1. ひぐちとふじいでなに話す?
  2. 潜入!パリの小学校!芸術を学..
2025-10-25 33:32

潜入!パリの小学校!芸術を学ぶことで、自分と社会の接点を模索する。

26 ひぐちはフランスの学校に行ってきた。教室は先生のもの?パリ市のアート教育。教育における自発性と一貫性はどちらも大事という話。


※樋口も藤井も偏見と偏愛で経験から話すため、根拠・裏付けがあったりなかったりで話してます。

マエノメリかつ「信じるか信じないかはあなた次第」的なノリで聴いて頂けると幸いです。


美容師の専門学校で出会い、席が前後だったひぐちとふじいが結論がない話をひたすら話し続けるPodcast番組。

美容師の道からは2人とも方向転換し、樋口はアパレルショップ・造形教室の経営、藤井は営業職として働くサラリーマン。「ファッションからビジネス、愛知、人間」様々なテーマでの会話をお届けします。

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サマリー

フランスの小学校を見学する中で、美術教育や教育体制の違いに焦点が当てられています。パリの学校では、外部講師のアーティストが授業を担当し、教員の地位の高さが特徴として語られています。パリの学校教育では、自発性と一貫性が重視されており、特に芸術教育ではその柔軟なアプローチが際立っています。学生は自分で道具を選び、独自の視点で作品を表現することで、技術的なスキルだけでなく、自分自身を受け入れる力も育まれています。フランスの学校を通じて教育環境の重要性が語られ、教育者は多様な視点を持つべきだという考えが強調されています。教育方法の選択肢を持つことは重要であり、教育者の考え方が変化することも理解されるべきです。

00:07
樋口です。
藤井雄成です。
関順が禅語だったアパレルショップオーナーの樋口とサラリーマンの藤井が偏見と偏愛で話していくポッドキャスト番組です。
はい、というわけで海外出張編第2弾。
第2弾。
フランスの学校見学
今回は、僕がフランスに行って、買い付けももちろんしたんですけど、
フランスの学校を見学させてもらったんですよ。
なので、そのところの美術教育とかを見たくて、っていうところの話をしていこうかなって思ってます。
そうね、めちゃくちゃ聞きたいことたくさんあるわ。
そもそもこれはもう行く予定が決まってて、行ったの?フランスの学校に。
そうそうそう、さすがにこれはもう現地機関とかじゃ無理だな。
現地機関で、ちょっと小学校を見学していいですか?は。
場合によってはいろんな問題ありそうだもんね。
いやー、めちゃくちゃやね。結構厳しかった。
やっぱそうだよね。特に日本もだけど、海外ってそういうの厳しいって言うもんね。
厳しかった。やっぱ写真も生徒を写しちゃダメだし、
やっぱ行っていいところと行っちゃいけないところの神聖もあるしみたいな。
意外と厳しかったね。
そもそもどういうルートでフランスの小学校に行けることになったの?
そうだよね。俺も実際すごいナチュラルに行ってきたけど、
意外とこれ誰もやってないことやってる気もするもんね。
確かにそうだよね。
っていうのも、ギャザーやってて、ギャザー応援してくださってる方、
たくさんいらっしゃってありがたいことなんだけど、
その中の一人で、ギャザーの近くで、学童じゃないんだけど、
子どもの託児所みたいなところをやってる方がいて、
その方の親族の方が結構ヨーロッパの方に留学したりしてるらしくて、
ヨーロッパで知り合いがいるよみたいな話を聞いて、
そしたらヨーロッパで誰か向こうで紹介しようかみたいなことを言ってくださって、
じゃあフランスの小学校行きたいんですけどみたいな話したら、
え、行けるんじゃないかなみたいな話で、
え、マジそんな感じで行けるの?
