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笑倍繁盛チャンネル、望月まもるです。本日もよろしくお願い致します。反応型とか対処主義者と呼ばれる人たちがいます。
彼らはですね、今この瞬間の感情や欲求とか本能、こういったもので言動してしまうんですけども、これらの人たちに共通するのは、自我が極端に弱いので、感情や本能に支配されちゃう、こういうことからなんですね。
もしかするとね、彼らは思考しているのではなく、考えているのではなく、ただ反応しているだけかもしれないわけです。
なぜなら、思考というのはですね、長期的な目的のためにあるからなんですね。
なので、未来に向けて足を運んでいるのではなくて、もしかすると自分の感情が正しいと証明するために生きているのか、欲求とか本能を満たすためだけに生きているのか、というふうにも見えるわけですね。
思考はですね、感情と事実を分離するんですね。
未来を予測した上で、最適な今の行動、これを選択する働きがあるわけです。
ところがですよ、自我が脆弱な状態、弱い状態だと、その機能は働かないわけですよ。
外部からの刺激に対する反射とか反応だけが繰り返されるようになっちゃうわけですね。
なので、感情とか本能の正当化というのを目的にして生きてしちゃうと、本来手に入れられたはずの多くのものを損失するなというふうにも感じるわけですよ。
彼らは今この瞬間の感情とか本能に全振りしますからね。
だから、過去からの積み上げとか未来への投資ができなくなるんですね。
なので、地道な成長というのが難しくなっちゃうんです。
スキルや信頼とか人間関係というのは、自分の感情が乗ろうが乗るまいが関係なく、淡々と地道に日々少しずつ積み上げる、継続することで育っていくわけですね。
気まぐれに反応するだけの生き方だと、長期的な形成ができなくなっちゃうんですよ。
だから常にゼロの地点で足踏みをしているという感じになっちゃう。
お次は彼らの言動には一貫性がないわけなんですね。
昨日の自分と今日の自分ですね。生活の一つ一つが単なるタスクなんですね。
だからその時々の感情によって分断されちゃってるので、継続性だとか一本筋が通ることがなくなっちゃう。
自分の人生一つの物語としてつなげられないんですよ。
だから連続性がなくて刹那的に生きがちになるということですね。
また自分の感情が正しいって証明するのが目的である以上、自分以外の他者はどうなるかというと、
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私の感情を肯定する役か否定する敵のどちらかでしかなくなっちゃうわけですね。
なので対等な関係性ではなくなって、相手の立場に立って考えたり共感する余裕はないので、対話も成立しないということですね。
結果として真の意味で心かいを合わせるパートナーシップとか人間関係とか利害観を超えた友情を気づけなくなってしまうということですね。
だからこそ安心できる居場所っていうことには選ばれなくなります。
なぜなら周囲の人間はその人の感情爆発を恐れて晴れ物に触るように接したりだとか、あるいは表面上では合わせていても裏では警戒されるようになっちゃうからね。
だから誰かから心からリラックスしながら隣にいてくれるなんていう人としてとても大切な安らぎも得られなくなるわけですね。
またこの手の人たちは大抵自分の感情に従うことが自由だとこういうふうに勘違いしていることが多いんですね。
でも実際はその逆なんですよ。
例えば外部からの刺激ですね。
誰かの言葉とか天気とかニュースとか不快な出来事に対して自動的に反応してしまうというのは環境とか他人に自分が振り回されているということだよね。
これは自分以外の他者や物事、社会などの外部に自分のコントロール権、つまりハンドルを明け渡しているということなんです。
だから自立や自制ができなくてですね、奴隷化してるっていうことになるんですね。
ジーグとは真逆なんですよね。
だからこの方たちはやっぱり後悔も増えるかなというところですね。
なぜなら一時的な感情で重要な決断、例えば離職するとかお金使うとか絶縁しちゃうっていうことをやっちゃうと、
常に修復不可能な破壊のリスクを自分で抱えていることになるからなんですね。
冷静な思考があれば選べたはずのより良い未来の選択肢ってのを一時的な感情に振り回されて、自らドブに捨て続けているということになるんですね。
ラストはですね、学習と修正の機会がなくなります。
自分の感情は世界の真実っていうこの認知思い込みはですね、この時点でも歪んでますからね。
だから揺れ動く感情とか本能に基づきながら見る主観的な世界というのはですね、もう極めて客観性に欠けるんですね。
メタ認知ができてないということですね。
自分が間違ってるかもしれないっていうですね、この自分への疑いってこれすごい大事なんです。
これが知性であり成長の源だからなんですね。
ハッとしたりとかドキッとしながらですね、自らの言動とかその時の感情とか行動をですね、客観的にメタ認知することでですね、
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それまでスルーしてきた気づきや学びを得られるからなんですね。
ところがですね、自らの感情を正当化する、自らの感情の正当化に固執する人はですね、失敗から学ぶことができないですね。
自分を変えることで状況を良くしていくというですね、最大最強の解決策、これ使えなくなっちゃうんです。
このカード切れなくなっちゃうんですね。
だから同じトラブルを何度も起こすわけですね。
ということは対処主義者とか反応型の人たちが失っている最大のものっていうのは、やっぱり自分自身の人生のハンドル操縦感、これじゃないかなって思うわけですね。
自らの感情や本能というね、暴れ馬ですね、この手綱を握れないで馬が走りたい方向に引きずられている状態をですね、これらの人たちは走ってるって錯覚してるのかもしれないですね。
自由だって勘違いしてるのかもしれないですね。
だから実際にはどこにもたどり着けないでですね、ただ消耗してるだけかもしれないんですよね。
つい感情的になる人とか本能を抑えきれない人っていうのは一度ですね、自分の感情という名の暴れ馬をどう制御するかっていうのをね、考えてみるといいかなと思うんですね。
まあなんでこんな話してるかというと、大体ですね、私が話してることっていうのは、大体私もかつてはそうだったよみたいなこと多いんですよ。
今日の話なんかもうモロ、若い時とかモロですよ。
でも自己対話とか内観とかやっぱり疑問とかですね、自分への疑問とかですね、こういうものを続けてですね、少しずつ自分のハンドルを取り戻していったという、こういう経緯もあるからなんでございます。
ということで本日も最後まで聞いていただき誠にありがとうございます。
今日も反応せず対処しようとせず思考していきましょう。
ということでまた明日バイバイ。