価値について考える(その4)です。


【今回の内容】

経営リーダーのための社会システム論/合理性や効率は本当に善なのか?/予定説:全ては計画されている/神を感じる実利的なメリット/期待値コントロール/私が神に期待するのではない、神が私に期待しているのだ/私は神の計画の駒に過ぎない/今回は楽しく話せたね


◆経営リーダーのための社会システム論~構造的問題と僕らの未来~

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【パーソナリティ】

とよだ:富士通で働くビジネス哲学芸人。

ショーン:シリコンバレーのテック企業で働くデータの魔術師。


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※このラジオは、個人の見解に基づくものであり、所属組織を代表するものではございません。


#白米FM #哲学 #価値 #宮台真司 #神

宮台真司さんを読んでの気づき
でも、その、なんか、価値とその、なんだっけ、さっき言ったビジネスであってさ、
自分は価値はないと思うけども、他の人が、お金が稼げるから、やってしまう。もしくは、そういう人が来るっていうのって、
なんか、宮台さんの言ってたことでも、ちょっと説明できるような気がして、
あれ、システム社会ともう一個なんだっけ、対する。 生活社会。 生活社会か。
ほんとは、価値のあるもんだけを、ことをやって、お互いやれば、そのコミュニティは、幸せになるというか、価値がこう増えていくことになるはずなんだけど、
ある人が、その中でこう、お金だけを求めて、
行動すると、なんだろう、その人が、
なんか、うまくやる人。 っていう存在になって、
なんか、周りをこう、搾取というか、使う、うまく使うっていう状態になるのかな。
てか、その二人が、うまく共存、
ちょっと、なんか、わかんない方になってきたね。
そうだね、今言及した宮台さんの本がきっかけで、我々、なんだっけ、なんかよく話すようになったよね。
そうだね、あれも僕にはかなりタイムリーな本だったね。宮台さんのなんていう本だったっけあれは。
えっとね、経営リーダーのための社会システム論っていう、まあ宮台真司さんの。
宮台真司さんと、えっと、野田智義さんかな、の共著の。
そうだよね、講義かなんかから起こしてたやつだっけ、もともと。
そうだね、何らかの講義を本にしたやつで、これをたまたま僕が読んで、
で、これをしおくんにあの紹介したんだよね。面白かったです。
で、すごく面白かったね。
で、そこから、なんかその、今自分たちが当たり前というか、良いと思ってたことが、実はそうではないのではみたいな。
うんうん。
いうなんかね、視点の転換が。
そうだよね、あったね。
あって、で、そっからその超相対性理論に入っていって。
そうだね、そうそうそうそう。
で、今ここに流れてるみたいな感じだね。
そうだね、ある意味原点的なきっかけを作ってくれた本だからね。
だから、これもちょっと紹介しとこうかな。
価値観の相対化に気づいたタイミング
うんうん。
ぜひ読んでみてください。
そうだね。
ちなみにこの本を読んでさ、どこがそう衝撃的というか、自分にとって刺さった?
僕がやっぱり一番衝撃的だったのは、資本主義、効率が良い、お金があるとか、全て良いことだっていう価値で動いてきてて。
合理的なこととか効率的なことは良いことだと思ってたから、僕自身やっぱりその1個の価値に縛られてたというか。
で、それによって短期的には良いかもしれないけど、長期的にはみんなで不幸な道にたどり着いてるかもしれないよっていう例が本の中にも上がってたと思うし、
で、それによる具体的な歪みっていうのかな、みんな感情っていう面がおろそかなって、
だからこういう無差別殺人が起きてるとか、人が代替可能だっていう感覚を持ち始めてて、
より孤立してってる、孤独になってるというロジックはあんまり考えたことなかったし、
まさにその1個の価値観に僕は縛られてて、その中をひたすら最適化してたと。
で、しかも、そのロジックを自分の人間関係、ミクロにさ、家族とか友人関係とかに適応した後、
やっぱりその感情とかに影響しますよっていうことを、僕は割とタイムリーに感じてたところがあって、それをうまく説明してたような気もすると。
