1. しゅらシュシュシュ
  2. 手放す時期?#4~素粒子の中に..

手放す時期?で始まる回の4回目

自分と他人と境界線はどこにあるのか?

自分の身体の構成要素が外界と循環していて、その意味では差は無い

ただそれぞれの人に役割と感じられるようなものがあって、それを魂と呼べるのかも

#未知のり で話題に上がったこともある自己組織化の話しとも繋がって…


収録日:7月8日


#しゅらシュシュシュ

#樋口塾


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サマリー

彼は人間の構成要素としての廃絶物や自分と他者の違いについて考えています。また、彼は魂や意識の存在についても言及し、素粒子の中に生きていると感じることを説明しています。彼は自然に発揮される個性はあり得ると考えていますが、前世から引き継がなくても存在する魂の大元は体そのものではなく、存在として表現できる感覚を持っていないと思っています。彼は宇宙の大きな流れや高まったエネルギーが神として崇められるのかについても考えています。

自分と他者の違い
前回からの続き
廃絶物は自分だと思うか?
ああ、そういう話ありますよね。
たまにあるんですけど。
それに通じるとこもあるんじゃないかと思ってるんですよね。
自分の構成要素どうこうって話だと、
もともと廃絶物って自分の腸内細胞とかの過数。
間違いなく自分であったものなんですけど、
意味嫌われて水に流されるわけじゃないですか。
森山直太郎の歌でありますよね。
森山直太郎の?
知らないですか?森山直太郎の有名なうんこって曲。
知らないですね。
知らないですか?ぜひ聴いてほしいです。まさにそういう歌なんですよね。
今まで僕の中にあったのに、水に流してごめんなさいみたいな。
えーそうなんだ。桜を歌った人ですよね。
うん。桜を歌った人がうんこを歌ってるんですよ。
えー面白い。
それは余談として。
それだとまだ自分とのつながりが意識できるんですけど、
さっきしゅらさんが言ったもっと小さい構造の話で、
同じ分子構造を持ったものが目の前にあるとき、
例えば木の枝にある分子構造と自分の分子構造が共通してるとしたら、
それって何を持って違うって言うんだっけっていう話。
魂や意識の存在
それはちょっと言い過ぎですかね。
例えばで話したんでそうですね。
どっちかっていうともう少し意識的な話で、
自分と他者の違いはみたいな話とかも。
盛り込んで込めるのかなっていうのは。
でも自分と他者は違うっていうふうに自然と認識してるっていう事実もあるわけで。
そのへんを糸口にすると論が広がってきそうかなと思うんですけど、
何を持って今ここまでが自分だ、ここからは自分じゃないみたいな判断してるのかっていう。
今のお話も理性の理屈の面では理解できても、
実感として私は木と同じなんですっていう実感がある人いるかもしれないですけど、
大半の人はそういう実感はないと思うんで。
逆にその実感を得るってのはどういうことなのかみたいな話できるといいかなと思うんですけど。
まずは自分と自分じゃないものの判断基準の区別。
どこで境界線を引いてるのかなみたいな。
そうですよね。
なんかその、俺もはっきり体感してるとか見えてるとかいうわけじゃないんですけど、
自分の体が、体がというか自分が死んでやら、
仮想するなり、
今、ヒューマンコンポスティングって大秘にしてくれたりするんですよね。
方々の国とかだと。
そういうふうになって地球に帰るわけじゃないですか。
そうなるとまた循環してきますよね。
はいはいはい。
巡り巡ってきますよね。
だから俺はなんかそれがリンネとかにちょっと、
そう考えればそう考えられるよなとか思ってて、
巡り巡ってみたいな。
またさっきのうんこじゃないですけど、
自分から出たものが分解されて、
また何かの植物なのか動物なのか分かんないですけど、
いろんな地球という星の中で循環して、
いろんなとこに自分を構成している物質が、
再現で循環していくわけですよね。
それはもう科学的に証明されてますよね。
別に自分、俺という人格が宿るわけじゃないですけど。
循環していくことの証明?
そう、循環していくじゃないですか。
自分という物質、物体的には。
つまり修羅さんの肉体的な構成要素が形を変えつつも、
地球という閉鎖系の中で循環していくっていうことですよね。
そうそう、循環していく。
じゃあちょっと一つ問い出して、
