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笑倍繁盛チャンネル、望月まもるです。本日もよろしくお願いいたします。
我々は人生の途中、数多くの出会いを経験しますよね。
その中で特に、大切な人、異性を想像した時に、
自分を優しく包み込んでくれるとか、肯定してくれるとか、愛を注いでくれるとか、
こういう人を希望したりとか、思い浮かべたりとか、するんじゃないかなと思うんですけどね。
ところがですね、魂の視点から見た時に、本当に大切な人とは単に自分を甘やかしてくれる存在とかではないんですよね。
愛とか優しさの種類も異なってくるわけですよ。しかしですね、それこそ自分を本来の姿に返してくれる人、戻してくれる人であり、
眠ってた魂を目覚めさせてくれる人ということだったりもするわけですよね。
自分の心の奥底に眠っている純粋無垢な愛を掘り起こしたりとか、目覚めさせてくれる存在っていうのが、
これがイコール自分の運命を開く鍵にもなったりするわけですね。
一般的な恋愛やパートナーシップっていうのは、外見の良さとか経済的な安定とか、献身的に支えてくれるかどうかとか、
こういう条件に目を向けがちですよね。何か当たり前だみたいな感じになってるでしょ。
でもこれはもう寂しさを埋めてほしいとか、誰かに必要とされたいという欲求なわけですよ。
ここから相手を探すのは人として自然な反応かもしれないんですけども、今言ったように、条件付きな要望ですね。
いわゆる運命の人と呼ばれる存在との出会いはですね、こういう甘くて間違った期待を心地よく裏切るという、こういうことから始まったりするわけですね。
なぜならこの場合の目的は恋をすることではなくてですね、自分自身の魂を思い出すことってここだからなんですね。
だからこういう魂を思い出すような出会いした場合はですね、ある意味幸運なんです。
でもまたある側面ではとっても辛辣なんですよね。最初は特に、ある意味幸運って幸運は幸運なんですよ。
ところがある側面は辛辣なのね。
なぜかというと自分がこれまで無意識に身につけてきた偽りの姿っていうのがですね、これ容赦なく炙り出されるからなんですね。
認めざるを得ないし、これ引き剥がされるからもうこれ痛いってなるわけですよね。
だってこれまでさ、彼氏彼女が欲しいなんていうのはさ、実は自己都合だったりとかさ、自分の欠乏感を埋めるためだったのかもしれないわけよね。
一人で生きてくる人なんかいっぱいいるわけですからね。
だからこの条件付きの要望っていうのは実は自分の魂の喜びではないんですね。
例えば世間ってみんなが結婚するかどうか、何々ちゃんは子供を産んだからそろそろうちもとか、こういうの形のとらわれでしょ。
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平均的であることとか、正解とされる生き方っていうのに自分が合わせちゃってますよね。
自分の幸せかどうかもわかんないくせに。
だから社会的安心感を得ようとするオリジナルがもう消えてるということなんですね。
子の喪失、オリジナルの喪失っていう、なくなっちゃってからそうなっちゃってるから、それを取り戻す、思い出すっていう感じですね。
あとはルッキズムですね。外見だとかそういうやつですね。外見がいい、イケメン、背が高いとかね、そういうやつですね。
これは自慢したいだとかね。
これはルッキズムによる自己小事ですね。
自分の劣等感、何かしらの劣等感をパートナーで補填しようとする感じですよね。
背が低いのが、劣等感の子は背が高い人にこだわるみたいな、そんなのとか結構ありますね。
あと、大切にしてほしいってね。
みんなこんなこと思ってるんですけど、これはでも受け主配って言いましてですね。
自分を敬うべき存在として扱うことを要求している一種の特権意識みたいなもんでもあるわけですよ。
いやいやいや、一方的なのもどうだ?みたいな感じですよね。
愛されたいはもう渇望ですからね。
これはもう単純に自分で自分を愛せてないんです。
だから他者からね、誰かからの愛情を吸い取ることでしか心の安定を保てない、飢えてる心が飢餓状態になっているということですね。
