1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
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2023-01-18 31:09

#77 神話から哲学へ。ウパニシャッドで語られた古代インドの世界観

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。


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(音楽)
はい、スレ鉄ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
前回からインド哲学編ということで、まずは哲学がどこで生まれたのかとか、哲学には大きな3つの流れがあるのではないかみたいな話を聞いてきたんですけれども、
その中でインド哲学のちょっと神話とか、そういう昔の話というのを踏まえつつ、今回はもうちょっと具体的な、より哲学に近い話になっていくのかなというところでした。
はい、そうですね。前回は本当に神様がみたいな話だったんですけれども、今回からですね、前回もちょっと触れたんですけど、
ウパニシャットっていう、実際にこれまでリグベイダー、リグベイダーの一部ではあるんだけれども、もう少し抽象度が高いとか、
もう究極のものを目指すみたいな話が盛り込まれているものがあって、そこでですね、結構、
それこそ仏教でも出てくるようなゲザスとかリンネとか、あとはインド哲学とか思想ですごい重要なブラフマンとかアートマンという概念が結構出てくるんですよ。
そうなの。
そういうのをちょっと拾いながら、インド哲学ってどういうものあったんだっけっていうのをちょっと今回と次回分ぐらいでいろいろお話ししていきたいなというふうに思っておりますと。
了解。楽しみだね。なんかそう、もうこの辺まで来るとね、ウパニシャットとかさ、ブラフマン、アートマンっていうのは多分ね、なんとなくやっぱ聞いたことあるような言葉になってくるから。
はいはいはい。
でもやっぱ全然ね、内容は知らないので。
そうだよね。
そういう意味で楽しみだね。
うん。それが何なのかみたいな話なんですけど、一応時代の流れ的に言うと、そのリクペラが起源前、それこそ1000年とか1200年って本当に超昔だったところから、大体起源前600年なのでそれでも600年が経ってるんですけど、
そこから少しずつ究極のものとか根源みたいな、そういうものを目指す思想っていうのが生まれてきたっていうふうに言われていますと。
あとは前回お伝えしたみたいに、いろんな神様がいるんじゃなくって、その神様の神様はなんだとか、神様を生み出したものってあるのかないのかとか。
前回の話だよね。
あ、そうそうそうそう。
もっと強いものというかね、どんどん。
俺が考えた。
そうそう、最強の神様みたいな。
のが出てきますと。
はいはいはい。
で、ちょっとそのブラッフマンとかの話をする前に、やっぱりもうちょっとそういった思想が出てくる背景というのをもう少しだけ続けたいんだけれども、
やっぱりその根底にはですね、なんか結構その、いわゆる死を逃れたい、やっぱり人生に限りがあるっていうのを、なんとか乗り越えようみたいな願望があったんじゃないか。
03:06
あるいはそういう風なのが見えるよねっていう風に言われますと。
はいはいはい。
で、そこから今の僕らでもある種なじみが深い、その輪廻とか下脱みたいな。
そういう人が当時、2600年前とかから生まれてきてたみたいに言われてるんですけど。
へー、なるほど。
で、結構これ僕も読んでてあらためて興味深いなって思ったんですけど、最初からいわゆる不老不死とか、永遠の命みたいな、そういうのを求めたわけじゃないっていう風に言われてるんですよね。
