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2024-04-01 36:15

編集後記#2 | そのキャリアは「必然」か | Shin x mog

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第九回目は編集後記としてここまで聞いた話の内容を元に、編集長のShinとmogがそのキャリアは必然か、という問いから、働くってなんだろうを掘り下げます。

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サマリー

今回のエピソードでは、キャリアの形成における必然性と偶然性について話し合われています。銀行員のサッサンさんの話や新君のキャリアについて触れながら、個々の解釈や他者の評価の視点によって必然性と偶然性が生まれることを考察されています。必然と偶然の関係についての話を通じて、偶然が必然につながっていく可能性や生きる希望について考えられています。キャリアは必然であり、過去の経験やプロセスが将来の人生に影響を与える可能性があります。その長さは人により異なりますが、必然は信じ続けることで訪れます。編集後記の結論はキャリアは必然であり、その人たちも必然にしていく過程を聞いて安心感を生みます。

キャリア形成における必然性と偶然性
はい、こんにちは、ハタラクボクラです。この番組は、毎回違う働く人をゲストにお招きして、働くことについてのお話を時に広く、時に深く聞いていくことで、働くって何だろうを考える番組です。
今回は、編集後記というところで、編集長のShinくんと、そしてパソナリティーのmogが2人で、これまで聞いたエピソードについて話していく、エピソードに関連するお話をしていくという回になります。
そして今日はですね、なんと東中野にある雑談さんにお伺いしてですね、プロ並みのブースですね。はい。
いますね。夢の空間ですね。なんでいつもの音質の2倍ぐらい良い音質でお届けしていることになるかなと、思うんですけれども、ぜひよろしくお願いします。よろしくお願いします。
テンション上がりすぎちゃってね。ね、すごいよね、楽さというかね、肯定さがすごいよね。肯定さ、やばいよね、だって前回Shinくんのお家?自宅で、いや、あなたのお家もだいぶ
何でしょう、おしゃれなお家ですけれども。まあソファーにね、2人で並んで座って、その前の小さいテーブルに
どちらを向けるともなくマイクを1台置いて、ちょっと鏡込むように喋るっていう。 そうね、あの時ね、鏡ないと音声入んないかなっていうような。まあなんとなく入ってるんだけどね、気持ちの問題というか。
そうね、あれは完全に気持ちの問題だね。
いや、その、が、今日はね、本当にめちゃくちゃ良いマイクが目の前にあり、それに向かって喋ると。
とても贅沢な、そして、まあ多分店内の音声も少し入るんですかね。 そうね、なんか良い塩梅にハイキョウになってる気がするよね。
うん、とってもあの僕らが共通で好きなね、サントリーサブデイウェイティングバー。 アバンティーの。そうですね。
感じが、ちょうどまあここクラフトビール屋さん、ビアバーにもなっていて、今バーカウンターはすごく盛り上がっているのが見えるんですよね。
バーカウンターを背中越しに眺めながら、我々が喋るっていう非常に素敵な。
そうね、このブースのね、あの防音の一応扉みたいなのが透明になってて、そのすぐ向こうにバーカウンターがあって、ここがアバンティーならカウンターの中にいるのは多分スタンなんだよね。
そうですね。 二代目パーテンダー。
スタンとのね、掛け合いがとっても素敵だった番組なんですけども、これじゃあマニアックな話をすると何の話か分からないと思うので、
そろそろね、本題に。 本題に行きましょうか。
