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2025-08-20 09:35

【暇人モーニング#15-3】私は自分の感情を花で叫ぶ ジョージア・オキーフ(画家)

サマリー

ジョージア・オキーフの名言「私は自分の感情を花で叫ぶ」から始まり、色彩や感情表現についての深い考察が展開されています。アートにおける感情の重要性やコミュニケーションの本質についての洞察が語られています。

オキーフの名言
毎日が日曜日、暇人モーニング、略して暇人ラジオ。毎日、素敵な誰かの名言から、朝を始めましょう。
本日の名言は?
本日の名言は、私は自分の感情を花で叫ぶジョージア・オキーフ)、画家の方ですね。
色彩に込めた、その意味みたいなところをインタビューで表現した言葉だそうです。
すごいからですね、やっぱこの人の作品はですね。
だからもう本当、花で叫ぶって言われたら、そうなんだって感じ、そうだろうなーみたいな感じしますもんね。色彩感覚とかそういう風な気がしますね。
作品僕よくわからないですけど、結構花とかそういうのがバンって出てるよね。
ああ、そうですね。メキシコの景色というか。見たことあると思いますけどね、結構有名なんで。
あ、そうですか。
あると思いますよ。なんかめちゃくちゃ美しいですからね。なんかお花の絵とか本当に。あとなんかこう、骸骨みたいなやつとか、そういうのが描かれてるんですけど。
すごい、自分もすごい好きな作家さんというかアーティストの方ですけど。
なんかね。
すごい、なんか、花ですけど若干抽象的な何かがあるような。
あ、そうそうそうそう。だからなんかもう一つ何か、まあ多分それは感情みたいな感じなんでしょうけどね。
そっか、これは感情が見えるような感じがしますね。
そう、なんか、だから僕とかだと、デザインとかちょっと意味があるように作るからあれですけど、写真とか撮ったときとかに、
なんかやっぱりそのときの感覚みたいなやつを、やっぱりこう、なんかこう、込めるというか、撮ったときもそうですし、
例えば後からこう、ちょっと調整したりするときとかに、なんかね、その色味を少し感覚に近くするみたいな行為だったりとかっていうのをやっぱりやるんですよね。
だからなんかこう、何て言うんですかね、ほら、加工みたいなほら、まあ最近はよくそういう風な表現をされますけど、加工みたいな話とかになってくると、
なんかそことか、撮るときもそうですけど、ただ撮ってるようで、なんか、とか、ただ写真っていうのがあるんだけど、
よくよく見ると何かが訴えかけているみたいなことを、やっぱりその行動としてなんかやっぱり入れてるというか、中にですね、
なんかまさにそういう感じだなと思って見てました、見てましたというかね、聞いてましたけど。
おお、なんかわかる感覚あるんですね、そういうのが。
ああ、なんかやってますね、だからね。
ああ、やってる。
というか多分もう絵を描く人とかもみんなそうですけど、みんなやってると思いますけどね、なんかこの感情を入れてるかどうかとかはわかんないけど、
感情を表現してる方たちは多分みんなそれをやってるような気がしますね。
ああ、確かに。
そんな気がする。
でもなんか日々のメールとかのやり取りでも結構それを、何て言うんですかね、感情が乗ってるみたいなときもある気もしなくもないですかね。
ああ、ありますね。だからその、要は単純にアウトプットなのかもしれないですね、その芸術的な話だけじゃなくて。
だから俺はこれ結構ね、重要視してる話でもあるんですけど、
全てのコミュニケーションというかやり取りというかなんかわかんないですけどね、そういうところにやっぱりこう深く1回読み解く必要があるなって思ってるんですよ、ある程度。
テキストコミュニケーションとかが結構希薄になってるっていうかチャットとかで、なんかほら、了解を、でももうりって打つ人とか。
はいはいはいはい、りってありますね。
たまにあるじゃないですか、りって。あれがもう一番極端な話だと思うんですけど、
なんか、り、なんとかって言ったやつにりとかもうほら、業館とか読んだかどうかももうわかんないじゃないですか。
だから、なんかやっぱり丁寧なテキストコミュニケーションとかもあると思ってるんですよね。
そうですね、確かに。
それはすごいちょっと前に書いたことがあるんだけど。
だからなんか、それがなくなっていくっていうのが、あたかも同じ脳になっていくみたいな風にも見えなくもないんだけど、
