1. 暇人ラジオ(仮)
  2. hima-58 「自分らしさとは何か..
2025-06-29 34:13

hima-58 「自分らしさとは何か?」について その1 〜答えないですけどじゃなくて答えあります〜

ゲスト:テラエナジー株式会社 代表 西照寺⁠住職 竹本了悟さん

https://tera-energy.com/post/136/


認定NPO法人 京都自死・自殺相談センター

https://tera-energy.com/post/donation/post-2058/


内容:

・ややこしい謎の自己紹介

・お寺の研究職で働く

・会社組織的なお寺の構造

・人の話を聴くには答えがある

・輪廻転生を考える

・やらされていない自分は生きている感覚がある

・靴下に反映される自分の気持ち


暇人ラジオ(仮)

暇な二人が暇な時に抽象的なことをひたすら語る番組です。

考えを発散させたい方の

一人飲みのお供や散歩のお供にお使い下さい。


58回から60回は「自分らしさとは何か?」について話してみました。自分は今自分らしく生きているのか?


【パーソナリティ】

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠暇人:岡田のX/twitterはこちら⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠暇人:宮川のインスタグラムはこちら⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠


【番組公式X/Twitter】

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠暇人ラジオ(仮)<公式>⁠

サマリー

このエピソードでは、二人の参加者が自分らしさについて考察を深める中で、様々な哲学的視点を取り入れています。特に、お坊さんのたけさんが自身の経験を通して、居場所や生き方に対する問いを探求しています。仏教のロジカルな面にも触れています。このテーマに基づいて、参加者が自らの内面を見つめることの重要性や、仏教における自我探求の視点が紹介されています。また、個人の答えとして共有される多様性や内面的な変化についても語られています。自分らしさや存在の発露についての観察が行われ、特に他者の期待と自己表現の対立、そして多様性の重要性について考察されています。

