おはようございます。英語の歴史の研究者、ヘログ英語誌ブログの管理者、英語のなぜに答える初めての英語誌の著者、そして6月18日に研究者から刊行された英語語源ハンドブックの著者のホッタリュイチです。
加えて10月15日に夏目社より新刊書が出ました。同僚の井上一平さんとお届けしている youtube チャンネル
井上言語学チャンネルから生まれた本です。井上一平・ホッタリュイチ著 言語学ですっきり解決英語のなぜ
ハッシュタグひらがな6文字で井上なぜとしてご意見やご感想をお寄せください。 特設ホームページも概要欄のリンクからどうぞ
英語の語源が身につくラジオヘルディオ。 英語誌をお茶の間にをモットーに英語の歴史の面白さを伝え
裾野を広げるべく毎朝6時に配信しています。 本日は10月31日金曜日。皆さんいかがお過ごしでしょうか。
もう10月も終わりですか。 私も日本を経ってですねちょうど1ヶ月ということなんですが、いやー早いですね。
この感じだと×12ということで1年と言ってもですね、多分あっという間ですね。 いやーまずいまずいと思いながら
この1ヶ月振り返ってみましたが、いやーなかなかですね本当に気温差があるんですよね。
2,3日前はですね 最低気温が5度下回っていましたかね。
暑い日は20何度なんですよ。 この辺気温温度調整というのが一つ課題になるんですが、全体としては非常に
穏やかではありますね。 穏やかな陽気で平和に過ごしております。
さあ今日はですね 本編に入る前になんですけれども、毎回冒頭でコールしております6月18日に
刊行された英語語源ハンドブックの方なんですけれども こちら最終版がかかっておりましたが、日本の自宅の方にですね
そのサンズリですねの見本が届いたということで、私の手元にはないんですけれども、もうそろそろですね
出回ってくるんではないかなということでですね、本当にご好評いただいております。 成語表の方もですねまた改めて pdf の形で研究者の公式ホームページから出されることになると思いますが
早くもですねサンズリということで、なかなかあの ただの英単語のボキャビル本ではないということで
そのようなボキャビル本の中にですね こう一冊ポツッと
孤立してあるような、そんなまあよく言えばユニークということなんですけれども こうね手に取っていただけるのかなということですね
思っていたんですが、急に終わりました 非常にありがたいことにですねご好評をいただいております
レビュー等も付き始めておりますね 本当に高く評価していただきましてありがとうございます
こちら最終版と言いますかサンズリ出ましたので そのご報告も兼ねてですね日々こちらあのめくって
あの最初から読む必要はありませんね、それでもいいんですけれども ペラペラっとめくってあるいは何らかの機会にですね
この単語もともと語源どうだったっけなという時にチラッと開いていただく 基本語ばかりですので見出しはですね見出しは基本語ばかりですので
本当に日々のお供ということでですね 英和辞典を弾くのと同じような感覚で 語源ハンドブックを弾いていただければと思います
さあ今日の本題なんですけれども 川上さんの英語のなぜ5分版やってます通信
第23弾です
このシリーズもすっかり定着してまいりましたが 今日お届けする23弾これもですねあの7月の
実施と言いますかね川上さんが高校の授業の中で行っている 英語詞コーナーということなんですがこれを
高校生徒さんたちに開示して議論したというのは7月ですから1学期のことということですね
なんですが今回も
また面白いそして難しい 素朴な疑問集まっています主に動詞の過去形に関する話題です
皆さんじっくりですねお考えいただいて この素朴な疑問に対する川上さんの解説から学ぶもよし
すでに知っている方は自分だったらどう説明するかなと考えるもよし いろいろな形で楽しむことができると思います
とにかくですね中高というこの段階の英語教育において英語詞というのはどう使う かっていうのはなかなかね
これ 考えどころなんですよね
ズバリ英語詞英語詞っぽくやってしまうと煙たがられる可能性もあります しただですね着実に確実に英語詞的な説明をすると乗ってくる
生徒いるんですよね一定数 そこはやはりですね
ちゃんとケアしたいということになるとですねこれ授業の中 まぁしかもあの時間がね限られている授業の中でどう英語詞
