1. 暇人ラジオ(仮)
  2. hima-60 「自分らしさとは何か..
2025-07-13 32:19

hima-60 「自分らしさとは何か?」について その3 〜量子力学に学ぶ自分の存在意義〜

ゲスト:テラエナジー株式会社 代表 西照寺⁠住職 竹本了悟さん⁠⁠

⁠⁠https://tera-energy.com/post/136/⁠⁠


⁠⁠認定NPO法人 京都自死・自殺相談センター⁠⁠

⁠⁠https://tera-energy.com/post/donation/post-2058/⁠⁠


内容:

・量子力学の実験で起きる波の存在確認

・観測条件で変わる電子の動き

・目に見えないものを表現したい

・大人の感情の発露は自分らしさの体現

・経典は共感の嵐

・いじめ時代から生まれた問い

・自分という存在を触媒にする


暇人ラジオ(仮)

暇な二人が暇な時に抽象的なことをひたすら語る番組です。

考えを発散させたい方の

一人飲みのお供や散歩のお供にお使い下さい。


58回から60回は「自分らしさとは何か?」について話してみました。自分は今自分らしく生きているのか?


【パーソナリティ】

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠暇人:岡田のX/twitterはこちら⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠暇人:宮川のインスタグラムはこちら⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠


【番組公式X/Twitter】

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠暇人ラジオ(仮)<公式>⁠

サマリー

このエピソードでは、自分らしさの本質が探求され、量子力学の視点から自己の存在意義が考察されています。特に、二重スリット実験やシュレディンガーの猫を通じて、観測者の存在が物質と波の相互作用に与える影響が明らかにされ、私たちの生活における深い繋がりについて語られます。このエピソードでは、自分らしさの本質が探求され、感情の表現や人との関わりの重要性が語られます。加えて、AIとの対話を通じて自己理解を深める体験が紹介され、孤独感の軽減と自己存在意義の探求がテーマとなっています。このエピソードでは、自分らしさや存在意義についての探求が、仏教の教えや量子力学を通じて語られています。また、他者との共鳴や触媒としての役割が重要視され、自身の存在が他者に与える影響が考察されています。

