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商売繁盛チャンネル、望月まもるです。本日もよろしくお願いいたします。
さあ、今日からですね、寝ても笑ってもですね、あれですよ、もう、今月半分だけ、もう今年、おしまい。
毎年、こんなこと言ってんな。本当に、何かあっという間にですね、2025年もですね、ぴょんぴょん、ぴょんぴょんと過ぎましてですね、
あと16日、今日入れて16日ですよね。そういうことなわけですよね。
だけどもですね、伏し目、伏し目はあります。確かにね、小読みっていうのは伏し目、伏し目はありますし、
そこの星の配列とか、影響だとかっていうのはあるんですけども、常に私たちはですね、どんな伏し目であろうが、それを通過点としてですね、
じゃあ次に、また、そして次に、つってですね、未来というのの今をですね、どんどんどんどん過去にしながら生きてるのは事実なんですよね。
その中で、たった一つだけですね、2025年、残り16日間、今日も入れて悔いがないようにしていこうじゃないですか。
お、15日か。今日16日だから、あと15日か。あと15日ですよ。2週間少々ですよ。悔いがないようにですね、いこうじゃないですか、ということですね。
本日の話題はですね、かごめかごめというですね、日本の童謡ですね。
これ子供の遊び歌でですね、昔小さい頃、私もこれで遊びましたけども、
まあこれ、不可思議なね、象徴がね、いっぱいね、散りばめてて、なんだこの歌詞は、ということですね。
これもでも、いろんなね、文献だとかブログだとかYouTubeだとかでもですね、いろんな方がたびたびですね、話題にね、してきたものなんですけども、
これ内容どうかと言うと、歌詞はね、かごめかごめ、かごの中の鳥は、
いついつである、夜明けの晩に、鶴と亀が滑った、後ろの正面、誰、わからんくない?
で、この短い歌の中にですね、いろんなこの世界の成り立ちみたいなものがですね、ぎゅっと隠されているということをですね、
そういうお話を聞いたのでですね、今日はですね、この話を共有したいかなというふうに思っております。
ということで、まず、かごの中の鳥ってですね、これですけども、鳥ってのは本来空を自由に飛びますよね。
ところが、かごの中に閉じ込められているっていうね、この状態をですね、何に表しているかというと、
魂が肉体というですね、牢獄にとらわれた状態を象徴しているということですね。
ここに何かと言うと、プラトンがですね、そもそも肉体は魂の牢獄っていうふうに述べたわけですね。
だからこう、肉体は魂を守る器であると同時に、制約ですよね。
前にもお話したと思いますけど、右手を上げようという意識があるから、意識を力識だけでは右手って上がらないんですよ。
体がなければね。意識と体がセットになっているので、右手上がるわけですね。
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同様にですね、右手がここに存在していたとしても、右手を上げよう、上げるぞって思わなければ上がらないわけですね。
なので、これ制約なんですね。制約があるということですね。
あとは制約は、時間という制約もありますね。空間という制約もありますね。
五感という制約ですね。フィルターがありますね。
心感情だって、価値観だって制約ですよね。
こういったものに縛られることで、魂自体が大空を飛ぶような自由、鳥のような自由を失うということなんですね。
ところがですね、同時にですね、こういった制約があるからこそ、
この魂はですね、実感というものを通してですね、学びを深めることができるわけじゃないですか。
だから人間の存在というのはですね、魂があえて不自由だと。
この不自由というものをセットにして体験するですね、カゴの鳥イコール人間だというふうなことなわけですね。
お次、いついつ出会る。
いついつ出会るっていうね、これはですね、魂がいつ過去から出られるのかと、
いつ自由を取り戻せるのかと、こういうことらしいですね。
その解放は二つの道があると。
一個目はもう死ですよ。死、死んじゃ。
肉体が終わりを迎えるわけですから、魂は自然と肉体から離れますよね。
放たれますよね。自由ですよね。
これはもう体というものもそうですけど、時間、空間とか、
罪悪、ジャッジだとか、価値観だとか、感情だとか、こういう制約をすべて解放してですね、
ただ魂という存在そのもの、ここに戻るということですね。
で、もう一個はですね、内観による解放ですね。
自己対話、内観ですね。こういったものによる解放ですね。
だからこれは生きながらにしても、例えば深い内観をしたりとか、
瞑想をしたりとか、こういうのによって魂は自由をどんどん取り戻していきますね。
だから何をしなければならないとか、何をしてはならないだとか、
何を守るとか、何を失うとか、失うのが怖いだとか、何でもいいんですけどね。
こういう思考の織りですね。織りの中に鎖ですね。
こういったものに縛られていますから、
これが解けたときに、肉体を持っていながらしてですね、
魂はどんどんどんどん自由になっていくと、こういうことですね。
だいたい魂が解放されるとですね、そこはもう境界とか制限とか、
そういうものがなくなってくるわけですよ。
だからその分だけですね、これはだから生きながらにしても自由に羽ばたけますよね。
だからいついつ出会うっていうのはですね、死後の世界だけじゃないと。
今この瞬間から始められるですね、到達できる内的な解放ですね。
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こういったものも示しているということですね。
お次、夜明けの晩ですね。
夜明けと晩はですね、本来同時に成立しないじゃないですか。
ところがこの夜明けの晩っていうのはですね、
時間を超えた矛盾の世界ってことを示しているわけですね。