そうなんだね。そっかそっか、さっきの死を逃れたいっていうところのイメージとなんか不老不死みたいに繋がっちゃいそうだけど、必ずしも違うんだ。
うん。やっぱり不老不死っていうのもかなり抽象度の高い概念だから。
はーはーはー、そっか。
永遠とかさ、そうそう。
あー、なるほど。面白いね。そっかそっか、死を逃れたいイコールじゃなくて、そのもう階段何個か登った先の概念なんだ。不老不死っていうの。
そうそうそう。
永遠みたいなのって。
まさにまさに。で、どういう階段があるかっていうと、やっぱりまあ、普通に素朴に生きてたら、やっぱ明らかにこの今の現実世界っていうのがやっぱり幸福とか喜びっていうのがやっぱり関心ごとにはなるんだよね。
そうだね、腹減りたくないしいいみたいにね。
そうそうそうそう。ただ病気やりたくないしみたいな。だからこそ、いわゆるその、死を逃れるっていうのはいわゆる長寿。なんか寿命がちゃんと長くなるとか、病気とか怪我をしないみたいなものが目的になってましたと。
はいはいはい。
で、一応その死後の世界みたいなのはあったんだけれども、なんかそれも結局普遍の、いわゆる仏教とか涅槃みたいな感じで、なんか穏やかな静かな永遠の世界っていうよりは、なんかそのリグベーダの神々がいて、その人たちと一緒になんか飲んだり食べたりして楽しく暮らすみたいな。
要は今の暮らしが死んだ後も楽しく続くよねみたいな。そういうものがある種理想というか、あったらいいよねみたいな世界観なんですよね、まだまだ。
かつそれを確かのものにする。要は死んだ後のことはわかんないけど、まあいけるよねっていうのを確かのものにするために、その儀礼とか、いわゆる祭祀というか、そういうお葬式みたいなのがあって、それを行うバラモンっていうのはやっぱり特権というか、やっぱりバラモンさんの言うこと聞いとこうみたいな、お坊さんの言うこと聞いとこうみたいな、やっぱりそういう共同体っていうのが生まれてきてたよねっていうのがありますと。
なるほどなるほど。
だから逆に言うと、いわゆる生きてるのってめっちゃ辛いよねとか、死の苦しみ、何度か逃れようみたいな感じっていうのはまだそんなに出てきてない時代なんですよね、このリグベイの時代っていうのは。
06:06
はいはい、そこはあまり言及されてないみたいな感じなんだ。厳世辛いよねみたいな話よりは、もうちょっとその先みたいな素朴な死から逃れたいだったりとか、まあ死んだら大体そんな神様が言うところに行くよねぐらいの、まだまだこう、自分たちの生きてるこの厳世からの延長線上みたいな話で、理想みたいなものがまだ作られてないって感じか。
その通りその通り。いわゆる西洋的なさ、理想の世界が向こう側にあって、これは仮の世界だとか、映し身だみたいなことではなく、あくまでやっぱり今のこの現実の生、生きてる自分をどうするかみたいな感じだったんだけれども、
はいはい。
徐々に徐々に時代が下っていくに従って、こういうのが疑われ始めていくとか、満足しかなくなっていくんですよ。
満足しかなくなるってのはちょっと、そうはね納得性が高いね。なるほど。
そう、そう、そう。たぶんね、考えちゃう人がいたんだろうね、そういう風に。例えば、じゃあ、来世があると、この自分の人生っていうのは、死んだ後も続いていくんだけれども、
それが永遠に続くかどうかわかんないとか、じゃあ来世で生まれました、でも来世ではまた死ぬじゃん。
さらにじゃあまた来世で生まれていくとした時に、そこにどんな意味があるんだみたいな、こう脅迫観念というか、やっぱり思いというのがじわじわじわじわ出てきます。
なるほどね、さっきの、不老長寿とか永遠みたいな感じで、ちょっとずつ階段を上っている感じなんだね。
一つの問題が解決というか浸透していた時に、次、じゃあどうなるみたいなのが、やっぱりそこは無限なんだね。
