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2024-05-03 35:03

好きで仕事を埋め尽くす 前編 | Momoさん(看護師/フィットネスインストラクター) with mog

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第十二回目のゲストは障害児保育園で看護師として勤務するかたわらで、フィットネスインストラクターとしても活躍しているMomoさん。日本一と言われる小児の専門病院で心臓移植の手術を担当する看護師として勤務しつつ、プロのチアリーダーとしても活動し、転職を経て保育園での看護師とフィットネスインストラクターとして活動するMomoさんの働く話を時に広く、時に深く聞いていくことで、働くって何だろうを考えます。

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はい、こんにちは、ハタラクボクラです。この番組は、毎回違う働く人をゲストにお招きして、働くことについてのお話を時に広く、時に深く聞いていくことで、働くって何だろうを考える番組です。
今回のゲストは、Momoさんにお越しいただきました。Momoさん、よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
Momoさんは今、看護師さんとフィットネスのインストラクターをやられているということで間違いないんですよね。
はい、そうです。今はその二軸で働いています。
二軸で働いているというところで、本職はもともとは看護師さん?
そうですね、本業は看護師さんで、副業がフィットネスのインストラクターという感じですね。
なるほど、ただ今はもう本当に二軸のわらじになってきていると。
そうですね。
ありがとうございます。ちなみにフィットネスのインストラクターっていうと、あれですかね、ジムで、何でしょう、ジムに行くとある、何だろうな、舞台というか、そういうフィットネスする場所があると思うんですけれども、
ジムに行ったことがある方は想像できるかなと思うんですが、あそこのインストラクターというイメージであってます?
はい、スタジオフィットネスっていう感じで、よくいわゆる一般のジムについている鏡がついているスタジオでやっているところで、その中でもマーシャル系と呼ばれる格闘技のボクサーサイズをインストラクターしています。
格闘技なんですね。
そうですね。キックボクシングのエクササイズのトレーナーという感じです。よく巷で暗闇ボクサーサイズみたいなのあるじゃないですか。
あります。最近聞きますね。
あれのインストラクターということです。
暗闇ボクシングのインストラクターなんですね。
そうですそうです。音楽に合わせて爆音で、ワンツーワンツーってやるあれです。
あれですよね。あれってボクサーサイズ以外にトランポリンみたいなのもありますよね。
ありますあります。トランポリンもあるし、あと今、自転車?
自転車。
自転車みたいなの漕ぎながら暗闇でやるやつもあるんですけど、
ああいういわゆるフィットネス業界の中では音楽から入ってきて、そこから組み立てているパターンと、
マーシャル系、格闘技系の中には格闘技から由来で降りてきているものがあって、
私がやってるやつは格闘技から降りてきているものなので、
実際に戦えるコリオっていう感じで、戦えるような相手との距離感とかを大事にするエクササイズっていう感じなんで、
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無理な動きがないことと体重の移動ですごく強度が高い。
キックボクシングって運動強度めちゃくちゃ高いんですよ。
なので、もうひたすら動き回るというよりも、体重の乗せ替えでかなり激しくカロリー消費ができるっていう感じのレッスンですね。
戦えるっていうのがすごい面白いですね。
もうじゃあ、そこのレッスンを受けていくと、キックボクシングのリングにも立てはするっていう状況になるってことなんですか?