入っていきたいかなと思うんですけれども、えっとですね、今日のお題ですね、は何かというとですね、そのキャリアは必然かと、お題で話していきたいかなと。
ただこのタイトルですね、前回の編集後期が何でしたっけ、やりたいことは制徳的かと少し近い、近接するタイトルというかお題かなと思うんですけれども、ただまあ何が違うかというか話したいこととして、
僕もぐ発案なんですけど、何が話したいかというと、前回はやりたいことがもともとあるのかないのかという話、編集後期だったと思いますと。
そこからまあいろんな人の話を聞く中で、キャリアにおける偶然性ですねと、みたいなものを取り扱ってみたいかなと。
つまり制徳的かというお話は、もともとやりたいことがあるかどうかという話だったけれども、その後の話ですよね。キャリアを形作る中で、やりたいことがどんどんどんどんキャリアを重ねる中でできてくるんだけれども、
それってかなり運命的というか偶然の要素もあるんじゃないのかしらと。ただ一方でそれが必然として語られる文脈も世の中には存在するよねと。
これについて必然と言えるのだろうかと。いやもっと運命に、偶然に身を任せることもありなんじゃないか。そんな話をしたいかなと思うんですけれども。どうですか編集長の新君。
いや結構これは話していく中で、必然ってことそのものをどう捉えるんだろうって話に多分なってくるんじゃないかなという気がして。一つ言えるのは結構個々の解釈というのは何かありそうだなという気はしている。
まあそうだよね。例えば何かしらこの領域において、例えばサース業界で転職をしようと面接を受けると。で、まあ受かる受からないの時点で、まあでもそれは結構偶然なんだよな。結局どこに受かるかっていうのはもうわからないから、それは結構偶然の要素が強い。
ただ、何だろうね。よりで見たら偶然なんだが、例えば引きで見たら必然みたいなこととかもあるかもしれないし。
ああそれは面白いね。よりで見たら必然?引きで見たら偶然?
最終的にどの会社に入るとか、その会社でどの部署にいるみたいなのはもう自分のコントロール外というか。ただ大枠でこういう方針こういう方向性この辺りにいる。流れのこの辺りに見よく。みたいなのは一定コントロールできる場合があったり、自分が思考することでそこに近接することができる。
ああそういう意味だと逆か。よりで見たら偶然、引きで見たら必然ってこと?
ああそうだねそうだね。
そういうことか。
逆もあるかもしれないけどそうだね。
ああ。
どちらもあるのかもしれないよね。
ああ確かに。そういう意味で言うと、その人のキャリアの作り方というか働き方の作り方って、よりで見た時に偶然なのか必然なのかっていう2パターンがあるのかもしれないねとは思う。
だからそれこそこれまで聞いてきた話の中では、銀行員の殺散とかはよりで見たらかなり必然なキャリアを作っているというか、そもそも彼女の場合はご家庭というか家族が仕事、会社、家業があって、そこでお金回りの話をずっと見てきた、育っている中で。
で、そのお金回りの話を見てきたからこそ自分もそこに飛び込みたい。
まあ別の話もあったけれども、まあそういった話もある中で、よりで見るとかなり必然だよね。
引きで見たら偶然かっていうと、でもさ、彼女の場合はさ、引きで見てもさ。
引きで見たら必然なんじゃないかな。
引きで見たら、あ、逆にか。
逆なんじゃない?引きで見たら必然なんだけど、じゃあそれでどこの視点に配属されて、そこでこう、その土地ならではのどういう人たちをお客さんとして関わっていくっていう部分は、結構偶然性の要素が高いんじゃないかなっていうのは聞いてた。
あー、確かに。彼女の場合は引きで見たら必然か。
うん。
確かに。
これ難しいよね。引きとよりが何の話なのかっていうところ。
少し聞いてる人向けに話すと、つまり銀行員の撮算は、銀行員だから全国営店金なんだよね。
だからどこに行くかは選べない。
銀行員のキャリア
