英検の現状とガラパゴス化の懸念
こんにちは。言葉とアートで人の心を導く英語指導メンタリストそしてライトワーカーアーティストのはじめ先生です。
このチャンネルでは、心の在り方を整えることによって英語力や人生を劇的に好転させる秘訣についてお伝えしています。
今日のテーマは、日本のガラポグス試験英検は携帯と同じ運命を辿るのかというお話です。
何回か前の放送で、英検の要約問題で急に0点続出、一体どうなっているんだというようなお話をしたのを覚えていらっしゃる方も多いのではないかと思うんですけれども、
今日は英検がこれからどうなっていくのかということに関して、ビジネス的な視点で話をしてみようかなと思います。
英検って本当にたくさんの人が受ける試験で、日本の国内では英語の試験といったら、英検とそれからTOIECあたりがよく知られているんじゃないかと思います。
かなり前の放送で、実は国際的な試験に見えるTOIECというのは、在海の要請もあって日本人が海外の業者に作らせた試験だというようなお話をしたことがあるんですけれども、
これはぶっちゃけあまりよく知られていないですよね。
でも英検になると、あれが日本の試験だというのはわかる人が多いんじゃないかと思うんですよね。
かなり特徴的なのが、絵を見てその絵を描写するナレーションというパートがあるんですけれども、そこには日本の漫画が出てくるんですよね。
それって完全に漫画の文法で構成されていて、例えば吹き出しの種類について何かを言うと、
何かを言っているときには、吹き出しの雲のような形の中から一箇所突き出たようなところがあって、それが口の近くにあって、
それがあるとこれは喋っていることですという記号というか、お約束になっているわけですね。
逆に何かを思っているときには、雲のような吹き出しの下にいくつかの丸がポンポンポンと書かれていて、
頭の上あたりにそれが行くような感じになるわけです。
実はこういったことって約束ごとみたいな感じになっていて、私たちはそれに慣れているから何の抵抗もなくそうだと思っているんですけど、
この漫画の文法というものにあまり馴染んでいない文化の国の人にとっては、これは何なんだろうというふうになってしまうんですよね。
これは例えば落語をし合っているときに、話し手が顔の向きを変えただけで2人の人物を演じ分けているというのも、
これも私たちは落語の文法を知っているからそういうことだよねと我々は普通に思うんですけど、
これは全く海外の落語というものを知らない人が見たら、この人は何をやっているんだろうって最初分からなくてもおかしくはないんですよね。
そんなふうに英検って本当に日本独自に発展してきて、日本人のための英語の試験ということで長い間愛されてきているわけなんですけれども、
先日お話しした通り、今回2025年度の第3回の英検でようやく問題で0点が続出した。
それが指定の語数を一文字でも上回ったり下回ったりしたら問答無用で0点になったということで話題になったんですよね。
これをそうした理由というのが、英検協会が国際基準に合わせているという、そういうような発言があって、
もうその一言でもって、だからこれで正しいんだ、みたいな感じになってしまって、
それに対してかなり多くの人が、いやいやいや急にそんな、みたいなリアクションになったということなんですね。
僕は英検の良さというのは、日本人による日本人のための英語の試験であるというところがすごく良かったと思っているんですよね。
適度に緩みがあって、だいたい伝わればOKみたいな、そんな判定基準だったんですが、
考えてみれば去年ぐらいから、なんか厳しくなってきているなというふうなのを感じていたんですね。
今回の第3回の0点続出というところで、英検協会が国際基準のセファールというのがあるんですけど、
それに準拠した試験にしたいからだという、そんな意図がより一層鮮明になったなという感じがしたんです。
このことを受けて、これは英検にとって良いことなのか悪いことなのか考えてみたんですが、
これ英検が衰退するきっかけになりかねないなとちょっと思ったんですね。
ガラパゴス携帯の教訓
英検が日本独自のガラパゴス試験というふうに僕はよく呼んでいるんですけれども、
それは僕はいい意味で使っていたんですけれども、ガラパゴスといえばガラパゴス形態を思い出す人も多いんじゃないかと思います。
日本独自の非常に多機能な、いわゆるガラ系というものを発展させていって、
最初に電話でインターネットやEメールが使えるようになったにしたのも日本が一番最初ですよね。
そしてそのEメールに写真を添付できるようにして、写メールといいますね。
というふうにカメラ機能を持たせたのもおそらく日本が最初だったと思うんです。
まあそれ以外にもチャックメロを作曲できるとか、
まあまあ本当に機能てんこ盛りの携帯を作っていったわけなんですけれども、