やっぱり新しいコンセプトというか、そういう問いが生まれてきて、それってなんだっけみたいなのがどんどんどんどん繰り返されていく。
ここにやっぱりすごく面白みというか思想とか哲学が発展してきたんだなっていう感じが受けるんですけど、
だからさっき言ったみたいに、じゃあ次の人生に関しては、目の前のバラモンさんがこうやって保証してくれるかもしれないけど、
さらにその次その次その次ってなった時に、結局今のこの一回の生まれ変わりを保証したことに何の意味があるんだっけみたいな、
もっと根本的に、人生というか、生まれ変わってまた死んで、生まれ変わってまた死んでっていう全部を救ってくれるような考え方とか、
そういう知識とか技術ってないんだっけっていう発想がここに巻いてくるんだよね。
すごいね、なんか、バックトゥーザフューチャーみたいな話かな。
繰り返し繰り返し。
09:01
過去の自分にアクセスするみたいなね。
でも本当そんな感じだよ、根本原因が過去の自分にあるんだったら、それに過去にもどって何回もやり直せばいいじゃんみたいな。
だしね、それやっぱ未来永劫みたいな、そうだよね、時間の捉え方みたいなものはすごいよね。
でもやっぱり、もう3000年近く前、2500から3000年前ぐらいに、その時間の間隔ってものがかなり、
今とは違って1分2分みたいな間隔がないのかもしれないけど、逆にやっぱり過去未来みたいなものの繋がりがすごくリアルだよね。
そうだね、そうだね。だから逆にまさに言ってくれとおりで、いわゆる60進法の時間は便利だけど、やっぱり人間が本来生きる時間とは違うみたいな話もあるから、
そういう人間がちゃんと生きる時間になって考えた時に、やっぱり次次次って人生全般を考えた時の、そこに究極のものとか、繰り返す人生の中での根源みたいな。
まさにそれがバクティーダ・フューチャーの過去みたいな話だよね。根っこでなんだっけみたいなものが重なって見えてくるよっていう。
もちろんね、この単純にとか明確に発達したわけじゃないとは思うんだけど、そういうふうに見ることもできますよって話ですね。
なるほどね。その後の正解があるというのをわかっているうちやから見るとってことだね、定義するとみたいな話だよね。
別にそれが発展という捉え方自体もどうなんていうのはもちろんあったりするから、そこは方便というか言い方なんですけど。
こういったような思考、プロセスの結果を与える思想とか哲学っていうのがパニシャットにいろいろ残っていて、
実はここにさっき下達とか輪廻って話したじゃないですか、もう一個キーワード出てくるのが、語とかカルマ。
へー、そういうのももう入ってるんだ、このウファニーシャット哲学の中に。
そうそうそう、そういう考え方が生まれてきてるっていう話があって、
どういうことかっていうと、例えば単純に生まれ変わるみたいな話だったら、日常的な、いわゆる英語を書いてない自分の人生が永遠に続けてなっちゃうじゃないですか。
そうじゃなくて、いわゆるその時々に人間だったけど神になったりとか、動物になるみたいなことが起こりうる世界観だったとすると、
これはなんで起きるんだっけみたいなことがやっぱり行為として出てくるんだよね。
なるほど、その根本原因みたいな話だもんね。
そう、例えば今は人間だけど次は灰になるとしたら、その灰になるっていうのはどんな力が働いてるんだっけっていうと、
結局はそれって次の人生とか来世に対する、今世、今世ってあんま言葉耳慣れないかもしれないですけど、
12:09
そういう言葉あるの?今世、今のね。
来世、今世、過去世っていうのが一番あって、
過去世もあるんだ、へー。
だから今世の、前世か、過去世とか前世ね、のいわゆる行いの結果だよみたいな、
それがカルマとして蓄積されていって、次の人生とか、灰としての人生で出てくるんだよみたいな、
そういう、ここに因果横行とかカルマみたいなものが発想として出てきますと。
わー、なるほど。
