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#1573 心の檻が広がる時
2026-04-23 13:49

#1573 心の檻が広がる時

#1573 心の檻が広がる時

人は皆、日々、無意識のうちに自分だけの「心の檻」を築き上げて生きています。

それは、自分を守るためのルールであったり、社会で円滑に過ごすための常識であったり、過去の経験から導き出した「正解」という名の柵です。

しかし、その柵が少しずつ外側へと広がり、内側の空間が豊かになっていく瞬間があります。

どんな時でしょうか?

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笑倍繁盛チャンネル、望月まもるです。本日もよろしくお願いします。
人はみんな、日々無意識のうちに、自分だけの心の檻ね、牢屋、牢屋だよ、牢屋、牢屋の檻ね、これを築き上げて生きちゃっているんですよ。
それはね、自分を守るためのルールであったりとか、社会で円滑に過ごすための常識であったりとか、
過去の経験から導き出した正解とか、こういう名前の柵、檻なんですね。
ところが、この檻が少しずつ外側へと広がって、内側の空間がどんどん広くなっていく瞬間があるんですね。
やっぱり、檻が狭いと不自由だ、不自由だと言って、自分で作っているのよ、その檻は。
なんだけど、気づいていないから、不自由だ、不自由だ、私は不自由だ、俺は不自由だなんて思うわけですけども、
その檻をちょっと外に、もうちょい外に、もっともっと外にってやっていくと、この空間が豊かになっていって、広くなっていって、
自由を感じるように、少しは自由を感じる、息ができるようになっていくわけですよ。
だから、どんなときが、空間が広がるのかなと、檻が外に行くのかなという、今日こんなお話をしたいと思うんですけどね。
まずはやっぱり思考だなと思うんですね。
頭の中だなと思うんですけど、脳は効率的に情報処理するために、これは○○に決まってるっていう決めつけ、これステレオタイプですね。
これ好むわけですね。
だから、脳科学の視点で見れば、これはエネルギー消費を抑えるための戦略なんですよ。
ところが、この強くて頑固な価値観が、いや、もしかすると○○に決まってるっていうのが、
いや、もしかすると視覚かもしれないねっていうふうに緩むと、脳内の神経回路に新しいルートが開通するんですね。
これがソクラテスが言ってた無知の地なんですね。
自分が知ってると思ってたことが実は限定的だったと気づいた瞬間は、
うわっ、恥ずかしいなって思うんだけど、いいのいいの。
知性の解放なんですよ。
長年自分の答えこそが唯一無二の真実だと信じて、ようやくつかみ取った答えがあったとしても、
それがどっか間違ってんだなというふうになったときに、
そうだったのかとか、そういうときに心の折りがボンとぶち破って外側にボンとまた行ったりするんですよ。
だから自分の過ちとか不完全さを認めるのは、自分を低く扱うことでも恥ずかしいことでもないんです、実は。
だからより広い領域を自分の中に作るための通過点だったりするわけですね。
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お次が許しですね。
我々は傷つかないために警戒感とか恐れっていうのを身にまとって生きてきたわけですよ。
心理学は何回も話してますけど、心の防衛規制ってやつですね。
特に偽りの領域にいるときはこれだらけですね。
これでも全部囲ってますからね、自分のことね。
でもこの装備が重たいんですね。
目の前は何重にもフィルターがかかるから、目の前の出来事や他者をその一言とか全部誤認してくるんですよ。
はい誤認、はい誤認、はい誤認って言って、全部違う、違う、違うっていう解釈してきちゃうわけ。
だからこそ、こんなもの脱ぎ捨てて誰かや何かに対して心を開けたときは、心の折りっていうのは一気に広がるわけですね。
まるで世界が一変したかのように感じるんですよ。
それはそうでしょ、重かったんですからね。
特に許せなかったことを手放す瞬間っていうのは、精神的な統合においても大きな意味を持つんですよね。
多くの人は許せないという感情を相手に対して向け続けたりしますね。
