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みなさんこんにちはということでやっていきましょう 今日はですね、本題に入る前に先に一点だけお知らせということではないんですけど
ちょっとお伝えをさせてもらうと、昨日のラジオを聞いてくれた方はもうバッチリかと思いますが、新しくブログの記事を更新しました。
その記事のリンクを昨日のラジオの概要欄に貼ってますので、まだ昨日のやつを聞いてないよっていう方はぜひ昨日の話を聞いてもらって
そこの概要欄からブログの方にも飛んでみてチェックしてもらえると嬉しいなと思います。
もちろんこの収録の概要欄にもノートのリンク自体はあるので、こっちから飛んでもらってももちろん ok なので
ぜひ文章の発信にも触れてもらえると嬉しいなと思っております。
はい、では今日の本題なんですけれども、どちらかというと感情というか生々しいというか、気持ちの部分について今日はフォーカスしていこうと思うんですけど
今日僕が言いたいことはタイトルにすべて込めてるんですが、自分を許すことに理由なんていらないよね。
何かここまでやったからこれをしていいよみたいな、それってそもそもそれでいいんだっけっていうことについて考えていきたいなと思います。
僕は自分に厳しい人間で、だいぶね一頃に比べるとマシにはなったものなのがやっぱりそこの根っこは変わっていなくて
やっぱり厳しい目を自分に向けて厳しいような義務を課してしまいがちなんですよね。
だいぶマシにはなったんですけど、やっぱりこうなかなかその根っこの部分は変わってくれないなっていうのがぶっちゃけた話のところで、僕は自分に厳しいなって自分で思ってます。
特によくある、仕事と絡めてよくある話で言うと、今日はこれとこれとこれ、ここまでタスクをこなした、今日はやりたいなって思ってたことはできた。
だからブログじゃない、映画見ていいよ、アニメ見ていいよ、なんか好きなことしていいよっていうふうに思っちゃうんですよね。
裏を返すと、それがやってないのであれば好きなことはできない、しちゃいけない。
なんなら好きなことだけをして終える一日なんて言語道断みたいなことを、ちょっと今の大げさかもしれないけど、でもそういう思考になんかほぼ無意識のうちになっちゃってる、なりがちなんですよね。
もしかしたら今、首をすごく縦に振ってる人がいるかもしれませんが、そういう方はね、おそらく僕とちょっと似たような感じで、自分に厳しくしがちな人なんじゃないかなっていうふうに思っています。
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そういうなんか、僕が本当は典型だと思うんですけど、自分に厳しい人ほど、何か理由がないとブレーキを踏めない、何か理由がないとこの緊張を緩められない。
自分を許してあげられなくなっているような気がするんですね。ここまでやったっていう一つの成果だったりとか、最低限のノルマみたいなものがあるから好きなことができるっていうふうな、なんかそういう順序を作ってしまっていると思うんですね。
そもそもそれが正しいのかっていうところに僕は考えを向けた方がいいような気がしてるんですね。
もちろんこれが上手に使っている人もいると思うんですよ。先にやるべきことを終わらせて、その後に好きなことをする自由時間っていうふうにやった方が、毎日最低限のタスク量、毎日最低限のパフォーマンスっていうものを担保できるから、そうすることで着実に毎日積み重ねをしていって、継続をしていってっていうふうな、そういう仕組みでやってますと。
で、それが思うようにできていて、自分のメンタルに何の影響もなく、何のストレスもなく、コツコツ淡々とこなせてるんであれば、そのままそれはやってもらうのがいいのかなっていうふうに思います。
で、今日の話って、それがじゃあ仮に理想像だとした時に、そうじゃない人、本当は、例えば、本当は今日はゆっくりしたいのに、でもなんかしちゃいけない気がする。だって今日何もやってないもん。
さすがに何かコンテンツ作ったり発信したり、何か下書きを作ったり準備をしたりっていうものを、何か仕事をしないと好きなことをしちゃいけないよねっていうふうに思っちゃってる。
もしくは、そんなつもりじゃなかったのに結果的に好きなことに没頭しちゃって仕事できなかった。
なんだ、自分、こんなの終わってるわみたいな。例えば僕もよくあるんですよね。なんか、寝落ちしちゃって結果的に仕事できなくて、もう夜中になっちゃって、あーもう終わったなーみたいなのを、
まあ今はね、だいぶマシだけど、一時すごいひどく思ってて、なんか本当終わってんな自分みたいなことを何年か前はね、すごい強く考えてました。
そういう時に、やっぱこう自分に厳しい人って、そのなんか寝落ちしちゃったとか、予定よりも長い時間ゲームしちゃったとか遊んじゃったとかっていうものを受け入れられなくなってるというか、悪いことをしたっていうふうに捉えちゃうんですよね。
