1. 心の砂地#
  2. 第59回『どうしようもない距離..

2024年の週刊文春「1月4・11日新年特大号」に掲載された松本人志さんについての記事に端を発する言論、から考えたことを話しています。

コミュニケーションにおいて「どうしようもないほどの距離」を感じる時。互いに言語を持ち合わせてないこと、「寄り添う橋をかけることも難しい」こと。つまりはメディア・リテラシーについて。

また、後半部分では「自身の『being』部分にどう向かい合えばいいのか」。どのようにすれば、自分の内面を開示するコミュニケーションができるのか、といったことを考えています。


第59回のnoteは⁠⁠⁠こちら!⁠⁠⁠

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00:00
今回は松本人志さんの話をします。
はい。
週刊文春で報道された松本人志さんの性加害についての記事っていうのがありまして、
そこに単を発する、ちょっと考えたことみたいなのを話していくんで、
ただ、テレビとかでも報道されてるんだけど、ちょっときつい話ではあるんで。
それは、内容が聖火害とかに関連する内容だからっていう意味で。
そうそうそう。心理的に負担がかかるかなという。
特にね、ポッドキャストだと入ってきちゃうみたいなところがあるのかなと思うので、
そこがちょっとしんどいかなっていう方は、今回は聞くのをスルーしてもらったらなとは思ってます。
そんな感じで今日も始めていきたいなと思います。
この番組、心の砂地は様々な文化や日常の築きをヒントに考え続けることで、
言葉の記憶装置を目指す教養バラエティ番組です。
私、シャア君です。
はい、そして私は寺田です。よろしくお願いします。
ということで本日も始まります。心の砂地。
君のこと好きだって気付いてた
だけど僕は怖くて言えなかったんだ
春の青さと夏の輝き
君と二人ずっと歩きたいだけ
はい、ということで今日は松本ひとちさんの報道から、
そういう報道の内容がどうのこうのどう思うかっていう感じの話っていうよりは、
いわゆる時事ネタというか、何か大きな報道があったことについて、
いわゆるどう思うかっていうことを、それぞれ人がキャッチアップするし、
考えたり発信したりするっていうことがあると思うんだけど、
そういう何か投げかけというかね、社会から投げかけられた問題があったときに、
どのようにコミュニケーションしていったらいいのかっていうことをね、結構考えてるんだよね。
このニュースが出たときとかも、職場とか何か言い合わせた席とかで、
どう思うって言われたりすることって、内容が今回内容なんであれなんですけど、
あったりすると思うんだよな。
みんなどれぐらい今使ってるかわかんないけど、
SNSとかでね、すごい流れてくる、そういうSNSのタイムラインとか、
そういうものを見ながら生活してるっていう人が結構多いのかなと思ってるので、
なんかそういうところで嫌わなく飛び込んできて、
誰かがどのように何かを言って、どういうふうに意見を表明してみたいなのが、
03:00
すごい飛び交うやんか。
そうですね。
うーん、なんかそういうときに、なんか僕は本当に、
今回もすごいどうしようもない距離みたいな、
人と人の、一緒にいる人とかでも、
よく考えたら当たり前なんだけど、
すごくどうしようもない距離みたいなのを感じてるんだよね、今。
それはSNSに参見されるような意見とか、
身の回りの人の意見っていうのは、自分とあまりにも遠いっていう意味で、
距離があるってことですか?
