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(音楽)
はい、それとてつあるじを今日も始めていきたいと思います。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今回はインド哲学編終わった後の 雑談ということで、ちょっとのんびりやっていきたいと思います。
はい。ちょっと裏でも話してましたけど、どうしてもね、こうなんだろうな。
一元論的なとかさ、瞑想とかいうと、やっぱちょっとどうしても怪しさがあるよねって話じゃないかも出てたけど。
そうそう、前回の最後なんかさ、むしろさ、このそれとてつあるじによる瞑想とかさ、
マインドフルネスセミナーへの誘導かと思って、ちょっとびっくりしたよね。
そうね。
実は来週セミナーするんですけどみたいなさ。
ここで発表です。
そういうマネタイズみたいな。
確かに。
公演作るって言ってるのにね、公演の中にセミナールーム作っちゃうの?みたいな。
いやー、怖いよね。大丈夫です。そういうスキルはないので大丈夫です。
そういう気持ちもないので。
確かにやっぱりさ、怪しいじゃないですか。僕も怪しいっていうか、怖いとかよくわからないと思ってたし。
なんかね、せめて入門で、本読むのが好きな方であればっていう感じのおすすめの本があって、
仏教3.0っていう本があるんですよ。
ちょっとね、前の本なんですけど、仏教アップデートする仏教か。
これは2013年に出た本なんですけど、仏教3.0を哲学するみたいな、まさに哲学っぽい本も出ていて、
これがですね、禅僧の藤田一生さんという人と、ワンダルマ仏教みたいなのがあるらしいんですけど、
その仏教との山下良道さんと、哲学者の永井ひとしさんという方々が、ある種定談、3人で話すような本で、
このアップデートする仏教の本を僕は読んでたんですけど、結構ね、これが頭でも理解したというか、
仏教とか瞑想ってそういうことなんだみたいな。
そういう話もあるんだ。そういう実践してる方々の。
そういう実践してる方々の話があって、この方々は本当に実践としてやってらっしゃる方々だから。
本物の僧侶だったことだもんね。
そうそう。
そこで実は前回、いわゆる頭の中で勝手に言葉が出てくるとか、言葉が道具じゃないみたいな話したじゃないですか。
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それをシンキングマインドっていう風に名付けてたりするんですよね。
なんか漢字で名付けてほしかったな。
日常的な自我みたいなこと言うんだけど、その漢字で言うと。
(シンキングマインド)ね。ちゃんとあるんだ。ありがとう。カタカナでお願いします。
ちゃんとね、書かれてました。
要は何かっていうと、考えちゃう。僕だってやっぱり思考ってイコール考えることじゃないですか。
頭の中で思ってるってのはイコール思いっていうのは考えるってこととほぼイコールだと思うんだけど。
まあ、そこはね、一個ね。
ある?兄貴の中に。
ごめんね。その流れをぶった切るわけじゃないんだけど。
考えると感じるはある時からは分けてるというか。
いいねいいね。
そこも一人教わったんだけど。
パッと思ったこと、パッと感じたことをどうしても考えたことって混同しちゃう?
