Camp@Us Magazine Monthly Extra edition, 3 Dec.2024
-Let's enjoy adult flavor!-
よむ音 かたる本 おくる言葉
2024年のLISTENアドベントカレンダーに参加し、LISTENとの出会いがどのように人生を変えたのかを振り返っています。また、音声配信の進化を通じて、和歌や語り本の重要性についても話されています。ポッドキャストのエピソードでは、おくりものや本の新しい形について触れ、音声メディアの重要性が強調されています。特に、LISTENを通じての交流や寄付文化の普及の必要性が提起され、語り本の時代の到来が宣言されています。(AI summary)
目次
LISTENとの出会い 00:00
和歌とSNSの関係 01:52
語り本の新たな可能性 05:56
おくりものの重要性 14:38
寄付文化の普及 16:59
LISTENとの出会い 20:59訂正1)「語り本」と語るべきところ、「読み本」と言い間違えている箇所があります。文字起こし記事にて修正しております。
訂正2)トナカイさん(←サンタさん)の1日目でヒロヒロシさんが
あれから一年…..
LISTENとの出会い、LISTENが変えた人生|12/23 LISTENアドカレ2023
Advent 2024 -おくる言葉-
LISTENとの出会い、LISTENが変えた人生|12/23 LISTENアドカレ2023
12/5 はじめるCamp@Us(side A) Advent Calendar 2024
side B はこちら はじめるCamp@Us(side B) Advent Calendar 2024
reference ① よむ音
2024-06-02 はじらぢさんでぃ #001 -ことばをデザインする- HRC season5
SNSあれこれ。….今日は….、和歌、「大和歌はSNSだった」みたいな話をちょっとしていこうかなと思うんですけど、...…
私はもっとアバウトにね、人と人をつなげるサービスは、…….見知らぬ人をつなげるサービス、あらゆるサービスはすべてソーシャルネットワーキングサービスであるというふうに思ってるわけなんですが、このSNSという言葉は実は日本でしか通じない。…….今はもう80歳ぐらいの人もSNSって言葉を使うんですね。もうインターネットイコールSNSだと思ってる、あるいはスマホイコールSNSだと思ってるっていう人もいて、何かっていうともうSNSっていう言葉を使うようになっちゃったぐらい普及しちゃった言葉ですね、SNSっていうのはね。
だからそれこそ大和歌がね、その昔、大和歌、大和歌と。ことのは、ことのはとか言ってた時代と同じように、今、SNS、SNSっていう言葉が使われてるんじゃないかと思ったりもするんですが、...…海外ではソーシャルメディア。ソーシャルメディアって言い方して、要するにメディアなんですよね、メディア。社会関係を作るメディアは全てソーシャルメディアだし、SNSだっていうふうに言っちゃっていいと思ってるんですが。
そうやって考えると、実はその起源がどこにあるかというと、やっぱり日本では和歌ですね。歌の交換が始まったと。上の句を読んで下の句を誰かに読ませるとかね。返歌って言うんですか。返す歌って書いて返歌する。これもう、まさにコメントをいただくというね。
それこそ今、LISTENっていう界隈では、声日記っていうのが流行ってますけども、誰かが声日記で誰かをメンションしてしゃべったら、それに対してもう一人の人が、そこでメンションされた方が、言及された方が声日記で返すみたいな。
これまさに、大和歌の和歌の返歌、返し歌と一緒なんだろうなと。構造としてはね。それこそ五七五でやって、当時はやっぱり言葉自体もそんなにたくさん書いても読まれなかっただろうし、だいたい紙だって資源貴重だっただろうし、メディア資源が貴重だったからもう書くわけですよ。五七五と。そうするとそれが七七で返ってくるわけですよね。そういった17文字と14文字のやりとりがなされたっていうところから始まったわけね。
だからTwitterの140文字って非常に文字数多いわけですよね。それと比べるとね。今は140文字どころかもういくらでも打てちゃうし、今度こういう音声配信になるともういくらでもしゃべれちゃう。いくらでも文字になっちゃう。逆に、文字数が多くなることでのマイナスもあるんじゃないかっていう気もしなくもないわけですけれども。やっぱり原点は、言葉を書き記す。文字として、メディアに記録できる形で。これがやっぱりSNSの原点だと思うんですよね。