あと認められたいっていうのは、これただの承認要求ですからね。
これは自分の価値を自分で信じられない。
だから他者ですね、彼氏とか彼女からの評価とか賞賛という鏡を通してでしかですね、
自分の存在意義を確認できない状態ですね。
分かってほしいっていうのは、これ執着なんですね。
自分の孤独、内面の混沌、こういうの自分自身でもう抱えきれてないんです。
だからこう内観したりとか振り返りしたりだとか、そういうことをやってないからこうなっちゃうわけなんですけども、
だからそれを抱えきれないものを相手にですね、理解とか解消っていうね、
これ丸投げしちゃってるんですよ。これはもう精神的な甘えですからということですね。
あと自分のものにしたい、これ所有欲ですね。
それからあと寂しさ埋めたい、これ依存ですね。
一人でいることで耐えられなくて相手の存在、精神安定剤とかそういう感じで利用しちゃうということですね。
からあと、肉体的に結ばれたいというのはただの情欲快楽ですからね。
魂レベルというのは深い統合がなされてないっていうのは、これ不安なんですね。
自己不一致が起こっているのはこれ不安なんですけども、
その状態のときに一時的に体の密着とか刺激によって解消しようとする切な的な癒着ですね。
なんか生きてる実感がしないなんていう人もこれを求める人結構いますね。
役に立ちたいとか助けたいっていうのは、これは単純にですね、相手困っている人、ダメな人って世話焼くことでですね、
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自分の存在価値を感じようとする、これダメン製造機みたいな女の子いますけど、
だいたい世話して自分の存在価値感じようとしてやってますからね。
あとですね、この不幸にしないでほしいとかね、これはもう被害者意識ですから、
自分の幸せの鍵を相手に渡してしまったりとか、相手の言動一つでですね、
自分の幸不幸が決まるっていう、これは受け身な感じですよね。
傷つきたくないっていうのは、これ自己防衛の壁です。心開くことを拒んでますよね。
心開くこと拒んでて相手と付き合うっていうのは、これはもう本当に難しいですね。
一定の距離保ちながらね、安全な場所からだけ愛を語ろうとするっていうね、これはちょっとずるい。
だから心の勉強もできないということになっちゃいますね。
でも被害者意識もですね、これ持ってないとですね、やっぱり自分守れなかったですからね。
なので、この辺はやっぱり自分にちゃんと気づき、自分と内観して、
その被害者意識を解放していくということ、これは結構大事だと思うんですね。
あとはさ、こうしてくれたら愛してあげるとか、こうしてくれるならあなたを大切にしてあげるみたいな、
これ条件付きのやつですね。これは取引です。
ほれほれほれっていう感じですよ。
まあだから他にもいっぱいありますけども、自分はこういったことが欠損してると、欠乏感を持ってると、心に穴が空いてると、
だからパートナーが欲しかっただけ、恋愛したかっただけなのかもしれないですよね。
これだとさ、自分の欲求を発散するための道具でしょ。それを探してただけ、道具を探してただけなんですね。
このモードで出会った異性がいたとしたら、これはね、やっぱり鏡の法則になっちゃうんで、
相手もね、またね、自分をですね、道具として選んでくるということなんですよ。
なのでね、この運命の人と言われる人はですね、こういったものはね、やっぱりバーンと突きつけてくるんですよ。
時に自然にね、時に熱を込めて突きつけてくるんですよね。
だからこういった事実を知ったときですね、最初は受け入れたくないと抵抗するものなんですけども、
次第に観念するんですよ。自分が愛だと思ってたものは何だったんだとか、
自分がなんて身勝手だったんだと、自らを奈落の外に突き落とすんですよ。
いいんです、これでね。今まで信じ込んでたものなんてのは純粋な愛ではないんですよね。
その人の心に刻み込まれたかつての傷からの反応だったりとか、教育マスコミとか流行りなどの社会的な擦り込みだったりとか、
それから自分でも強くね、堅苦な信念を持ちますから、こういったものの統合でガチャンコ、全部合わせて形成された、
