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2024-04-05 31:30

屋台骨から健康を支える 前編 | Itsukaさん(広報) with mog

第十回目のゲストは医療機器業界向けの広報をしているItsukaさん。中学生の時の印象的な出会いから健康を守る仕事を志し、競馬という全く異分野の業界を経て医療機器業界にたどり着いたItsukaさんの働く話を時に広く、時に深く聞いていくことで、働くって何だろうを考えます。


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サマリー

彼女は医療機器関係の財団で働いており、企業向けの情報周知や法律の解釈を担当しています。広報業務も行っています。彼女のキャリアは、栄養学と臨床検査技師の専攻から始まり、競馬場の栄養士や省庁の医療関係の仕事を経て、現在は医療機器関係の財団で働いています。そういった方々の意見を取り入れる方法や、その意見の真の部分は何かを深く考え、イベントや関連事項を考えています。仕事は楽しんでいますが、体や職業には揺るぎがありません。

Itsukaさんのキャリア
スピーカー 1
はい、こんにちは、ハタラクボクラです。この番組は、毎回中、働く人をゲストにお招きして、働くことについてのお話を時に広く、時に深く聞いていくことで、働くって何だろうを考える番組です。
本日のゲストはですね、Itsukaさんですね。お越しいただきました。 Itsukaさん、よろしくお願いいたします。
スピーカー 2
よろしくお願いします。
スピーカー 1
というわけで、そんな縁からですね、Itsukaさん、お越しいただいたというところで、何卒よろしくお願いします。
スピーカー 2
お願いします。
スピーカー 1
ちなみに、キャリアのお話は、当然この後聞いていくんですけれども、今って具体的にどんなことされているというか。
スピーカー 2
医療機器関係の財団で働いていまして、主に医療機器周りの法律の整備だったり、法律周りの解釈の仕方だったりを各企業さんに講習会を通して認識していただくだとか、
あとは医療機器を取り扱うにあたっての免許を取っていただくための講習会だったり、そういったものの運営をしているっていうようなお仕事をしております。
スピーカー 1
いや、本当にね、なかなか聞けない話が聞ける気しかしないと言いますか。
財団で、しかも医療機器というところ、なかなか馴染みがないかなと思うんですけど、そこで企業さん向けの情報周知というか、みたいなことをメインでやられている。
スピーカー 2
そうですね。結構企業さんって、自分たちが入る会社の企業理念だったり、作っているものだったり、売っているものだったりには詳しくはなると思うんですけれども、それを日本国内で取り扱うにあたっての法律省令というもうちょっと大きなものに関しては、あまり熟知している方っていらっしゃらないと思うんですね。
なので、それを教えていきながら、企業さんの取り扱っているものの解釈だったりを、もうちょっと広げていけるお手伝いをしているっていうようなイメージです。
スピーカー 1
なるほどですね。そうですよね。なかなか僕なんかも企業に行って働いていたことがありますけれども、法律ってめんどくさいなというか、どちらかというと作っている製品、一生懸命やってるから俺使うのみたいなところって結構あったんですけれども、どちらかというとその法律を作る側の立場の人間としてこういうものですよって、ある種広報みたいな感じなんですかね。
スピーカー 2
そうですね。わかりやすく言うとそういうことだと思います。
スピーカー 1
なるほど。ありがとうございます。このあたりすごくお話聞けること楽しみにしていますし、今からワクワクしているのでよろしくお願いします。
スピーカー 2
お願いします。
スピーカー 1
ただあれですよね、広報等々じゃあ結構その人前でしゃべるというか、あるんですよねおそらく。
スピーカー 2
そう、そうですね。人前でしゃべったり、あと人前で披露するプレゼンテーションだったり配布物だったりを作るっていうお仕事も結構あります。
スピーカー 1
そうなんですね。じゃあ裏方というか作るところまでどういう内容でというのも自分で作り、そしてそれを自分でしゃべるみたいなところまでやられていると。
スピーカー 2
そうです。
スピーカー 1
なるほど。じゃあもうしゃべりには慣れているというところではあるので。
ハズレあげちゃいました。
スピーカー 2