そうです、相手とやり合えるっていう感じです。
やり合えるんですね。
やり合えるって感じです。
そうなんだ、すごいな。
よくキックボクシングのジムにダイエットで通う人いるかなと思うんですけど、
あれのより進化させた版というか、フィットネスに寄せた版っていう感じなんですね。
そうですね。
なので、私も今お仕事は大体格闘技ジムで、
私今フィットネスジムでは持ってなくて、格闘技ジムでお仕事を持っているような状態なので、
実際にこのレッスン自体は大手のフィットネスジムにもたくさん入っているんですけど、
私がいただいているお仕事は格闘技ジムで行っているので、
有名な試合に出ている選手が所属するような格闘技ジムの中の、
ボディメイクに向けたクラスっていう感じでお仕事をいただいています。
選手たちが戦うたびにトレーニングしている横で、ボディメイクの人たちも一緒にやっていると。
そうですね。選手も全然やったら減量になると思うんで、
減量が必要な選手とかは全然やる人もいると思います。
そうなんですね。すごいじゃあ本当に実践と近接しているというか、境界がほとんどないようなところ。
ただまあ一応フィットネスというわけで中でやってるってことなんですね。
そうですね。
面白い。この辺りの話もですね、今あまりにも聞いてしまうとアレなのでこの辺りにしたいかなとは思うんですけれども、
またですね、おいおい聞いていけたらと思っていますのでよろしくお願いします。
お願いします。
ではですね、大野さんのお話聞いてきたところで、ここからですね、
働く僕らの本題と言いますか、本筋に入っていきたいなと思います。
この番組、まずですね、冒頭に2つの質問をいつもさせていただいております。
1つが何かというと、あなたのこれまでの職歴、キャリアのヒストリーを教えてくださいというものです。
もう1つが何かというと、これまでの最寄り駅ですね、働いてからの最寄り駅のヒストリーを教えてくださいというものになります。
ただこれ毎回言ってるんですけれども、プライバシーの時代なので見える範囲で構いません。
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言いたくないところは動かしていただいて構いませんので、特に最寄り駅のところですね、
もう難しい場合は東京とか関東とかそういうレベルでも構わないので教えてください。
ではまずはキャリアのヒストリーというか職歴を教えていただいてもよろしいでしょうか。
先ほども言った通り、仕事は2軸で今やっていて、看護師っていう仕事と、
あとはフィットネスのインストラクターっていう仕事で2つ軸を持ってやってるという感じです。
看護師に関しては歴からいくと看護学校に行って、そこから小児専門病院と言われる子ども病院に就職しました。
就職する時にどうしても20代のうちに勉強しておきたくて、後から勉強するより最初に苦しい方がいいかなと思って、
日本一と言われる小児病院に就職して、これが東京にあるんですけど、そこで外科病棟が2年ぐらい、
その後部署移動で手術部に7年、臨床経験が9年済んだところで第二ステップという感じで転職しまして、
今、障害児保育園と言われる先天性疾患を持つお子さんたちが通う保育園で看護師として業務に就いているという形ですね。
プラス、今、実動としては保育園の看護師という感じなんですけど、オンラインのお仕事もしていて、
看護師のオンラインサロンの運営を行っています。そちらでセミナーとかやったりとか、そういうので少し収益を上げているような状況ですね。
もう一つの軸がフィットネスのインストラクターという感じで、メインはボクササイズという感じで、
保有資格としてはリボーン、リズムキックという資格とキックアウトという2つの資格を持って、内容的にはほとんど一緒なんですけれども、
本格格闘技のエクササイズという感じで、本当に戦えるご利用をやっていくという感じで、ボクササイズのインストラクターをしています。
ボクササイズのインストラクターもやりながらなんですけど、フィットネスというか、これは今後広げていきたいなと思っていることに関して、
ダンスとかチェアリーダー、もともとチェアリーダーを教えていくというので、そういうのも少しずつ仕事にしているという状況ですね。
ちょっと仕事がかなり複雑なんですけど、こんな感じで働いています。
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ありがとうございます。かなり複雑というお話がありましたけれども、複雑というより幅広いというか、
そうですね。
簡単に言うと面白いですね。この広がり、もともとは看護師さんとして、ただ商人の世界で日本一、恐らくかなり厳しい環境なんじゃないかなと思うんですけれども、
そういったところでお仕事をされて、そしてそこから転職に加えていろいろな軸、冒頭二軸という話がありましたけれども、もう一軸あったというところですね。
大きい話になったので、またどこを聞こうかなというところですね。毎回、なんでしょうね、贅沢だなと思うんですけれども、