えっと、自分と違うっていうのも、
一視聴者とか一受け手としては感じるんだけど、
本当に言ったらリテラシーというか、
何を見てて、何をどう切り取って、
どのように発信したら大丈夫なのかって思ってるかとかさ、
なんかそういうの全部反応することでさ、
例えば見出しだけ読んで、すぐ読んでもないのにこんなこと書いちゃうんやっていう人とか、
個体個体としての違いっていうのが、
普段意識してないけど諸に現れるよねっていう。
あー、そういうことね。距離っていうか、
違いとここによって全然リテラシーが違うっていうのが、
現になるっていうのは確かにありますね。
うーん、まあそうね。
なんかそういうのを本当に感じるからこそ、
思ってる以上にこう、結構ダメージを受けていて僕は。
今回のその、松本さんの問題じゃなくても、
違うものでも多分起きたと思う。
同じことは感じると思うし、
ずっと何かあるたびに、
例えば政治のスキャンダルであったり、
芸能人の不倫であったりとか、
いろんな問題というか、いろんなことがバッと社会に放たれたときに感じることではあるんだけど、
今回余計めちゃめちゃ思ったなーっていうのはすごいあって。
なるほどね、そうか。
時に自分にグッと寄せてみると、
自分のタイムラインみたいなんて、
そういうひどい言葉吐いてる人っていないのよ。
ただ、探すと出るっていう。
そうですね、あと記事とかツイートのリプライランとか、
引用リツイートとか見るとやっぱ出てきますね。
そう、だからここにすごいどうしようもない距離があるんだなって思ってるのね。
互いに言葉を交わそうとできない。
そういう人に僕はどういう言葉をかけて、
こうしたらいいんじゃないですかって。
それこそちゃんとレイヤーに分けて考えましょう。
実際こういうふうに書いてありますよね、とか。
そういうふうな悟し方しかないと思うんだけど、
でもこう言いたいっていう人に対して、
お互いきっと人間なんだけど、
そういうふうな言葉をかけたとしても絶対に伝わんないんだろうなって思ってるの。
そうですね。
そこに寄り添う橋をどうかけたらいいのかっていうのが、
無理なんじゃないのかなって結構思っちゃうんだよね。
そもそも議論とかを従ってるような人じゃないんやろうしね。
06:02
そうね。
何か発信してもそれでパッパッと自事ネタとして消費したりとか、
自分の意見表明として利用してるっていう人も多いやろうし。
今回のこういった問題において、
それが事実かどうかっていう話はこれから情報が出てきたりとか、
いろいろ発展していかなければわからない話ですけど、
いろいろ議論したりとか、
実際こういう社会的な影響が生まれるとか、
そういったことを考えることはめちゃくちゃ意義があることだと思うので、
そういうことはやっぱりすべきだなと思うんですけどね。
そうね。
寺谷さんの言葉で言うと議論っていう言葉で、
そこに含まれてると思うけど、
僕がそれを分解すると、
そこって会話でありコミュニケーションだと思うんだよね。
そうですね。
そこっていうのはやっぱり大事なもんというか、
僕はそれぞれの人が違って当たり前だし、
その人たちが違うことが、
違うままでいいと思ってるんだけど、
でも冒頭言った通り、
違う方向が多分本当に僕のフィルターの中っていうか、
僕のフィルターの中で違っててもいいよねって思ってるんだなっていうことを、
すごく感じてたぶん食らってるんだよね。
例えば、すごく差別的な発言をしてたり、
それをオッケーとしてても違っててもいいよねっていうのは、
僕の中でちょっとなんとか許容しようと思ってる部分もあるんだけど、
すごくやっぱり全然許容できない何かなんだなっていうことを感じて。
違っていいっていうところのセーフとアウトのラインっていうのは、
あくまで自分基準なんやなっていうこと?
