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#1563 楽観は達観
2026-04-13 12:29

#1563 楽観は達観

#1563 楽観は達観

「楽観は達観」

これは単なる「なんとかなるさ」という無責任で短絡的な楽観ではありません。あらゆる事象の裏表を見抜いた上での「楽観」という意味…「達観」の域に達している楽観の事です。

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00:04
笑倍繁盛チャンネル、望月まもるです。本日もよろしくお願いいたします。
本日はですね、楽観は達観というですね、この言葉なんですけども、これは単なるですね、何とかなるさっていうですね、無責任な楽観とは違うんですね。
あらゆる事象の裏表をですね、ちゃんと見抜いた上、きっちりとですね、その視点をですね、視野をですね、本当宇宙規模までぶわっと広げた上での楽観というですね、意味なんですね。
こうなるともはや達観の域に達しているっていうですね、こういう楽観のことなんですけども、哲学的なですね、話で言うとですね、
自分にコントロール可能、不可能っていうことを明確に分けてですね、できないことを任せる、誰かに任せちゃうっていうこの潔さがですね、最強の楽観を生むわけですね。
これはね、脳みそも高度な自己制御が行われている状態なんですよ。
我々はですね、日々予期せぬ出来事や困難に直面しますけども、その際ですね、前向きに捉えようと努めるもののですね、どこかで現実逃避ではないかという不安とか、
無理に自分を奮い立たせる疲れとか、こういうことを感じたりもしてるかもしれないですよね。
ところがですね、真の楽観っていうのはですね、単に目をそらすこととか、根拠のない何とかなるさという無責任な態度ではないのですね。
それはね、世界の複雑さとかままならなさっていうのをですね、十分に理解して、あらゆる事象をですね、
なんかこんなもんよねっていうことね、裏表をちゃんと見抜いた上でのこんなもんよねっていうね、
それでもなおですね、心の中だとか実際に表情で笑みを絶やさないですね、そういう境地なわけですね。
この工学とかシステム論の基礎になるんですけどね、この制御理論っていうのがあるんですね、コントロールセオリーとか言われてるんですけどね、
これはシステムが安定して機能するためにはですね、操作可能な変数ですね、
これは入力と外部からの予測不能な影響、概覧っていうのを区別することが不可欠なんですね。
我々の人生というシステムにおいてもですね、自分の意思とか行動はですね、コントロール可能なんですよ、そういう変数なんですね。
ところが、天候とか他人の反応とか社会の動向とか、概覧をですね、完全に制御するっていうのは不可能なんですね。
たっかんしては楽観主義者っていうのはですね、このシステムの構造をですね、ちゃんと理解してるんですね。
変えられない概覧にですね、自分のエネルギーを浪費してシステムを疲弊させるのではなくてですね、
それを受け流して自分が操作できる部分に全神経を集中させるんですね。
これ最適化ですね。
これこそがですね、外側からは揺るぎない余裕だとか楽観だとかっていうふうに映るわけですね。
03:09
次は発達心理学者のエリック・エリックソンという方がいらっしゃるんですけども、
その方は人生の晩年に至る発達課題として統合を挙げてですね、
この統合という言葉は僕のラジオでもですね、しょっちゅうしょっちゅう出てきますよね。
これはですね、自分の人生に起きたすべての出来事ですね。
成功も失敗も喜びも深い悲しみも嫌だったこともですね、楽しかったこともですね、
そのすべてをですね、いやこれで良かったんだって言ってね、受け入れることなんですね。
この統合を果たした状態っていうのは、単なるポジティブ思考とは一斉を隠すわけですね。
これはだから、不能側面を排除しているわけではないと思うんですね。
それすらも自分ストーリーに欠かせない一部、一節としてですね、
受け入れているとても包容力がある楽観なんですね。
だから若年期のですね、何とかなるっていうのはですね、未知ですね。
未知に対する無知っていうね、そこから来るもんだとした場合は成熟した大人の楽観というのはですね、
既に知る苦しみを超えた先にある静かなる革新みたいなところもあるわけですね。
だから自分という存在をミルフィーユのように多層的に捉えてですね、
どのような欠片もどの層もですね、捨て去らないこの潔さがですね、
楽観の楽観というですね、ここにつながるわけですね。
文学の世界ですね、特に古典悲劇とか諸事史っていうものを研究する、
比較文学っていうのがあるんですけども、そこの見地からいうとですね、
悲劇的知恵というこういう概念があるんですね。
これはですね、人生の不条理とか逃れることができない運命をですね、
徹底的に描ききった作品の背景に流れるですね、結局生きることの工程なんですね。
ニーチェが説いたですね、運命愛っていうのがあるんですけどもね、
これは自分の運命がどれほど過酷であっても、それを単に耐えるのではなくて、
あるがままに愛そうねって、そして希望していこうね、望んでいこうねっていう概念なんですね。
世界を美化するのではなくてですね、リアルな世界の姿ですよね。
これをちゃんと直視すると、直視した上でなおこれが私の人生だよと、