出てくださる方、皆さんいろいろな経歴があるので、面白く聞かせていただいて本当に幸せだなと思っていますが、
今回もももさんの面白い話、聞けることを楽しみにしております。ありがとうございます。
ではですね、続いて可能な範囲で最寄駅の遍歴ですね、どんなところに住んでおられたのか、働き始めた方ですね、教えてください。
この質問来るんだなーって思ってたんですけど、よく考えたら私、2拠点しか住んだことがなくて、いわゆる地元と言われる実家がある場所と、今住んでいる場所しか住んだことがなくて、
もともと地元は神奈川県横浜市、横浜市と言えるかかなりギリギリなラインの鎌倉寄りでございます。
かなり皆さんが想像する横浜とは違う方向の横浜市ですね。
地元というか実家があって、大学生までは実家で暮らしていました。
社会人になる上で、小児病院、東京の病院に受かったので、就職と同時にこちら側に出てきて、最初は病院の中の院内寮に住んでいたんですけど、
これも東京都世田谷区で院内寮は4年で出なきゃいけないので、そこからは一生経験4年以降は出るという形で今のお家なんですけど、これも世田谷区なので同じですね。
なので拠点的にはこの2拠点しかないです。
ありがとうございます。
じゃあ横浜、鎌倉寄りというところなのかというところではあるんですけれども、
横浜から世田谷というところなので、だいぶ都会の方に出てきたというか。
そうですね。
ありがとうございます。この2拠点を中心に暮らしてきた。その中でいろいろな仕事をしてきた形なんですね。
ありがとうございます。院内寮という話もありましたけれども、そのあたりの暮らしの話もですね、触れられれば触れていきたいなと思いつつと、
いつもですね、仕事の話で一生懸命になってしまって、なかなか暮らしの話が触れられないという番組になっているんですけれども、
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聞かせていただければと思います。よろしくお願いします。
ではですね、まずはご仕事の話というところになるかなと思うんですけれども、
そもそも看護師という仕事を選ばれて、かつ看護師と初として働く病院の領域もたくさんありますよね。
少尉は選ばれていると思うんですけれども、そうではなくて総合病院みたいなところとか、いろいろな選択肢がある中で、
どうして看護師、そして少尉の領域というのを選ばれたのか、このあたり当時何を考えていたのか、
みたいなところからお話を聞いてもよろしいでしょうか。
これ看護師の就職の時にも必ず聞かれるんですよね。なぜ看護師さんを目指したかという話なんですけど、
面接の時には絶対言えなかったんですが、かなりノリと勢いでなりました。こんな看護師さんでいいのかという感じなんですけど、
私は高校の時に1年生で初めてできた友達が仲良くなって、その子はお母さん看護師、小さい時から看護師さんになりたかった子で、
高校生のうちに職業体験みたいなので看護師体験みたいなのがあるんですね。
それに友達が行きたいって言ってて、一人で行くのは勇気が足りないから一緒に行ってほしいって言われて、
当時の私は全くもって看護師という職業に興味がなかったんですけど、付き添えと言われてしょうがなくいったみたい。
しょうがなくいった職業体験で、高校生の職業体験なんてできることって本当に看護師さんのおしゃべり相手という感じで、
お話を聞いてお話しするっていうぐらいしかできないんですけど、
その時に出会ったおじいさんが、君看護師めちゃくちゃ向いてるよ。絶対看護師になった方がいいって言われて、
当時何にも興味なかったところから、そうなんだっていう素直な思い込み。
私って看護師向いてるんだ。じゃあ目指してみようかなみたいな。そういうノリで看護師さんになりました。
面接の時はそのおじいさんにすごく褒められたことが印象的で看護師を目指すようになりましたとか言ってますけど、
その場のノリと勢いで看護学校の方向にシフト転校していったという感じで、
本当に全然なる気なかったんですが、褒められたのでなりました。
褒められたのでなったということなんですね。
じゃあ本当に偶然というか、その高校生の頃のお友達に出会わなければ看護の道は進まなかったかもしれない。
本当にそう思います。そのお友達まだに仲いいですけど、そのお友達に出会ってなかったら多分なってなかっただろうなっていう。
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なるほど。ただこれお話聞いててすごいなと思う。
その当時の経験ってすごく大切な経験だと思いつつ、それ以降もいろいろな経験をされるんじゃないかなと思うんですね。
その中でいろんな仕事に触れるとか、自分の様々な可能性が広がるのが高校生とか大学生の頃の話じゃないですか。
その時に他の誘惑もたくさんあったんじゃないかなと思う中で、その現体験みたいなものを持ち続けられていたというのは、お話を聞いてみて素敵だなと思う一方で、なんでなんだろうとちょっと気になってしまうんですけれども、そのあたりご自身の中ではそれがどういう経験だったというか、どういうものだったのかって何か思うこととかありますか。