で、じゃあ聞いてみるよみたいなことを言ってくださって、
で、その方の紹介で、
まずフランスに住んでらっしゃるコーディネーターさんというか、
料理研究家でありフランスのコーディネートをしてる方を紹介してくださって、
で、そこの方のさらに知り合いに、
小学校に実際に通ってるっていう日本人のお母さんの方を紹介してくださった。
そう、で、そういうこう地図つなぎというか、
そこを全部全員紹介してくださって、
日本にいるうちに全員をなんかこうご紹介をいただいて、
で、日本人でなんかこうそういう活動をしている方がいるみたいだから、
僕らのことね、造形教室みたいなのを活動している方がいるみたいだから、
小学校を見学させてほしいみたいな申請を、
そのフランスの小学校に娘さんを通わせているお母さんが学校に申請してくださって、
で、僕らはなんか分からんけど申請が通って入れたっていう。
そうなんだ。
あ、じゃあその向こうの学校の保護者と連携して結果的に行けたみたいな感じだったんだ。
そうそうそうそうそう、そうなんだよ。
で、現地着いたら、なんか実際にこうどういうことされてるって説明した方がいいですかねみたいな。
もう一応向こうの学校にはもうお二人はアーティストっていう感じで伝えてるんですけどみたいな。
俺ら、マジ俺らアーティストだっけみたいな。
アーティストか。
アーティストなんだろうな。
なんかもっと僕らが作ってるっていうか、なんか編集というか、
なんかそういう場作りみたいなのをしてるんですけどねみたいな感じで伝えたんだけど、
んー、まぁでもアーティストでいきましょうって言われて。
もう俺らは本当に話早い。
俺らはまぁアーティストかっつって。
でも絵的にはさ、あのー、なんかお二人ともそういう風にも見えなくないもんね。
そうね、なんかそう伝えた方がまぁ伝わりやすかったのかな。
まぁその方がいいかっつって、アーティストとしてパリの学校に行ってきたと。
あ、そうなんだ。
教育体制の違い
でもそれで言うとね、実際日本の小学校とパリの小学校だと結構違うの?
違うね。
そもそもやっぱそのお母さんが言ってたのは、なんか私ですら入ったことないし授業を見たことないって言ってて。
あーそうなんだ。
なんかお母さんとか保護者が入ることも結構なんかこう嫌がられるらしくて。
っていうなんかこう、なんだろう、多分だけどそのお母さんとか、だから先生っていう立場がやっぱなんか結構高い、高い気がするくらいが。
だからなんかこうモンスターペアレンスみたいな、日本が先生、日本の先生が親御さんにヘコヘコするみたいなとか、なんかそういうのはもう全然ない気がする。
なるほどね。
からなんかもう先生の領域みたいな、なんか守ってるし入れないように、そんな簡単に入れないように守ってるし、やっぱ教室自体も生徒のものっていうか先生のものっていう感じだから。
もう先生がいないと学校のその先生が生徒を移動させるみたいな。
先生なしじゃ勝手にあんま移動しちゃいけないっていうかさ、その図工の教室から中庭、で中庭に集合して図工の教室行ったり、図工の教室から中庭に戻って自分の教室に行ったりみたいなのを先生が迎えに来ていくみたいな、全部行き来が。
はーそうなんだ。
基本的にはその全部移動教室みたいな感じなんだ。
基本的には移動教室、まあ自分たちのクラスはあるらしいんだけどね。座学とかはもう座学、そのいつもの教室みたいなのはあるらしいんだけど、
基本的には移動みたいなとか、なんかそういうのは本当に先生主体でやってる感じがするな。
確かにね、その日本で考えたら、なんか教室ってどちらかと言えばね、先生が順々にこう移動して、他の先生に代わったりとかして、その時には生徒がそこにいるものっていう感覚は確かにあるもんね。
それこそ授業参観なんてね、あの結構頻繁にされてたりとか、日頃から保護者が学校に来るっていうことってまああるにはあるもんね。
すごいとこはあるなと思った。まあ別に日本の先生が位が低いとか、なんか全員がヘコヘコしてるとかそういうわけじゃないけど、
そういうわけじゃないけど、なんかそういうこうなんだろう、地位が高いのかなってなんか思うぐらい先生がちゃんと支配してるっていうか、
なんか意外と規律が正しかったっていうふうに思う。
そうなんだ。それこそ学年とかさ、その教科とかに関しては、その母国語っていうか、いわゆる国語的なものとか数学的なものとか普通に同じようにあるの?