はい。
あるよねっていう感覚はあるかな。
そうだねそうだね。
もうちょっと深い話だと思うんだけどね。
うん。でも本当にそれに近い話で、さっき言った通り、いわゆる日常的に頭の中で思い浮かんでくることっていうのは、それは一つの実態というかマインドなんだけど、自我なんだけど。
本来の自我とか、そのレベルじゃない自我っていうのもちゃんとあるよねっていうことを理解すると、そこが区別できますよって話をするんだよね。
今、俺が話したやつのさらに深い話だよね。
そうだね。もう一個深い話かな。
表面的な感じると考えるっていうのがあったけど、その感じるっていうものの奥にちゃんと自分の本質的なものがあるんだよね。
さらに奥に。
うんうんうん。
その考える主体とか、考える自分としての自分で、それを理解する自分っていうと無限にいっちゃうから、それは一元論的にアートマンだっていうのがインドなんだよね。
その感じで、この本は仏教の本ですけど、そういうような考え方とかもしっかり説明されていて、これすごい理解できた気になったのね。朝までは。
とか、瞑想がなぜ必要かとか役立つかとか。
へー、そうなんだ。まだ繋がらないな。
でもさっき、前回も言った通り、頭の中から自分の考え方を排除できるとか、区別できる。
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これはシンキングマインドだから今は付け合う必要ないわとか、そういうふうにできるんですけど、
ちょうどこの山下良道さんという方が鎌倉で、まさにそういう瞑想セミナーというかセッションをやってたので、一回行ったんだよね、僕。
ほうほうほう、行ったんだ。
そう。で、実際その方から色々教えていただいて、座禅体験でしかないけど、こういうふうにやるんですよとか、こういうようなことが大事なんですよとか、ちょっとだけ教えていただいて。
それで、あの瞑想怪しくないというか、別にやってもなんか悪いことじゃないとか。
ちゃんとそういうお坊さんとか禅宗の人に教わるんだったらいいなって思ったのはあるかな。
はいはい、そうか。そういうふうにはちゃんとしてそうな本だったりとか、ちゃんとしてそうな人が書いてる本。で、それが人がやってるのに行ったみたいな感じか。
そうです。やっぱりお坊さんの本を読んだ方がいいと思います。もし本当に瞑想をちゃんとやりたいとかっていう人は。座禅とかね。
とか、あとお寺でやってたりするので、最近。
そう、瞑想も仏教なの?
えっとね。
今、瞑想とか座禅とかって。
確かにね。もうちょっと待ってね、調べようか。
えっとね、瞑想は、なんだろう、もうちょっと、なんだろう、方法付けのカテゴリー?概念で。
ああ、の手段のひとつみたいな感じかな、座禅は。
そう、だから心を静かにするみたいな話で、瞑想っていうカテゴリーがあって、その中にヨガとか、それこそダンスとか、太極拳みたいなやつとか。
ああ、もう含まれてるの?
含まれてる。あとは座禅。
うーん。
うん。みたいなものが含まれてるみたい。
そう。
なので、そういう、なんだろう、手段のひとつっていう感じだね。
うんうんうんうん。
そう、みたいなところで、もちろん諸説ありますみたいな感じになっちゃうんだけど。
みたいな話です。なので、もし、興味が、今回インド自宅の話とか聞いて、興味持っていただいたら、アップデートする仏教っていう本を読んでいただいたりとか、
近くのお寺でやってるような、もし座禅会とかがあれば、そこに参加いただくのは一番近道かなと思ったりします。
なるほどね。はいはいはい。
で、じゃあなんかね、ちょっとさ、これマニキと奥で話したけど、なんかじゃあ、
「ハヤトはどうやって瞑想を知ったの?」みたいな、やってるような話でいくと、やっぱり世の中にいろんなマインドフレーズ本とか、瞑想本とかあるんですけど、
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ちょっと前回も言った、お掌っていう俗称で、名前としては、バグワン・チュリラジニー氏っていう人がインドにいて、
お掌っていうのは本編ではスルーしたけど、いわゆるお掌さん?
お掌って何だろうな、尊掌みたいな感じなんだよね。尊掌っていうか先生みたいな。
なんか日本でも言うよね。お掌さんと同じような感じで、イメージで大丈夫?
