飼育員の意識と活動
はい、お疲れ様です。飼育員のまるおかです。
人と羊が繋がることをテーマに活動しております。よろしくお願いいたします。
今日は、飼育員のお話でいこうかなと思っております。
羊飼いとして活動しておりますが、根っこの部分は飼育員なので、
どっちかというとこっちが正しくて、羊飼いの方はなんちゃって羊飼いでございますので、
私がこの活動をする上で、一番届けたい人たちというのは飼育員なんですよ。
ここのなんていうか偉そうですけど、意識を向けて欲しいところがあるんだよなっていうところが伝わるといいなと思って、
日々発信したりしているんですけれど、
活動をさ、いろんな方の力を借りたりだとか仲間を集めようと思ったら、羊飼いとして活動する方が良かったりするので、
あまり飼育員向けのお話は定期的にしたりはするんですが、今日はその日ですという感じかな。
特にこの時期、毛刈りの時期って私はちょっと気になっちゃうところがあったりするので、
今年もいろいろと思うところはあったので、それをちょっと喋りたいなとも思うんですけれど、
要は毛刈りだよね。羊の毛刈りが今、時期としてはもう終わりです。
終わりになってくると、私、ざっとね、他の方たちの、特に飼育員と呼ばれている動物園とか観光牧場さんとかね、
そういった方たちの投稿、情報の発信というところを覗きに行ったりするんですよ。
今ぐらいになると大体出揃っているかなという感じで覗いたりするんですけれど、
やっぱり変わらないなというところね。
未だに羊のため、動物のためというところが柱として、主軸としてあって、
彼らの中にある思いとして代弁するとすると、勝手に代弁すると、羊の毛刈りを毎年しますと。
バリカンで毛を刈り取っていくんだけど、どうしても毛を刈っているときにお客さんに言われちゃうんだよね。
もうこれは言われます。それが可哀想という言葉ね。
要は羽がいじめにして、押さえつけた状態で羊の毛を刈り落としていくということをするので、
旗から見ると羊さんが暴れたりとかもするし、それを押さえ込んで毛を刈っていくというのが、
見ている側としたら子どもたちは純粋なので、その辺を可哀想と表現するんですよ。
それ自体は別に私は間違っているとは思わないんですよね。実際そうだからさ。
なので、むしろ優しい気持ちを持っていると思うので、それ自体を否定するのも何か違うなと私は思うんです。
飼育員さんはどうするかというと、やっぱり自分たちがやっている行動というところを正当化したいんですよ。
要はこれは羊さんのために、これから暑くなるから、羊さんのために毛を刈り取っているんだよという。
今ちょっと可哀想に見えるかもしれないけど、これは私たちは羊さんのために思ってやっていることなので、ご理解いただけますかというようなニュアンスで、
この毛刈りという情報を発信するんですよね。
なのでみんな最後はこれでサッパリして、夏を過ごせますねみたいな感じで終わるところがほとんどだし、
ニュースとかでも取り上げられたりとかね、テレビのニュースに取り上げられたりとかで、
衣替えの季節ですねというので、全国各地で羊たちの毛刈りが行われましたみたいな感じで、
そういう感じでどうしても締めくくられることが多いです。
で、ちょっと気持ち的にね、刈り取った毛を持って帰ってもらったり、お土産として、
記念品みたいな感じでフェルトボールにしたりとか、そういう形で来場者に振る舞われましたみたいなね。
なんかそういう締め方がほとんどですね。ほとんどそう。
で、やっぱりね、こっから何かが生まれるとは私は思えなくて、要するになんだろう、そうなんだよね。
私もそっち側の人だったからすごくわかるんだけど、
最初の10年以上の羊と関わっていた飼育員時代の羊飼いと名乗る前ですよ。
この時期っていうのは、羊の毛刈りを毎年やってましたよ。
毎年やってたけど、そっから何かが生まれたことって一度たりともなくて、
お客さんに見せたりとか、毛刈り体験をしてもらったりとかはするんですよ。
するんだけど、やっぱりイベントとして終わるというか、
普段できない体験ができてよかったねっていうので、終わっていく。
なんかいいもの見れたねというかさ、普段見れないような経験ができたねっていうところで、
またみんな元の生活に戻っていくっていうのをずっと繰り返してる。
で、日本全国見てもそうじゃないですか。
そっから何かが生まれる。誰かが何かを始める。
手を動かし始めるというか、考えを見方を変えるというか。
