2026-01-09 11:40

第439回 英語のリスニングと人間関係は実は同じところでつまずいている!

英語のリスニングができない理由と、人間関係で起こる様々な問題の原因が同じだと言ったら、ピンときますか?

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サマリー

このエピソードでは、英語のリスニングと人間関係におけるつまずきの共通点について考察しています。具体的には、英語の聞き取りの難しさや、人間関係におけるラベリングの影響がどのように彼らの認知を歪めるかについて話されています。

英語リスニングの挑戦
こんにちは。言葉とアートで人の心を導く英語指導メンタリスト、そしてライトワーカーアーティストのはじめ先生です。
このチャンネルでは、心の在り方を整えることによって、英語力や人生を劇的に好転させる秘訣についてお伝えしています。
今日のテーマは、英語リスニングと人間関係は実は同じところでつまずいている、というお話です。
英語学習者の多くの悩みとして、英語が聞き取れないという問題がありますよね。
英会話関係の教材とかアプリのCMで、ダラダラダラダラッと英語を喋って、今のが聞き取れましたか?みたいな、
そんな挑発的なCMなんかもあるんですけど、わざと聞き取れないような英語を流しているというのもありますが、
でもやっぱり実際に英語がバーッと流れたときに、何を言っているか聞き取れないという方は多いんじゃないでしょうか。
ところどころ単語単位では聞き取れるけど、みたいな人も多いのではないかと思いますが、
でも単語1個でも何を言っているかよくわからないというのはありませんかね。
特にこれはアメリカ英語なんかで顕著だと思うんですけれども、
例えばファストフードチェーンのマクドナルドなんかは、マクドナルドなんて全然言わないですよね。
ダーナルくらいじゃないですか。
これ最初にマクドナルドだって言っていると、ダーナルでもピンとくるかもしれないですけど、
言われていないと、普通に英語話者でないとピンとこないと思うんですよね。
例えば他に日常よく使う表現なんかで、ボリュームの良いとかね。
今の分かったかな。分かった人は分かったと思いますけどね。どうでしょうか。
ちょっとハードル上げ過ぎちゃったかな。
ボリュームの良い。今度はどうかな。
もうちょっとゆっくり言ってみましょうかね。
ボリュームの良い。今度はどうでしょうかね。
もうちょっとクリアーにしてみましょうかね。
これはどうでしょうかね。だいぶ分かった人も多いと思います。
さらにはっきり言いましょうかね。
この辺なら分かるという方も多いかもしれないですね。
まだ分からない人のために、
とかだとどうでしょうかね。
あるいは、
とかならどうですかね。
頭の中でGが出てきましたらね。
まずちょっとハードルが高めなのは、
Want to、何かしたいというのが、
短縮形の後もWannaになる。
結構歌の歌詞ってもありますよね。
フル、これは杉山清高とオメガトライブの歌ですね。
歌詞の中にもWannaってよく出ますよね。
またこれも古いね。
このWannaっていうのは、知らないと分からないというのもあるんですけれども、
これやっぱり一番良くないのは、
そういう感じの、
誰もそんな言い方しないよねっていうのが、
スタンダードにあるしなっちゃってるっていうところが、
すごい問題だと思うんですよね。
誰がWhatっていうのをWhatにしたんでしょうね。
WHの音も、
フッみたいな有機音で、
Whatみたいに言う人もいますけど、
ただのWの音のWhatみたいな発音もありますし、
フワッみたいな音を出すときって、
どうだろうね。
人間関係とラベリング
すげえ踊れたときに、
フワッみたいなパソコンに手が当たっちゃった。
みたいなことはあるけど、
どっちかというと普通の、
Waの音に近いわけで、
いわゆるホワットみたいな、
特にホワットみたいな、
トは言わないよねやっぱりっていうところがあるんですけど、
最後のトの音をトって言っちゃいますよね。
これは日本語の特性として、
必ず最後に母音がほぼ入るという習慣があるので、
自分の言語のトに変換しようとすると、
そうなっちゃうってことなんですけど、
でもそれって元々の音と違いますよねっていうか、
自分の思い込みフィルターというか、
自分のルールに無理やり引っ張り込んできていて、
音そのものをちゃんと受け取ってないよねっていうところなんですよね。
そういうもんだって、
自分のルールで決めつけてるみたいな。
これってやっぱり教育の影響が強いんですよね。
ひらがなを習うことによって、
アユウエオの五重音が、
シ音プラス必ず最後に母音っていう、
それを植え付けられちゃうと、
その枠の中でしか捉えられなくなる。
だから文字を植え付けられる前の子供は、
音そのものを真似するから、
そのままネイティブみたいな発音ができるんだけど、
文字を覚えちゃうと途端に難しくなっちゃうっていうのがあるんですよね。
これが人間関係とかにも同じようなことが言えて、
その人そのものを単純に見ていると、
非常に多面的なものがあるんですけど、
そこに誰かが、
あの人ってこうだよねっていう、
