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笑倍繁盛チャンネル、望月まもるです。本日もよろしくお願い致します。
自己愛という言葉がありますけどね、自分を愛する気持ちですね。これね、健全なものと、過度で不健全なものと、これははっきりと分かれるんですね。
健全な自己愛っていうのは、不完全で傷だらけの自分をですね、そのまま丸ごと大切に思える心ですね。
これはだから、自己需要というところになりますね。アドラー心理学でも言われている、自己需要ですね。
それを丸ごと全部認めて、抱えて、っていうことですね。
で、それはだからね、決してね、自分は完璧だとか、自分は誰かより優れているというですね、この傲慢さとかではないんですね。
深い安心感に根差した、静かな肯定感ということですね。一方、不健全な自己愛、これね、病的なナルシズムっていうふうにも言われますけども、この表面的には自信満々に見えても、内側は脆くてですね、
常に誰かからの称賛とか、あるいは支配とかでですね、自分で保とうとする非常に不安定で苦しい状態なんですね。
この2つの決定的な違いはですね、過去の痛み、インナーチャルドとか被害者意識だとか、こういったところにちゃんと向き合ったかとかね、あと自分の影ですね、シャドウと向き合ったかっていうところなんですね。
この工程なくしてですね、自分を好きになるなんていうのはありえないんですよ。自分に背中を向けたりとか、自分を粗末にしたりだとか、自分を裏切ったりだとか、こういうのを無視したりだとか、
そういうふうにしている人は、健全な自己愛なんて難しいわけなんですね。
だって我々はさ、誰しもね、幼少期から現在に至るまでですよ、拒絶されたり否定されたり見放されたりですね、恥をかかされたりとかね、いろんな経験を積み重ねているわけですよ。
でね、こういった傷がですね、心の奥にですね、自分は価値がないんだとか、愛される資格がないんだとか、弱さを見せたら捨てられちゃうんだとか、
こういう思い込み、強い価値観を自分の中に刻み込んだりとかするわけですね。
で、この刻み込まれたですね、信念はですね、その後の人生、大人になってもですね、無意識レベルで我々の行動や感情を支配したりもするんですね。
で、だからこそ健全な自己愛が育つ人は、この見たくない自分ですね、背中を向けたいし逃げたくなるような自分とですね、勇気を持って向き合うんですね。
で、なぜ私は人前で自分を小さく見せちゃった、あるいは大きく見せてしまうのかなとか、なぜ承認されないと、誰かに認められないと不安でたまんないのかなとか、なぜあの人の一言で激しく傷ついたりしたのかなっていう、こういった問いかけをですね、相手とか誰かのせいにするんじゃなくて、自分に投げかけて、その感情を味わったり、記憶を掘り起こしたり、泣いたり怒ったり、書き出したり、こことこしながらですね、
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少しずつその痛みを感じ切ったり、解放したりだとかするっていうですね、こういう作業をするわけですね。
で、この感じ切るっていうの結構大事で、感情を出すってことなんですけども、その時に出せなかった感情を出すってことなんですけども、
これは、これをやることでですね、初めてその痛みに隠されてた自分の本当の願いとか、その時の自分が守りたかったものっていうのが見えてくるわけですね。
で、あの時の私はただ愛されたかったんだなとか、ただ認めて欲しかったんだなとかっていうふうに、自分自身をちゃんと認めて、許して抱きしめることができるようになるわけですね。
このプロセスを経て、初めてですね、自分は不完全な存在だけども、それでも生きてていいし、ここにいていいし、自分は自分なんだっていうですね、こういう体感的に確信っていうものが生まれてくるわけですよ。
でね、これはね、こういったお話を聞いたりだとか、それからですね、本を読んでもね、分かんないんですよ。
なぜかというと、これは頭で分かってるっていうことなわけでですね、それだけではなくて、これね、感情とか体の記憶なんですね、こうなんですね。
だから、この体感的な確信っていうのは、その境地の話ですから、その境地に至るからこそですね、
自分にしか分からないこと、体が覚えていること、感情が覚えていることっていうことですね、この確信を持てるようになるわけですね。