これが多分、科を専攻したジャンルがいろいろ、看護師の中でジャンルがいろいろある中で小児科を選んだ理由でもあると思うんですけど、私は子供の時から保育園の先生になりたかったんですよ。
なので、子供に関わる仕事がしたくて進学を続けていたんですけど、結構教育ママ的な感じで厳しい感じの母なんで、資格は保有した方がいい。
ただ保育士さんはお給料が良くないよって言われて、そうなの?って当時の高校生の私には、何がお給料が良くて何がお給料が悪いかっていうのは、ほとんどなんとなくの情報、ちゃんと調べたりとかよりもほとんどなんとなくの情報で、当たり前だけどパイロットとかお医者さんはお給料が良くて、弁護士さんとか。
医療関係ってお給料いいみたいな。確かに保育士さんって結構お給料低いみたいなイメージだったんですよ。だから子供に関わる仕事がしたかったけど、お給料低いんだって思って、そこでちょっとやる気が低減したんですよ。
なんで、病院の経験でおじいさんに会ったのもあって、看護師向いてるかもって思って、え、小児科の看護師さんっていう手があるじゃんって思って。もともと子供に関わる仕事がしたくて、資格が保有できて、そして就職に困らなさそう。
我々が就職するときは、就職氷河期と言われていた、鬼のように就職が困難だった時代だったので、就職困らなさそう。お給料良さそう。これは小児科の看護師さん持ってこいかもしれないと思って、小児科の看護師さんになったっていう感じですね。
じゃあ、もともとやりたかったことと偶然の出会いが見事に合致して、小児科の看護師さんになったんですね。
そうなんですよ。しかも今は保育園で働いているので、保育園の先生っていうところもほとんど叶えられているっていう感じですね。
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それすごいなと思ったんですよね。やる気を利いていて、最後に今はその保育士の先生をやられているっていうところで全部叶えられている。
しかも自分がこうやる気が軽減するところは避けてこれていると。実際働かれてどうだったかみたいな話はまた別であるかなと思いつつも、避けてこれているというのがすごいなと思いまして。
話を聞いていると、ある種偶然に導かれたようではあるんですけれども、その中でしっかりと意思があるというか、それを通されているのかなというような聞こえ方もしていまして、本当にすごいな、素敵なキャリアだなと思うわけですけれども。
じゃあちょっとこの大学というか、実際そう思われて、それから看護の専門学校ですかね。看護師の方なので進まれると思うんですけれども、そこから実際進まれて勉強されて看護師になっていくっていうところがあるかなと思います。
実際にこの小児の病院で看護師になった時の話をここからお伺いしたいんですけれども、それまでいろいろなイメージを持たれて勉強されて、じゃあ実際看護師の世界に飛び込むというところが小児の病院だったと思うんですけれども、それ実際働かれてみてどうでした、初めの頃の話を少しお伺いしたいんですけれども。
私は小児病院に就職する時に、最初の診察で何かが希望ですかって一夜聞いてもらえるんですよ。通るか通らないかは別の話なんですけど、一夜をご希望を聞きますみたいな感じで聞いてもらえるんですけど、私は第一志望で外科の病棟に配属になりたくて、私聞かれた希望通り配属されてるんですよ。外科病棟にそのまま配属になって。
やりたかった専門家のやりたかった部署に配属になって。最初はもうほんとやりたいところに行けてハッピーだと思ってたんですけど、後から聞いた話では私がいた病院は西の軍隊と呼ばれる超上下関係の厳しい軍隊のような病院で、こんなこと言って本当に大丈夫かっていう感じなんですけど。
世田谷区とか行っちゃってるからどこの病院か大体の人がわかってるんですけど。
そうですね。
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初期仕事だから。辛いものだと思ってたんですよ。だからまあまあみたいな感じで。そんなもんかっていう感じだったのと、あと上下関係すっごい厳しかったんですけど、ありがたいことに私中学校から運動部なので、上下関係なんて当たり前の世界で生きてきたので、あんまりそこにもそんなに。
最初それできついって思う子たくさんいると思うんですけど、年功ゼロ2ですよねとか、経歴順ですよね、はい、みたいな感じのことたくさんあったんですけど、しょうがないかなみたいな感じでした。まあその偶の音も出ないみたいな部分もたくさんありましたし。
なるほど。
楽しくはなかったかもしれないですけどね。まあまあって感じでした。
なるほどですね。西野軍隊っていうようなパワーワードもいただきましたけれども、その中でまず外科を選ばれて外科には行けたんだけれどもってお話だったと思うんですけれども、ちょっとそもそも気になるところとして、どうして商人の中でも外科が良かったのか、そこをご希望されたのはどうしてだったんですか。