そうそう。
それは万人嘘だと思うけど。
そこを再発見してしまうっていうか、
自分の再発見っていう意味で言うと、
ある程度信頼できるライターであり、発信する人とかの意見を見て、
こういうふうなスタンスなんだなっていうところで、
どっちかっていうと安心しにいってるみたいなところがすぐあんのね。
僕からするとやっぱり、自分もどっちかっていうとリベラルな考え方のほうだと思うから、
求められてるもんが出てきてほしいなと思って、
実際それを確認して安心してるみたいな。
多分そういう部分も自分の中の再発見としてあって、
違う話にすると、例えばフェミニズムの発信とかしてる人とかに対して、
精錬潔白であれみたいな、
そういう社会を良くしていこうとしてる人は、
全てに対して正しい感じで動いてくれるだろうみたいな期待をしてしまってるみたいなことっていうのを、
自分に感じてすごい危ういなって思うこと結構あんのよ。
09:00
なるほどね。
私それは、めちゃめちゃであってくれた方がいいっていうわけじゃなくて、
これも極端な考え方になりがちだから言っとくんだけど、
僕がよく使う言葉で言うと、どっか自分が消費してる感覚っていうか、
これは消費っていうか、期待。
こうであれみたいな、そのポジションであれ。
そういう人にすごく背負わせてる期待みたいなのがめっちゃあって、多分。
なんかそこをすごい考えてる。
なるほどね。そこがずれちゃうことってないんですか?
僕は結構、自分の思想ってどっちよりやなみたいなことって意外とちょっと難しいんですけど、
リベラルよりなのかなとは思ってるんですけど、
例えばそういった人とかの意見を見たときに、
これはちょっと行き過ぎって思う時があるんですよね。
そんなにやっぱり自分の頭で考えなあかんなというか、
そこに頼り切られへんなって思うことがやっぱりあるんですよね。
もちろん僕もそういうことはあるし、
今回の話題でしょ、みんながみんなコメンテーターみたいな時代だから、
このことについては信頼できるけど、こういうこと喋るとダメだなみたいな距離感とか、
書かれてるものとか、話されてることとか、
何か表現されてるものは素晴らしいけど人間的に、
こういうことはダメだなとか、人間的には尊敬できないなみたいなことは全然ある。
あるけど、期待はしてしまうみたいなとこだよね。
なんかこう、よく思うのが、例えばフィメールのラッパーの人とかって、
どっかでみんなリベラルでフェミニストみたいなものを
すごい背負わされがちだなと思ってたりするんだよね。
そうね。
それこそガールズエンパワーメントみたいなのの象徴ってされがち?
うん、確かにね。
だなと思ってて。
うん、それは正しくないことも発信したいだろうし、
なんか実際そこでさ、例えばこう、何か企業と絡んだ。
で、その企業が割とどっちかというと、
なんかちょっとヘイトとかかましてる人とかを徴用してる企業だったみたいなことで、
うん。
ここと仕事しないって欲しかったみたいな感じの流れっていうのをめっちゃ見るのよね。
ありますね、そういうのは確かに。
そうそうそう。
で、でも、気持ちはどっちもめっちゃわかるっていう。
その、アーティスト側の気持ちはわかるし、
そう言いたくなる気持ちもめっちゃわかるのよ。
でも、ただそれって、それこそSNS、今だとの中でしかない言葉なのかなとか、
そこでしか言われてないことなのかなとかも思ったりとか。
それはあるかもしれないですね。
なんかその、期待しちゃうし、それこそこう、
まあポッドキャストやってても思うんだけど、
なんかすごく自分に近しいものを感じたいっていう欲望がやっぱすごい強くなってると思うのよ。
12:07
なんかこう、それこそそういう違うことでそれを互いに認めて、
じゃあこの辺かなとかいうことを考えたりするレッスンみたいなの、
僕らはしてきてないやんか。
だからやっぱこう、どうしても白か黒かみたいな感じになるし、
あ、言ってほしいようなこと言ってくれた、押せるみたいな感じにやっぱ、
まあこれはすごくアウトプットとしてね、ギュッとして言っちゃってるけど、