的な話題とか知識というのを盛り込むのかどう扱うのかというのはですね これ
課題なんですけれども川上さんも手探りをしながら かなり掴んで来られたんではないかなというふうに思っております
それでは行ってみましょう高校生からの素朴な疑問 川上さん通信の23回ですどうぞお聞きください
英語のなぜ5分版やってます通信第23弾です 始まりました久しぶりですね
こちらヘルディオヘルワリスナーの川上さんより寄せられております レギュラーコーナーヘルワではレギュラーコーナーとなってきましたし
これをですね少し時間遅れでヘルディオでもお届け するようになってまいりました
今日はですね実際には1学期の末ですかね 7月25日に資料を川上さんから受け取っておりまして
そちらをですね この2ヶ月以上ですね溜め込んでいたということなんですけれども
いよいよですねこちらを公開するタイミングがやってまいりました 今回は高校生の英語のなぜ
通算第56問からということで本当にずいぶん長く続いてきましたよね こちらですね今日の問題もまた難しいんですよね
難しいって言いますかね本当に素朴な疑問ということでですね 中高生から聞かれやすい
尋ねられることの多い問題であることは間違いないんですが これをですね
いかに分かりやすくかつ間違っていない 史実に即してですね間違っていないやり方で説明をするというのは
なかなかこれ至難の技なんですね 私も何遍も繰り返し取り上げてきた話題ではあるんですけれども
実態は非常に複雑な歴史を持っているので これを単純化してかつ嘘にならないように間違いにならないように説明する
これはですね 答える側の力量をこれにかかっているのではないかなと思うんですね
今回3問取り上げられています それでは生徒の感想を主に読み上げるという形でですね
川上さんの資料 こちら共有しておりますので ぜひ皆さんも一緒に眺めながらですね
生徒の感想を中心にお聞きいただければと思います それでは行ってみましょう
まず第一弾なんですけれども 今日の第一問目ですね なぜカットカットカットなのですか
これはですね なかなか難しい問題なんですね 川上さんがどのように答えられたかというのは その下の部分を読んでいただければと思うんですけれども
引き合いに出しているのが他の無変化動詞ですね カットカットカットと同じようなセットセットセット あるいはショットショットショットのようなものが挙げられています
これを引き合いに出しながら説明するということになるんですが 実はですね 引き合いに出さないと説明ができない 難しいということでストレートな問題ではないんですね
カットというのはセットよりももう一段階ですね ステップを踏まなければちゃんと説明ができないということで これ難問なんですね
素朴な疑問のようでいてなかなかの難問ということになります セットやショットをお手本のようにして他の子が模倣していくという
そういう趣旨ですね それをズバッと緑の枠の中で答えとして与えています 既存の無変化動詞と共通の音だったからというんですね
これは難しいですね なかなかの難しさ 生徒はどのように反応したんでしょうか それでは見ていきましょう 右のコラムですね
英語話者は現在の文化 過去の文化の区別がつくのだろうか なるほど 無変化にどうしてなったのかということよりも 今 無変化の状態であるということは不便ではないのか
という教授的な発想ですね これはいわば動音異義語の問題にもなりますので 広く英語における動音異義という より大きな問題で展開していく可能性を秘めていますね
今回はそこまで持っていかないのかとは思いますけれども このあたりですね いろいろと生徒の関心を拾ってあげつつですね
展開できる時間があればいいと思うんですが なかなか川上さん 時間ないと思いますね そして2つ目なんですけれども
同じ形だと見分けるのが難しい 少しでもいいので形を変えてほしい 同じような意見ですね
3つ目は カットのように無変化活用で使われている動詞があるのだから できれば全て無変化だと楽に学べるのに
最初の2つとは逆の発想 捉え方といっていいかもしれませんね これ いろいろな考え方があって面白いですね
次 同じタイプの音でも無変化活用になったり ED活用になったりして 英語の変化は気まぐれだと思った
この辺りはある程度川上さんの説明をですね 理解した上でのコメント 感想ということになるかなと思います