頑張らないと。
スピーカー 1
いやいや、全然頑張っていただく必要はないのでリラックスしてですね、ありのままを。話せる範囲で構わないんですけれども、お話していただければと思います。よろしくお願いします。
スピーカー 2
お願いします。
スピーカー 1
じゃあ早速なんですけれども、この番組の決まりというか、2つの質問をさせていただいているので、その2つの質問から入りたいなと思います。
まず1つ目の質問が何かというと、あなたのキャリアの歴ですね、ヒストリーを教えてくださいというもの。
スピーカー 1
もう1つが最寄り役のヒストリーですね。これ働き始めてから最寄り役、どういう最寄り役に住んできましたかというその変遷を教えていただきたいと思います。
ただこれ毎回言っていますけれども、プライバシーの時代なので、なかなか言いづらいことがたくさんあると思います。
なのでそのあたりをぼかしていただいても結構なので、言える範囲で教えてください。
ではまずですね、キャリアのところですけれども、どういうキャリア職種の遍歴があるか教えてください。
スピーカー 2
もともとですね、栄養学とあと医療系の側面から大学の専攻を取っていたので、まずは栄養学の方について仕事として手につけてみようかなと思い、ちょっと特殊かなと思うんですが、競馬の機種を育てる機種の養成校の栄養士として、機種の養成校の採用を受けたんですけれども、やはりあの養成校の栄養士さん、
結構数が多いということで採用はされたんですが、結局のところ別のセクションに移動しまして、コンパニオン業務という広報の業務の方に移りまして、そこで3年間ほど働いておりまして、
そこからその業務も楽しかったんですけれども、ちょっと私が目指していた部分に関しても、もう少しお仕事として関わってみたいなということで、ある省庁の中途採用募集がありましたので、そこの中途採用の試験に臨みまして、ありがたいことに合格をいただきましたので、
そこで長い間、省庁の方で医療関係だったり介護関係だったりの部門を担当した後に、その省庁から派生して、財団法人の方で医療機器関係のお仕事をさせていただいたという流れになります。
様々な仕事経験
スピーカー 1
ありがとうございます。いろいろ経て、冒頭の財団のところですよね。既死の養成庫というところから、なかなか聞けない話が、すでにそこもそうかなと思うんですけれども、そこから省庁、そして財団、医療系というところで、本当にどんな話を聞こうかというのが、非常に贅沢な話になるかなと思いますので、よろしくお願いします。
はい。
続いてではですね、最寄駅の権利ですね。言える範囲で構わないので教えてください。
スピーカー 2
はい。最初既死の養成庫に入った後、すぐにコンパニリオン業務ということで、表舞台に立つお仕事をさせていただいたので、私が配属されたのが東京競馬場という府中にある大きな競馬場、そこで働くことになりましたので、京王線沿いの下高井戸というところに最初住み始めまして、
その後省庁の方に行くことになりましたので、その頃には神保町に住みまして、今財団に入るにあたって、人形町の方に住んでいるというような形になります。
スピーカー 1
ありがとうございます。じゃあこれですね、東京を西から東へ東へと移動していったという感じなんですね。
そうです。
ありがとうございます。関係ないですけれども、今回パーソナリティモーグなんですけれども、私も僕もですね、京王線沿いにずっと住んでいるので。
スピーカー 2
初めてですね、勝手に親近感を抱いておりました。よろしくお願いします。
住みやすいですよね、京王線沿い。
スピーカー 1
京王線沿い住みやすいですよね。
スピーカー 2
住みやすいです。
スピーカー 1
本当に生まれた八王子なんですけれども、もう京王線を愛してやまないというか、京王線がなかったみたいなところでして、京王線を不況したいな、いつか不況したいなと思っているんですけれども。
すみません、余談でした。
行きましょうか。
ではですね、早速お仕事の話聞いていきたいなと思うんですけれども、まず気になるのが、大学で栄養系と医療系を両方やった後に、栄養というところを選ばれたということだと思うんですけれども、この栄養と医療系って具体どんどん、
片方は栄養士だと思うんですけど、医療系って何を学ばれていたんですか。
スピーカー 2
そうですね、私が専攻していたのは臨床検査技師という、人の細胞だったり血液だったり尿だったりから、病気を見つけるだったり、細胞の変異を見つけるっていう、