そうだね、それはすごくいい質問。それはですね、基本はフランス語の教室。基本はフランス語でやるんだけど、やっぱりパリ市内は移民の町だからイタリア人も結構多いらしくて。
イタリア人が多いんだ。
多いのかわかんないんだけど、イタリア語のクラスっていうのがもうちゃんと用意されてて、もうあそこはイタリアのクラスなの、みたいな言ってて。
イタリアの国旗がもうなんかクラスのところにポンって貼ってあって、でこっちはもうフランスの子たちが授業を受ける教室だよって言ってたから、なんか本当に母国語っていうか国の言葉で分かれてる。
あ、そうなんだ。え、それって普通のいわゆる公立っていう概念があるのかわかんないけど、その公立の小学校なんだもんね。
うん、公立の小学校。
そうなんだ、じゃあ本当に当たり前にそこのイタリア人とかが混じってるのが当たり前だから、もう事前にそれで設計されてるんだ。その国ごとに分かれるっていう形で。
あ、そうそうそう。でも見たのはイタリアのクラスとフランスのクラスだけだったから、基本フランスでいくっしょみたいなスタンスだと思う。
まあでもそうだよね、その中でもやっぱり割合がイタリア人の子が多いからそれが実現できてるっていうのはきっとあるよね。
そうそうそうそう、多分そうなんだと思う。
あ、そうなんだ。でも今回そのアーティストとしてさ、来校したわけじゃん。
そうだね。
普通にそのいろんな学校の中もそうだし、その授業中の授業の中に入らせてもらって見せてもらった形なの?
そう、もう図工のクラスを見たかったから、もう図工の授業やってる時間を教えてもらって、もうその図工の授業の時間に行ったって感じかな。
あ、そうなんだ。それこそね、そのアートの街って言ったらあれだけど、パリって言ったらね、いろんなそれこそ有名な美術館とかもあるし、
なんかそのなんとなくアートのイメージっていうのがあるけど、その学校教育っていうところだと、なんかそれこそ日本との違いみたいなところって何かある?
アーティストを呼ぶ学校
あー、あるね。まず先生がアーティストってところが、まずそこがなんかもう外部講師呼んでて、その日本だとその一人の先生が全教科見るみたいなのが小学校の形だけど、
パリ市内の学校だと、やっぱりその美術、音楽、体育とか、なんか表現するみたいなことに関しては全部外部講師が来てて、しかもそれもアーティストだったり、元オリンピック選手だったりとか、なんかもうそういう超ハイレベルな人たちが来るらしいです。
あ、そうなんだ。それはその単発の外部、その一日だけとかじゃなくて、もうその年中通じてその人がもうその教科を担当するって意味で外部から来てる感じなの?