でもそういう感覚って多分すごく多分あるとは思ってて。
そうね、まあ今かなり極端に言ってくださったんだと思うんですけど、
無意識のうちにそう思っちゃってる部分は多分あるでしょうね、ファンに。
心のすなじいところは変わりせいぶ
ヤギ様からめぐろくてびろくていそく
とこしょもそらってくとこ
はしつづけあう闇だべのごんどく
大砲なくちゃ、大公約者
大丈夫用語集もあるから
思考回路はまるで迷路中メトロール
この島めぐろう我が城としようか
なんかでもさ、芸能人の人とかが出すコメントとか、
例えば社会の問題とか、
世間からもちろんずれてるよなっていうのは
結構当たり前だと僕は思ってるんだけど。
それは本当にそうですね。
そもそも生きてる世界っていうか、
見てきてるもんとかも違うんだろうなと思うし、
そもそもテレビで話してることが本音なのかどうかすらわからへんしね。
例えば政治家の人とかにそういうのが求められると思ってて、
そういうの大事にしてほしいなと思うけど、
実際この人らって家賃いくらで、
毎日電車に乗ってなかったりするみたいなさ。
人が本当に今の生活とか何かを見つめられるのかって思ったら、
ちょっとそれ無理だろうなと思っちゃってるとこが僕結構あるんだよね。
そうですね。
それは同じく芸能人の人とかも、
いわゆる多くの今日本だったら日本に住んでる人たちの生活のここみたいなところを
知ってない人の方が多いと思うから、
そういう世界だからさ。
離れたところでどんだけ自分が光って出せるかみたいなもんだと思うから。
すごいずれてるんだけど、
そこに自己同一視していっちゃうと、
やっぱ生活とその考え方みたいなところはすごいずれていくし、
すごいふわふわしたところで、
たまん中とか考え方が作られていっちゃうみたいな感覚がすごいあるなと思ってて。
だからそういうワイドショー的なもん、
今もあんまりいいもんがないから、
その辺の感覚っていうのは、
ディテラシーが育たない要因でもあるのかなとか思ったりもしてて。
そうですね。
実際芸能人とか政治が目指す人はどうかわからんけど、
芸能人目指す人とかは特に、
嫌な言い方すると一般人から抜け出すために目指してるような人が多いんだろうから、
15:04
そこは一番乖離していって当たり前だと思う。
やっぱりなっていくなぁとは思うし、
あと結構今回の松本一史の件に関して、
やっぱり誰かが勉強しましょうっていう、
勉強させるべきやったっていう、
やっぱり吉本工業とかが、
やっぱり青河街やったりとか、
いろいろ不祥事とかも学校にありましたけど、
そういうところについての教育がやっぱ必要だったんじゃない?っていう。
なんかやっぱ芸能人とかテレビ業界とかって、
まあ多分すごい華やかなもんなんでしょうけど、
やっぱそういう国民というか、
一般的なものから乖離していけばいくほど、
そこをちゃんと繋げるための教育が必要だったんやろうなっていう。
普通にバラエティとかでも、
まあ今はこのコンプラでこういうこと言っちゃダメなんだよねみたいな、
普通にMCの人とか言うもんね。
その認識ヤバって思って、
決まりだから従ってるっていう話であって、
モラルではない。
で、例えば8時にご飯食べながら見てる人がそういうこと言ってたんだったら、
テレビイコール世間だと思ってる人らはさ、
まあそうやんなって思っちゃうよね。
それでいいんやってなっちゃうっていう。
なんかそれが本当に不健全やなと思うし、
今回の件について、
そんな想像もしなかったようなえげつないことがっていうよりは、
もしかしたらそういうことが当たり前なんかなって思ったことが本当に当たり前やったんかいみたいな。
そういう嫌さが。
だからびっくりしてないもんね、正直。
本当にショッキングな内容ではあるけど、
想像もつかないようなっていうことでは全然ないもんね。
本当にそうなんだよ。
そこがやっぱりみんな受け入れてることが、
おかしいよ、めちゃめちゃおかしいよね。
もう一度考えると、
それってやっぱり芸能界ってそんなもんやでとかさ、
なんかそういう権力関係とかそういったものにあぐらかいてきていきたい、