そうなるとそこはかなり偶然の要素が強いから、まあそういう意味で言うとよりで見たら偶然なんだけれども、一方でまあそれがやりたいことであるって飛び込んでいるから、まあ引きで見たら必然であると。
その偶然の積み重ね。でもさ、難しいのは撮算の場合はさ、かなり必然なんだよね。
まあそうだね。
だからあのね、このエピソード、なんでこのタイトルで持ってきたか、テーマトークテーマで持ってきたかっていうと、彼女の話がかなり印象的だったんだよね。
つまり僕なんかはさ、かなり偶然でキャリアを作っている。
たぶんしんくんもそうだと思うんだけど。
その時その時でさ、生まれる偶然性。
とりあえずここ行ってみたらこうだった、みたいな偶然性の積み重ねでキャリアができてる気がするのよ。
そういう人も言っている中で、撮算の話ってさ、かなり必然だったんだよね。
そうだね。
一本芯が通っているというか、これがやりたくてここに行った。
で、やりたいからこそ少し意に返さない仕事も、でもこれは必要なんだと思い切ってやれた。
で、今一番やりたいことをやっている。この先もそれをやっていきたい。
なんだろうこの話と思って。
自分が知っている働くじゃないっていう。
整然としてるよね。
そう。
そうだね。
そう思った時に、必然的なキャリアっていうのはもしかしたら存在するんじゃないかと。
みたいなことを思ったんだよね。
でもこれどこまでを必然とするかが難しくて、つまり彼女が生まれた環境は偶然だよね。
偶然生まれて偶然これをやりたいに至っている。
だけれどもやりたいと思ってからずっと必然的にそこのキャリアを歩んでいる。
こういう人もいるんだなって思ったんだよね。
そしてこういうお話、つまりサッサンみたいなお話がある種一番良いストーリーというか、
日本社会の中で最も働く人のある種の理想ですよね。
そうね。
なんかナラティブとストーリーとして一貫しているとか繋がってて、
ちゃんと聞いた人が理解をできて、
あまり疑問に思うポイントが少なく受け止められるというか。
必然と偶然の評価
そうね。
そうだね。
その必然性って誰が判断する必然なんだろうね。
あくまでも本人なのかさ。
それ面白いね。
でもちょっとその他者。
でもなんか他者のキャリアをこれは必然的だねっていうのもなかなか難しいというか。
でも偶然の方がまだ言いやすい気がするよねちょっと。
でも今の視点ってすごく面白くてさ、そういう意味で言うとやってる?
自分自身にとっては偶然っていう要素がさ、
もしかしたら一人称では偶然なんだけれども、
それは三人称で聞くと全て必然に聞こえる可能性があるよね。
これ面白いかもね。
そういう意味だとさ、しんくんの話とかもさ、
いろいろやってる中でだけど、話を通して聞くと必然的にそこにいるように聞こえなくはないというか。
つまりもともとは無印良品で働いていて、
店舗の店員さんというのは自分にはなかなか向いてないかもしれないという中で旅が始まるんだけれども、
最終的にカスタマーサクセスにたどり着いてるじゃない。
そのカスタマーサクセスとその店舗の店員さんのお仕事に何かしらの共通点というか、
ちょっと見つけてるよね。
ソリューションを提供するんだと。
そのコンシェルジュというかコンサルタントというか、
そういうご相談によって価値を提供するっていうお話はしていたじゃない。
そうやって聞くとさ、この人も必然的に自分のやりたいことをなんとなくぼんやりとは掴んでこのキャリアを歩んできたんじゃないかっていうふうに、
第三者は判断するよね。
そうだね。
街での終わりにっていう小説があって、
あれはこう、未来が常に過去を変えているんだと。
いう話が出てくるんだよね。
一見さ、人の行動は行動によって未来が変わるっていう話はよくある。
だけど、実は過去に起こった出来事っていうのは、
その未来の振る舞いとか動きとか揺らぎの中で、
どんどんその意味合いだったり位置づけだったり、ある種の連続性とかをどんどん変えていくと。
それはその時、あるタイミングではすごく不幸な出会いだったかもしれないものが、