でもお掌っていう、こういう名詞で使ってるから、この場合は。
ああ、そうなんだ。
「俺はお掌だ」みたいなのを、多分いつからか言い出したんだとは思うんですけど。
なんかね、ちょっとね、スキャンダラスな人なんですよ、この人は。
インドで、ある種こうなんだろうな、精神的な指導者としていろいろな人に講和とかしてたんだけど、
1930年から1990年までいたので、そんなに昔の人ではないんですよね。
たぶん僕らの親父代とかだったら、もしかしたら知ってるかもしれないんだけど、
なんかね、アメリカとかでそういう宗教団体作っちゃって、一個の国、政治を乗っ取ろうとしたんだよね。
へえ、そうなんだ。
そうそうそう。みたいなことやってたら、アメリカ政府というか、その実際の政府から国外追放になるみたいな。
過激な人だね、なるほど。
結構過激な人で。
なんでかっていうと、要は当時のヒッピー文化とか、アメリカのとか、そういうちょっと新しい文化とかって、
こういうインド的な、そういう東洋的な思想が結構入ってるんですよね。
はいはいはい。
で、いわゆる神にも人もないんだとか、あなたが神なんだみたいな話とかがすごい響いちゃって、
全世界から信者がやってくるみたいな。
なるほど、そうか。当時のヒッピー文化的なところとすごく神話性が高かったんだ。
そういう神じゃなくて自分にアクセスするとか、いうような感覚がね。
だからそういった意味では、ある種の本物なみたいな感じになっちゃって、わーってなるみたいな。
はいはいはいはい。
そうそうそう、っていう人で、で、なんかちょっと怪しいなって僕思ったんだけど、この人が書いてる本とか講話録が残ってるんだけど、
それを読むとめちゃめちゃ深いことを言ってる時があって、すごい適当なこと言ってる時もあるんだよね。
そうなんだ。
でもやっぱりユニークにとか面白く、本質を言おうとしているとか、やっぱりそれをちゃんと伝えようとしている人だなっていう感じはあって、
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なので、その人のね、あの、実は瞑想本みたいなのが出てて、なんか「神瞑想法入門」「和尚の瞑想法集大成」みたいなのがあるので、
絶対怪しいし、奥さんにすごい言われたんだけど、「大丈夫?」って。「この本届いたけど大丈夫?」って言われたんだけど。
そう、精神的に「あんた大丈夫?」みたいなね。騙されてないみたいな。
よかったらAmazonで見てほしいんですけど、「神瞑想法入門」「和尚の瞑想法集大成」ってやると画像出てくるんだけど、ちょっとね、和尚のすごい髭をたくわえたおじさんの顔がパンってあって、
なんかグラデーションのモヤモヤってした、なんだろうな、ちょっと花がポワンって咲いてるみたいな。
ザー怪しいみたいな。
なんかに入信したのかなみたいなね、神瞑ですって。
そうそうそう。届いたら大丈夫かなみたいな。10万くらい払ってないかなみたいな。
はいはいはい。
全然2000円くらいから買える本なんですけど、中古だと。
そこには何個か数十個の瞑想法があって、どれでもいいと。あなたが合うと思うやつをやりなさいみたいなので、一個一個のやり方が書いてるみたいな本なんですけど。
へー。
そう。僕はそれをいいなと思ったやつを試して、10個くらいやった時に、これが自分に合うわって思ったのもやってた。最近やられてないんですけど。
試したんだ、ちゃんと一個一個試して自分に合うものを。
一個一個試した。
へー。さっきのあれ、座禅講座に行ったのと同じ感覚でちょっとちゃんと試したみたいな。
そうそうそう、試してみた。
はいはいはい。
やっぱりそうやってると、さっき5秒くらいで言葉が出てきたとかあったじゃないですか。
それがやっぱり1分になり5分になり10分になりみたいな感じで、ちょっとずつ伸びていって、穏やかみたいな。
はいはいはい。
それはあれなの?悟りに近づく感覚なの?悟りとは何かを理解するための営み的な感じなの?
