00:03
ゆいなわさんの聞く人ラジオ。みなさんこんにちは、ゆいなわさんの聞く人ラジオのお時間です。今回は、画家坂本一樹さんにお話を伺いました。
学生時代、当時の友人から教えられた美術大学の案内に掲載されていた、日本画の世界に惹かれ、それ以来、画家として歩まれている坂本さん。
こちらのポッドキャストの概要欄に、坂本さんのウェブページへのリンクがありますので、ぜひそちらから坂本さんの作品をご覧いただきながら、このポッドキャストをお聞きすることをお勧めいたします。
そんな坂本さんの、画家としての歩みについてお伺いします。
まずお聞きしたいというか、お仕事のこと、画家をされている。もともと絵を描くのが好きだったってことですか?
そうですよね。でも、ものすごい好きかっていうと、他の人と比べられないじゃないですか。
でも、子供の頃ってみんな絵描くの好きじゃないですか。その延長だと思うんですけど。
愛知県で育ったんですけど、生まれは岐阜で愛知県で育ったんですけど、そこで普通に小中高といって、ちょっと受験校だったので、中学高校が。
こういう美術の方に行く人はほとんどいないんですね。
それで周りに何か見てると、勉強ができる人が偏差値を気にして、いい大学に行っていい会社に入ろうみたいな流れがあるじゃないですか。
何か疑問を持っちゃって、そういう歯車になりたくないっていう、何となく漠然とイメージだけあって。
どうしようかなーってずっと思ってたときに、たまたま友人が、その友人っていうのは小美術省の息子で。
へー、はいはいはい。
で、美術とかそういうものに触れてた人なんですけど、坂本、こういうのあるよって言って、美術大学の予備校のパンフレットをくれたんですよ。
ほいほいほい。
川井塾っていうのが、あの辺では。
うん、川井塾あるんですよね。
そこといくつか知らなかったんですけど、美術系の予備校はね。
03:01
で、そのパンフレットを見せてくれて、見たら、うわこれすごいな、こんな大学があるの?ってそこで初めて知って。
美術で大学に行けるっていうのは面白いなと思って。
で、その作品、参考作品っていうんですけど、受験生の。それにすごく衝撃を受けて。
へー。
これ面白いと思って。
高校、それこそ2年の末ですよ。3年に。これからどうするっていうところで、それを見せられて。
これだと思っちゃって。
へー。
しかもそれで、美術どれでもいいかって言ったら、ちょっと分かんなくて。
あーそっかそっか、いろいろありますね。
油と日本画、デザイン、彫刻ってあって。
あーそっかそっか。
で、あと芸術学みたいな、なんていうか、学問系の美術もあるんですけど、その中で油はちょっとピンとこなかったんですよ。
なんかちょっと抽象的な雰囲気で、ぐしゃぐしゃっと描いてあって、これのどこがいいのか分かんないみたいな。
日本画っていうのが、テーブルの上に布が敷いてあって、器、花瓶とか果物とか、花瓶に花がバッといけてある。生物画ですよ、いわゆる。
それがすごいリアルに描いてある。それを鉛筆と水彩絵の具で。手に取るように描いてあるんですよ。
この景色が。それにびっくりして、こんなことができるんだっていう。
日本画っていうタイトルなんですけど、タイトルっていうかコース。
日本画って全然分かんないまんま、これ面白いと思って、その日本画コースに申し込んじゃって。
ちょっと遠いところに、名古屋の川井塾なんで、自分が住んでるところから遠いんですけど、そこまで毎日通うようになって。
そこから道具を手に入れて、水彩絵の具とか筆とか、デッサンの道具とか。
そこからですね。
でも、絵がそれまで大好きだったからって、ずっと描いてたかっていうとそうでもなくて。
たまに落書きとかね、その時流行ってたガンダムだとか、子供がやる真似事みたいなのはやってたけど、
絵をやってたかっていうとそうではなくて、そこからデッサンっていうこととか。
もうこんな器をね、1個紙に写すっていうのはむずい難しいことだから、そこからなんですけど。
06:06
その1個1個が楽しくて楽しくて。
受験勉強って言っても、あまり工夫じゃなかったんですよね。
そうなんですか。
絵を描いて受験をするわけだから、それを一生懸命やればいい。
勉強もあったんですけど、そんなに難しくない。そんなに問われない、受験ではね。
絵がしっかり基礎の力があるかどうかっていうのを見られたんで。
本当にそこからがスタート。
ああ、そういうことですか。
じゃあ結構若い頃というか、10年頃からそういう道がある程度、道というかそっちにスッと入っていったっていう。
ただ受験はね、受験っていうことは、大学に入るってことは目標ができるからそれでいいんですけど、
大学に入ってから、あと大学に出てから、そこからはまた別の問題がある。
ああ、そっかそっかそっか。実際だから就職するみたいな話が、もしかしたらそうですよね。
そうですそうです。
行く人も当然いるでしょうし。
そう、もちろん。そこからどうするかっていうのは大変な。