暇人ラジオの趣旨
この番組は、2人の暇人が身近なことや最近気になることについて掘り下げる日常型哲学番組です。
毎日新しい自分になることを楽しむ暇人たちが、生きるとは何か、楽しいとは何か、言語化できない感覚の共有など、日常の中の哲学を自由に語り合います。
決まった形式にとらわれず、心が動くままに会話が展開していく、まさに自然発生的番組です。
暇人ラジオ(仮始まります。
ひまじんラジオ(仮始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
お、なんかのぶとい声。気のせいか。
ひまじんの岡田と、ひまじんのピーターでお送りしております。
今日もひまじんラジオです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今日ですね、のぶとい声がしたのは、例の仕業ではなくてですね、
ゲストを呼びました。
ゲストですね、今回。
またですね、やっぱりひまじんラジオじゃないですか、
たぶん暇だと思うんですけど、この方も。
かなり暇というか、暇界の結構すごい人みたいな感じで、
お坊さん?
お坊さん?
お坊さんをちょっとお招きしたんですよ。
ただもうちょっとね、いろいろ坊主の人なんで、
お坊さんでしたことであんまり説明できない面白い方なんですけど、
たけさんっておっしゃいますけど、ちょっと呼びますね。
たけさん今日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、いろいろ坊主のたけです。よろしくお願いします。
いろいろ坊主。
いやたけさんね、ほんといろいろ坊主で。
ちょっと多動性、多動系だよね。
多動系お坊さんですよね。
そもそもやってることが結構面白くて、
お坊さんでやってること面白いとか普通あんま訳わかんないですけど、
たけさん軽く自己紹介とか何してるんでしたっけ?たけさんいつもいろいろ。
ピーターの先手でいうと、テラエナジー株式会社という電力会社を経営していて、
一方で奈良県の最初にお寺の住職をやりつつ、電力会社を経営していると。
経営者でもあると。
あと京都自殺騒乱センターっていう、
死にたいっていう人の居場所づくりをしている騒乱センターも代表させてもらってて、
その運営もさせてもらっています。
すごいですね。もう意味わかんないですよね。
お坊さんで電力会社経営してて、自殺の電話のコミュニティ、
命の電話みたいなやつですよね。
いわゆるああいうのをやられてるってことですもんね。
すげえ。
すごい。何でもやってますね。
何でも屋さんですね。
基本暇人なので、月やれば斬装に行くっていうね。
斬装ね。迷走じゃなくて斬装ね。
なるほどね。
やばいね。いいね。
ちょっと今一瞬落ちてたね。すみません。
いいですね。すごい。やっぱすごいですね。謎が謎を読んでもう何だかわからないから。
自己紹介すると余計何をしてる人がわからなくなる。
そうですね。ややこしくなりますね。
ややこしいね。
ややこしさみたいなのが、自分はすごい普通っていうか、面白さみたいな感じで感じてまして、
そういう多面性っていうか、いろんな角度から物事を考えることもそうだけど、
普通物事を多面的に考えるんだけど、プラス実行までしちゃったらこうなっちゃうよねみたいな感じっていうか。
みんな竹さんみたいになる可能性はあるんだけど、竹さんみたいに実行できないっていうのは結構でかいような気がしますね。
やる人はなかなかいないでしょうね。
自分の中ではそんなにすごく行動する人なのかって言われたら、やらなきゃいけないことをよくサボってるし、
ずっとあれ申し訳ないなと思うことがいつもゴロゴロしてるみたいな言い方をしてるので、
ただ一方であれはいいよね。思い切りはいいかも。
そこですよそこですよ。
思い込みと思い込みに乗れる力は結構高めかなと思う。
多分ね。おもろい方に走り出す力が強いんでしょうね。
今言われてて、そうかもって思ったのは、大きく言うと自衛官だって、自衛官辞めた時もそうだったし、
お寺に入ることが決まった時もそうだし、電力会社作った時もそうだったんだけど、
どのタイミングも、今ある自分の場所とか働き方とかもろもろが、そういう時もあるし、
新しいものに対しては面白いとか、そういう参画があるからやってるっていうのは間違いないんだけど、