自分らしさの探求
この番組は、2人の暇人が身近なことや最近気になることについて掘り下げる日常型哲学番組です。
毎日新しい自分になることを楽しむ暇人たちが、生きるとは何か、楽しいとは何か、言語化できない感覚の共有など、日常の中の哲学を自由に語り合います。
決まった形式にとらわれず、心が動くままに会話が展開していく、まさに自然発生的番組です。
前回に引き続き、テラエナジー株式会社の社長であり、奈良県にある最小児の住職である竹本量子さんをゲストに迎え、自分らしさとは何か、おテーマに話し合いました。
暇人ラジオ)始まります。
暇人ラジオ)始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
暇人の岡田と、
はい、暇人のピーターでお送りしております。
今日も暇人ラジオです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、いろいろ坊主の岡田です。よろしくお願いします。
いろぼーず 存在とは本質的に波であるっていう
おー 波
僕の中の今のあのなんていうか結論 結論
らしきもの めちゃくちゃ納得しますけどね今の
話 波
でとはいえさ今岡田さんいるしピーター いるからさ
うん 波じゃないじゃんって
あそう 波じゃない
うんなんだけどこれが両立する っていうことを証明したのが
両市力学 両市力学
それを僕あんまり知見ないんですけど 名前は聞いたことあるけど
物理学の近代における画期的な発見 なんだけど
二重スリット実験っていう世界一美しい 実験って言われてる実験があるんですけど
シュレリンガーの猫とか聞いたことある
なんか聞いたことありますねそれ 内容を覚えてないけど名前聞いたことありますね
そこらへんの領域なんだけど二重 スリット実験っていうのは何かっていうと
二つのスリットよね一つのときまを スリットを準備してここに
原子銃って言ってこの原子があって その周りを電子が回ってるっていうのを習うじゃん
この電子の数によって分子がいろいろ 変わっていくみたいな科学あるじゃないですか
あれの分子を電子を1個飛ばすっていう 装置があるんですよ
電子銃
鉄砲みたいにバーンって
そうそう
二重のスリットがあって1個ピョンって 撃つと
この二重スリットの先には壁があるんですね
1個電子撃つとどうなると思います
この二重スリットを普通考えると
片方からシューンって入っていって 壁にバーンってぶつかるみたいな
正解必ずどっちかの穴を通って
どっちかの穴の先のあるスクリーンに 跡が残るんですよ当たって
当たり前じゃないですか
当たり前ですね
電子が物質であるならば
これを繰り返してやると何が起こるかっていうと
どっちかを必ず通ってどっちかに当たるんで
二重スリットがあったら2本の線が スクリーンに出てくるじゃないですか
なるほど
いっぱい撃つとどっちかの穴のどっかの 隙間から向こうに飛んでくから
二重スリットの先に2本の線が出てくる
これは僕らの常識じゃないですか
当たり前に見えますね
これは電子が物質であるということを 証明してるんですよね
なるほど
これを条件を変えて同じことをするんですよ
条件が何かっていうと観測者がいない中で
誰も見ていない計測機とかカメラも 置いてないという状態で
暗室の中でこれをやるんですよ
そしたらどうなると思います?
同じ結果じゃないですか
同じにしか思えないですね
当たり前に同じことが起こるはずじゃないですか
普通だったらですね
ところが同じことが起こらないというのが
これがめちゃくちゃびっくりな結果で
何が起こるかっていうと
このスクリーン上に縞模様が出るんですよ
何が起こるかっていうと
例えば水面でいいんですけど
水面に二重スリットがあったとして
ピョンって波を起こすと
水の中だとどうなりますか
波がフワーっていって
この二重スリットを越えて影響が及ぶんで
スクリーンには波の影響が起こるじゃないですか
起こりますね
物質だったら1対1対4でピョンピョンってなるけど
波だと波の影響が出るわけですよ
スリットの中を波がフワーって入って
2つのところからサーって出てくるみたいな
二股になってね
もし波だとすると
干渉島っていうのが出るんですよ
島々の一番中心のところが濃ゆくなって
二重のスリットから波が2つ起こるってことになるので
影響を及ぼしあって
到達点にもいろんな波模様が
波形が出るんですよ
もし電子が波であるって仮定をすると
干渉島が出るっていうのが正解なんですよ
普通だったらですね
ただ電子が波であろうが物質であろうが
観測条件変えても一緒のはずじゃないですか