そして川上さんご自身曰く 私が欲張って話題を詰め込みすぎたかもしれません 生徒は消化不良だったのか 期待したほど反応はありませんでした
ただし最後の感想は理解の深まりが感じられます そうなんですよ そういうことだと私も読みました
次 第57問ですね なぜcanの過去形はgoodなのですか
これもなかなかの難問 1回では答えられないと言いますかね 何ステップか踏まないと 説明を経ないとうまく説明できないというタイプの問題かと思うんですよね
こちらについても川上さんがいろいろ調べられた結果をですね 端的にご説明として与えてくださってますね
音声配信も併せてやっているということで リンクのほうからぜひ訪れていただければと思います
これもアナロジー いわば類推作用ということですね 関連する語類の中に似たような模範となる モデルとなるようなペアがあり それにcanも合わせたんだというような
そういうざっくりといえばですね 話なわけですね 最後のところには lが読まれなくなった例についてもいいを読んでおりますので さらなる話題の転換が見込まれるわけですけれども
あまり詰め込むとですね 高校生はなかなかパンクしてしまうと思いますのでね 答えとしてはwould shouldに寄せられたからというふうになるかと思います さあ これについて生徒たちはどのように反応したか言ってみましょう
以前のスペルを見ることができて すごく面白かった これは長らく川上さんが英語誌をですね 生徒たちに導入して 少し英語にもですね 昔の形があったんだと 異なる形があったんだということがですね 前提となってきたというか
当たり前ではないかもしれませんが そういう前段階があったんだという その見方自体がですね 育ってきたのかなという感じがして嬉しいですね 2つ目 would shouldがお手本でcouldが作られたと順番があったことを初めて知った 順番っていうのも通じ的な話題ですよね
couldはwould shouldに寄せられたのだろうと私の予想した通りだった これは勘がいいですね would shouldとつづり字状 発音状の類似性ということにすでに気づいていたものと思われますね
寄せられたというのは新しいパターンだった 他にもあるのだろうか いいですね これはまさに類推 アナロジーというのは AからBに寄せられて変化するっていうことですので もう言語変化のですね 代表的なメカニズムということで関心を持った生徒がいたようで これは私も嬉しいですね
would should couldは密語みたいな感じだと思っていた いいですね
統一感を持たせたのだと理解しました これもいいですね
なぜ原型canの方はlがつくなどそっちの方に寄せられなかったのだろうということですね どっちが磁石になって寄せる側になるか あるいは寄せられる側になるか
アナロジーの非常に難しいポイントではありますね これも非常に良い角度からの突っ込みだと思いますね
canにedをつけた形 つまりストレートなレギュラーな形が覚えやすいと思ったが そこは英語の面白い部分だ 余裕がありますね 余裕が出てきたっていう感じでしょうか
次は過去形の語尾がt dになるのは日本語に似ている 話した 遊んだ 確かにこれは日英対称言語学というところでいい発想ですね
直接的な関係は歴史的にはないとはいえですね こういう新たな発見というのは これ私にとってもフレッシュでしたね
次 先生がcouldのように見流す道理をしている部分に気づいて 疑問に思うことはすごいことだと言っていて 疑問を出していいと肯定された気持ちになって嬉しかった
これも嬉しいですね 私自身の疑問への向き合い方と全く同じ それが響いたっていうことが嬉しいですね
私も英語に関する素朴な疑問 千本ノックなどをやっておりますが とにかく疑問に思ってそれを先生なりにぶつける これは大事なことですよね
もちろん自分自身で調べるということも大事なんですが それは疑問が出てからの次の段階かと思うんですよね
これを受けて川上さんのコメントです
多くの生徒にアピールする回になりました 私は寄せられていったという言い方をして類推ということを その用語を使わずに伝えようとしました
だからさっきホッタ先生が書くことについて 綴りとか音声とかの換気はどうなるかっていう部分もあると思うんですけど