結果として運命の出会いであったりとか。
ただそのキャリアみたいなものも結構それはあるような気がしていて、
さっきの一社目の話とかもそうだし、
なんだろうね。
例えば俺が梅干し農家から一社目を始めて、
農家が合わないなと思って作った梅干しを抱えて旅に出て、
お弁当を売り始めた時に、多分日の丸弁当を売ると思うんだよね。
でもそれはさ、偶然だけどその弁当が日の丸弁当であるのはある種の必然というか、
そういうことなんじゃないかなっていう気はちょっとする。
それが必然であるかどうかっていうのは結局その地点だけでは分からなくて、
もうちょっとその文脈だったりみたいなものを勘案してさ、
やっぱ必然だねって思うような気がする。
キャリアって推し並べてそうなのかもしれないけど。
それってめちゃめちゃ面白いなと思うんだけど、
つまり僕らって基本的に過去の積み上げで今があると思っているよね。
なんだけど実はそうじゃなくて積み重なる、
例えば紙のようなものがキャリアとして積み重なっている、
そういうイメージでヒールだったとして紙が積み重なる中で、
過去の紙の重さじゃなくて上の紙というか、
未来積み重なる紙の重みによって過去の形が変わったというか、
そういう可能性ってすごくあり得るよね。
あると思う。
そうだよね。
もちろんねスキルだったりを積み重ねて、
よりこう発展的だったり複合的な業務をしたりとかっていうことはもちろんあると思うから、
同時にそれはもちろん過去未来変えてるんだけど。
それはでもさ、なかなか考えないけどそうかもね。
そうかもね、確かに。
本当にそう思うわ。
確かに。
だからそういう意味だと必然というのは当然必然になるというか、
全てのキャリアというか生き方、人生が必然に執着するんであるということも言えるかもしれないね。
そうね。
必然に執着したということはできるかもね。
確かに。
それはそう思うわ。
だから必然なんだ。
全てのキャリアは。
全てのキャリアは必然かもしれない。
かもしれない。
あれ、あれ今日編集コーキーすごい早く答え出ちゃった。
そうだね。
出ちゃいましたね。
出ちゃいましたね。
ただ全てのキャリアの、キャリアっていう言葉の中はもう偶然で満ち満ちてるというか。
偶然と必然の対比
それってすごい素敵なことだね。
でも偶然に満ち満ちた先に必然が生まれていくというか。
だからこれって何?聞いている皆さんに言いたいことって何かっていうと、
今の偶然の満ち満ちているその平引きを楽しめと。
その先に必然はあるんじゃないかという話なのかな。
そうだね。
こうやって話してると、最初さ、今話し合ってたときは何となく偶然と必然というのは対地概念みたいに思ってたけど、
なんかそうでもないような気もするよね。
それはあれだね。
必然の反対が偶然っていう感じもしないというか。
そうだね。
それは生と死が対局にあるのではなく。
いいお話だね。
ノルウェーの檻だね。
そうね、村上春樹のね。
でも本当にそうかもね。
だからそれがある種、神の表裏みたいなものであって、
なんでしょうね。
全く別ではない、ある種的対関係とまでは言わないけれども、
どちらかに憧れるようなものではなく、どちらかがあるためにはどちらかが必要であるという。
そうだね。
必然にたどり着くまでの道
だって生がなければ死がないんだから。
死がなければ生がないように。
今日哲学的な会になったね。
会になったね。
大丈夫かな、もうちょっとそういう本とか、そういう哲学書をちょっと読んでおきたいな。
本当はね。
ただそういう意味で言うと確かに、サッサンの話から始まったけれども、その後続くケイ君とかね。
偶然が作っている以外で今は必然なところにいるのかもしれない。
ケイ君の話は結構まだ偶然感が残っていて。
そうだね。
偶然感はかなり強いんじゃないかなと思う。
話のタイトルもわからなさを生きるっていうことで、今のわからなさを。
わからなさって偶然の塊じゃない?
