おはようございます。英語の歴史の研究者、ヘログ英語志ブログの管理者、英語のなぜに答える初めての英語志の著者、そして6月18日に研究者から刊行された英語語源ハンドブックの著者のホッタリウチです。
英語の語源が身につくラジオheldio、英語志をお茶の間にをモットーに英語の歴史の面白さを伝え、 裾野を広げるべく毎朝6時に配信しています。
本日は9月9日火曜日です。みなさんいかがお過ごしでしょうか。 本日はかなり専門的な話題になるかと思います。
life、live、ペアの怪について ということなんですけれども
このlife、これ人生、生きること、生活という意味がありますよね。 その動詞形としてはもちろんlive
という住む、生きるという意味がありますけれども、一方でですね live
という単語もあります。 今週末9月13日土曜日は英語志live、まさにliveなんですけれども、これと引っ掛けてですね
先日の1554回 昨日の朝日3月に英語語源ハンドブックが掲載
そして英語志live、liveの語源ということで、この liveの語源について語ったんですね。
もちろんlifeと関係はあります。 ただですね直接的な関係というよりは割と斜めの関係だったりするんですけれども
ただですね、その斜めの関係とはいえど ポイントはlifeというふうにfの音ですよね
こちら、紳士摩擦音の無声ですね。 無声バージョンがlifeです、f。それに対して紳士摩擦音の有声バージョンがliveという
文字で言えばfとvの対立なんですけれども、これについて プレミアムリスナー限定配信チャンネル英語志のはヘルワの方で質問が寄せられました
かなり専門的な内容といえばそうなんですけれども ヘルワでお答えしようかなと思ったんですが、実はですね
沖の皆さん ヘルワプレミアムはレベルの高い
プレミアムバージョンだと思っていませんか? そんなことはないんですね。レベルはですね
あの別に低いとも言いませんが、あのヘルディオ十分高いのでこれ以上高くすることは私はヘルワでできないんですね
なのでヘルワはですね、そのレベルが高いというよりは人癖が高いとかですね ヘルディオでお話できないぐらいに逆に打ち解けすぎているからヘルワでやる
例えばですね乾杯で始まる回ヘルディオでもありますけれども ヘルワの方が圧倒的に頻度が高いんですね
というちょっと恥ずかしいことをですね お話しすることが多いという意味でのプレミアムなんですよ
レベルが高いという意味でのプレミアムではないということでですね この辺誤解を解いておきつつですね
9月の回も始まったところですし しかも今週末には
英語誌ライブ2025も お届けいたしますそしてヘルワメンバーの方にはですねまああのいろいろな特典と言いますかね
はいあのそういうものもありますのでぜひですね この英語誌の世界につかりたい方
ぜひヘルワを入りいただければと思いますというまあヘルワの 宣伝になってしまったんですがあのそうではなくてですね今日の話題はヘルワで寄せられた
ある重要な 本格的な話題専門的な話題について
お届けしたいと思います なかなかの
難易度高い話になるかと思いますがたまにはこういう回も良いかなということでお話し いたします
まずはですね1554回聞いていただけますと今日の話につながってくる話題となりますので 理解が増すんではないかと思います
ライフライブペアの回について どうぞよろしくお願い致します
今日の話題なんですけれどもヘルワリスナーの ギミテさんと呼んでよろしいんでしょうか
からですね ヘルワ経由でいただいたご質問なんですね
なかなかの専門的な話題ということでですね いろいろな知識の前提があったりするんですけれども
今日はですねそこを少々すっ飛ばさせていただきまして この問題向き合いたいと思います数日前にいただいたんですけれども私もこの
問題に考えましてなかなか難しいんですよね どこまでうまくお話しできるかわかりませんが
トライしてみたいと思います このような質問をいただきました
life live のような f v でペアになる単語では
動詞には母音で始まる語尾がついたので f が母音に挟まれて優勢化したから ただしその後その語尾は消失した
という説明をよく聞きますでもこの理屈はちょっと不思議に思っています 母音に挟まれて優勢化したのなら
その母音が消失したら無性に戻りそうではないでしょうか これは動詞語尾がつく
と語尾の消滅の間に英語で f v が別の音素として区別されるようになった という出来事があったからということでしょうか
この質問自体がかなり高度でですね この意味について皆さんお分かりでしょうか
今のですね読み上げた質問を何度か聞き返していただければと思うんですがかなり 難解ですね
これはですねレベルで言いますと大学院レベル博士課程レベルか まあ研究者レベルの話題だと思います
音印子ではこういうことをまともに議論したりいたします それもですねいろいろな立場がありまして音音論
音印子っていうのは本当にいろんな立場があるんですね 立場ごとにあの考え方が異なると言って良いので私もですねこれ
質問いただきましたけれどもどういうふうに答えたら良いかなというふうに数日 考えていたという次第なんですが
このようなかなり高度な話題もですねたまには取り上げて良いんではないかな ということで今日はですねあの答えというわけではないんですが私の
考え方 ですねをお話しさせていただければと思います
まずですねこの問題あの f と v の音速かつまり無性優勢でですね これが語彙語の大部分ではですね
一つの音速の無性バージョン優勢バージョンということで 音速としては違いがないあくまで一つの同一音速の異なる