言うのは簡単ですよ。
お客さんにアンケートというかインタビューしてどうでしたかっていうので、
自分たちが着ている服がどういうふうにできているのかが分かりましたとか、
大事にしたいと思いますみたいなことは言いますよ。
言いますけど、いや、現実何も変わってないじゃないですか。
というか、どんどんどんどん服は使い捨てされていく一方で、
教育とコミュニケーションの重要性
何も変わってないというか、
変わる素振りも見えないというか、
何も生まれてないんですよ。
ただ飼育員はやり切ったというか、
ちゃんと自分たちの役割は全うしたみたいなふうに、
そこが私すごく自分でもそっち側にいたから思うんだけど、
自分の無力さというか、
自分の無力さというか、
私たちが伝えなきゃいけないのってこれなんだっけっていうね。
やっぱりそこにすごい違和感も感じていたし、
無力さというのも感じていたし、
自分の無力さというか、
自分の無力さというか、
自分の無力さというか、
感じていたし、無力さというのも感じていたし、
そもそも自分に苛立ちがすごいあったんだよね。
腹立たしいというか、
何やってんだっていうね。
何の役割も全うできていないというか、
ただ自分が羊というか、動物を飼育して管理して、
自己満足で終わっているだけ。
何も生まれていない。
全く自分に価値を感じなかったんですよね、その時。
そういうところで、
やっぱりそこに目を向けてもらえると、
やっぱりそこから一歩始まるので、
それでいいのかなって思っている。
飼育員さんが今どれだけいるんだろうって思いましたね。
全然変わってないなというか、
私の10年前の自分を見ているようでさ、
まだそこないんやなっていうところね。
これに関しては本当に思うところは多々あるんだけど、
そもそも今そうやって情報を発信している方たちというのは、
若い方が多いと思います。
やっぱりおじさん、おばさんは、
SNSとかあんまり得意じゃなかったりもするじゃないですか。
若い子に任せたりとかもしますし、
その若い子たちというのも、
そういう学校を出たりとか、
動物圏の学校を出たりとか、
そういう経験を経てそこについてたりするわけなんだけど、
その学生時代の時に、
そういったことを教わっている子というのはほぼいないんですよ。
少なくてもヒツジの毛刈りについて、
ちゃんと理解をしている人というのは1%もいないはず。
いたらすごい。
いたらむしろおかしいと思うぐらい。
要は先生方がまず分かっていないんですよ。
ヒツジってまだそのレベルなので、
先生方がまずヒツジの毛刈りについての認識が甘すぎる。
毛刈りについて、
ただのイベントごと。
毛を刈る技術を身につけていたら、
毛刈りのイベントができるぞというぐらい。
そこから何か、
それがどういう意味なのかも全く分かっていないんですよね。
そういった毛刈りを教える人たちというのも、
一部の方は除いて、
ちゃんと羊毛を向き合っている人は違うんだけど、
そうじゃなくて、
お肉にしか目を向けていない方たちにとっての
ヒツジの毛刈りというのは意味合いが全然違うから、
こうやって効率よく落としていくんだよみたいなことだったりもするから、
やっぱりそれってちょっと違うんですよ。
その人にとっては合ってますよ。
その人にとっては正しいと思うんだけど、
人に伝えるというか、
飼育員としてね。
飼育員として子どもたちに、
ヒツジってこういう生き物でねっていうのを伝えるのが、
人とヒツジ、動物たちをつなげていく。
正しいというか、そういう知識を伝えていく役割があるのが、
飼育員だったりするじゃないですか。
なのでそこにはちょっと適さないんですよ。
若干、
なので、やっぱり誰も学んでないっていうところがあるから、
毛刈りをするときに、
うまく固定ができなくて、
面白おかしく動画で撮っている方もいれば、
頑張って毛刈りをして、
これで夏が迎えられるって人を安心して終わってしまっている、
飼育員さんがいたりとか、
何のためにヒツジを刈ってるのかとか、
そういった毛を刈る理由の中に、
昔の自分もそうだったけど、
口先ではいくらでも言えるからさ、
これが糸になって服になるんだよって言ってますよ、みんなね。
私も言ってたからね。
でも実際にはそれはできてなくて、
伝えられることって大体みんなそこで止まるんですよね。
それ以上のことって本当に伝えられないんですよ。