もっと自分の人生とか自分の感覚に直結した、迷走しようとか、座禅しようみたいな。
なんでやってるのかって言われたら難しいけど、でもなんかそこに何かがありそうだっていう感覚かな、たぶん。
はいはい、確かに野望ではないでもね、確かにね。言葉でこれを説明せよっていうのもね、確かにね。
やっぱなんか、そういうやっぱ仏教とかインドツアーとかの本を読んでると、やっぱりそういう悟りを開いて、そういったものを体験した人しかやっぱり辿り着けない境地があるっていうことだけはなんとなくわかるから。
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あー、なるほどね。そこを扉どうやったら開くのかみたいな話か。
そうそうそう。一人でね、勝手に家でやってる限りは絶対行けないってのはわかってるんだけど、もしかしたら将来的には本当に余裕ができたら、そういうちゃんと指導者とかについて迷走したいなとかっていう気持ちがやっぱりあったりはするんだよ、本当は。
なるほどなるほど。
うん。実践編としてね。やっぱり頭で考えてるだけじゃもう辿り着けない境地があるっていうのはわかったから。
うんうん。なるほど。ちゃんと修行してね。
そうそうそうそう。
どこかでね。
ちゃんと修行してね。
それが仏教なのか、さっきの本の人なのか、どこなのか知らんけど。
そうそうそう。みたいな感じ。ただ、今のところはとりあえずやっぱり仕事もしなきゃいけないし、もちろん家庭を大事にするっていうのは僕の中では大事だから。
そのために役立つ範囲での迷走とか、自分の気持ちをつかせるマインドフルネス的な形でやってみようかなっていう感じですね。
なるほど。そのスタンスはあれか。まさに前回の人生4つの目的みたいなのとちょっと通ずる部分があるんだね。
そうだね。
いわゆる神の世界を目的にしているか、人間の世界を目的にしているかっていう話で、僕は別に今人間の世界を目的にちゃんと生きているので。
うんうんうん。
っていうような感じですね。多分、いないでしょ。周りにさ、自分はこんな迷走をしていてとかさ。
いない。いないいない。
なので、ちょっと面白い事例というかね、サンプルかなと思ってちょっと開け広げにお話はしてるんですけど。
何回もお伝えしている通り、別に僕自身は何かの宗教とか思想だけを押し付けようっていう気はないし。
でもっていうと、それをちゃんと超えて、自分なりに大事だと思っている事をちゃんと頭で理解したり、言葉で表現したいと思っている人なので。
ついにスウェーデンスラジオそっちに行ったかって思わずに。
ついに何かの勧誘が始まったぞみたいな。
もう終わりだみたいな。
そういう風に思わずに、次回からちゃんと西洋伝学サルトルに行くので、そこはご安心いただければと思っております。
ちょっと不安やっぱり、ここまで喋っていいのかっていう不安はあるけど。
でもそうだよね、ジャンルが違うだけで、ある意味、例えば料理を趣味にしようとか、料理を極めるとか、道の達人の視点というものを何とか自分も感じてみたいという時に、
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じゃああらゆるレシピを見るだけで済むかとか、世界中を食べ歩きするだけで済むかみたいな話で、やっぱりそこは自分で作るだったりとか、
もっと実際に食材のあるところに踏み込んでいって、食材のプロフェッショナルに教わりながらそれを作って食べてみるみたいな。
それに近いよね、そういう頭で理解することを自分がちゃんと身体的に、ちゃんと経験して、それをもう一回自分で消化して、自分の中にもう一度、
当初頭の中に捉えただったりとか、最初に勉強したことが本当なのかっていう、その仮説の検証みたいな話だよね。
そうそう。よく言うと。よく言うですよね。よさそうに言うと。
本当そうで、ちょっとこれは全部は言えないですけど、やっぱり僕は東京にいた時に、そういういろんなセミナーとかでも参加してたっていう話、ちょっと前にしたっけかな、してないかもですけど。
ああ、そうね、ビジネスセミナー的なのとかでも、結構手当たり次第、自分が辛い時にいろいろ言ったみたいな話はしてたと思う。
そうです。ビジネスセミナーも行ったし、ちょっと怪しいなって思ったものも結構言ってた時期があって、そういうことをスピリチュアルとか、
やっぱりあなたの神と話せるようになります、みたいなセミナーとかも行ったりしてたのよ、実は。
それはその時の心情としては、神と話せるかもだったの?