あらわれだというような理解が一般的なんですね それが
今回話題に していただいたライフライブペアみたいなものですね他にもあのいくつかあると思うん
ですけれども そしてあの fv だけではなくてですね
摩擦音系列に起こったんですね s と z の発音であるとかあるいは th もですね無性バージョンのふと
優勢バージョンのずっていうのがありますよね このあたりも連動して起こったので一緒に扱った方がいいと思うんですよね
例えばまあ現代英語のその反映で言えば 例えばハウスとハウズ
みたいなものもですねこの範疇に入るわけなんですけれどもそれがですね 声語から中英語にかけての時期に区別されてきたというような現象があるんですよね
その典型例として挙げられるのが ライフライブというものもあるんですけれどもこれはちょっとですねあのいろいろな
いきさつがありまして先日話題にしたようなですねちょっと複雑な話題があってですね これストレートではないんですね
ですのでこの手の話題としては割とストレートなのは先ほど述べたハウスハウズ あたりかなぁとも思いますね
これはですね名詞としては家という意味のフースとを言っていたんですねこう英語では これに動詞語尾がついてですね
いやんという語尾がつくんですがそうするとですね フースの巣という語幹末の
摩擦音が 優勢化するんですねフーズやんとあるんですね
これが今の動詞ハウズ収容する家に入れるという意味のあのハウズなんですね なんとかハウジングハウジングという時のあれです
これなんですけれどもフーズやんのいやんという動詞語尾が消えたことによって ずの
優勢音は残りつつですねフーズそして後にハウズになった 結果として名詞ハウスと動詞ハウズが語尾の
声つまり無性化優勢化で区別されるようになったというような そんな話題が英語詞ではですね
ちっちゃな話題といえばそうなんですけれども音素化 というですね f と v が2つ異なる音として認識されるようになったっていう話題として
かなり音韻史上はですね重要な事件出来事だというふうに考えられているんですね この
音速化をめぐってどのような順序で まあこの音速化が起こったかというような
簡単に言えばそういう質問をいただいたというふうに理解しているんですよね これもうすでにですね専門的であることはわかるかと思うんですけれども
今回質問していただいた ギミテさんによりますとこの順序ですねどういう順序でこれが起こったのか
というところでいくつか疑義があるというような そんな問題意識だと思うんですよね
改めて質問を読み上げますとね ライフライブのような fv でペアになる単語では動詞には母音で始まる語尾がついた
ので f が母音に挟まれて優勢化したから ただしその後その語尾は消失した
という説明をよく聞きますでもこの理屈はちょっと不思議に思っています 母音に挟まれて優勢化したのならその母音が消失したら無性に戻りそうではないでしょうか
これは動詞語尾がつくと 語尾の消滅の間に英語で fv が別の音想として区別されるようになったという出来事が
あったからということでしょうかということなんですね この時系列を巡る問題ということなんですね
がですね ありましてこれがどういう時間順で並ぶのかということが問題になっている
少なくともそのような問題意識で質問くださったんだと思うんですよね それで言いますと動詞語尾がつく
ハウスフーズであればフーズやんのイヤンの部分ですし ウルフの複数形であればウルバスとなるこの as のことですよね
まあ動詞語尾ではありませんが何か語尾がつくっていうのが一つ 仮定としてあるとこれ第一
ポイントですよね 次にですね
語尾の消滅っていうのがある いやんが消えるとかですね
あるいは明日だったこのあが消えるとかいうことですよね まあ語尾の部分が消滅するっていうようなことがある
そして3点目にですね f と v とかあるいは s と z をですね
それから dh でもフとフというまあ要するに摩擦音の無声バージョンと優勢バージョン が別の音素として区別されるようになるっていうこの3つの
時間的順序っていうのはどうなってるんですか ということだと思うんですよね
これについてはですね時間軸ってまああの数直線一直線に考えられるわけなんですが 実はこの3つのうちですね最初の2つはいわゆる
出来事事件としてある点 置くことができると思うんですね時間軸の上に
どこかにプロットすることができると思うんですが3つ目の 音素として区別されるようになった
f と v とか s と z とかですね これ音素化というふうに呼んでいますけれども
これはですね時間軸上に置くことができるできないというよりはですね エンティティとしてレベルが違う話なんではないかっていうふうに私は考えているん
ですね ちょっと話が難しくなりますが最初の2つつまりなんとか語尾がつくということと
語尾の消滅というのは時間軸の中で ある時に起こった出来事だと思ってるんですよ
信じてるんですね事実としてそれが起こったつまり存在論的にですね ある時間軸の一点において起こっただろうと
それあの後英語の後期であれ中英語の初期であれ ピンポイントですね何年とは言うことはできないんですがまあ歴史上
ある点で起こったことなんだろうなというふうに認識しています まあある意味物理的な現象として語尾がついたり
やれ語尾が消滅したりみたいなことですよねこれはの存在論的にですね はっきりと何年とは言えませんが
あきっといつか起こったんだろうなという存在論的なものとして認識しています ところがですね
f と f が別の音素として区別されたという時にはこれ 存在論というより認識論的な問題なんですよ
