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2023-09-30 07:01

19 - 子どもに自分の物語を押し付けない

自分が嫌だったから子どもにしない、自分が嬉しかったから子どもにもしたい、は愛なんだけど…

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日々、駐妻。この番組は、アメリカで駐妻として暮らす私、かやこが、日々の生活で感じたこと、驚いたこと、考えたことなど、ありのままお伝えするポッドキャストです。不定期ですが、たくさん配信しようと思っているので、よかったら番組をフォローしてもらえると嬉しいです。
今回も、私が子育てで大切にしていることを、ちょっとシェアできたらなと思います。何かっていうと、自分の物語を子供に押し付けないということなんですけど、ある程度の人生を経験してきて、これがうまくいった、うまくいかなかった、みたいなことって、誰しもあるわけじゃないですか。
それを教訓として、子供にはこうしてあげたいな、みたいなものを、少なからずみんな持っているのではと思うんです。私ももちろん持っていて、例えば、小さい時にお母さんにこういう風に言われたのが嫌だったから、子供にはそういうことは言わないようにしようとか、逆にこういうことをしてもらえてすごく嬉しかったから、子供にもしてあげようということって、全然珍しくなく普通にあることだと思うんですけど、
でも私は、それが本当に子供の方を向いているのかなって思うんです。
っていうのは、過去の自分が嫌だったから、それは子供にはしないっていう話をするときに、話の中心にいるのって過去の自分じゃないですか。
自分がされて嫌だったことが、本当に自分の子供がされて嫌なことなのかっていうのは、自分の子供に聞いてみたり、自分の子供を観察したりしない限りわからないわけですよね。
過去に自分がされて嫌だった、されて嬉しかったから、それをそのまま子供にっていうのは、本当に根底にあるのは愛で、子供を思う心以外の何でもないんですけど、
でも実は自分の過去の傷とか、愛されたっていう記憶とか、そういうのを中心に考えてしまっていて、本当に子供の方を見ててないんじゃないかなって思うことがあるんです。
これってやっぱり根底にあるのが子供への愛だけに、すごく意識しないとできないことだよなっていうふうに思うんです。
良かれと思ってやってるのにっていうふうになるじゃないですか。
でも全く別の生き物だから、自分が嬉しかったことをしてあげたからと言って喜ぶとは限らないし、
自分が嫌だったことが究極子供にとっては全然いいことっていうのも、信じがたいけどあり得るわけですよね。
そういうことが本当に小さいことでいっぱいあるよなって思うんです。
例えば私は学校教育の勉強が得意でずっと生きてきて、それによって教授できたメリットがたくさんあるわけなので、
娘もそうなってくれたらいいなみたいな思いがあるわけです。
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自分がなぜ勉強が得意だったかっていうと、きっとそこには数えきれない要因とか偶然とかがあるはずなんですけど、
私の中では一つの仮説として、わりと早い頃から塾に行ったことがこうそうしたんじゃないかと思ってるんです。
小学校3年生から塾に行き始めたんですけど、それもたまたまでうちの親は全然塾に行かせようなんて未人も思ってなかったんですけど、
本当に偶然私の通っていた地域の小学校が中学受験をするような子たちがたくさんいて、
クラスの成績がいい子とか賢い子はもうのきなみ塾に通ってたんですよね、もう小学校3年生の時点で。
でなんかこうかっこいいな、私もなんかそんな仲間に入りたいなみたいな軽い気持ちで塾に行き始めて、
行ってみると塾の先生って授業も本当に上手で、どんどんどんどんなんか楽しくなっていったんですよね。
本当パズルゲーム解くみたいな感覚だったんですよね、どの授業も。
その経験で勉強みたいなものに対する嫌だっていう思いもなかったし、
できる、これはできるんだみたいな達成感も味合わせてもらったし、勉強する習慣もついたし、
あの経験は直接、最終的に私中学受験しなかったんですよね。
あの教学に行きたいとかいうもうバカみたいな理由で、
親はね安くない塾大を出したのに受験せんのかいって思ったと思うんですけど、
で結局受験しなかったからじゃあ無駄になったかっていうと、その経験は無駄になってなくて、
その後の私の勉強にすごく行きたんじゃないかなって自己分析では思ってるんです。
で割とうちの夫も小学校の頃から塾に行ってて勉強が得意だった方で、
それが自分たちの必然になってるんじゃないかとか思ったりもしてるので、
なんかまあそういう仮説があるんですよね。
だから娘にもそういう風にしてあげたらいいんじゃないかみたいに思っているわけです。
でも、当たり前ですけどそれが娘にとっていいかもわからないし、
本人が望んでいるかもわからないし、究極Nは2なわけですよね、私と夫の。
だからそこが良かったから娘にもそうしようみたいな風に考えるのは、
本当にいい人生を送ってほしいっていう愛と願いでしかないんですけど、
究極私たちの人生がそれで良かったからあなたも良くなるはずでしょうみたいな、
押し付けにもなりかねえよなっていう風に思うんです。
塾の例は結構わかりやすいというか、そんなの本人が行きたくないならいかんでいいやろみたいな風に簡単に思える事例なんですけど、
でも普段どのように声をかけるかとか、一緒に遊ぶ時の態度とか、言葉遣いとか、
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日常でどれくらい子供を優先するしないとか、
そういうのを一つ一つとってみても、自分が自分の経験の中で良かったって思っていることが子供にとってそうではなくて、
知らず知らずのうちにやっぱり過去の自分を物語の中心に置いてしまっていて、
自分の子供の視点で考えられていない彼彼女を中心に思えていないっていうことって、
本当に容易に起こるよなと思うので、自分はそのことをすごく難しいんだということを理解して、
自分が良かれと思っていることも自分の視点でしかなくて、あくまでも中心に、
私の場合は娘を置いて彼女がどう思うかっていうことを考えて、
いろんな選択をできたらいいなと思っているというシェアでした。
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