やっぱり子どもが好きで、商人の看護師さんになって、結構内科の治療って若干ベクトルが内向的というか、いわゆるわかりやすく言うと、がんとかの治療とかが内科っていう感じですね。
で、これがんも摘出できる、取り出せる場合は外科治療になるんですけど、抗がん剤打って、余命宣告されてみたいな治療を受けるっていうのが、いわゆる内科治療みたいな部分なんですけど、ちょっと気持ちが持ってかれちゃいそうだなっていうのがすごくあって、子どもが好きな分、自分が引っ張られちゃいそうっていうのが結構心配で。
なので、外科は結構切って取ったらなんとかなるみたいな、退院してお家に帰れるみたいなのが結構メインの治療方法、それが外科治療なんで。
なので、気持ちが結構ポジティブかなっていうのがあって、外科とはいえ内科治療の子もいるんで、全部が全部ではないですし、全員が助かるわけではないので、そういったこともありますけど、でも全体の雰囲気としては非常にお家に帰れるっていうのが大前提としてあるので、そこで外科志望だったっていうのがありますね。
内科っていうのは、何でしょうね、想像するに、がんっていうお話もありましたけれども、もう帰れないことが前提というか、病院で何でしょうね、学習を受けるような子どもたちもいるわけじゃないですか、院内学習みたいなもので、そういった子たちを扱うようなところ。
一方で外科というのは帰れるっていう風にありましたけれども、手術が終われば終わってリハビリが終わっていけばそのままって感じなんですね。
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圧倒的に在院日数が違うんですよね。入院してる期間が全然違うので、外科病棟はすごい回転率が早い。どんどんどんどん新しい患者が来て手術して治ったら帰ってっていう感じで、一人当たりの入院してる日数がすごく短いのが外科。
内科はおっしゃる通り院内学習に通ったりとかで、何年っていう単位で病院の生活を強いられるっていうことが多くて、病棟が持ってる雰囲気っていうのがやっぱり少し違うんですけど、そういったところで看護師さんがどう発揮できるかっていうのも大事なんですけど、ちょっと私は自分が持ってかれちゃいそうだなっていうのがあって外科に行きたかったっていうのがありますね。
子供が好きだからってことですよね。どうしてもその雰囲気に、自分が飲まれてしまうというか飲み込んでしまうというか。なるほど。ただそういう意味で言うと外科は回転率が早いってお話あったかなと思いますけれど、少し仲良くなるみたいな子供たちが来たときにすぐに帰って行ってしまうみたいなのは寂しくは。
寂しいってこともないんですかね、病院なんでハッピーで終わるので、それはいいですかね。でもなんか大きい手術だったら1ヶ月ぐらいはかかるんで、1ヶ月もいれば仲良くなったりすることもあったり、2泊3日で帰っていく手術もたくさんあるんで、ちょっと2連休なんてしたらもう全然誰ですかみたいな状態だったりとか病棟が。
そうですよね。
じゃあそういう意味で言うとご自身にとっては外科の方があっていたというかさっぱり終わったよって言って離れていくというか、それが良かったという感じがあるかね。
ありがとうございます。で、その中で上下関係が厳しい中でも上手に働かれて、その後に手術というか外科から手術の方に行かれるんですよね。これはご自身のご希望だったんですか。
全然希望しなくて、もともと外科第一志望で一番やりたい部署にいて、ちょっと楽しくなってきたところで人事命令っていう感じで。どうする何が起きたのかと思って。
一応病院のプログラム上入職して3年で1年前というふうに教育プログラムが組まれていて、私1年7ヶ月で移動したので、全然教育プログラムの途中みたいな、まだ1年前にも慣れてないのに急に移動と言われて、
中途半端なやつが移動して何の役に立つんでしょうかみたいな感じで。移動が決まったんですけど、これが病院の今思えば経営改革で黒字化するための病院の経営的な問題で。
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やっぱり病院って利益を得るためには手術部が利益を回しているような状態なんですよ。子ども病院ってほとんどがミルク代とかお食事代しか取れないんですよね。だから手術しないと病院は儲からないんですよ。
だからどんどん切れみたいな感じなんです。上からしたら。
どんどん切れ、はい。
なんですけど内科治療とかそれこそ輸血なんて血液精細が高いからお薬とか精細が高いものを内科的にバンバン治療しても結局国からの引かれる工場とかで全部チャラになっちゃう感じで、利益が生み出せないんですね病院として。
でも大量の医者と大量のナースを抱えている病院はお給料ある程度出さなきゃいけない。だから手術部ってすごく大事で、手術部をその年に人部屋増やす。
なので一室、増室、部屋が一個増えるから単純に回せる手術の件数を増やす。ので人手がいります。一番手術とやりとりしてた病棟からごっそり引き抜かれて、そのごっそり引き抜かれた中の一人って感じですね。
