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みなさんこんにちは、ということでやっていきましょう。
はい、えーっと、大体1週間ぐらいですかね。ちょっとラジオ間空きましたけれども、あの今日からまたやっていこうと思います。
本当は昨日から再開するつもりで、こう意気込みがてらツイートもしていたんですけど、ちょっと今日のお話にも関わる部分があるので、またこの後お話をしますが、
ちょっと昨日も投稿はせず、今日からっていう形をとっております。
で、まあ大体1週間ぐらい空いて、なんでかって言うと、元々先週末は金曜日と、先週末金曜日と今週月曜日はちょっと仕事を休んで、土日も使ってね4連休みたいな感じにして大阪に帰ってました。
で、その期間なかなか投稿ができなかったっていうのもあるし、で火曜日は仕事をまたね、復帰っていうほどじゃないですけど、まあ仕事があって、そこからまた夜はライブに行っていて、
昨日やっとなんかこういつも通りの日常が戻ってきたなっていう感じがするような、なんかそんなスケジュール感だったんですね。
なので、空いてしまったんですけど、本来は昨日とかワンチャン一昨日ぐらいからどうにかできたらいいなと思っていたんですけど、今日からという感じでまたお付き合いをいただければいいなと思っています。
1週間ぶりのテーマなんですけれども、ちょっとこの1週間僕が感じたこと、僕の身に起こったこととまでは言わないんですけど、
なんか僕の考えたことみたいな話を今日はシェアする回にできたらいいなと思っていて、
テーマとしては自分の感情を正確にまず理解をする。まず自分は今こういうふうに感じている、こういうふうに思っているんだなっていうのをちゃんと理解をしてから、
それに対して、なんかこういやいや違う、そんなことじゃなくてみたいな、それをこう突き返すようなことを自分で思うんじゃなくて、そうだよねっていうふうに言えるようになったなっていう実感がこの1週間僕は感じまして、
なんかその、なんだろうな、大切さとまでは言わないですけど、なんか生きやすさというか、自分に対して優しくなれている、優しさを持てるようになったなっていうようなお話をシェアしたいなと思いますので、
あの、おそらくですけど僕のラジオをたまたま今日は見つけてくれた方もいると思いますけど、
ある程度、期間、何ヶ月か聴いてくれている方は、ある種、僕と共通する部分が多い人っていう見方もできると思うんですね。
で、なんかこう、自分の感情に対してそれをそうだよねって、なかなか言えない、言えなかった、そうじゃなくて逆になんかこう、それはそうなんだとしても、でもそんなこと言ってられないとか、
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それはなんか、逃げだとか、ちょっとこう否定的、自分の感情に否定的になっちゃったりとか、そんなこと言ってる場合、そんな弱音吐いてる場合かよっていう風に、なんかこう突き返しちゃうようなことを自分の感情に対してしてしまう、なんかそういう人が僕のリスナーさん、フォロワーさんには比較的多いような気がしています。
なぜなら僕が、今はまあだいぶね、そうじゃなくなりましたけど、以前は僕がそういう人間だったから、本当に、今日ちょっとね、タイトルでも、自分の感情に対してそうだよねって言えるような自分になったっていう話をしていくんですけど、
以前の僕は、もちろんそういう人間ではなくて、本当さっき言ったみたいに、そんなこと言ってる場合じゃない、そんなこと思ってる場合じゃない。
これは確かに、じゃあ仮にそうだとしても、だからなんだよみたいな、そんなことよりも手を動かそう、体を動かそう、作業しよう、仕事だみたいな、やることやらなきゃっていうような気持ちが、そのなんか自分の本当の感情を圧倒するような状況、これがなんかもうある種、僕の中では当たり前の心理構造みたいなものになってました。
確かになんか今の自分、そりゃそうだよね、だってこういうことがあって、こういう気持ちになって、こういう目にあって、そりゃ辛いよねっていうふうに、なかなか言えなかった、自分に対して。
でも誰か他人に対してはそういう言葉をかけられるんですよね。
なんかこう、誰かの悩み相談を聞いたりとか、そういう機会は僕はもともとこういう仕事をする前から多かったんですね。
