宗教について考える(その3)です。


【今回の内容】

神の本質は「感謝」なのでは?/抽象度の高い感謝/牛を尋ねる/有難みを感じたい/個別具体的な感謝がない二人/どんぶり勘定の感謝/選民思想だと思われる懸念/感謝を感じるためのアクション/「正しい宗教」に囚われるな/宗教関連のタイトルは再生数が.../神の導きを感じるラジオ


TIPS:Wikipediaで「感謝」のページを読むと、けっこう興味深い


【パーソナリティ】

とよだ:富士通で働くビジネス哲学芸人。

ショーン:シリコンバレーのテック企業で働くデータの魔術師。


【番組へのお便りはコチラへどうぞ!】

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※このラジオは、個人の見解に基づくものであり、所属組織を代表するものではございません。


#白米FM #哲学 #宗教 #感謝 #囚われ

サマリー

感謝の話から本質的な意味まで掘り下げられ、感謝と認知の関連性や感謝の解像度について話し合われました。彼らは自分自身が受け取ったものを認識していないことに気づき、感謝の気持ちを深める話をしました。彼らは自分が受け取ったものを認識し、認知することで感謝の気持ちが深まり、個別の感謝も大切だと考えています。彼らは宗教や解釈の仕方について話し合い、宗教を押し付けたり洗脳したりすることに違和感を持つことを考えています。