そう、外部から来てる。
いや、それすごいね。
すごいよね。で、その外部から来てるっていうのは、でもパリ市内だけで、やっぱりの外から外に出ちゃう、外に出た地方とかだと、もうまあいつも通り、というかまあ一般的な一人の先生が全教科見るみたいな形のスタイルらしくて、
やっぱなんかパリっていうその、まあアートの街だったりとかするところも、そのやっぱその、多分元オリンピック選手とかも多分セカンドキャリアとしてそこを選べるから、そこにいたりとか、
アーティストの人も自分のアートの活動をするけど、それともう一つ何かやることで表現活動もやりつつ、美術も教えるみたいな、そのなんかこう二足のわらじができることで自分も生活できるみたいなのもあるから、
そういうこうまあ人が集まっているからというのもあるらしい、あるというかね、そういう表現している人が集まっている場所だから成立するんだよね。
なるほどね、そっか、それがそれこそね、ごめんめっちゃ想像で話しちゃうけどさ、そのまあいわゆるパリ市としてそれをやってるっていうことを考えると、確かにそのそれだけ呼べる選択肢があるからっていうことだし、
それこそそういう活動に対してアートの活動とかが続けていけるような補助金じゃないけど、そういうものの一部っていう考え方もできそうだもんね。
そう税金がねそこに回せるっていうことはやっぱりまあすごいことじゃないかな、しまああと現状ってかまあその現実的な話すると、パリだとはいえやっぱりそのアーティストがアーティスト活動一本だけで飯食うっていうのも大変だから二足のわらじしてるっていうのも側面としてあるんじゃないっていう風には言ってたね。
あーなるほどね。
そうそうそう、とはいえっていう、そんなアートの街とはいえ一本で飯食っていくのは難しいと思う。評価してもらえるけど。
まあそうだよねそうだよね。
それでいうとさ、実際にその、いわゆる比較するのが日本の学校だとそのいわゆる図工とかとの比較になってくると思うんだけど、そこの実際の中身っていうのはどういう感じだったの?
いや、これね中身がね超面白かった。なんかまず僕ら見た内容、というか学年は3年生のクラスを見たの。で、まあ3年生、まずパリっていうかフランスの学校が1年生から5年生までしかなくって、中学校が4年間あるみたいな形らしいんだけど。
それも全然俺知らなかったんで、そうなんだみたいになって。で、やってる内容も3年生のクラスだったんだけど、やってる内容がこれ今の他のなんだろう、学校で言うと6年生の内容ぐらいのこと、まあだから中学生レベルのことを今3年生でやってますって言ってて。
まずそのパリ市内のそのレベルの基準が早かった。で、音楽とかの表現に関しても、なんか日本でリコーダーじゃん。リコーダーなんだけど、向こうだとリコーダーはなんかおもちゃみたいな感じで、もう次はクラリネットに行くんだって。
芸術教育のアプローチ
で、確かクラリネットだったかな、確かそれに行くらしくて。で、クラリネットをやるとか、クラリネットもクラリネットやるのか何やるのかみたいに選べたりとか、なんか選択肢が選択肢があるんだってめっちゃ。
そもそもどの曲を弾くとかじゃなくて、その楽器から選択肢があるってこと?
楽器から選択肢があるし、しかも美術のクラスの使ってた道具とかも、学校にも道具が置いてあるんだけど、自分はこの道具がいいみたいな人がいたら、自分で買って持ってきていいよみたいな。
みんな同じ道具でやろうよみたいなのじゃなくて、もうなんか全然自分の目指すレベルに合ったものを使っていいよみたいな、そういう選択肢がすごく多いなって。
そうなんだ。いやでもそれに考えてすごいね。その幅を広げるのは簡単だけどさ、それにちゃんと教えてあげられる土壌もあるっていうことだもんね。
いやーそうなんだよ。ちゃんとその技量があるんだよね。それすごいよな。
その道具知らんよ先生みたいな。なりえそうじゃない?そんな選択肢があると。
いやーそうだね。
それがないっていうのがいいな。で、ここからさらに掘っていくんだけど、やってた内容が、何の授業をやったかというと、絵を描いている授業だね。
で、絵を描いている授業で、今回の絵の授業ではレイヤー、背景があって、山が背景で、
で、さっき送ったアルバムの中からさ、16枚目だね。背景が白で、その手前にオレンジの森があって、緑の家があって、目の前に見えるのが一番自分の近くに見えるのが黒の木。見えるこれ?