人間関係って、コストがかかるというか、感情面で大変だったりさ、
多分、効率の面では、いろいろと説明できないんだけども、それも1つ大事だよねって見る価値観。
なんか生活、社会では、人とのやりとり大変だけど、それも含めて、損得じゃなくて動くのが大事っていう世界で生きないと、
やっぱり自分の本当に身の回りの人、家族、友達っていうのは、やっぱりうまくいかないんだろうなっていうのは感じて、それがうまく説明されてた感じする。
なんか今、なんか話聞いて、これマルクスが言ってることと近いんじゃないかなと思ったね。
なんかその、交換可能になるとか、人間性が劣化していくみたいな話。
なるほど。
そこになんか、しおくんの興味関心というか、あるのかなと思った。
今日、マルクスの話から始まったりとかしてたし。
やっぱ実体験で資本主義が強いアメリカに住んでながらも、それを自分の周りには適応できないなってことには、やっぱりアメリカ来て結構気づかされてるから、それがうまくどっちも説明されてたのかな。
マルクスの方も、この経営リーダーのための社会システム論でも。
で、コテンの深井さんもダブルスタンダードを持ってなきゃいけないとかよく言ってると思うんだけど、それに近いのかもしれないね。
やっぱ資本主義のテック企業で働いてる以上は、資本主義のルールがあって、ある程度生きるためにもお金を稼いだりとか、
社内にいるときには多分そのルールがある程度あって、そういうふうに振る舞うけれども、そうじゃない時間っていうのも分けて、
そこで自分も頭の中をスイッチしないとうまく幸せには生きれないなという感じかな。
そっかそっか。だからこれを読むまでは、資本主義とか合理性とかそういう一つの軸で、そこしか見えてなかったみたいな。
そうだね。言ってしまえば本当にそうだと思う。で、やっぱりそれを家の中に持ち込んだ途端にさ、
なんだろうね。やっぱりおかしいことが起こるよね。
効率を家の中で家事に求め始めるってことか。
やっぱ時間ね、やっぱ仕事だとさ、いかに時間を効率よくミーティングするかみたいな話を考えるわけじゃん。
本当に1時間ミーティング必要なのか、30分でいいんじゃないかとか。
でも家族との時間ってそんな考え方しないよね、やっぱり。
そうだね。
やっぱここに明確な境界があって、そこを使い分けないとおかしくなる。
いやだからこれでもう一個の軸に気づいたんだよね。
そうだね。
それで初めて相対化できるようになって、メタ認知、一歩階段が上にあったっていう。
自己認識の拡大
正確に言えば、それに気づき始めてたんだけど、それをうまく言語的に言語化できた。
もしくはロジックでうまく説明できたみたいな感じかな。
マクロのレベルでも自分のミクロのレベルでも。
じゃあ本当にちょうどいいタイミングで紹介したんだね、俺は。
すごいタイムリーだったと思うよ。ちょうどよかったと思う。
じゃあそこからこのラジオが始まったっていうのも必然だったわけですね。
そうだね。やっぱり自分もこういう原体験だよね。
価値軸をもう一個増やすことによって、どんだけ自分が楽になったかっていうのがあったと。
それはそうだね。
なんかね、ちょっと前に自分のEvernoteとかを見直してたら、
2年ぐらい前に、しおくんとラジオをやりたいなと思って、
なんかその企画みたいのをね、書いてたメモがね、出てきたんだよね。
2年前ってちょうどあれだな。
コロナの最中?
コロナの最中かな。2年か3年ぐらい前で、
僕がインテリ理屈ラジオとか、ゆる言語学ラジオとか、そういうのにハマっていた頃に、
なんか面白いなと思ってラジオをやりたいなと思って、いろいろ考えていたんだけど、
なんかね、その時はね、言い出せなかったというか、なんか違うなと思ったんだよね。
だから多分ね、時期尚早だったんだと思うんだよね。
で、ちょうどいい多分タイミングで、この本も読み、超相対性理論もあり、
で、ここにつながったっていう。
本当にタイミングだと思うし、僕も多分この話を、そういうの気づく前に、
例えばこの宮台さんの本を読む前とかに言われてたら、
多分資本主義のその軸でさ、見ちゃって、何だろうね、価値を見出せなかったのかもしれないよね。
面白いね。
あれですよ、予定説ですよ。
そうなの?予定説まだ読んでないからわかんないけど。