教育とかそういったことをやってこなかったツケが、
やっぱどんどん出てきてるっていう感覚がある。
みんながみんなじゃなくて、
すごくその中でも頑張ってる方っていうのはもちろんいらっしゃるんだけど、
それはいらっしゃるとは思いますよね。
俺らの受け止め方としてね、
今回の話とかいろんなリアクションを見てると、
なんかそうなのかなっていうふうに思っちゃうっていうことはあるよね。
そうですね。だから当然、
芸能界がダメっていうだけの話ではなくて、
僕らもそう思っちゃってることを改めていかないといけない。
本当そうなんだよ。
だし、ポジティブに捉えるのであれば、
自分の再発見みたいなところのチャンスにはしてほしいなと思うんだよね。
なんでこうなのかっていうことと、
もしかしたら自分の中にそういう松本人姿勢みたいなことを、
18:01
僕は正直ちょっと見つけてしまうところがあるよね。
ここまでのこととかそういうことはしてないし、
けどなんかどっかで自分の中にある行動であり、
欲望であるみたいなところを加害の事件があると、
ちょっとこう自分の中にも何か、
もしかしたらそういう状況になったら、
そういう権力を持ってしまったら何かそういうことをしてしまうんじゃないかとか、
自分の生活の中で思うみたいなことはすごくあると思うので。
そうですね。そういったことを考える、
引っ掛けになるっていうこと自体は別に消費してないと思うんですけどね。
ちょっと人によって受け取り方が違うけど、
こういった問題が起こった時に自分を変えりみる機会になるっていうこと自体は全然悪いことではない。
むしろ良くなっていくために、
こういったものが再発しないために意義があることだとは思うけどなぁ。
思いたいですけどね。
今回こういった芸能界で芸人っていう言ったら男性社会的な風潮が残ってる、
女性別資的な風潮が残っているところのトップレベルの人がこういうことになったっていう話で、
この人の動きが結構本当に社会的に結果として改善に進める引き金にもなってくれへんかなっていう思いがすごくあるんですよね。
僕の中では。
例えばこの話はいろいろ賛否両論あると思うんですけど、
元人氏が今回のことについて本当に反省をして、
事実であったなら反省をして、
本当にどういったことが正解なのか、どういったことが合意なのかとか、
そういったことをちゃんと考えていく姿勢っていうのを率先して見せたらめちゃくちゃ意義があることだと思うんですよね。
社会的な影響として。
その一方で、それを生存戦略的にただポーズだけ取ってそういう方向に行ったらめちゃくちゃ嫌やなっていうのもありますし、
被害者の方が当然いるわけなので、
そういう加害者の人がテレビに出続けることによって、何かこう、より傷つくようなこともあってはならないなと思うので。
そうねー、わかるわ。
なんか僕の中では、これが本当にどういう方向に向かうことがいいのかっていうのが、
誰も傷つかないってことはやっぱり難しいと思うんですけど、
考え続けたいなと今思ってるんですけどね。
なんで自分がこのようにできてしまったのかっていうことをやってほしいなとは僕もすごく思うんだよね。
なんでそういうところでしか満たされないような欲望みたいなものを持ってしまうのかみたいな。
で、実際それがなんでできてしまうのかっていう。
自分が何でできてるのかっていうさ、ことみたいなのを。
言ったらすごい側を救っていく人やんか。
そうですね。
21:00
だから、なんか逆にそういうことを見せていくっていうことは、
特に男性が内面というか、ビーング的なことにどう向き合うのかっていう話だと思うので。
そうですよね。
そこの性的な欲を満たすためになんでそういうコミュニケーションしか取れなかったのかっていうところを、
もうちょっと内面の部分というか、そういうところがね、本当に。
明らかになることによって、自分もそうかもって思う人が改める機会にもなるかもしれへんし。
そうそうそうそう。
っていうことはなぁ、本当はなったらいいなぁとは思うけど、まあ難しいだろうね。
