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2026-02-26 09:42

#1517 人と人間の違い

#1517 人と人間の違い

人と人間って同じでしょうか?何故表現が異なるのですかね?一般的には「人間は『人と人との間』で成長するもの」と言われてるので、「人」はそれを超えた方々かな?

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笑倍繁盛チャンネル、望月まもるです。本日もよろしくお願いいたします。
人と人間って同じなんですかね。なぜ表現が異なるのかなと思うわけですね。
一般的には、人間は人と人との間で成長するものと言われているので、人はそれを超えた存在なのかなと。
人間は生物としての人であったり、主としての存在を指す言葉。
人間は、肉体を持って欲求を持って喜怒哀楽を抱えて、老いとか病気とか死にますね。
だから本能に突き動かされ、感情に振り回され、時に異国的で、時に残酷で、時に弱く、時に愚か。
人間は他者との摩擦、愛憎、協力、裏切り、許し、共感といった関係性の中で、
傷つき、悩み、葛藤して、それでも少しずつ自分を更新して成長させていきますよね。
他者、自分以外の他者という鏡がないとですね、自分の輪郭すらぼんやりとしか見えない。
孤独の極地に置かれた人間は意外なほど成長が止まってしまうものなんですね。
だから人間は未熟であって、他者との関わりを必然的に必要とするんです。
人間らしいという言葉には弱さとか欠陥という言葉が含まれているでしょう。
だからそういうニュアンス含まれているじゃない。
だから未熟な生き物としての側面も大きいなと思うわけよ。
ただ生きているだけの存在も人間と言えるかもねと思うわけですね。
一方、この間、人間からこの間が取れた人はですね、
人はそこから一歩抜け出して、人との関係性の中から人格を得た状態を指すんじゃないかと思うわけ。
だから他者を認めたり敬ったり責任を負ったり、恥じらい慈しむ、許せると事故を立して他者に配慮できる成熟な状態だよね。
だから未熟か成熟してるかで人間か人かっていうふうに分かれるのかなと思うわけ。
この自らを自らで高められるようになってくると人になれるのかなというふうに思うわけですよ。
だからこう、他者を鏡としてではなくて、ただそこにあるものとして受け入れることができて、
他者との出来事を自分を磨くための道具ではなくて純粋な出来事そのものとして捉えられたりとかね。
あと、他者の痛みを自分の痛みとして感じ取って、それに即して行動を変えられる人っていうのも人なのかなとも思うんですね。
人間は関係性に依存して成長して、人は関係性がなくても成長し続けられて、また関係性があってもですね、それを成長手段として依存しないのかな、だから人なのかなっていうふうにも思うわけですね。
で、他に人を表す言葉がさ、人出なしって言葉があるでしょ。人出なしは人ではないという意味ですよね。
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見た目は人間なのに人ではないってことですよね。
これは他者を思いやる心とか恥じらいとか倫理とか尊厳といった人間らしさすらない人としてのっていうところが書いた状態なのかなと思うわけですね。
人間でありながら人との関係性の中で危惧をしない、利己的で幼稚、残酷で冷たい、他者の痛みわからない、踏み台にする、このままだったら化け物でしょう。
だから化け物だからこそ人出なしと呼ばれるのかなと思うわけですね。
じゃあね、なんで人出なしと化け物になるのかということなんですけども、そこで私は人間の間という字が魔物の間なんだよね。
こういう解釈したんですよ。実際に間がさすって言葉あるからね。
で、民間語源的にもですね、人間間が入る隙がある存在っていう説もあるんですよ。
間が入るとですね、利己性が暴走するんですね。
幼稚な衝動ですね。これすぐに満足求めたりとか、責任避けたりとか、痛みを他者に押し付けたりとか、こういう衝動に自分が支配されちゃうんですね。
だから自分を粗末にしちゃうんですね。自尊心なくしたり依存や破壊的な習慣に陥ったりとか。
これだけじゃなくて、他者も粗末にしますね。道具化したりとか、傷つけたり、切り捨てたりとか、こうしますね。
だから善政とか共感とか責任とか成長とか、こういう意志からですね、完全に外れて曲がっちゃって、ただの本能と欲望の塊になっちゃうんですね。
だから人の成りした人でなし、化け物、魔物ということですね。
だからね、このように人間はですね、人と人との間に立つからこそよ、慈しみとか共感とか成長が生まれ育まれるという美しい側面もあればね、
