いろんな生き方があっていい。いろんな遊び方があっていい。 二人の暇人が、自分らしさと余白について語り合うラジオ。
ここには答えはありません。あるのは、ゆるい対話と、ちょっと変わった人たちの環世界。
境界を持ちながら、お互いを尊重する。そんな世界観をお届けします。
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サマリー
本放送では、「わかりやすさは、思いやりの設計だ」というエドワード・タフテの言葉をテーマに、わかりやすさの重要性と、それが時に行き過ぎてしまうことへの警鐘を鳴らします。わかりにくいことの中に潜む「美しい違和感」や、相手を尊重する姿勢について深く掘り下げ、現代社会における情報との向き合い方を考察します。
本日の名言と導入
毎日が日曜日、暇人モーニング。略して、暇人ラジオ。毎日、素敵な誰かの名言から、朝を始めましょう。
本日の名言は、
本日の名言は、「わかりやすさは、思いやりの設計だ」エドワード・タフテさんですね。情報デザイン研究者の方です。
また、デザイナーですね。かさやき多いですね、デザイナーの人。
情報デザインというものを研究してですね。
情報デザインって、プログラミングとか知識系のやつとか情報デザインとか、設計とかで言うけどね。
認知科学とかそっちの方にも近いのかもしれませんね、もしかしたらね。
わかりやすさの功罪
わかりやすさは思いやりの設計だってまあまあそうですよね、なんかね。わかりやすくするって本当に大切なことですもんね。
まあ確かにわかりやすくするのも大事かもしれないですけど、なんかわかりにくさをわかりにくいまま出すっていう思いやりもなきにしまらずというか。
そうなんですよ。俺もそれ今言おうかなと思ってたけど、すごいやっぱしゃに構えた人たちだなと言おうかなと思って言わなかったことをやっぱ言ったからですね、やっぱりバラさんは。
そうなんですね。これでも言っちゃうとなんかね、それもそれでちょっとね。
いやそうなんですよ。わかりやすいだけだと面白くないみたいな話もやっぱあれたらですね。
まあ確かに。それだけの面白さで皆さん一生楽しめるかって言ったらちょっとね、もしかしたらもったいないことして言ってるかもしれないですね。
そうですよね。でもやっぱこれってなんか結構最近の、この思想ってなんかここ最近ずっと言われてきた思想なのかなと思って。
なんかそのわかりやすくあれとか、まあそれこそマーケティングが発達したのと多分結構似たような文脈なのかなと思って。
はいはいはい。
なんかその人が喜ぶようにフィットしてっていう感じがやっぱコンフォータブルがみたいなね、心地いいっていう状況を作ってあげるっていうのがいいよねっていうのとなんか似てる気がしてて。
でもなんか最近、そうなんかね、最近仕事でちょっとなんか作ってた言葉とかで、
なんかその美しい違和感っていうのをちょっと自分は書いたんですけど、その美しい違和感。
そう、なんかこう、まだ気づいていない良さみたいな。
なんかその美しさってなんかいろんなところにあるじゃないですか。
それってこう、なんか何かにこう経験とかに基づいて気づいていったりとか、
前はこんな綺麗って思わなかったこんな景色とか、なんでもない景色が綺麗に見えるようになったとかあるじゃないですか。
やっぱそれって、なんか気づく手前があると思うんですよね。
はい。
あれなんかちょっといいかもみたいな、好きかもみたいな、この人こんな可愛かったっけ好きかもみたいな時とかに、
恋に落ちる瞬間的な話と似てて、なんかもうその、そこからスッてほら、あ、やっぱ好きだわみたいになって、完全に好きですみたいな感じになるんだけど、
そのほら、なんか違和感みたいなものがあるわけですよね。あれ、なんだ、なんかちょっとドキドキしてるかもね。
なんか気持ちいいかも、この風とかわかんないですけど、そういうのがあってって。そういうのが、やっぱ分かりやすさじゃないと思うんですよ。
はい。
分かりやすく作られてるものじゃないかもしれない。
ただ、
美しい違和感と価値
そうですね、確かに。すごい情報量を受け取ったがゆえの反応なのかもしれないですね。
自分が経験的にそういう風に、なんか、感じるようになったとか。
で、なんかそれを、僕はちょっと美しい違和感っていう言葉にちょっと置き換えてみたんですよね。
それって分かりやすくないけど、必ず価値とか良さが存在しているってことを、僕たちは信じてるっていうか、出す側は信じてる。でも分かりやすくはないかもしれない。