ラベリングみたいなものをして、
それが一旦頭にインストールされると、
そのフィルターでしかだんだんその人が見られなくなるっていうね、
こういうメカニズムが発生するわけです。
要するに言葉で定義することによって、
その多面的な要素のあるものの、
ある一面だけがクローズアップされて、
もうそれはそうだっていう決めつきにつながってしまうっていうところなんですね。
例えば〇〇先生は怖いって言ったときに、
そうすると周りも同調して、
あの先生怖いよねみたいになってくるわけです。
要するに印象操作みたいなものが行われて、
一旦その情報が入ってくると、
脳はその情報に合うような、
また次の情報をどんどんどんどん探していくので、
ますます強化されてしまうということがあるんですよね。
それはもうその人の信念となって、
こうだっていうふうに完全な思い込みができてしまう。
認知と仏教的視点
マクドナルドがマクドナルドになっちゃうのと、
同じメカニズムだというふうに言えます。
そういった意味でいうと、
僕はいろんな方から最近、
言語化がとても上手ですねというふうに言われるようになって、
僕もそうやって言語化が上手だってことは言われるまで、
自分の中には言語化が上手だっていう認識すらなかったんですけど、
言語化するということの、
モロハの剣的な要素というのも、
皆さんにやっぱり自覚していただく必要があるんじゃないかなと思うんですよね。
捉えどころのないことを言語化することによって、
すごく理解できたような気になるし、
相当理解も深まる一方で、
言語化することによって、
ある一面の非常に微妙な言語化しにくい部分を
切り捨てる結果にもなりかねないということなんですよね。
本当は物事って、
もっともっと多面的な、もっともっと繊細な部分というのがあるんだけど、
言語化すると言語という一つのフィルターの中だけで捉えることになるので、
そうなったときに、
世界の見方というのがだんだん歪んでいくということがあるわけです。
感覚的には変だなって思いながらも、
言語化された枠の中から、
その枠の中から外へ出るということが
極めて難しくなってしまうという側面もあると思うんですよね。
例えば同じ言語を共有している人が、
その言語の枠の中でしか通用しない、
例えば日本独自の文化や風習があったときに、
それってやっぱり外に出たときに通用しないということが
往々にしてあるんですが、
それが通用しないということに気がつかないということがあるじゃないですか。
例えば日本人だったら列に並ぶというのが当たり前だったりしますよね、
何か待っているときに。
ところがある国の人たちはそういったモラルがないとなったときに、
それを我々の尺度からすると、
モラルのない人たちだ、
ルールを知らない人たちだというふうになるんですが、
ある国の人たちにとってそういうルールそのものが
あまり存在していないというふうになったときに、
それを確かに迷惑なことだったりするし、
腹を立つことなんですけど、
それって、その価値観って絶対なんですかといったら、
そうも言えないんじゃないというところがあるわけですよ。
なので程度の問題はあるんですけど、
我々がいかに自分たちの論理とか、
自分たちの枠内の考え方で物事を認知しているかという、
そういうことを気づいていくということが、
物事をきちんと理解するということには、
すごく大事なんだろうなと思うんですよね。
それぐらい私たちの認知というのは、
びっくりするほど実は歪んでいるというのは、
その言い方もあまり語弊があるんだけど、
私たちの認知というのは、
正しくない場合も多いよということだよね。
だから、般若心経でいうと、
正絹五運皆空という言葉があるんだけど、
正しく見ると、この世のすべてのものは、
すべて空であるというね。
我々の見方によるものでしかない、
その実態というのは、
私たちが思っているものは我々の幻想に過ぎない、
そういう仏教的な立場に行くとそうなっちゃうのかなと思いますけど、
そこまで行かなくても、
我々の認知というものが絶対的なものではないという意識を持つことによって、
いろんな自分にとってはえっと思うようなことも、
そういうこともあるかもね、
ぐらいな距離感になれると、
カリカリしなくて済んだりするところもあるのかな、
というふうに思ったりしたわけです。
ということでいろいろ話が発展しましたけれども、
長い間外国語教育に携わってきて、
やっぱりそこで何が一番大事なのかといったら、
こういった自分の考え方が絶対ではないということとか、
いうことかなってちょっと思ったりしています。
皆さんどんなふうにお感じになられたでしょうか、
またコメントいただければと思います。
というわけで、きょうも聞いていただいてありがとうございました。
きょうのお話がおもしろかったという方は、
いいねやコメント、そしてフォローをお願いいたします。
OK, that's it for today. Thank you for listening.
And have a great day.
11:40

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