美大ってね、イメージだけで。あの時はバブルだったから。
僕らね、自分が子供、18区の頃、バブルなんてことは全然意識してないですよね。
真中にはそうですね。
世間はそうだったのかもしれないけど、父親なんかは不動産屋さんに勤めてる人で、普通の人で。
でもやっぱりバブルの恩恵ってあったんですよね。
自分で40代、全般には自分で家を建てたわけだし、新築でね。
そんなの今、なかなか思い出してるんですよ。40くらいじゃ。よほど成功してる人じゃないと。
今思えば全体がそうだったっていう中で、どうなるかわかんないよ、そんな絵描きなんてね。
そんな道に進ませてくれたっていうのも、時代の流れかなって今思えば。
その先就職どうするのとか、そんな全然なくてね。
でもとりあえず美大に入りました。日本画っていうのをそこで初めて知ったんですけど。
これをそっくりに描くっていうのは、全然また別の話になってきて。
できる人しか入ってこないから。
で、絵描きっていうのは、基礎があったところでそれが作品にはならなくて。
その人の個性だとか、世界観とか、世の中をどう見るかとか、そういうものが作品になってくるんですけど。
09:00
そんなのまるっきり何もない状態で、どうするのって感じで。
あとは日本画っていう技法もね、結構めんどくさくて。
和紙に、にかわで岩絵の具っていうのを解いて、岩絵の具っていうのはね。
たくさんまだ持ってるんですけど、こういう感じの砂状なんですよ。
これをどっさりあるんですけど。
すごくね、ちょっと使うのも厄介だし、高い。
ちょっとでもすごく値段的にも高くって。
今は保留で使ってないんですね。こういう絵では。
ずっと使ってたし、まだこれからも使いたいと思ってるんですけど、ちょっと今保留の状態で。
これを大学入ってからようやく知って。
にかわっていう動物の骨とか皮を煮出して、煮こぼり状態になった。
それもあるんですけど。
こういう状態のもの。
これ牛の骨とか。
これ昔からの素材なんです。
今もちょっと廃れてきちゃったんで、前やってた会社がないかもしれないですけど、
京都とか奈良では作られていて、本当に年季の入った工房で、
大きな鍋に鎌に骨とか皮を詰めて、長時間煮てできた煮こぼりを固めたものがにかわ。
これを湯煎で溶かして、のりとして、これと皿で練り合わせて、ようやく使えるっていう。
その工程を経てようやく。
それで日本画っていう、多摩美術大学の日本画コースでは、まずその画材になれるっていうとこから始めるんで。
12:01
基礎のうちは花とか、予備校で描いてたようなものを描きながら技術を習得していくっていうスタイルで。
たまに自由に描いてみなっていうような感じで、自分の選んだモチーフとか世界観を描くみたいなことやってたんですけど。
それでだいぶ4年間のうちに、間にだんだん卒業するまでに何かをつかんでいくっていうことでしょうね。
風景とか、動物園に行って動物描いたりとか。
じゃあ結構いろんなものは置くか気になってて、それで探していく感じ。
そうです。自分に合うものを探していくっていう感じ。
急にあれですけど、それで今作られてる作品に、当然間があると思うんですけど。
間があるんですよ。
ありますよね。だからそういうのって、なんだろうって言ったらわからない。
そこに行くまでの坂本さんの軌跡みたいなものがきっとあると思いますし。
そうですよね。
そうですよね。
例えば最近見せていただいた、今のような重ねてずっと描いていくみたいな話聞きましたけど。
これに至ったのはなぜかとか。
この間もお話のときにお聞きしたような、これ行ってみようってそれをしばらく続けて描いていくっていう。
大学の課題の中で、動物を描く課題で、多摩美術大学があった八王子の近所に多摩動物園っていうのがあって。
あそこへ通ってたんですけど。
そこのアフリカ園っていうのがあって、キリンとかライオンとかゾウとかいるんですけど。
子供の頃は動物園に行きますけど、あえては行かないですよね。
そうですね。
大人になってから、子供がいれば子供を連れて行くっていうのがあるかもしれないけど。
大人になってから見ると、その存在がすごいんですよ。
なるほど、確かに。
キリンやゾウ。
確かに確かに。
恐竜みたいなもので。
そうですね。
えー、なんだこれすごいなって。
もうすごく面白くて、結構描いていたんですね。
それで、その存在自体に面白さを感じて。
なんかこういうものが生まれてきた。地球ってすごいなとかね、宇宙ってすごいなみたいな。
いろんなことを思いながら、アフリカの動物を結構どーっと追っかけて。
あとはアフリカ。なぜか、当時大学生の頃、アフリカの音楽っていうのをたまたま聞いて。
15:01
この中にも結構あるんですけど。
アフリカってことがすごく面白いと思って。
えー、そうなんですね。
音楽とか、あと造形とか。
これもそうなんですけど、これアフリカのね、ギニアのベッドなんですよ。
ベッド?