そういった限定的な医療系のお仕事ではあるんですけど、医療職には欠かせないものかなというところで、専攻したという感じです。臨床検査技師ですね。
スピーカー 1
栄養士と臨床検査技師、両方を取られている大学で。
スピーカー 2
はい、そうです。
スピーカー 1
キャリアの話なのであまり大学に触れることはないんですけれども、いつかさんの場合は、この熱意がまずすごいなと思いまして、そもそもどういう熱意というか、
どうしてこの3つの2つですね、栄養と臨床検査技師を学んで、そして栄養士を目指されるのかって、この辺りからお話をお伺いしてもよろしいでしょうか。
スピーカー 2
はい、きっかけなんですけれども、ちょっと明確なものが1つありまして、
私が中学時代に他人の先生であった若い女性の先生がいらっしゃったんですけれども、すごくお綺麗な先生だったんですが、先生自身もっと綺麗になりたいっていうような意識があったようで、
中学の担任なんで、一緒に給食とかを食べると思うんですけど、給食を食べる量がどんどん減っていって、朝あんまり元気がなくなってきたっていうところから、先生どうしたんだろうと思って。
聞いてみると、ご飯の量を減らしている。もう少し自分は綺麗になりたいんだっておっしゃってたんですけど、ご飯の量を減らしてきているあたりからどんどん変な風に痩せてきちゃって、とってもお世辞にも綺麗とは言えない痩せ方をしている。
心配になって、それこそ母親とかに頼んで、先生用のお弁当とかを作って持って行ったりしていたんです。
それでも先生は気持ちは嬉しいんだけれども、先生自分で決めてやってるんだと。お弁当を突き返されてしまって、じゃあ様子を見ようということで、1年間様子を見てたんですけど、ついには動けなくなってしまって、担任が途中で変わってしまったんですね。
それがちょっと中学生の自分にとってはすごい衝撃的な出来事で、ご飯によって人の見た目もだし精神力もどんどん削られていってしまうんだっていうところから、食に興味が出てきまして、
その時が中学2年生だったんですけど、中学3年生の卒業式の時に先生が復帰して肌艶も良くなって、卒業式の時に会いに来てくれて、その時にご飯食べるの大事だって先生も思ったみたいで、私にもそれを伝えてくれたんです。
もし今後何かがあった時に先生のこととかを思い出して、食事のことについて見つめ直す時間を作ってほしいっていうのを卒業式の最後に言われたので、その言葉がずっと残っていて、営業については絶対学びたいなっていうのは一つありまして。
スピーカー 1
ご飯が人を作ると言いますか、精神性にこうまで作用するんだという、結構痛烈な体験をされたんですね。
食に対する熱意
スピーカー 2
そうですね、人の見た目が変わる、しかもこの短期間でというのが本当にすごい衝撃的な体験だったので、ちょっと今でも思い出すぐらいの衝撃ではあったので、そこが食に興味を持つことのきっかけの一つ。
それでもやっぱり食でなんとか保てるものと、食ではなんともできないものっていうのもきっとあるんだろうなっていうところから、興味を持ち始めて、そこで医療にたどり着いたっていうところです。
スピーカー 1
食でなんとかできないもの。
スピーカー 2
食で補えるものと、食事では補えない体の先天性な病気と言いますか、その人が持って生まれている先天的な栄養素分解の方法だったり、そういったものがあると、いくら外から取っても治癒していけない部分っていうのがあるんだっていうのに、食を学んでから気づいたんです。
そこを補えるものって何かっていうと、今度は外から入ってくる医療になってくる。そのバランスが大事なんだ。どっちに偏るというよりは、そのバランスでもって人間の健康が保たれるんじゃないかなっていうところに気づいたというか、自分の中ではそれが腑に落ちたので、両方を学ばないと分かったことにならないんじゃないかなと。
スピーカー 1
はい。
スピーカー 2
いうところで、両方を知りたいになりました。
スピーカー 1
なるほどですね。バランスなんだと食と、そして体自体の構造。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
それぞれ違いますよね、体って。
うん。
例えば筋の種類とかも違うかもしれないし、細胞も違うかもしれないし、いうようなところをバランスを保つことによって人間は、なんでしょうね、健やかに生きているというか。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