そうだね。
ケイ君の生き方は偶然を愛してるよね。
でも偶然を愛した先にさ、彼が言ってたいいことはさ、すごく印象に残ってるんだけれども、
何かで1位になるんじゃなくて、たくさんのもので3位になる。
すると総合的に1位になるんじゃないかって話をしていて。
その童貞って偶然を積み重ねていく童貞だよね。
たくさんの偶然、いろんな触手の偶然をたくさん積み重ねた結果、何かの1位になる。
それが必然である。
その必然に向かう旅路なのかもしれない。
そういう意味で言うと、必然にたどり着くまでの道の長さは人によるのかもしれないよね。
そうね。道の長さも道のりも景色もかなり偶然なんだろうね。
人による。
でもどうしても僕らはそれが早い方がいいと思ってしまう。
それはあると思うんだよね。
やっぱり20代のうちにさ、必然にたどり着きたいと僕も願ったしさ。
たどり着けなかったんだけど。
どういう必然を寄与してたの?
それはもうさ、あれだよ。
テレビとか雑誌に出てさ、それこそニュースフィックスの番組特集に出てさ、
下り顔で喋っているね。
僕はこう思うんですみたいなこと言いたかったの。
ないよね、そんなことは。
そうだね。
なかったね。そんな未来はなかったね。
だけど、それはそうじゃないんだと。
僕はまだその偶然の積み重ねて必然に至るまでの長い童貞にいるんだと。
そう思えばいいよね。
そうだね。そしたらいずれは下り顔で話せる日が来るかもしれないし。
それはそうだよね。
その時はこれは必然だと。
俺は必然として今ここで下り顔で喋っているんだニュースフィックスでと。
生きる希望と納得
はい。
思えるかもしれない。
思えるかもしれない。まあその先がニュースフィックスじゃないかもしれないんだけどね。
ピボットかもしれない。
ピボットかもしれないし、全然別のテレ東のワールドビジネスサテライトかもしれないし。
かもしれないし。
ガッチリマンデかもしれないし。
オールナイトニッポンかもしれない。
オールナイトニッポンだったらそれが一番嬉しい。
それはね、それくらいラジオが好きでやってますからね。
まあそれはそうなんだけど、でもすごく素敵な話だなとは思うんですよね。
なぜなら偶然でいいし。
でもその先に必然があるんだと思えればそれが希望になるよね。
そうだね。
生きる希望になるというか。
そうなんだよね。結局なんか自分の辿ったルートを比較することなんかできないから、
なんだろうな、あり得たかもしれない人生みたいなのは想像することはできるけど、
結局その最終的に取ったルートのことをどう捉えるかっていう話にはなるよね。
この話はさ、前回もちょっと編集後継でしたけど、やっぱり納得なのかなとは思うんですよね。
やっぱり自分の通ったルートにどれくらい納得しているのか。
やっぱりそれこそチンプの話だけれども、やっぱり人生のレールって人それぞれであるというか。
そうなると通る場所も違うから見える景色も違う。
その景色をどれくらい愛しているのか。
それでいくとあの話してから今までの間にちょっと思ったのは、
納得してなくてももはやいいんじゃないか。
別にそれは納得感があれば納得できているから自分としてはいいんだけど、
納得できなかったとしてもまるっとそれはもう自分の人生なんだって受け入れるというか。
何だろうね、相対としては納得できているとか、細かいところでは納得できていないとか、
全然トータルで納得できていないとかいろいろある気がするんだけど、
納得できていると嬉しいんだが、納得できていないと納得できていないとき結構しんどいじゃない。
そうね。
別に納得感あったらあったでいいけど、ないならないでそれを抱いて生きればいいんじゃないかなっていう気がするんですよね最近。
でもさ、それはちょっと残酷な気もするのよ。
受け入れろっていうことでしょ。
受け入れるっていうのは納得していなきゃ受け入れられなくないか。