いくつかの大きな決断の時は、むしろ今ある自分のあり方とか場所がちょっとしんどかったりとか、
居場所の無さを感じてたりとか、嫌だなっていうことがあって、
そこを抜け出したいプラス、こっちの方が面白そうみたいなところで移行していってるのはあるなと思った。
特に自衛官辞めたタイミングと、テレエナジーで電力会社を起業したタイミングは、
今のあり方に結構疑問を感じてるというか、本当にこのままこれやるのかなーみたいな感覚は結構あった。
自分らしさの探求
原材値を問うみたいなタイミングがあるわけですね。
そうだねー。テレエナジー起業したのが2018年だけど、
その前は西本ガーディの研究所の研究職員をしていて、
研究職ってのがありますね。
研究職だったんですよ。
大きい教団ってそこにひも付く、縁されてる研究所があって、
そこの西本ガーディの研究員だったんですけど、
社会課題に対してどう宗教者がアプローチするかみたいなテーマで研究していて、
それは結構テーマとしてはすごく面白かったし、
本当に好き放題やらせてもらったというか、
結構楽しんでやってはいたんだけれども、
3,4年くらい前から結構窓際族っぽかったんだよね。
窓際族?
思ったよりできないことがあったとか?
社内関係みたいなのがどうのこうのとか?
いわゆる研究所の中でどんどんキャリア積み上げていって、
最終的に研究所長になっていってみたいな。
そういうふうな骨渦までつもりで最初入ったんで、
最終的にはそういうのになっていきたいという思いはあったんだけれども、
研究所を辞める数年前からあんまりそういうところにポジショニングできてなかったし、
割と国際シンポジウムとか、
僕、研究所の中で一番海外出張をした人間なんですけど、
海外もあるんですね。
海外の宗教者が、お坊さんとか宗教者が、
自殺に対してどういうアプローチで活動してるのかみたいなことを、
東アジアで調査して回ろうということで、あちこち行かせてもらったんだけど、
そういうのもやるんだけど、
研究所自体の本筋とは離れたところで、
勝手にやってるよね、あいつはみたいな。
自分の興味のある活動だけやってるみたいじゃないけど、そういうことですか?
そうそう。やってる内容が、
結構メディアとかでも出るし、それなりに社会的には評価されるんだけど、
それを研究所の上じゃなくて、
西本願寺の本体の方の上の人たちが、面白く思ってなくって、
結構呼び出されて、圧かけられたりとかもあって。
これ大丈夫なんですか?
全然大丈夫。
そんなところでずっとやり続けるっていうのに、
ちょっとゴヤゴヤというか、
ちょっと嫌だなと思ってたね、その時期は。
それは全然わからなかったですし、
お寺とかって、僕が思うのって、
1個のお寺があって住職さんがいてみたいなぐらいの感じのイメージだから、
ちょっと今聞くと会社っぽいじゃないですか、UILなんか少し。
そうね。
僧侶って言っても、本願寺っていう包括法人って言うんだけど、
日本に1万カ寺ぐらいある浄土神宗西本願寺系のお寺の本山なのよ。
その1万カ寺の包括法人で、いろんな情報発信とかお世話してるところの、
事務局的な組織が中派なので、
そこの研究職だから、やっぱりおっしゃる通りめちゃくちゃ会社だし、
日本で初めて議員内閣制をスタートした組織で。
議員内閣制、そうなんですか、すごい。
じゃあ内閣があるんですか?
内閣って言葉ではないんだけど、
いわゆる1万カ寺あるお寺さんの中から、
各エリアごとに投票されて選ばれた人が議員として、
年に何回か上がってきて協議をして、
その中で選ばれた人が、総局って言うんですけど、
内閣みたいな感じで、総長が選ばれて、
その人が当局っていう数人を選んで、
それが執行部になって、いわゆる官僚組織みたいなのが開始してくる。
運営するんですよね。
そうそうそう、そういう形。
会社どころか国ですね、それ。
そうですね。
予算規模は所詮中小企業ぐらいなんだけど、
組織の大きさ的に言うと、
一つの本当に大きな関係人口が結構多い。
そうですよね。
いわゆる地方行政ぐらいとか。
そうそうそう、そういう感じ。
すげー。
それ聞くとですね、勝手なイメージですよ。
竹さんのことを俺が知ってる範囲で勝手に聞くと、
全然合わなそうですね。
