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しょうばい繁盛チャンネル、望月まもるです。本日もよろしくお願いいたします。
今を生きるのが苦しいという方がおりましてですね、その方の相談に乗ってたんですよ。
巷ではよくね、過去や未来にとらわれないで、今この瞬間大切にしようとか言われますよね。
でも自分に自信がなくて、世界中が敵に見えている人にとっての今っていうのはですね、
ただただ緊張と恐怖が続く、地獄のような時間なのかもしれないよね。
だから誰かのアドバイスを責められているって感じたりとか、親切とか思いやりもね、支配されるのかもと怯えちゃったりとかね。
そんな歪んだフィルターを通した今をね、無理に肯定するのもどうかなと思うわけですよ。
むしろ生きづらさを抱えているんだったら、そのまま突き進むとか何もしないのではなくて、
自分の捉え方自体を疑問視したりとか、俯瞰してみたりとか眺める今。
こういうふうな、この今を始めた方が楽になるのかなと思うんですよね。
今日はこの方にしたお話を中心にお届けしようかなと思っています。
世界が敵だなんて感じているときはですね、脳内は常に緊急事態宣言が出されている状態と一緒なんですよ。
このモードに入っていると、脳みそは新しい情報を正しく処理できないんですね。
だから全てに対しても緊急事態宣言ですから、自分の生存を脅かす危険というふうにみなしてしまうんですね。
この状態のまま今を大切にしようと努めてみても、脳は守ること、防衛に手一杯なんですね。
安らぎを感じる余裕なんかないんですよ。
だからまずこの防衛本能が過剰な今を何とか止めてあげられないかなというところなんですよね。
ルドルフ・スタイナーさんという方がいて、
この方は人質学というのをですね、スタイナー教育だとか、農法だとか結構いろんなタブーイヤーに活躍されてた方なんですけども、
この人質学という見地ではですね、我々が恐怖や拒絶を感じているときというのは、魂のエネルギーですね。
自分の魂のエネルギーは自分の内側にギュッと凝り固まっていて、外の世界と交流する窓が閉ざされているというふうに言うんですね。
だからあの人やな奴だって決めつけちゃうとですね、自分の魂を守ろうとするあまりですね、他者の本質ですね。
その人の本質だとか、その人の本音本心だとか、その人のエネルギーであったりだとか、そういったものを見る力を失っちゃってるんですよね。
だからこのままだとどれだけ時間が過ぎようとも、自分の周りには敵しかいなくなっちゃうよね。
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大切なのは窓が閉まってんだなっていうね、こういう事実に気づけるかということ。
それからあとは少しずつでいいからその窓を開けてみる、開けようとする今、ちょっと開けてみる今ということをですね、選択してみるということですね。
だから外の世界が変わるのを待つとかではなくてですね、自分の受け取り方の窓をですね、ちょっとずつ開けてみることが先決なんですね。
実存主義の哲学ですね、哲学の実存主義というのなんですけどね、こちらではですね、人間は自らの状態に意味を与える存在だよと言われてるんですね。
だから自分はダメだとか世界は敵だと、こういう意味付けですね、思い込みですね、強い価値観を持っている限りはですね、その世界が真実として目の前に現れちゃうわけですよ。
しかしですね、ここで客観視ですね、眺めてみるということですね、ここが大事なところですね。
自分の感情を私そのもの、私の中で起こっていることだ、私自身だって捉えるんじゃなくてですね、私の中で起きている一つの現象なんだなという感じでですね、静かにそれを見つめてみるということですね。
なぜ私は今これほどまでに拒絶したくなったのかなとか、なぜこれ嫌な感じがしたのかなとか、なんかこいつムカつくなとか、
なんでもいいんですけどね、湧き起こる感情から一歩距離を置いてですね、静かに観察してみるんですね。
その瞬間ですよね、からですね、感情に支配される奴隷ではなくて、自分の人生を選択する主人にね、戻れるんですよ。
そうなんです。人は無意識のうちに自分の人生の主人だと思い込んですけど、違う。
自分の感情の奴隷になっていたからつらいんですね。
でもね、この時もお話ししましたけどね、当人が今抱えている認知の歪みとか強い警戒心はですね、決して悪いものだけではなかったんですね。
なぜかというと、それほどまでに強く世界を拒絶したり、周りの人を跳ねのけたり、自分を閉ざしたりしてきたのはさ、そうしなければ壊れちゃうほどね、
繊細な自分を必死に守り抜くためだったわけじゃん。
だからその歪みっていうのはかつての自分を救った自分の信念なのよね。
だから戦いが終わった今も古い信念を持ち続けているから、現在進行形で息苦しかったりするわけですよ。
だからこそ、今の自分にはもうこの信念、思い込みは必要ないかもしれないなと。
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これを疑ってみるんですよね。
それは過去の自分を否定することじゃないんですね。
頑張ってきた自分を解放してあげる慈しみだったりするわけですよね。
またこの世界の人間関係っていうのは相互作用で成り立ってますよね。
こちらが敵だって思って接していれば、相手も警戒して結果として本当に敵のような態度を取り始めたりするわけですね。
誰とも関わりたくないって一線を置けば、自ら孤独っていうこの予言ですよ、自分の予言。
これを成就させちゃったりするわけよね、かなっちゃうわけ。
だから周りに誰もいなくなってしまう前に自分に矢印を向けて、
世界が敵なのではなくて、私が世界を敵だと思い込んでるだけなんじゃないの?っていうふうに自問自答してみるんですね。
こういった自分にかける疑いこそが、社会とのつながりを再生させるための一歩になったりするわけですね。
確かに今しかないのは事実なんですよ。
だからこそ、今を怯えとか悲しみとか苦しみだとか辛さとか、そういったものに使うのはもう終わりにしないってこういうお話なんですよね。
だから自分の中で渦巻く感情を一回だけ客観してみて、
責められてるって感じてる自分っていうのをちょっと高いところ、
前にも話したけど、洗濯機の外側から眺めてみるんですね。
そうすると、私は今怖がってんだなとか、自分を守ろうとして精一杯だったんだなとか、
そうしながら自分の感情の正体に気づいたりするんですね。
じゃあ何を改めるかみたいな、どこのところを変えていこうかなとかって、
そんなものをちょろちょろ積み重ねていった先にようやく本当に大切にしたい私の今っていうのが姿を現したりするんですよ。
世界は決して恐ろしい場所はないんですよ。
他人だって本当に善意で溢れてたりなんかもするんですよね。
だからその確信を得るために、まずは自分の目の前にかかっている眼鏡を優しく拭いてみるということをするといいかななんて思うわけです。
ということで本日も最後まで聞いていただき誠にありがとうございました。
見る人が見れば世の中って真っ暗に見えるかもしれないけどさ、
僕もかつてはそんな時ありましたけどね。
でもですねっていう、こればかりは自分がどう思うか、自分がどう捉えるか、自分がどう感じるか、
自分の中で起こっていることが世界の見え方を決めちゃっているのも事実ですからね。
だから今日もですね、目の前にいろんな余計なフィルターがないですね、一日を過ごしていこうじゃないですかということで、
また明日お会いしましょう。
それではバイバイ。