一木造りで。
そうですよね。
しかも風格もすごいでしょ。数十年どころではないと思うんですよ。
これ手に入れたのが、もう30年ぐらい前なんで、その時点でこの状態だったんで。
あー、そうなんですね。そっから30年ぐらい経ってるっていうこと?
そう。ここまで風化してるのって、100年以上経ってたかもわからないし、面白い。
まあ、こういうの扱ってる店ではあるんですけど。
あとは、これもそうなんですけど、これタンザニアのマコンデっていう彫刻。
というか、アフリカが面白いと思って。音楽もそうだし、仮面もそうだし。
面白いと思って、ケニアに行っちゃって。
そうなんですね。
ケニアで買ってきたんですけど、仮面は。
何か、坂本さんが惹かれる何かが、アフリカ的なもの?
何なんでしょうね。素朴さっていうか、力強さみたいな。
それでね、すごい夢中になってた時がありました。
それってやっぱり、絵に影響というか?
そう。でも、絵を描くっていうのも、やっぱり自分の中のパッションをぶつけるっていうのは。
最初に受験の頃に夢中になって描くときもそうだったと思うんですけど、
やっぱり夢中になっているものをガーッと描きたいと思うんですね。
それで、アフリカにまつわる。
描くときはどうしても文字譜を決めなきゃいけないから、
じゃあ象徴としてアフリカの動物っていう感じで、しばらく描いてたんですね。
ちょっとそのまま参考になるのも。
ありがとうございます。
ちょっと前の作品集。
そうなんですね。本当だ。
まさに。
まさに。
でもすごい。
でも、なんでこのキリンをこう描こうってする何かがあるわけじゃないですか。
18:04
そうですよね。
なんか不思議に思ってしまったんですけど、これ見させていただいて。
これ結構大きいですかね。
大きいですね。
そうですよね。
大きいですね。
だって何かキリンをこういうふうに、さまざまにというか、重ねてなのか。
でもやっぱり写真に撮ったみたいに、そのまんま動物園にいるのをそのまんま撮って、
作品にはならないんですよね。
そっかそっかそっか。
やっぱりいろんなこう、
構成はしなきゃいけない。
そっかそっか。
作画するの。
その時にいろいろ生命感とか面白さをより見せるように工夫したんだと思います。
そっか、そういうことですね。
こういう表現。
現実に像の群れを前にして描いたわけじゃなくて、構成するんですよ。
そっかそっかそっか。
もう最大限に面白さを出すために工夫したんじゃないかなっていう。
はいはいはいはい。
そっか。
あ、すごい。
あ、すごいですね、これもまた。
この色。
この色にしようってするんですよね、考えるというか。
そう、やっぱり構成するんですよ。
え、すごいな。
95年、2001年、20年とか25年とか。
25年とか、そうですそうです。
2000年ぐらいまでは動物描いてたんですけど、
これは木炭だけで描いてるんですね。
木炭だけで、岩絵具使わないで。
はいはいはい。
さっき岩絵具が保留にしてるって言いましたけど、
一枚描くのにものすごい時間がかかって、
なかなかね、パッションを画面にぶつける。
手前にあまりにも長い時間がかかっちゃうんで、
だんだんそれをキープするのが難しいんですよ。
ああ、そのパッションをこう。
そう、画面にぶつけるっていう。
そういうことか。
だけにならないっていうのかな。
そこに至るまでに時間がかかってしまうと、
持ち続けられないみたいな。
そうそうそうそう。
それをどうしたらいいかなって。
そこの時間ができれば短くなるってことですよね。
そう。
パッションをそのままに出していく。
そう。それでね、ひらめいたのがこれは、
鉛筆とか木炭でガーッとかなり短時間で
描くっていうことをやったりしましたね。
とにかくね、やっぱ絵を描くっていうのは、
モチーフに頼ってそうやってやってましたけど、
自分の絵を描くっていうのは、
そうやってやってましたけど、
自分のその時その時のパッションですよ。
それをどうやって込めるかっていう。
21:01
別に動物じゃなくてもいい。
ああ、そっかそっか。
これモチーフであって。
モチーフであって。
でもその時は分かんなくて、
動物やってましたけど、
これはもうちょっと前かな。
そうですね、92年のところですね。
大学卒業してすぐあたり。
その時に好きだった作家の絵の
トリビュートっていうのは、
真似ではないんですけど、
エッセンスを借りて、
ちょっと近い画風にして描いてるんですね。
この絵を描いてるときのことって
覚えてたりするもんですか?
