おはようございます。英語の歴史の研究者、ヘログ英語史ブログの管理者、英語のなぜに答える初めての英語史の著者、そして6月18日に研究者から刊行された英語語研ハンドブックの著者のホッタリュイチです。
加えて10月15日に夏目社より新刊書が出ました。 同僚の井上一平さんとお届けしている youtube チャンネル
井上言語学チャンネルから生まれた本です。井上一平・ホッタリュイチ長 言語学ですっきり解決英語のなぜ
ハッシュタグひらがな6文字で井上なぜとしてご意見やご感想をお寄せください。 特設ホームページも概要欄のリンクからどうぞ。
英語の語源が身につくラジオヘルディオ。 英語史をお茶の間にをもとに英語の歴史の面白さを伝え
裾野を広げるべく毎朝6時に配信しています。 本日は10月22日水曜日です。
皆さんいかがお過ごしでしょうか。 1週間前に出ました
井上なぜなんですけれどもこちら環境が届いてきております まだですね本格的なレビュー
例えば amazon レビューみたいなものはですね これからかと思うんですよね
今のところはですね我々としましてはショート動画も含めて そしてこのヘルディオももちろんなんですけれどもそして私のやっているブログ
英語史ブログの方でもいろいろな形でこの本の中身 紹介しております。これからですね少しずつ内容的に深掘りしたり
あるいは広げたりという形でこの本 井上なぜの本をですねある意味教材としてテキストとしてそこから
縦方向深掘りする方向それから広げる方向横方向ですね こちら展開させるという形で話題をお届けしていきたいと思っておりますのでぜひ
ですねその基本となるこの本 入手してお読みいただければ幸いです
今日の本題なんですけれども昨日の議論を聞いていただけましたでしょうか 今日のこれからお聞きになる議論なんですがその続編ということで
まずはですね昨日のものを聞いていらっしゃらない方は そこからおさらいしていただけると
今日の話題はですねますます面白く聞いていただけるかと思います というのは時系列だからです
ほぼ1ヶ月前の9月13日に英語史ライブ2025が開催されました 昨日お聞きいただいた配信会はその昼間の公式セッションの
中で収録されそして配信されたものなんですね これがまあいわば公式で
聞いていただけたらわかったと思うんですが don't have to と mustn これはなぜ意味が異なるのというお題ですよね
これなんですけれども 昨日ですね25分ほどの議論を聞いていただきましたがこれで全く決着はついておりません
第2ラウンドとしてその9月13日 英語史ライブ2025の当日の夜
懇親会1次会は穏やかに行ったんですが2次会でですね またこの議論が再燃してしまいまして
ある部屋ではですね飲み会の居酒屋 ある部屋ではこれが再燃してとんでもない議論に発展していったんですね
1回目の議論つまり昨日聞いていただいた議論には参加していらっしゃらなかった方も 参入してきているんで
新旧合わせてとにかくいろいろな議論が出ました そしてそこにはですね井上言語学チャンネルの井上さんも同席していたということでコメントされています
さあ専門家が複数いる中でこの議論が2次会 という場でですね第2ラウンドが展開されたんですが果たして議論の
育成はいかにもちろん 何か解決したということにはなっていないんですが少なくとも考える糧
ヒントは1回2回通じてですね 出たんではないかなと思います
この後もですね実はしょうこりもなく数日間数週間にわたってですね ヘルアのメンバーの中でこの議論がですね続いたといいますか
あのこう熱が冷めていないという雰囲気もですね 感じられたぐらいなんですね
いやまだ解決していませんので議論は続いていると言ってもいいです いつまた再年するかわかりませんのでぜひ皆さん
ついてきていただければと思います とにかくですね今日これからお聞きいただく会はもうお酒が入っている
面々での議論ということでですね朝から失礼いたしますが もしよろしければ夜などに晩酌のお供にこの回聞いていただければと思います
それでは行ってみましょう don't have toとmust notの違いは結局
英語しライブ2025の渾身会 短い2点です どうぞお聞きください
には納得できないって言われるんですよ うん
はい えっとね主に2つ言いたいことがある
あーえっとねまず中のハーフというとかマスクとかシュッドとかにいるみたいな風に なんかこうや私本心かどうかはともかくやらなきゃいけないんですよということにとても