なぜかというと音素っていうのはそもそも理論なんですね 高生の言語学者が
を知られた一つの音に対する対する考え方なんですよ ですのでこれそのものが存在論的な事実というよりもある
ものをですねどう認識するかという認識論的な まあ理論的な産物なんですね
なのでこの存在論的な存在と認識論的な存在というのが同じ時間軸の直線上にですね 並べるっていうことはなかなか難しいんではないか
つまりどっちが先か後かみたいに 時間の数直線の中でですね比較するタイプの話題ではないんではないかというのが
まあ私の考えなんですね なかなか遠回りになってしまいましたけれどもそういうふうに考えております
同じ時間軸の中で どっちが先か後かというのを議論するタイプの話題では多分ないんではないかと
存在のあり方が存在論的か認識論かで異なっているということなんですよね 音素化したかどうか
f と v s と z が異なる音になったかどうかっていうのは後から振り返って判断 するものと言いますかね認識論上の問題ということであって時間軸上に素直にある事件がこの年に
起こりました別の事件この年に起こりました その間にこれが落ちるんですみたいな言い方ではなかなかできないんではないか
というような簡単に言えばそういう考え方をしているということなんですね それでもあえて同じ数直線上に置くのであればというこれもですね
なかなか誤解があるんですけれどもこういう言い方で終えないとなかなか 理解していただくのは難しいかなと思いますのであえてあえてですね
私の考え方をですね本当は2次元3次元的なんですけれども 数直線というですね1次元に落とすのであればというそこを迫られるんであればどう答える
か ということなんですけれども
そうですね それでいうのであれば
音速化というのは認識論的に後付で決まるものなので この3つの中で一番最後つまり3つ目に
時間軸の中で起きたいという考え方ですね つまり今回の問題で言いますとまず最初に語尾がつきました
その後語尾が消滅しました 残った後に
ライフとライブという2つの単語が残りました このペアを比べると夫語尾で f と v 区別されてるよね
ということでこの2つが 異なる音素として認定されるというような順番で考えております
これだから本当は順番ではないんです 先ほど言ったように議論のレベルが違うっていうことなので
順番に落とし込みたくないっていうのが 私の本当の結論なんですけれども
あえて落とし込むのであればこんな言い方になるかなというところです これはですね
音韻詩であるとか音韻変化の理論の中では まあある意味究極的な議論の一つだと思うんですよね
ということでヘルディオ史上もしかしたら最も難解なのかもしれないというような 議論です
あのご質問のレベルがあの高かった 何回だということとこれに対して考え方
音韻詩研究者一人一人にあるものではないかということで私の試験をお話しいたしました
エンディングです今日も最後まで放送を聞いていただきましてありがとうございました いやーなかなか難しいお話ですねこれ
をなるべくわかりやすく語るにはどうしようかということを数日考えていて今日の話になりましたが全くわかりやすくなかったかなというのがお話ししていての私自身の感想です
ただですねこういう議論も音韻詩 英語詩の議論ではですねあるんだということはですね
知っていただくのもありかなということであえてお話ししてみました 今日の腰結局何なんですよかね
私も話しながらですねどんどん難しくなっていくなぁと思いながら簡単にしようと思っ ていたんですけれども
たぶんですね一番私が言いたかったのは この温素化 f と v が2つの異なる温素に分かれたんだよっていう温素化
フォニーミサイゼーションというような名前がついてますラベルがついていますがこれは たぶんですね
語尾が落ちたとか語尾がついたみたいな物理的な事件とはちょっと違うレベルにあるんです よね
ある物理的な事件みたいなものを後からどう考えるかという レベルの話まあ理論ということなんですけれども
温素化というと何か事件のような気がしますがその 事件かもしれないし事件じゃないかもしれないものにこういう考え方をすると事件化
できるよねというような 抽象的なラベルなんですよだからこれが起こったかどうかはそれを信じるかどうかって
いうことなんですよ それに対して語尾が落ちたとかついたっていうのも誰がどう見ても
語尾が落ちたものは落ちたしついたものはついたっていう風に事実なんですよファクト なんですよ
ファクトですね 温素化はファクトというよりも
理論なので考え方認識なんですよ先ほど述べましたが存在論的な出来事なのか あるいは認識論的な考え方なのかっていうことなんで
同じ一つの時間軸という数直線には並べられないんだと レベルが違うんでというような話なんですよね
そこのレイヤーが違うんですよということを多分 私はですね一番伝えたかったのかなと今日思うんですよね
ただこれをですねもっとわかりやすいお話に落とし込むことは 少なくとも今日の段階ではできませんでしたということでもしかしたらあのいずれ
でリベンジするかもしれませんしやっぱりちょっと難しすぎるということで諦める かもしれませんがこういう話題も良いかなということでお届けいたしました
もろもろですね皆さんのご意見お聞かせいただけますと幸いです このチャンネル英語の語源が身につくラジオヘルディオではあなたからのご意見ご感想をお待ちして
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英語子研究者のほったり打ちがお届けしました また明日