そう、で、面白いのは、ギリシャ人とかだったら、いわゆる神との契約みたいな感じで、
なんかちょっと罪だよね、そういうギリシャ教的な。
そういったものをみんなが持ってるからっていう風に言うんだけど、
あくまでもインドの思想で言うと、自分自身にどんな力が与えているかっていうものを考えるんだよね。
そうだね、自分の今世での自分の貯めたポイントだよね。
そのポイントを、たぶん人間だと500ポイント、蟹だと3ポイントみたいなのもいろいろあるんだろうね。
得ポイントみたいなのもあって、得ポがたまると、自分がランクアップするとかしないとかもそんな感覚なのかもしれないけど。
面白いのは、やっぱりそれが、数値化されているようでされてないというか、
一応良いことというか、純粋なこととか、気高いことをすると良くなるし、悪いこと、横島なこととか、悲惨なこと、人を傷つけるとかすると悪くなるよみたいなことはあるんだけど、
でもさ、やっぱり人間の世の中が面白いのは、めちゃめちゃ悪い人でも、気づかれなかったら罰されずにそのままやり過ごすこともあるし、
あんなに良いことをしている人なのに報われないみたいな人がいるわけじゃない。
なるほど。
それは現実世界として。
じゃあなんでよってなった時に、それは来世で罰せられるんだっていうとか、報われるんだって考え方も出てくるんだよね。
なるほど。裏で悪いことしてるとか、裏で良いことしてるとかじゃなくてね。
そうそうそうそう。
だからもし今めちゃくちゃ良いことやってる人が不幸だとしたら、きっと前世でめちゃくちゃ悪いことしてて、その償いがこの人生なんだよねとかっていう発想もここから出てきますと。
すんげえ納得させられちゃうね、それ。
そうよね。みたいなところから、いわゆる道徳とか社会的な思想が社会に定着していく土壌ってのが出来てくるんだよね。
15:05
なるほど。そうね、いろんなものもそうだね。人間の価値観だったりとか、そういう今後話あると思うけど、身分みたいな、階層みたいなものも、そういうのですごく納得、自分自身も納得しちゃいそうだもんね。
そうそうそう。やっぱり結構これって僕らのさ、いわゆるなんとなく仏教っぽい世界観に座った僕らの価値観にやっぱり近いっていうか、やっぱり馴染んでるところもあって、
今はさ、虫とかもさ、おばあちゃん世代だと、その虫はもしかしたらご先祖様かもしれないから、殺しちゃダメだよみたいな話とか、そんなことしてたら、次は動物になっちゃうかもよみたいな、そういうのってやっぱあるじゃない?
そうね、全然馴染むもんね。
そうそうそう。そういうのは本当にこのぐらいの時代から、明確に受け継がれてるものだよねっていうのもあるし、今その人間の観念から見たけど、これって他のものにも適用されるから、例えば神様とかも、今は神様なんだけど、次の世代では違うかもしれないよねっていう考え方もここから出てきちゃうんですよ。
はぁー、そこすごいよなぁー、神様は特別じゃないんだもんね。面白いね。
やっぱりこれがね、前回言った神も人もそんなに別れてないというか、パキッと区別されてないからこそ、これまではやっぱりあるし人間を超えた存在だったら神様っていうのも、いわゆる人間と動物とそんなに変わらんっていうか、大きいくくりだが一緒だよねみたいな思想っていうのも出てきます。
すごいね、神様は永遠じゃないんだね、同じなんだね。神様も神様の根性を生きているだけみたいな話なんだね。
うん、まさにそういう感じ。もしかしたら次は人間とか動物になるかもしれないしとか、神様が悪いことをしたら神様ではいられなくなるかもしれない。
そういう意味で言うと、いわゆる輪廻っていうのは、そういったような生の循環、それがやっぱり苦しいものというか、なんとか乗り越えなきゃいけないものみたいな発想っていうのはここまで出てきて、それがイコール下達。
うんうんうん、うん?
うん?
お?今のはうる?下達にどう繋がるの?