その循環していく、バラバラになった構成要素に、
いわゆる魂と呼ばれるものが雇ってるのかどうかっていう。
そうですね。
それは修羅さんであったものは間違いないです。
科学的には間違いないんですけど、
修羅さんであったことの意味があるのかどうかってことですよね。
魂どうことなんて。
ケミカルな話なのか。
そこがね、スピリチュアルな話になっちゃうんですけど、
そこで魂なのか、天命なのか、運命なのか、神様なのか、
そういうような、
そういうような、
そういうような、
なんていうんだろうな。
そういうようなものはあるような気もしていて、
というのがなんだろうな。
人間って生まれて勝手にいろんな環境で育っていくじゃないですか。
いろんな環境で育っていろんなことを体験して、
それに対しての反応で今自分まで成長してきてると思うんですけど、
でもそれでも説明しきれない。
例えば、ほんとに記憶がないときの、
赤ちゃんとかほんとちっちゃい頃に、
自由に遊んでいいよっていう言葉も理解できないくらいのレベルで、
素粒子の中の生き物
公園に子どもたちを遊ばせると、
いろんなものに興味を示すじゃないですか。
それぞれ人、その子なりの、みんな同じのじゃなくて、
池をぼーって流れてる子もいれば、
アリを追ってる子もいれば、アリを怖がる子もいれば、
走り回ってる子もいれば、みたいな。
だからそういうのを見てると、
その人なりに生まれ持った興味だとか、
あらかじめ持ってる役割じゃないですけど、
なんかそういうのがあるんだろうなって思ってて、
で、それを前世というふうに、
前世から前世の体験がどうのこうのっていうふうに
行く続けるのか、魂って呼ぶのか、神様って呼ぶのか、
それはいろんな子でも分かれると思うんですけど、
ただ、生まれて泣いて、
何かに興味を持つというのは、
別に誰からも教わることもなく、
すでにあるもので、
さっきの科学的な構成要素とか、
そういうのを抜きにして、
それじゃ説明できない、
何か宿ってるものっていうのは、
あるんじゃないかなって思ってるんですね。
何て言うんですかね。
科学的なものっていうのが、
修羅さんの中にイメージがあるんだろうなと思っていて、
僕も泣くはないし、
それが変わってきたっていう話でもあるんですけど、
科学的なものって言うと、
そういうものっていう見方をしがちな気がしていて、
僕もずっとそうしてきてたんですけど、
最近はそうじゃなくて、
素粒子みたいなものの中に最初から、
何か、
そういう機械的な動きとか、
そういう機械的な動きとか、
そういう機械的な動きとか、
今の人間が意識とかを持つ、
根っこになる何かがあるっていう感覚を持ってるんですね。
っていうのは、
いろんなことからそういうふうな感覚になってきてるのが、
それも道のりっていう、
松本さんとの番組の方で話したんですけど、
単語がちゃんと出てくるかな。
単語を忘れがちだからイメージはあるんですけど、
自己組織化現象だったと思うんですけど、
鳥、鳩だったかな。
鳥が集団でというか、
いっぱい。
いっぱいの鳩が、
その集団一つが、
それだけで生き物のようにして、
統率のそれた動きをとって、
なんかスイミーみたいな、
スイミーもわかんない人がいるかな。
ちょっと魚の群れの物語の絵本があったりするんですけど、
そんな感じで、
漁軍でもそんな感じかな。
それってリーダーがいるように見える?
戦闘にいる鳥がみんなを引っ張って行き先を決めてるみたいなふうに見えるんだけど、
実はそれって特にリーダーみたいなのはいなくて、
なんか3種類ぐらいルールみたいなの?
ルールって鳥がちゃんと、
意思疎通をとって作ったルールとかじゃないんですけど、
法則的に、
その3つぐらいのルール、
一定の距離にいるとか、
なんだっけな、
ちょっと3つパッと出ないのが申し訳ないですけど、
いろいろ、
リンク貼ってくれてるのに書いて、
論文ですね。
論文はちょっときつい感じかもしれないんで、
僕はなんか、
もともとは月野セラビさんのポッドキャストで聞いたのをきっかけで、
ああそうなんだっていうのを思って、
それが合ってるものとして喋ってるんですけど、
そういう、
明確な意識を持っていなくても生き物的な動きっていうのが再現される、
それには3つのルールしかいらないみたいな、
話からしょうまさんとお話しして、
で、それはまだ生き物の話だから、
まだなんかこう、そういう、
魂的な文脈にもつながるかなと思ったんですけど、
えっとね、また単語がこれやばいぞ、
