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#1548 「楽しもうとする努力」が逆効果になる理由
2026-03-29 06:57

#1548 「楽しもうとする努力」が逆効果になる理由

#1548 「楽しもうとする努力」が逆効果になる理由

「楽しまなくてはならない。は、楽しくない」

楽しさは心のゆとりから自然に湧き上がるものです。「〜せねばならない」という思考は、脳にストレス反応を引き起こします。個人の自由な魂を、義務という硬い枠に閉じ込めてしまうと、楽しさの本質は逃げていくのです。

また…

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サマリー

「楽しむ努力」が逆効果になる理由について解説。楽しむことは心のゆとりから自然に生まれるものであり、「楽しむべき」という義務感は脳にストレスを与え、創造性を抑制してしまう。真の楽しさは、義務や理想像に縛られず、あるがままの自分を受け入れる心のゆとりから生まれると説く。

「楽しむ努力」が逆効果になる理由
笑倍繁盛チャンネル、望月まもるです。本日もよろしくお願いいたします。
さあ今はですね、「楽楽しい」というこの一文字でですね、いろんな格言表語みたいなものをちょっといろいろとね、書いたり作ったりしたことがありまして、
それをご紹介しているんですけれども、今日はですね、「楽しまなくてはならない」、「楽しくない」、こういう一言でいきたいと思います。
まあ楽しさというのは、心のゆとりから自然に湧き上がるものなんですね。
だからそんで、何々しなければならない、なんていうですね、こういう思考が入ってくるとですね、脳に逆にストレス反応を引き起こしちゃうんですよ。
個人の自由な魂をさ、義務というですね、固いですね、枠に閉じ込めちゃうとですね、楽しさ、楽の本質は逃げていっちゃうんですね。
だから我々は日々の生活の中でついですね、楽しまなければ損なのかとか、この場を盛り上げなければならないみたいな、こういう脅迫観念を抱いちゃうこともあると思うんですね。
ところがですね、なぜか楽しもうと意気込むほど、楽しさというのは指の間からこぼれ落ちたりもしちゃうわけですね。
だからね、何々しなければならないというこういう義務観ですね、こういう思考はですね、脳にとって脅威とか強制とか、こういうふうにしてですね、認識されちゃうわけですね。
この時ですね、脳内はですね、やっぱりストレスホルモンが分泌されてですね、生存本能を使わせる変動体というところが活性化しちゃうんですよ。
一方でですね、創造性、クリエイティブですね、こういったものとかリラックスを司る前頭腰の働きはですね、この時は抑制されちゃうんですね。
つまり楽しもうと、自分をね、クッと上げた瞬間ですね、脳は仕事とか義務のモードに切り替わってですね、純粋に快楽を感じるセンサーが鈍くなっちゃうということですね。
アンダーマイニング効果と感情の自由
だから心理学ではですね、外発的動機づけと内発的動機づけの葛藤というふうに言われてるんですね。
本来楽しさは自分の内側から湧き出る内発的なものなんだよね。
ところがですね、義務っていうですね、何にしなければっていう、こういう枠組みを持ち込んじゃうとですね、楽しさは目的ではなくてですね、果たさなければならないタスク、こういうふうに変わっちゃうわけですよ。
で、これをアンダーマイニング効果っていうふうに読んで、義務、それから報酬とかね、これが介入することで純粋な興味や喜びが失われてしまうっていうね、この現象を指すわけですね。
例えば趣味もですね、仕事にした瞬間にですね、今までの興味喜びがですね、半減以下になっちゃうみたいなのがアンダーマイニング効果なわけですね。
で、人間の感情とか精神っていうのは自由であるときに、あるときこそその進化を発揮すると言われてるわけですよ。
だから魂がさ、義務っていう固い枠ね、狭い枠に閉じ込められるとですね、生命エネルギーの流れは滞っちゃうんですよ。
心も硬直しちゃうんです。
だから楽しさっていうのは言わば魂の呼吸みたいなものなんですよ。
呼吸をしなければならないっていうふうに意識するとですね、苦しくなるんじゃないかっていう話なんですよね。
だから感情もまたですね、矯正された瞬間にそのみずみずしさを失っちゃうわけですね。
だから哲学の実存主義っていうのがあるんですけどね、こちらではですね、真の喜びはただ存在しているというですね、平穏の中に宿ると、こういうふうに説かれてるんですね。
だから何者かでならねばならないと、この役割に縛られたりとか、楽しんでいる自分という理想像をですね、追い求める、これは不自然なんですね。
だからこれはね、今この瞬間の自分を否定することにも繋がりかねないから不自然なんですよ。
だからあるがままの状態を受け入れる心のゆとりこそが、喜び、楽に結びつくということなんですね。
東洋哲学と「日々是好日」の解釈
次、東洋哲学とか宗教的な観点から見るとですね、執着を捨てることは悟りへの一歩とされますね。
だから楽しみたいっていう欲求もまた一種の執着なんですね。
禅の教えにあるですね、日々これ行実っていうのが言葉があるんですね。
日々これ、ぜという字ですね、だから良い日ですね。
これたまに目にすると思うんですけども、これ何かと言うと、楽しい日が良い日なんじゃないよと、
どんな状況であってもその一日をあるがままに受け入れられるような、そういう境地を自分で持ってこうねって、そこの境地に立とうねっていうことを指してるんですね。
だから楽しめない自分がいてもいいんですよね。
自分自身に慈悲を向ける、今の状況をコントロールしようとする手を離すと、これを法的って言うんですね。
この諦め、明らかに眺めることが諦めなんですけども、これが結果として心の空間を作り出して、そこにふとした瞬間の楽しさが舞い込んでくるわけですね。
楽しもうとする意思の本来の役割
でも、何で楽しもうとする努力が必要とされるのかということなんですけども、
例えば困難な状況にあったら意識的に楽しむポイントを探そうとする姿勢っていうのは、これ何かと言うと精神的な回復力を高める手段ともなるわけですよね。
これ、心理学ではリフレーミングですね、物事の捉え直しと呼ぶわけですけども、
多くの受動的な姿勢だと退屈や苦痛に飲み込まれちゃうんですね。
そのような際は、この状況をどう楽しんでやろうかって、能動的に転換する、関わろうとする意識は、
何かこう自分を取り巻く閉塞感を打ち破ってくね、強いエネルギーにもなったりするわけですね。
つまり問題なのは、楽しもうとする意思そのものじゃなくて、
それが何か自分を縛りつける脅迫的な義務になっちゃうことが問題なのよということなんですね。
楽しさは条件が整った時に訪れる
結論として、楽しさというのは作り出すものではなくて、条件が整ったときに訪れるものだと、それから感じられるものだというふうに言えんじゃないかなと思うわけですよね。
だから条件というのは何かと言うと義務とか制限のない心のゆとりなんですよ。
心にゆとりがあるから見つけることもできるし感じることもできるわけよね。
だから自分に対して寛容に、楽しめなくても大丈夫だよと、今やったらここにこうしていようよと、自分を許すと、
そういうときに何か皮肉なことにずっと見つからなかった楽しさの本質が見つかったりとかするんじゃないかななんていうふうにも感じるわけですということで、
本日はですね、楽しまなくてはならないは楽しくないと、こういう言葉からお話をさせていただきました。
ということで、また明日お会いしましょうね。
それではバイバイ。
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