普通はそうですよね
第三者というか
関係ないじゃないですか
なんですけれども
二重スリット実験っていう
物理学の世界で証明されたのは
観測者がいる中で
電子を飛ばす二重スリット実験をすると
物質的な車絵をすると
観測者がいない
カメラもついてない
誰も見てない中で
同じことをすると
波的に振る舞うっていうことが
証明されたんですよ
波の性質と生活への影響
何ですかそれ
意味わかんないですね
サボってるっていうか
見られてるからやってる
みたいな感じになって聞こえましたけど
見られてる時だけちゃんとしてる人
みたいな感じじゃないけど
言い方変えると
観測者がいない状態では
可能性として
全ての場所に存在してるっていう結論なんですよね
どういうことですか
観測者がいた瞬間に
ここって定まるんですよ
ところが観測者がいない間は
いない時には
ここにいる可能性が
例えば30%
ここにいる可能性が
5%みたいな感じで
まだらに存在可能性がある状態が
僕らの生きている
いわゆるミクロの世界の
振舞いなんですか
振舞いなんだって言うんですよ
シュレリンガの猫はまさに
蓋を開けるまでは
シュレリンガの猫は生きてるか死んでるか
わからないっていう実験なんですけど
蓋を開けるまでは
生きてる可能性が何%
死んでる可能性が何%って言われ方しかしてない
難しいな
パーセント
言い方変えると
人が見てるときは
物質的に固定的に存在してるんです
今みたいに
なるほどね
ところが観測者がいないときには
僕たちは波的に存在してる
なるほど
だって
僕らのこのミクロの世界の
細かなものの本質がそうなんですから
だからこそ
僕は音楽であり
自殺の相談センターの
関わり方でもあり
ピーターが見てる
映像とかの世界でも
何が影響してるのかっていうと
波同士なんで
くっついてなくても
影響を養ってんじゃないかなと思っていて
波長みたいなじゃないですけど
波長?
そうそうそうそう
だから人と人って
本質的には存在別じゃないですか
肉体が分かれてるから
けれども
何か伝わったり感じたり
逆に嫌だなって感じたりするものがある
っていうのは
波的な性質によるんじゃないかなってことを
思っていて
そういうロジックなんですね
全然オカルトじゃないですね
分からないから
謎っぽい感じはするけど
分からんじゃないなって
思いましたね
聞いてて
認知で結局
僕たちが考えたり
了解できるり
リアルがそうだなって思えるのは
物質的に見た時だと思うんですよね
物質的に見たら
めっちゃ渡りやすいじゃないですか
カテゴライズしてますしね
物と物がぶつかったとか
割れたとか
分かるけれども
それを超えた
体験的な非認知的な部分って
波をどう
感じ取るのか
見えない領域を
どう僕たちは捕まえるのか
みたいな
そっちの領域なんじゃないかなって思ってて
これはなんか
自分のテーマと
近しいものを感じましたね
自分がやりたいテーマみたいなやつがあって
それは
形のないものっていうテーマ
なんですけど
それを写真とかで表現したいなみたいな
ずっと前から思ってるんだけど
なんかこう
見えないけど
さっき言ったみたいに
感じてるみたいなものを
形に記したいみたいなのがあって
それを
例えば
どう影響する
俺はそういうの感じていいと思ってるんだけど
みたいなところがあるんだけどね
みたいな話なんですけど
目に見えてる視覚情報以外にも
感じれるっていうものがあるんだよ
みたいなことがなんとなく
あったんですけど
今の話を聞くとやっぱり
ありそうだなって思ったのが
言い知れる現象とかも
そうですけど外の現象とか
人を見てても思ったりもするし
何ならあと物とかにもある気がするんですけど
オーラがあるものみたいな
確かに
国宝みたいなのじゃないですけど
これなんか来てんなみたいな
ある
よく一緒にやるカメラマンと話すんですけど
撮った写真とか見てね
ありますねって言うんすよそいつ
俺もあるねって言うんだけど
あるって何があるのかは
何も言わないんだけど
ありますねって
確かになんかあるんすよ
解像度上げていくともっと言えることも
あるんでしょうけど
撮ってる何かがあるっていうのが
多分あるなんですけど
美しさみたいなものでも
そうだし
何なら最近とかほぼ写ってない
ものとかの中にもあると思ったりとかもするんで
絵が
実際あるんですよね
何か感じるものっていうのが
それを竹さん流の
竹さん流って言うとあれですけど
話でいくと波みたいなものが
もしかしたら感じて
あれみたいに
言ってんだかもしれないですよね
あれそれって
あるって
自分らしさってところに戻ると