やっぱそういう時って、自分の好きな友達であればあるほど、すごく優しい言葉をかけてあげられたりとか、その人のことを肯定してあげるっていうことが、自分でも驚くほどにできる、してあげたいって思うし、本当に自分が、いやあなたは間違ってないよ、それでいいんだよって思うからこそ、多分そういう言葉をかけてるんですけど、
その、誰かに渡すことができる、めちゃくちゃピュアな優しさみたいなものを、なぜか自分には向けられないっていうのが、過去の僕でした。
で、そういうなんだろうな、ルーツっていうのかな、なんかこう、もともとそういう人間だった僕が、今はね、ちょっとまた状況も変わって言えることも変わりましたけど、
そんな僕の配信とか情報を見てくれてるっていう人は、やっぱりこう、昔同じようにそうだった、あるいは今よくよく考えてみると、なかなか自分に対して優しくなれない、誰かにできる優しさを自分にはできない、できてない、してあげられてないっていう人が多分いると思ってます。
で、何が、じゃあ、この話をするに至った経緯みたいなものを、できる範囲でお話をすると、この1週間、僕は大阪に帰ってたりとかもありましたけど、めちゃくちゃ楽しい時間と、めちゃくちゃこう、なんか充実感、満足感みたいなものも半分ぐらいあって、
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残りの半分は、本当になんか残念というか悲しいというか、絶望に近いような気持ちを抱いて、なんかすごくね、感情の波が、上下がすごくて、乱高下がね、めちゃくちゃ高まったと思ったら、めちゃくちゃ下がって、
そしたらまた何かこう、火曜日のライブとかは、僕はすごいこう、海外からね、海外のバンドを見に行ったんですけど、日本に来てくれて、初来日で、どうしても多く見たくて行ってきたんですけど、そのね、満足感たるものはもうすごくて、また月曜日、火曜日か、火曜日には感情爆上がりしたんですけど、まあでもなんかこう、
絶望したりとか、すごい落ち込んだものってなかなか言えなくて、その傷っていうのかな、感情がなかなかこう、改善されなくて、昨日とかもすごい仕事しながら、いろいろこう、考え込んでしまって、なんか意外と自分が思ってる以上に、食らってるなっていう、すごいこう、ダメージを受けてるなみたいな、心理的にね、なんかそういうのを昨日改めてこう、自分で認識して、やっぱちょっとなーみたいな、
あの、なかなか気持ちが上がってこない、こう、活力が湧いてこないっていうのかな、なんかそういう状況が、なんかこう、すごいね、乱高下の激しい1週間をね、僕は過ごしていたんですね。で、高い時はいいんですよ。人間調子がいい時、高まってる時っていうのは、まあ何もしなくても何も言わなくても、勝手に好きなことやるし、勝手に、なんかこう、仕事も頑張ったりとか、やりたいことやるんですよ。でも逆に、
落ちてる時って、なんか何も手につかなかったりとか、何も考えられなかったり、何もこう、やる気が起きないみたいな、そういうことになっちゃうと思うんですよね。で、僕も実際そうで、仕事はまあ最低限昨日とかもしてますけど、なんかこう、どこかね、こう、心が晴れないんですよね。ちょっと何があったかは差し控えますけど。
で、その時に、やっぱりこう、自分が今どういう感情を本当は持っていて、
それはどこから来ているもので、その感情がどれくらい自分にとってダメージを与えている、自分の中ですごいこう、自分のこう、なんだろう、感情のバランスみたいなものがあった時に、どれくらいのウエイトを占めているのかっていうのを、こう、なかなか数値化とかはできないですけど、まあ自分の中でちゃんと整理をして、
あ、自分が今ポジティブな気持ちもこれぐらいあるけど、でもそれの何倍もめちゃくちゃ傷を、ダメージを負ってて、これがなかなか言えなくてまだ引きずってるんだなっていうのを、例えばね、ちゃんとこう、正確に、あ、こういう状況なんだな、自分はっていうのはっていうのを理解してあげるっていうことが、なんかまずすごく大事だなって思います。
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でもこれはすごい難しいなとも同時に思って、僕もだから昔からできていれば全然苦労しなかったものを、ほんとここ何年かで、ちょっとずつこうなんか自分の中でこういう整理の仕方があるなとか、自分はこういう人間だからこういう感情を持ちやすいから、こういう時自分は、僕は、自分に対してこういう言葉をかけてあげよう、こういう接し方をしてあげればいいなとか、なんか探り探りでなんかやっとこういう、