こうやって今お話を見ろ生前として、ああそうなんだろうなと思うんですけれども、なかなか気づくのって言われてみるとああそうだなと思うんですけど、ご自身で気づかれていくのってすごいことだなと思うんですけど、
これはやっぱりこう学生、それこそ高校生とかの時にその栄養の勉強を少しご自身でしている中で、こういうものなんじゃないかという仮説というか、気づかれていった形なんでしょうか。
スピーカー 2
あ、そうですね、もう完全に独学で、仮説でしかなかったので、じゃあこの仮説が本当に合っているのかを今度答え合わせをしに、大学で勉強しようになったという感じです。
スピーカー 1
あ、すごいですね。じゃあもうこの中学生の時の体験からご自身で進む道というか、これを知りたいというようなところが一本筋が通って、それを調べているうちに大学につながり、そして大学で2つの資格を取ることにまで至ったということなんですね。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
ありがとうございます。ここまで来たので、この分野で一本やりとして大きくことをなされていくんじゃないかなというような想像をしてしまうわけですが、この後、いつかさんが歩まれる道もダイナミックに変化していくということを聞いていきたいなと思うんですけれども。
既種の養成庫とコンパニオン部門
スピーカー 1
まず栄養士の資格を取られて、まずは栄養というところで既種の養成庫に行くと、この時は栄養士であればどこでもいいというようなものだったのか、それとも既種の養成庫がいいというものだったのか、その辺りでどんな形だったんですか。
スピーカー 2
そうですね。栄養士であればどこでもいいというよりは、ちょっとだけ的は絞っていて、大人に向けた栄養というよりは子どもに向けた、これからの体づくりに向けた栄養学っていうのにすごく興味があったので、もともとは保育園だったり幼稚園だったりの栄養士になりたいなとは思っていたんですけど、
ある時テレビで既種の養成庫の特集を見まして、その中で中学生ぐらいの子どもたちが食べ盛りの頃に体重を維持するために自分たちの意識を防いで、
栄養バランスのとれた食事をとりながら、試行品を週に1回自分でカロリー計算をしながら食べるっていう様子を見たときに、健康でありながら食種のために体重の増減をさせられているっていう言い方だとちょっとあれなんですけど、
その中で満足いくご飯って何か与えられないんだろうか、心の栄養っていう部分で何か与えられたらすごいいいんだろうなと思って、そこに行きたいと思うようになりました。
子どもの心の栄養を守りたいっていうところで既種の養成庫につながるんですね。
そういう意味で既種の養成庫ってそれこそ中学生とか高校生ぐらいの子どもたちが学んでいるところであり、そこの栄養士になりたいと思ったということなんですね。
スピーカー 1
これちなみにちょっと気になってしまったのでお伺いしたいんですけれども、そもそもこの栄養を目指された経験は、それこそ中学校の先生、大人の話じゃないですか。
そこからある種一つの出口として出ていく先が子どもの栄養っていうところ、大人から子どもに変化しているところっていうのは何か、あのご自身の中で理由とかはあったりされますか。
スピーカー 2
そうですね、大人は自分で気づくきっかけをたくさん持っているなっていうところが一つあったのと、私自身がそこに興味を持ったのが中学時代だったので、多分その頃に受ける影響ってすごいんだろうなっていう自分自身の感覚で、
その大人になりきらない前の経験がすごい大事なんじゃないかな、というところからそこにフォーカスしたっていう。
スピーカー 1
確かにそれは今言われてみて納得しかないなと思ったんですけれども、そうですよね、子どもの時にどれぐらいそこに対して知識を持てるかとか関心を持てるかがその後の生き方を決めるんじゃないか。
それは本当にそうだろうなって。
いつかさんの話ってここまで聞いていて、聞いている方も思われたかもしれませんけれども、一本筋が通っているというか、何となく機種の養成校ではないんですよね。ここがいいところで行かれてるんですよね。
で、もう見事そこに就職することができたというところで、本当にそれは素晴らしいことだなと思うんですけれども、ここで機種の養成校にじゃあ入りましたと。
ここで少し思いもよらない、これはおそらく思いもよらないことですね。
思いもよらないことが起こると思うんですけれども、コンパニオン部門に配属されてしまうという、思いもよらないことが起こると、自分では解決できない外的な要因によって起こされたものですよね。
その時ってどうでした?