竹さん、自由人っていうイメージが俺の中で結構ある。
そんなの合うわけないやんって聞きながら、
竹さんっぽくねえなって思いながら聞いてた。
すごい能力が高い方だなと思ってるから、
やりこなせそうではあるんだけど、
雰囲気竹さんっぽさみたいな感じからいくと、
なんかちょっと違うなーみたいな感じが聞いてた。
なるほどね。
あれは僕元自衛官だからね。
確かにそれもゴリゴリですね。
でもあれですよね、そう考えると、
だんだん自由な感じの仕事になっていってますよね、少し。
うん、確かにね。
ゴリゴリ固いところからこうなっていくっていうか。
自分自身の問いはね、ずっと同じ中で生きてるのよ。
そうなんですか、問いがあるんですか?
自分の根っこにある問いは、
どこにいようが元々変わらずあって、
それが本当にピーターが言うみたいに、
組織が合わないのは多分あるし、
あるんだ。
元々思ってる自分の内側から出てくるエネルギーみたいなやつが、
型にはめられると、だんだん無理が生じるというか。
減少していくというか。
なんかイヤになってくるし。
なんならこの枠の方を壊していくみたいなところがあるから。
なんかね、自分みたいだな。
なんか、俺のことを聞いてるみたいな気持ちになるぐらいの。
今日、すいません、ちょっと急にあれなんですけど、
テーマ、今日話すテーマをちょっと考えてて、
自分らしさって何だろうみたいなところをテーマに、
自分らしさとはみたいなことを話したらいいなと思ってて、
まさに冒頭の話は自分らしさを、
ちょっと片鱗を見たとこだったんですけど、
この話しながら深掘りしていったりとか、
あとなんか僕、ちょっと気になってるのが、
たけさんが前ちょっと話したときに教えてくれたのが、
仏教はすごいロジカルだっておっしゃってて、
ロジックがちゃんと納得できるから、
すごい良いと思ったっていう話を聞いたときに、
自分も最近怖いとか恐怖みたいなものとかの捉え方として、
知らないから怖いっていうのは、
そういう捉え方として、
知らないから怖いだけだっていうような認識をちょっと、
思うようになったんですよね。
何でもだからちゃんと自分が理解さえできれば、
取り扱えれるというか恐怖っていうか、
怖いものだから嫌だ嫌だとか分からないけど、
自分らしさの探求
いいよとかならないようになるんじゃないかなって、
当たり前のことなんですけど、
改めて気づきがあって、
なんで自分らしさをテーマに掘っていったら、
結構なんかいい面白い話ができるし、
なんかこれはすごいなんか、
タケさんですらもやっぱり問いを持って、
未だにいろいろやられてるっていうところがあるじゃないですか。
だからリスナーさんとかもね、
そういう人たぶん結構いると思うんで、
自分らしいってなんだろうとか、
そんなことも考えたこともなかったみたいな人も、
たぶんいると思うんですけど、
そういう人たちにね、
ちょっといいきっかけみたいな、
答えはないんですけど、
考えるきっかけとかになったらいいなとか、
やれたらいいなと思ってるんですよね。
仏教の視点からの自己探求
今聞いてて思ったのが、
自分ってなんなの?みたいな、
自分探し的なものとか、
らしさとかは、
すごく面白いし、
ぜひぜひ今日はそこらへん、
一緒に深掘りできたらいいかなと思ったのが1点と、
さっきピーターが言った、
答えはないんですけどって、
いろんな領域で使われる殺し文句であったりするんだと思うんだけど、
例えば自殺のこととかやってると、
関わり方にはどうすればいいのかっていうときに、
僕は答えはないんだけどとか言ったりするわけよ。
そうなんだ。
適切な関わり方、
いい関わり方ってなんなの?っていうときに、
話を聞くとかっていうときも、
話を聞くって言うけど、
答えはないんだけどね、みたいなことをよく言ったりするんだけど、
僕は実は答えはあるって思ってるからね。
そうなんだ。面白いですね。
あるかもしれないけど、
みんなに共通する答えっていうのはないかもしれない。
自分自身の落としどころというか、
自分自身の答えらしきもの、答えはあるっていう僕は立場なんだよね。
なるほどね。
それで言うとですね、
すいません、乗っかりますけど、
全く一緒ですね。
俺はそのスタイルです。
だから本当にみんなの中に答えがあって、
宗教っぽく言うと、