自分が経験してないから、実際にやれてないから。
やってる人が周りに全然いないから、
それが当たり前だと思ってるっていうね。
ここなんだよなって思うんですよ。
一応私も自分が卒業した専門学校の動物の先生たちとも話したりはするんですけど、
なかなか実現できないんだよね。
毛刈りの実習というか、
そういう授業をやらせてくれって本当にお願いしてるんだけど、
なかなか実現できなくて、
なんかこう、服飾系の生徒たちに向けての授業は頼まれるのに、
なぜかその飼育する側の学生たちに届けられてないっていうのが、
そういった学生たちも全然聞きに来ないんですよ。
向こうから来ることがほぼない。
もう別の世界というかさ、
もう生産目的じゃないから私たちっていう、
触れ合いとかそっちを展示目的だから、
そっちには興味ないんですっていうことがほとんどだよね。
なんか変な線引きされるんですよね、そこ。
でも伝えなきゃいけないのって、
そういうところじゃないのかなって思うんだけど、
それはね、
要は羊飼いのあなたたちが伝えるべきことで、
飼育員の私たちが伝えることじゃないみたいな、
そういう壁がすごい感じるんだよね。
そこなー、
どう、
まあ、飼育員の私たちが伝えることじゃないみたいな、
どう、
正直ね、私、
飼育員が嫌いなんですよ。
飼育員っていう存在が。
動物園も嫌いなんですよ。
動物園に行ってテンションが上がったことなんて一度もないんですよ。
もう行けば行くほどもう、
要は目が死んでる動物たちと目が合うんですよね。
というか目が合わないというか、目を合わせてくれないというかね。
それを見て、
かわいいとか言っている人たちを見るのが、
ほんとね、言葉を選ばずに言うと気持ち悪いんですよ。
見てるだけ、あの空間すべてが気持ち悪くて。
なので、自分は牧場に行きたいと思って、
そういう学校に入ったんだけど、
やっぱね、周りの一緒の同期の子たちの、
うちが、私が入ったクラスは、
ちょっと特殊かたかったかもしれないけどね、
動物への見方の変化
ただ動物が大好きっていう人じゃない割合が多かった気がする。
まあ時代が時代なのかなという気もするんだけど、
今の学生たちはもうみんな気持ち悪い。
みんな動物大好きっていう子ばっかで、
ものとして見てる感じがね、やっぱするんですよね。
なので多分、こういう若い子たち、
今の若い子たちっていうのは、
私たち世代の飼育員が作ってしまった動物園の姿形だったり、
動物の見せ方、伝え方だよね。
それの結果なんだったよ。
どう考えてもそうなんだよ。
動物のかわいいところばっかりSNSにあげたりとか、
面白おかしい動画をYouTubeに載せたりだとか、
ショーを見せて華やかな動物を調教するみたいな、
そういうところばっかり見せられてきた子たちって、
やっぱそうなると思うし、
もう完全に私たちのせいだなっていうのはすごく感じる。
だからね、やっぱこのままじゃダメだよねって思うんだよな。
そうだな。
もっと飼育員っていう存在がかっこいい存在になってくれたらなって思うんだけど、
たぶんね、これ本当に難しいんだけどさ、
動物園とか動物を使った商売で続けていこうと思うとね、
売り上げがなかったらいけないし、
集客ができなかったらいけないしっていうので、
もう手っ取り早いのがやっぱそのかわいさとかさ、
珍しさとかさ、そっちを押してったほうが簡単に人が集まるんですよ。
本当に簡単にバズったりするんですよ。
で、そっちにみんなやっぱ行くんだよね。
なんかそこでこう難しいことを言うのはさ、あんまり時代じゃないよねっていうか。
いかに楽しく伝えるか、面白おかしく伝えるか、
どうすればバズるのか、そうしないと人が集まらない、お金が集まらない、
続けていけないっていうところで、
すっごい負の連鎖が今続いてるんですよね、きっとね。
もうほんとそれ思います。
私が任されてるところ、もうそっちには絶対流れないように、
意地でも食らいついてますけど、
やっぱ周りからはすごい言われますからね。
飼育員の葛藤
イベントというか華やかなショーを使って集客したらどうだとかさ、
珍しい動物入れたらどうだとか、
その先に何が生まれるんだっていうね、
それをやって何が、ただ自分たちがお金が集まって、
可愛い動物たちに囲まれて、
それで何がこう変わるのよ、変わるというかさ、
その先に待ってるのってもう動物たちのね、
死んだような命じゃないですか。
結局そこに行き着くってなると、