もちろん覚えてますよ。
この絵はこの思いを持ってして、
時間も当然制作時間もあるから、
これに向き合ってずっとやってるんですか?
そうそう。
っていうのは今も体に残ってる?
残ってます、残ってます。
そういうパッション的なものは、
だんだん歳を重ねて絵を枚数重ねていくと
変化していくんですか?
変化はするのかもしれないけど、
でも絵に向かう気持ちは、
それが基本だから。
パッションがなきゃ。
そうか。
一枚も描けないと思うんですね。
だからそれをどういうふうに
自分で焚きつけて維持していくか、
それが絵描きの暮らしだと思う。
そういうことですか。
それをずっと持ち続ける。
それを持ち続ける。
そうですよね。
全部それ。
全部それ。
こういうのもそうだし、
ここで暮らすということ自体が。
そういうことですね。
それでこうなってるんです。
そういうことですか。
目の前の絵に対して、
どうやってパッションをぶつけていくか、
そのパッションをどう焚きつけ持ち続けるか、
それが絵描きの暮らしとおっしゃる坂本さん。
そしてお話は、
ある一冊の本との出会いについて展開していきます。
それで動物と、
この作風と水彩の作風の間に、
これがこないだ見ていただいた。
こないだ原宿で見ました。
この感じも全然なのか分かんないですけど、
違うじゃないですか。
違うんですよ。
これ見させていただきました。
これとあれはまた別の。
そうですね。
このカラフルといえばカラフルな、
タイル状みたいな感じの、
これをある時ここに行こうみたいな感じがあったわけですよね。
そうなんですよね。
それが結構なチェンジで。
そうですよね。
今まで動物とかを描いて。
これやってたんですけど、
絵描きって世の中に何万、
24:00
数え切れないくらいの絵描きがいて、
動物をモジーフにして描いてる人もたくさんいるんですね。
いわゆる絵の団体展っていって、
そういう仲間たちがいっぱいいるんですけど、
そういうところに自分もちょっと大してた時もあったんですけど、
そこで自分が動物を描く意味ってすごく悩んじゃって。
たくさん他にもやってるし、
今もテレビやら何やらで、
地球のね、
それこそアフリカの奥地とか、
アマゾンの奥地って、
そういう不思議な面白いものって、
茶の間で見れちゃうわけでしょ。
映像として出てきますよね。
映像として。
それをわざわざ時間かけて、
絵描く意味ってすごく止まっちゃった時があって、
どうしようって思っちゃって。
で、ある時だいたい2000年頃、
モチーフにも日本画の画材にも頼るのをやめたんですね。
ちょっと置いとこうと思って、
自分が絵を描くっていうことはどういうことだったんだろうって悩んじゃった時があって、
その時にたまたま本で出会った、
絵は誰でも描けるっていうね、
本に出会ったんですよ。
谷川光一っていうね。
この方は伊豆に住んでいる、
今もう80年代半ば、
絵画家なんですけど、
絵は誰でも描ける、
これは何だろうと思って、
開いてみたら、
絵描きでもなく、
サラリーマンとか農家の方でも絵描けますよって、
そのメソッドが書いてあるんですけど、
それはね、
ただ画面に、
とりあえず縦横に線を引いてみよう。
一末に。
そうすると何か形ができるよね。
その形に絵を描いてみたら、
例えば自動車がこんな風に見えるとか、
船、もうちょっと線足したら船になるかなって。
本当は子供の遊びですよね。
そしたら絵みたいなのができたりして、
これ面白いなと思って、
自分もやってみようと思って。
で、本当に絵を描いてみたら、
絵を描いてみたら、
絵を描いてみたら、
絵を描いてみたら、
絵を描いてみたら、
絵を描いてみたら、
絵を描いてみたら、
これ本当にリハビリ的に、
絵を描けなくなっちゃったので、
リハビリ的に本当に一末に線を引いて、
そこに本当に子供の頃クレヨンでガーッとこう、
27:02
電車とか描くじゃないですか。
それを思い出そうと思ってやったんですね。
そしたらすごく楽しくて、
どんどんどんどん絵かどうかわからないものが増えていって、
それを一回銀座の画廊で展示しちゃったんですよ。
作品として。
作品として。
作品かもわからないけど、
今まで動物で発表してたのに、
いきなりそれを絵かどうかもわからないようなものに発表しちゃったんですよ。
そしたら、その画廊の人は、
ちょっと怒るみたいな感じがあったんですね。
怒るっていうのは、
なんでこんないきなり出してきたの?
