会社に居た人もいるんで、
何やってんだろうとかたまに思っちゃったりするんですけど、
でも逆に、でもなんかもう少し心が穏やかと決めた時に、
すごい自分のやりたいことだったりとか、
外交権だったりとか、
そういうセーカーランナーの話も。
あ、そう。
セーカーランナーの話って、
どういう、あれなんですか、
セーカーランナーをやったってことでしょ?
はいはい、そうやらせてもらって。
それは何でですか?
一応なんかその、
何でって言い方が悪いけど、
目指したいわけじゃないんですけど、
話が来た。
いや、えっとね、
なんか一般選考みたいな枠があって、
で、なんか、
僕なんかその、
僕そんな目指したい人間じゃないんですけど、
子供たちに、
東京オリンピックがあったんで、
子供たちに、せっかくこんな日本で東京であるから、
なんか子供たちとオリンピックを叶ますかみたいなと思って、
子供たちに、
セーカーリレーとかってできないんですかみたいな問い合わせをした時に、
そうやらせたんですよ。
そしたら、
ちょっと子供たちは無理かもしれないけど、
みたいな話で、
一般選考みたいなのがあるよって話したから、
一応そういう、
僕はこういうことやってて、
ちなみに今までもこういうことやって、
活動とかして横須賀市でも、
一応こんな市内で子供たちもいますから、
って書いたら、
45:01
じゃあ全日横須賀市代表として、
すいませんみたいな感じで、
来てくれて、
そういうのとかもね、
面白いですね。
それで結局、
東京オリンピックとか延期になっちゃって、
それもすごい嬉しかったのが、
本当に東京オリンピックとかセーカーリレーがあったら、
僕一人で走るしかなかったんですけど、
2年後ぐらいに、
神奈川県が独自で、
セーカーリレー走れなかったですよねってなって、
神奈川県独自でセーカーリレーやりますよってやってくれたんですよ。
ちょっと緩い感じでやってくれたんですよ。
だから、うちの子供たち連れてって、
一緒にそのセーカー持って走れみたいなのができて、
それもすっごい嬉しくて、
子供にとってもすごいね、体験として。
だからそういうこと、
自分もそういう評価もいただくし、
それを子供たちに還元できてるっていう、
すごい良い循環ができてる人生で、
充実感もあるっていうふうにすごい捉えられるなと思ったりして、
そういうのもあったりもするなって思った。
そこら辺もすごい近いところもあったりして、
明日はどうなるかよく分からないけど、
明日はどうなるかよく分からないけど、
そういう明日の分からない人生も面白いなって思うし、
僕はでもやっぱり誇りに自分の人生を思えるなっていうのは、
振り返ったりするとやっぱり思ったりもするっていうのもあるし。
子供の成長期、大きな木の根っこの部分、
その可能性、矢印を押してあげるということを考えながら、
日々子供と関わっている池井さん。
これから先どうなっていくか分からないと仰いつつ、
子供との関わり、その居場所について、
深く考え、行動をされていかれるのかと思います。
そんな池井さんに出会うことができたことに感謝です。
池井さん、ありがとうございました。
それではまた次回、
ユイナワさんのキクヒトラジオでお会いしましょう。