スピーカー 2
そうですね、最初断ることも正直できたと思うんですけど、大人になるってそういうことなんだろうなっていう一種の受け止めと言いますか、自分が思いもよらないところに行った時に出会う何かもきっとあるんじゃないかなと思って、
そこで何か得られたと思った段階で辞めてしまおうって、その時にはもうすでに辞める選択肢がある中で入ったっていう感じです。
スピーカー 1
大人になるってそういうことだと、その時点で思い切れること自体がすごいなと思ったですね。なかなか自分なんかを思い返すと、そこまで割り切れなかったなって自分もいたな、恥ずかしいみたいな気持ちになったんですけど。
いやいや、ただそうですよね。ありがとうございます。ただ行ったのがコンパニオン部門っていうところで、割り切った先がコンパニオン部門というところで、プロテクタイ方法のお仕事ってお話もされてましたけれども、言える範囲でどんなお仕事になるんですかね。
スピーカー 2
そうですね、私が入った場所がJRAっていう競馬の財団さんだったんですけど、当時はまだ競馬っておじさんが楽しむもので、若い人がいないとか、行くとちょっと怖いとか汚れてるとか、あんまりいいイメージがない時代だったんですね。
それを払拭したいっていうのを結構メインに打ち出していて、例えば女の子が来やすいだとか、家族連れで来やすい、夜のデートに使えるよみたいな、そういう別の視点も楽しめるんだよっていうのを何とかして打ち出したいっていうことで、もがいていた時期だったのかなというイメージがあったので、
そういうもがきだったり、新しいものにチャレンジしたいっていうものに加わるのはすごくいい経験になるかなと思って、それもいいかにつながったきっかけと言いますか、そこで魅力を伝えていく、内側の魅力を伝えていくっていう経験。
スピーカー 1
確かに、JLAってお話もありましたけれども、競馬って突然ファミリー向けになったなと思っていて、突然というかどういう意味かと思うんですけれども、確かに少し前のことを思うと、行きづらい場所だったのがだんだんファミリーが行くようになっていって、今だと本当に子供連れでみんな行く。
CMがかなり大きかったと勝手には思ってるんですけれども、そのもがいている時期、ちょうどその過去期にいらっしゃった。で、まさに今子供たちがそこに行くっていうのを作る現場にいらっしゃってたってことなんですね。
スピーカー 2
あ、そうです。
スピーカー 1
これもまた面白い話だなと思ってて、あの、になってはいたんですよね。急にJLAというか競馬場ってファミリー向け、カジュアルになったなとは思っていて、なるほど。これってじゃあ結構やってみて自分としても面白かったというか、割とポジティブな経験だってことにはなるんですかね。
スピーカー 2
はい、かなりポジティブでしたね。こう、何か子供連れだったり親子連れが入ってきやすいようなイベントだったり、あの、催し物だったり、あの、そういったものをザックバランにこう提案してもいいよっていう機会をいただいたりもしたので、割と好きかって言わせていただいたかなと思いますし、それはそれで。
今までいらっしゃった職員の方々からしたら、あの考えてなかったことだったねっていうことも多かったので、そこでこう世代を超えて意見交換をして、じゃあどうやっていったらいいのか、本当に事業として立ち上げるにはどうしたらいいのかっていうところに踏み込んでいくっていうすごい貴重な経験をさせていただいたなと思います。
スピーカー 1
おもしろいですね、それ。あの、結構じゃあ、世代を超えてってお話ありましたけれども、何でしょう。入ってまあ、言い方を選ばず言えばまあ、若いというかそんなに経験がないというような状態に入るわけじゃないですか。そうなるとなかなか意見が通らないとか、そういう話もあるのかなと思う中で、あのその当時のそのJRAのその部門では結構自分の意見がゴンゴン入れて、しかもそれが通るっていうような状況だったってことなんですかね。
スピーカー 2
そうですね、私が割と言い過ぎていた部分もあったかもしれないんですけど、ただ上の方も、あの、行ってもいいんだよっていうすごい良い空気作りをしてくださってたので、それで言いやすかったっていうのはすごい大きいと思います。
スピーカー 1