動物だと思ってたのに、なんでこれ出してきたの?
みたいなことに言われたんですけど、
でも初めてそこに来るお客さんは、
それを作品として、それを返して対話もできたので、
何も見ないで、線も引くし、色も選んで、
何も頼らず、自分の中から出てきたものだけで、
対話もできるっていうのが面白いなと思ったんですね。
これも作品としてありなんだと思って。
クレヨンだけでも、
集中して描いたのもここに入ってるんですけど、
これなんかは、これクレヨンだけで描いたんですよ。
すごい。そうなんですか。
そうちょっと思えないくらいの感じ。
これもそう。
へー。
これをワーッて描いてて。
線を適当に引いて、縦横だけじゃないんですね。
曲線で自由を無尽に。
そうすると余計にいろんな形ができるところを、
パズルみたいに、子供の気持ちで無心に、
一個一個、隣の色とくっつかないように色を全部分けて、
塗って、見えてくるものを浮かび上がらせるみたいなことを、
結構しばらくやってて。
で、できちゃった。
できちゃった。
これもなんか面白いなって。
でもこれも作品だよなと思って。
これをクレヨンはクレヨンでいいんだけど、
30:03
せっかく出会った日本画の絵の具でやってみようと思ったのが、この辺。
そういうことですね。
これ日本画の絵の具で描いた。
同じような作業で。
この辺、動物からのチェンジって大きいんだけど、
結構葛藤があって。
葛藤の末の誕生がある。
そういうことですね。
で、こういう感じで、縦横で。
ただ縦横でもいろんな形ができてきた。
もうこれで十数年やってました。
そうか、そうなんですよ。
作品見させて、この流れを見させていただくと、
なんでこれをなんだろうって、いろんなことを思いながら、
そういうのがあってこそ、ここに行って。
とね、こういうのをやりだしたのと、
同じ頃ここにも暮らすようになったんですよ。
それまでは別のところに住んでて。
川崎に住んでたんです。
川崎に住んでた時に、本当にもう悶々としてて、
どうしようっていうのがあったんですね。
その時には多摩日を卒業してすぐに、
助手の仕事ができるようになって。
多摩日の仕事。
使い走りっていうか、聞こえはいいけど、
使い走りなんですけどね。
でもそれで給料ももらって、
勤め人状態ですね。
それはずっとはできなくて、
何年か経ったら次の若い人に行ってあげるという感じになってますね。
よっぽどスターになっちゃえば、そこから教授っていう道もあるんでしょうけど、
そうじゃない普通の人は、次の人に譲んなきゃいけないんですね。
それが99年くらいまで、
1999年くらいまで助手の仕事をやってて。
そこで川崎に住んでたんですけど、
それが終わって勤め人じゃないから、
どこでも暮らせるようになった。
あとは、低収入もなくなったから、
なんとかコストを下げて暮らさなきゃいけないっていうのもあって。
あっちに住んでると駐車場代もかかるし、
そうじゃない環境に行きたいなって。
あとは自然も好きだったし、
どっか田舎のほうもないから。
その時にね、田舎暮らしブームっていうのがあったんですよ。
今もあるのかもしれないけど。
雑誌なんかも出てきて、
こんなのあるんだって。
そこで気づいて。
いろいろね、伊豆とかね、
山梨のほうとか、それこそ長野のほうとか。
いろいろね、ちょっと見て歩いて。
33:02
で、その中でピンと来たのがここ。
来て、なんとなく探す感じでここに来て。
釣りが好きだったんで、
何回かは来てたんですね。
別に知り合いがいるわけでもなくて。
たまたまインターネットに出てきた物件がここだったんですけど。
そこに決まっちゃったっていう。
そうなんですね。
でもその出会いがあったから、
今、そこでずっとそこ。
普通だったらもうちょっとリサーチするんでしょうけど、
全然そんなこともしなくて。
もうここでいいやって。
いいやって。
不思議、それはまた。
それによって縦山ウォーソンに住むと、
作品にも影響があるという。
