織田信長の天才性
みなさん、おはようございます。
声で未来を創る音声ブランディングコーチの浜田幸一浜ちゃんです。
今日は1月29日、木曜日ですね。
さて、いかがお過ごしでしょうかね。寒いですね、本当にね。
今日はね、ちょっと歴史のお話をしたいんですね。
織田信長がなぜ天才と言われるのか、近代でも通じる生き方、というテーマでね、ちょっとお話をしたいんですね。
本題に入る前にお知らせです。
このチャンネルは、38年間で4,000回以上のセミナー、10万人以上にスピーチ・プレゼンの指導をしてきた、セミナー講師、講演家の浜田幸一浜ちゃんが、
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いろんなエピソード、マインド、心がまみれもお話ししますので、ぜひぜひ最後までお付き合いください。
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インプット3、アウトプット7、自分でしゃべると必ず定着しますよ。ぜひやってみてくださいね。
実力主義と経済発展
さて、今日のテーマですけどね、織田信長がなぜ天才と言われるのか、現代でも通じる近代的な言い方というテーマでお話しします。
歴史上の人物、いろいろ言いますよね、戦国時代。やっぱり結構魅力的なのは、必ず出てくるのはですね、やっぱり織田信長だよね。
織田信長といえばですね、本のうちで開け摘みついひれに打たれてですね、非業の最後を遂げるんですけども、残したものってすごいんだよね、やっぱりね。
何がすごいかというと、あの方はルールを変えたんですね。
というのはですね、当時の侍社会かなというのはですね、家柄がすべて、昔のやり方がずっとそれをやっている。身分の低いものは上に上がらないというふうなものを持っていたんですね。
簡単に言うと、前例主義だよね、あるいは年功序列、最近日本もなくなってきましたけどもね、あるいは空虚を呼ぶ社会、出る杭を打たれる、そういうふうな感じ、今の日本とそっくりなものがそこにもうすでにあったんですね。
ところが織田信長ってそういうのを変えたんだよね。まず身分に関係なく実力主義、それから農民出身の豊臣秀吉をですね、ばってきたんだね、これすごいね。
古いやり方を壊してきました。それは当時はですね、いやいや、我こそはと名乗ってやったわけですね。戦とかなんかところがですね、鉄砲を持ってきたわけ。我々はバーン、それは卑怯だろう、バーンだよね。
もうほんとね、それから経済を回すのにね、楽一桜というですね、重防衛機を持ってきたわけですね。ですから全国からいろんな人が来て、いろいろ飽きないようになって、そして経済的にも全国的に発展していく基礎を作ったんですね。こういう人はなかなかいませんよね。ただ戦で勝つだけだったらわかるけども、そういう経済を回したっていうのは織田信長がすごいなって思うんですよね。
戦術とリーダーシップ
そしてよくうつけと言われましたよね。なんかもう、いろんなところに来るのにね、隠しばったこと嫌いでですね、平気で普通のみなりでですね、いろんな軍備とかなんか出てたそうですよ。だからね、もうあいつら変だと、変わり者だ、相手すんなと言われたそうですね。
何やったかというと、海で潜ったりとかですね、あるいはいろんな人と交わって相撲大会をやったりとかそういうことをやったわけですね。なぜやったかというと、それはですね、体を鍛えるためですね。戦国時代一番重要なポイントっていうのはですね、体力なんですよ。体力。うん。だから体力作りをですね、小さな子供の頃から彼はやってたっていうんですね。
その証拠にですね、彼が軍隊を作ったときに3畳半の槍、1畳が1.8メートルだから5.4メートル、6メートルぐらいの槍をね、使いこなしてたっていうんだよね。それがよっぽど体力がないとできません。そしてその槍部隊を鉄砲の前に組織をして戦に勝っていたんだよね。これってすごいことじゃないですか。
