00:07
日々、駐妻。この番組は、アメリカで駐妻として暮らす私、かやこが、日々の生活で感じたこと、驚いたこと、考えたことなど、ありのままお伝えするポッドキャストです。不定期ですが、たくさん配信しようと思っているので、よかったら番組をフォローしてもらえると嬉しいです。
吉本ばななさんの、「違うことをしないこと」っていう本を読み終わりました。
吉本ばななさんといえば、やっぱキッチンですよね。
もう、いつ読んだのかわからないぐらい前に読んで、そこからいくつか他の本も読んで、文体が好きで、ただしばらく遠ざかっていたので、また今絶賛私、本を読もうキャンペーン中なんですけど。
本を読もうキャンペーンというか、もはや本を読む自分を取り戻そうキャンペーンなんですけど、かつて本の虫だったのに、今全く読まなくなってしまったので。
それで、吉本ばなな、いいな、なんか読みたいなって思ってたところに、たぶん誰かがおすすめしてて選んだんだと思うんですよね。
最近はね、本読もうと思っても、じゃあ何読むよってなるんで、人のおすすめしか読まないようにしているので、誰か私が好きな友人なのか著名人なのか、誰かが挙げていたと思うんですけど、
違うことをしないことを読んでね、いやびっくりしました。もうのっけからスピリチュアル全開で、なんか私のATフィールドが展開しかけたんですけど、これはなんだみたいな感じで、もう宇宙マッサージとかいうワードとか出てくるんですよ。
そういうスピの人と対談していて、宇宙マッサージしてる人の言ってることが面白すぎて、宇宙は壮大なコンピューターで、もう全部決まってて、そこから我々はメッセージを受けて、受け取っているかどうかなんだみたいな、計算されているんだみたいなことを言っていて、危うく離脱しかけたんですけど、
でも私意外とあのスピリチュアル好きなんですよ。意外ととか誰も意外と思ってない可能性あるけど、うちの音とかスピリチュアルの素でも出そうもんなら、もう眉間にシワがよるんですけど。
なんか私はね、多分昔からファンタジーが好きだからなのかな、魔法使いとか妖精とかね、ドワーフとか、なんかそういう世界観が好きで、そういうものが現実にあったら素敵なのにって多分、小っちゃい頃から思い続けているので、スピリチュアルの存在というものを否定しないんだろうなと思います、自分自身は。
ただ私にそういうスピリチュアルな力があるわけではないし、感じ取ったこともあるわけじゃないから、自分自身がやっぱ本気で信じるっていうことはなかなか難しいんだけど、希望を持ってるっていう感じですかね、そういう力があればいいのにって思ってるし、やっぱ自然って何かしらのパワー持ってるよな、みたいなことも思うし。
03:09
そんなマインドなので、別に宇宙がコンピューターであるみたいなことを言い出す人がいて、あおやATフィールドが全開になりそうであっても否定はしないです。
私がスピリチュアルに対して思ってるのは、何かを説明する道筋のたどり方って人それぞれだよねっていうふうに思ってます。
例えばスピキュアの人がよく言う引き寄せの法則だって、引き寄せの法則だよ、言ってたら叶うよってだけ言われたらね、何それってなるけど、結局は自分が欲しいものっていうのを口にして人に聞かせていると、それは周囲の人誰かしらの記憶に残っていくし、
例えばこういう仕事がしたいとかって言い続けていれば、何か本当にそういう仕事を頼みたいなって人がいつか思い出して頼んでくれるかもしれない。
そういう現象のことを、中の詳細は全部すっ飛ばして引き寄せの法則と呼ぶか、こういうふうに詳細を説明できるか、どういう説明の仕方のほうが好みで得意かみたいな問題なんじゃないかなって私はざっくり思っているわけです。
で、オーラが見えるとかね、何かが聞こえるとか、そういうのに関しても、別に見えてる人いるんじゃないかなって思うわけです。
草マヤヨイ大先生だってね、水玉のカボチャのね、本当に水玉見えてるって言ってましたから、その真偽は置いといて、本当に水玉見えてたら、今の社会で言ったら脳の欠陥ですよ。
それはもう手術ですよ、治るかわからんけど。
だけど実際に水玉が見えていて、本人がそれでハッピーなんだったら、それを欠陥と呼ぶのは社会であって、だから何って話じゃないですか、本人からしたら。
それが圧倒的多数は水玉が見えなくて、彼女1人が例えば世界で見えていたとして、それを異常と呼ぶのは、なんかどういう観点からっていう感じなんですよ。
何、多ければそれが正しいのかって思うわけです。
そう考えると、人より多くの色が見える人がいたりとか、何かが聞こえる人がいたりとか、したって別にありえるよなって私は思うわけです。
単純に今の科学では、判定できないとか、視覚化できないっていうものが見えてるって全然ありえるじゃないですか。
動物とか虫とかだって、全然違うものの見方してますよね、同じ世界に生きてても。
そういう人が人間の中に現れてても、ありえるよなと思ってます。
ただ私がスピ界隈に関して打って思うのは、それを利用して金儲けをする人に対してすごい拒否反応があります。
なんでそんな自分が拒否するのかなって考えてたんですよね。
06:01
なんかずるいっていう気持ちがあるのかなみたいな。
要はスピリチュアルって証明できなかったりするじゃないですか。
あなたはこうでこうで、こうだよみたいな。
占いとかでね、こうなるからって言って、それを信奉する人がいて、お金を取るみたいな。