こういう単語メモしとかないとダメですね。
それこそその、本当に、
ネットじゃねえや、
コンピューター上で、
プログラミング的なものだったと思うんですけど、
なんか人工生物だったかな。
出てきそうで出てこない。
それがパッと出てこないとあれですね。
それもでも、
なんか、ある計算式に沿ったルールをいくつか作って、
それに沿ってそのプログラムを動かすと、
生物的な動きになっていくみたいなのがあるみたいなんですよ。
これだいぶ間違ってると思う。
ごめんなさい、だいぶ間違ってると思うんですけど、
そういうのを聞いたりもしていると、
それは人間が作ったその動きなんですけど、
そんなめちゃくちゃシンプルなものですら、
そういうふうになり得るっていうふうに考えたら、
もう自分たちの細胞の根っこの根っこの中にある素粒子の中に、
中になのか外になのかわかんないんですけど、
とにかくそれが原子の周りを分子が回るみたいな、
そもそも何かしらの熱量なのか運動量なのか、
これ表現アバウトなんですけど、イメージの世界なんですけど、
そういうふうにその一つ一つが動いているっていう時点で、
そいつがもうそういう生きてるって言えないかなみたいな感覚を僕持つんですよね。
だからそれこそさっき、修羅さんはさっき有機物みたいな表現されたんですけど、
有機物だろうが無機物だろうが、
それがどんな分子構造を取るか炭素になっていくことによって有機物っていうふうに後で名前は付けられるんですけど、
石とかはパッと見、今の僕らの視点からすると全然動いてないように見えるけど、
その中心にというかそれぞれの一個一個の最小単位には、
くるくるくるくる回ってるような生きてる何かがあるっていうふうに僕は感じるようになってきてるっていう話なんですよ。
だからそれが組み合わせによって人間みたいなものにもなるし、
石みたいなものにもなるし、
人間みたいなものになっていくと、
なんかもう意識、自分の記憶にもないぐらい物心がつく前の子供の時点ですら、
健在意識が芽生える前でも、
自然に発揮される個性と魂の大元
そのさっき修羅さん言ったみたいな自分の興味で動くみたいな動きをするというか、
そういう生きているものの集合体としての個性みたいなものは自然に発揮されるっていうのは、
全然あり得るみたいに思っちゃうんですよね。
だから前世から何かを引き継いでこなくても、なんかあり得そうだなみたいな感覚?
そうそうそう思いますよ。
俺はそう思うし、全然前世がどうとか俺は思ってもないし、
後付けでストーリーで理解しようとすると前世とか楽ですけどね。
別にでも、それを証明することはできないじゃないですか。
はいはいはい。
それを、ない。
途中でも言ったみたいに、僕は感じられてないっていうだけでないって言い切りたいわけではないんでしょ。
ただそれが、ないというか経験のない僕ですら頭で今までの知識をこねくり回しても、
なんか体そのものが魂だって言えるぐらい、魂の存在自体、存在っていうかだから体から抜け出ていく魂はピンときてないっていうだけで、
もともと全部がそれで構成されてるっていう意味での魂みたいなものを、っていう風に表現できちゃうなみたいな感覚なんですね。
そうなんとね、あまり近いと思うんですよね、俺。
えー。
近いと思う。
ただなんか、なんでその魂的なところが外にあるのかって、なんでそう思うのかな。
まあそのいろいろいろんな人から魂が死んだりしたら必ず戻る大元みたいなところはあるよみたいな話も聞いたことがあったりするのと、
あとはそうだな、なんだろう。
でも基本なんかエネルギーだと思ってるんですよ、なんでも。
うんうんうん。
さっき言ったその根っこ、一個一個に精神があるって言ったのと、
近くて、
基本的にその、
まあ仏教でも諸行無常って、
はいはい。
言うじゃないですか。
はい。
だから、
本当はこの一秒一秒生まれて死んでいってるわけじゃないですか、細胞が。
うんうんうん。
だから、
昨日の修羅と今日の修羅は、
うん。
正確に言えば全然違うわけですよね。
うんうんうん。
全部が全部違うかというとそうじゃないけど、
でも違うし、
うんうんうん。
だから、たまたまこう、
エネルギーがこううまくこう動いて、
うん。
逃亡されてるのが、
うん。
私なだけであって、
うんうん。
それは別に、
うん。
俺だろうが、
うん。
山だろうが、川だろうが、
うん。
全部そうだと思ってるんで、
うん。
その、なんだろう、その流れ。
うんうん。
