寛解への期待と現実
皆さん、こんにちは。今昔俺物語の生き直しラジオのお時間です。 人生は本望への旅、全般性不安障害、鬱病、心肌症を経験しました。
精神疾患は本当にこれ、なってみないとこんなに辛いってわかんなかったですよね。 このラジオでは、回復した今の自分が、あの頃の自分が聞いたら少しでも楽になることを語っています。
今日は寛解の向こう側 ― 不安は消えると思っていた、そんな話をしたいと思います。
自分はずっと寛解したら不安はなくなると思ってました。
身体症状もなくなって、検索も全くしなくなる、気にならなくなる。 気分も安定して、毎日すごく元気。そういうものだと思ってました。
元に戻るっていう感覚に近いのかなって思ってました。
だから何か良くなると、ちょっとの不調でも不安になるんですよね。
身体も変かなーって、眠れないのかなー、胃がおかしいと。
そうするとまた、あれ、まだ治ってないのかなーって、悪くなったのかなーって。
そんな風に、ゆり戻しのことでも話したと思うんですけど、思ってました。
でも、振り返ると、ゆり戻しで思っているより、少しずつ、それもゆり戻しの一部なんだと思うんですけど、少しずつ、人生に意識が戻ってきた、来てたんだなーって。
自分の場合だったら、家族とか仕事とかお金とか、旅行、趣味、将来ですね。
明るい将来。今までは悲観した将来だったんですけど、症状とか、不安とか、身体感覚とか、検索して、考えて、他人に不安が解消するような話をしたりとか、
そういうことしかもう、見えてなかった、興味がなかった。もうそれが第一優先で、自分にとってすごく大切なことだったんで、それしかもう見えてなかったですね。
でも少しずつ、外側が見えてくるんですよね。自分の外側に意識が行く。
そうすると、その思いが強すぎると、やっぱり失敗したくないとか、また悪くなりたくないとか、正解を求めるんですよ。
間違いなく正解というもの。家族を守りたいとか、仕事を続けたいとか、より楽しく生きたい。
だからそうすると、過剰になると不安も出てきますよね。そして、身体もそれに反応する。
そうすると、疲れたり、眠れなかったり、胃がおかしかったり、身体のところが気になってくると。
センサーがカビになってるんですよね。で、昔の感覚、それよりも前の感覚に戻ったりして、あれ、これまた悪くなっちゃったのかなって。
自分もそれの繰り返しで何回もありました。
でも今思うと、この身体症状があったり、この不安が浮かぶこと、なんかネガティブになることと、戻ったか。
戻ったかは同じじゃなかったのかなって、そんな感覚がするんですけど、その前と同じってなかなか測りにくいですよね。
だから、昔の自分は、不安が消えたら、身体症状が消えたら、その元に戻って、すごくいい感じで生きられるって思ってたんですよ。
でも、今は少し違います。
感覚としては、前に近いんですよ。
意識の変化と外の世界
だけど、対処法として、精神疾患を患ったことで身につけたものがあるなって思ってて、検査などをやったとか、面クリに行った上で行ってほしいんですけども、
身体が少し変でも、動く。無理はダメですよね。
身体が少しおかしいなとか、あっても、メンタル不安定であっても、やりたくないなと思っても、仕事をするとか、ご飯を食べるとか、家族と話すとか、本を読むとか、風呂入る、生活していくんですよね。
すると、少しずつ不安とか悲しみとか、感情がとらわれにくくなってくるんですよ。
自分、サッカーとかやってるんですけど、ゴールした時ってめちゃくちゃ嬉しいんですよ。
いいシュートだったなとか、チームワークで取ったなって。
サッカー選手とかだったら抱き合ったりするじゃないですか。
だけど、その嬉しさって、ずっと抱き合ってないですよね。
ゴール終わった時はするけど、試合終わって、もうちょっとだったらそんなことはしないじゃないですか。
当たり前なんですけど、波があって、苦の感情もそういうことじゃないんだなって。
そこがちょっと変わってきたなって。