そうですね。まあそれにそこを語れっていうのは、たとえ加害者にでもあっても強制できるものではないかもなぁ。
そうね。
なんかどうなんやろうな。僕結構、そこって本当に語りたくない人って語りたくないじゃないですか。
僕ってあんまりそこのハードルがないタイプの人なんで。
自分の言ったら弱い部分とか内面の部分を言葉にするってことが、やりたくない人はできないっていう話だよね。
そうですね。だからそういう人たち、そういう人たちって言い方も悪いですけど、
そこをやっぱ僕は土足で踏み込むような音をやっぱしてしまいがちなので、そこはちょっと僕改めないといけないなと思っていて。
分かる分かる。まあそれこそ、自分が言ったからお前も話せよみたいなコミュニケーションって、すごい逆にめっちゃマッチョっつうか。
そうっすね。
いうことってあるよね。
だからまあ裸になろうぜ的なさ。
いや本当そうなんだよ。
そうですよね。だからまあ僕は別にこっち話しながら話せよっていう気持ちはないですけど、
ただなんか普通に聞いていい話なんかなっていう思って舞うテンションの時があるので、
そこのちょっと本当にOKなラインをちゃんと身につけていきたいなと思ってるんですけど。
そこがね、今回の事件においてもやっぱその自分のことと照らし合わせて考えると、やっぱりみんなそこの部分話したくない人が多いやろうなと思うから、
例えば増本ひとしがやってるようなことと同じような欲を持ってたとして、それを自分もそうかもって多分話さないじゃないですかみんな。
そうね、まあコミュニケーションとしてはそこはそんな言わんでよくないって言われた側も思う人も多いだろうし。
そんな聞きたくないっていう人も多いだろうし、同じような要素を持ってる人の人たちが考える機会にもっとなればいいのになっていうふうに思うんですよね。
今話してるんて、このポッドキャスやってて度々テーマになる男性の内面、ビーング的な部分をどのように育てていけばいいのか?みたいな話だと思うんだけど、
24:08
まあ本当どうがいいんだろうなっていうのは本当思うんだよね。何かしろそこの扉を開かないことには多分そこの扉に触ったことすらありませんっていう人がほとんどだから育たないわけやんか。
そうですね。
何かしろそこを少しでも開けていただかないと、見ていただかないと始まんないよね。
そうね。
それこそまたはじめの話に戻っちゃうんだけど、そこにどのような橋を架ければいいのかっていうことをすごく考えてる。
そうね。そこの方法っていうのが本当に人によってバラバラやし、こういう方法でやっていこうみたいな的確な回答がないじゃないですか、当たり前なんですけど。
なので本当にただ会話をし続けるっていう、コミュニケーションを取るっていう一点に尽きるっていう感じですかね。
さっきちょっと話してくれたように、自分としてはいい感じに開示してるっていう姿勢を見せるっていうのは一つあるのかなっていうのはあると思うんだよね。
そうですね。
で、それが圧にならないようにうまく自分を開示しながら、何かその人に響くところがあるっていうところから始まるのかなっていうところは思ってるんだけど。
そうですね。
あいつにならないように開示するっていうのもありますけど、ただ開示しない理由の大半ってやっぱりそこが弱みになるからっていうのが多いじゃないですか。
だからそこについてやっぱ開示してくれたことについて、そこを批判してはいけないよなっていう姿勢が、僕もっとあったらいいのになというふうに思うんですよね。
例えば僕にもそういう欲求あるかもって話したときに、「え、お前変態やん、犯罪者やん。」みたいなことを言って弱みになって、輪からほっぽり出されるみたいなのが一番怖いっていう感覚があると思うんですけど。
もう一回それがあっちゃったら、そこを開くにはむちゃくちゃ難しくはなるよね、その人が。
そうですね。やっぱそういう経験であるからもう自己開示もしないし、逆に人が自己開示したら今度はその弱みにつけ込むっていうのが当たり前になっちゃってるっていうのがめっちゃあると思うんですよ。
最終言ったら何も喋らなくなるおじいさんっていうのがいるやんか。