それは知っておこうと思った、こういう世界を。
はいはい、それはすごいね、さっきの料理で言うと下手者料理もちゃんと食っとかないととか、あとまずいと言われてる料理も一応料理として成立してるんだから、ちゃんとそれも食っとかないとみたいな話に近いのか、いわゆる高級料理とかだけしか知らないとかじゃなくて。
そうだね、あともっと言うと、例えばフランス料理の人なんだけど、なんか、なんだろうな、例えば世の中でおいしくないって言われる料理があったとして、仮に。
それでもこの人はおいしいって言ってるとしたら、なぜこの人はおいしいと言ってるのか、本当においしいのか、この人の味覚が自分と違うのか、ということは知っておきたいじゃない。
じゃあちょっとそういうフィールドワーク的な感覚で言ってたのか。
そう、フィールドワーク。で、やっぱ言ってたらすごいのよね。やっぱり自分は宇宙のへそにあるなんちゃら神と、今直接やり取りをして皆さんにお伝えしてますとかってやっぱりいるのよ。
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あー、はいはいはいはい。
で、やっぱり全然響かないよね。何かがこいつって思うんだけど、周りの人はすごいみたいな、自分も話になりたいってやっぱり人もいたりして。
はいはいはい、なるほどね。その感覚とは何かって話ね、お互いね。それを発信する方もだし、それを受信しちゃう方もだし。
でも確実にそこには受け手と送り手のコミュニケーションが成立してるんだよね、その場では。
やっぱりそれって何だろうとか、それってどうしたんだろうっていうのをやっぱり知りたかったんだよね。
なるほどね。そりゃフィールドワークか。なるほどなるほど。
もうちょっと潜入操作チックではあるんだけど。
どうなの?そういうのってやっぱりその後も連絡が来たりとか、次のセミナーとか、やっぱりあるの?
実はそこは結構しっかりしてて、この人会わないって思ったら不可応しないんだよね。壊されるから、コミュニティが。
あー、なるほどね。
僕が言ってさ、違和感があるままさ、全然ピンとこないですとか、あれって本当にどういうことなんですかって聞いちゃったら、破綻しちゃうじゃん。
そういう人は多分不可応しないんだと思う、ちゃんとやってる人は。
なるほどね。はいはい。
じゃあ、ハイトには特に会員来なかった?
来なかった。でも一回お金払ったよ、ちゃんと。
普通に半年くらいのプログラムを数万かけて受けた。
ガチの潜入されたね。すげーな、一回金じゃないんだ。よく行ったね。
ここはギリ行けると思っていたところがあるんだけど。
むしろそれをシリーズでやってほしいわ。
いやー、怒られちゃうじゃん。
潜入捜査の結果、ちょっと特定できるよね。
別に、その経験じゃ僕良かったと思ってるし、全然その人たちがやってることもわかる。ただ自分に合わなかったって思ってるから。
別にそれが悪であるとか、悪徳であるとかっていうことではなく、ちゃんとコミュニティとして成立している以上は、法とかモラルに則ってる。
法愛の値段を出しているとか、いわゆる世の中的な布団とかつぼられるとかって話ではないから。
あくまで真面目にやっている分には。
そうそう。それで救われる人がいるのもわかったし。
ただやっぱり僕の感覚としては、それで救われているっていうのは本質的ではない。人生の悩みとか苦しみっていうのは、それでは本質的で解決されないから。
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そうだよね。それ言っちゃうと申し訳ないけど、結局それって自分の本質にはアクセスできてないもんね。
そう。そうなんだよね。
自分の表層的な部分をちょっと書き換えてもらってるだけで、何か出ないもんね。
何か出ない。でも全然それで整う人もいるんだよ。例えば夫婦で来てて、夫婦仲が良くなりましたっていう方もいらっしゃったから。
へー、なるほど。面白い。
そうそう。
それならOKなんだよね、別に。
面白い。そういうの行かないとわからないね。一人で「あー」って聞いてるのに「うんうん」って聞いてるんじゃなくて、何人かで聞けるとかも全然あり得るのか、友達、夫婦とか。
そう、あり得る。あり得る。あり得るとか全然あって。
もちろんね、カルトとかの話がどうしても世の中的にもあるから、あんまりそういうのは行かない方がいいんですけど。
うんうん。
でもやっぱり境目でちゃんと人を救っている人たちもいるし。