だって仕事してないじゃん。やるべきことやってないのに、それ以外の楽しいことをやってるなんてどうなんだみたいな。
でもそもそもですよ。それってやっぱおかしいよねって思うことも、僕は大事だなと思って今日こういう話をしていますけど、そもそも、
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なんか好きなことをするのに理由なんかいるんだっけとか、今日休むこと、今日寝ること、遊ぶことに何か理由なんているんだっけっていうふうに思うんですね、僕って。
自分に厳しいなって思う厳しい反面、ふとこういうことを考えるんですよ。別に良くないみたいな。好きなことをした方が人生楽しいし、好きなことを我慢して何がつまんなくないみたいなふうに思うんですよ。
でも元々子供の頃だったりとか昔ってそんななんか理由がないと自分のことを許せないとか、理由がないと好きなことをしちゃいけないとか、そんな考えどこにもなかったと思うんですね。
本当本能のままに今日やりたいことをやる。もちろんやらなきゃいけないことありますよ。宿題とか。でもなんかそれもめちゃくちゃゲームやりたくて、
宿題先に終わらせてやっとくし、これでゲームできるっていう感じで、上手くゲームやりたいっていう気持ちを上手く宿題をするエネルギーに使ったりとか、そういうのはさっきも言ったような良い事例だと思うんですね。
でもなんか大人になってこうやって自分で仕事を作ろうとか自己実現しようとか思ってくるとなんか自分で厳しくなっちゃう。
これもこんなことをやってていいのかとか、何もやってないのに好きなことをして、結局今日は仕事という面においては何も進まずに終わってしまったっていう日をすごく許せなくなっちゃってる気がするんですね。
でもやっぱり話を戻りますけど、そもそももともとそうじゃなかったのに、なんか自分の思考だったりとか自分の性格とか考え方のせいで、ある種そのせいでそういう考えしかできなくなっちゃってる。
理由がないと緩められない、許せない、止まれない、遊べないっていう風になってるのって、本当にそれで幸せなのかな、自分にとってそれは本当に心地いいのかなって考えると多分違うと思うんですよね。
僕は違うんですよ。
だからこれは自分へのメッセージでもあるし、このラジオを聴いてくれているあなたへのメッセージでもあるんですけど、そもそもそんなものなかったんだから、もとはね。
だから自分を許すこと、自分を肯定することに理由なんて何もいらないと思います。
わかってても自分に厳しくしちゃうんですよ、僕もしちゃうから。
でもこの考えが頭のどっかにあるだけで、確かに厳しくしちゃったけど、でもそもそもそんな生活してなかったよなとか、そんな考えって最近生まれたよなとかって、ちょっとここで冷静になって考えることができるだけでも全然違うと思うんですよね。
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だから今日の話はちょっと抽象的な話になって、あまり具体性に欠けたところも多くあったのかなって自分でも思うんですけど、でもなんか綺麗にとか上手にっていうのにこだわらずに、本当にちょっと思っていることを出てくる言葉をそのまま今日は話したような形になります。
本当に思うのは、うまくそれができるかできないかはさておき、自分を許すこと、自分を肯定すること、これでいいんだな、だってこれが楽しいもんなって思うことに対して、そうすることに対して理由は僕はいらないと思うんですね。
ただ楽しめばいいし、ただ好きなことをすればいいし、もちろんやらなきゃいけないこともあるけど、でもそれをしないでしたいことをする、好きなことをする、これをやっていい許可みたいなものって本来はなかったっていうことを今日のこのラジオを通じて持って帰っていただけると嬉しいなって思います。
本当にさっきも言ったけど、僕もできる時もあればできない時もあるんで、できるかできないかをさておき、この考え方を頭のどこかにインストールしておくだけでも随分変わると思うので、立ち止まってそういえばこうだったよなって考えることができるだけでも、ちょっと自分のことを受け入れる、自分が取った行動を肯定できるんじゃないかなって思うので、良ければ参考に持って帰ってもらえると嬉しいです。
はい、あと概要欄の方にちょっと今日の話と通ずるところがあるんですけど、今年ね、母の日っていうもの、僕ちょっと苦手なんですよね、そういうのが、親にまつわるものが苦手なんですけど、その母の日をちょっとこう乗り越えられたような気がするなと思っていて、当時ね、撮った収録を今日は貼っておこうと思うんで、ちょっとこう自分を受け入れる、肯定するみたいなところとも通ずると思うので、よかったら概要欄から聞いてもらえると嬉しいです。
はい、そんな感じで今日はこの辺で終わりたいと思います。また次回お会いしましょう。バイバイ。