それを納得していないものを目の前に来たときにそれを抱けるか。
抱くというか、別に受け入れなくていいんだよ。
全然受け入れられない、納得できない。
なんかもう俺は怒り続けているみたいな。
わかんない、そういうアーティストっているんじゃないかなと思うわけ。
すなわち自分はずっと納得できない曲が作られていない。
どれだけスターでも駆け登ってスーパースターになっても、全然曲に納得がいかない、音楽に納得がいかない。
アーティストでもそうかもしれないし、画家でも作家でもそうかもしれないし。
まあでもそれはアーティストだからさ。
ある種他の人がその生き様を観測してくれたりもするけど。
なんだろう、じゃあそれは納得できているスーパースターと納得できていないスーパースターで、
何かその生き方だったりキャリアにコースがつくのかというとつかないと思うんだよね。
でなったら納得できない人生や納得できないキャリアを、残酷なのかもしれないけど、
でもまあそれはそういう個人の物語がそこにあるんだな、みたいなのはちょっと思ったかもしれない。
でもそれはさ、その時点その時点で納得できていなくてもさ、最終的に未来がまたそれを納得できるものに変えてくれるっていう話じゃないの?必然になるんだから。
そう、そういう話だよね。ただそれは未来が変えてくれるっていう地点が、
俺らが前提にしているのは、あった人のことしかまだ前提にできないんだよね。
ずっと未来がそれを必然にしてくれるっていう未来が来ないまま急に死んじゃうとか、
それってじゃあその死ぬ瞬間に納得できたから納得できた人生ですねってなるのかっていうと、なんかそれもちょっとよくわからないじゃない。
それはそう。
幸せって別に極小的、瞬間的なものなんじゃないかっていうのに、その必然かどうかみたいなとか納得みたいなもしかしたらちょっと近いのかもなとか。
それはでもさ、あまりにも暗すぎると思うのね。つまり何でかっていうと、まあ死んじゃったら仕方ないじゃないっていう。
これはあの突然のカミングアウトなんですけど、昨日ね、僕のいとこが死んだんですよ。
それはアクセイ・リンパッシュっていう患者ね。まだ45歳ぐらいだと思うけれども、
まあその時にこういう人生の立ち方もあるんだなと。しかも急にだよ結構。
もう急にガンですって言われて、そんなにすぐにババっと死んじゃったんだけれども、こういう人生の終わり方もあるんだなというのがある種他人ではあるからね。
そうだね。
やや客観的にその事実を受け止めている自分もいるんだけれども、だから真空の言ってることもわかるよと。
なんだけど、僕らが生きる希望っていうのはさ、常にあり続けなければいけない。つまり未来が良くなるっていう希望が、
人をその前に進めてくれるというか、明日目覚めようって思わせてくれるものはそれなんじゃないかとやっぱり思う。究極的には。
明日が今日よりも良くなる。何かしら良いことがあるんじゃないか。楽しいことがあるんじゃないか。だから生きられると思う。
そうだとすると、自分が今納得していないキャリア、もしくは人生が今目の前に広がっているんだけれども、しかしこれは未来が必然に変えてくれる。
偶然今ここにいるだけなんだと。この偶然があるから自分はその必然にたどり着けるんだと。それが希望になるんじゃないかなと思うんですよ。
じゃないとさ、あまりにも辛い現実にさ、打ちのめされるだけじゃない。あまりにも辛いそれはっていう。だって働いていればあるじゃん。いつだって。
この目の前の仕事が嫌で嫌で仕方がない。もう辞めたい。何でこんなことしてるのか分からない。周りはすごく楽しそうな仕事をしている。もしくはお金をたくさんもらっている。
なぜ自分だけここに。でもそういう瞬間に陥ってしまうことって常にあり得る。あり得続ける可能性としてはどんな人の目の前にも広がっている。
だからこそその偶然というのが自分に落ちてきた時にそれに耐えられる必然、この先にある必然を信じられなければどうやって生きようかと。
