1. ハト組ホームルーム
  2. #23 孤立と孤独の違いってなん..
2025-06-08 21:12

#23 孤立と孤独の違いってなんだろう

孤立と孤独の違いってなんだろう

最近、妙憂さんが勉強しに行った先でディスカッションのテーマになった「孤立と孤独」 2人がどう考えているのか深ぼっていきます。 ぜひ、最後までお聴きくださいね。

番組へのお便りは以下のお便りフォームまたは、hatogumi@lifebloom.funまでメールにてお寄せください。

✏️ 番組にお便りを送る。

◆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆

📗ハト組ホームルームとは?

看護師で僧侶の玉置 妙憂 (たまおき みょうゆう)さんと、マジシャンでインプロヴァイザー(即興俳優)の日向 大祐(ひゅうが だいすけ)がお送りする、生きづらさを感じた時に聴くと少しだけ気持ちが軽くなるホームルーム番組です。

ハトはハト。カエルはカエル。

直接オンラインでお話ができる、「ハト組ホームルームオンライン」へのご参加もお待ちしております。

【参加予約フォーム】 ➡️https://forms.gle/WPpbC3h8haVN6gVf7

◆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆

🎧今週のハト組ホームルームは?🎧

毎週、テーマを決めずにお話ししてるハト組ホームルーム。 話終わってみないと、何を話すのかわかっていません! 今週は、どんな内容のお話になったのか? ぜひ、最後までお聴きください。

【注目のトピック】
  • 孤独は主観的に感じるもの。
  • 孤立は物理的な状態。
  • サポートの方法もそれぞれ違ってくる。
  • コミュニティーを作って孤独は解決するのかな?
  • 解消できるかどうかは本人次第!
  • 人間はそもそも孤独?!
  • 孤独を共有することで繋がれるかも。
  • 友達ってなんだろう?
  • 仲間はたくさんいたほうがいい。
  • 孤独を感じたらベースを確認してみよう。

◆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆

👤玉置 妙憂プロフィール👤

看護師・僧侶・スピリチュアルケア師・ケアマネ-ジャー・看護教員 非営利一般社団法人大慈学苑代表 専修大学法学部法律学科卒業。夫を在宅で看取ったことをきっかけに、出家。高野山での修行を経て、高野山真言宗阿闍梨となる。現在は非営利一般社団法人「大慈学苑」並びに「日本スピリチュアルケア実践協会」を設立し、終末期、ひきこもり、不登校、子育て、希死念慮、遺族の喪失悲嘆まで、幅広いスピリチュアルケア活動を実践している。 著書『まずは、あなたのコップを満たしましょう』(飛鳥新社)『困ったら、やめる。迷ったら、離れる。』(大和出版)『死にゆく人の心に寄りそう 医療と宗教の間のケア 』(光文社新書)、他多数。 ラジオニッポン放送「テレフォン人生相談」パーソナリティ。

◆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆

👤日向 大祐プロフィール👤

マジシャン・インプロヴァイザー(即興俳優) 東京大学大学院修了。観客の目の前で見せるクロースアップマジックの分野で2009年「Blackpool Magic Convention」にて優勝し、日本人初の欧州チャンピオンとなる。また、即興俳優としての活動も行い、国内外で数多くのステージに出演。 2011年以降、マジックに演劇、即興劇(インプロ)、音楽、パントマイムなどの要素を融合させた独自のスタイル「シアトリカルマジックライブ」を上演し、劇場でのソロ公演活動を精力的に行う。2018年のソロ公演では東京・上野の劇場に1,000人を動員。著書に「3分で心をつかむ かんたんマジック(KADOKAWA)」など。 2024年現在、飲食店でのディナーショー・法人のパーティーなどに多数出演中。

◆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆

📝番組の評価とシェアをお願いします。

📣番組の評価とコメント

お聴きのPODCASTアプリで、番組の評価やコメントをお願いいたします。 あなたの評価やコメントで、より良い番組へと育って参ります。 お気軽に思いのままの評価をいただきましたら幸いです。

📣番組のシェア

あなたのご家族や友人、同僚や先輩後輩など、番組に共感をいただけそうな方に向けて、番組のシェアをお願いいたします。 SNSで「#ハト組ホームルーム」をつけての投稿もお待ちしております。

