1. 樋口聖典の世界
  2. 神様は実在するか?
神様は実在するか?
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田川市いいかねパレットから、自宅福岡市の方に車を走らせております。時刻は昼の13時43分でございますね。
ゴールデンウィークが終わりました。ゴールデンウィーク中、実はずっといいかねパレットではイベントが行われてたんですけども、
家庭の用事とか、いろいろプライベートの用事もありまして、僕は最終日の昨日5月5日しか参加できなかったんですけども、
たった1日でしたけど、いい日だったと僕は思いますし、皆さんもすごい喜んでる顔をしてたと思います。
本当に良かったです。一応、主催はいいかねパレットではなくて、僕の友人であり、吉本芸人時代の同期であるエッグ矢沢っていう男がいるんですけども、
彼は埼玉出身で、なぜか今田川に空き家を借りて、賃貸でそこに、なぜか田川に住んでるっていう縁の床にもないんですけども、
彼がせっかくゴールデンウィーク、パレット空いてるんだったらイベントやろうよっていうのを言ってくれて、
5日間、5日間って結構ですよね、長い期間毎日イベントやってくれたっていうところで、
僕は最終日の野戸島大会の審査員として座らせていただいてっていう感じでしたね。
レベル高かったですね。優勝したのは8歳の女の子だったんですけども、
本当に素人かっていう感じのパフォーマンスを見せていただいて、すごい良い日でした。
そして出店もいっぱいあって、ゴールデンウィーク終わりましたね。
今日からまた仕事頑張っていこうという感じなんですけども。
ゴールデンウィーク中にいろんな人と話してまして、
僕の中でふわっと頭の中で考えてたようなことがちょっと言語化がまた進んだので、
自分の中で整理が進んだのでちょっと話してみようかなと思ってますね。
まだうまく話せるかどうかわかんないんですけど、これちゃんとアウトボード綺麗にしたことはないので。
神様はいるかっていう話なんですよね。
スピリチュアル的な話でもあるし、科学的な話でもあるっていうことなんですけど、
結論から言うと、神様と皆さんが呼んでいるような、
神様と聞いて皆様をイメージしているような存在は僕はいないと思ってるんですね。
雲の上に全知全能の存在がいて、白い毛を生やして、木の杖を持ってるみたいな、
そういう全知全能の神っていうものは僕はいないと思ってる。
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ただ、神様がやっている役割をこの世界全体が果たしてるって思ってるってイメージなんですよね。
例えば具体的に言うと、
祖数ゼミの話をしたことあると思うんですけども、
13年ゼミと17年ゼミっていう、これ13と17って祖数なんですけども、
土の中に13年いて出てくるセミと、土の中に17年いて出てくるセミっていうのがいて、
こういうセミは生き残りやすいと。
それに対して6年ゼミとか12年ゼミっていうものは、
土の中に生き残りやすいと。
それに対して6年ゼミとか12年ゼミっていうものは、
祖数じゃなくて、共通の約数を持ってるから、
例えば6年ゼミと12年ゼミって2回に1回被るんですよね。
さらにそこに3年ゼミとか4年ゼミとかが入ってくると、
4年ゼミは3回に1回12年ゼミと被るし、
3年ゼミは4回に1回被るしみたいなところがあって、
それが食い合って淘汰されていって、
最終的に祖数年数土の中にいるセミが残るっていう話なんですけど、
僕もこの話が好きすぎて好きすぎてなんですよ。
僕の中で神様ってこういうものだと思ってるって感じなんですよね。
僕の中で神様ってこういうものだと思ってるって感じなんですよね。
で、要は多分人間が生き残りやすくて、
人間が生き残りやすくて、
人間が生き残りやすくて、
要は多分人間が祖数っていうものを数学的に認識する前から、
そのセミってずっとその動きをしてるんですよ。
でもなんか人間が計測したところ、
多分13年のやつと17年のやつがいるなみたいになったと思うんですよね。
その時に神様が13という数字を尊いと思ったんだみたいな捉え方をしてたはずなんですよ、人間って。
17や13という数字が尊いもので、
6や4という数字が意味嫌われるもので悪魔の数字だみたいな捉われ方って、
多分統計学的にされてたような気がするんですね。
セミに対してそう思ってるかどうかわかんないですけど、
これはちょっと一般論的な例えだと思って聞いてほしいんですけども、
だから世の中で結構意味嫌われてるものっておそらく統計学的に
それをしたらなんか良くないことが起こる。
○○をしたらなんか良いことが起きるっていうことで統計学的に結果は出てるんですけど、
それが何でか分からない。
じゃあ分からないものを分からないままで保存しておこう。
でも分からないまま分からないままで保存しておくってみんなに伝わりにくいから、
なんかみんなが分かるキーワードとか、
みんながちょっと頭の中でイメージしやすいバカでも分かる何かを作ろうっていうことで
神様っていう概念ができたんじゃないかなっていうのが僕の中で神様なんですね。
だから今だと例えば○○を手からポンって放したら地面に向かって落ちていくんですけども、