そんな気がするんだよね。だけどその必然が来ない可能性はある。等しく。それが生きるっていうことなんじゃないか。その残酷さは前提として。
だけれども信じ続ける。だってそうすること以外に生きようがないじゃない。気がちょっとするんですよね。
ちょっとずれるけど、努力は必ず報われるって総選挙で言ったAKB48の高橋美奈美が今年のあちこち踊りに出てて。
私はこの言葉に呪われ続けていますって話をしてたのが。
ちょっとふと思い出されましたね。
そういうこともあると思うんですけど、努力が報われるかどうかっていうのはその話です。
やっぱり今自分がいる偶然がどこか必然に落ち着く。その瞬間があるんじゃないかと思って生きる。それが人だと思うんだよね。
それはちょっと話がずれるけどさ、あの人いたじゃん。逃げ続けて最後。
桐島さん。
桐島さとし。
桐島さとしさん。あの話。
知名手配されて、50年近く逃げ続けて、辻堂ですかね、湘南ですかね。
藤沢かな。
藤沢間に身を潜めて、普通に働いて普通に死んだっていうあの人さ。
あの人、なんであんなことできたかっていうと、だって健康保険証もないわけでしょ。
何もないからボロボロのお家で、本当に生活しては苦しかったと思うんだよ。
だけどそれを毎日生き続けることができたというのはさ、多分なんだけど何かを信じてたんじゃないかなと思うんだよね。
その先に自分が今日よりも明日がいい。生き続けたい。そういう思いがあったから生き続けられたんじゃないかなと思う。
それがまあよしよしは別としてだよ。犯罪行為ではあるからね。別なんだけれども。
それぐらい希望がなければさ、あの環境で50年なんて生きられないと思うんだよね。
そういうね。
だって、戦国紙面手配になった時の気持ちってすごくない?だって全国民が敵に見えるよ、多分。
普通にさ、道歩いてたらあいつ警察じゃないかって思うレベルで怖いよ。僕なんて。
そうだね。
でも生きられたってすごいことだと思うんだよね。
それって人間が持つ強さというか、別に彼を肯定してるわけじゃないんだ。
人間のみを語った時にあれができてしまう人間っていうのはさ、バカみたいに必然を信じてるものなんじゃないかなって。
だけどそれがあまりにも強いから、それが信じられなくなった瞬間にコロリと死んじゃうんだよ。
すぐにとは言わないけれどもコロリと自殺しちゃう。
それってその必然を信じてる強さが強ければ強いことだと思うんだよね。
それが信じられなくなったからこそもう意味がない。
明日なんて来なくていいってなっちゃうんじゃないかなって思うんだよね。
そうだね。
彼がなんでこれだけ逃げ延びて生き延びられたのかは一回聞いてみたかったよね。
聞ける立場にはない。
でもそれこそね、死刑とかをそれはもう犯罪者の立場としてだから褒められたことじゃないかもしれないけれども、
キャリアの必然性
どういう気持ちで生きていたかは知りたいよね。
それは人間として興味があるとは思うんだけどね。
彼の話はあくまで例えとして出したからそうなんだけれども、
でもやっぱりはじめしんくんが言ってくれた通り、
未来が過去を規定するのであればそれが一つ人間の生きる世世界になっている可能性が無意識のうちにあるんじゃないか。
だからこそキャリアは必然なんであると言ってしまっても差し支えない偶然が積み重ねる先にある必然なのである。
そしてその必然は必ずあなたに訪れる。
ただその童貞長さは人による。
もしかしたらあなたの必然は50年後かもしれない。でも信じ続けてくれと。
そういう話なのかなと。
ちょっと思いましたね。
なるほどですね。
童貞というかプロセスみたいなものをどう見つめるかっていう感じはあるよね。
やっぱり信じ続けることが大事だと思うんだよね。
どれだけそれを信じられるか。今日よりも明日を。ってことだと思うんですよ。
明日飲むビールは美味いだろうなっていう。
はい。
それの連続?
