「稼がないと意味がない」——この正論、なんとなく違和感ないですか?
今回は「地方創生」を入り口に、その違和感の正体を深掘りしました。
「地方創生(手段)」と「地域活性化(目的)」の混同が生む、すり替え/人が消費者か納税者にしか見えなくなる/定住でも観光でもない「関係人口」という視点/お金の取引とは違う「体温」の話/お金は血液、関係性は体温/血液がなければ死ぬけれど、体温がなければ生きている意味がわからなくなる/地方創生の話のようで、日常のビジネスにもそのまま当てはまる
普段、マーケティング、ブランディングの仕事をしているkoyukiが、日常の中で感じた「ちょっとした違和感」や「なんとなく気になったこと」を取り上げ、その裏側にある構造や仕組みを「ひとりごと(ジャーナリング)」として言語化していく番組。
教える番組ではない。一緒に考える番組。
答えを出す番組ではない。「見え方が変わる」番組。
【出演・企画・構成・編集】
koyuki(SNSリンク:https://lit.link/koyuki_spicalink)
感想、お便りはこちらから
https://forms.gle/X1NaF5DVrd2n4ufv9
https://listen.style/p/hitorigotokaigi?pcD5Nk4s
感想
まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!
サマリー
本エピソードでは、「稼がないと意味がない」という地方創生の正論に潜む違和感の正体を掘り下げます。地方創生(手段)と地域活性化(目的)の混同、人を消費者か納税者としか見ない視点、そしてお金の取引を超えた「関係人口」が生み出す「体温」の重要性が語られます。数字だけを追うビジネスにも通じる、人間的な繋がりや目的を見失わないことの大切さを説いています。
地方創生と地域活性化の定義の曖昧さ
ひとりごとカイギ、はじまります。
さて、今日は地方創生について話したいんですが、
先日ふと思ったんですが、
地方創生って言葉、人によって定義が全然違うなって。
ある人は東京とかからお金を引っ張ってきて、地元の企業を成長させることだって言うし、
別の人は地方に住んでいる人を元気にすることだって言う。
気になって調べてみたんですけど、
地方創生っていうのは、人口減少対策とか環境整備とか、
主に経済面を重視した取り組みのことで、
一方で人を元気にするっていうのは、地域活性化という言葉で、
これは地方創生という取り組みの結果として位置づけられていました。
つまり構造としては、地方創生という手段があって、
その先に地域活性化という目的がある。
これが本来の形のはずなんです。
もちろん外からお金を引っ張ってくることの重要性は、僕も前提としては否定しません。
それがなければ何も始まらないっていうのは事実なので、
でも地方創生はお金を引っ張ってこないと意味がない、
稼がないと意味がないって言い切る人がいて、
しかもそれが当然の定義みたいに正当化されている空気があった。
これはちょっと待ってって思って、
稼ぐのが目的になっちゃったら、
経済的に売るものは自分の企業のステークホルダーだけで、
本来の地域の人が元気になるっていうのは、
そこからはちょっと帰って遠ざかっていないのかなと思います。
稼ぐことが正義。
この言葉なんだがすごく息苦しくないですか。
なぜ僕らはこの正論に息苦しさを感じるのか。
今日はその構造を考えてみたいと思います。
「稼ぐ」ことが目的化する構造とその問題点
僕が感じたこの違和感の正体なんですけど、
大きく3つあると思っていて、
まず1つ目は言葉のすり替えです。
さっきも言ったように、
世の中は地方創生と地域活性化をほとんど同じ意味で使ってますよね。
でもこの2つ、リテール上で決定的に違うと思っていて、
地方創生っていうのは手段で、
地域活性化は目的。
この2つを混同しているから、
いつの間にか手段であるはずの、
稼ぐことが目的そのものにすり替わるんだと思うんです。
これって結構ビジネスの世界でもよくあることで、
売り上げを上げること自体が目的化している会社とか、
フォロワーを増やすことが目的になっちゃってる、
SNS運用とか、
これちょっと同じ構造かなって思ってます。
人を「消費者か納税者」としか見ない罠
2つ目は肉欲不可の罠です。
稼ぐことが正義って言い切る人の頭の中には、
おそらく2種類の人間しかいないと思うんですよ。
その地域に住んで税金を払う定住人口か、
観光で来てお金を落としていく交流人口か。
この2つしかないから、
どうしてもいかに外からお金を引き出すかっていう話にしかならない。
これは一種の自覚の歪みだと思っていて、
稼ぐっていう眼鏡をかけて地域を見ると、
そこにいる人間が消費者か納税者にしか見えなくなるんですよね。
ここからが今日一番お伝えしたいところなんですけど、
「関係人口」が生み出す「体温」の重要性
定住でも観光でもない関係人口と呼ばれる人たちがいます。
例えば副業でその地域のプロジェクトをむしろがって手伝っている人とか、
年に数回だけ農作業に参加する人とか、
ふるさと納税をきっかけに地元の生産者財産とつながっている人とか。
こういう人たちの存在って、
お金の取引とは違うもっと温かいものが流れている。
一緒に何かを作ったり応援したり、ただ面白がるっていう感情のやりとりが生まれているんです。
お金って言ってみれば地域を回す血液だと思うんですよ。
血液がなければ死んでしまう。
それは間違いないと思っていて、
でも関係人口が生み出しているのは人と人の間に流れる体温なんじゃないかなと。
風邪がないと意味がないっていう正論は、
血液だけで生きようとしている状態なんですよね。
血液がなければ確かに死ぬ。
でも体温がなかったら、生きていたとしても何のために生きているのかわからなくなりませんか。
数字至上主義からの脱却と人間的視点の必要性
これって地方創生とかの話だけじゃなくて、
僕らの日常のビジネスでも全く同じことが起きていて、
売上とかフォロワー数とか目に見える数字ばかりを追っていると、
だんだんその辺の感覚が麻痺してきて、
何のためにやっているのかわからなくなったりとか苦しくなってくる。
でも数字には現れないけど共感でつながっている一人のお客さんとの関係、
そこには確かに体温があると思うんです。
だからこそ数字というサイエンスの視点だけじゃなくて、
体温や関係性というもっと人間的な人文値とかアードンの視点と呼んでもいいかもしれませんが、
そういう視点を取り戻すことが今すごく大事なんじゃないかって思います。
今日のテーマに関係する一冊を軽く触れるんですけども、
セリザワ・レンさんの密公客理解。
なぜ買ってくれる人イコール顧客しか見ないのか。
このタイトルだけで今日の話の構造がわかりますよね。
お金を払ってくれる人しか見なくなる罠。
地方創生でもビジネスでも全く同じことが起きている。
気になった方はぜひ読んでみてください。
06:35
コメント
スクロール