コミュニケーションが超早くなっていって、同じ脳だからもうりで完結できるみたいな感覚もあるっちゃあるけど、
なんか物体として別の人間じゃないですか、単純にですね、物理で見たときは。
だからインターネットが脳をつなげてるみたいな感覚になって、なんかそれが良くないなと思ってるんですよ、ある種。
ほら、もう精神だけのとか、やりとりみたいな感じになるじゃないですか。
肉体を超えてるんで。
情報の伝達だけになりますよね、インターネットだけだと。
身体性ないじゃないですか。
だけど意外と手触りとか身体性みたいなところに感情とか感覚みたいなものが乗ってきてるんじゃないかなみたいなところがあるから、
相手の顔を思い浮かべながら本当に書いたりとかしたら、やっぱり丁寧なコミュニケーションになるじゃないですか。
ともすればコミュニケーションの量が多すぎるチャットとかで、それももうやめた方がいいんじゃないかなって思ってるんですよね、あんまり。
もう超えてる?なんかそういうふうに丁寧にやれる量をもう超えてるっていうか、単純に。
もうそんなことしても意味ないっていうか、雑なコミュニケーションを100万するよりも大事なコミュニケーションを2とかした方が、
なんかやっぱりその人のためにも相手のためにもなるんじゃないかなみたいな感覚があって。
喧嘩しててもオフラインで一回会えば一気に仲良くなるみたいな。
いやそうじゃないですか。だからテキストコミュニケーションの悪いところはそういうところなんで、
そういうやりとりはもうテキストコミュニケーションでしないみたいなのもちょっとアリだなって最近仕事で思いましたね。
仕事では理とかは言わないですよもちろん。ただ簡潔にこうこうこうですって書いて報告とかするだけにとどまっておいて、
感情的な話とかそういったのをちょっと揉みましょうって話はもうテキスト上ではやめましょうみたいな。
一回会って話すとか、なんかズームでもいいけどちょっと顔見ながら話した方がいいですよねって5分でもですね。
コミュニケーションの重要性
大事だと思います。
僕はなんか感情が荒ぶってる人のメールが来たときにチャットで、
来たんですね。
来たんですけど、それに対してこれはちょっとテキストで返すのはアリだなと思って、
ディズニーのミュージカル上に自分で動画撮って返答を返しましたみたいなのを一回やりました。
すごいっすね。
でもそういうことですよ。
できるのはできると思うんですよ。
返し方次第とかでコミュニケーションが取れる。
相手が怒ってるから、これちょっと荒ぶってるなってもうちょっと柔らかくしてあげようかなとか、
もっとこういう言い方したら変に伝わらないかなって思うんばかりみたいなことですよ。
それが多分結構大事というか、ちょっと日本人的だから嫌いな人もいるかもしれないですけど、
俺は結構でもそれ大切なことじゃないかなって思ってますけどね。
そういうことが感情が肌で叫ぶみたいなことなんですかね、それぞれの。
だからそれを読み取って、この人はこういうこと言ってんだって、俺はこうだけどなーっていうのは、
アートとかってそういうところが面白いところだと思うんですよ。
こんな人間がいるんだとかね、こういう物の見方してるんだとか、感世界を感じるというか、
それで自分の感性が受けて広がるみたいな感覚とか、気づくとか、
温かくなるとか、疎外感を感じるとかいっぱいあるんでしょうけど、
めちゃくちゃ話が長くなってますね。
感情が乗ってますね。
これやばいですね。
エモさだけで生きてるみたいなところがありますからね、僕の場合はね。
つよつよの政治家ですから一瞬で終わっちゃいますけど。
いやいやすいませんでした、本当すいません。
今日はもうちょっと長くなってすいませんでしたって回だったんですけども、
自分の感情を鼻で叫ぶっていうのは、みんなそういう感覚で生きてるんじゃないかなって思うと、
僕は感情を鼻で叫ぶ日にしてもらってもいいし、相手も鼻で叫んできてるかなって思ってると思うばかりで、
ちょっとコミュニケーションを意識する1日にするとですね、逆に自分も丁寧に生きれるというか、
自分のことも好きになれそうだなって思うから、そういう1日にしてもらったらいいかなって思いましたね。
そうですね。鼻で叫んでる奥の感情をちょっと目を向けてもいいかもですね。
じゃあ今日はそんな1日にしていただけたらいいなと思います。
いってらっしゃい。
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