もうすべて、この世のすべてはもう神がね、この世を作った時から決まってるんですよ。
いや面白い。
予定されてる。
トヨタ君がさ、神とかをさ、占いを持ち出すのがね、たまに面白いんだよね。
そうだね、結構ね、神をね、僕は感じてるね。
あ、そうなんだ。神の存在を信じてるね。
信じてるっていうか感じてる?
信じてるわけじゃないんだけど。
どういう違いがあるの?それは。
神っていうのはでも、何だろう、アイコンというか、コンセプティック、概念的な神っていう感じなの?
いやー、何だろう、何だろうな、
自分の、自分より何か偉大なものの意思みたいなのを感じているというか、
感じてるのか、でも感じた方が自分にとって都合がいいから、多分そのパラダイムを採用してるだけな気がするんだけど。
なんかa scopeの宗教やってる時もそれあったよね。キリスト教とかイスラム教の方を説明した時に、
やっぱそれを受け入れた方が生きやすいから、受け入れてたっていうのはあって、
それは確かに一つの捉え方だなとも思ったんだよね。
自分は宗教は良くないみたいな、勝手に何かこう、もしくはただ縁がなかったから触れてなかっただけだけど、
やっぱそれで生きやすくなるんだったら、それを一つそうだとして受け入れようみたいな、何か前提として。
神への感覚と期待
何かそういう生き方もあるんだなーっていうのは思った気がする。
そうだね、何かね、これをやって何がいいかっていうと、
何か嫌なこととか悪いことがあった時も、これは神の意思なんだっていうふうに考えると。
解釈が簡単につけられるのね。
うん。で、これは今は短期的に見ると悪いように見えるんだが、これは何らかの神の意思が働いていて、
長期的に見ると、絶対自分にプラスになってくるはずだと、いうふうに捉えるんだよね。
だから、こうネガティブなこととか、何か不幸なこととかが起きても、比較的こうポジティブに捉えられるというか。
うん、なるほどね。なるほどね。
逆にポジティブなことが起きると、これはもう神の意思だと。
俺はもうこの道を突き進むべきだみたいな感じで、自分に勇気を与えて。
どっちに転んでもいい方に解釈しやすいと。
そうそうそうそう。
とにかく前に進みやすくなる。
なるほどね。この考え方、みんなも採用したらいいんじゃないかなと思ってるんだよね。
なるほどね。世の中のその切り方、切り取り方がそうだと、どんな弾が来ても打ち返せるようになるよと。
うん、そうだね。
なんかでもその宗教がさ、下火になった時期って歴史的にもあって、なんか疫病とかでさ、
いろんな人がもう何百万人と死んだりすると、で、宗教は助けてくれないじゃないかと。
はいはいはい。
で、そういう時は、やっぱり神なんていないみたいな。こんなひどいことをするわけがないみたいな。
あまりにもひどすぎると、人生がさ。
なんか、今はね、たぶんそういうこと起こってないから、それがたぶん一番いいってことなんだろうけど。
なんかすごい悲惨なことが起こり続けると、どうなんだろうね。
今思ったのがなんかね、神がいいことをしてくれるっていうふうに捉えるのは結構危険かなと思っていて。
そうか、期待をそっちに持つとダメなのか。
そう、依存するとか、神様がいるんだったら、もっとよくしてくれるはずだとか、
なんで神は僕によくしてくれないんだとか、いう考えはなんか危険な気がしていて。
確かに確かに。そうだよね。
期待の危険性と自己期待
なんか自分はそっちの方は採用してないんだよね。
今でもなんか微妙な違いだけど、何が違うんだろうね。ちょっと面白いなと思ったんだけど。
なんかポジティブには動けるんだけど、ポジティブには期待値を持ってないってこと?なんだろうね。
えっと。
なんかね、人間がさ、がっかりしたり怒ったりする全ての根源はさ、期待値を間違えてるからだと僕は思うんだよね。
物事とか人に対して相手がこうしてくれるはずだと、勝手な思い込みを勝手に抱いてると。
で、それが外れると、そのショックがもう言葉にはできないというか、感情としてネガティブに触れる。
怒りになったり急に落胆したり悲しいとか。
だからその期待値が高い低いっていう意味かななのか、その外れすぎないっていうのがなんか大事なような気がするんだけど、現実に起こることと。