で、この遠近のレイヤー、何を奥に置いて、どのくらいの大きさで見えてる?山が本当は一番でかいんだけど、山は遠くに見えるから山は一番小さく見える。
逆に木は一番山よりも家よりも木が一番小さいんだけど、手前に見えるから一番でかく描くみたいな。
こういう距離感の話、距離感を絵で表現する時の手順みたいなのをレイヤーでちゃんと色分けして見せて、爪がめちゃくちゃ上手いし、このレベルのことをやるんだみたいな。
ただの模写とか写生とかじゃなくて、こういう視点で教えるんだみたいな。本当に技術的なことをやってて。
自己受容の重要性
まず賞賛でこのレベルやってるのにびっくりしたっていうのと、なんかね、それをね、今回ね、12枚目と11枚目を見ると、これ道具何使ってるかわかる?描く道具。
え、これ万年筆的な?
そうそう、万年筆で描いてる。万年筆で描いてて、本当に墨付けて万年筆で描いてるんだけど、まずこの、さっき言った通りこの万年筆、12枚目の子は学校にある万年筆を使ってるんだけど、
11枚目の子は、なんかもう自分で買ってきた、なんかハリボッタンみたいな羽の万年筆で描いてるんだよ。
かっこいい。
すごい。かっこいいよね。
金の絵に青い羽がついた万年筆ね。
すごいよね。すげーのよ。めっちゃおもろくてさ、羽で描いてんじゃないのよ。
すごい。っていうか、そのベーシックが万年筆なんだね。
そう、そこなんですよ。そこなんですよ。で、俺聞いたら、なんで万年筆使ってるのって、正直万年筆の機能ってさ、ボールペンでいいじゃんって思うじゃんか、1000円描くんだから。
って思うから、なんで万年筆使ってるのって聞いたら、使ってる理由が2つあるみたいになってて、で、この11枚目のさ、に描いてる絵をさ、ちょっとアップしてほしいんだけどさ。
まず、まず1つ目、なんで使ってるかは、まずは、その万年筆っていう道具があるっていうことをまず知ってほしい。
うん、ボールペンとかじゃなくて、こういう道具があるんだよっていう、古い道具があるんだよっていう、墨つけて。
で、で、もう1つが、その万年筆で描くと、このね、墨だまりができるっていうのが伝えたいっていう。
こうなんかさ、太さが変わるじゃないですか。考えてる途中とか、それから、なんか描きながら考えたりとか、墨がつけすぎちゃったところとかが、太かったり細かったりするじゃんか。
こういうノイズが走ったりとか、それから、自分が思ったようにいかないこと、それを受け入れることを学ぶんだって言ってて。
で、そう、すげーわー、なるほどって。それを受け入れて、さらにそれを表現として認めていくんだよみたいな。
これが、この思い通りにいかなかったことが表現なんだよみたいな。っていうのを受け入れていくために、この万年筆を使ってるんだみたいな言ってて。
ほー。
いやー、なんか、めちゃくちゃ面白いなと思ってさ。
いやー、素晴らしいね。
いやー、素晴らしい。確かに、もっと大きく言うと、誰かから何かされたりとか、自分の意図的なものじゃない外部からの影響で、自分の予定が変わっちゃったりとか、何かが汚れたりとかすることもあるけど、
でもなんか、そういうことも受け入れていくんだっていうか、その生き方すら学べるような、なんかすごく広く学べるようなことを、この万年筆を使って伝えてる気がして。
本当はこんな考えの人が小学校の先生、公立の小学校の先生でやれてるっていうのが、すごい幸せなことだなと。
いやー、ちょっとクルトが使ってる場合じゃないよね。
ずっと、ずっと同じ大きさをキープしてる場合じゃないよね。
マジで。
落ちてぷにぷにのサーフェン使ってる場合じゃないよね。
いやー、もう、マジでさ、日本はちょっと過保護なんだよ、めちゃくちゃ。
いやー、ほんとそうだね。
クルトが使ってる場合じゃないよ。
マジでさ。
いやー、でも、なんか面白いし、なんかやっぱすごい特徴出るよね、その根本の考え方にさ。