まあ確かに難しいとこはね。そっかそっか。カルトも結局それが全部ダメだ。これあれだよ。去年めちゃくちゃ話題になったからね。
そうね、日本でね。
変なことは言えないけれども、結局どの側面から切るかとか、その中で誰がどうしちゃったかみたいな話もあるもんね。
だから明らかに生活を挟まさせるとか、いわゆる組織の方が強すぎて、従属性が違ってるっていうのは僕は良くないとは思っているんだけれども、ある種最当の関係でちゃんと一定の世界観を学べるとかっていうのは、なかないなとは思っていて。
まあやっぱりそれは僕は満足しなかったから、哲学とかも勉強するようになりましたみたいな感じですね。
はいはいはい。まあそれはでも難しいね。なかなかその感覚で最初からセミナー行こうという人はほぼいないだろうしね。
そうだね。
それは。
うん。
でもちょっと怖いじゃん、やっぱり。
怖い怖い。
まあじゃあそういった意味で最初に紹介したような、ちゃんとした。
そうですね。有名なお寺でやってるやつとか、お坊さんがちゃんとやってるやつとかであれば、そんなに変なことはならないとは思うので。
うんうんうん。まあ興味があればあった話ですね。
そうだね。あとは怪しかったらすぐ逃げる。本当それは大事だと思います。なんか変なお子を抱かれたとかわかんないけどさ、そういうのがあるとしたら。
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ああ。はいはいはい。
そういうのってなんかある?そういう危機感を感じた瞬間みたいなのって。
いや、僕はない。でもやっぱりね、場合によってはそういう怪しいところとかもちろんあるだろうから、あんまり気合が悪いな気持ちはやっぱりいかない方がいいですよね。
そっか。なんか全然今までの、あれだね、それで大丈夫の雰囲気とちょっと違うね。ちょっとこういう話題になってくると。面白い。なんかそれはそれで面白いな。
別に兄貴にも言ってなかったしね。もう10年前くらいの話だけど、別に兄貴にも話してなかったから。
いやでも結構重要な話だよね。自分みたいな素人が、例えば、要はちょっと行ってみるかってさ、良さそうなところというか、行ったとして、お子を抱かれた。これって体いいんですよって抱かれたとして、確かにな、その危機感はないかもしれないもん。
そうだよね。
うん。
なるほどね。
それは明らかに怪しいし、本当にやばいから逃げなきゃみたいな感じ多分なるよね。
下手したらもうその場で立って帰るくらいした方がいいくらいの話になってくるんだね。
何回も言うけど、ネットで見つけて適当に行くよりは、そういうお坊さんとかお寺とか、あるいは知り合いがそういう人がいるんだったら、そういう人に聞いてお勧めしてもらうとかの方が絶対いいとは思います。
怪しいものではないんだけど、どうしてもそういうところと世界と近いので、ビジネスセミナーとかよりは。
はいはいはい。
難しいよね。僕も今こうやって言えるのは、悩みを通ったからで、そもそもやっぱり幸せについて語るのが怖い恥ずかしいっていう時代もあったし、
こいつ何言ってるのって思われそうだなとか、
やっぱりそういうことをスピリチュアルとか精神みたいなことを話すと、こいつ大丈夫かなみたいに思われちゃうんじゃないかってやっぱりあるんですよ。今でもちょっと。
ちょっと警戒はするよね。
そうそうそう。なんか勧誘されるんじゃないかとか、やばいこと言われるんじゃないかとかって思うじゃないですか。やっぱりこんだけソレッドスラジオで哲学者とかについても話していれば、一定の立派な方とかも、それなりにちゃんと職者なんだろうなっていうことは伝わっているんじゃないかって思って今喋ってるんですけど。
はいはい。いたら嬉しいなと。
そこは伝わっててほしいな。実名でやってるからさ、こいつやべぇやつだってやっててさ。
確かに。
そう。
そうだよね。
このカンノさんっていう人は、そういうスミナとかに行ってスピリチュアルのことやっていたようですみたいなことだけ聞いてられたら怖いじゃない。
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確かにそうだよね。これがそうだよね。なんかハンドルネームアーツメンとかでやってたらちょっと怖いかもしれないけどね。
確かに。
そうそうそう。
そこも含めて僕は大事だと思ってるし、自分が経験したことだから話せると思ってるから、なんかね、面白いんじゃないかなというか、役立つこともあるんじゃないかなと思って話してますけど。