あ、今思ったのは、自分以外のものに期待しちゃダメだなって思ったんだよね。
で、さっきのは神様っていうものに期待して、神様がどうにかしてくれるだろうみたいな。
いうのはなんか良くないような気がしていて。
僕がやってるのは、神様とかその自分外部はあんまり期待しないようにしてるんだよね。
でも自分自身には期待してるような気がするんだよね。
自分自身には期待していて、で、なぜ自分に期待できるかというと、それは神の意思だからみたいな。
わかるかな?
神は自分が良くなるように意図してるの?
そう、自分が良くなるように意図している。
それって神に期待してることとはどう違うの?
神には期待してないんだよね。
期待してなくて、うまく説明できないんだが、
神意と現実の受け入れ
期待するっていうのは、こうなってほしいとかああなってほしいとか願望っていうのかな?
願望だと思うんだけど、僕はああなってほしい、こうなってほしいとは思ってなくて、今あるこの状態がもう神の意思であろうと。
今ここではないどこかを目指すのが、前者というか期待してるみたいな。
今あるここがもう神の意思なんだっていうのが僕の考え。
期待と今は合ってるということ?
期待と今が合ってる。
現実ってのは、もう神が意図した通りになってるっていうのは、神が期待した通りのことが今起きてます。
そうそうそうそう。
そうだね、今ここを肯定するか、今ここを否定して、今ここじゃないどこかを求めるかの違いかな。
うまく説明できたかどうかわかんないけど。
まだわかってないかも。
ちょっとわかんないか。
でもなんかわかりたい気がする。
なんだろう、その微妙な違いによって、要は自分が変に期待している挙げられみたいなことはないけれども、
何が起ころうとポジティブに解釈できるってことで、なんかその考え方には学ぶ点があるような気がするんだけど。
自分の周りには期待しないけど、自分には期待するっていうのは、自分にどういうことは期待するの?
自分が今この状況、今置かれている状況が、より良い方向に行くための必然的な道筋であるみたいな。
で、自分の次のステップは良くなるっていうふうに期待しているってこと?
自分自身が良くなるかどうかはわからないんだけど、世界にとってはそっちが良くなるだろうみたいな感じ。
世界が出てくる。
自分がその世界を良くするためのコマに過ぎないみたいな感覚があるね。
自分のために世界があるんじゃなくて、世界のために自分があるんだみたいな感覚があるね。
なるほど。で、神は何をしようとしているの?
世界を良くしようとしているんじゃない?
OK。そうなんだ。
で、神は良くしようとしているにもかかわらず、次の瞬間、明日、どう見ても世界が良くなっていないように見えるってことが起こり得る。
そしたらそれは、期待は裏切られていないの?
それもそれで、神が意図していることだと捉えるってこと?
神が意図していて、
必要なステップ。
必要なステップで、そこに確か何か良くないことが起きていて、
それに対して僕がものすごい問題意識みたいなのを感じるんだとしたら、
それは多分神が僕に対して、それをどうにかしろって言ってるんだろうなって解釈するかな。
なるほど。
なるほど。
なんだろうな。言語化できないけど、今言ったことは分かった気がする。期待はしてないね、神に対して。
そうだね。
僕の思った通りの世界になってほしい神様どうにかしてくださいと思ってないんだよね。
なるほどね。なんだろう。
とにかく現実を受け入れるっていうのがまず一つだと思ったのね。
はい。
どんなことが良かろうが、悪かろうが、なんか。
で、それを解釈する方法、解釈の仕方として、その解釈は、
現実のポジティブな解釈
常になんかポジティブな意図があるはずだという方向で解釈してるように感じた。
ポジティブ。
なんだろう。一見今は悪いかもしれないけれども、
それは何かの意図があって、次のこのためだというふうに解釈するか、今が良いものだとしたら、
それは、まあそういう良い思いを、良い思いっていうか良いことを、良い意図があったから、そういうふうに起きてるんだって。
うん。
うん。
なるほど。
うまくなんか伝わったか、僕も多分あんまりよく分かってないと思うんだけどね、自分の。
感覚的に。
でも、これも一つの解釈というか基準。