▶️番組紹介ページはコチラ

◆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆

今週も最後までお聴きいただきありがとうございました。 この番組は、人生に花を咲かせるPODCAST番組をお届けするLifebloom.funの制作でお送りいたしました。

 

サマリー

このエピソードでは、孤立と孤独の違いについて探求されています。孤立は他者との物理的な関係が失われることを指し、孤独は主観的な感覚であると説明されています。また、孤独を解消するためのサポートやコミュニティ作りの難しさにも触れています。さらに、現代における人間関係の実態について考察し、特にSNSにおける友達の数と実際の孤独感との関連についても言及されています。

孤立と孤独の定義
ハト組ホームルーム
ハト組ホームルーム出席を取ります。妙優さん。そして私、ヒューガー大助。ということで、ハト組ホームルーム第23回目でございます。
このハト組ホームルームは、私、マジシャンであるインプロバイザーであるヒューガー大助と、そして僧侶で看護師でいらっしゃいます、玉城妙優さんがゆるゆるとカフェとかで喋ってる雑談をですね、
漏れ聞いていただいて、あれこれ、こんな人たちでもこんな風に生きてるのね、と考えを深めていただく番組です。深まるんですかね。深まる必要ないですね。
考えを抱いていただく。一度も同じ、一時期変わらず番組説明をしたことがない、そんなポトキャストで雲のように変わっていく、というとかっこいいんですけどね。そんなものでございますけれども。
はい、23回目、素数、関係ないね。ふと思っちゃった。ということで、いかがですか、妙優さん最近は。6月入りまして2週目かな。
そうね、最近ね、勉強しに行くことも相変わらず多いんだけど、そこでね、孤立と孤独、孤立と孤独についてディスカッションする機会があって、改めて考えたんだけど、孤立と孤独ってどんな風に違うイメージ持ってます?
文字の上では違うけども、イメージでは孤独はデフォルトであるもの。常に誰でも根本的に常に持っているもの。よく言う人は結局孤独だから、一生孤独だからっていう孤独。決して悪い意味ではないというか、ある種。
逆に言うと自分の世界をちゃんと保てているという意味でも、孤独はプラマイゼロ、ニュートラルなイメージがあって、孤立というのは他者との関係性の問題な気がするので、他人とコミュニケーションが取れなくなってしまったりとか、共感が持てなくなったみたいなイメージですかね。僕のイメージですけど。
まさにそんな感じ。
そんな感じなんですか。
そんな感じ。でも何だろう、孤独に対するその捉え方が第三美体だったらいいのかもと思った。定義でもないけど、あえて分けて言うと孤立っていうのをおっしゃった通り、物理的システム的に人と繋がれてないっていうのが孤立なんだよね。
例えば、島にいるんだけど橋が架かってませんとか、一人暮らしで2階に住んでいて、足腰弱っちゃって下に降りていけませんとか、みたいな、そういうふうに物理的とかシステム的に一人、他者との関係がないのが孤立ね。
で、対して孤独っていうのは物理的にはいるんだわ、周りに。だからお家に帰ったら家族がいます。会社に行ったら同僚がいます。でも孤独っていうのはあり得るわけだよね。
孤立のサポート方法
だからこんな大都会に住んでて、人だらけじゃない、周り。それからどこにでもアクセスできるツールがあるじゃない。だけど孤独ですっていうふうに感じる人は感じるじゃない。
だからその孤独っていうのは物理的システム的な孤立と違って、その人が主観的に感じているものが孤独ということなんだという話になって。
で、じゃあそれをサポートするっていうのはどういうことなのかって話になってくると、孤立の方は割と簡単なんだよね。
まあ解決しようがありますもんね。つながるとか。
だから島に住んでて橋がなかったら、まあ橋を架ければいいわけだよね。で、お二階に住んでて一人じゃ降りられないんだったら、エスカレーターとか家庭用エレベーターをつければいいとかさ、そういうふうに。
で、いろいろとサポートの仕方、解決するための手段っていうのはわかりやすくあるわけ。