そういうことだったんですね。なるほど。じゃあもう人数が足りない純粋に引き抜けるやつはみんな引き抜いてこいという中で、もう3年経ってないけれどもいいかというような厳厳強引な引き抜きだったんですかね。
やっぱ3年目とかで例えば5人とか抜いちゃうと病棟も回らなくなっちゃうので、1年目から1人、2年目から1人、3年目から1人、4年目から1人みたいな感じでわしわし抜かれてったというような状況です。
そういうことだったんですね。なるほど。じゃあもうここ、これまでの話の中だとモモさんは、何でしょうね、ある種行きたいところやりたいと思ったことをポンポンポンポンとやられていたんだと思うんですけれども、ここで少し思いもよらない変化というか、意図しない移動が生まれたと思うんですけれども、これは実際、当初はおそらくネガティブだったんじゃないかなと思うんですけれども、
どういう受け止め方をされて、それがどういうふうに変化していったか、そのあたりの話をお伺いしてもよろしいですか。はい。最初手術部に移動が決まったときは、もう病院やめてやろうみたいな逃げようとして、そこまでだったんですね。もう現実逃避というか、
全然行きたくなくて、せっかくゲガ病棟で楽しくなってきたのに、手術部なんて絶対嫌だと思って、最初逃げようとしたんですね。実際に他の病院も見に行ったんですよ。転職する病院も見に行ったんですけど、他の子ども病院にはたくさんの弊害があって、
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やっぱり日本で一番有名な小児病院にいたので、まず電子カルテというものが当たり前に整っていて、紙のカルテなんて私見たこともないし、取ったこともないとか、あとは倉庫とか物品の搬送システムとかがすごく整っているので、
何かを頼んだり、このものが欲しいからって何かを頼んだりっていうのが、今全部電子のやり取りだったんですよ。でも他の病院見たら、自分で倉庫まで行って取りに行かなきゃいけないとか、細かいことなんですけど、でも業務上、そんな面倒くさいことやったことないみたいなことがいっぱいあって、外の病院を見てみたら。
新卒からその病院で当たり前かのように整った環境で生きてきたので、こんなことやったことないよみたいな感じで、できなさそうっていうのがすごくあって、組織で働くってこういうことなんだなっていう感じで、需要するしかなくなったという感じで、
イヤイヤながら、イヤイヤながらとか言ったらね、本当に手術部の人が聞いたら怒られそうですけれども、イヤイヤながら移動しました。でもみんな知ってるんで、手術部の先輩たちね、私がイヤイヤ移動してきたの。最初の研修ですごい寝てたんで、もう先輩たち有名です。
手術室オリエンテーションでコレコレに寝てたんで、皆さんご存知の通りイヤイヤで保管のところから移動してきました。
それは寝てたというのは本当に眠かったのか、それはそうではなくてある種反抗的な気持ちからだったのかっていうとどちらですか?
いや、まあ、はーって感じですね。病棟は勤務が二交代制だったので、日勤と夜勤で入り乱れているような勤務だったんですけど、手術部は覚えるまで夜勤に入れないので、覚え切るまで。
最初日勤しかなくて、ずーっと日勤って看護師さんの体上結構きついんですよ。毎日朝早く起きるって看護師やってると結構きついことで、朝寝坊できる日がどっかにあったのに、なくなると毎日朝行かなきゃいけないんで。
結構きつくて、だから眠たかったっていうのと、すごく手術室のことに興味がなかったっていうので、寝るっていうか、白目向いてたっていうかなんていうかって感じなんですけど。
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1年ぐらいしてからオリエンテーションをしてくれてた先輩にめっちゃいじられました。
そうでしょうね、なるほど。
お前ほんと寝てたよね。
でも面白いなと思うのは、看護師さんって夜勤があるからしんどいのかしらと結構思ってる方多いんじゃないかなと思うんですけど、あれは二交代制をうまく挟むことによってむしろ楽になっているんであるっていうこともあるんですね。
若いうちはそうだと思います。私特に朝起きられないんで、若いうちは朝寝坊できる日があるっていうのはすごい大きいと思います。
話の本筋じゃないところで、何でしょうね、食いついてしまったんですけれどもありがとうございます。
ではですね、一旦いい時間ではあるので、ちょっと話の途中ではあるんですけれども、ここで前半戦は区切らせていただきたいと思います。
ここまで聞いたお話ですね、嫌々ながら手術部に移っていったところまでお話を聞かせていただきました。
ここからですね、じゃあそこでどう桃さんが格闘していくのか、もしくはどう変化していくのかその辺りの話を後半にしたいなと思いますので、よろしくお願いします。
では前半は以上となります。後半も引き続き聞いていただければと思います。ありがとうございました。
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