あったんだと思うんですね。
ここ来る前からクレヨンの仕事は知ったから。
そうかそうか、その流れが。
自分の中から絵を描こうっていう。
何か見て、何かに頼って描くんじゃなくて、
自分の中身から作品を作ろうっていうのがあったんですけど、
ここに暮らすようになって、
でも動物を描いてた時から、
地球の不思議とか宇宙の不思議、
アフリカが象徴されるように、
動物もすごいんだけど、
人間が作る造形っていうのもすごいじゃないですか。
ピカソなんかもアフリカの造形にものすごく影響されて、
作品作ったっていうのも分かるなっていう。
でも日本人にもそういうのはあったはずで、
原始の頃、縄文の頃の作品なんかにもあるじゃないですか。
アフリカは今でもそれが残ってるんだと思うんですけど、
そういう人間の根源的な造形の力とか、
野生動物にも近いような不思議な力っていうのが内側にあると思うんですよ。
それを出すべきなんじゃないかな、作家としては。
それになんとなく気づいてきて、
36:00
わざわざアフリカに行って、そういうものを探して描いてたけど、
わざわざアフリカに行かなくても、
ここに負けないくらいの自然もあるし、不思議、動物もたくさんいるし、
全然アフリカに負けてないよなって気づいたんですよ。
それが自分の中にもあるし。
その気づきで迷いも何もなくなって、
自分の中のものをそのまま出せばいいんだって。
それまではちょっと迷いみたいなのがあったけど、
どっかやるんだって気づいて、そのまま行こうみたいな。
ここに住んでから。
ここに住んでから。
なるほど。
その後はちょっと素直な感じで、
持っているものを出していくっていう感じで、制作をされていく。
その岩江の部の表参道で見ていただいた作品、
ずっとやってたんですけど、
それもそれでものすごい時間がかかっちゃうんですよ。
そうなんですね。さっきおっしゃったパッションを出すのに。
パッションを出していたはずなのに、
またいつの間にかお釈迦様の手のひらから出られないみたいな感じで、
あれって感じになっちゃって、また時間がかかってるって感じになっちゃって。
本当に大きい作品になると半年くらいかかっちゃうことになって。
そうなんですね。
これはまた何とかしなきゃってことに、
また壁に当たって。
でもモチーフに頼るんじゃなくて、
何かないかなって思ってた時に、
またピンと閃いたのが、
学生の時に玉火に行ってた時に、
小美術研修で京都奈良に行くんですけど、
そこの墨屋さんに行くんですよ。
墨を作る。
日本画では墨使うんですけど、
墨っていうのは擦る。
画材としての墨。
こういうものね。
すずりの墨。
書道とかですね。
これなんかもう本当に、
今57だから20くらいだったから、
37年くらい前に買った。
京都奈良で買ったやつ。
そうなんですね。
当時の先生に、
今使い道なくても、
将来熟成して使い頃になるから、
手に入れとけって言われてたんです。
そうなんですね。
いくつか買ってたんですよ。
ずっと出番がないまま、ずっと持ってた。
それが?
それが急にひらめいて、墨だと思って。
急に出番が来たんですよ。
急に出番が来たんですよ。
39:01
それが4,5年前。
4,5年前。
それまでずっと眠ってたのが、熟成してたのが出てきたんですね。
で、このシリーズになった。
でも墨を使おうって言っても、これに行くのかっていう。
そこもあるじゃないですか。
それはね、でもこれと遠くなくて。
そうか、やってることとしては、
このシリーズの。
これと近いんですよ。
そういうことか。
線。
線ですよね。
色が。
色。
これもね、ぼかしたりもしてるんですよね。
それぞれ違ってますね。
そのまま絵の具を置いていくだけじゃなくて、
奥行きとか広がりとか空間を出すために、
結構工夫する中で、
ぼかすっていうのかな。
世界を深めるためのぼかし。
ごまかすためのぼかしじゃなくて。
世界を深めるためのぼかし。
ごまかすためのぼかしじゃないんですよ。