まあでも確かにそうだよね。怪しい怪しいみたいな話はしたけれども、前回の全員とさ、インド鉄学、その前にもね、やっぱりもっとブッダの話とか、ナンガルシナとか色々やってるから、東洋っていう視点で言うと、
そこを興味持ってもしね、ラジオを聞いて面白いと思っていただけるっていうことがあったとしたらすごい嬉しいけれども、じゃあそのそれを興味持った時に自分での深め方とか、自分でのハマり方みたいな意味では、やっぱりその西洋よりも東洋の感じは、
まあザゼンならね、お互いザゼンならばないけど、確かにね、ちょっとこう怪しい扉を開いてしまう可能性が出てくるっていう。
そうだね。結構そこって難しくてですね、やっぱり西洋鉄学だったら、やっぱりその著者の本とか解説本を読んで、外から理解するってことができるんだけど、やっぱり仏教とかそういう名誉とかになっちゃうと、自分にベクトルを向けなきゃいけないから、
そこでなんだろうな、怪しい扉を開けるっていうか、普段は考えない領域に足を踏み出しちゃうんだよね。自分って何?とかさ、要は鏡見てさ、お前は誰だって言い続けるみたいな話で、
ちょっとね、怪しいとか普段考えないから苦しかったりするんですよ。物語が必要ないならやる必要ないと思うし、やっぱりそれに踏み入らなきゃいけない人ってやっぱり世の中にはいっていて、
そういうタイミングがあって、自分の人生とは何かみたいなことを考えつつるときに、鉄学者とか小説家の本を読むのもいいんだけど、仏教的なとか、
そういうとよう的に自分に向き合う手法もあるよっていうのを知ってるのは、それはそれでいいんじゃないかなっていう感じですかね。
はいはいはい。いやー面白いね。さっきのハヤトの潜入調査に近い科学っていうのはすごいなるほどと思ったんだけども、自分の場合は世界はスピリチュアルとか聞いたときに、
みんな怪しいと思っちゃう。それはストレオタイプだから、それはそれでもったいないというかね。なんかずるいと思ったから。だってやっぱ怪しいと思ったってことはこっちがマジョリティだみたいなのさ。
33:07
全然その潜入調査もしてないし、瞑想だとか座禅とか、そういうスピリチュアル的なものの文化っていうものを知らない中で、ステオタイプで判断しちゃってるっていうずるさがあるから、
なんかハヤトみたいにね、そこを可能な限りフラットな感じで、もしくは自分的には知らせたらないかっていうのはあったと思うんだけども、そういうスタンスでやっぱり、実際に足を踏み入れた人、目にしてきた人だいたいという感じで。
そうね。 足ってのはやっぱり、ちゃんと、なんか面白い、純粋やっぱり面白いなと思ったし、なんかそういう、自分の浅はかさみたいなものをちょっと突きつけられた感じがして、反省してるんだよね。
うん。思う思う。本当に。 はいはいはい、なるほどね。
まあそうだね、やっぱりその常識をね、もちろん一定力はあって、それに近づかない方が、まあ君子や危うきに力らずみたいな感じで、やっぱりその方がまあいいんだよね、多分。
うん。 普通に生きていく分にはね。
一定、なるほどね。はいはいはい。
確かになんか兄貴みたいに、何かもうちょっとちゃんとしろとか、意外とこれってステロタイプで常識的に思っただけだったみたいに感じること自体がね、自分のこうある種思考の枠を広げるというか、考える力になるとは思うから。
うん、確かに。何でもそうか、さっき料理の話もしたけどね。結局じゃあその幻の食材を求めて、いやまあ僕に言ったら死ぬかもしれないしね。
そうそうそうそう。 危なくてみたいな。
そう。 私同じだよね。
同じ、だから別にスーパーで並んでるのでもいいじゃないっていうのもあるし、まあすべて間ぐらいの牧場に行くぐらいだったらいいんじゃないとかね、あるじゃないですか、グラデーションは。
僕もいきなりやっぱりね、そういうザ・カルトみたいなところに行くとかやっぱりしないし、もちろん多分今後も行くこともないし、やっぱりね、その辺はグラデーションがあるよなと思うし。
僕とかは本当にそこの浅いところしかもちろん知らないですけど、本当に深いところの話を聞くと多分もっとね、すごいいわゆるレポルタージュというかドキュメンタリーみたいになるんじゃないかな。
そうね、別の仕事になるね。
そうそうそう。
あと別のラジオになるね、それ。
別のラジオになる。
はい、みたいな感じですね。
うんうんうん。
ごめん、結構喋っちゃったけど、どうでした?何か兄貴的には。
ちょっとね、時間的には多分もうちょっとさらっと感想を聞いていいな感じだったと思うけど、インド哲学と禅と踏まえてどうでした?