でも対して孤独っていうのはどうするのかっていうと仲間を作ろうとか、それから友達を作ろうとか、それからあとふれあいのコミュニティね、ふれあいの場を作ろうとかっていうふうにして人と人とをつなごうとするような動きになってくるわけよ、サポートしようとすると。
だから出会いの場を作りましょうとか、それから地域、社会でも顔の見えるお互いにね、顔の見える関係性を作りましょうとかみたいになってさ、だから今周り見回すと結構コミュニティ作りとかいい場所作りとかそういうのって一生懸命やってるじゃない。
で、それは何をしようとしてるかっていうと、孤独をなんとかしようとしてるサポートだと思うんだよね。でも果たしてそれで解決するんですかって話なんですよ。
だからコミュニティとかを作ってみんなでつながろうよってやってても、孤独が本当の意味で孤立はしないかな、そういう話とは別。孤独も完全に消せるのかというとそういうものではなさそう。
だって、要はさ、橋を架けますよっていうのはこちら側も孤立を助けようと思ってやってるわけじゃない。だから橋を架けました。あ、よかった橋を渡ってこっちに来れるようになりました。だからこちら側がしようとサポート側がしようと思っている目標とそのサポート言うならばされる側がこうありたいというのが一致してるのよ。
橋を架けて行き来できるようにしようよ、孤立それで解消するわけよ。だけどコミュニティ作って孤独をなくしてほしいっていうサポート側の思いはあるけど、それのコミュニティに参加した人がその思い通りにこちら側がね、ギブする方が思っている通りに孤独を解消してくれるかどうかは本人次第だから。
だからそこで明らかなずれが生じちゃうわけよ。だからコミュニティ作りましょうとか仲間作りましょう学校仲良くしましょうとかどこのところでもさやってるんだけど結局孤独を感じている人がそれでも私は僕は孤独だって思えば孤独なんだよ。
そしたらそれはどうするのってどうもできないじゃないっていう話なんだけど。
そのいろいろとねサポートを受けた人がそれでも孤独って思っちゃう。私は孤独だ結局なんだかんだやってもらったけどもっていうのはなんていうのかな。本人が努力しないの問題。
じゃないじゃないじゃない。で、全然本人の努力とかじゃなくてね。で、じゃあどうしたらいいのかって時にさっき大さんが言ったことが出てくるんだけど、つまり人間はそもそも孤独なんですよと。
なんかそうじゃなくて誰かとつながれるんだとかね誰かと一緒にずっといけるんだ仲間ってなくちゃいけないんだっていうのがなんとなくすり込まれてるから自分が一人でいると不安になったりなんか寂しくなったり不安定になっちゃうけどそこのベースが違わないってことなんだ。
もともと人間ってものすごく徹底的に孤独であって、運良くものすごく運良く誰かとつながって心許せるような人がいるのがもうスペシャルに稀なことなんだよって。
だからそれがいないことが困ったことなんじゃなくて誰もいなくて友達もいなくて一人でいることがノーマルなのよ。
孤独でもともとってことですね。
そういうこと。だから大さんが冒頭におっしゃってたじゃない。孤独ってそんなに嫌いじゃないとかなんかみたいな。そういう考え方ができたら救われるのよ。
だからサポートの仕方が違う。つまり仲間作ってもらおう仲良くしてもらおうコミュニティ作ろうはすごく表面的な浮つらなサポートの仕方で、そうじゃなくてその人のベース自体を変えるようにそこを手こ入れしないと延々に孤独から出てこないよねっていう話。
なるほどね。なんか今聞いてて矛盾してるようだけどこんなコミュニティあったらいいのにって思ったのはみんなで孤独を楽しもうのかいみたいな。集まってるのにみんな孤独を楽しむんかいみたいな。
でも今の名前とか言い方を置いといても、今みたいな話を共有できることによって逆に繋がれるというか、みんな孤独なんだよね。それぞれの世界があってそれぞれの自分のプライベートな領域があったり自分だけの思いがあったりっていうのがありつつみんなそれぞれだよねってことを共有している。
だったらなんか逆その方がいい気がしていて、表面的になんかねみんな仲良し仲良しって言ってるよりはよっぽどその方がなんか繋がれるって言い方もちょっと違うんですけど。ちょっと面白いなって思いましたけどね。
ベースが同じ人としての繋がりってことね。
孤独でもともと今日みたいな。孤独でもともとポリシーの人たちみたいな。