うんうん。だから要は輪廻じゃん。一生生まれては死に、生まれたら死にっていうのを繰り返して、次が神様になるかもしれないけど、虫とか動物になるかもしれない。
で、それがカルマっていう行いの結果によって決まってしまうと。
そうだね。
で、これをどう乗り越えるんだっていう根本とか究極っていうのを考えるときに、この輪廻から抜け出せばいい、要は生まれ直さなきゃいいとか、そういう今の結果、今世の結果から来世の人生始まるっていう、その繋がりを断ち切ればいいっていう考え方が出てきて、それが下達ですと。
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なるほど。そっか、その輪廻っていうその想像した、想像というか、想像って言っちゃうとあれだけど、そういう事実、事実ベースの自分たちは輪廻転生をしているんだってのがあったときに、
それはあれなんだ、どっちかというとネガティブに受け取られたんだ。その不確実性って怖いよねっていう概念があったからこそ、それを乗り越える意味での下達っていう概念、コンセプトが作られた、人々は作っていったんだよっていうイメージなのかな。
まさにそういうイメージ。ちょっとシンプルに言うと、もともとは「現世楽しく生きようね、長寿っていいよね」っていうところから、次の生まれ変わった時も楽しく何か暮らしていきたいよねっていうようなものがあったときに、
それを永遠に繰り返した時に、直したっていうのは永遠には続かない可能性が高いし、未来永劫、その人生を繰り返して怯える。
なるほどね、その可能性に怯えるか、確かに。 いつかは自分の人生が悪いものになるかもしれないという可能性に怯えたとした時に、それをどう乗り越えるかっていうと、生まれ変わらなきゃいいじゃんっていう。
なるほど、さらにその外に世界をイメージしたんだね、下脱で。 そうそうそう。
それもオーパニーシャットの中に含まれてるんだ、この場合の中でね。 含まれてる、こういう思想の根っこがやっぱり踏まれてるっていうふうに言われていて、
ここがさっき言った、自分自身の力で自分の人生はなんとかできるっていう、それこそ仏教的な思想にも繋がってるんだよね。
うんうん、そのあれだもんね、カルマポイントどんだけ貯めるかっていうのは自分の行いの結果、人からどうされるとかじゃないもんね。
そうそうそう。だから神様に救ってもらおうとか、超越者に何か世界を良くしてもらおうみたいな、救世主みたいな発想っていうのなくて。
なるほど、そっか、そうだね。同じだもんね、人とあんま別れてない、神様は神様で、今世頑張ってカルマ貯めてるんだって考えると、神様は神、自分は自分みたいなね。なんだそれ、面白いね。
面白いでしょ。だから仏教になって、即身状態で自分が仏になるっていうのもあるし、仏になった人が主上を導くからその人にすがるっていう発想出てくるんだけど、でもあくまでもその仏は神ではないんだよね。
うんうんうん、なるほど。すごいね、なんか最初、ほら前仏教で、最初は上座部仏教で自分が悟ればいいみたいな、物に対するその乗り越えとしてナーガール・ジュナが大丈夫って言う、みんな悟れるよみたいなイメージがあったけど、
21:20
そっか、この流れとたどると、上座部仏教に、今のうちらからさ、見た時の上座部仏教の身勝手さというかさ、自己中心的な感覚っていうのが意外とそうでもない、すごく自然な感覚だったんだなっていうのが、これでちょっと見えてきた感じがして面白い。そこが繋がった。
繋がった?