だから例えば生きる死ぬですね、生と死の境界であったりとか、
夢と現実の狭間であったりとか、陰と陽が同時に存在するとかね。
だからこれは何かと言うと、良いとか悪いとかっていうジャッジがない状態ですね。
極がない、二元がないということですね。
ただ存在がそこにあるよということですね。
これはだから仏教で言うですね、空とか、人知覚で言うワンネスと。
だから夜明けの晩っていうのは高次元の境界、
だから二元を超えた場であるよというところなんですね。
ここを統合の場というふうに呼んでますね。
次、鶴と亀が滑った。
これはですね、鶴っていうのは頭赤いですね。
赤いので魂、火ですね。
火ですね、燃える火ね、燃える火ね。
火イコール魂と、これ象徴すると。
頭の中はだから太陽の光とか、冷静天に昇る意志の力と。
亀は水、肉体ということですね。
これ象徴するわけですね。
だから魂と肉体なわけですよ。
肉体、大地に根ざして母性とか、潜在意識とか、生命の基盤とか、
こういったものも包括して表してるわけですね。
火と水ですね。
火と水ですから、それは火と水が一緒になると。
これもだから先ほどの夜明けの晩に近いですよね。
一つになった時に、それは神。
火と水で神ですね、神ですね。
神とは火と水の完全な調和を意味しているということなんですね。
この夜明けの晩というですね、高次元の境目でですね、
鶴と亀は滑ったわけですね。
この滑るっていうのはですね、これ両方あるんですよね。
分離するということですね。
火と水が分離するっていうことが滑るということですね。
だから統合から二元性、二極論になっていったという、こういうことですね。
でもですよ、この火と水の分離っていうのは人間界を生んだわけですよ。
魂と肉体が切り離されるからこそ、精神と物質っていうものがちゃんと存在が生まれたわけですね。
なので、この二元性に満ちた、この幻性、この世界、人間界っていう舞台が誕生してるっていう。
だから修行もできるよ、学びもできるよ、気づくこともできるよって、こういうことになったわけですね。
あとはですね、火と水の統合ですね。
これが滑るっていうのが統合の統と書いて滑るっていうのも読みますからね。
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火と水の統合によって人間が生まれたということですね。
だから火と水を分離すると人間界が生まれたんですけども、
火と水を統合することによって人間が生まれてる。
実際そうじゃないですか。
分かれてる魂と肉体が我々の中で結びついてますよね。
だから人っていうふうに言われてますよね。
だから火と水が滑った、滑ったっていうのは統合したという、こちらの意味でやると人間、魂と肉体が合わさってると、こういうことなわけですね。
だから分離によって人間界という舞台が生まれて、統合によってそこの役者である人間が生まれてるということですね。
この役者こそが人間なんですけども、だから人間は火と水の統合ですから。
だから神の一つの何かしらがこの中に、私たちの中に入ってて、でも純粋な神様ではないと。
こういう存在として、この良い悪い好き嫌いっていう人間の舞台で学びを築きを得てっていう、こういうステージが揃ってますからね。
あとはそこで自分が何をやっていくかっていうような、そういうお話になるわけですね。
後ろの正面、誰、後ろの正面。
これは後ろっていうのは潜在意識とか無意識とか魂。
正面っていうのは潜在意識とかエゴとかっていうことなんですけども、本来だったらこれ矛盾しますけども、同時にやっぱり存在するわけですね。
これは同一化、自分の、統合ですね、これもね。
自己同一化と自己超越っていうね、これがですね、同時に成立しますせということを表してると。
人間はですね、日常ではエゴと同一化して生きてるわけですよ。
例えばね、カレーが食いたいっていうエゴでカレー食いますからね、もうね、そうですね。
ところがですね、背後には常に観測してる人ですね、観測者がいて人間を見守ってると。
これはだから背後霊とかなんかいろんなこと言われてますけどね、神様とかね。
まあね、だからそういった見てくれてる人、ちゃんと見守ってくれてる人の存在に気がついたときにですね、
魂はちゃんと火と水を統合して、神へと帰っていく道が開かれますよというところなんですね。
だから自我がどんどんどんどんなくなっていくという、そういうことでしょうね。
だから後ろの正面というのは分離してしまった人間ですね。
これは再び神様に回帰していく道筋なんだよというようなことなんですね。
だからこのね、かごめかごめのこの歌っていうのは、もうね、サイクルを統合していくためのお話だよという話なんですよ。
火と水が統合が神なわけですからね、もともと純粋な神聖を持っているよということですね。
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で、火と水の分離は人間界が誕生して、火と水の統合は人間が誕生して、
この人間性の舞台の中でですね、役者である人間が誕生して、
で、その分離したものの中でですね、この観測者ですね、後ろから見ている人に気づいてですね、
この人間というものをこうやっていやいやということでですね、再び統合にしていくということですね。
この観測者っていうのが、まあいろんなことを言われるね。
だからね、これが宗教的に言ったら神様みたいな感じ、仏様とかね、そういうふうには表現をされたりする場合もあるだろうしね。
あとは、この世の音を作った人みたいな感じの言い方をする人もあるだろうしね。
だから対象はどういう呼び方でもいいのかなと思いますけれども、
いずれにしてもですね、このカゴメカゴメという歌がですね、こういう内容なんだよっていうのがちょっと面白かったので、
これを今日は共有させていただきましたということで、本日も最後まで聴いていただき誠にありがとうございます。
後ろの正面、誰?ということで、また明日。バイバイ。