もう一度何度でも繰り返してもいいよっていうふうに言い切るこの強さですね。
この境地に達したとき、楽観はもはや単なる性格じゃなくて、
世界に対する最高の哲学的決断ともなるわけですね。
06:01
実際にどうですか皆さんは、自分の人生をもう一回繰り返したいと思いますか。
こういうふうに聞かれてですね、別にいいよもう一回やってもっていうふうに言えたらですね、
自分の人生に後悔はないというふうに言えるんですね。
ところが何か少しでも躊躇があったらですね、それはまだ潔くないと、統合してないということにもなるわけですよ。
だから自分の人生を本当に全てを受け入れ切るという、需要するという、
ここの目安みたいな感じで今の質問っていうのがあったりなんかするんですね。
お次ですね、詩人でジョン・キーツさんっていう方がおっしゃってて、
また精神分析の分野でも重視されてるんですけども、
消極的需要力っていうですね、そういう概念があるんですね。
これはですね、早急な答えとか理由なんか求めない、不確実さとか不思議さとか疑いとか、
こういう中にずっと自分の身を置こうねと、これも能力っていうふうに言われてるんですね。
だから何でも割り切らない、もう答えを出さない、答えを求め過ぎない、こうだって断定しないっていうことですね。
不思議さですからね、世の中はだって科学で解明されてないことのほうが多いわけだから、
だからここに身を置いておいたほうが楽しいと思うんだけどねっていうふうに思いますね。
だから達観したら楽観っていうのはですね、全て理解してるわけじゃないんですよ。
解決しようとする力でもないんですよ。
むしろ解決し得ない問題とか課題とか疑問だとかと共存できる力っていうのもあるんですね。
だから物事を白黒はっきりさせようとしないです。
不透明な現状もそのままですね、自分の中で受け止めておく、棚あげでもいいんですよ。
この宙吊りの状態ですよ。これを許容できる器の大きさですね。
これが結果として余裕になるわけですから、焦りを取り除いたりとか、周囲から見たら大きく構えてるね、あの人はみたいなね、
のんきだねでもいいんだけど、そういうふうな感覚を持たれるということですね。
悲観に沈み込むわけでもなく、あと無理に明るく振る舞うのでもないんですよ。
ただそこにある不確実性っていうものも全部信頼してですね、自分の身を委ねるという感じなわけですね。
それがだから静かな強さっていうところにもつながってくるのかなと思いますけどね。
このように個人の心の在り方はですね、周囲の環境との相互作用にもあるし、そこだけじゃない部分もあるんですね。
09:08
だからね、過度な武装とか警戒心っていうのは周囲に緊張してしまうわけですよ。
これ本人は全然気づいてないですけどね。
意外とですね、被害者意識を持っている方はですね、実は加害者になるなんていうですね、これ心理学的用語ありまして、
加害者になるから周りから人がいなくなっていってどんどんどんどん孤立するみたいな、そういうことになるわけでしょ。
なのでこれ結果としてですね、対立を招いたりだとか孤立したりだとかっていうですね、自己成就しちゃうんですね。
この過度な武装警戒心みたいなものはですね。
一方でですね、内側でですね、もうたっかんした楽観を持っている人はですね、周りの人に対しても開かれている感じで接してますし、
非攻撃的な場をですね、常に提供していたりするわけですよ。
そんなのは勝ち負けを気にしてないし、自分守るための鎧もないし、裸ですが素顔でっていう感じで接してますからね。
だからその柔らかい姿勢がですね、結果として周囲の攻撃性とかを削いだりとか、分断も溶かしたりとか、
調和の取れた環境をですね、自分自身が作り出していってるっていう感じなんですね。
だからたっかんした一人一人がさ、放つ波動みたいなものっていうのはさ、社会全体に必要なんじゃないかなと、特にこの時代は思うわけ。
やっぱり沈んで沈んでみたいな感じになってってますからね。
一人一人孤立していって、どんどん自信なくしていって、どんどん自分の身を守っていって、
でも嫌われたくないために社会に合わせていって、みたいなのはね、よろしくない循環だなと思うわけだよね。
だから自分自身の回復を促すみたいなところにですね、みんながなってった方がいいんじゃないのかなと思うわけですよ。
だから楽観とたっかんっていう境地はですね、現実無視することでもないんですね。
現実深く広く多層的に見つめるっていうことから始まるんですよ。
この世の構造とか万物の仕組みね、これ全部なんか分かりゃしないですよ。
分かんないけども分かる分だけ自分なりに理解してですね。
だからその上で自分が制御できるね、自分のできることとかですね、これを範囲を見定めてですね、
それ以外はですね、もう大きな流れに委ねていく、もう自分以外の誰かに任せていく、お願いする、
こういう選択こそがですね、自分の心に広大な自由をですね、生み出すということですね。
はい、ということでですね、本日も最後まで聞いていただき誠にありがとうございます。
12:02
だから今日もね、起こったこととか出来事に対してですね、
よし、この物語どう展開させようかとかね、
いや、これは私の範疇ではないのでおゆだねします、みたいな。
判別してクラス1日をお過ごしください。
ということで、また明日。バイバイ。
12:29

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