感謝の話の発端
いやー、なんか神の話から感謝の話になったけど。 うん。
いやでもね。 めっちゃ面白かったな。 本質はやっぱりそこなんじゃないかなって思ったね、俺話してて。
うーん。 感謝なんじゃないかなって。 そうだよね。なんか結構意外な繋がりだったけど、それはあるなぁと思った。今話してて。
うーん。 うーん。
でも面白いのが、とよだくんは、自分が誰かにすごい何かしてもらって、それに対して感謝してるとか、それを受け取ったものを認知してるという感じよりは、
もっと何か抽象的な感じでそれを認識してるっていうのが、僕としては何か驚きというか面白いなぁと思ったんだよな。
確かにそうだね。特定の誰かに何かをしてもらって、それに対する感謝とかって。 うん。
あんまないんだよな。 そうそう。なんかよくさ、親が自分のことすごい可愛がってくれてとか、この人にお世話になってとかさ、
ね、祖父が祖母がとかさ、この友達があって、結構それはあると思うんだよ。 あー。
自分がその人に大事にされたから自分もまあ大事にするみたいなこう、自己肯定感とか自己効力感が高まってっていう話は、
よく聞くというかあり得るそうな話だと思うんだけど、 なんかそのトレジャー君の話はあんま聞いたことがないというか、面白いなと思った。
うん。 すごい抽象的だよね。
そうだね。いやもちろん親には感謝はしてはいるけど、 うんうん。
なんかそういう感謝とはちょっと違うんだよね。 なんか次元が違うよね今の話と。次元が違う。うんうん。
なんだこれは。 だから説明できないから、なんか別の概念が必要なんだろうね。
うーん、ちょっとこれは難しいね。 でも僕の中では、
そのなんだろう、とよだくんのイメージしている神とか、 そこに感謝とか認知
が関連しているっていうのは、 かなり面白い発見だとして理解が深まった感じがするな。
あとは囚われに良い悪いがあるとかね。
感謝の認識
うーん、いやーなんか自分で話しててなんかちょっと、 なんかよくわからなくなってきちゃったな俺は。
どうなんだろう、どういうところが面白かった? じゃあもう自分はそもそもそういうことを考えてないんだなって、
僕はどっちかというと認知できてないんだなってことがわかったしね。 きっと。その感謝の気持ちが足りないなぁとは思ってるんだけど、
なんでかっていうのがわかってなくて、 それの1個、1つの原因は認知ができてないと。
自分の受け取っているものとか、 その過去から、そのなんか積み上げなのか、
偶然性なのかわからないけど、自分があるとか自分が持っているものが、 その裏に何かいっぱいあるんだってことが多分いろいろ認識できてないと。
自分に関してもそうだし、よくある話ではさ、例えば目の前の お菓子とかさ、食べ物とか見ても、裏には農家とね、その船を、海を渡って太平洋の裏側で作って、その原材料を作っているさ、
なんか稲業者がいてとかさ、サプライチェーンが意識できると、目の前の1個のこのさ、弁当箱も、
その1つの1つの素材にも感謝ができるみたいなのと、 まあ似たようなことがあるような気がして、そういう裏がちゃんとこう想像できたり、受け取っているものの、
何だろうな、重みというかありがたみが認識できるかできないかは、 感謝する気持ちに、まあかなり関連してくる。
っていうのが、自分としては面白かった。
なるほどと。 今のさ、今ので思い出したんだけど、
昔なんか家族と一緒に、 ステーキを食べに行って、
で、その目の前にある肉、牛肉が、 この牛肉の牛はどういう
人生を歩んでいたんだろう、みたいなことを思いを馳せて、それを家族に言ったら、 すごい気持ち悪がられたんだよね。
何考えてるんだこいつは、みたいな。 だからなんか、そういうなんだろう、裏っていうかさ、
今自分の目の前にあるものの裏に一体どういうストーリーがあるんだろう、 みたいなのを、なんか考えちゃう癖みたいなのが、昔からあったのかもしれないね。
それいくつぐらいの話?
小学校、高学年の中学生ぐらいとか、 じゃないかな。
やっぱ今の世の中は、そういう裏を想像する、みたいなのを、 なかなかしない傾向にある気がするんだよね。
情報がありすぎたりして、ものを表面的に見る傾向とか、 そのスピードを意識するせいで、何かものを記号的に捉えて、
当たり前だと認識しちゃう、みたいな、あることを。
なるほどな。
いや、めっちゃ面白いな。この感謝っていうのは実は、 自分にとっては結構最近のキーワードというか、考えてたことで、
それのヒントが得られたらね、めちゃめちゃ大きいなと思った。 なんで、自分はこういうのに感謝してないんだろう、とかできないんだろう、
他の人はしてるのに自分はできてないんだろうかとかさ、 なんか思っていることがあって、
感謝の解像度
で、他の人は自然にこう感謝できているように見えるけど、 自分ができてないとしたら何でなんだろうな、とか思って、
そこの認知ができてないんだなぁと思って、 その自分が受け取っているものの背景とか、
そこに至るまでの過程が多分想像できてないとか、理解ができてない。
でもしおくんさ、そのなんかサバイバルとかしてさ、 あったかいコーヒーのありがたみとかさ、
あったかい布団のありがたみとかさ、 なんかすごい感じてる気がするんだけどさ。