うーん、落ちることがあっても、ちゃんと正確にその気持ちを理解して整理ができて、プラスアルファで今日のテーマにもありますけど、いや、そうだよねって、それを肯定するというか、分かってあげるというか、いやいや、そんなことさ、言ってる場合じゃないよって、なんかこう適当にあしらったり突き返すんじゃなくて、だって他人にしないでしょ。
自分の好きな人とかに、大事な友達とかに相談されて、そんなこと言ってる場合ないよって、やるしかないよとかって言わないと思うんですよね。それを自分にもしてあげるっていうのがだいぶイメージ湧きやすいかなと思います。
そう、だから、高い時、気持ちがね、調子がいい時はね、いいんですけど、こう、絶望というか落ち込んでる時、本当にこう下を向いてしまってる時に、それをちゃんと理解してあげる。その感情の大きさ、自分の中に染めるウェイトの大きさ、どれぐらい影響が大きいものかっていうのを、まずちゃんと理解してあげることができれば、それそうだよねっていう風に、
理解があるから思ってあげる。思ってあげられる。思うことができるっていう風に僕は考えてるんですよ。
だから昨日も本当はラジオを投稿する気満々、昼ぐらいはね。けどなんか夜、夕方、投稿しようかなっていう気持ちはもちろんあって、マイクとね、スマホとマイクを繋いでセッティングまでしたんですけど、
なんかそれちょっとまたこう、自分の感情が揺さぶられるようなものを見てしまって、そうなんか自分に対する誹謗中傷とかじゃ全くないですよ。
見てしまって、なんかこう、気持ちの整理がまたちょっとね、つかないというか、まあ少なくとも、「よっしゃ発信するぞ!」みたいな、そこまではあげることができなくて、
ちょっと昨日もね、マイクをまたスマホから外してしまったんですけど。
そうだからここで、そういう時にやっぱり、「いやそんなこと言ってる場合じゃないよ。だってラジオは発信は大事だし、積み重ねが大事だし、待ってる人がいるかもしれないよ。」とかって、
まあ無理くりどうにかして自分を突き動かすこともできなくはないんですけど、
それをしてしまうと、まあ確かにね、コンテンツを1本積み上げる、継続する。だって仕事だもん。大事だもん。っていう観点においては、
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そういうことをしてでも、仕事をする。手を動かして1本成果物を出すっていうのは大事かもしれないけど、
それが大事っていう考え方も僕は正しいと思うし、それ以上にやっぱり自分の感情を正しく理解して、その感情に従って行動する。そこを無限にしたりとか、
いやいやっていうふうに突き返したりせずに、その感情をちゃんと肯定して、そうだよねって寄り添ってあげて、結果的に何もできなかったとしても、その行為自体がそもそも大事だよねっていうようなことも、考え方も僕は正しいというふうに思っていて、まあどっちも間違ってないと思うんですね。
どっちがいいか、自分がどっちを選びたいかっていうのが結局のところ重要なのかなっていうふうに思ったときに、昨日の僕はそんな状況で自分を突き動かして、気持ちが乗らない状態でラジオ1本撮ることよりも、もう一晩昨日の自分と寄り添うと言えばいいのかな。
肩を叩いてあげるような、そういう時間を過ごす方が、僕は昨日そっちがいいなと思って、そういうことを選択しました。
まあ正直ね、無理矢理やることも多分できたんですけど、それをしちゃうとなんか昔の自分、過去の自分と大して変わんないなって思ったのも正直あって、そこに戻りたくはないんですよね。
やっぱり今の自分の方が僕はいいし、生きやすいし、好きだし、昔の自分が別に嫌いだったわけではないんですけど、わざわざまたあの時の自分みたいに戻りたいなって思うことは基本的にはなくて、変化してきて、今の自分が一番自分が思う理想の自分にフィットしてるというか、近い状態なので、だから僕は昨日そういう選択をしました。
今日何が言いたいのか、話の筋道がどうなんだって思った人もいるかもしれませんが、言いたいことはシンプルで、自分の感情、まあいい時もそうだし、特に良くない時の方が重要かなって思います。
正しく正確にまずは理解をする。そうすると、その上でその感情を一旦それはそこに置いておいて、でもやるべきことやろうよっていう風にするのか、その感情をちゃんと大事にしてあげて、そうだよね、だってこういうことがあったんだもんね、それは辛いよねっていう風に、自分で自分によりそういうことが言えるような自分でいるか、そういう選択をするかどうするかは僕たち自身が決めることができる。