自分かそれ以外かいろんな バラエティがあるけれど
いやすいません私こうしなきゃいけないんですっていうことをなんか人間は言い訳がましく言わなきゃいけ ないんだなぁっていうのがまず一つ目
でもう一つはなんかその自分が何か言ったことに対して あの
自分が個別の表現よりももう一段階上のことを言いたがりたいんだなぁというのが思います
でもしかしたらマスとハーフというみたいな2つの表現の違いなのかもしれないけれど いやマスはなんか例えば自分の意見としての義務であってハーフは状況としての
義務であるみたいなことを抽象化して表現したいんだなみたいななんかこれもね 言い訳がましく
いや私がこれをやってるのはなんか分析的な欲求を満たそうとしているみたいなものがね あるんじゃないからちょっと今の話を聞いて思いましたね
あの ボーガンのケーブルをやってても聖読会やっててめっちゃ思うの法図同士は扱いにくい
本当に扱いにくいあの 気持ちを表現しようとしているのはわかるしまあなんかあの
なんとなく何がを表現しようとしてウォッドとかシュッとか入れてるからっていうのは なんか感じるところはあるんだけどこれをこう
なんか別の表現を使って言おうとすると いやなんかそれが私の言いたいことと80パーぐらいはあってるんだけど20パー
ぐらいはそうじゃないんだよなみたいなところをなんか残っちゃうし なんかのそこを100パー追求したら法図同士で成立しない気がする
なんかの自分自身の領域みたいなものを残しているのが法図同士というか 法という概念だっていうのがある意味あの
いやあなたがそう捉えてるんですねっていう概念のこう 曖昧さを残してあげるみたいなの局地だと思うよね
もともとこう言語ってコミュニケーションツールとしては非常に曖昧さが残るという ところが問題の一つだと思うんだけど
法図同士はねその中でも即特にその そのいいね特性を色濃く残しているところだと思う
これはもちろんあの川上さんがこの後たくさんのターンでって言ってから急遽 あの急遽まとめた
これあの方法談義で今のを使いますね
いろんな 息刺でこの表現を選んで選んでるんですよみたいなその
ブーブー言い訳とかいうの込み込みなんで えっとムード報道考えるかっていう話に今すごいレベル高い話なんですけど
それ回ありましたよねありません youtube でやっぱりご覧いただいたと思いますけど
人間の心0から100の微妙なそのキビみたいのをどこで表現するかっていうのでいろんな 表現が割り当てられているのが放ったのムードっていうことなんだと思っていて
これは揺れるんですよあのいったが後解釈する受け取ったが違うのでだから
まだいまいろいろありますから
なるほど、はい
全員ちょっと待ってますから
いや、やっぱあの
全部説明すると方っぽくなるから
方はやっぱり
ちょっとちょっと
最初から4つの質問は
はい
あ、いえいえ
この質問を出したのは
加賀太さん
加賀太さんの
あ、加賀太さんの意思を
加賀太さんの俺の気持ちはっていうところを
お話しいただいて
加賀太さん
メッセージみたいなの持ってきて
たくさんのおっしゃることは
確かにこれまでの話
確かにそうだと思うんですけれども
一方でそれに照らして
元の質問であったところの
マストノートは
としてはいけないであって
ノートハーフトゥーはしなくてよいであるのは
なぜかっていう質問に戻ると
それっていうのは
なんていうか質問の前提として
マストノートと
ノートハーフトゥーの間に
そういう対立があるっていうことから
なんか見直すべきって
そういう意味の話をしていますかもしかして
元の収録を
実はまだ聞いていなくて
そうだったんですね
マストノートが禁止の意味だけど
学校の発表とか
学校が禁止の意味にならない
なんでだ
マストノート会は禁止になるんや
マストノート判明規定が禁止になるんや
っていうのが
そこにどう答えようかっていうところから
今回の議論始まったわけなんですけど
今の
たくさんの話を今の質問に照らすと
どう答えることになるんですか
ラリーが始まりましたね
鋭い
ラリーが始まりましたよ
I have to, I don't have to, I must to, I must not to
まとめを整理すると
マストノート
マストとハーフトゥーは
肯定文で同じような意味なのにもかかわらず
否定文になると意味の大きな違いが生じるのはなぜですか
なぜそもそも肯定文でイコールと言えるのか