ああ、そうなんですね。なるほど、それはすごくいい職場だなと話を聞いていても思うんですけれども、一方で確かにと思うことがあるとすれば、あの、菊田さんがちょうどターゲットにもなってくるっていうようなこともあったのかなと思っていて、まさに内部として変えていくんじゃなくて、あの、ターゲットとして何でしょうね、同じ気持ちで話せというか、その提案ができたみたいなところもあるんですかね。
スピーカー 2
それは、あの、辞めてから社員の方には言われました。
前半のお仕事について
スピーカー 2
マーケティング層に合致していたので、あの、そういった方たちの意見をいかに取り入れるか、すべてを取り入れることはできないんだけれども、その意見の真の部分は何かっていうのを深く考えてくださって、それでこうイベントだったり、そういったものを考えていったっていうのは後から話は聞きました。
スピーカー 1
そうですよね。いやー、でもすごく面白いとこにいらっしゃったんだなぁとは思って、それこそその、舞台としてもこれから変わるJRAという面白い立ち位置、かつお仕事としてもその本丸ですよね、おそらくいらっしゃったのは、にいらっしゃったというところで、あの、かなり面白いお仕事だなというのを話を聞いていても思うんですけれども、そこから、ただ辞めるわけじゃないですか。
これはどうして辞める決断をされたんですか。
スピーカー 2
そうですね、お仕事もすごく楽しくやらせてはいただいて、で、このままこの場所にいてもいいかなって思うことも何度かあったんですけど、
でも私の中で、栄養科、医療科、その体づくりっていうところはやっぱりぶれなかったので、その仕事をしている中でも。
ぶれないってことは、やっぱりもう1回そこに本気でチャレンジしてもいいのかなっていうのが強かったですね。
スピーカー 1
ぶれなかったんですね。楽しい仕事をしているんだけれども、ところに残っている体というか、職体っていうのはぶれなかった。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
なるほど。じゃあ、ぶれてないからここにちゃんと飛び込もう。
スピーカー 2
そういうことだったんですね。
スピーカー 1
ありがとうございます。で、いざじゃあ飛び込んだ先が省庁になるわけですよね。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
これってちなみに、この省庁は偶然だったのか、それともいくつか選択肢。
当然、医療の現場、もしくは職の現場に飛び込むっていうのはいろいろな選択肢があると思うんですけれども、ここが省庁だったのは何か理由があったりはするんですか。
スピーカー 2
そうですね。JLAに入ったのも一つのすごい珍しいきっかけではあるかなと思って、そこから学べることもたくさんあるということには気づかされたので、
例えばその栄養士だったり臨床検査技師だったりっていうものは資格があれば、言い方がちょっと難しいんですけど、いくつであっても体が丈夫であれば勤まるお仕事だなと思ったんです。
で、あれば今しかできないというか、チャレンジをしてもう一個先の方に何か手を伸ばせないかなっていうところに考えが行ったときに、現場よりもさらにもう一個上ってなんだろう。
で、当時の私はそこまで考えが読んでなかったので、じゃあ法を作ってる国かもしれないと思って、そこからの省庁になりました。
スピーカー 1
そういうことだったんですね。面白いですね。なるほど。
じゃあ現場を経験するのも当然大事なんだけれども、そこにはいつでも行けると。ちょっと言い方を選ばないといけないんですけども、ただ当然資格があるお仕事ってそうですね。
資格があるからこそそこに入る権利があるというところで、それをしっかりと持たれている。
ただしそうではないところ、より手を伸ばさなければいけないところはどこなんだろう、それが省庁だったということなんですね。
ありがとうございます。
で、ここからじゃあその手を伸ばした先ですね、お話をさらに聞いていきたいと思うんですけれども、一旦いい時間なので前半はここまでとして、少し休憩をとり、後半またお話を聞いていきたいと思います。
まずはここまでありがとうございました。ありがとうございました。ありがとうございました。後半もまた楽しみに聞いてください。
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