言ってしまえば醜いエゴの層なんですね。
あのエゴのミルフィーユですよ。だから愛だの恋だの言いながら、相手をエゴの道具にしてきただけなんですよね。
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だからこそ運命の相手ってのは時に厳しく自分の内側にあるこの未統合な部分を露呈させるんです。表に出すんですね。
表出させるんですね。なのでこれ一見するとですね、衝突とか苦痛だとかね、こういう風に見える流れはですね、
実は自分が握りしめていた重荷を下ろしてですね、本質に立ち返るための浄化なんですね。
だからヘドロ出して出して出しまくらないとお水進んでこないんですよ。透明になってこないということなんですね。
だからこうやってヘドロを出し続けていくとですね、偽りの自分ですね、演じてた自分というのがだんだん崩れ去っていくんですよね。
だからこそ自分の本質ですね、魂の輝きっていうのが輝き出すんです。
この段階に至るとですね、自分がこれまで持ってたパートナーシップの定義というのは景気的に変化しますね。
それまではあの人と一緒にいたい、いてほしいっていうね、相手を所有しようとするとか、寄りかかろうとするとか、こういう意識が強かった人でも
魂が目覚め始めると、あの人とともに2人のこれから未来を生きていきたいっていうですね、こういう境地に消化されるんですね。
これは子としての自立を超えたですね、魂レベルの共鳴なんですね。2つの魂が合致している未来への希望ということになりますね。
だから私という子の喜びね、個人の喜びがあなたの喜びっていう風になって、私たちというですね、一つの大きな流れの中で命が進み始めると、輝き出すということなんですね。
だからお互いがさ、自らの魂の炎を燃やしてですね、自分を生きるとね、これすごくやっぱ大事なんですよね。
だから自分自身の魂の火、相手も自分の魂の火を燃やせるようにならないとダメなんですね。
そうしないとやっぱどちらかがどちらかのために犠牲になったりだとか、コントロールしたりとか、自分好みに変えようとしたりとか、いろんなことをやっちゃうじゃないですか。
だからお互いがただ自分という命を生き切ろうとすればいいんですよ。
各自が自らの力を湧き出す魂の声に従ってですね、真実を素直に語ってですね、自分の足で台地に立ってですね、それで歩んでいこうとするっていうね、これが相手にとって最大の愛になるんですね。
だから自分の魂の声通りに生きている事実っていうのは、相手にとっての救いとなり光となるんですよ。
それはお互い様でやってるんですよね。
相手がその人らしく輝いている姿を見ることが自分にとっての最大の喜びにもなって、だからこうなっていくと依存も奪い合いも枯渇もないんですよ。
ただ溢れ出るエネルギーの、エネルギーがなんか循環しているような感じですね。
だからね、この循環、これが大事なんですね。
あなたがあなたを生きていることが私にとって最大の喜びであって愛なんだということですね。
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これはですね、自然の循環そのものなんですね。
太陽がただ光を放って花が咲き起こるようにですね、人間もまた本来の姿で存在しているだけでいいんです。
だから自己犠牲とか支配とか駆け引きなんかね、恋愛は駆け引きだみたいな感じで言ってるんですけども、何言ってんだと。
違うと不自然になっているだけですよと、自然に相手を照らすことが大事なんですよね。
これが究極やっぱり愛を体現化できるということなんですね。
我々が今世でですね、誰かと深く出会って、深い関係でちゃんと出会うのはですね、寂しさを埋めるためでもないし、欲求を補完してもらうためでもないんですね。
素直で正直な本来の自分とともにですね、魂の炎を燃やして、お互いがただ自分を生きると。
この尊い二人の在り方構想がですね、この地上で育める最も美しい愛の形だなと、こういうふうに思うわけです。
ということで本日も最後まで聞いていただき誠にありがとうございます。
また明日お会いしましょう。
それでは。