男がまさに近い
僕のアプローチは
手柄にするな
手柄にするな
これは手柄にするな
井上先生言った
あの場ではさらっと流されたから
一応動揺はどうかないという
一応用意は
僕のアプローチはそうだったんだけど
誰もその場ではさらでした
誰もさらなかったけど
なかってもらったんですけど
誰が議論に関与するかで
ちょっと今この時点で
この時点で井上先生の話
これちょっと動画撮ればよかった
分かんないですよ
だから今あれですよ
マストと
マストイコールハーフトゥーっていう
その前提そのものを
疑ったほうがいいんじゃないか
すごいなんか
まさになんか
裁員してくれた
すごい偉く見えてきた
そうなんですよね
先ほどの
僕もそのなんか
辞書の記述が
納得いかないだけで
一応自分なりの答え
用意しないといけないなと思って
まさに今井上先生が
おっしゃってくださったように
そもそも前提として
マストイコールハーフトゥーで
話は進んでるけども
確かにこれ
イコールだとすると
同じ意味なものに
ノットを加えたら
それは
それほど意味が変わるのに
違和感を覚えるのは当然で
そもそも前提として
肯定文でのマストも
ハーフトゥーは
意味が違うと
そもそも違うと
違うんだから
ノットで否定した場合も
当然意味の差異が生じるんじゃないかと
言った
言いはしたんですね
そんなに評価されないまま
大丈夫ですか
それも評価いただきました
ただまあ
どれくらいその
学術的あれを持って
言えるかわからないですけど
一応その
今回の話だった背景
川上さんが
中高で教えておられるので
中高生に
どう今の質問を
どう答えるか
っていうところに
最後持っていけたかった
だから僕の
だからそこまでは
肯定文の時に
意味が違う
というところまでは
いいんですけど
それ以降のじゃあ
持っていく方で
自信
ほぼ自信ないんですけど
つまりあの
マストは
和社の司官会長がね
そうするなっていうのは
その喋ってる人の
あれが入ってる
その分きついと
ハーフトゥーは
外的要因とかで
そういう意味で
マストよりも柔らかいと
ノットつけても
違うよねっていう
だから
まさにあんのに
ちょっとデータ
つけ加えたっていう
また
いやいや
うっす
うっす
うっす
うっす
うっす
うっす
うっす
うっす
うっす
うっす
うっす
うっす
うっす
うっす
うっす
井上先生を
目の前に
フェイスとか
言ってますよ
井上先生
これは井上先生
フェイス
いやいや
勉強してるから
大丈夫です
大丈夫です
でもマストって
なんか
しなきゃならない
っていう意味で
アメリカ以外
特に
もうほとんど
使わなくなって
きたらしいですね
某アメリカ人によると
終わります
本当に
その
まさに今
マストと
ハーフトゥーの
頻度が変わってる
って話もあったように
やっぱりいまだにね
助動詞の
それぞれの
住み分けがね
動いていて
動きつつある
でも
本当に
本当に最後
そうなんですね
本当ね
あの
そういうことなんだ
ありがとうございます
最後そこ行ったんですよね
はいはい
全然出さなかったけど
追うっていう
とかもありますよね
追う
意味の住み分け
っていうこと
はい
禁止を表現するのは
これしかない
他は
他の
言い方はあるけど
禁止を表現するのは
その後しかない
一応
複数の助動詞が
それぞれに
表すニュアンスって
こう
場を
なんかね
この場をなんか
動き回ってるんで
なんかね
フローザルって
フロッティアだと思うんだよね
センタックスとかは
結構
解明
された部分が
出てきたけど
モーズは
いや私は
そういう
フロッティア
って
フロッティア
って
フロッティア
って
フロッティア
された
そういうことを
言おうとしてたんじゃないんだ
っていうところに
ちょっと油断に
なれてる感じがして
ムード
は
ちょっと
発信側と解釈側に
余地を
中に
残しているので
なんか
突き詰めきれないのが
でも
私は
本当は
こういうことを
言いたいんです
っていう
なんか
その
人間の
ニュアンス部分みたいな
なんか
追求しきれないところに
意義があるみたいな
分野だと思うんですよね
大きい部分あるってことですかね。
大きい部分の禁止みたいなのは確かに、用法としては絶対に必要なものであると思うんだけれど、
なんか、しなければいけないものみたいな、これだけバリエーションがあって、これだけね、多様な表現を使い分けているということは。
それ日本語だとどういうところ?