そうね。それは大事な希望かもな。
それを失ってしまうのはそれが一番怖いなって思いますね。
そのキャリアは必然か。
必然だ。
必然である。必然にしなくてはならないんだと。
そう信じなくてはある種ならない。
というか信じたい。
そういう生き物なのではないかと働く人間としてはね。
そうだね。
この編集後期の結論はそのキャリアは必然だと思いたいなんじゃないか。
そうだね。
これに2回連続で思い込み系だね。
そうだね。
でもそうだと思う。
そうな気がするな。
一方で今めちゃめちゃその暗闇の中にいる人が、いや違うと思う。
信じ続けることの重要性
君はいずれちゃんと今の暗闇が何かしら意味が与えられて、ちゃんと必然だったんだって思える人が来るよって、
無責任に言えないんだよね。
無責任に言えないんだが、必然だと思ってくれるといいなという気持ちはあるというか。
思ってくれるといいなというか。
その人にとって最終的に必然であってくれると良いなという気持ちはある。
それは自分に対しても他者に対してもあるし。
ということを考えると、そのキャリアは必然だと思いたい。
とてもいいエンディングだったんじゃないでしょうか編集後期としては。
そういう意味で言うとね、これまで聞いてきた人の話。
ハッシュタグイエル落語の作り方さんの家本さん。
彼は5年間くらいかなり厳しい環境で働いて。
そうだね。お菓子会社ですね。
ほぼブラック企業。ほぼというかかなりお休みがないというね。
有休休暇という概念を失うくらいの働き方をしてたんだけれども、
それがおかげで、その働き方があったおかげで今のキャリアがある。
その先やっぱり転職して仕事がうまくいくんだけれども、
やっぱりそれはその5年間があったからなんて彼も言っていたし。
そう思うんですよ。だからやっぱり思いたいし、そういう人たちがたくさんいるんだと。
だからこれを聞いている皆さん今後もですね、働く僕らを聞いてください。
必然だと思いたい皆さん。え?っていうね。
必然の人たちがたくさん出てきます。
まだもしかしたらその童貞の人も出てくるんだけれども。
その人たちがどういう過程を経て必然にしていくのかは聞いていただきたいし、
それがある種安心感を生むんじゃないか。
特にもしこれを聞いている就活生とか高校生とか、また仕事を働いたことない人がいるんであれば、
それはぜひこの話を聞いてもらえると嬉しいなと思うし、
こういうことをその時、自分が高校生だった時、大学生だった時に知りたかったなって思いますね。
そうだね。成功者の到達点を切り取りたいわけではないんじゃない?
その人のプロセスとか、ここまでの歩みとか流れみたいなものを幅として拝借したいっていうような感覚で、
話を聞いているから、どこかしら自分と重ねて聞くことができる部分もあるかもしれないし、
それはトークの成功者として、プロフェッショナルや情熱大陸みたいな形で決して聞きたいとは思わないし、
そんな聞き方は多分しなくて楽しんでいただけるんじゃないかなと思いますね。
編集長、最後いいですね。まさに僕らがやりたいのはそれですよねというところ。
幅だよね。到達点ではなく幅をこれからもお伝えできればなと。
そうだね、と思いますね。
いい編集光景でしたね。
そうですね。
やっぱり場所の力じゃないですか。
思いもよらずいい話したんじゃないかしらと勝手に。
ちょっとお酒飲んでるんで酔ってるテンションだというところも皆さん、そういう人たちが喋ってるんだとも思ってくださいねと。
というわけでね、編集光景は、ちょっとね救急車の音が聞こえてあれなんですけれども、
一旦ここまでとさせていただきたいと思います。
皆さん引き続きよろしくお願いいたします。
最後に番組聴いてる方向けにですね、この番組の感想やお便りがある方はですね、
ハッシュタグ働く僕らでXツイッターでつぶやいていただくか、もしくはDM空いてますのでXのDMにいただくか、
もしくは番組の概要欄にGoogleホーム貼ってありますのでそちらからいただけると編集長が泣いて喜びますのでよろしくお願いいたします。
お願いします。
では本日は以上となります。ありがとうございました。
ありがとうございました。
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