自分は不完全だろうが、なんだろうが、生きてていいし、ここにいいし、私は私であっていいんだっていうですね、この確信を得られるわけですね。
だからこそ、他人からの評価がですね、多少揺らごうともですね、自分を見失うことなんかなくなるということなんですね。
一方で、痛みと向き合うこと、この先で聞いた人、背を向けた人はですね、心の奥に残るですね、価値がない自分をですね、やっぱり直視できないんですよ。
見れないんですよ。だから見られないからこそ、その空洞を埋めるようにですね、偽物の自己愛っていうのを演出したりでっち上げるしかなくなるんですよね。
自分は特別だとか、自分は常に正しいとか、自分は被害者だとか、自分は誰より優れてるとか、自分はこんなに悲しいんだから、こんなに良くしてもらったら当たり前だなとか、こういったですね、虚構の自己像を作り上げて必死に守ろうとするということなんですね。
で、この偶像が崩れそうになると嘘ついたり、誰か攻撃したり、見下したり、自己正当化したり、過剰に被害者ぶったりとかもするわけですね。
で、これはね、自分を守ってるのではなくてですね、むしろ本当の自分から逃げ続けてる証拠なんですね。
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だからこそですね、病的な自己愛の人はですね、表面的には強く見えても心の底では常に怯えてるんですね。
なぜかというと評価や賞賛とか条件ですね、こういったものが途切れるとですね、不安になったり批判される、あと批判されるとですね、激しく傷ついたり、ちょっとした失敗でもですね、自己否定の渦に飲み込まれるからなんですよ。
つまりね、健全な自己愛はですね、傷ついた自、私も含めて私を愛することであって、病的な自己愛はですね、傷ついた私は見たくないから、傷ついてないふりをして自分を愛する、愛したつもりになるということなんですね。
この違いがすべてをペッと分けていくわけですね。だからこそ自分の影に向けよう、内観とか自己対話ってめちゃくちゃ大事なんです。
自分を好きになろうと頑張る前にですね、まず自分と向き合う勇気を持つということですね。
で、コンプレックスとか劣等感とか怒りとか悲しみっていうですね、これをメタ認知してですね、この感情を重い価値観はどこから来てるのかなっていうのを問い続けるんですね。
で、するとですね、この世界をどう認識しているかは自分の中のものですからね。
自分の中のもので自分を縛ってきた価値観とか思い込みとか執着ってのですね、これ一個一個見つけてですね、これはもうこれから生きていくのに必要ないよね、手放しても大丈夫よねって許可を出していくんですね。
その工程はね、やっぱね地獄のように苦しいしどん底の気分になりますよ。
でもですよ、その苦しみを味わい切った先しか本物のですね、私はここにいていいという感覚って生まれないんですね。
で、どん底に行くからようやく落ちてつく、落ち着くんですね。
地に足がつくんですね。
認めたくなかった痛みを受け入れたから、その勇気を持ってそれをやったからっていうことなんですね。
だから自分のこともちょっとね、私は勇気を持ってたっていうですね、こういったですね、自己効力感であるとか自己肯定感っていうのも高まったりなんかもするわけです。
痛みから逃げて気づいたですね、作り上げてきた、演出してきた自己愛っていうのはいつか必ず崩れるんですね。
でも、だから痛みと向き合って作り上げた、気づき上げた自己愛だけがですね、生涯揺るがないものになるんですね。
自分を大切に思うということと自分から逃げることっていうのは真逆ですよね。
本当の自己愛っていうのは決して自分から逃げることでは生まれないんですね。
だから自分と向き合うこと、自分の中にあるものを感じきること、いろんな諸々を許していくこと、手放していくこと、緩めること、この長い旅の果てに初めて私は私でいいと心の底から思える日が来るわけですということで本日も最後まで聞いていただき誠にありがとうございました。
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自己愛って一瞬さ、いい言葉のように聞こえるんですけどね、これはやっぱり健全か不健全かっていうことがですね、だいぶ分かれてくるので、なんかね、自分でも自分の周りの人でもそういうこと、こういうことを考えるですね、きっかけになればいいのかなと思いますということでまた明日お会いしましょう。それでは。