うん、その流れが。自然だね。
そう、だからね、それが面白いんだよ。前回もやっぱり僕がインド哲学を知りたいと思ったのは、なんでゴータマ・シッタールタが新しい宗教を起こさなきゃいけなかったのかみたいなところの興味の話だったんだけど、やっぱりこういうインド哲学的な修行をしたとか苦行をして、自分が下脱をするとか、
カルマを減らしに減らして、リンネを断ち切るみたいな発想があった時に、いや無理じゃろって思うわけよね。
身体を痛めつけてとか、お日様にさ、身体を焼いてさ、
そうだよね。
何やってんのって、うーん。
まだ聞いてない方は是非仏教から聞いていただいたら絶対面白いんで、仏陀の方から聞いていただきたいんですけど、そういう苦行をしてもダメだった仏陀が瞑想をして悟ったのが、まさに仏教なんだけど、
それっていうのは結局そういった、自分っていうのが仏になれるっていう、その仏っていうものがこういった下脱とかリンネから越えた世界になる自分なんだっていうところ。
まだはいはいとは言えねえな。さっきの定座仏教の自然さは感じたけど、はいとが最初言ったバラモン教を乗り越えた意味での仏教っていうのは今繋がってないからね、そこがどう繋がっていくのかっていうのは楽しみだね。
そうだよね。でもそういった感じでやっぱり思想は繋がっているし、全く新しい思想がポンと生まれることはないんだよね、多分。
なのでこういったリンネ、カルマ、下脱みたいな、長い時にはカルマ、リンネ、下脱があって、結果としてリンネが起きて、永遠に人生と繋がるってところから抜け出すための下脱っていうのが求められるみたいな、そういう3ステップが生まれてきますと。
ここまでは構造の話なんだけど、人はその、来世で生まれ変わるじゃない。
うんうん、じゃない。今ちょっとインド哲学モードで話してるんですけど。
24:01
今ちょっと、そうだね、今完全にリンネ、アルジャンの人になってたね。
そうだね、ウパニーサット側の人だったね。
うん、セイオンの時もあったよね。
神が救ってくれるんじゃないっていう。
現在ってあるじゃないみたいなね。
でもあれだよね、やっぱり憑依しないといけないからね。
そうだね、そうだね、やっぱりそういう思考の設置で話してる。
別に僕自身は、来世があるとも思ってないし、メシアって言ったら救世主が救ってくれるとも根拠信じるわけじゃないんだけど、どうしても言っちゃうよね。
今はね、脳の回路をそこを繋いでますって話はね。
そう、もし来世があるっていうのを信じた時に、来世があるとしたとして、それがどういう風に行われるのかとか。
さっき言ったカルマみたいなポイントがあった時に、それもあるかどうかわからないからあったとした時に、
そういった善とか悪みたいなポイントってどうやって来世に引き継がれるのみたいな話とか。
あとは神様が支えて人間と同じみたいな感じで超越したものじゃなくなっちゃったじゃない。
結局究極のものとか根本原理みたいなのってあるのないのみたいな。
あるとしたら、じゃあそんな中で宇宙ってどうやってできたのみたいな、そういう謎がどんどん出てきちゃったわけよ。
確かに、下達っていう概念まで至っちゃうとそうだよね。
うん。
なんかわかる気がする。
そうそうそう。それまで信じてたリグプレイダー的な素朴な神話で満足できなくなっちゃうんだよね、それこそ。世界の説明ができなくなっちゃう。
そうだね、その人たちは外に行ったもんね。
確かに、そう。完全にね。
で、実はその答えとして取り付いたのが、まさに冒頭言ったブラッフマンとかアートマンみたいな話で。
ここで、はいはいはい。
そう。で、これはブラッフマンっていうのは宇宙の根本原理だって言われていて、アートマンっていうのは個別存在の本体だって言われていて、ブラッフマンがボンでアートマンがガなんですよ、あの漢字で言うと。
はいはい、へー。
だから、それがブラッフマンとアートマンが実は一つだっていうのが、ボンガ一如っていう話なんですよね。
うんうん、なんか言葉だけは、うんうん。
聞いたことあると思うけど。
あるある。
そう。なんで次回、ちょっと今回さらっと言ったんですけど、次回、ボンガ一如ってどういうことなのっていうのを、ぜひお話させていただいて、よりですね、このインドツアークの思想とかっていうのをさらに深めていきたいなと。