そもそもね、ペンの話でなんか考えちゃうと、なんかボールペンとかってそもそも日本から、日本が開発してるものじゃん。
ずっと同じ太さで出る。
で、先端にボールが付いて。
で、同じ太さで書けるっていうものが。
そもそも日本の技術だと思うんだけど。
なんかそれで考えたら、ちゃんと慣らされてるっていうか、その均一な良さっていうのもあるじゃん。
それはその太さの話じゃなくて、教育に関しても均一に最低限ここはみんなが知ってるっていう。
いわゆるザ・ギム教育っていうようなさ、ここまではみんな小学校6年間でできるよねっていうラインがちゃんと引いてあるっていうのはすごい。
それはそれで、難しいけどそれを実際日本でできている状況だと思うんだけど。
なんかそもそもの、これは美術の教科だからっていうところもあるのかもしれないけど。
そもそもの考え方としてね、なんか許容度を上げるみたいなところとか。
うまくいかないことを前提に授業が作られてるっていうのは、なんかそもそもの根本が全然違う感じするね。
全然違う。本当に根本的に違う。だって均一なこととか人と同じこととか求めてないもんだって。
そうだよね。選べるんだもんね。
そうそう。花から求めてない。その子が選んで考える。
それが当たり前っしょみたいな。
なるほどね。
全然違う。
それで言うとさ、さっき俺収録してないところかもしれないけど、不登校が少ないっていう話もあったじゃん。
あーそうだね。
なんかそれも分かんない。どんだけ通ずるか分かんないけどさ。
なんとなく自分の実体験として、あんまり勉強とか、これ前も話したけど、勉強とかあんまりちゃんとしてきてないっていうのを考えるとさ、
やっぱ自分で選んでる感じがしないまま勉強してきちゃったっていうのがなんとなく感覚としてあるっていうふうに思ったときに、
なんか自分で一部をちゃんと選びながら進んでいけるっていうところに、
なんかその不登校が少ないとかちゃんとみんなが学校に行くみたいなところもつながるのかもね。
なんか不満がないと思う。不満っていうか、自分で選んでるから、なんか納得できてるのかなみたいな。
心の整理がつきやすいのかなと。
そうだね。
あとなんか、大人になってからの話なんだけど、なんか大人になるとちょっと病む人も多いらしくて、
なんかなんでなの?みたいなそれは話。
それはまた別の人から、別のフランス人の人から聞いたんだけど、
フランスの街が曇りが多いらしくて、曇ってると心もだんだん曇ってくるというか、
なんかそういう気持ちになるらしくて、悲観的というかならしくて、うちにうちに入ってくる。
なんかその天気が人の心を左右するみたいなことを言ってて、
それはそれで、ちょっと全然教育の話関係ないけど、
なんかそういう天気とかそういう環境のことも大事なんだなって、
人の心を動かしたりするとか、それはすごい感じたな。
ああそうだよね。
でも学校はすごくいい環境でした。
ああそうなんだ。
でもその実際に教育の現場を見てさ、
いわゆる樋口のやってる活動に近いところから考えると、
おかげ座の活動が一番近くで、近いものとして捉えられたんだと思うんだけどさ、
樋口の実感としては、そこから受けた影響とかさ、
こういうふうにおかげ座やっていきたいなみたいなところって、見てみてあったりするな。
でもこれをフランスの学校を見て、すぐに変えようとかそういうことはないけど、
自分たちの中のポリシーもあるし、大事にしてることもあるから、
すぐ変えるってことはないけど、
フランスの教育環境
でも僕的には、俺たちにはフランスの学校を見た上でこれやってんだぜっていう、
いろんな選択肢を知った上で、僕らが作ってる環境はこうだぜっていうのができてるってことがめっちゃいいなって。
めっちゃいいなって思って、そこがすごい。
見れて、それを少なからず先生の考えとかも取り入れた上でやってることが、
俺は素晴らしい環境の一つの中で思ってる。