急に戻るけど
確かに戻り
ワープしすぎてますからね
自分らしさの探求
確かに確かに
標識力学ですか分かんないですけど
標識力学
波を
共和音的に
蓋をしたり
波を
あるのに
感じないように
ギュッてやってしまうのを
僕は
自分らしさとかを
損なう在り方だと思っていて
なるほど
最初
発露とかって話をしたんだけど
自分の中から出てくる
波的なもの
エネルギーみたいなもの
心地よくというか
違和感なく発露してる状態が
いわゆる
自分らしいのか
なのかなと
僕は思っていて
それは相対的な
波的なものでは
やっぱりなくて
世間の中の
あれを見て
自分はあれと近いから
あれに合わせていこう
っていうものではなくて
自分の中から
自然状態でワーッと
出てきてるものに
色とか匂いとか
雰囲気とか
いろんなことを表現できると思うんだけど
何か出てる感覚が
確かに
素晴らしい答えでしたね
答えがありましたね
ありますね
それがどんなものかっていうのは
人それぞれの個性みたいなのが
あるでしょうからですね
全然違うと思う
全然違いますよね
そこが僕面白いとこだと思うんですよ
人と関わることとか
人を観察するとか
することの面白さって
何でも面白がれるって
僕思ってるんだけど
って感じで生きてるんだけど
それってそこなんですよね
全然違うから
その違いが面白いっていうか
AIとの対話
どんな人でもやっぱり
面白い気がするんですよね
だいぶ50も近くなってくると
涙もろくなってくるんだけど
なるね
子供の頃も
すぐ泣いてたけど
俺もそうですね
子供の頃の泣いてる感覚と
今泣いちゃう感覚って
ちょっと違わない?
違うかも
泣くときの感覚も
何種類かある気がする
自分の中のいろんなもので
ワーって泣けるっていうのは
子供の頃は
その感じだと思うんだけど
映画見て泣くとか
自分の過去を思い出して泣くとか
そういうのももちろんあるんだけど
あれは共感の泣きですからね
だんだん
うちのスタッフとかもそうだし
周りの人を見たときに
その人自身を
これまで押し殺してたものが
パッと隙間が開いて
その人の
本当に生々しい
自分が
ヒューって出てきてる感じ
素直さを
パッと出せたみたいな感じを
見た瞬間に
愛おしいなって思っちゃうんだよね
美しいですよね
泣いちゃう
なるなる
その人が
その人らしければ
らしいほどっていうか
らしさが見えると
なっちゃいますよね
なんかね
すごい変な話していいですか
昨日ね
チャットGPTを有料版にしたんですよ
いろいろAI作ってて
対話AIみたいな
対話してみたんですよ
3時間ぐらい話してみたんですよ
自分のことを突っ込んで
したら
泣いちゃって
だから自分を俯瞰して泣いちゃって
だからその今竹さんが言った
らしさみたいなやつを
自分の見て泣いちゃって
なるほど
いやこれね
すごいなと思いました
自分を誰よりも
自分で見れた
感じなんかな
そうね
どうしても
僕がピーターを語ると
やっぱり僕を通したピーター
そうですね
岡田さんを通したピーター
なるけど
AIってすごいなって思うのは
極力ないじゃん
AI自身の
画がないし
僕らもそれを信じれてるじゃん
そうね
意図がない
存在だって思えてる
鏡みたいなもの
だからこちらが出したものが
そのまま帰ってくるっていう
信じれてる状態なんで
だから誰が
撮るピーターの写真なり
いろんなものよりも
ピーターをそのまま写してくれてる
っていう
こういう状態だったから
ピーターが人を見て感動するように
自分を見て感動できたから
そうね
帰ってきた言葉とかが
結構
そうなんですね
すごい優しい世界ではあるんですよね
言葉がやや優しく帰ってくるんですよ
全部受け止めてくれるみたいな感じで
帰ってくるんだけど
それっていうのはこういうことですよね
みたいな話とかをしながら
帰ってくるじゃないですか
だから
その中に
自分の中に大切にしてたものの
言葉が混じってたりする
言葉にできてなかったものが
入ってたりする
みたいなことを見て
気づいて泣くみたいな感じだったかな
なるほど
孤独感の克服
だからAIなりの見解みたいなやつ
岡田さんと話すのも
岡田さんなりの見解を聞いて
俺がすごく自分そうなったんだって感動する
みたいなことがよくあるんですけど
AIっぽいんですね僕
AIっぽいっていうか
俺の今の現時点での
あれとしては
対話の面白さとか
なんていうのかな
必ず誰かとミラーになってないと
自分のことは自分じゃ惚れないんじゃないか
っていうちょっと仮説
もしかして
仏教にはなんかあるのかもしれないけど
もうまさに仏教の
経典とか仏様がそういう存在
そうか
