感情と行動の関係
こんにちは、hattoです。
今日はですね、感情に行動を選ばせないようにするために、っていうお話をしてみたいと思います。
私自身、感情に左右されるタイプで、感情の浮き沈みとかで、行動も左右されてしまうっていうタイプなんですけど、
それってすごく不自由なことだなっていうふうに思うんですね。
今日はそんな話をしてみたいと思います。
私たちhattoは、家族の絆をより濃く、より強くをコンセプトに、家族のつながりを大切にするアイテムを作っています。
この番組では、ものづくりのこと、暮らし、子育ての中で感じたこと、気づいたことをお話ししています。
よく、頭の中で堂々巡りをしてしまうようなことがあるんですけど、
それが何かっていうと、
例えば、自分に素直に、他人に左右されることなく、やりたいことをやるっていうのが正しいというか、いいってされる考え方ってありますよね。
いわゆる他人軸じゃなくて、自分軸で生きるっていうことと似ていて、
自分の良い素直な自分に自分の悪い物を厳しくする、
自分のあたりを不安するばかりじゃなくて、好きなことを好きなようにやってみようよっていう考え方、
私はこういうことができる人にすごく憧れを持っていて、こういう風に生きていきたいなって思うんですけど、
自分に素直に我慢しないって
頑張ってないっていうことにならないのかなって思うんですね
でもやっぱりそういうふうな生き方って
もういいなって思うし
っていう堂々巡りがたまに起きるんです
でもこれ最近思ったのが
自分に素直にっていうのの
自分っていうのが
自分の感情になってるんじゃないかなって思ったんですね
でも感情って時間とか環境によって浮かんでは消えていくもので
時間が経っても
さっきの感情が嘘のようになくなっていたり
別の感情が湧いていたりってしますよね
なんかそういうものかなって思うんですね
例えばやらなければいけないことがあるときに
自分の感情が
あーなんか疲れたなー
今日はもうやりたくないなー
だったとき
自分の感情が
自分の感情が
あーなんか疲れたなー
今日はもうやりたくないなー
だったとき
この感情に従ってやめてしまうと
その感情がもうどこかに消えてしまった後に
なんであれやらなかったんだろう
私はあれやらなければいけなかったのに
サボってしまった
ダメなやつだ
っていう自分を責めてしまう
別の感情が出てきているような気がするんです
これが感情に左右されているのかな
感情に自分の行動が左右されている状態かなって思うんですね
物理的要因による行動選択
確かにこれってすごい不自由なことですよね
感情に行動を選ばせている
選ばされている
行動が感情に選ばされているのほうがいいかな
なんかしかもそれによって
さらに感情他の感情とかが大きく沈みして
とても窮屈な感じがするなっていう風に思います
じゃあ感情じゃなくて
何で行動を選ぼうかなって考えた時に
もうちょっと物理的なところから考えてもいいのかなって思ったんですね
やりたいやりたくないっていう感情じゃなくて
これはできるのかできないのか
例えばさっきのやらなければいけないことがある時に
疲れたなもうやりたくないなっていう感情が出てきて
でもこれくらいの疲れだったら頑張ればできる
できるのか
いやちょっともう今日はあのしんどすぎてできそうにない
それってもう物理的にできないですよね
もしかしたらその取り組みたいことのクオリティが下がるとか
そういう今やるべきじゃない今できないっていうこと
だからやりたいやりたくないじゃなくて
できるできないで決めるといいんじゃないかなと思っています
やる気は待ってても起きないっても言われますよね
なんかやる気ってとりあえずちょっと何かをやって
そこでやっと芽生えるものっていう風に言われてるのと
ちょっと似てるかなと思うんですけど
感情ではやりたくないだったとしても
物理的にできるだったらやってしまう
頑張ってやってしまう
その時はもうしんどいなと思いながらやったとしても
あとあとあの時の私過去の私
これやっといてくれてありがとうって思うことって
多分皆さんあると思うんですけど
なんかそうすると気分もすごくいいですよね
なんか私できたっていう
さっき言ってたみたいな後から
なんで私あの時やらなかったんだろう
私っていろいろサボってしまうダメなやつだなっていう
自分を責める感情じゃなくて
できたことに対して自分を肯定できる感情が後から湧いてくる
そうすると感情に左右される
感情に支配されるみたいなことが起こりにくいような気がします
今日は何か何があったというわけでもなく
思いついたことをお話ししてみましたが
いかがでしたでしょうか
今日も最後まで聞いてくださってありがとうございました
ではまたハットでした