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もしかしたらこれは昔は神様の仕業だったって言われてたかもしれないし、
あと占いとかでもそうですよね。
例えば前役とか役年とかあるじゃないですか。
役年とかあるじゃないですか。
あれだって多分神様がいる的なスピリチュアル的な文脈でとらわれかけてたと思うんですけども、
おそらく昔からなぜかその年齢になったら悪いことが起こってたと思うんですよ。
なんかみんな、役年何歳か忘れましたけど40何歳かな、
40何歳になったらめっちゃみんな悪いこと起こるやん、何でやろ何でやろってなって、
これはじゃあ神様が役年って多分決めたんだってなってそれで役年って言われてるとか、
あとはあれとかもあるじゃないですか、
六星占術みたいなものとかあったりとか、
あとは大安吉日とかともびきとか、ああいう六陽って呼ばれてるものとか、
ああいうのって何かこう、何ですかね、科学的根拠がないけど信じられてたことっていうか、
なんですけども、多分ですけど人間のバイオリズムって、
これ僕の感覚なんですけども、呼吸と心臓の鼓動がある以上何かしらの曲線、
なんていうんですかね、周期的な曲線を描いてると思ってるんですね、人間の体自体が。
それが呼吸と鼓動と1日のサイクルが結構みんな似通ってるから、
同じようなバイオリズム曲線を描くと思ってて、
それが例えば6日周期だったら六陽になるし、それが例えば12年周期だったら、
あれとかになるんですよね、大錯解みたいな、細木一子とかが言ってるやつですかね、
ああいう感じになるっていうのがあって、これって理由ははっきり解明されてないけど、
おそらく統計学的にそうなってるっていうのは何となく納得がいくんです、僕の中で。
占いもそうだし、あと神様と呼ばれてるものもそう。
例えば年始に初詣に行って、1年の抱負とか願い事をお金を払ってパンパンって手を叩いて神社に手を合わせるっていうのも、
あれって多分自分に言ってると僕は思ってて、神様に言ってるようで。
実際神社の奥の方には鏡が祀られてるっていう、日本の国宝も鏡あるじゃないですか。
そんな感じで神様に拝んでいるって思い込んでるんですけど、あれ自分に多分言ってて本当は。
そこにお祭せっていうある程度覚悟を払うことによってそれをより真剣に考えると。
サブスクで聴いた音楽よりも購入したりCD買ったりする手間をかけた方がより思い入れがあって真剣に取り組むじゃないですか、音楽を聴くということに。
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僕お祭せってそういう役割もあると思ってるんだよね。
無料のメルマガよりも有料会員になった教育資料の方が真剣に聴くじゃないですか。
それと同じでお祭せを払うっていう行為って自分の中で覚悟を決める行為みたいな見方もできるかもしれないし、
そこで言語化するときにあれ俺ちょっと今何か頼みたいけどどれにしようかって選ぶときに
直近の自分のテーマっていうものをそこで明確にできることができて
それが軽い個人理念みたいなものになって羅針盤になるみたいなことが起こって
羅針盤が定まった方がアクセル踏みやすいじゃないですか。
ハンドル切りやすいしアクセル踏みやすいという状況が起こると思ってるんで。
だからそれを神様にお祈りするっていうアクションにしたっていうのは結構人間すごいなと思ってるっていう。
ないものをないとしてないままで成立させてるっていうことだと思うんですけども、
これって数学っていうところの挙数みたいなもんだと思ってるんですね。
挙数っていうのは愛っていう英単語打ち持ちで書くんですけども、
自乗したらマイナス1になる数を挙数って言うんですけども、
自乗したらマイナス1になる数なんてものはこの世に存在しないんですよ。
現実世界にないんですけども、それが愛というものが存在しているんです。
自乗したらマイナス1になる数なんてものはこの世に存在しないんですよ。
現実世界にないんですけども、それがあるって思って計算をして最終的に挙数が残らない形で答えを出すと、
一旦あるものとして置いて計算をすると計算がやりやすいんですよね。
株でいうところのレバレッジと同じなんですけども、
自分が今ここにお金として持ってないけど、一旦あるものとしていろんな取引をして最終的にない状態に戻すっていう、
借りてきて戻すみたいな、ただの理論上のものなどで実現してないので現実にはできないみたいなことって
数学とか株の世界とかでやってると思うんですけども、それが僕の中では神様という存在なんですね。
だから神様があると思ってた方が理解がしやすいんですね、みんなが。
計算がしやすいし、だからおてんと様が見てるっていう感覚も見てるのは本当は自分自身なんですけども、
おてんと様っていう見られてるっていう感覚の方がみんなが理解しやすいからそう言ってるとかそういうイメージなんですね。
そこまで考えて言うと挙数と同じで概念としてはあるけど実在はしないっていうものが僕の中での神様だなと思ってます。
以上です。ちょっと長くなったな。
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