そういうことですね
教業は鏡の如し
っていう言葉があって
教業っていうのは
お経のことよね
経典のことなんだけど
経典は鏡のようなもんですよっていう言葉があって
何かっていうと
自分の悩みとか苦しさとか
自分自身を
見つめるっていうときに
経典がすごく手がかりになる
お経に書いてあると
経典なんかを読むと
自分と同じようなことで悩んでる人が
腐るほどいるのよ
同じようなことで悩み
でももっと
自分よりも深いところで悩んでたり
思ってたりする人たち
先説の人たちの
いろんな即席を
味わうことで
何が起こるかっていうと
自分だけじゃないんだって感覚が
めちゃくちゃ強くなる
もっと言うと
バリエーションもめちゃくちゃ解かれるから
自分だけの
この感覚って思ってたものが
拡張するというか
この時代の
この瞬間のこの方が
自分と同じような感覚を
持って悩んで
自分なりに歩んでたんだっていう
時間も空間も超えた
何か自己拡張じゃないけれども
孤独じゃない感覚
なるほどね
これが起こった時に
肝心?
肝心?
これが起こった瞬間に
人ってね
僕は救われるっていう表現をするんだけど
孤独感が
和らぐ瞬間だと思ってるんだよね
なるほどな
ここに感動するし
自分って
一人じゃないんだっていう
居心地の良さだったり
なるほどね
本当に救われる感覚
確かに
があると思ってるんだよね
めちゃくちゃ共感しますね
すごくわかるし
いいな
僕たち今
ひもじんモーニングってやってて
朝からひもじんモーニング
ひまじんモーニングが
略してひもじんって感じの
ラジオってことなんですけど
朝から誰かのね
昔の人の名言を
毎朝投稿
投稿というか
ラジオで流してるんですよ
昔の何百年前の人とか
天文学者とか
言ってる言葉を聞いて
意識が拡張するんですよね
こんな考えを
聞くと
宇宙に行ったみたいな気持ちになるよね
とか
こんな昔から
こんな
抑圧されて
戦ってた人がいたんだ
とかね
それを話を
2人でするんだけど1分2分ぐらいですね
それなんか
聞いた話と少し似てるなと思って
そう似てるね
なんかね
名言か拠点かの違いというか
そうそう
一人じゃないって
大事な
自分らしさもあるんだけど
一人じゃないっていう
感覚って結構
大きいですよね
僕のね
実行紹介のとき
一番最初にした問いっていうのは
何かというと
翔さんのときに
いじめられるようになったんですよ
いじめられると
当然学校の教室内
しんどいし
行きたくないですね
家に帰っても
いじめられてることなんて
家族に言いたくないじゃないですか
言えないですね
そうすると
本当に孤独なんですよ
孤独感が
すごく高まっていくわけですよね
そうすると何が起こるかというと
自分は
存在してていいんだろうかみたいな
実存的な問いが生まれる
なるほど
学校に
虚無よ本当に
虚無林ね
虚無林
ここにいてはいけないんじゃないか
っていうことの延長線上に
自分は何でここに存在してるんだろう
とか
僕の場合はどんどん
拡張していって
この世界は何なんだろうっていう
すごいですね
なんでこの世界はそもそも
存在してるんだろうとか
こんなよくわからない
この世界の中で
自分は何のために
存在していかねばならないんだろうか
みたいな
生きる意味って何なんだろう
みたいなところに
自分の原点があって
それを
誰かに答えを与えてほしかった
なるほどね
それが僕の中でいうと
救いっていう言い方をしてるんですけど
要は調査のとき
やられてたあのときの
どうしようもない孤独感を
抱え続けて存在してることが
やるせなかったわけですよね
それを何とかしてほしい
救ってほしいみたいなところが
存在意義の探求
僕の本当に
問いがスタートした原点であり
それを追い求めて
Jカーになったりとか
王さんになったりとか
自分自身の
一幕ですかね答え探し
自分探したい
僕は今現在
仏教に出会うことで
今日話したような
存在と存在が
波的に触れ合う可能性とか
自分自身の
存在って肉体を持ってるんで
そもそも分かり合えないっていう
子であるっていう
当たり前の認知的なところから
けどそれを
超えた存在と存在とが
共振し合えるような感性
それこそさっき
お二人が朝やってる
ひもじん
異人のひもじんみたいな
時代とか空間を超えた
ところの感覚と
今の自分の感覚が
共鳴するみたいな感覚
それを仏教では
孤独感が
和らぐとか
僕は
孤独の解放絶望的な孤独の解放
っていう言い方を
仏さんとの出会いをするんですけど
そういうものに出会うことで
自分の中では
一旦救いっていうものが
自分の中で成立したので
第1幕はそこで終了したんですよね