で、別に僕自身神の存在を信じてるわけじゃないんだけど、一つの考え方のフレームワークっていうのかな、
としてこういうことを話してみるとか考えてみるっていうのは、面白いというか、自分の凝り固まった考えを一つ緩めてくれるかもなと思う。
いや、なんか宗教の回とか、a scopeのキリスト教とか仏教とか、もう一回聞いてみると、ここら辺もね、なんか話せそうな気がするんだよな。
うん。あれね、めっちゃ面白かったよ、仏教もキリスト教も。
ね、面白かったね。あとあの、仏教でさ、その輪廻転生というのを前提としてるから、
うん。
なんだっけな、執着しないというか、今この世の中をよく生きようとする?なんだっけな、違うな。
なるほどな、こういう考え方を持つとこういう行動様式になるのかって、なんか納得いった気がするんだよね、あの仏教を聞いた回の時にね。
これはちょっともう一回聞き直さないとダメかもしれない。またあの中間テストができなかった感覚に似てる。
そうね、だから宗教とかで話すのも結構面白いんじゃないかなと思ってるけどね。
うん。
こんなもんか?
こんなもん?だいぶそちらは夜遅くなってきたと思うけど、大丈夫ですか、2時?
うん。大丈夫ですよ。
うん。
まあでもだいたい思ったこと話したような。
うん。
うん。こんなもんかな。
じゃあ今日はそんなところですか。
そんなところにしましょうか。
はい。
はい、結構長く喋ったね。
そうだね、30分とか言いながら。
これは何回分になるのか。
わかんない。でもなんかいっぱいカットできるとこもあった気がするけど。
あ、そうだね。
ちょっとなんか。
カットして、たぶん3回か4回分。
もやもや。
ん?もやもやした?
もやもやっていうのは喋ってるのがうまくまとまってないから、
ちょっと放送するに値するかよくわかんないようなところが何箇所かあった気がするけど。
はいはいはい。
でも個人的には、前回のお金のお話よりは楽しく喋れたような。
そうだね、やっぱこうやって、なんだろうな、世の中、他の人が考えてたことを理論とかと組み合わせたり、
あとは、なんだろうな。
だってそのほうが、なんか言語化の精度っていうのが上がってる感じする?ラベル化の。
そうだね。
で、お互いそのコミュニケーションの質というか、同じことを考えてる感が上がるのかな。
いやー、何らかの仮説?仮説っていうか、既存のなんか説明する枠組みみたいなやつが、
なんか取っ掛かりとして、やっぱいるのかな。
自由についての議論
そうだね、なんかさっき言った人間が差分をディテクトする、検知するのは得意だっていうのと一緒かもしれないけど、
やっぱなんか軸のマルクスの資本論とかがあって、いやこれは今合わないよねとか、
この今の自分の実体験からすると、合う合わないとかいう話をすれば、
差分として、なんかそこの実感が持てるんだけど、
何にもないところで、自分ととよだくんの例えば点を持ち出すと、
同じ次元にないとか、その差が離れてるのか遠いのかとか、近いのかがわかんないっていうのがあるのかな。
そうだな、それを用意しないとダメだ。
なんかあるとね、ちょっといいかもしれないっていうのが一つの学びかもしれない。
そうだね、なんかその論文とか書くときもさ、だいたい先行研究を見て、
その先行研究から差分をこの論文で述べますよみたいなところだから、
何もないところからやっぱり論を立てるのは難しいね。
自由すぎる問いからは何も生まれないみたいな。
そうだね。
まさにそれだね。
じゃあそんな感じかな。
そうだね、その自由っていうのもなんか話してみたいトピックだけどね、自由。
そうだねそうだね。
はい。
次回のトピック考え
じゃあ、今度こそ次はしおくんが、
僕のトピック。
テーマを考えてくる感じですかね。
はい。
はい。
じゃあ、今日はこんくらいにしときましょうか。
はい。
じゃあ夜遅くまで。
はい。
お疲れ様でした。
朝早く。
はい。
ありがとうございました。
はい。
ちなみにそっちは何時だ?
今は9時52分なので、もうすぐ10時だね。
もう結構な、いい時間だね。
うんうん。
あ、はいわかりました。
はい。
はいじゃあありがとうございました。
はいありがとうございました。
はい。
良い一日を。
27:25

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