これがだから恨みだとか、そういうことになっていくわけですけども。
でもこの粘着質で重いでしょ、そんなものは。
その粘着質で重いものを自分の中に宿していたら、余計自分が重くなるわけですよね。
だからどうするかといえば、カタクナが許さないっていう防具、許す文化サングラスみたいな、こういうものを外すと世界の見え方が劇的に変わったりだとか、自分もすごい警戒になったりとかするわけですね。
なぜなら相手を許すことで初めてその奥に隠れていた相手の真心に気づくこともあるからなんですよ。
だから怒りとか悲しみのフィルターを通して何かを見たりとか聞いたりしている間っていうのは、相手の不器用な優しさとか、叱ってくれた裏側にある深い愛情とか、言葉足らずの配慮とか、
あるいは相手なりの精一杯の誠実さとか、そういったものを全部全部自分だけが攻撃だとか、非難されたとか、攻められたとか、そういうふうに歪んで受け取ったり見てたかもしれないからなのよね。
許しってのはお前許してやるわって、これ上から相手に免罪符を与えることじゃないんですね。
堅くならない心や価値観、自分のよ、これを緩めて自分の曇ったレンズを磨き直して、あるいはサングラスを外して捨てる、ありのままの他者の姿を再発見することが許しなんですね。
だからこそ許しは自分自身に深い発見とか洞察をもたらしてくれるんですよ。
プラスしかないの、許しってのは。
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相手への執着手放したりとか、自分の思い込みを緩めたりだとか、静かな視点で過去を見つめ直したら、自分にも落ち度があったなとか、自分が相手にあれ言わせたんだなとか、こういう謙虚な気づきも得られるんだよね。
しかしこれ、自分を責めることとはまた違うのよ。
それまでは自分は100%正しい被害者だという、すごい狭い檻に閉じこもっていたわけですね。
ここから出て、この噛み合わなさとか未熟さとか誤解とか思い込みの強さとか、いろんなものが絡み合って起きた出来事として、全体像というものを客観的に眺められるようになった証拠なんですね、これはね。
この気づきこそが自分の魂の成長をさらに促していくわけですね。
だから自分の非を認めるということはですね、自分の魂を自分で縛っていた正しさね、この場合は被害者としての正しさね、こういう名前の鎖をですね、自ら解き放つことでもあるんです。
相手の真心を汲み取ったり、自分の至らなさを包み込んだりして、分離していた世界が再び大きい調和に自分の心の中で進んでいったりするわけですよ。
また意外な発見も心広げてくれるんですよね。
ずっと苦手だって思い込んでたものが実は好きだったって気づいたりとかね、長年習慣化していた本当は嫌だったんだっていうことにふと気づいたりとかね、あるいはそれをやめる決心したりとかね、
これらは全部ね、自己概念の更新とか再構築ということになるんですね。
だから自分の嫌いという苦手という固定観念を外した瞬間にですね、新しい好きっていうですね、こういう現実が姿を表したりもしますということですね。
あとは行動環境ね、この辺もありますね。
日常のルーチをほんの少し変えてみるだけでも心の折りっていうのがですね、広がってくるんですね。
いつもとは違う道を歩いたりとか、いつもと違う時間に起きたりとか、そういう些細な変化がですね、脳に新鮮な刺激を与えてですね、
世界はまだ私が見てない、知らない自由で道あふれてるんだなっていう感覚を呼び起こすわけですよ。
これまで避けていた挑戦に勇気を出して踏み込んだりとか、それが意外にも楽しかったって感じたりとかすると、自己効力感が飛躍的に高まるんですよね。
だから好奇心が恐れを上回ってさ、未知の領域に足を踏み入れたときとかね、こういうときは自分を閉じ込めていた境界線、檻がさ、
自分でさ、なんか折り付くって、こん中入ってたななんていうね、そういうことにも気づくんじゃないかなと思うわけですよ。
また本とか映画ですね、他社の物語に触れて、そこから得た洞察とかね、
そういうものによってそれまでの価値観とか思考が塗り替えられることもあるよね。
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なので、自分一人の視点では到達できなかった高みって絶対あるんですよ。