しかもね、そういうことをうつけたと変な人だとみんな離れていくけども、信長の精鋭部隊は離れませんでした。なぜかというと信長っていうのは率先垂範なんだよね。例えば戦に行くときに大将っていうのは日本の場合は一番奥にいるじゃないですか、殿は。
ところがですね、織田信長は戦闘に立っていくんだよね。だから戦闘に立って殿が行くわけだからみんなね、精鋭部隊も一生懸命ついていくわけ。これはね、ヨーロッパなんかそうでね、ナポレオンなんか必ず前線にいて見えるところにいて、まあ軍隊を指揮してこぶしたわけですよね。だからあれだけのものができたわけです。考えてみると日本の戦い方と信長のやり方は真逆だったんだよね。
そしてもう一つ言いたいのはですね、信長は決してですね、ルールだけ破ってやっただけではないってことですね。オーソドックスなところも持っていたってことです。例えばね、今川義元を破った沖長の戦いって非常に有名ですけども、あれ4万5千人いたんだよね、今川義元は。
信長は1千人か2千人くらいそこに突入していって、今川義元は撃つんですけども、これは奇襲ですよね。ところがその後の信長の戦い方っていうのはですね、全部オーソドックスなんですね。ただ違うところがあります。それが行動が早いっていうことですね。
他の部署は軍事をするわけですよ。いろんな部署が集まってですね、どう攻めようかどうやろうかっていうことをずっと会議をして長ーくやるわけ。ところがですね、信長の場合はイエースノーをはっきり言います。ですからパッパッパってみんな動くんだよね。その先鋒に立ったのが豊臣秀吉ですね。必ずですね、信長のことを聞いて、先の先まで全部段取りして、そして戦出ていくわけです。
さらに一番危険なですね、後詰めって言うんですけども、心狩り。一番最後をですね、秀吉はいつもあるわけです。これは危険なんだよね。攻めてる時は強いけど退却してる時にはね、敵から狙われるんだよね。そこを防ぎながら、殿を上手に無事なところまで逃がすっていうのはですね、これは後詰め、心狩りって言いますけどね。
これは心狩りって言ったら殿の軍って書くんだよね。だから信頼があったわけです。という風にスピード感もあったということですよね。ですから何を言いたいかと言ったら、まあ信長もいろんなルールを変えましたけども、9体以前の良いルールも残していたということですね。結構オーソドックスな意味もあったということです。
ですから僕は思うけどね、一気に変えるっていうことは難しいと思うんです。僕自身もそれはできません。ですからね、例えば文章を書く時も、チャットGPさんの力も借りるけども、やっぱり自分が書きたい文章を書いてそれをミックスすることによって、より早く、より良いものが皆さんに、いろんな人に提供できるっていう風なことなんですよね。
だから組み合わせっていうこと、重要じゃないでしょうかね。ですからいっぺんに変えるのは難しいです。ですから徐々に自分ができるところからやってみるっていうことはどうでしょうかね。例えば配信なんかもそうだよ、どうしようかな、やめようかなと思うけどもね、その時にも勇気を持ってですね、少しこの話題を入れてみようかなと思ってやるといいと思いますね。
ですから僕はコミュニケーションとか行き方とか考え方をいつも発信してるんだけども、今日はね、やっぱり歴史の話をちょっとしながらね、やるっていうこともやっていくわけです。ということでですね、今日のお話はこれで終わりなんですけども、織田信長がなぜ天才と言われるか、現代でも立派に通じる近代的化の生き方ということについてお話をさせていただきました。いかがだったでしょうかね。ちょっとは参考になったと思うんですね。
あと、いいね、コメント、フォロー、感想、質問何でもくださいね。インプットしたものは必ずアウトフットしてください。ということで今日も最後まで聞いていただきまして本当に本当にありがとうございます。寒い毎日が続きますからね。防寒対策をしっかりやって、インフルエンザ、風邪なんか引かないようにしてくださいね。ということで今日も一日明るく楽しく元気よくいってらっしゃい。また明日8時8分にお会いしましょう。