ああ、そうね。
あれってやっぱめちゃめちゃ悪い言い方するほうが、それの成れの果てみたいなもんやと思うね。
いや、ほんまにそう。
いやでもそれ幸せじゃないし、でもさ、難しいのが例えばこういう対話のレッスンをしましょうみたいな方法が1個あると思うね、ソリューションとして。
27:07
でもそれに向かない人っていうのもめっちゃ多いから。
そうやなあ。
うーん。
じゃあ対話にそもそも、対話がそもそも苦手な人からするとあまりにもハードル高いもんね、そこって。
うーん。
そういうこともどのように橋を架けたらいいのかっていうかね、そのどうしようもない距離、どうしようもない距離自体はもうあってもいいのかなっていうふうに今喋りながら思ってるんだけど。
距離とかさ、その人がここにいたいですっていう居心地の場所が多分あるからさ、そこはもうその人の場所なんだねっていうので尊重したいなとは思うんだけど。
ただ、そこに何も橋が架かってないっていうのがあれなんかなと思ってるので。
うーん。
そうね。それはあるかないかで結構大きな違いかもしれないですね。
そうそうそう。それともどうしたらいいもんなんだろうね。なんか、てらださ、その、なんかこう内面開示されたら自分も言おうかなっていう気分にはなる?
えーどうやろうね。開示されたときに、やっぱそれを批判したくない、寄り添いたいなって思いになったときに、その寄り添う材料として結局自分の開示をするみたいなことがあるかもしれないですね。
僕も実はこういうことあってとか、こういうこと思うこと全然あるよとかさ、結果として開示してることはあるかもしれんけど、開示してくれたから同じだけ開示せなっていう思いは全然、僕はないんですよ。
うーん、まあまあまあそうやな。
こう言われたからこう答えなきゃみたいな期待で会話をしちゃうっていう人はすごい多いよね。
あーまあうん、そうですよね。圧を感じちゃう人もたぶんいっぱいいるとは。
うんそうだよなー。違う方法であるとすれば、それこそ中身、ビーングに向き合える人が素敵やんみたいな。
あーなんか嫌な表現してしまった。
なんか違う人出てきたんですけど。なんかでも、そういう方向に持っていくことっていうのは一つあるのかなと思ってるのよ。
そういうことか。
だからそういうことがかっこいいよねというか、そういうことが大事だよね、大切だよねっていう価値観みたいなのを出していくことによって変わっていくみたいな。
そうですね。
ことは、なんかその行動とか、その押し出していく価値観としてはそういうことがあるのかなと思ってて。
なんか僕は積極的にそういう風になったらいいなっていう振る舞いをできたらなとは思ってるんだけど。
そうですね。なんかそういう、例えばまあそういうことをしたりとか、寄り添える人らとか、なんかいいよなーみたいなさ、そういうこと口に出すこととかもいくあると思うんやけど。
なんかそういうことをさ、僕結構言ったりした時とかに、例えばまあそういうこと話してくれてありがとうとか、なんかそういうこと言うのええよなーみたいなさ、そういう内面ビーングの部分を、例えば同性同士と褒めたりした時とかに、やっぱね会ってまだ1,2年ぐらいの中の人だったらさ、なんか気持ち悪っていう反応されるよね。
30:18
そこは結構繊細に伝えなあかんよな。なんかだから普通に、その服かっこいいよねみたいな感じでやると、なんかこう馬鹿にされてんのかなみたいなのも多分あるだろうし。
そうね。そんなことには言ってないけどな。
言いたいけど我慢するようにしてて、最近は。
まあ大事かもね、それも。
これはもう一刻も早く言っときたいって思うやつはもうすぐパンパンって僕、どっちかっていうともうスピードで言っちゃうタイプなんだけど、ちょっとこう無言のグッみたいな感じでこう、やるとこからかなーみたいな感じでは思っているな。
まあね、わかりますけどやっぱ、いやむずいよな、でもそれは。ちょっと僕は全然できないですね、それは。
まあでもなんかね、こういうことをなんかしていかなあかんなと思いながら、なんか結局、すごくね、嫌な考え方ですけど、労力めっちゃかかるんかい?