それが面白さっていうのを感じていただきたいなというふうに思っております。
27:01
はいはい、わー面白いね。
やっぱ、ない思想だから面白いじゃない?なんか普段考えないじゃん、こんなこと。
そうだねー、私やっぱさっきも言ったけど、自分たちのさ、リーネ転生みたいな概念って結構自然な感覚としてやっぱり、あるっちゃある。
むしろ前のニーチェの永遠語を書いてると、あの無限ループ、人生が同じように繰り返されるのがむしろちょっと分かりづらい部分もあった。
はいはいはい。
来世では馬になりますとかさ、そっちのほうがなじむから。
そうだね。
それの根本みたいな話だから、なんかいいね、自分たちのルーツをたどるみたいな。
そうそうそう。
大きな意味での、すごく面白いと思ったし、なんか一個ね、さっきの話したの反省をちょっと思い出したんだけど。
反省?はいはいはい。
さっきさ、カルマポイントを来世に変換というか交換するときに、人間が100ポイントでハエが3ポイントとか言っちゃったんだけど、そこにちょっとハエに対する申し訳なさを感じてしまって。
なんか人間のほうが優位みたいに思ってるじゃんみたいな。もしかするとほら、人間5ポイント、ハエが500ポイントかもしれないっていう、この可能性を排除しましたっていうことをね、ちょっと今話しながらね、ちょっと反省しちゃったから。
ちょっとこの雑談会とかじゃなくて、今回ちょっとお伝えしとかないとと思って反省してた。
そうだね、ハエが聞いたら申し訳ないからね。
そうそう。いや違う、別に聞いてないけど。
違う、そういうことじゃない。
そういうことじゃないけどね。なんかほら、せっかくこの哲学ラジオみたいなのやっててさ、そうでもあるしそうでもないみたいな話してるのに、
人間は100でハエは5なんだって言い切ったことに対する申し訳なさを感じてたから、そこは今日はちょっと今回、雑談の前に提前させていただきます。
いや、いいですね、すごい。ありがとうございます。僕もちょっとそこはスルッと流してしまったし、あいつはやっぱりね、その後の思想的にもあるんですよ、どうしても畜生みたいな感じで。
そうなんだね。
いわゆる動物っていうのは穢れたものとか、やっぱり人っていうのは穢れた存在なんだけど、いわゆる仏になり得る仏心を持つことができるっていう意味では、仏の世界に近い、救うの存在なんだみたいな思想っていうのは普通にあるんですよね。
ただやっぱり兄貴が言ってくれた通り、人間が上みたいなのは、たぶんブッダとかはないじゃない、やっぱり鉄格納様のブッダとかでもさ、やっぱりいろんな動物に囲まれたブッダの支援とかあった気がするんだけど、やっぱりそういう動物というかあらゆる存在がやっぱり、
そうね、それ次で言うんだけど、あらゆる存在が一つなんだよね。やばいこと言ってるんだけど。
なるほどね。畜生みたいなのは、そことちょっと離れちゃう概念みたいな話ね。ちょっと先取りしてるけど。
区別しちゃったら。そうなんですよ。今、そこらへんに兄貴はいいこと言ってくれた。
30:04
でも面白いね。はっかり話してもつながったね、なんか。
嬉しい。次回は僕ちょっとやばい人になると思うので、全ては一つだみたいなことを何のためらいもなく言う人になるから、ちょっと自分もちょっと抑えようと思うんですけど、抑えないから兄貴がちょっと抑えてくれたら嬉しいです。
そうだね。一応そのモードだっていう前提の上で、なんかおかしなこと言ってるぞってなったら、切り捨てこうやって伝えていきます。
そうですね。ついにやばい方に足を踏み入れたかとは思わずにですね、引き続き是非バランスを保っていきたいと思いますので、楽しんでいただけたらと思います。
はい、わかりました。じゃあ次回ついにそうだね、ブラウフマン、アートマンの恩返しのことは何かというところを見ていきたいと思いますので、引き続きよろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。今回もありがとうございます。
はい、ありがとうございました。
はい、ありがとうございました。
はい、ありがとうございました。
♪~
31:09

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