楽を意識しすぎることによる苦の増幅
笑倍繁盛チャンネル、望月まもるです。本日もよろしくお願いいたします。
楽を意識しすぎると、苦を認める。苦楽の話でですね、楽を意識しすぎると、苦を認めてしまうと。
人はみんなですね、日々より快適で、より幸福で、より楽な状態を求めて奔走してますけども、
その追い求める姿勢がですね、皮肉にもですね、自分の苦しみの劣化を起こしたりもするんですよ。
楽を追い求めすぎるというのはですね、無意識のうちに、今は苦しい、私は苦しいと、こういう前提をですね、強くしちゃう、強化しちゃうんですね。
これ、二元性ゆえの苦しみなんですよね。光が強ければ影も濃くなるんですね。
片方への固執は逆の極を生んじゃうわけですよ。
ところが中道の視点にね、例えば中の道で中道ですね、楽も苦も人生の並みの一部だねと、こういうふうに淡々と受け入れられて、
結果として最も楽な境地にね、これが一番楽じゃねえのみたいな、そういう境地に至る近道になっちゃったりするわけですよ。
その中でね、まず二元性っていう仕組みについて考えようかなと思うんですけども、
人の意識ってのは対比ですね、コントラスト、これによって世界を理解するわけですね。
だからこの暑いってことを知るためには寒いっていう概念も必要なんですね。
で、光を認識するには闇の存在が不可欠なんですね。
これと同じように楽を強く意識しちゃうということは、無意識のうちにその対極にある苦をですね、
定義したりとか、際立たせてしまっているということになるわけですよ。
幸せになりたい幸せになりたいって言えば言うほどですね、不幸せが強くなるみたいなね、こういうことですね。
これはね、焦点化ですね。焦点化っていうのは、どこに焦点を合わせるかっていうことですね。
だから何かに強く執着してそれを追い求めるときはですね、我々の脳はその対象がない状態、
欠乏に焦点を当てるようになっちゃうんですね。
だからもっと楽になりたいって、絶望すればするほど、潜在意識には今は楽じゃないよ、苦しいよっていうですね、
こういうメッセージが強力にですね、刷り込まれるということなんですね。
で、これをね、努力逆転の法則って呼んでます。
よくなろうと力むほどですね、現状の良くない部分が拡大解釈する。拡大解釈ですよ。
もうやらなくていいのに、拡大解釈ですよ、しちゃうわけですね。
結果として苦しみが増幅されちゃうわけですね。
この世界は曲線によって成立しているんですね。
光が強くさせばさすほど、その背後に落ちる影はですね、より濃く暗くなるんですよ。
これね、宇宙の普遍的な法則なんです。
苦しみの意味と精神的成長
だから例えばね、永遠に続く楽だけさ、楽にだけにね、固執しようとしちゃうとですね、
振り子を片側にだけ固定するような、おかしなことなんですよ。
でも振り子は片側に大きく振れれば、必ず反対にも同じ力で戻ろうとするもんね、そういうことなんですよ。
でね、またこれまで何でも話してきましたけれども、脳には快楽順脳、快適順脳っていう仕組みがあるわけ。
だからどんなに大きな喜びや楽な状態があったとしてもよ、時間が経てばそれが当たり前の基準になっちゃうわけですよ。
するとよ、以前は楽だと感じてたレベルでは満足できなくなってですね、さらなる刺激とか楽を求めるようになっちゃうわけですね。
だからこのドーパミン主導の追いかけっこは終わりがないのよ。
でね、その基準に届かないかったらさ、それを苦だ、苦しみだ、つらいって判定しちゃうわけでしょ。
だから楽を定義しすぎるのはね、自ら苦しみ感じるハードルをどんどん変えてしまってる、自分にとって不利な状態に置いちゃってるみたいなね、そんな感じがするんだよねっていう話なんですよね。
でね、苦しみを排除すべき悪っていうふうに捉えるのかとなると、
あえてね、逆にその苦しみの中に身を置くということのね、意味とかね、ちょっとその辺考えてみようかなと思うわけですけども、
苦しみは魂を磨くための研石、刃物研ぐ石ね、研石ね、という言葉があるわけですよ。
苦難があるからこそ人は内静したりとかね、他者へのね、慈悲の心だとかさ、謝罪の気持ちだとかさ、こういったね、心を育むわけですね。
精神的な成長も遂げられるって、これがあるわけですね。
だからもし人生がさ、一切摩擦がない落書きで構成されてたら、我々の意識っていうのは深まることも拡大することもないよねって思うわけですよ。
でね、哲学者のニーチェはさ、苦痛は生、生きることへの意志を燃え上がらせるスパイス。
でね、ユングさんは、傷ついた心から本当の成長が生まれるっていうふうに説いてるんですね。
なんでね、苦しみを経験しているからこそ、ふとした瞬間に訪れる平穏がね、何者にもさ、変えがたいね、喜びや至福として感じられるわけですよ。
苦しみを完全に否定することはですね、実は喜びのね、喜びっていう彩りをですね、閉じ去っちゃう、奪われちゃうっていうことになりかねないんですよ。
中道の視点と深い安らぎ
じゃあ、どの辺がベストなんでしょうかって言うと、先ほど中道っていうですね、お話ししましたけど、これは仏教とかで説かれてるやつですね。
中道っていうのは、楽徳のちょうど真ん中でバランス取ることだけをね、指すわけではないんですね。
楽がくればそれを楽であると認めて、存分に味わうということ。
苦がくればそれを苦ですねって認めて、抗わずに通り過ぎるのを待つということなんですね。
中道はですね、どちらの状態にも、状態が来ようともですね、過度な価値判断を勝手に下さない。
人生に流れる波ですから、波なので、そうなんだね、今楽なんだね、そうなんだね、今苦なんだねっていうことで淡々と受け入れる姿勢のことなんですね。
楽になろうと厄棄になるのをやめて、今の状態をですね、判定せずに、ジャッジせずにですね、ただ眺められるようになってくると、皮肉なことにもですね、これが一番深い安らぎを感じるわけですね。
なぜかというと、やっぱり外側の状況、外部状況に左右されない、内側から湧き起こるね、静かな住息感が。
だから、一番深い安らぎを感じるんですよ。
だから、無理にポジティブになろうとしたり、苦しみを力づくで排除しようとしたりとか、こういうエネルギーをですね、とりあえず一旦ここにエネルギーかけない、リソースをそこに入れ込まない、今この瞬間の自分でいいんだなっていうですね、こういう境地が本当の意味で楽なのかなっていうふうに思うわけですね。
楽も苦も天気のように日々移り変わるものでしょう。天気コントロールできないもんね。
じゃあ身を任せれば楽を追い求める苦しみから解放されて、結果として人生で最も楽な境地にたどり着くのかななんていうふうに思います。
ということで、本日も最後まで聞いていただき誠にありがとうございます。
どちらもほどほどに眺めてみようかと、こういう感じでございますねということで、また明日お会いしましょう。
それではバイバイ。