その、その大きなエネルギーの流れが、
うん。
俺はその魂とか、
うんうん。
その、なんだろう、不思議。大いなる不思議。
あ、大いなる不思議。
大いなる不思議。
うん。
なんかいろんな神話とかに出てくるんですけど、その不思議っていうのは。
ネイティブアメリカの神話とかにも。
うん。
ワカンタンカっていう、
ん?
向こうの、
はい。
ネイティブアメリカの言葉で、
うん。
その、大いなる不思議っていうのがワカンタンカっていう。
えー、なんか日本っぽいあれですね。
あ、そう、日本と結構似てるんですよね。
ワカンタンカ。
あのネイティブアメリカの。
えー。
ネイティブアメリカの神話。
うん。
とかは結構似てるんですよね。
うーん。
日本のその古事記とか、
うん。
日本書紀とか。
うんうん。
の宇宙の成り立ちみたいな。
はいはい。
あと結構似てて。
うーん。
そういう中、大きな流れ。
うん。
みたいなのはあって。
うん。
それはでも、なんだろう。
それこそその、地球レベル、宇宙レベルの大きな流れもあるし、
うん。
同じものがそのちっちゃい、
自分の中の根っこ、小粒子の根っこみたいなところにも同じものが、
同じエネルギーが流れてるんだろうなっていう、
うんうんうん。
気がしていて、
うん。
で、それ昔の人は、
うん。
その、えーと、
古代のインドとかの教えで言うと、
うん。
そのアートマンとプラフマンっていう、
うん。
神様がいて、
うん。
アートマンっていうのはその宇宙、宇宙そのものみたいな、
はい。
存在がいて、
はい。
で、アートマンっていうのは自分の中にいる神様がいるんですね。
うーん。
そう。で、それは同じだって言ってるんですよ。
うーん。
うん。
宇宙そのものが、
プラフマンがアートマンであり、
アートマンはプラフマンであるみたいなことを言ってるんで、
うんうん。
ああ、そういうことなのかもしれないっていう風に、
うんうんうん。
思ってるかもね。
うんうんうん。
うんうんうん。
そう。
それはめっちゃ共感しますね。
宇宙の流れと神として崇められるもの
共感、あれ、何でしたっけ?
共感と同感は違うっていう話が、
しろさんの、
ああ、
あれでありましたよね。
そうそうそうそう。
共感はね、
分かんなくてもね。
うん。
ああ、そっか。
分かんないんだけどね。
いや、それで言うと、
同感ですのほうが正しいのか、今のは。
うんうんうん。
あははは。
同感してる気がするぐらいかもしれないですけど、
うんうんうん。
うーん。
そう思ってるんですよね。
そうそう、なんかそんな感じがしてる。
自分の中の魂っていう話をすると、
うん。
そんな感じがしてて、
うんうん。
そうすると、なんかその、
日本でよく祀られてる神社とか、
うん。
そういうところって、
うん。
何かしらこういうそういうエネルギーが高いところだったり、
うんうん。
特に去年、九州、あ、一昨年か。
うん。
高千穂行ったんですけど、
おお、そうなんですね。
高千穂行ったとき、大雨だったんですよ、俺。
はいはいはい。
台風が来てて、
おお、はい。
台風もう行くって言われたんですけど、
おお。
なんか、
うん。
台風行くって言ってたはずなのに、
なんかちょうど高千穂のほうに進路変えて来たんですよ。
わあ、はいはい。
こんな短時間で進路変わるって思ったんですけど、
ええ。
そう、だからなんかそういう天気の流れみたいなのとか、
おお。
そういうのも含めて、なんかあるんだろうなみたいな。
うーん。
と思ったんですよね。
あるんだろうな。
場所だとか、
場所、場所だとか、
エネルギーがみたいな。
そうそう、エネルギーが高まったところだったり、場所だったり、
うんうん。
その時の天候だったりを神として、
うんうん。
日本人がやっぱり崇めてきてるので、
うーん。
だからまあそういうのが神様かなみたいな。
うーん。
神様とか魂って言われるようなものなのかなみたいな。
うんうんうん。
うん。
そうですね。
うーん。
そう、そう、そんな感じに考えてるっていう、
うんうん。
のを僕はこう、ずっとこの十何年か、
うんうん。
頭でこねくり回して、
うーん、自分でなんか体感はあんましてないんですけど、
うん。
うーん、そういう風に考えて、
うん。
生き方を、舵を切って、今のこの暮らしに来てるんですけど、
うんうん。
次回へ続く。
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