みんなの中に神様みたいなものがあってって思ってるから、
みんなの中に答えがあるから、
千差万別の答えがあるって思ってますね。
共通の答えがないっていう。
すいません、言い方がちょっと解像度が低かったですね。
でもよくわかります。
だからその感覚あります。
なんで今日は、
自分って何なの?とかっていうところの問いを含めて、
スターボールできたらいいかなと思ってるのと、
もう一つ、
僕自身は自分の中での答えっていうものが、
今明確に持って生きてるので、
その答えが見つかると、
どんな生き方が自分自身できてるのかみたいな話も
合わせてできるといいかなと。
いいですね。
めっちゃ興味深いです。
それ興味深いですね。
自分も自分の中で探してるっていうのはあるし、
ある種答え見えたものを見つけてる。
今の時点でですね、
あったりもするんですけど、
それは岡田さんと対話、
ひまじん対話と呼んでるんですけど、
対話したりとか、
日々の気づきの中で、
何かこう思い出したりとか、
そういうのがあったりとか、
そういうのがあったりとか、
日々の気づきの中で、
やってきたことを振り返ってみたら出てくるとか、
そういうふうにして、
自分らしいってこういうことなんじゃないかなって
認識して言ってるんですけど、
そういう仏教的なもので、
やり方じゃないけど、
そういう考え方とかあるんですか?
自分らしさ探しみたいな、
そもそもそういうもの自体とかも。
自分らしさっていう方は少ないんだけど、
そもそも仏教の入り口というか、
仏教といえば仏道修行とか、
仏道って言った方がいいかもしれないんだけど、
仏道ってね、
要はお釈迦様の2500年前のインドで、
当時、
隣根思想がインドの文化圏では、
大前提で信じられていたので、
隣根思想ってどういうものなんですか?
隣根。隣根転生の隣根ですね。
要は我々の生きとし生けるものは、
生まれ変わり死に変わりしていくんだと。
今生きてる自分自身のやってきたこと、
やっていることっていうものが、
どんどんどんどん積み重なっていって、
命を得た時に、
それがまた次の性、生まれに影響していくんだと。
なるほど。
今人間だけど、
僕がいっぱい人殺したりとか、
内面の変化に気づく
めちゃくちゃなことやったり、
ひどいことやったら、
例えば次は六道のうちの地獄に行きますよとか。
なるほど。
ブラッシュアップとか。
そういう、
積み上げて前後を積んでいくと、
剣の世界に生まれますよとか。
なるほどね。
そういう隣根の思想が、
インドでは当時ね。
あったね。
当たり前に、
大前提としてみんなの生命観として持っていて、
それって僕らからすると結構ね、
生まれ変わりってあんまり悪いもんじゃないというか、
次死んだら、
死んだら次何に生まれたいとか言うじゃないですか。
言いますね。
この今世ではとかね。
確かに。
人生何回目だって。
そういうのって、
割とポジティブなイメージ。
であると思うんだけど、
当時のインドは、
生まれ変わりっていうのは、
結局苦しみの連鎖っていうイメージだった。
要は今生きてるこのこと自体も、
なかなか苦しくてしんどくって、
本当に嫌なことばっかりがある、
しんどい苦しい世の中で生きていて、
かつ最終的に、
死っていう、
死ぬものが待っていて、
死ななきゃいけないっていうので、
リンネの違う言い方が、
再死って言うんですよ。
再び死ぬ。
死に続ける感じですね。
そうそうそう。
地獄に生き続けるって結構嫌じゃないですか。
嫌っすね。
怖いっすね。
だから、
当時のインドでは、
リンネっていうのは、
死に続けるっていう、
苦しみの連続なんだって捉えられてたんだよね。
だから、
その苦しみの連鎖から、
再死の連鎖から、
なんとか抜け出したいと。
抜け出すことも下脱ですよね。
下脱って言ったのよ。
なんかね、
最後になるやつっていう。
でもあれですよね、
今ちょっとすみません、
おるけど、
意外してますね。
下脱。
下脱りまくってますね。
あれやね、
環境変えるとかを飛び込んでやるかもね。
苦しみループから抜けるのが下脱ってことですよね。
究極、
リンネしない存在になるっていうのが目標だったのよ。
中にいない。
リンネの輪っかから完全に抜け出すっていう。
それを目指すのが、
当時のインドの出家者とか、