残念ながらこのガラパゴス携帯は世界ではあまり受けなかったんですよね。
なぜかというと海外の人はそんなに多機能を欲しくなかったんですね。
めちゃめちゃシンプルな機能でもっともっと廉価に出していたノキアの話、これも前にしたんですけど、
東南アジアの国なんかで爆発的に売れたのはノキアだったわけなんです。
だからそのガラパゴス携帯っていうのは世界的なシェアを得ることはできなかったんですが、
日本の中だけという非常に限られたエコシステムの中で普及した、
まあなかなか珍しい存在だったんだと思うんですけれども、
世界のニーズに合わせることはうまくできなかった。
それがガラ系が世界的なマーケットで商業的な成功を収めることが難しかった理由の一つなんだと思うんですけど、
グローバルな市場に目を向けるあまり、もともと持っていた日本の強みを凝縮したようなガラ系というものを、
何かの段階でも流行遅れというか時代遅れのものとして諦めてしまったというところがあったと思うんです。
それはスマホの登場もあったからだと思うんですけれども。
英検の国際基準化とAIの影響
そこで今日ふと思ったのは、英検も同じような道筋をたどっていくんじゃないのかなってちょっと思ったんですよね。
英検協会としては試験の妥当性をより高めようとして、そして国際的にも通用する試験として、
セファールという国際基準に準拠したものにしていく。
それから海外の大学の入学試験とかに求められるアカデミックライティングというのかな、
アカデミックな思考というのを取り入れていくという方向性で、
おそらく一文字超えたらアウトとかそういった基準を入れてきたんだと思うんですけど、
それによってそれまでにあった英検の良さ、
日本人ってぶっちゃけそんなに英語ができる人が多くないんだけど、
そういう人たちの目線に降りた形でちょっと優しい試験を作ったというのは、
これは僕はすごく良かったと思うんですけれども、
ここでまた国際基準みたいなものに合わせていくことによって、
英検が本来持っていた良さというのを失うことになってしまうという可能性があるんじゃないかと思うんですよね。
でも国際的な基準に準拠した試験であれば、
例えばTOEFLだとかIELTSだとかそういう試験があるわけで、
すごいレベルが高いのでその試験を受けるに至る人というのは少ないと思うんですけど、
なんなら別に英検なくてもいいじゃんというふうに逆になっていかないかなという気がちょっとするんですよね。
もう一回携帯の話に戻ると、
シンプルな機能と安い価格で、
この前の世界基準というのは世界の人が平均的に求めている最大公約数的な機能という意味で使いますけれども、
そこに徹していったNOKIAって今もう姿見ませんもんね。
スマホにもうまるっきり市場を奪われてしまった状態になっていると思うんですよ。
この英語教育業界においてスマホって一体何なのかというと、
僕はAIだと思うんですよね。
いわゆるアカデミックスキルというね、
求められたことにちゃんと応えているかどうかとか、
そういう点で語数制限とかね。
そういったところでスパッスパッスパッスパッと、
そういう基準で切っていくみたいな試験になっていった時に、
そんなに尺子上下に正確でなきゃいけないんだったら、
だったらもうAIでいいんじゃねっていうふうになっちゃうと思うんですよね。
そもそもがその英語学習の意義というものが、
AIの登場によってもう根底から由来でいるという時代になっているわけですよ。
そうなった時にその英語学習をなぜやるのかっていう、
その根本的な部分に立ち返っていかないと、
ただ英語が読めます、訳せます、伝えられます、
だったら別に勉強しなくたってAIでいいじゃんっていう話になっちゃうわけで、
そうではない英語の価値というものにフォーカスしていかないと、
スマホの前の世代のいわゆる携帯のように一層されて、
その存在価値を失ってしまうと思うんですよね。
独自の強みを活かす生き方
そして国際市場においては、
二大巨頭であるTofurとIELTsという試験があるわけだから、
そこにね、うかうかと出ていっても、
僕は勝ち目がないと思うんですよね。
であれば、やっぱり英検はガラパグス試験として、
日本人による、日本人のための英語があまり得意でない日本人に寄り添った、
日本人の心を育てていくような試験であってほしいなと。
その方が生き残れると思うんだけど、
ちょっと今英検は逆の方向に向かって、
舵を切り始めているなというのを感じているんですね。
まあ僕がそんなことを感じたところでですね、
どうこうなるものでもなし、
自分のビジネス的には、
そういった英検の方向性に合わせた指導をしていくしかないわけなんですけれども、
ぶっちゃけね、今英検に対して僕がどんな気持ちでいるかというのを、
すごく変な例えで言うと、
長い間ずっと付き合ってきた彼女が、
なんか急に変わっちゃったっていう感じ?