やっぱりちょっと書くことに少しシフトしていくっていうところも 本当は大事だなと思っていて
うちの家族のコミュニケーションを見ていても 音声もすごく多いけれども
実際にはLINEとかそういうのですごくやっている コミュニケーションを取っている部分が多いけれども
セファールのほうで自分たちは考えている ライティングのインタラクションっていう部分が
まだ日本には入ってきてない部分があるので そこをどうやって入れていくかっていうことを
考えたときにやっぱり書くことっていうところが 文字と音の関係っていうのはすごく大事になってくると思うんですけど
いつもホッタ先生が書かれたりしているとおり 文字と音声が結構英語バグってるので
なのでそこで子どもたちが あらーみたいな感じになっちゃって
そこも一個一個時をほぐしていくっていうか 英語の教師としてはすごい面白いっていう部分が
そこにあるんだっていうところが 言えればいいなって思ってるんですけど
でも生徒が書く疑問っていうのはすごく難しくて
どうしてハーフの複数形はハーブスなんですかっていうふうに聞かれると
どのレベルで説明すれば英語一枚に収まるのかっていう部分があって
発音の口の部分を変えたほうがいいのかなとか
なんかちょっといろいろと悩みっていうのは 現場っていうのは多いなっていうふうに思うんですよね
なんか一方で英語をやってるとね
もう一個ドイツ語かフランス語やっててくれれば
すごいこの説明楽だろりらーみたいな瞬間 非常に多く訪れます
英語が特殊な部分と一般的に インドヨーロッパ系の言語と共有してる部分みたいのが
ドイツ語とかフランス語とかやってくれれば ここすごいはしょれるんだけどなーみたいな瞬間は正直ある
つづりなんかは英語が得意な点ですよね
フランス語も語尾の音 語尾っていうか語末のシーン読まないみたいなところは
めちゃくちゃブテヘみたいなの聞いて 後ろにSがあるのかTがあるのかみたいなわからないみたいなのあるけど
でも英語が得意なのか これは大体の言語が特有で
日本語が得意なのかみたいな系とかあるじゃないか
そういうところはもう一個あると 楽なんだけどなーみたいなところあるので
ぜひメインウェポンとしての英語と サイドアームとしてもう一個持ってほしいみたいな
ちょっと欲求としてある
レベルがどんどん高くなっていく 偏差だといいんですけどねっていう
それは難しくてですね
英語はこれでいいんですけど
大学でドイツ語とか第二言語とか取ったり フランス語もちょっとやらなきゃいけない時があって
本当に即習でやったんですけど
もう英語ありがとうって感じでしたよね
やっぱりあの格変化をね覚えなきゃいけない
まずそこから始めなきゃいけないから
英語誰いいんですか?みたいな
だからもう本当にそれで英語に戻った時に もう英語ありがとうっていう感じ
ディジェントとか言わなくていいんですか?みたいな
本当にそう思いましたね
だからどうして英語だけがそう
そういう進化を遂げたのか
英語はフランス語とかドイツ語やる前に 何年もやってるからっていう
それだけだと僕は思ってるんですけど
最初に初学会国語がフランス語だったら そう思っていなくて
英語やった時 ああ簡単だなと思うけれども
じゃあ英語で用を足せるかっていうと
やっぱり1年目だったら大したこともないし 2年目ちょっと上がるしっていう
変わりないっていうふうな 私は考え方なんですね
なので個人の経験によって
その評価は変わるっていうのは 当然あると思うし
私自身もあるんだけれども
なんかそれを一般化することは 多分できないんじゃないかなっていう
ただそれだけの話がしますね
英語は最も親しみのある外国語ということで
明治以来中国語以上ですかね
触れているのでそういう感覚になっているだけなのかなっていう
私は思いなんですよ
なので英語全く特別視しないっていうふうに
英語学を学んで分かったっていう立場なので
なんていうか だから簡単にも難しくもならないんですけど
これが世界語である以上は
しかも教育者である以上は
学びやすい方向に持っていきたいとか
その道を探りたいとは思ってるんですけど
英語はやっぱり特別視全くしてないですね
というところが私の基本姿勢だと思うんですよね
好きですよ 好きだから英語誌をやってるんですけど
なんていうんですかね
重要だからこの教育法を考えたいっていうことに