いやいやまあまあそれはそう。
当たり前なんですよ、当たり前なんですけど、その労力を練出し続けるだけのメンタルと体力をこう日々生活、働き、いろんなことをしてる中にプラスして作らないといけないっていうのがやっぱりしんどってなるっていう時あるよ、やっぱり。
どうしてもね。
だからなんか、あーもうじゃあそこのエネルギー切りますってなっちゃう人の気持ちで僕痛いほど正直わかる。
あーまあわかるね。
切りたくないですよ、切りたくないしやり続けたいけど。
うん、いやわかるわかる。
そのもう生きていくためのやっぱり仕事とか家事とか、まあ実際子育てとかね、やってらっしゃる方とかそういう実際にこう、まあだからドゥイングの方の話、優先しなければいけないドゥイングの話が出た時に、まあ切られるよな、そこはって思っちゃうね、やっぱ。
確かになー、なんか僕とかはすごいこう理想主義だから、なんかそこまで多分こう、まあ無言の具やけど超素敵やんみたいな感じで思えるから、多分こういうこと、まあそれこそ考えること苦じゃないし、人と話すことも何の負荷もかかんないタイプだから僕は。
あんまりそこがしんどいなーとかさ、その途方もない距離だなーみたいなことに対してしんどさみたいなのあんま感じへんねんけど僕は。なんかでも多分そういう人の方が圧倒的少数なんだなという感覚はすごくわかりますよ。
33:04
うーん、そうね。
うーん。
てか時間はやっぱ有限なんで、やることがあまりにも多すぎると優先順位につけざるを得ないんですよね。
そうねー、まあまあまあ僕の立場だから言えるってことなのかな。
いやーそれね、僕最近めっちゃ思いようになってきて、まあ言ったら今働いて家事やってるだけじゃないですか僕はね、言ったら暇じゃないですかある程度は。
めちゃめちゃ忙しいなっていう時はあるけど、もっと忙しい人いっぱいおるから、なんかそういう人だと比べたら全然今余裕あるはずやんなって思う。
だからこの余裕がある状態の僕がもっとこうやっていかなあかんでっていうのは、ちょっとおこがましいんかも。
ああー。
僕は僕の中で。
まあまあまあ、一感情としてはわかるわかる。
僕はまあ僕の中では努力するけど、まあさっき言ったようなこういうコミュニケーションを取っていけたらっていうエネルギーをみんな使っていきませんかっていうのは、いやお前暇やからやんっていう。
うーん。
あるんちゃうかなって。
いやわかるし、その認識はすごい冷静で捉えてると思うんだけど。
まあでもね、僕はそれでもやるしかないやんっていうタイプだから、うーん、そんなん言うたら全部そうやんけみたいな感じに。
みんなそうでしょっていう、やっぱ言う気持ちで、もうすごく冷静だしテラダが言ってくれたことは今もすごい大事な一点なんだけど、なんかこうわかってるけど、もうそれはもうちゃいますやんっていうようにしてる。
うーん、そうね。
僕もそう思うし、まあそういうことに力を使っていきたいとは思うけど。
うーん、まあそんなとこですからね。
そうですね、まあちょっといろんな話をしましたけど。
というわけで、心の砂地は引き続きお便りをお待ちしております。
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各種SNSでの投稿は、ハッシュタグKOKOSNAです。
投稿していただく際にはエピソードのリンクも貼っていただけると嬉しいです。
ということで、今回も聞いていただきましてありがとうございました。
ありがとうございました。
それでは皆様、ごきげんよう。
35:30
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