なるほどね。
街の野球しか知らない、少年野球レベルしか知らない指導者じゃなくて、
少年野球チームを見てるけど、
でもプロ野球の練習風景を見に行くし、
メジャーリーグの練習風景を見に行った上で、
自分的にはこれがいいと思うみたいな少年野球チームを指導してる人のほうが説得力があるじゃんか。
ただ自論でやってるだけのやつよりさ。
ちゃんといろんな視点を持った上でやれてるっていうことが、僕的には健全だなって。
なるほどね。
それが一つの選択肢というか、こういうふうにも考えられるよねっていう今後の広がりになるかもしれないし、
説得力っていうところもそうだと思うし、
確かに教育で正解みたいなものを考えちゃうと、結構違う方向に行きそうだもんね。
いや、まじでね、教育者は突き詰めれば突き詰めるほどヤベェってしか言えてなくて、
いや、ああって、宗教じゃんって考え方次第じゃん。
いや、そうだよね。
いろんな教育方法があるから。
いや、そうだよね。
それは学校の先生に限らず、いろんな塾なのか、いろんな習い事とかあるけど、
実際にやっぱそれをその人が教えるっていう形でアウトプットするのって、
その人もそれなりにそこに善振りしてないとできないこともあるもんね。
自分の中で気持ち半々というかさ、考えとしてこれどうなんだろうって思いながら人に教えるって、
結構そもそも無理っていうか説得力もなくなっちゃうし、難しいもんね。
そう、難しいと思う。
僕らは子供たちが考えるような環境づくりをしてるけど、それがいいと思ってるけど、
もしかしたらガチガチに決めた教育プランで徹底的に育てるみたいな正しさを持ってる人もいるかもしれない。
そこはもう交わることはなかなか難しいから、だからそれが選べるならいいんじゃないかな。
いや、そうだよね。
疑問を持ってることかな。他者にも自分にとって、自分も疑うような気持ちを持ってる人が僕的には信用できるなと。
まあそうだよね。それこそ現段階ではこういう考えっていうような形でいていいわけだもんね。
めっちゃいいと思う。
あるじゃん、たまにあの人前はこうだったとか考えが変わったとか言うやついるけどさ、考えが変わっていいじゃんって思うしさ。
そうね。
考えているから、めっちゃ考えてるから考えが変わるんだから、本質的には変わってないように思うし、すごいそれは驚異的。
結構ね、それを人に求め始めたらね、結構なんていうか、昔はああやって言ってたのにもそうだしさ、自分は当たり前に考えが変わるけど人の考えの変化は許容できないって、結構貧しいというか。
なかなかね、そこが同じように一緒に生活レベルで一緒にいるってなかなか難しそうだよね。
まあでもまあ、そういう視点が増えたのは自分たち的にはもう財産だな。
素晴らしい。
良かったなって、そういう部分の取材でしたね。
いいね、ちょっと買い付けだけじゃなく、ちょっとギャザーの方も海外からの影響を受けて、素晴らしい。
めっちゃ良かった。色んな引き出しが増えました。
いいね。
じゃあ、パリ教育編はこんな感じかな。
教育者の視点の重要性
こんな感じでいいですか。締め方がちょっと、めちゃくちゃ真面目。
確かに。
いや、でも勉強になった。
俺もそう、めちゃくちゃ勉強になった、これは。
ありがとう。
じゃあ次回は、次回さ、普通にファッションというか、ワークの買い付けとかとはまだ別で、色んな展示とかも行ったと思うからさ、その話聞きたいんだけどさ、
なんかあの、駅に閉じ込められてたよね。
ありました。
その話もできる範囲で、次回聞いていこうかな。
それは確かに、なんか繋がる気がする、今の教育の話から。
じゃあ次回も。
じゃあそんな感じで、お願いします。
よろしく。
はい、よろしく。ありがとうございました。
33:32

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