みんなすごく集中するんですけど
これあくまでやっぱりOne of themなんですよね
7000ある言語の1つでしかないっていう考え方で
あるので ここにいるのは英語の先生ばっかりで
いらっしゃるのであれなんですけど
私 あんまり英語の先生じゃないんですよ
どっちかというと言語学者的に捉えてるんで
多分考え方違うんだと思うんですね
現場の先生方とはというところもあったりしますね
最も現実的に言うんであれば
多分メールとかやっぱり契約の英語だと思うんですよ
そうするとこれ話し言葉というよりも
グリンチキャットさんの言うのと逆になるんですけどね
発音大事だと思ってるんですよ
私発音どっちかというと音とか携帯の専門家なんで
だけど現実的に言うとむしろ書き言葉じゃないかなっていう感じなんですよ
今日の話の流れで言うと
それはそうですよ
何を目指すからですかね
読み書きができればとりあえずいいと思うんですよ
仕事もできるし
発音というのはネイティブのように喋れるようになればいいと言ってるんじゃなくて
それは必要ないと思うんですよ
いろんな発音が世の中に世界中にあるので
別にネイティブのように喋る必要はないよって言ってるんだけど
音を知らないとやっぱり聞けないし
というだけの話で
別に読み書きでの英語ができて仕事が
今日本で必要なのは
専門的に微妙な話も実はあって
例えばLとRの発音をやっぱり聞き分けられないと
最低限英語はダメでしょっていうところがあるんですけど
ワールドイングリッシュ的にはLとRの発音を区別しない編集っていうのができてきてるんですよ
そうすると前提がくつがっちゃったりするんですよ
英語って何問題になるんですよね
そこを割と私は関心があって
これって社会的な問題なんですよ
要するにLとRの発音が一番象徴的に捉えられるんですけど
私の今の結論というか
きちんとした口の形をしていれば自然とその音は出るんですよね
だからRは下を巻かなきゃいけないとか
Lはここにいなきゃいけないとかっていう
そういうことじゃなくて
きちんとその位置にあれば
音って自然とその音になるんですよ
RもLもこの辺近いから
だんだんそれが近づいてくるっていうのは
それはあるんだろうと思うし
英語とかトナンジャの英語とか聞いてると
LとRの違いはそんなに分からないし
だんだんそうやって修練されていくんだろうなっていうのは分かるんで
ネイティブより正しく発音するとこを目指すっていうことじゃなくて
とにかく私が言いたいのは
やっぱりちょっと音に関する触れる時間が
それは間違いないですね
教室では限界ありますよね
私たちが初めて中1で英語を始めた私たちには無理だったけど
あの時はもう音声教材もカセットしかなかったし
無理なんだけど今
小学校に導入されたんだったら
そこでできないのかなっていうのが
大きな問題だと思うんだけど
その子供の音を素直に入れられる
年齢っていうのが若ければ若い方が
素直に入るから
小学校3年で英語教育始めるんだったら
もうそこで英語が嫌いになってるっていう子がすでに
実は私が勤めてた学校とかでも数年に一人ぐらいは
中学の時に英研一級取ってるとかもいたりしてですね
それはなんかよくわかんないですけどどうして取れるのかなって思うんですよね
英研一級のライティングとか
ライティングの課題っていうのは何かっていうと
今の外国からの労働力が必要かとか
そういうことについてあなたはどう思いますかっていうのを書かせるわけだから
そういうのはどうしてそんな小学生の子が答えられるのか
私はわからないんだけど
それは特殊に親がかりで英才教育をしてる
一級あたりになるとね大体そうですよね
中1も結構内容は環境問題とかね
今普通に社会のことを知ってないと拾えないような話題になってて
やっぱ二級と中一級って随分そこに差があるんですけど
それを小学生が取れるっていうその仕組みが私はちょっとよくわからないけど
小学生の中学生
でも小学校の時にも取ってた
中学の時に
中学2年で取ったとか
英語っていう科目ねもうちょっとね好きで走ってもいいと思うんだけど
なんかねやっぱ権威主義的に走るというか
なんかこう下手にグレードみたいなのが結構幅を利かせてて
英検とかその最多のものですけど
教育とかもそうですけど
なんかランキングのために使われがちというか
測定されすぎな感がちょっとあると思うんですよね
もちろんどんな科目とかどんな能力だって