お釈迦様以前の、
いろんな修行僧が目指してた、
下脱だったんだよね。
そっか、変わってるんですね、下脱の概念も。
下脱をするために、
何をしなきゃいけないかっていうときに、
二の一番が、
自分を見つめるっていうこと。
じゃあまず、
一番大前提のスタートなんですね。
そうそう。
さっきの質問に戻ると、
自分を見つめるってところが、
スタート地点でもあるので、
自分とは何かとか、
自分らしさのもっと原点というか、
逃げずに自分自身を見る、
みたいなところが最初であり、
最後であるというか。
常にそれが重要みたいなのは、
物道ではあるよね。
スタートなんだ。
聞くと、自分の感覚でいくとですけど、
確かに得意なのかな、
自分は何を活かしていければいいのかな、
常々考えたりする中で、
その時の時点で、
みたいな感覚があるんですよね。
10年前も一応考えてた、
自分のその時の答えがあって、
その5年後、
今は多分ちょっとずつ変わっていってるんですけど、
今まで自分を見つめないといけないっていうのは、
そういう感覚があるから、
ちょっと分かる気がするっていうか、
死ぬ時もまた今の感じ変わってんだろうな、
みたいな。
自分で何なのっていう時に、
僕らはどうしても目が外を向いてるんで、
外との関係の中で、
自分って何が向いてんのとか、
自分ってどこが合うんだろうとか、
そういう方も一つあるんだけど、
今言った仏教でいうとこの自分を見つめるっていうのは、
むしろ内側を向くっていう方向で、
例えば今、
ヌヒマチンラジオで
喋っているこの今この瞬間に、
自分自身が何を感じているのか、
自分自身が何を感じているのか、
自分自身が何を感じているのか、
どう自分が揺らいだり、
うごめいているのか、
みたいなところを見るっていう方が、
仏教でいう自分を見つめるっていう
ところの方向性かな。
感じるみたいなのに近いですね、
感覚で言うと、
自分の感覚で言うと。
感じるとか、
だから環境とか、
今置かれている場所において、
自分自身っていろいろ変化するじゃないですか。
してますね。
それを環境の方を見るわけじゃなくて、
こういう環境の中で、
自分がこんな風に変化している、
うごいているな、
みたいなのを丁寧に見つめる、
みたいな方向性であるっていうのが、
結構仏教の大きな特徴だなって、
今思った。
その感覚で言うと、
毎回毎回そういう状態にはならないけど、
丁寧にすくい上げるっていうのは、
やることがあるけど、
やっぱり良かったなっていつも思う気がするんですよ。
そういうことをする、
そういう行為をしたときっていうのは。
ファスティングとかしてるもんね。
そうね、ファスティングしたときとか。
でも常々思うのは思うんですけど、
普通に生きてて、
今気持ちいい風が吹いてるな、
気持ち悪い風が吹いてるな、
気持ち悪い風が吹いてるな、
気持ち悪い風が吹いてるな、
今気持ちいい風が吹いてるな、
何でだろうとか、
昨日とかすごい良かったんですけど、
夏が来たって気がしたんですよ。
それは、
何で夏が来たかっていうのを感じたかというと、
まず気温だったんですけど、
すごいあったかい気温になってきてて、
日差しもなんか、
日差しの感じ。
僕なんかほら、写真とか撮ったりすると、
映像とか撮るから、
光の感じとかすごい気にして
いつも見てるんですけど、
自分らしさの探求
夏っぽくなってきたなとかあるんですよね。
風が吹いてて、ちょうどいい
生ぬるいのがふわっと吹く感じが
夏を思い出すなみたいな感覚になったんですけど、
夏を思い出すなみたいな感覚になったんですけど、
その感じたものによって、
夏が始まったなって気づいたよねっていう
夏が始まったなって気づいたよねっていう
感じだったんですよ。
だから、
感じたっていうのを
ちゃんと救ったっていうことなんですけど、
夏だなっていうところに
パッて出てきてるんだけど、
夏だなって思う前に
一体何があったから夏だなって思ったんだろう
みたいな感覚だったっていうか。
自分の感じ方を感じてるみたいな感じですか?
そうっすかね。
多分。
それを思い出しましたね。
今話を聞いて。
そういうのをずっとしてれば、
いいのかわからないですけど、
自分を感じるというか。
ピーターが言った
瞬間瞬間の
風とか