で、頑張る。頑張るってまたラジオで語っていきたいと思うんですけど、
頑張るっていうのは、表現の仕方をまたちょっと定義したいんですけど、
公開したから頑張るっていうのもいいことだとは思うんですけど、
昔は病気の時は、治すために頑張ろうとか取り返そう、元に戻ろうってそう思ってたんですよ。
それはそれでいいんですけど、
ダッシュ、自分もアラソンもやるんでそこが分かりやすいかなと思うんですけど、
ダッシュってめちゃめちゃ辛いじゃないですか。
でも早く進めるし、距離も短い時間で長く行きますよね。
頑張ってるって感じがするじゃないですか。
で、マラソンとかも緩いんですよ。緩いじゃないですか、ダッシュに比べたら。
でも頑張ってはないんです。頑張ってはいるんですよ。
分かります?この感覚。
だけど、ランナーって楽に走ってるんですよ。
走ること自体は普通の感覚だと辛いことじゃないですか。
だけど、慣れてくると走ってることも楽に感じられるんですよ。
波が当然ありますけど、楽に感じたりちょっと辛いフェーズもあったりするんですけど、
そういう感覚じゃないですか。分かりますかね、これ。
だから、直そう、頑張ろう、早く直そうっていうのはすごくいい意気込みだと思うんですけど、
それが焦りを生んじゃって、よりセンサーが敏感になって、思うようになかなかいかないじゃないですか。
だからそうすると無力感感じて虚無って感じで悲しくって、もう嫌だなってなりがちだと思うんですよね。
その感覚、分かりますかね。
寛解後の継続と自己理解
だから自分は困って、なるべく後悔しないように少しやりだしたんですよ。困り果てて、自分の場合は。
それが運動とか読書とか日記とか、自己理解。自分を見つめていったんですよね。
それを生活しながら落とし込んでいったというか。
それを少しずつ、いつも言う優しく続けられるように緩く、大体で。
それが続けた先に、慣慨して終わりじゃなかったんですよ。
慣慨した後も不安もありました。感情の波も身体症状も。
ただ薬は飲んでない。めんくりもいってない。
だから生活は回ってたんですよ。
だからその時も、これで慣慨かよっていう感じもしたんですよ。
でもさっき言ってたら、回復で身につけたものをその後続けてたんです。
運動、読書、日記、自己理解、ずっと続けてたんです。今も続けてます。
今思うと、不安が全くなかった。
前の時はそんなふうに不安ゼロっていう感覚だったんですけど、
病的な感覚じゃなくて、旅行行く時に事故らんように安全運転しないといけないなとか、
運転しよう、よく見ようとか、そんなような不安がよぎるからそういうことを思い浮かんだりするんですけど、自分の場合は。
だからそれで不安が全く思い浮かなくなったとかそういうことじゃなくて、
嫌なことがあると腹立ったり落ち込むじゃないですか。
身体症状はゼロになったんですけれど、
その時はまだ下腹部のピクピクが結構ずっと残ってたんですよ、慣慨した後も。
でもそれを続けていったら頻度が慣慨の時よりもさらに減って、
メンタルとかそういうことに気になる時間がもっと減っていったんですよ。
そして少しずつ自分の中から湧き出てくるような感じ。
それが外の興味に意識が向いていったっていう。
子供の頃楽しかったことって人によってそれぞれじゃないですか。
赤ちゃんとかでも興味があることってそれぞれ違うじゃないですか。
だから本能的に多分その子が好きなことってあるんじゃないのかなって自分は思ってて、
自分の場合は家族とか旅行とか自由とか、
そういうことが好きなんだなっていうふうに自己理解に至ったんですけども、
それを本能と言ってるんですよ。
自由で健康、大切ですよね。
安心をしたいじゃないですか。
愛があるような暮らしをしたいと。
これは自己理解、この精神疾患で自分を見つめていった先に行き着いた感じ、場所。
寛解の定義とコントロールできないこと
だから今思うと症状がゼロになることじゃなくて、
感慨は症状があっても生活に支障をきたさなくなること。