みんなに分かるものじゃないかもしれないっていう、なんかその、分かりにくいっていうことが、あたかも悪いことみたいにやっぱ言われてるんですけど、
実はそれもしかしたら、美しい違和感をはらんでるかもしれないですよっていう可能性がね。
確かに。
美しい違和感が、持てる範囲の分かりやすさだったらいいのかもしれないですね。
そういうのとかもあるかなと思って。だから、分からないことを恐怖っていう定義で、モーニングでも以前ありましたけど、
分からないことが恐怖、でも分かれば恐怖じゃないっていうこともあるし、分からないことが恐怖、それを分かろうとするっていうのは、美しい違和感が潜んでるかもしれないとか、
そういう好奇心みたいなものが、そこを突破するっていうか。
行き過ぎたわかりやすさと現代社会
だから思いやり、分かりやすさが思いやりではあるけど、それが行き過ぎた世の中に今なってきていて、
もうちょっと分かりにくかったものもね、やっぱ試してみるっていうこともなんかいいんじゃないかなっていうか、
今エコーチェンバーとかフィルターバブルとか、そういう話結構あって、同じような情報しかもう見れなくなるネット上では、
そういうようなこととかあってるじゃないですか。あれも多分思いやりの設計だと思うんですよね、実際は。
はいはいはい。思いやりも、思いやりの中に入ってるこの分かりやすさもあるんですけど、
最近ちょっと個人的に感じるのは、ちょっと言葉行き過ぎるかもしれないんですけど、
どうせ分かんないから、分かりやすくしてあげてますよみたいな、ちょっと小バカにしてる分かりやすさって、なんかある気がしてて。
確かに、それ嫌ですね。
マーケティング感みたいな、そっちの方がコンバージョン上がるしとか、クリック率上がるし、どうせこれでしょみたいなのはちょっと打ってきますね、若干。
情弱ホイホイですね。
ちょっとさらに行き過ぎましたね。僕がちょっとすごい言い淀んでる中、もうズバッて頭から切りかかってる。
もうズバッと行きましょう、やっぱ。ズバッと行くわよ、遅き家族的に。
だいぶちょっと懐かしいですかね。
いやいや、ほんとそうですもんね。分かるんですよ、だからそれは本当に。逆手にとってるっていうか、分かりやすい入り口から、悪いっていうかね、コンバージョンというか、売りたいとかそういうセールスとかに向かっていくっていう。
本当にそうですよね、確かに。
相手を尊重する姿勢
だからね、やっぱ僕思うんですけど、子供も別に舐めてかからないっていう気持ちがちょっとあって、
別に変異性とか有名だから、すごいとかすごくないとかっていうのは、もう昔からあんまり思わないようにしようって決めてるんですけど、
やっぱ、舐めてかかっててもあんま別にいいことはないというか、もっとできる可能性を引き上げた方がやっぱり絶対いいわけなんで、相手に対してですね。
そういうこういうことを伝えて、分からないかもしれないけど言ったら、もっと面白い考えを浮かんでくるかもしれないとかですね。
その人がすっごい成長するかもしれないって思いながら話していったりしないと、舐めた形で子供だからとか、星下だからとかね、そういうのをしてたら、やっぱりなんもいい関係になっていかないよなーって思うんで。
そうですね、確かに。
まとめとリスナーへの問いかけ
エドワードタフテさんをディスってるみたいな感じになってきてますけど。
いやいや、でもこの言葉自体はすごい納得ですよ。分かりやすさは思いやりの設計だっていう。
ですよね、いい言葉ですけどね。
そう思って多分デザイナーの人もデザインとかしてると思うんですよね。思いやりを持ってデザインしてるはずだと。
信じてますけども。
いやー、これちょっとね、いかんですというか、本編レベルになりそうなんでこの話多分。
これちょっと一回どっかでやったほうがいいかもしれないですね。思いやりとか分かりやすさについて。
分かりやすさとは。
今日はね、ここは結構ね、私たちが金銭に触れるポイントでしたね。久しぶりにちょっとヤバい雰囲気がしてきました。
そんな全然怒ってないですよそんな。
超弱の雰囲気がしてきましたね。
じゃあ今日は分かりやすさは思いやりの設計だ、エドワードタフテさんの言葉でした。
皆さんは分かりやすさをどう考えますか。今日も一日楽しい一日を過ごしてください。
それでは、でらっしゃーい。
08:27
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