そういうことを結構やってたので。
この白いところ。
白なんかは。
違いますもん。
白って、ただの画面の白じゃなくて、
ここにもいっぱい色が入ってるんですよ。
そうですよね。
一個一個も当然違いますし。
箔っていう、日本画の金箔とか銀箔とか。
これはアルミの箔なんですけど。
ここに貼って、削って、描けてっていうような、
すごい作業をしてるんですよ。
奥行きを出すようにぼかすっていうことをやってたので、
全部の作品をやってるんですけど。
それはクレオの時からそうなんですよ。
こっちも、ただこういう感じとかね。
これをやってたので、
これもそうですけど、
なんかぼーっとして見えますけど、
それはこう、
やっぱり世界を深めるためにやってると思うんですね。
その隅っていうのが、
ただ一本の隅で、
黒い隅だから、それに対する白い紙。
それを白の紙を基準にグラデーションを作るっていうのが、
さっきの岩絵具でやってたのと近いなと思ったんですよ。
自分の中では。
違和感がない。
それで、どんどんどんどんできるようになって。
ちょっと一見違うんですけど、
自分としてはやってることは同じ。
そういうことですね。
42:00
それが、こういう中で暮らしながら、
木漏れ日とか、野鳥のさえずりとか、
全部光として感じられるのが、
自分の作品とリンクするような気がしてきて、
すごく本当に自然にできるようになったんです。
今はこのシリーズ。
そうですね。今はこのシリーズ。
この流れの中に。
その中でもちょっとずつ変化はしてますけどね。
そうですね。作品ごとにちょっと違うので、
そういう感じでいろいろと制作を続けて。
そういう由来ですね。
なるほど。すごく面白いですね。
ちょっと難しすぎるかもしれないですけどね。
でもそこは。
そうなのか。
やっぱりパッと、どの方でもそうですけど、
作品をパッと目にすると、
なんでこの作品をこうやってるのかな、
みたいなことは思いますけど。
でもやっぱり今のお話と、その流れがちゃんとあって、
今この作品が目の前にあるっていうのは、
やっぱりお聞きするとわかるので。
動物を飼えてちょっと止まった時期があったりとか、
あるとき、あるホームをきっかけにそっちに行ったとか、
やっぱり制作人や時間がどっかでまた壁にぶつかったりとか、
そういうのを繰り返しているってことですので。
こういう、例えば画家の方にお話を聞いたのは初めてなので、
何を考えてるっていうのは、
作品は見えますけど、わかんないじゃないですか。
やっぱり前から、
画家の方にお聞きしたいなと思ったことが一つあって、
絵を描くときに何を考えてるのかっていうのを聞きたいなと思っていて、
実際に制作している最中、何を考えてるんですか?
今はね、
技法的にちょっと多少ね、
方向性とか、今度はこういう色を使ってみようとか、
形をこうやって広げてみようとかね、
そういうのは最初に考えると思うんですけど、
あとはね、割とね、無心ですね。
ああ、無心。
もう作業、作業って言ってもいいのかもしれないけど、
結構淡々と。
そこに当然パッションみたいなものを思いを込めるみたいな。
最初は、若い頃は一生懸命探してたんですけど、
今はもうそうじゃなくて、
もう暮らしながら、
この暮らし自体に、
あんまり絵をひねり出さなくてもいいっていうのかな。
お前はひねり出してた感じがあったんですね。
一生懸命、なんかこう、
45:00
自分がやるべき意味とかね、
誰かを驚かすようにとかね、
展覧会で目立つように、
一生懸命考えてたんですけど、
今は、多少あるのかもしれないけど、
もっと楽に、暮らし自体に、
宇宙の一部っていうところにいるっていうのかな。
それをこう、すごくこう、
あまり意識しないでも意識できるっていうのかな。
感じがあるんで、
僕がただそんなにつべこべ考えなくても、
線を引いたり、色を選んだり、塗ったり、
それだけでいいんだっていう感じですよ。
今、じゃあ自作、描き続けて何年?