日本語だとか…
また急に難しいお題が来ましたね。
必ずしも文法的なマーカーで必ずしもそれが表現されているのは限らないと思うんですよ。
ちょっとすみません、パッといい例は思いつかないんだけれど。
だから心を尽くして言葉を尽くして何か言ってるってことですね。
もしかしたら文法化した何かではなくて、いろんな表現をつけたことで自分の気持ちを余さず表現しようとする。
で、受けてもそれを受けるんだけれど、必ずしもそこと一致はしない。
一致したとしても発信側に、いや、私は実はそこまでは思っていないという余地を残してあげるのがね、ムードだと思うんですよ。
これはすごい議論になってきました。
カミさんが…
カミさんが…
カミさんが…
いや、なんか…
いや、なんか、その…
モードですね、なんか…
さっきたくさん話してきて、あ、なるほどなって思う。
要するに西洋語ではそれを動詞の形として揺れっていうのを表すんだけど、日本語はまた別の手段を用いるんやろうなと。
で、最近僕はラテン語でプラウティスの劇局に出るんですけど、それで人に物を頼むときにものすごいマドロッコシーな言い方をするわけですね。
盲獄薬師、あの人の結婚相手が欲しいって言うんだけど、その言い方がものすごい持ってもらった、無限的な言い方をして、たぶんそういう言い方は実際にプラウティスの時代にはあったんやけど、それをさらに軽く活躍して話題にしてるわけなんですね。
だからそれもちょっとムードと繋がるものがあって、そういった…
心を表そうとすると…
そう、相手に、特に人に物を頼むときは断られる可能性もあるんで、それを何とかその迂回的な言い方で何とか伝えると。
その答えらはもう微妙なんで、それを何か日本の田舎なんかでもあるけど、プラウティスのやつではものすごいむちゃくちゃややこしい言い方してて、たぶんそれは現実にあった言い方のカリカチュアでそれをバランスしてるんやけど、
そういうムードの、別の表し方かなというのを今聞いて、それを英語とかフランス語で言えば、動詞の形で表すっていうね、それがどんどん揺れていくっていうか、時代とかの関係性とか揺れていくっていうのは、ああそういうもんやなっていうのが直感的に今だって、なるほどなと思って聞いてました。
いいんですかね、こんなことになりました?
いや、どういうつもりだったの?
いや、そうですよね。こんなことになると思っちゃいました。
中学校の英語の先生は何て訳せって教えればいいのかって頭を抱えそうになっちゃいますよね、今の話のこと。だから何を教えるのが正解なんでしょうね、どの段階で。
じゃあ、あれやと思います。正解は何かってことで、質問を。
じゃあすいません、ホッタ先生今ね、さっき我慢せよって言いましたけど、
我慢せよ?