測定すれば上から下までランクがついて
あなたはどれぐらいですねとか難易ですねみたいなことは
多分できると思うんだけど
英語は特にそれがされがちなのがあって
英語嫌いっていう人が
果たしてどこまで英語が嫌いなのかというと
他と比較して自分が劣位にとどされるから嫌い
みたいなところがちょっとあるかもなと思うんですよね
果たしてじゃあ英語で
私もいろんな幅のある学生を教えますけれど
例えば自分の今の手持ちのリソースをやりくりして
今日本語を書いた時に伝わったっていう人が嫌いっていう人は
ほとんど出会ったことがないですね
で一方であの人の方が英語ができるからっていう理由で
やっかむというかちょっと遠ざけるみたいなのは
無限に出会ったことがあるので
果たしてこの科目が嫌われる理由は
果たして英語であるせいなんだろうかみたいなことがちょっとある
だから外的要因によって嫌われてる面もあると思うんですよね
あの音とかだって
例えばあの確かになんか練習しても練習しても
この音が出ないみたいなことを特にね
うおっとかありますけど
なんかでもできた瞬間のできなかったことができるようになる喜びって
どの科目とかどんな技能とかだって共通だと思うんだけど
なんかそこが下手に外的要因でちょっとこう
乱されてるみたいなところね正直あると思う
であのたまにこうカタルシスね
例えばなぜがわかった瞬間に
だからこうだったのかみたいなことがわかって楽しいのは
なんかそのランキングみたいなところで解放されるみたいなカタルシスがね
ちょっとあると思う正直ね
私は割と語学も教えてるから
そのなんだっけ音声がさっきから出てたんですけど
いっつもこう謎に思っているのは
あの僕は英語史の方英語学の方じゃなくて
どっちかっていうとその英語教育の方をずっとやってきたので大学とかも
どうやって小英語の発音の練習をしてるのかっていつもわからなくて
あの一生懸命あのなんだっけ調べてIPAとか見て
あの音声してこれ合ってるのかってずっと思いながらやってるので
最終的にはもう太田先生がボイシーでこう出されてるやつを聞いても
それを真似していくとかなんですけど
ちょっとよくわかんないんですよいつも
あれどうやったらみんなで
大学院の方々とかどうやって練習してるんだろうとか思って
いやあのあれは伝統があるんですよ
つまり小英語はこうだったに違いないみたいな伝統とか
学派と言ってもいいと思うんですけど
違う考え方もあると思うんですけど
学派で習わされるんですよ
そうやって音読するっていう感じなので
これが正しいって保証は別になくって
学派でそう習いましたっていうことを私も
あのボイシーなどでも発音してるっていうところなんですよ
大きくは違わないと思いますよ他の学派あっても
まあ知れてるぐらいの差なんですけど
あの微妙なところで多分違うんじゃないですかねっていう
そういう学派学党みたいなもので伝わっていく一種の伝統ですよね
だから本当かどうかというよりも伝統を受け継いでるかどうかなんですよ
でそれをつまり探す手段もないというところまで来てるからっていうことなんですね
あとは当てずっぽうでっていうところなんで
あんまりそこはあのなんていうか正確さみたいなものは
担保できるかって言われたらできないですよね
あのいや先生私の先生が言ってましたからっていう言い方ですよね
逆に言えばそこぐらいまでは研ぎ澄まされてるっていう
あとの差は知れてるっていうぐらいかなっていうふうに解釈はしてますけどね
他の例えば違う学派はあると思いますし
特に英語圏例えばイギリスなんか言うとめちゃくちゃですよ
英語からどんどん遠ざかってますよね
現代英語的に発音しちゃうんで
それはどこまで原音を重視するかみたいなのは割とその学派によって違いますね
自分に引きつけるのが良いことだみたいな考え方もありますし
16世紀ぐらいギリシャ語をどう発音するかで大揉めになりましたかね
原音が大事だっていうのと
英語側に引きつける方が英語の格が上がるとか
そういうイデオロギー的なところで発音の要素も変わるので
言葉ってそういうふうにやっぱり道具として
権力の道具として使うっていうのが基本的な考え方なんですよね
言葉は通じる通じない以上にそれをどう権力として使うかっていうところがあるんで
今の日本の英語教育もどう英語を使いたいのか
どこまでついづいして英語の強さに従いたいのか