だから一つは記録できるっていうことだし、そこに応答があるっていう。誰かが上の句を読むと誰かが下の句を読む。そこにまた次の歌を。今度その相手が上の句を読み、今度こっちが下の句を返すみたいなこのやり取りですよね。言葉のやり取り。これがSNSのやっぱり原点だろうというふうに思っちゃうんですよね、私はね。
これもっとちゃんと根拠付けて理屈付けて、どっかで喋ろうかと思ってるんですけど、SNSの源流は大和歌にあったっていうね。そんな話を真面目に思ってる。それはもうまさに言葉のことの葉のやり取りだった。だから、まあこれ、そもそもなんでSNSやってんのって話があって、フォロワー増やすためなのか、金儲けのためなのか、自己承認欲求のためなのかって、いろんな議論があるんだけど、そうじゃなくて、それはやっぱり何かを発話する、文字に書き記す。
五七五と書いたら七七が返ってくるとね。これがSNSの本質であり原点だって。そのコミュニケーションが嬉しいからやるんだって。これがやっぱり私の中ではSNSの目的であり原点だと思ってるんですよね。五七五七七、五七五七七、これを忘れずにね、やっぱりSNSを一からやり直し始めたいなと。
それがたとえインターネット上の音声配信、映像配信などが自在にできるような時代、ライブ配信、オンデマンド配信が自在にできるような時代に入ったからこそ、その原点である五七五七七のやり取り、返し、応答、これをやっぱり中心に置きながらやりたいなぁなんて思ったりしてるわけですよね。よくわかんない話ですね。SNSあれこれ。どう思いますか、皆さん。
2024-06-15 159 声de隔日記|日記とつぶやきとラジオとトークとニュースと縮刷版と雑誌と単行本と下書きとドラフトと生と久しぶりのサッポロClassicとカタコトEnglishリアルトークの話
結局、音声配信、ポッドキャスト、LISTENで声日記というのが始まって、ポッドキャストの新ジャンルですよね。あるいは、ポッドキャストではない音声配信が始まったということになっているんだけども。
私は、この声deかく日記は、だから声日記なんですよね、ある意味ね。声日記なんだけど、声日記というよりも声deかく日記という微妙にずれる部分があるんですが、日記は日記なんですよね。やっぱり声deかく日記なんですけど。
今日、ダラダライブで喋ってて、ああそういうことだなというふうに改めて思ったのは、結局、ブログの世界もダイアリー、日記から始まったんですよね。今やブログはもう百花繚乱というか、いろんなブログがあるわけですけども。誰もがするものになったんですが、ポッドキャストもそうなってきただけの話だという気がして、だから全てはダイアリー、日記から始まる。
「誰もがすなる日記というものを私もしてみむとてするなり」みたいなね、紀貫之の世界から始まったと。
最近SNSは、最初のSNSは短歌だとか言ってるんですけど。
なんかあれですね。日記は日記で、ブログの始まりは日記で、ポッドキャストも日記の世界が出てきたという、そういう話なんですが。..…
reference ② かたる本
2024-07-01 はぢめも 58|語り本としてのLISTEN、読み本としてのnote
平家物語には本がたくさんあるんですけれども、語り本系、読み本系っていうのがあるということなんですね。これ、たなさんが教えてくれたんですけれども、それが教えてくれたのが、ことのはの6月29日のアフタートークへのコメントで教えてくださったんですけど、同じようなことをちょっと考えてたんですが。
その、LISTENは音声付きの、本人の肉声付きの本が作れるということで、従来のポッドキャストとはだからもう違うんだという話で、私の中ではこれは聞く本だし、読む本だし、語る本だしというふうに思ってたんですけども、それがこの平家物語の語り本系、読み本系っていうことでインスピレーションを受けてしまって、これはいいなということなんですね。
似たようなことを私ちょっと英語で考えてて、それが前回のはぢめもで「ドラフト、エディット、パブリッシュ」っていう、結局、このプロセスの中で全てが起きていると。ドラフトがある意味、ボイスドラフトになれば語り本になるし、それを編集して読み本にしてパブリッシュするってね、……