空気感とかを
感じて
自分がこう
揺らされてる自分自身みたいな
感じてる瞬間って
めっちゃ生きてるというか
しますね。
何かに
合わせてるわけでもないし、
揺らいでる自分を
蓋してるわけじゃないし、
発露したそのまんまが
出てきていて、
それの中に
自分の存在が
あるっていう
確かにそんな感じですね。
めっちゃ生きてるというか
存在が
ちゃんとその人の存在として
発露できてるなって思う。
存在の発露。
それこそ
組織とかにいると
自分自身の
出てきてる何かが
必ず
チームの在り方に
合わせなきゃいけなかったりとか
それこそ
すごく厳しい
組織とかにいると
そんなところで笑うなみたいなことも
言われたりすると
すごく
自分の在り方自体に
蓋を
し続けたりとか
今のね
僕らの頃の学校教育とか
この時はこういう風にしろみたいな
具体教育ベースにしてるから
そうすると
何かに合わせて
存在を
足したり歪めなきゃいけない瞬間って
生きてないなと思うんだよね。
確かにそうですよね。
今おっしゃったみたいな話で
すごい感じたことが
今まであって
何笑ってんのとか
何でそんな派手な靴下
履いてんのとか言われた
覚えてる話ねこれね
俺靴下がすごい好きだったから
靴下を色んなカラフルな靴下
子供の頃から履いてたんだけど
こういうとこでは
そういうのダメだから
みたいな人がいて
みんなの代表で着てるんだから
こういうの着たらダメだよ
うっせーなこいつと思って
知らんよみたいな
個人の集合が団体であって
俺の考えですけどね
多様性っていうか
色んな人がいて団体なんじゃねーの
みたいな気持ちだったから
その人の考え方は
一塊の同じことをする
一枚岩みたいな感じが
団体とか軍隊なんでしょうけど
考え方が全然違うなーと思って
すごい嫌な気持ちになったとかあって
そういうのを思い出しましたけど
今のフリでさ靴下
言われて嫌だったが出るっていうのは
めっちゃおもろいね
靴下が
靴下言うやついるんだとも思いましたし
ファッション結構好きだから
流行りの格好してるとか
そういうことじゃなくて
変な感じにしてるのがあるわけですよ
とんでもない変な色の服着てたりとか
変な感じにしてたりとか
自分がただ好きなのをしてるだけ
自分の気分で格好変えてるだけなんですけど
だから他の人と全然違うんで
パッと見がいきなり
なんかイラつくんでしょうねそういう人から見たら
なんこいつみたいな
俺はすごい静やなんですけど
それが出てくるってことは
よっぽど嫌だったんだよね
否定してきてるじゃないですか
俺がこの気分で
この靴下を選ぶっていう
例えばことがあって
今日の俺の気分がそこに反映されてるわけですよ
靴下とかに
明るい気持ちだから
明るめのソックス履くかみたいな
それに合わせてこういう服でも着るかとか
あるとするじゃないですか
それをダメとか言うから
俺の生き方とか
あなたに何か言われる必要ないんじゃないですか
みたいな気持ちになるわけですよ
なるほどそういうプロセスだね
何でもいいっていうか別に良くないみたいな
やっぱり今聞いてて思ったのは
人の服装とかもそうだし
やってることとかもそうなんだけど
なんかもっと大切に
扱わなきゃいけないなって思った
そういうことですよね
確かに
それなりに理由があるんですよ
きっとね
もちろん多くの場合
ない可能性が高いこともありますけど
あるかもしれないなって思って
それを鼻からね
TPOに合ってないじゃないかと
言うんじゃなくって
違うからこそ
何かそこに
その人の思いとか
その人自身が
ワーッと出てきてる
発露してる
その人自身の何か
大切な何か
なんじゃないかなって
みりおりすると
世の中がもうちょっとだけ
面白いかもしれないな
面白がれそうですね
多様性と自己表現
自分にならない感覚を大事にして
明日も違う自分に出会いましょう
あなたの何気ない日常が
少しでも豊かな時間になりますように
次回もぜひ
私たちの暇つぶしにお付き合いください
ぜひ番組のフォローをよろしくお願いします
また感想は
Xでハッシュタグ
ひまじんラジオで感想をお寄せください
それではまた会う日まで
次回に続きます
34:13

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