前まではね、
まあいいよいいよって言ってくれていたものが、
え?何それ?ダメ?っていう風に変わっちゃったみたいな、
そんな印象を受けているんですよね。
まあまあ、世の中でね、こんなことを言っているのは僕だけかもしれないんですけれども、ぶっちゃけ。
ただね、やっぱりその、
そんなのがあるんですよ。
あの三雷一っていうね、
家があるんですけど、
その中でなんて言っているかというと、
汝の霊気を捨てて、我を見てお咎えをたる。
凶って言っているんでしょうね。
なんのこっちゃって感じかもしれないけど、
汝の霊気、あなたの霊気、霊っていうのは、霊言新たかな亀の甲羅。
亀の甲羅っていうのは、もともと木木って言ってね、
亀の甲羅を火で煽ることによって未来を占えるというところで、
そこに神秘的な力があるという風に思われていたんですよね。
でその、あなたが素晴らしいその霊言新たかな亀の甲羅を持っているのに、
それを捨てて、我を見てお咎えをたるっていうのは、
なんかこう、自分の、その亀の甲羅が素晴らしいものなのに、
なんかつまらないようなものに見えるような気がして、
で、その他のものに対して、なんかこう羨ましくてよだれを垂らすような状態っていうところで、
それに対して強って言ってるんだよね。
まあそういう風に考えるとね、我々その個人レベルにおいても、
自分が本来持っているこういろいろな良い部分があるんだけど、
それをこうなんか周りに合わせていくことによって、
その自分の持っている良い部分っていうのが役に立たないとかね、
あるいはこんなもん大したことないっていう風に思って、
まあそれをこう抑え込んでしまうとか、そんなものは価値がないという風に思って、
で、人と同じようになるようにいろんなものを吸収して、学習して、身に付けて、
いったところがたどり着くのが周りと同じ人になってしまって、
結局狂騒に巻き込まれて生き残れないっていうことになるっていうことだと思うんですよ。
なので、ガラパゴスはガラパゴスでいいじゃないかと。
これですよね、やっぱりね、僕はそれが大事だと思うんです。
僕みたいなよくわからない変人もいるわけですよ。
英語の先生をやりながら絵機もやって、そして絵も描いてね、
まあ時々わけのわからないアニメソングを歌い、
で、これもね、マーケティング的に言うと、
あなたは何の専門家ですかって常に言われるわけ。
マーケティング的にはこの人はこの専門家っていうのが強いんですよ。
だけど、英語の先生はめちゃめちゃたくさんいます。
占い師もめちゃめちゃたくさんいます。
画家もめちゃめちゃたくさんいます。
だけど全部やってるのはめちゃめちゃ少ないと思うんだよね。
だから僕はガラパゴスで生きていこうかなと思いましたっていう話っていうのが、
この結論でいいのかなっていう感じですけど、
まあそんな形で締めてみたいと思います。
というわけでね、今日のお話、よかったらいいねやコメント、そしてフォローお願いいたします。
OK, that's it for today. Thank you for listening.
And have a great day.