たぶんそういうのを通して、そうしないと認識できないんだと思う、僕は。 それをしないと日々、例えば会社に行ってとか、
自販機からこうなんかね、ものか買って、勝手には理解できないんだと。 意図的に、そういう状況で初めて気づけるから、
そういうの大事だと思っているのかもしれない。
でもやっぱ、じゃあ感じたいってことよね、心の底では、そういうの。 そうね。
ありがたみを。 感じたいってことは、どうだろう。
その日常の事物、目の前にあるものに対しても、 その思考を働かせれば、
たぶん感じれる気がするんだけどね。 そうだね。増やせる気はしてきたね。今日のこのヒントから。
なるほどと思って。だからそれは大きい発見だったと思うよ。 発見だった。
俺の発見としては、具体的な何かに、あんまり感謝してないっていうのが、 自分の中ではなんか結構意外というか驚き、新発見で。
もっとね、身近な親に感謝するとか、お世話になった誰かに感謝するとか、
なんかそういうのがあっても、もっとあってもいいなと思うんだけど、
なんか知らんけど、あんまないなっていう。
だから僕もそういうのに近いことを思ってたわけよ。 身の回りの人とか、自分の親とか、例えば
他の人が結構感謝してますとか言った時にさ、自分はって思った時に、本当に感謝してるってどういうことなんだろうとかさ、
なんかその、自分だったら別に嘘つく必要ないから、なんかその、どういうふうに心から、
どうしたら自分の中から心に感謝してる状態になるのかというか、どうやってなんだろう、
なってる人はなってるから、なってないならなんかおかしいのかもしれないけど、すでに。
なんていうのかな、なんかそういうことをちょっと考えたり、あとあの、コテンとかでもさ、
感謝を忘れないようにしないとね、みたいなことを何回か言ってたと思うんだよね。
自分たちの、コテンラジオが有名になってて、でも初期に支えてくれた人たちがいて、みたいな。
で、やっぱりそいつたちの感謝を忘れないようにしたいですと。
でもその、感謝を忘れないっていうのは、単純にこの人があれしてくれた、これしてくだったっていうことを、
覚えてるだけとはまた違うことだと思ったわけよ。
なんかその上にもう一個解釈があって、その、なんかそこに何かあるなぁと思ってたんだよね。
で、今日の会話を通して、まあそもそも、覚えてることは大事かもしれないよね、まずそもそも認知してるという意味では。
で、それの恩恵、どんだけプラスだったのかというか、何だろうな、まあ評価しちゃうとちょっと数値にできるようなことじゃないと思うんだけど、
なんか受け取ったものをしっかり認識する、それがまあ心から感謝することに繋がるんだなぁと、解釈できた。
あー。
伝ってるかわかんないけど。
感謝の解像度が一個上がった気がする、僕の中で。
なんかAさんから受けた恩みたいのを、
あ、Aさんからこの恩を受けたなーっていうふうに覚えていることが今言ってる、感謝を忘れないってこと?
えっと、そのなんだ、感謝を忘れない、ん?感謝を忘れない?
いや、感謝するってことは覚えてるだけではないと思うんだよね。そこにもう解釈があって、その受け取ったもののありがたみっていうのは使えないとして、なんか、
言葉が難しいけど、なんかポジティブな何か影響をそれ相応にちゃんと認識すると。
なんかそれが、なんか0.1みたいな小さなものじゃなくて、ちゃんと5とか10とか大きいものだったと解釈できることが感謝を忘れないってことなのかなと思って。
受け取ったものを認識してない
なんか覚えてるだけだと、大したポジティブな影響ではないみたいな解釈もしようがあって、そうすると心からは感謝してないっていうことになるのかなと。
あー、今のってちょっと思ったのがね、一個一個の何か受け取ったものを認識してないなーと思ったんだよね、自分が。
こういうのを受け取った、こういうのを受け取ったって、逐一感じてないし、ちゃんと俺受け取ってない気がするんだけど、でもどう考えてもどんなにどんぶり勘定で考えたとしても、絶対もらってる方が多いよねっていうふうに、なんか感じてるんだよね。
なるほどね。
っていう感覚なんだよね、俺の。感じてる、受け取ってるものを。だから個々の話はなんか全然意識してない。
忘れたり。
うん、正直忘れてるし、そもそも認識してない気がするんだよね。何かいろいろやってくれてることに対して。
個別には、個別には。
うん。認識してないんだけど、どんなにどんぶり感情で計算しても、もらってる方が、もらってるよなっていう感覚になっちゃってる。
でも、それは認知してるじゃん。
まとめて、全部ひっくるめけて、なんかもらったってことは認知してるし、それが大きいっていう認知をしてるわけじゃん。
うん、知ってる知ってる知ってる。
そうそう、だから覚えてるし、それを大きいものとしてちゃんと勘定してるというか、判断してる、解釈してるから感謝というふうになってると思うんだよね。
そうだねそうだね。
うん。
不思議だね。
なるほどね。
自分の心配と受け取り方
正直よく分からない。今回の会で、僕がどう思われたのかがちょっと心配というか。
なんで心配なの?
どういうふうに受け取られたんだろうなって聞いてる人からね。
うん。