2024-06-30 はぢめも 57|Draft, Edit, Publish
ドラフト、エディット、パブリッシュ。ドラフト、これ書き言葉で言うと草稿ですよね、ドラフト、ざーっと書くわけね、思いつくままにとにかく書いていく。昔は手書きするしかなかった、それがキーボードで草稿するようになった。今は声でボイスドラフトを書くようになったということですね。
これはもう、どこまでどういうふうに語るかですね、ボイスドラフトね。だからこれは原稿もそうですよね、紙の場合も文字の場合も。どこまでラフにドラフト、ラフドラフトにするのか、ある程度考え抜いたドラフトにするのか。
これは色々あって、ただそのドラフトを書くプロセスってやっぱり一番面白いわけですよね。ビールもドラフト、生が一番おいしいわけで、ボイスもドラフトが面白いし、実はそれこそ色んな草稿、ドラフトが本になって出版されたりってこともあるわけですよね。
そこを読むことで実は完成された、パブリッシュされた作品の本当の意味がわかるなんてことで、ドラフトはやっぱり重要なんですよね。
なので、今はボイスドラフトの時代になったということで、このドラフトはだから基本ボイスドラフト、もちろん手書きのドラフトもあってもいいけども、どっちもありですね。だからどっちも説明できるわけです。語り言葉のドラフトも書き言葉のドラフトもどっちもドラフトだっていうことです。語り言葉の方は、とりあえずボイスドラフトというふうに言うこともできると。
昔はこれ残せなかったわけですが、今、残せるようになったのね。それこそ琵琶法師の時代はボイスドラフトは残せなかったわけです。誰かが速記するしかなかった。これが今はボイスドラフトが残せるようになった。これがまさに重要で、しかもそれをAIがトランスクライブ、文字起こししてくれるっていうね。
書き手がいらなくなった、速記者がいらなくなったっていう。AIがやってくれるっていう。琵琶法師が語ったことがそのまま文字になるっていうね。語り本と言うそうですが、ありがとうございます、情報をいただきまして。それで、これがだから、ドラフトですね。
あとはエディットなんですよ。例えば、ポッドキャストの話をすると、ポッドキャストはしゃべるでしょ。それをエディットするわけですよ。無駄なとこを省いたり、いろんなノイズを取ったり、これがまさにエディットです。
何のためにエディットするのかって言ったら、パブリッシュするためにエディットするわけですね。これは音声もそうです。文字のない音声、ポッドキャストもパブリッシュするためにドラフトをエディットするわけです。
2024-06-29 ことのは|29 June 2024
紙の本だって、別に根拠ないわけです。
こんなのはそれこそグーテンベルクが出てきてから、今の印刷の本は大量に出回ったんで、それ以前は綴じた本ですね。紙とか羊皮紙を綴じたような本はあったけれども、こういう製本された本って、それ以降の話であって、書籍革命がグーテンベルクとともに起きたんで、それに代わる、いま電子メディア上での書籍革命が起きてるんだけど、それはまだ本格展開していないということなんですよね。
その本格展開にはやっぱり、本人の肉声とそのまんま言文一致で文字起こしされたテキストというのが、本の本体、本の本性、本物の本になっていくというね。
それこそが本だと、本当の本だと。
これなんか言い方考えたいんですけど。本当の本はどこにある。本、やっぱり本って言い方がいいのかな。他に思いつかないね。
本って言葉はどこから出てきたんでしょうね。これ調べる、調べると言って、調べてないんですが、ちょっと調べてみたいと思います。
2024-07-01 文字起こしのない音声配信は生き残れるか -本のない世界-|文字と肉声 ④
つまり世界には「読み本」と「聴き本」と「語り本」があると。「語り本」は、語った言葉をAIが文字起こしして、そのまんま全てが文字になる世界ですね。...…
これまでは実は、「語り本」というのは書写、筆記ですね。筆記なりキーボードで打つしかなかったわけです。よく昔、語ったものをキーボードでタッタッタと口述筆記するときは、キーボードを早く叩くという。語る速度でキーボードで文字を打つという時代がありました。これをやらなくていいわけですね。AIがやってくれる。人間いらないわけですね。...…