まずそこを目指したい。
それをまだ続けていくと人生をより豊かに進んでいけることなのかなって今は思ってます。
身体の反応とか、何を思うかとか、不安がどのくらい浮かぶとか、その頻度とか、
そういうもんって特に病気の時なんてコントロールできないじゃないですか。
もうなんでそんなふうに考えちゃうんだろうとか、
今不安じゃないのになぜか不安になるとか、
いきなりちょっと悲しくなって涙が出るとか、動けなくなるとか、
コントロールできないじゃないですか。
で、回復中も感慨してからも感慨の向こう側に来た今も起きることは起きちゃうんですよね。
コントロールできないことは起きるじゃないですか。
でもそういうことがあっても無理せずにやってることは病気の時と感慨した後も今も
変わんないんですよ。
散歩してご飯食べて日記書いて体動かして本を読んで家族と話したり旅行したり、
自己理解したり発信したり、Xやったりみたいな。
それを生活に落とし込んでるんですよね。
まあ習慣になってるっていう感じ。
それを少しずつ優しく続けられるように緩く今もやってる。
精神疾患って再発率が高いとかって言われるじゃないですか。
もうその時、当時絶望ですよね。こんなに苦しいのに再発率が高いってどうなってんだ最悪とか思って
それでまた不安になって泣けてくる。もうなんかうんざりですよね。
ドヨーンってこうボーッとしても何も考えたくないっていうか。
だからその続けるんですよとにかく。
頑張っちゃうとダッシュってずっと続けられないんですよ。
でも緩くをちょっと走ってくのを続けるとちょっとずつ楽に長い距離が走っていけるんですよ。
人生もう生きてくのって長いじゃないですか。
だからちょっとずつ頑張るんですよ。
そこを頑張るって言うかな。ちょっとずつやる。そこを頑張る。
ダッシュじゃない。走らないわけじゃないんだけどちょっと走れるようなメンタルとか体を作るのを頑張るっていうのかな。
それを続けていったら自然と予防になってたんです。
旅の途中としての人生
だから今も寒海して4年。だからめんくりがなくなって4年ちょいですよ。
そんな感覚です。
今思うと寒海やその向こうにいても続けることで今見えてくる自分、景色があるなって。
だからそんなこと病気のことこんな風に発信してるなんて思ってませんでしたし、違ってくるんですよ。
未来は誰にもわかんないんで。
寒海はゴールじゃなかったなって今そう振り返ってます。
これはまあ旅なんじゃねえかってかっこよく言ってますけども、自分もまだ旅の途中、今そういう風に思ってます。
だから寒海とか回復って不安が消えることじゃなかった。
感情の波がなくなることでもなかったって。
不安があっても悲しくても少しずつ自分の行きたい方向に進めることだったなって。
赤ちゃんって頑張って生きてないじゃないですか、きっと。
よく言ってると思うんですけど、楽に生きてると思うんですよ、楽に。
でも楽しんでる感じ、悪さって言ったらなんですけど、自分の興味に進んでいくじゃないですか。
疲れたら寝たり、泣いたり不機嫌になったり、お腹減ったら泣いて、お母さん呼ぶ、また遊ぶ。
そうすると気づいたら大きくなってるじゃないですか、育ってる。
回復も人生も赤ちゃんみたいにでよかったのかなって思ったりもします。
赤ちゃんは楽に、赤ちゃんは楽しんでるなって、そんな感覚なのかなって。
それを少しずつ優しく続けられるように緩く、大体で。赤ちゃんって完璧求めないんですよね。
だから大体、よけりゃいいかっていう感じ。
今日はその感慨の向こう、向こう側は不安が消えると思っていた、そんな話でした。
人生は本望への旅、無理せず少しずつ優しく続けられるように緩く生きていきましょう。
大体で、OK!
今日も最後まで聞いていただきありがとうございます。
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また次回、金雀おれ物語の生き直しラジオでお会いしましょう。さよなら。