なんかちょっと想像がつかないというか。
うん。
なんかその、選民思想みたいなのを感じ取られた。
確かに自分だけって思うと選民思想みたいになっちゃいそうで、あれだよね。
うん。
僕はね、みんなできるはずだと思ってるんだよね。
うんうん。
みんな僕みたいに感謝感じれるはずだと思ってるんだけど。
うん。
どうやら、そうではなさそうだなっていう感じ?
うーん。
まあ全員かどうか分かんないけど、
この、まあね、深井さんが言ってるメタ認知をできるようにしたいとやってることになんか似てるんじゃないかなとか思ったけどね。
あの、手法とは違うかもしれないけど、方向性としては。
うん。
より何かに、悪いものにとらわれずに見るとか、
その感謝を感じること?
まあ自分が受け取ったものを大きいものとして、それを返そうとするっていう、なんか動き自体は、
なんかあんまり、かなり抽象的なレイヤーでは変わらないような気がしてくるんだけどな。
うーん。
うんうんうん。
選民思想のなんか良くないとこは、その他はできないでしょっていうスタンスなのがいけないっていうか、
良くない根源なのかなと思うんだよね。
で、それを理由に他に対して差別とか、何かこう、何か権利を与えないみたいな。
でも、みんな選ばれるよねっていう考え方ってキリスト教と一緒だよね、基本的には。
そうかな。
みんな救われますよねと。
キリスト教の説明的には、救われてる人と救われない人がいるっていう説明なんだけど、
僕はそうは思ってないっていうことだね。
ああ、そっかそっか。
うーん。
感謝を感じることの重要性
うーん。
まあでも、どうだろう。
ポッドキャストだったらそこは、選民思想とは受け取られないような気がするけどね。
ちゃんとこの前後を聞いて、解釈してもらえれば。
どっちかというと、なんだろうね、僕はなんだろう、あったかいというか、
ああ、なんか悟りじゃないけど、何か違うことを感じてるすごいなと思ったけどね。
ああ。
なんか僕はその、あんまり感謝をしきれてないというか、
受け取ったものをちゃんと評価、解釈しきれてないなと思ってたから、
とよだくんの話を聞いて、自分の今ここにいるありがたさとか、
その背景は認知できてないかもと思ったよ。
ああ。
それでさ、知りたくなったっていう気持ちは湧いた?
何を?
自分が今いる境遇がどういう状態なのかっていうのを知りたくなるっていうか。
知れるのかっていうのをちょっとどっか思っちゃうけどね。
厳密に、なんだろうね、これはでも、知りたいと思うか、
なんかどっちかというと認知の考え方の問題な気がして、
本当にある事実を知るか知らないかっていう問題ではないのかなと思ったんだけど、
そこを想像して、
そこに、裏にもその工程とか、ある構造があるとかを思いを馳せて、
かつ、それがただの空想のものじゃなくて、
確かにちょっと知る必要はあるかな。
だから、歴史を知るとか、
何か欲求が出たかというとどうだろう、欲求なのかな。
僕は認識した方がいいなと思ったっていうのが欲求なのかな。
認識した方がいいなと思って、
じゃあこれをやってみようかなとか、
その認識をするためにこれをやってみようかなみたいなのは何か思ったりした?
まあ、何だろうね、もうちょっとこう、
抽象的な話で言えば、
何か見えてないものを見ようとしようとした方がいい。
気づこうとした方がいいなと思ったっていうのと、
あとはまあ、この社会がどう成り立ってきたのかとか、
マクロな意味でね、歴史とか、社会についてよく知ろうとしてるっていう、
今のやってることは悪くない。
一日で何かこう、何かを知れるようになる話なんだけど、
社会を知ろうとする行為自体は、
自分がもらったものというか、
ありがたみを感じる、認知を深める活動にもなってるなとは思ったかな。
どっちかというと個別の、自分の関わってる人の受け取ったものを、
ちょっともう一回見直してみるというか、認知しようとしてみる、
その後ろにあるものまでを想像しようとしてみることによって、
もうちょっと個別の感謝の気持ちが深まったりして、
それを総合すると、
自分の受け取ったものって各方面からいろいろあったなと、
より認知ができるというか、その解像度が高まる気もした。
そこは個々の人とかなのか。
まあどっちものアプローチが必要なのかなと思って、
それを歴史とかを見て、すごいなって思うのも一つだけど、
それだとすごく大きすぎて、
それだけよりは上からと下からのアプローチがあってもいいかなと思って、
ボトムアップの自分の身の回りと、
マクロな歴史とか社会という路線から見て、
上からと下からがつながったらベストだなと思うけど、
結構その距離は遠い気がする、まだ。
なんかね、コテンラジオもそうだけど、宗教の話聞いてて、
正解にとらわれてる感がやっぱあるなっていうふうに思ってて。
宗教も?
宗教の話をする人。
キリスト教ではこれが正しいとか、こういう考え方が正しいとか、
こういう考え方は正しくないとか、異端だとか。
原理主義とかもそうだよね。
宗教を、聖書を正解とするみたいな。
そうそう、聖書をどう解釈するか。
それをやっぱりかなりコテンラジオも気を使って、
なんていうのかな、って話してるなっていう気もするし。
その正解を正しく理解しようとするってこと?
