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2023-06-02 13:56

「大御所芸人への提言」について

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「大御所芸人への提言」について
人と人との理解不足の問題
今は、田川市がねパレットから福岡市の自宅の方に車を走らせております。
時刻は今22時27分でございます。夜ですね。
夕方1本撮って、今日往復してるので夜も1本撮ってるって感じでございます。
前回というかさっき撮ったというか、1本前のやつで喋ったんですけども、5月はとても忙しかったですと。
HIGUCHI家実家片付けプロジェクトっていうのをやりました。5月で。
これは、愛の楽曲工房の方でたっぷり3時間半ぐらい喋ってるので、詳しくはそっちで聞いてもらいたいんですけども。
その予告編がてらちょっと言わせてもらいますと、結局僕の大きなテーマっていうのが、人と人とは分かり合えないけどずっと分かり合う努力をするっていうことの大事さみたいなものが、ずっと通定したテーマだったなっていうのがありましたね。
今回の片付けプロジェクトでいうと、子供2人、僕と太陽に対して、親ですよね、両親の物事の捉え方っていうのが、同じものを見て同じ風に経験しているのに全然捉え方が違うみたいなことがずっと起こっていて。
で、相手が分かってないっていうことをこっちは知らないみたいな、気づいてない。
で、相手は分かっていると思っているみたいな状況だったりとか、あとは、相手が分からない理由が分からないみたいな。
だから相手が分かってないと思っていて、なぜ分からないのかが分からないみたいなことですよね。
とか、分からないことに対して意気通りを感じるみたいなことが、ずっと起こっているなっていう感覚があるんですよね。
で、片付けプロジェクトもありましたけど、本当に似たようなことが世界中の至るところで起きているなっていうのを、改めて感じたんですよね、その体験を通して。
例えば会社でもそうですし、起こってますよね。人間と人間が何かをする限りずっと起こり続けているなっていう感覚があるんですよね。
若手芸人と大御所芸人の対立
最近で言うとね、若手のお笑い芸人が大御所のお笑い芸人に対して提言するみたいな、若手つっても若くはないんですけど中堅。
元々同じ会社だった中堅の芸人が、超大御所のトップとも言ってもいいでしょうね、天下を取ったと言っても過言じゃない大御所に対して苦言をテースみたいなYouTube動画が話題になってますよね。
今、もうちょっとタイムリーなんですけど。それとかもう本当にそういうことが僕から見ると起きてるなと思っているんですよ。
いろんな理由がありますよ。大体わかると思うんでもあえて名前は出さないですけど。
その中堅の芸人が言うには、その大御所が権力を持ちすぎてるみたいな話なんですよね。
大御所の芸人は、漫才、コント、大喜利、漫談等々、すべての大御笑いのジャンルの中で審査員やったり、チェアマンみたいな重要なポジションについていることによって、
権力を牛耳っていて、すべての大笑いの価値観の基準を作っていると。
もうそろそろ辞めてもらえないですかみたいな話をその芸人はしてるわけですよね。
でも、僕は大御所のラジオをずっと聞いていたりとか、他のいろんなことを考えながらこの状態を見る限り、
大御所の方は権力が欲しいからそういう行動をとっているのかどうか、果たしてそうかなとまず見えているわけですよ。
これ僕一言で言うなら、権力と捉えているか権威と捉えているかの違いだと思っているんですよね。
その中堅の方は、大御所がいろんな番組に審査員やチェアマンとして出ているっていうことを権力が欲しいから、権力を手に入れたいからやっているっていう感覚だと思うんですけども、
権威とプレイヤーのバランス
僕から見ると権威があるからそうせざるを得ないし、結果的に権威があるからとても重要な大会になっているだけだと思っているんですね。
具体的に言うと、例えば漫才の大会っていうことで言うと、1年間を通していろんな番組いろんな場所で漫才の大会ってあっているわけですよね。
コンテスト形式のやつってあっているわけです。
でも、その中で権威となる人が出ることによって、その大会が日本一の漫才史を決める大会っていうことになるわけですよね。
言えるようになるというか、そういうふうに。
コント番組もそうで、おそらくコントのコンテストとかってあっていると思うんですね。
番組内で1位を決めるみたいなことって多分やってると思うんですけど、
その権威が関わっているからその大会が日本一になっていて、その権威がいるから全国から応募者が集まる、何千組も応募者が集まるということになっているんじゃないかなと思っていて、
これは僕は因果が逆なんじゃないかなと思っているんですよね。
応募者側もやりたくてやっているかというと、僕はもしかしたら必ずしもそうじゃないんじゃないかと思っていて、
権力を持ちたいからやっているわけじゃなくて、日本一の大会があった方が世の中にチャンスが増えるってなったときに、