これは誰であっても自分で決めることができるんですけど、どうしたいのか、どういう選択を、どっちを選んだ方が自分にとっていいのか、納得感があるのか、どっちの自分が好きか、いろんな見方がありますけど、
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僕は昨日、特に昨日ね、正確に自分の思っていること、気持ち、状態を理解した上で、それを否定したりとか突き返すんじゃなくて、そこを肯定して寄り添うっていうことが、僕は昨日選んだ道で後悔もないし、そういうことができるようになったなっていう成長も感じたりとか、昨日の選択は僕は自分で良かったなっていう風に思ってますので、
なんかこう、多分みんな生きてると辛いこともたくさんあると思うし、昨日までめちゃくちゃ良かったのに、今日いきなりどん底みたいなことも全然あると思うんですよね。
なんかそういう時に自分の感情とどう接するのか、そこをちゃんと理解してあげられるのか、そこに対して自分がどういう言葉をかけていくのかっていうのは、引き出しがあればあるほど生きるのが楽になると僕は思うので、
なんか少しでもね、自己対話っていうのかな、自分と向き合うみたいな表現もよく使われますけど、そういう時間のヒントというか、何かを持って帰ってもらえると嬉しいなっていう風に今日は思います。
はい、最後に概要欄の方には、絶望とか劣等感みたいなものから自分を救うための考え方について話したラジオを貼ってますので、良ければそっちも聞いてみてください。
はい、というわけでですね、別になんかこうすごい絶望、なんていうのかな、もう病んでるとかそういう状態ではもちろんなくて、
ただ僕も人間だから、ぶっちゃけ昨日若干ツイートしたんですけど、なんかこうSNSとかこういうラジオとかで平気なフリをしてカッコつけていつも通りやるのもできるんですよ、正直。
けどなんか僕はそれが好きじゃない。発信者である場合に僕はやっぱり自己表現をしたいなっていうのが強くて、その自己表現をするってなった時に、
今自分は正直どちらかというと落ちてるのに、なんかめちゃくちゃ張り切ってよっしゃ行きましょうみたいなエネルギッシュに振る舞うことが、
SNS上の戦略としては正解なのかもしれないけど、僕は嫌なんですよね。なんかこう自分を偽ってるようなのが、僕はやっぱ好きじゃない。
そんなことしてまで発信してもつまんないなって、なんか面白くないんですよね。
そう、だから、もしかしたら人によってはね、今日の僕のテンションが高くない。
なんかこういつもと様子が違うぞみたいなことを思った人もいるかもしれませんが、その本当に病んでるとかではなくて、ただ、
ラジオのいいとこじゃないですか、こうやって声とか声色とか話すテンポとかに自分のその時の状態とか感情がダイレクトに現れてくれるのって文章じゃ無理だし、
動画あるいはこういうラジオ、いわゆる声ですよね。自分の声とか表情にその辺がしっかり乗るので、僕はこれが自分の中で、今日のこれも自己表現だと思ってて、
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これを偽ってめちゃくちゃ元気になんかね、こうなんだろうな、張り切ってなんかテンション爆上げでやっていくっていうのは正解なのかもしれないけど、
僕はやっぱりクライアントさんとかに対しても、自分を偽るなんてことは絶対言わないし、自分を偽ってこういう風にすべきだ、そんなことも絶対言わないし、
それなら自分もそれをしない方がいい。自分もそれを、自分がそれをしてるとおかしい。
僕が嫌いなのは自分を偽ることと現行不一致が嫌いなんですね。
自分に嘘をついてなんか平気なフリをしたりとか、元気なフリをするのも嫌だし、自分が言ってることと逆のこととか違うことを自分がやってるのも大嫌いで、
言ってることとやってることが一致してる自分じゃなきゃ嫌だし、それが一致してない奴とは僕は嫌いなんですね。
そういう意味でも僕は今日は変に取り繕うというか、無理くりいつも通りな自分を装うというよりは、
本当に今自分が置かれている状況はそんなに激しいもんじゃないですよ、正直。
でも、この話をする今日の僕が、この気持ち、こういう感情でこの話をしている、そこのある種現行一致みたいなのも伝わるといいなって。
僕は自分に嘘をつきたくなくて、そのままの自分で発信を今日もしていったので、そういうところも理解してもらえると嬉しいです。
ではまた次回お会いしましょう。バイバイ。