自分がやりたかったのはそうじゃなくてね、
やっぱ自分はそもそも動物が好きっていうわけで入ったわけじゃないからさ、
自分はただ体が動かせればね、
外で働ければそれでいいっていう感じだから、
動物に限らず農業だって、むしろ農業の方が私はすごく好きです。
土をいじってる、土に触れてる時の方が私はすごく好きなんで、
本当はそっちなんですけど、
ただやっぱ見てらんないんですよね、
今のこの弱しいクイーンたちのやることなすことが、
何かしらきっかけが作ることができたらなとも思ってるんだけど、
まだこれからかな、
ちょこっとずつかな、
結構いろんな方の目に止まるようになってきてはいるんだけど、
まだまだやっぱ弱いんだよね、自分が。
本当、もっともっともっと、
それこそ今ね、学生よりもっとした、もっと小さい子供たち、小学生に向けてとかさ、
そっちだったら今ね、話してほしいって言ってくれる方たちがね、
いてくれてるから、そっちは結構今、
自分の中でやることができるようになってきて、
私はなんだ、なんて言うんだろうな。
結構客観的にね、物事を見ているタイプだとは思うんだけど、
本当はなんかもっとこうね、その牧場でのんびりというか、
動物たちを育てながら、
子供たちを育てながら、
子供たちを育てながら、
子供たちを育てながら、
こうね、その牧場でのんびりというか、
動物たちを育てながら、
体を動かしてね、のんびりした生活がしたいなって思っていたんだけど、
たまたまね、
その飼育員っていう、畜産系に行かなかったっていうところもあるのかもしれないけどね、
動物園コースというかさ、そこしかなかったんだよ。
学校のクラスの中でね、
まだその畜産系というのがなくて、
動物園コースみたいなやつしかなかったから、
そこに入っていってね、
この飼育員という存在と深く関わるようになってしまったがゆえにさ、
気になってしょうがないというか、気持ち悪くてしょうがないというか、
なんだこいつらっていうね、
口が悪いけど、
っていうところでね、
自分が違和感を抱きながら、
どうしてもやっぱり進めなくてね、
羊毛刈りイベントの紹介
なんだろうな、飼育員のこと嫌いだとは言ってるけども、
すごい人たちですからね、
私にないものいっぱい持ってますからね、
動物たちを愛する気持ちとかね、
うちの妻のしょうこさんもそうだし、
私にできないこととかもすごい熱心にできるからさ、
そういう意味では素晴らしいなって思うんですよ。
もっとよくできるのにっていう。
頑張りますかね。
そうだね、もうちょっとできるだけ、
学生たちも巻き込んでいけたら、
やっぱり、
やっぱり、
やっぱり、
やっぱり、
やっぱり、
できるだけ、
学生たちも巻き込んでいけたらいいよな。
頑張りますか。
長々と話してしまいましたね。
今日ね、羊の毛刈り4頭やってみて分かったんですけど、
意外といけるなっていう。
羽ばらが今痛いんですけど、
正直終わってね。
25日に毛刈りがね、10頭ぐらいあるのかな。
私のこの体が持つかしらと思ってたけど、
意外とこれいけるなと思って。
ただね、タイミングが悪いと頭がゴンって当たって、
羊の羽ばらに腐ってくるときあるんでね、
そこさえ良ければ、
いけそうな気もしてる。
なので25日、愛知牧場でね、
ウールパーティーっていう感じでね、
残っている羊たちの毛を刈り取りながら、
刈り取った毛をみんなでね、
めでるという、
すっごいマニアックな会があるんでね、
もしよかったら遊びに来てください。
飛び込み参加、ぜひぜひって感じです。
多分その日雨なんでね、
羊小屋の中でみんなでまったり、
ワイワイやれたらなっていう感じでございます。
これも結局、生まれたことですよね。
この毛刈りを通してさ、
ちゃんとその羊のことを伝えた結果、
羊が生まれたことですからね。
こういう人とのつながりだったりとか、
羊毛を通していろんな活動が今、
増えてきてますけれど、
そういうのをね、できるんですよ。
人と動物って、
ただ楽しんで終わりっていうだけじゃなくて、
もっともっとできることというか、
つながりが生まれてね、
楽しいもんなんですよ。
羊に限らず、他の動物たちでもあると思うんでね。
羊がちょっと特殊っていうのはあるんで、
そこを私は推してるんですけど、
他の動物たちでもあると思うんで、
いろいろやりたいですよね。
今日はそんな感じで終わりたいと思います。
長々と聞いていただきありがとうございます。
では、