今までは漫才しかなかった。でも今年はそれ不利だよねってなったときに、じゃあコントでも同じようにチャンスを与えようかと。
今まで漫才をずっとやってない芸人とかもいるわけですよね。
例えばロバートさんとかって漫才をずっとあんまりやってきてないけどコントは抜群に面白いわけですよ。
そういう芸人ってコンテストがないからコントのチャンスがないじゃないかみたいなところで、
じゃあコントも同じようにやりましょうってなったときに、やっぱり権威が必要なわけですよね。
ってなるともう一人しかいないでしょってなるっていうことだと思うんですよね。
じゃあその大喜励の大会やりますってなったときに、まあじゃあ出るしかないでしょってなると思うんですよ。
おそらくその応募者の芸人も権威化するっていうことに対して必ずしも手放しで喜んでいるわけではないと思っていて、
逆になんか権威化してしまうとプレイヤーとしての価値って若干落ちてしまう部分があると思うんですよ。
要は現場から逃げて達人は保護されているじゃないですけど、バキの渋川豪輝の話じゃないですけど、
達人になって戦わなくなったら本当にあの人は達人なのかみたいなところで、
権威になりすぎると逆にその権威の力が落ちていくみたいなことってあると思っていて、
とかなったときに多分プレイヤーでい続けるみたいなことも重要だとおそらく考えているからこそ、
例えばマンダンの番組に出たときに自分もプレイヤーとして喋るし、
大喜励の番組のチャーマンとして出たときに自分の答えも発表するし、
大御所芸人への提言の個人的な動機性
みたいなことをやっているんじゃないかなと思うんですよね。
さすがにコントとか漫才はコンビでやらないとできないからやらないですけど、
とかを考えるんですよね。
だからもう一回言うと、僕から見たのもとてもバイアスがかかっているかもしれないし、
色眼鏡かもしれないし、真実かどうかわからないかもしれないし、
本当はものすごく大御所の方も権力が欲しくてやっているかもしれないんですけど、
僕が言っていることが正しいかもしれないし、中堅の芸人が言っていることが正しいかもしれないし、
中堅の芸人が言っていることって、日本のお笑い界をもうちょっと正しくあるべき姿にするために
そうしてくださいよって言ってるけど、正しくあるべき姿にしたいっていうのが誰の利益になるのかというと、
その人本人の利益になるから、自分の都合がいい世界を作るためにやっているだけかもしれないし、
もしかしたら単純に恨みのようなものがあるかもしれないし、逆に恨みではなくて、
好きすぎて振り向いてくれないことに対する振り向いてよっていういじけみたいなことかもしれないし、
っていうのはわからないわけじゃないですか。
これ本人すら気づいていないことがあるかもしれないですよね。
本人はただただ正義感でやっているだけかもしれないんだけど、
そこのずっとずっと掘り下げていくと根底にあるものはとても個人的な感情かもしれないみたいなところがありますよね。
これは大きい話でいうとそれもありますけど、こういうことで例えばビジネスをしている人もいるかもしれないし、
中堅芸人の発言の影響力と結果的なバランス取り
プロダクトを作るときにそういうのがモチベーションになっているかもしれないですよね。
じゃあそれが一概に悪いことと言えるかというと、多分そういうことでもないような気がするんですよね。
とても自分のために都合がいいふうにやりたいからといってめちゃくちゃ頑張るみたいなことで、
誰かしらに何かいいものを与えることもあるわけじゃないですか。
じゃあそれはね、果たして悪いことかと言うと別に、結果誰かを幸せにしているという時点で、
とても個人的な理由がモチベーションになっていてもいいわけだから、
じゃあこれを悪いと言っていいかと言うとそうではないみたいなところがあるから、
もしかしたらその中堅芸人の行動がとても個人的な理由であるかもしれないんですが、
じゃあそれが実際バランスを取るために起用するかもしれないわけですよね。
今まで同様に心地悪かった人がこの発言によって何か世界がバランスを取る側に動いて、
じゃあもうちょっとバランスを取るためにいろんな人入れましょうよとか、
一個ぐらい番組外れましょうかみたいなことになって、確かにそうだなってなって、
でその代わりにポストに就く人が出てきて、
それで得する人も出てくるわけじゃないですか。
何かこう一個の価値観から多様な価値観になってそれで何て言うかな、
得するみたいなことが起こるかもしれないから、
何かその動き一個が良いか悪いかみたいなことって、
まあ古典ラジオの受け入れですけども、
何か誰にもジャッジできないよねみたいな感覚がありますよね。
難しいというか、難しいと言えば難しいんですけど、
そもそも答えなんてないから難しいも簡単にもないかもしれないですよね、
このことに関しては。
だから簡単に答えが出るものじゃない、
簡単に答えが出るものじゃない、
分からないままで分からないと思い続けるしかないなって思ってるっていう感覚ですね、僕は。
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