30、35年以上。
大学卒業してからは35年なので、
ずっと助手とかやってた時期はありますけど、
基本これでやっていこうって思ってたんです。
何かね、勤めを新たに探してやろうとか、
そういうこと考えたことないんで。
絵で何とかやっていきたいと思ってたんで。
なんか一個一個やっぱり、
若い頃みたいに、
こう考えてひねり出すっていうんだと、
やっぱり続かないような気もするんですよ。
無理がある。
そう、無理がある。
そんな感じがしてしまうので、
だんだん自然に近しくなっていく感じ。
無理せず出てくるとかっていう、今その感じが。
それを常に探してるんだと思うんですけどね。
そっかそっか。
もしかしたらあと10年ぐらいしたら、
使う感覚で描いてるのかもしれない。
そうですね。
今のままかもしれないし。
ただ本当に、
モチーフに遠いところ行って、
モチーフを探すとか、
ものすごい技術を使って、
何かこう、
描くとか、
そういうことは求めないんですね。
多分求めないと思う、この先も。
ちゃんと自分の中から出てくる。
本当に紡いでいくみたいな。
ことができればいいかなと。
それはもう制作を通して日々作っていく中で、
そっちに寄って見えていくのか、
そこに連れてかれるのかわからないですけど、
自然のままに。
自然のままに。
48:01
そうやって言っちゃうと、
かっこよく聞こえちゃうかもしれないんですけど、
でもそうなのかな。
ただね、
暮らしていくには、
やっぱりいろいろ、
理想だけじゃいけないので、
なんとかね、
ガソリンも買わなきゃいけない。
そうですね、歌い的な。
自給自足で全部できるわけじゃないから、
考えていかなきゃいけない部分ではあるんですけど、
本当に妻と2人で、
自転車操業ですけど、
自転車操業の歩幅前進ですけど、
コツコツコツと理解してくれる人に、
応援してもらいながら、
続けていられるって感じですね。
本当にギリギリ。
その中でこの間みたいな、
表参道があそこでやったとかは、
そういう心がけいただいて、
急にそういう風にやって、
じゃあやりますって言って、
出会いとか。
出会いもあるし、
その時作品がなきゃできないですもんね。
それはそうですよね。
たくさんストックもあるんで、
長い間やってきてるんで。
あとは、あんまりバラバラな作品でもね、
できないでしょうけど、
本当にこれだけ長い年、
やってきたからっていうのもあるのか、
あれだけの空間があっても、
慌てずできるっていうのが。
そっかそっかそっか。
おかげさまですね、本当に。
そういうことですね。
例えば今年も始まって1月ですけど、
今年もまたどこかでやったりとかも、
予定もされてるんでしょうし。
結構全国は、この間はまた遠くでしたよね。
なんでしたっけ、去年。
岐阜に行ってらっしゃいましたね。
ご出身があるから。
最初に、岐阜っていうのは、
僕に予備校のパンフを見せてくれた人。
今、合唱をやっていて、
ガローとしてのお店を持ってるんで、
そこでやったんです。
そういうことですね。
お付き合いは、その方がいらっしゃるからこそ。
そうです。
そうなのか。
そこでやってるみたいな。
なるほど。
もう一個も外せるのがないんですよ。
全部ピースが繋がっている。
そういうことですよね。
だから今があるんですよね。
例えば、これからこういう風にしていきたいとか、
そういうものってあったりしますか。
特に今の自然のままなのか。
そうですね。
大きなね、野望みたいなのはあまりないですね。
51:03
やっぱりこれを続けていきたい。
でももうちょっと広げたい。
見てくれる人に喜んでもらいたいし、
今生きている地球の不思議とか、
美しさ、自然の豊かさ、
そういうものを広げていきたいというのはありますね。
身近な、本当に。
自分の作品というのは、
本当に名もなき小さな草木とか、
ちっちゃな踏みつけられそうな花と勝負というのかな。
勝負?
勝負というのは美しさみたいなね。
かなわないんですけど、全然。
かなわないんですけど、
ああいうものの美しさ、
あと鳥のさえずりとか、
ただいるだけで、
ものすごい美しいと思うんですけど、
本当に自分も、自分の作品も、
それに近づきたいというものなので。
作家によって、いろいろ作品を作るモチベーションってあると思うんですけど、
例えば、新宿の雑踏の中からしか生まれないとかね、
あると思うんですけど、
自分はね、ずっと、やっぱり日本画って分からなかったけど、
日本画の精神っていうのは、
やっぱり自然参加であったり、
花鳥風月であったりするからなんですけど、
精神はそれなんですよ。
ずっと。
いろいろ表面的には変遷はあるんですけど、
結局そこからは出られない。
社会批判とか、そういうものではないんですね。
身近な自然の美しさとか、宇宙の不思議さ、
星を見た時の感動みたいな、
そういうものを表現したいっていうのは、
変わってないんだなっていうのには、
本当にそれは揺るぎないものがあるんで、
あんまりそこから変わることはないかなと思ってます。
それで本当にもっと有名になりたいとか、
そこまでは思ってないんですけど、
もうちょっと広めていきたい。
続けるためにも、本当に理解者を得たい。
そこに向けてというか、活動をコツコツとやっていって。
そうですね。
チャンスを一個一個手繰り出せて、
コツコツやるしかない。
54:02
2,3年後どうしたいとか、5年後どうしたいとか、
それはないです。
1年1年。
一歩一歩。
言ったら一筆一筆分かるんですけど。
本当そうです。
一筆一筆。
なるほど。
現在は絵を描くことをひねり出さなくてもよく、
暮らし自体が宇宙の一部のごとく自然のままにいるということ。
そして一枚一枚、一筆一筆に思いを込め、
日々を過ごす坂本さんの静かな語り口に込められた熱量、
パッションがとても大きな言葉として語られた。
そんなふうに思いました。
坂本さんありがとうございました。
それではまた次回、
ユイナワさんの聞く人ラジオでお会いしましょう。