その間に魔が差し込んでですね、怒り嫉妬、憎悪、残酷さ、破壊衝動が生まれてそこにどっぷりと浸っていくと、
人間ではないものになっていくという危うい側面もあるわけですね。だからこの側面はやっぱり人間という段階の本質的なものってね、なんかあるかなと思うんですね。
人はね、疲れてた時や痛みがある時とかね、傷ついた時、欲が強くなった時に魔に襲われるんですよ。
自分の中にいるんですね。自分の中にいる人に向かおうとする自分、成長しようとする自分を邪魔するんですね。
邪魔ってのは横島ってことですから。横島ってのはボーダーのことね。横の島。だから横に曲げようとする。
縦のエネルギーっていうのが天人地、天地人でですね、古来神道、古神道ではですね、
直木明木というですね、そういうエネルギーであるにもかかわらず、縦のエネルギーに反する、横に行っちゃう、だから曲げてしまうですね、ということになっちゃうわけですね。
それを振り払って、自生して、意識して行動するのが人に向かうこと。横に曲げようとする。自分を邪魔する自分ですね。
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魔が刺す。魔を振り払って自生して、人に向かうということが人であろうとする。
人間から人に向かうことであり、人であろうとするということなんですね。
仏教の側面から見てみるとですね、仏教では悪魔いないんですよね。魔界ないんですよ。
だから陸道という概念だけですね。なので魔はですね、キリスト教とかサタンだと、キリスト教のね、サタンとか悪魔っていうね、こういう存在じゃないんですよ。
だから、自身の中にある欲とか煩悩っていうね、全生から離れる状態。要は自分の内面のことをね、魔というふうに言ってですね。
ただですね、マラというね、キャラクターが登場するんですよ。マラはですね、マラとかマラって言うんですけどね、お釈迦様が菩提寺の下で悟りを広げようとして、修行してた時に現れてですね、誘惑したりだとかね、脅したりだとか、
いろんなことをやって、修行を妨げようとした。悟りにつかないようにしようとしたんですね。
アダムとイブになんかほら、リンゴ食べちゃえって、そそのかして蛇のような存在だなと思うんですけども、もちろんね、お釈迦様はマラを知り遂げたんですけどね。
だからマラは他にいるんじゃなくて、自分の中の欲とか怒りとか嫉妬とか負の感情だとか、煩悩とか執着を象徴してるんですね。
この辺があると自己成長はもちろんなのだけど、悟りに至って輪廻から下脱するのを邪魔、邪魔するからということでのこの概念なんですね。
自分の成長を邪魔するものもまた、横島なマラのマだというようです。
だから仏教的にはね、やっぱりマは外的な悪魔じゃないんですよ。
自らの中の煩悩執着が具現化されたもの、お釈迦様がマラを知り遂げたようにですね、
自分の中にいるマを降伏させることが自己成長であり悟りの道だというところですね。
で、これ朝からちょっと下ネタなんですけども、マラっておチンチンのことをマラって言うんですよね。
下ネタの端休みなんですけどね。
男性にとっては確かに煩悩の象徴でね、人ではない獣的なものに直結する象徴なんですよ。
脳ではなく衝動的なさ、おチンチンの意志で人生を不意にする人多いからね、
本当にね、盗撮の痴漢なの、性犯罪なのというふうにあるわけじゃない。
男性側はこれを起こしてますからね。
こう見ると人間の状態はね、いろいろと危ういなと思うわけですよ。
他者だけではなくて自分の内面を含めたいろんな物事の間で常に揺れ動いてですね、
間が刺してですね、間が入ってですね、
自分で健全な人生をね、自分で邪魔してですね、人出なしや化け物になる場合もね、あるわけですからね。
だからね、人になろうあり続けようという努力をする者もいれば、
間に傾いてですね、人出なしになる者もいるわけですよ。
人出なしはですね、間が人間の間をですね、支配してしまった状態なんですね。
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一方で普通の人間はですね、その間と日々格闘しながら人になろう、人であろうと、
人になっていこうという姿勢の人たちなんですね。
人とはその間にですね、間が入り込まないよう常に自分を理して他者を尊重し続けられる状態なのかなというふうに感じるわけですね。
ということで本日も最後まで聞いていただき誠にありがとうございます。
さあ今日もですね、人として生きてまいりましょうということで、また明日。バイバイ。
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