ちょっと待ってください。
せよはちょっと気分的に。
ちょっと推してしまいましたけど、ホッタ先生。
改めまして、改めまして。
今、なかなかムードの統合のすごい議論になってますよね。
だいたいパラメータ出たと思うんですよ。その全部だと思ってるんですけど、
まず、論理的な否定とか肯定みたいな、スコープって言い方しましたけど、論理性、これは言語っていうか基本的にありますよね。
それから、フェイスが出ましたよね。フェイス出ましたね。
それから、あと何が出ましたかね。
モダリティの問題ですかね。
それから、社会性っていう問題が出ましたかね。
フェイスと近いですけど、関係性みたいなのが出て、
こういう0、100みたいなグラデーションを取るものの軸っていうのが、今3つとか4つぐらい軸が出て、
これを合わせてムードって呼んでるんじゃないかっていう、思ってるんですよ。
ただ、表現、形式は一つにズバッと言わなきゃいけないんで、
だからまさに最後に近いんですよ。全然答えになってないんですけど、答えになってないし、
中学生は納得させられないんだけど、割とそういうことかなと僕は思っている。
どうしに限らずなんですけど、このmust notとdon't have toのイコルヌの考えるときに、
全部今まで具体的な文脈とかなしで話してたから、
いい発想だね。
中学生が納得するとかしないっていうのは、やっぱりこの2つの使い分けって特にその場で決まるものだと思うんですよね。
だからこういう場合だったら絶対must not使いなさいとか、こういう場合だったら絶対don't have to使いなさいみたいな、
定型表現があるわけではなくて、だからやっぱりそこがそこなんじゃないですかね。
例えばこの文脈でどうしてdon't have toを使ったんだろうという問いには答えられるけど、
don't have toとmust notがどう違うんですかって言われても、それは5単位の記述しかできない。
そのためには一応意味が違うように書いておくしかない。
やっぱりこれは原文に当たるべきっていうのがここに来るので、
一通りのこういう武器を手にしたら、あとは原文に当たって、
なぜここでI mustって言ってるのかみたいなことをずっと考えて、
have toって言ったらどういう心境の変化があるんだろうみたいなことを考えて、
だから最終的にここでは4RがI mustって言ってるのかみたいなことを考えるみたいなのが必要なんですよ。
トップランクでは限界があるんですが、やっぱフォトブランド、
ブリティッシュエッグのエンペルしてるんですよ。
カカアタさんからいただいた質問ってここまで盛り上がると思うんだけど、
改めて感謝したいと思います。
入門っていうか入門プラス応用みたいになってるんですよ、実は。
ずっと喋ってましたね、そのテーマで。
しばらく。
ダメですね、用語が。用語がよくわからない人たちなんで。
でも英語でもやっぱI would likeみたいなのから入るし、
フランス語でも自分で言いたいみたいなところから入る。
フォーですよね。
終わりました。
素晴らしい、これは有料配信に値するんじゃないですか。
ありがとうございました。
エンディングです。
今日も最後まで放送を聞いていただきましてありがとうございました。
昨日の議論にも増して、お酒が入っているからますますということですけども、
皆さんノリノリで楽しげに議論しております。
私もその場にいたわけなんですが、急に振られたりですね、
またまた参ってしまったわけなんですが、議論そのものは楽しかったですね。
こうして一戦の役にも立たない議論といえばそうなんですけれども、
これこそが一戦にもならないかもしれません。
ただこれが豊かさなんだというふうに私は信じて疑っておりません。
こういう議論を一緒にできる仲間が集まった回、それが英語シライブ2025だったんだろうなと思います。
公式セッションのみならず、このような2次会でもこれほどの議論が一緒にできる仲間、
本当に集まっていただきまして、私自身が豊かな気分になりました。
議論の行方は分かりません。
これからといいますか、全く結論が出ていないといっていいところだと思うんですが、
皆さんもぜひこの問題に関心を寄せいただきまして、
いつ、どこでこの意気揚げが再年するか分かりませんので、
この回は保存版として撮っておいていただければと思います。
井上さんが対談という形ではなく、素で参加されたという点でも、
なかなか貴重な音源となっているのではないかなというふうにも思います。
ぜひ、井上さんと私の書いたイノホタナゼ、またまた広告ですけれども、
こちらの方もますます盛り上げていきたいと思いますので、皆さんにはぜひよろしくお願いいたします。
特設ホームページの方も私作り込んでおりますので、ぜひ訪れていただければと思います。
このチャンネルに、このチャプターにリンクを貼っております。
ぜひよろしくお願いいたします。
このチャンネル、英語の語源が身につくラジオヘルディオでは、
あなたからのご意見ご感想をお待ちしています。
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それでは今日も皆さんにとって良い1日になりますように、
英語子研究者のほったり道がお届けしました。
また明日!