そうだね。
正しい解釈みたいのを正しく理解しようとする。
みたいなのが強いし、そういう話をする人も間違ったことを言わないようにしようとか、
かなり気を使ってるなっていう気がするんだよね。
あるね。
でも僕の解釈だと正解なんかないから、
どう解釈してもいいよねって思ってる部分があって、
もうちょっと正解にとらわれないで、自分なりの解釈というかを意識すると、
もっと楽しくなるんじゃないかなと思うんだよね、みんな。
宗教を勉強するときとかも、正しい解釈を理解しようとするんじゃなくて、
自分にとって都合のいいというか、自分が一番面白いというか、
自分が一番ワクワクする解釈を理解するというか採用するっていうスタンスの方がいいような気がしていて、
そこなんかちょっと最後に伝えときたかった。
確かにいいかも。その方がいいかもしれないね。
そういう正解、これが正しい、正しくないみたいなのを気にしてたら、
多分いつまでたってもそういう宗教心みたいのは芽生えてこない気がするんだよね。
結局、自分しかないっていうか、世界では。
自分が世界であり、世界は自分であるからさ。
他者が決めたこれが正解みたいな解釈を無理やり自分にインストールしなきゃいけないみたいな風に、
宗教と解釈の仕方について
いうようなスタンスで多分宗教とかを学んじゃうと、多分あんまり面白くないし苦しくなる気がするんだよね。
そうだね。押し付けられてるものを取り入れる感じで。
そう。自分の心はそれにあんまりいいなと思ってないのに、
でもそれが正解、世の中一般的にそれが正解だと言われてるからそれを無理やり受け入れなきゃいけないのかなみたいな。
僕もさっき言った三位一体とかは全然受け入れてないっていうか、そういう考え方もあるんだろうが、
なんか僕はもうしっくりこないなと思って、重要視してないんだよね。
だから、何だろう、自分が楽しいようにカスタマイズして理解した方がいいなっていう風に思うね。
特に宗教はね。
何のための宗教かというか、何のためのそういう解釈の仕方かっていうと、自分にとって自分の人生が良くなる解釈を探す参考資料というかって感じかな。
カルト教団とかが良くないのは、そういうのを押し付ける傾向があるのは良くないかなって僕は思うかもしれない。
これが正解なんだと、その正解に沿わないとお前は地獄に落ちるぞみたいな。そういう論法。
かつそれを洗脳みたいな感じでね。
体の生態反応を使って洗脳してるみたいなイメージもあるんだよね。
すごい修行とかさ、お香とか薬とか分かんないけど、いろんなものを駆使して。
もしくは人里はなれた閉鎖区間を作るとかさ、いろんな人間の認知行動科学とかもうまく、
悪用とか、自然なのか意図的なのか分かんないけど、使って洗脳みたいな。
その正解を他の解釈の余地なく押し付けてる感じもあるかも、イメージとして。
もしそういうのを押し付けてくるみたいなので、自分が違和感を持つんだったらそういうのとは離れた方が良いかなって思うね。
神や宗教についての考え方
そうだね。
ちょっとでもやっぱり違和感を持つところは、もう多分それはあなたにとっての正解ではない気がするから、
本当に心の赴くままに、自分がいいなと思うところだけを採用するっていうスタンスがいいんじゃないかなと思いました。
そうだね。
そんな感じかな。
そんな感じですかね。
いやー結構想像してたのと違った内容になったけど、面白かったわ。
こんな感じになるとは全く思ってなかったんだけど。
思ってなかったけど、なんか結構ディープな感じになったね今日。
そうだね。
面白かったよでも、すごく。
どうだったかは分からないですが、あと一個言っておきたかったのが、
過去のラジオとかで、神とかっていうワードがタイトルについてるやつって、なんかね、再生回数があんまり良くないんだよね。
あー避けられるんだ、やっぱり。
だから多分、なんか分からない。無意識なのか分からないけど、避けてるのか。
いやーあると思うよ。
たまたまなのか分からない。
僕みたいな考え方はあるんじゃない?やっぱり。
マジか。だからね、あんまり神とか宗教とかっていうのは、押し出さない方がいいのかなと思いつつも、
あえてやってるっていうことをちょっと言っときたかったかな。
なるほど、なるほど。
分かってやってますみたいな。
僕も多分、1リスナーだったら避けるもん。
マジで?そうか、そうなのか。
最初に言った通り、触れ合わない方がいいと思っちゃって。
とかね、勧誘してくるんじゃないかっていう斜めからものを見ちゃうよね、最初から。
でもこれを聞いてる、今聞いてくれてるリスナーさんがいるってことは、その人も神の導きがあってここにいるっていうことだと、思いますよ。
なるほどね。
普通聞かないのを聞いちゃってるわけだからね。
自分がなぜこれを聞いてしまったのかっていうのをちょっと思い返していただくと、神の存在を感じれるかもしれませんので、ぜひやってみてください。
最後ちょっと新興宗教の勧誘みたいになったけど。
はい、じゃあそんな感じで。
そんな感じで、今日はありがとうございました。
ありがとうございました。
27:54

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