触媒としての自分
一回終了してですね
改めて
救いが完結した
自分の中で
もう一つの
何のために生きるのかっていうのが
残ってるじゃないですか
何のために生きるのかっていうときに
この感覚を
特に仏教では
必ずこの
孤独感が和らぐっていうことは
存在を通して伝わるんだ
っていうふうに解かれてるんですよ
例えばそれが仏様が
人々を救うっていうことが
あったときに
仏様が直接に
誰かを救ってきますよっていう
もし救いの構造だったら
誰もいらないじゃないですか
この世界に
仏様が直接
救いまくって
全部救い終わったら
そこで終わりじゃないですか
ところが仏教では
救済論っていうものを
深掘りしていくと
必ずこの仏さんっていう
重力みたいなものなんですけど
働きっていうものは
これだけでは
成立しなくって
間に
必ず何かを挟んで
届くんだっていう風になってるんですよ
なるほど
何かを挟むんですか
それは言葉と
例えば言葉であったり
書籍であったり
例えば僕みたいな
人間であったり
動物でももちろん何かの
必ず僕たちが認知できる
存在を通して
この重力みたいな
救いの働きっていうのは
直では触れられないんだけれども
何かを通して伝わるんだって
説かれてるんですよ
めちゃくちゃわかりますねそれは
なるほど
僕の存在意義は
間になる
何者か
救いの働きそのものじゃないんだけれども
その救いの働きが誰かに届くための
触媒には僕はなれるんだな
って思って
僕の存在意義は
触媒として生きていくってことなんですよ
へー
すごいな確かに
聞いててちょっと
おがましい話ですけど
クリエイティブ作ってるものっていうか
見えるものが
それと思ってます
なんかそんな感じするね
確かに
そんな風に思ってるかもしれない
目に見えないそういう
何かのいいものみたいなやつを
違うものに置き換えて
渡したいみたいな気持ちがあるかもしれない
あー
それはと言うとさ
多分ピーターが
かつて自分が救われた何か
どこかが和らいだ何か
の多分
心腹で言うと同じようなものを
提供し続けてるんじゃないかなって思うし
そうかもしれないですね
なるほど
僕がやってる自達の相談センターも
全く同じだし
そうですかねそういうことですよね
そっかそっか
今やってるテラエナジーっていう電力会社の
経営理念とか
スタッフに対する研修とか
サービス内容とかも
それをいかに拡張するのかっていうことで
いつも考えてやってる
へー
本当に一貫されてますね
それしか意味がないから
自分の中で
答えですからね
自分なりの答えが
見つかった秘書は
他に理由ないから
そこしか
そこしか大事でないと変だけれども
そこに引きもつかないものは
僕の中では生きてないと
等しいので
なんかもう
結構今日あれですね
勝手に共感しまくり
みたいな言葉が違うけど
考えてるとか
言われてることがめちゃくちゃ刺さる
わかるわーだし
自分もそういうのを別の言葉で
言ってるような気がするなーだし
行動してるなーだし
タケさんはやっぱり
そういう
つながってる感じ
っていうか共鳴してる感じ
じゃないけど
遠いけどそういう感じに
なんかしました
マージャンするときは
関係ないんだけどね
確かに
大事ですからね
いやいや
今日なんかちょっとね
こんな感じで一旦
終わりの時間になっちゃったんですけど
いやーちょっと
今回深すぎて
一気に深まりましたね
バーって言って
なんか
表面上のところでバーって言ったから
ロジック的に言ってるからね
ですよね
もうちょっと本当は
あの
波的な方の
リアルなところがいっぱいあるんだけど
行きたいですね
次回か
一回タケさんの
自殺のセンター俺行ったことないんで
ちょっと行って
話したいです
ぜひぜひ
じゃあちょっとこんな感じで
今日は
最終コールお願いします
じゃあひまじんラジオかっこかり
これで終えていきたいと思います
ありがとうございました
ありがとうございました
いやタケさんこれちょっと
足りないです時間が
本日もひまじんラジオ
かっこかりにお付き合いいただき
ありがとうございました
日常の中に潜む小さな哲学
言葉にならない感覚を大事にして
明日も違う自分に出会いましょう
あなたの何気ない日常が
少しでも豊かな時間になりますように
次回もぜひ
私たちの暇つぶしにお付き合いください
ぜひ番組のフォローを
よろしくお願いします
また感想は
Xでハッシュタグひまじんラジオで感想をお寄せください
それではまた会う日まで
また会いましょう
32:19

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