そうね、やっぱりそもそもインド哲学っていうものを、やっぱり仏陀の話とか聞いた段階である程度やっぱり問いを捉えた気がいたから、その前段階あるんだなっていう話も聞けてよかったのと、
36:10
はいはい。
なんか別でやるか、もしくは今回の補足とかでもし可能だったら教えてもらいたいんだけど、なんかさ、やっぱり仏陀がバラモン教とか古代インド哲学を乗り越える理由があったというか、何を乗り越えたかみたいな。
これを今回多分ちゃんとお話ししてもらえなかったから。
あー、そうね。
で、やっぱり前回もさ、バラモン教だったりとかインド哲学自体に不良があると思い込んでたからさ、
はいはい。
なんかその辺なんかもしなんかあったらちょっと話聞きたいなと思ったり、感想というよりは。
ありがとうございます。そこはちょっと補足してもいいかもね。若干そこをちょっと小話的に挟ませていただいて、いざサルトルでもいいかもしれない。
うん、あ、そうなんだ。一回分ぐらいになるぐらいのボリュームになっちゃう。
なるなる。うん。し、今回全然インド哲学の話、もちろん触りはしたんですけど、ファクはできてなくて、
うん。
要するに仏教みたいにインド哲学も、なんか6つかな、忘れちゃったけど、いくつかに分かれるんですよ。
へー、あ、そうなんだ。
そう、途中で言ってるのは、無にも種類があるみたいな話とか、
うんうんうんうん。
それね、ちょっとこぼれ話的なものもあるので、そのぐらいはちょっとお話ししてもいいかなっていうのを今思いましたね。
うんうんうん。あ、そうなんだ。
へー。
なんかそうね、せっかくなんかそのインド、そう古代やったから、
うん。
なんかね、ブッダの時代の仏教、原始仏教とか、
はいはい。
このなんか橋渡しみたいなのはね、ちょっと面白そうだなって思って。
確かにね。
OKOK、ちょっとじゃあそこはね、あの、よかったら準備してこようかなと思います。
うんうん。
はい。まあ当然僕もね、やっぱり詳しく本当に知ってくれてるかっていうか知らない部分もあるので、
まあいって僕が面白いと思ったところとか、なんかその壮絶ラジオ全体として、皆さんにお伝えしたいことをちょっとピックアップさせていただいたっていう感じでしたね、今回。
はいはいはい。
あの話、よかった楽しかったーと思って、あの、インド哲学の話やっぱ好きだからさ、なんか途中ね、やっぱテンション上がってたと思うんすけど今回も。
うんうんうん。
うん。
まあ聞いてくれないからさ、何回も言うけど。
まわり。
うん。
まわりの人がね。
うん、聞かないよね。
うん。
聞かない。
聞かない。
うん。
ちょっと雑談して、カフェでちょっとお茶しようって言ってインド哲学の話しないからさ、僕もさすがに。
うん、そう、そう。いいから絶対呼ばれねえっていうか、それこそあれだよ、途中で席立った方がいいよ、相手の人は。
それは。
そうね、怪しいからね。
うん。
39:00
まあね、はい。
まあ確かに、まあ、そっか、でもその楽しさみたいなものの根源がね、今回の話も。
かなりやっぱり実際点が西洋部分に比べて、またまあ普通に聞くとね、やっぱり自ら見ようと当時代とは体験できない部分っていう意味でね、そういうところも含めてやっぱり、あの神的な理解も含めて教えてもらったんだなあみたいな感じが。
確かに確かに。
うん、あったかもね。
まあそうね、じゃあちょっと今回で言った、まあちょっと近い仏教との関連みたいなところがあるかもしれないけれども、あのサルトルですね、ちょっとまた頭切り替えて西洋哲学の方。
そうですね。
楽しんでいきたいと思いますので、じゃあまた今後もよろしくお願いします。
はい、引き続きお願いします。今回もありがとうございました。
はい、どうも。
ご視聴ありがとうございました。