そうだね。それが本当に分かり合えればそうだよね俺たちね、もともと一人だもんねみたいなのが分かり合っている人たち同士だったらそれはそれでそこでそのベースでもってベースレベルで繋がってるかもね。
なんていうかな、孤独じゃなくはならないんだろうけど、孤独じゃなくなるのかそれで。
なんかすごくそれこそ全問答みたいですけど、ただなんかいい意味でお互い承認し合える気がするんですよ。
やっぱりこう無理っくりね、この回はこういう回ですからみんなこれを守ってねとかやりすぎるとなんかその孤独をどんどん犯していくというか、いい意味での孤独を塗りつぶしていってしまうというような感覚があるので。
まあみおいさんの話とずれちゃったかもしれないけど僕は聞いててなんか孤独イコールネガティブみたいな、そもそも言葉を捉え方しなければそれだけでもね違う気がしているんですよね。
だからそれってなんかある意味こうなんだろう教育の賜物っていうかさ、なんかお友達作りましょうみたいな。
でた、悪しき教育の弊害ですね、また。
それでなんかお前友達もいねえのみたいな風になって、じゃあ友達って何よって言ったら、
それそれそれ。
学校に行って同じ教室にいて隣に座っただけで友達じゃないよって。
だけどなんか大人側が仲良くして同じクラスになったらみんな友達だからみたいなことを言っちゃうから、なんかそこでずれていくような気がするんだよな。
で、そうするとうまいことを馴染めなくて、あの給食とか休み時間も一人でいるよっていう子が俺なんかいつも一人だなって、
友達できないしダメだなみたいになってきちゃうけど、それは違うんだよなベースがって思ってて。
なんかそういう教育はもう今してないのかな。
どうなんでしょうね、あんまり無理くりこう友達同士仲良くしなさいっていうことはないけど、
学校ってたまたまそのエリアに住んでいた子たちが集まって同じ学年だからってギュってね、同じ教室入れられてるだけなので、
まあ社会に出たらそういうこともあるよっていうことのプレートレーニングみたいな位置づけならわかるけど、
強制しすぎるのはね、ここで仲良くできなかったらもう居場所ないから人生終わりだからみたいなことは絶対ないと思うし。
最近はほら若い子、若い子ってかもうちっちゃい子よね、ちっちゃい子もSNSやってるじゃない。
そんなに?ちっちゃい子も。
あのなんて言うんだろうあの人たちはインスタグラムか。
まあまあまあそうですね。
今もうツイッターも言わないのね。
Xとか。
そこへフォローしてくれるじゃない。フォローしたりしあったりして。
でフォローが100人いるとかさ。でそのフォローしてる100人を友達って言うからね。
LINEでしかつながってなくて、会ったこともないんだよ。
孤独の概念の探求
オンライン上にいる人なのに友達いっぱいいますよ100人いますみたいな。
そこもさあなんか教育の弊害な気がしてんのよ。
なんかこうあっさみたいに思っちゃうけど。
それは友達って言っていいのか?みたいな。
まあもう別の同音異議語だと思ってて僕は。
SNSという世界においてのお互いフォローしたりフォローされてる関係を友達と便宜上言ってるだけで。
なるほどね。
で友達って言葉さっき出てきましたけど、僕友達いるかって聞かれた時に今ね多分ほぼいないんですよ。
私もいないよ。
なかなか日々会えるような距離感とかの友達は今はいないし。
で友達がいないことがいけないかって言うとそんなことなくてですね。
友達がいるって結構奇跡的なことで何の利害関係もなくフィーリングが合うねっていう友達って例えば学校に1人もいたら実は結構運がいい方なんじゃないかって思うんです。
でいないことをね俺は友達がいなくてって言っちゃうんだけどそんなこと気にしなくてよくて。
なんかクラスメイトだからねたまたままあいても嫌じゃないね。
表面的には全然仲良くやっていけるよねって関係性の友達はその時はできるかもしれないけど年齢だって違ったっていい。
住んでる場所とか違ったっていいけど気が合う人ってこの世の中にいるかもしれない。
でもパッとは出会えないよねそんなもんっていうことでいいと思うんですよね。
いたら儲け者ぐらいの。
その代わりに仲間はいっぱいいると僕は思っていて仲間って友達とはまたちょっと違ってるイメージなんですよね。