ここで本質的に違うのは、語ることで書くのか。あるいは、語った言葉をすべて文字としてAIに写しとらせるのかということなんですね。これ実は、別のシリーズでやった「時間革命」、「言文一致への回帰」、そして「書籍革命」。こちらを一通り読んだり聞いたりしていただくと深く理解できると思うんですが、「語ったことすべてが文字になる世界」。そしてそれを、肉声でも聞くことができる世界。これがやってきたわけですね。語ることイコール聞くことイコール書くことイコール読むことになったという。
これは、私の言い方で言うと、「語るすべてが本になる世界」ですね。「語るすべてを本にすることができる世界」、そして「それを最短で読むことができる世界」。これを作っているわけですね。なので、この「語り本」っていうのは、かつて平家物語の時代に書かれた語り本とはもう質的に異なっていて、「すべてが本になる世界」が、「これからの時代の語り本」だということですね。
「読み本」は、語ることで書かれた読み本は、限りなく「語り本」に近づいていくわけですが、あとはこの「語り本」と「読み本」の間にあるものは、「書くことで本を作るのか、語ることで本を作るのか」ということの違いと、もう一つは、「語り本」はもう語ったままの文字なんですね。「読み本」はそれを加工する、一番適切な言葉は「編集」する。「エディット」する。このエディッティングに時間をかけるわけですね。編集に時間をかけるわけです。それは読みやすくするための手間です。
ただ、これを語った草稿、ドラフトですね。「ボイスドラフト」をもとに書けば、書けばじゃなくて、「エディット=編集」すれば、それはこれまでのように手書きやキーボードで書くよりもよっぽど効率的だし、時間資源の節約にもなるということですね。
だから、あり得るのは、「これからの時代の読み本」は、語ることでAIに文字起こしをさせた語られた文字をエディットする。このエディットする手間ですね。それが読むことに効率をもたらすという限りにおいて、このエディットに時間をかけるということには意味がある、という言い方ができると思います。
reference ③ おくる言葉
2024-01-30 090|LISTEN carefree! Web進化論とはてなブログとオダチンと限定解除と非公開解除とルーティーンとパターン化の話
ブログは残るんですね。 オンデマンドのメリット。今は喋ったことが残ると。LISTENに文字として残り、ブログにも残してるし、 noteにも残してるしっていうことで、やっぱりね、オンデマンド文化は重要ですね。ライブは消えてなくなっちゃう。 思い出だけが残る。オンデマンドは記録が残る。これ大事ですね。とてもね。
そんなことで、その時のウェブ進化論ウェブ2.0で、梅田さんが言ってたようなこと、もうとにかく脳内垂れ流しでね、ソーシャルネットワークにさらしてしまえという話が、やっぱりそれ以降の私を規定してるんですよね。
ただやっぱり音声で喋ってっていうのが好きだったのが、これが今20年ぶりに実現したと。だからワクワクなんだってね。正体がだいぶ見えてきました。 すごいですね。これ音声入力音声配信とブログ文化の融合ですね。私の中でウェブ2.0の融合です。 まあそんなことです。
とにかくキーボード打たなくていい。書かなくていい。 ブログ打つのって時間かかるんですよね。今、12月1日からブログ始めたんですけど、はてなブログを再開したんですが。 やっぱこれ時間かかりますね。音声配信よりかかる。
でもそれを言うと多分ポッドキャストやってきた人は、いやそうじゃない。ポッドキャストの編集の方が時間かかると思っていると思うんですが、ブログの方が時間かかんないと思ってるんですが、私にとっては逆ですね。逆。
ブログも全部音声入力で、今100%文字起こしでやろうと思っています。 遊びじゃないのよポッドキャストは。遊びじゃないのよブログは。みたいな感じでやってます。 はぢめもでブログ連携とか。
あと、あの 有料エピソードがね始まったじゃないですか。これを私はオダチン。 odajinさんじゃないですよ。odachin。お駄賃。投げ銭ですね。投げ銭、お駄賃文化が LISTENで もしかしたら根付くかもしれない。
これ SNS界にとっては結構、難しかったんです。投げ銭文化ですよね。 やっぱり何か発信する人、クリエイターとかに投げ銭するっていう文化が日本は弱い。寄附文化もないわけです。