それが事実かどうかわからない、本当かどうかわからないものを与えて、お金を取るっていうところに気持ち悪さをすごい感じるわけですよ、私は。
でも言ってみれば事実かどうかなんてどうでもよくて、
スピリチュアルを発信する側の人が言ったことが受け取る側の人にとってハッピーであれば、それでいいじゃんっていう考え方も全然あると思うし、
それはそうだよなと思いつつ、じゃあ、例えば偽物の宝石をこれは本物だって言い張って、
売って、買った方も高額なお金を払って、ハッピーだったらそれでいいのかって言われたら、やっぱり良くない気がするんですよね。
私が気持ち悪さを感じてるのは、スピリチュアルで人に何かする人が、そのことを心から信じてなくて、
なんか違うとか嘘だなって思いながら、それでも信じる人に対してそれを渡していく。
この価値はないよなって思いつつも、でもこの人たち買うんだからいいよねとか言って、
水晶玉渡すとか、占いに何万取るとか、そういうことを本人がやっぱりいいと思ってないのにやって、
それでなんかいろんな人から搾取していくっていう構図に耐えられないんだろうなと思うわけです。
だから私はそういう構図が嫌いなのであって、自分は本当に見えているとか、聞こえてるとか、確信してるとか、
それをただただお金というものが得たいためだけに利用してるんじゃないっていう人が言うスピリチュアルのことは結構面白いなというふうに思っています。
で、話がそれにそれにそれたんですけど、吉本バナナ先生はご自身の結構スピリチュアルな体験とか、
なんか旅行に行ってすごいいろんな声が聞こえるとか、いろんなことが起こるとかみたいなことを経て、
スピリチュアルな方々、何人かと対談してご自身の考えを書いているエッセイみたいな感じですね。
それは結構面白かったです。
さっき言ったことと同じなんですけど、要は彼女がたどり着いた生き方とか考え方みたいなものを説明するにあたって、
そういうスピリチュアルというものが彼女には一番しっくりきたんだろうなっていうのが私の感じ方だったし、
そういうものを感じれるのはむしろ羨ましいなと。
怖い例とか見るのは私本当大勘弁なんで全然いいんですけど、いいなというふうに思いました。
09:03
またその確信具合がもう清々しいレベルというか、いろんなことを通して彼女も確信したと思うので、
最初からそうじゃなかったと思うんですけど、もう自分は作家になるって決まってたし、
こういうことをするって決まってるんだっていうところの数々がかなり面白かったです。
彼女に言わせれば、運命っていうものは決まっているけど、でもそこに対して人間個人個人は自由な意思があるし、
能力があるし、自分で切り開いていけるんだっていう、ちょっと相反しますよね。
運命ですべて決まってるはずなのに、自分で切り開いていける。
そういう矛盾したでも世界の設定みたいなものを感じてるって言ってて、私も思うんですよ。
それって誰も証明してくれないし、だから何って考え方だけど、大まかな運命って決まってて抗えない部分はあって、
どうしてこうなってしまったんだって考えてももうそうなってるんだって、受け入れるしかないみたいなものは人生にありながらも、
でも人生の大半において、自分自身がいろんな可能性を追求していけるんだっていうふうに、
信じていた方が生きやすかったり楽しかったりするっていうことあると思うんですよ。
だからそういうことが書いてあって、牛本バナナさん風に、とっても面白かったです。
地に足がついているというか、このね、地に足がついているってワードもスピ界隈ではものすごく使われるなと私は思ってます。
地に足ついているってどういう意味ですか?みたいなことをね、スピリチュアル系発信者に詰め寄ってる人も見たことあるんですけど、
なんか私が勝手に思うに、やっぱスピリチュアルに系統してどっぷりハマっていいように搾取されていると、
私から見て思う人って、本当にスピリチュアル中心に人生回ってるんですよ。
家どこに建てたらいいと思いますか?どの方角がいいと思いますか?とか、私はどんな仕事に就いたらいいと思いますか?とか、
どんなところが私のいいところですか?とかを、なんか全てそのスピリチュアルなものに教えてもらうみたいなね。
いや、なんか誰の人生生きとんねんみたいな気持ちじゃないですか。
全部そのスピリチュアルのサムシングに決めてもらって、それはあなたがあなたとして今せいを受けて生きる意味は何なんですか?みたいな気持ちになるじゃないですか。
そういう時に言うんですよ、このスピリチュアル発信者の人は。地に足をつけていきましょうと。
そういうことだよ、ふわふわおいて自分がないみたいなこともあると思うし、スピリチュアル発信者が全員悪い人のわけじゃないんで、
言葉を選びたいなと思いつつ、でもそういうふうによくかかってくる人は、結局スピリチュアル発信者の人にとってはめんどくさいんだろうなと思うんですよ。
私のことを背負ってください、背負ってください、みたいな感じで来て、いやそこまでは全然背負いたくない、こっちはパッパッと判定したことを言って、
それで自分で考えてほしいのに、何をこっちに乗ってこようとしようやと、地に足をつけろと、自分の足で立てっていうことを言いたいんやろうなと思って、
12:06
そのようなやりとりを勝手に離れたところから見て、にやりとするなどしております。
何が言いたいねんって感じでしたけど、面白かったです、違うことをしないことということでした。
そのうちちゃんとノートにも読書記録としてまとめたいなと思っております。以上です。