何かこう利害関係でも違うんだけど何かしら例えばやりたいこととか心たちがちょっと共通点があるね。
今一時的に同じ方向に進むときに力貸し合えたらいいよねみたいな仲間はいる。
じゃあいるからそれでいいのかなって思ってますね。
その辺のそのベースになる考え方を整理すること。
分かること本当の意味を。
そこができないと孤独だって思っちゃう気がするんだよね。
そこのベース変えずしていくらコミュニティを作って集ったって孤独よその人は。
残念ながら助けるっていうのはちょっとおこがましいけれども変えることは難しいと思う。
楽にならないと思う、ご本人が。
だから今一生懸命やってる自治体とか各いろんな団体のその孤独をなんとかしようっていうそのサポートの仕方。
もうちょっとこうなんか方向先が変わるといいなって思いながらね。
孤立をなんとかしようっていう動きはしてるわけですよね。
物理的にサポートしましょうとかね声掛けしましょうっていうのは。
それはねあの社会制度だったりそれから何だろう様々なさサポート具体的なねいっぱいあるのよ。
それは本当にしなきゃダメ。
命レベルに関わることもありますからね。
それはしなきゃダメ。
でもそれを孤立をなくしたからといって孤独でなくなるわけではないから。
孤立と孤独の混同みたいなことが起きてるとどこかやっぱそこは形外化していくようなイメージですかね。
もしかするとだよ、孤立と孤独が両方起きてて、でもその孤独の方でその方の考え方のベースみたいなものを変えることができて、孤独が消えたら孤立は問題じゃなくなるかもしれないよね。
確かに確かに。
そうか、孤独って思ったより深い言葉ですよね。
だからそこで孤独なんだけど、でもそれが嫌な孤独ではなくて、で、孤立はしてても大丈夫みたいなことがありえるっていう。
どういう生活状態なんでしょうね、それってね。
孤立と孤独の違い
孤独、だから友達ももちろんいないし仲間も別にいないけど、だけど、孤立はしてるんだけど、孤独。
孤独ではないというか、孤独イコールネガティブではないというか、孤独を悪いものと捉えてないっていう感じ。
世の中にはもうそれ実践されてる方はいらっしゃると思うんだよね、結構たくさん。
例えば山奥で一人で暮らしてて、で一日に会うのは鳥の声だけみたいな状態でも、その方のベースがしっかりしてると、それでもって孤独でとか思わないと思うんだよね。
粛々と淡々と日々の生活を過ごされてると思うよ。それは充実してるんだよ、それなりに。
千人みたいなものなのかな。でもそれが本当はあるべき姿というか、もしかしたら一番幸せなんじゃないかなっていう気がする。
まあ少なくとも悪い方向のしがらみもないわけですからね。
生き物としては当然それがもう充足されていれば問題はないし、社会性という面でゼロでも、それが不幸かって言われたら、そんなことはないでしょうっていう。
で、孤独かって言われた時に地球の一部としては立派にメンバーとしてやってますってことだったら、孤独じゃないって言えるかもしれませんね。
なるほど。
そんなわけでね、この間その孤立、孤独っていうことを考えて、もし孤独だって寂しいって思ってる人がいたら、
ご自身のベースをチェックした方が確認していただけたら、なんか次の扉が開くかなって。
なるほど。かなり深いテーマですし、多分聞いてらっしゃる皆さん一人一人全くまた状況それぞれ違うと思いますので、
皆さんこの孤立と孤独ということについてどう思われたか、もしよかったらお便りいただけたら嬉しいと思っております。
ハトグミホームルームでは皆様からのお便りを募集しておりますので、番組の感想とかですね、私こんなこと最近ありました、こんなこと悩んでますとかね、こんなふうに解決しました、なんでも結構ですので、
いただければと思っております。それではまた次の回でお耳にかかりましょう。さよなら。
今週も最後までお聞きいただきありがとうございました。お聞きのアプリで番組のフォローとレビューをお願いいたします。
概要欄にありますリンクからお便りやハトグミホームルームオンラインへの参加表明も受け付けております。
お気軽にご連絡ください。それではまたお耳にかかりましょう。ご機嫌よう。さようなら。
この番組は人生に花を咲かせるポッドキャスト番組をお届けするライフブルーム.ファンがお送りいたしました。
21:12

コメント

スクロール