私、私立大学に長いこと勤めてましたが、欧米には寄附文化があるのに日本には本当に寄附文化がない。理事長から理事から、まず寄附しないというね。 この寄附文化をとにかく根付かせなきゃいけない。そのベースとしてやっぱオダチン文化ですね。お駄賃文化。
これがLISTENでもしかしたらちょっと広がるんじゃないかってちょっと期待してますね。
2024-02-01 091|LISTEN carefree! 音声入力するblogとTwitterとLet’s ODACHINと音声記事だけのnote定期購読マガジン創刊の話
それから、レッツODACHIN。これはこだわってるんですけど、ODACHINをKAROSHIと同じように国際語にしたい。
レッツODACHIN。ODACHINちょうだい。ODACHIN CHODAI。
これ国際語にしたいということで、せっせっせっせとODACHINもらえそうな有料配信をしようかなと思ってるんですが、まだストライプの方がストライキしてるんで、まだうまくいかないんですが、もう50円ぐらいのODACHIN記事をポコポコ出していくのは面白いかなとかね、それこそODACHINという番組を作ろうかなとかね、真面目に思ってるという。ODACHINちょうだい。
今日はこんなことを考えました。ODACHINちょうだい。それもそれで面白いかなとかね。
もう余計な妄想ばっかり膨らましてる、ただの還暦ジジイです。
2024-01-31 はぢめも 25|Let's ODACHIN!
お駄賃で思い出したんですね。いろいろ連想が膨らんで。
そういえば、昔、「お駄賃文化」っていうのがあったと思うんですよね、子供の頃。肩たたきするとお駄賃もらえる。お買い物に行ってくるとお駄賃もらえる。それから、お洗濯とか掃除のお手伝いをするとお駄賃もらえる。昔、子供の頃はもうお駄賃欲しくて、5円、10円、50円のお駄賃が欲しくて、せっせせっせと大人の仕事のお手伝いをしていた。子守りをするとお駄賃もらえる。
そういう「お駄賃文化」があったはずなのに、いつしかなくなってしまいましたね、そういうお駄賃文化。むしろお金をあげるのは良くないことだ、みたいな形になっちゃって。その分毎月お小遣いをあげるみたいな形になってるんですけど、昔は労働と引き換えにお駄賃をもらってたんですよね、子供も。
そこで働くっていうことを学んだりしたわけですよね。何か人の役に立つお手伝いをする。それでお駄賃がその対価として、報酬としてもらえるっていう、これを学んできたんですよね、僕たちの世代は。だけど僕自身は大人になってから子供にお駄賃ってあげたことないし、もしあげたりするとその親に怒られたりするかもしれないっていうぐらいお駄賃文化が衰退してしまったのはなぜだろう。
ということで、「お駄賃文化」。これ復活させた方がいいんじゃないかなと。お駄賃文化、Let's ODACHIN!。お駄賃っていうことで、すごく連想が実は広がっちゃってて、「お駄賃ちょうだい、頑張って書いたよ」、「ODACHIN文化がSNSを救う」。「ODACHINを国際語にしよう」と。過労死とかね、もったいないとかを国際語にしてる場合じゃなくて、ODACHINですね。
欧米にはチップっていう文化があるんですよね。日本も昔、結構チップ文化あったんですけど、タクシーとか乗ってお釣りはとっといてってあったんだけど、今それやる人はなんか下品な人みたいな感じになっちゃってるんですが。チップ文化と一緒だと。共通する部分あると思うんですよね。日本にも実はお駄賃文化っていうのがずっとあったのに、これが消えてしまった。
お駄賃。もったいないより過労死よりもODACHINを国際語に。ODACHIN文化をSNSの共通言語にしたいということで、「投げ銭」とかいうのはやめて、「お駄賃」の方がいいんじゃないかっていう形で、お駄賃ください。お駄賃文化の話でした。
LISTEN Profile
サマリー
2024年のLISTENアドベントカレンダーに参加し、LISTENとの出会いがどのように人生を変えたのかを振り返っています。また、音声配信の進化を通じて、和歌や語り本の重要性についても話されています。ポッドキャストのエピソードでは、おくりものや本の新しい形について触れ、音声メディアの重要性が強調されています。特に、LISTENを通じての交流や寄付文化の普及の必要性が提起され、語り本の時代の到来が宣言されています。