これね、他社の言葉を借りて登ってみたりとか、他社からの率直なフィードバックをですね、素直にポンと受け入れてみたりとか、
こういうことをするとですね、自分が見てなかった盲点ですね、ここに光が当たるんですね。
そうすると独りよがりな主観とか、こうに決まってるみたいなね、こういう折りから抜け出したりもするんですね。
その相手とも相互理解し合いながらさ、っていうことだった場合、さらに心の折りは広げられるんですね。
しかしですね、静寂もまた大事なんですね。
何にもしない時間が心の折りを広げてくれる場合も多いんですよ、これ。
静かな時間でさ、ふっと湧き上がるインスピレーションとかね、これはもう論理的思考なんて超えてるもんね。
だから、静寂こそ自我っていう言葉もありますけどね、この折りを広げていくとね、静寂心の折り広げていくとどうなるかというと、
大いなる存在とか、全体とのつながりとか、そういったものを確認させてもらえたりだとか、
それからこそ、古来からね、瞑想とかさ、静寂の修行ね、こういうものが大切にされてきたのも、まあね、うなずけますわね。
またね、自然の中に身を置くのもですね、同様の効果なんですよ。
あの雄大な山々とか絶え間なく流れる川を眺めているとですね、
自分が抱えている解決しなければならない問題とか心の重みなんで、どうでもいいなというふうになってきて、
そのなぜかというと、人がですね、自然の循環の一部だなっていうことをですね、ちゃんと感じられるからそうなるわけですね。
だから、自然界には人間が作り出した勝ち負けっていう二元論的な分断って存在しないんですよね。
ただあるがままに存在するというですね、それで調和しているというね、この状態が存在しているだけなんですよ。
またね、過去の失敗を学びの機会として受け止め直すのもこの調和への一歩なんですね。
失敗をですね、自分を責めるための材料にするんじゃなくて、未来への知恵としてですね、意味合いや概念を捉え直すとですね、
過去の痛みは豊かな経験とか今の自分を構成している要素の一つなんだっていうふうに消化されるわけですね。
だから、折りの話してるんですけども、この折りがあるからこそさ、広がり感じられるのも事実なんですよ。
心の折りっていう言葉はネガティブに捉えがちなんですけども、折りがあるからこそ広がったっていう喜び感じられるんでしょう。
だから、もし何も制約がない、境界もない空間にいたとした場合ですね、自分が自由であることさえ認識もできないよね。
だから自分を縛ってた価値観とか、守ろうとしていたほにゃららとか、恐れていた変化だとか、なんかもういろんなものがごちゃごちゃあってさ、
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でもその一つ一つっていうのは、そのときそのときの自分にとって必要だった守りだったり支えだったということなんですね。
でもですね、それらはいつか役割を得るんですね。
なのでその諸々が静かに崩れ去っていくのを慈しむ、手から離していく、もうありがとうねって、これまでありがとうねって、
もうこれからは不要だからねって声をかけてあげるということが結果として心の折りが広がる。
過去の自分を否定するのではなくて、古い器がさ、古いお部屋がさ、手出間になったなという感じで手放ししながらお祝いしてですね、
より大きい新しいお部屋に引っ越す、自分が脱皮していくというようなそういうものなんですね。
だから心の折りが広がるときっていうのはですね、そこには必ず新しい自分が立っているんですよ。
今まで自分はこうだと信じて疑わなかった偶像が過去のものになるときですね、
前よりもちょっとしなやかでですね、前よりもちょっと透明に近づいた自分に成長するんですね。
まあとはいえですね、はい次、そのまた次、歩む人の前には心の折りをさらに広げるようなことがあるんですけどね、あるんですよ。
でもそれでいいんです。だから人生は楽しいんです。ということで本日も最後まで聞いていただき誠にありがとうございます。
今日も何かしらね、ちっちゃいことでも心の折りがですね、ちょっとでも広がるといいですね。
ということでまた明日、バイバイ。
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