1. シュウとショウの未知の理への道のり
  2. 瞑想の目的?第2段階?~いか..
2025-01-07 32:48

瞑想の目的?第2段階?~いかに自分を常に見れてるか

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シュウは過去に誰かと瞑想の目的みたいな話をしたが

その目的みたいなものの元になった動画があったことを思い出して

そこで言われていた瞑想についての話を紹介し始めて…


収録日:11月15日


#樋口塾

#シュウとショウの未知の理への道のり

#未知のり


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サマリー

このエピソードでは、瞑想の目的やその過程について深く掘り下げています。特に、瞑想の第二段階に焦点を当てており、自分自身を見つめ続けることの重要性が語られています。しゅうさんは瞑想に取り組む目的や、ビパッサナ瞑想の体験について話します。コニタンの話を通じて、痛みに対する感受性が変わり、日々の生活や自己認識に与える影響についても考察されています。

瞑想の基本的な理解
シュウとショウの未知の理への道のり、この番組は文字通り、シュウとショウの日が向いた時に、適当な瞑想を話しながら、未だ知らないことは、いっつまり、
未知の理を探していく道のりを描く番組です。下手をしたら、二人の持ちっぷりを探すだけの気のままな旅、ゆるーくお付き合いいただけたら、嬉しいです。
前回からの続き。
なんとなくそういう、なんていうのかな、シュラさんと話したのかな。瞑想をしたからといって何が変わるわけでもないんだけど、的な文脈もあったような気もするし、自分の中では、こう、みたいなのが、その時に浮かんでたりしてお話したような、
ごめんなさい、ショウマさんじゃない気がだんだんしてきました。
っていう感じだったんですけど、ただ僕、前々から、なんていうか、瞑想に憧れてる部分があって、
それの一つになったものが、これだったっていう動画を、ちょっと最近思い出して、見返したりしてたんですよ。
そこの動画で言ってることっていうのが、まあまあ、面白くって、もし時間余ったらそれのご紹介とかしようかなとか思ってたんですけど、
基本的にその瞑想って、なんていうのかな、要は雑念が湧いてきたらそれを置いておいてみたいな風にして、
頭空っぽにして、なんていうのかな、心と体の平穏をリセット的に思い出す的な風に捉えられてるかなって、僕なんかは思ってるんですけど、
それをもっと、その先にこんな世界があるかもみたいな、要は瞑想を極めた人の話みたいな、
ちょっとそのソースみたいなのを勝手に紹介したらまずいかもしれないから、あえて伏せとくんですけど、ざっくりその話しちゃっていいですかね。
その動画でその人が言ってることっていう感じなんですけど、
あなたが全く何もしてないとき、みたいな身体的にも精神的にもどんなレベルでもだ、みたいなことを言って、
すべての活動がやんで、あなたはただいる、存在の在でただある、それが瞑想のなんたるかだ、みたいな感じで始まって、
あなたはそれをすることはできないし、練習もできないって言うんですね。
要は瞑想はすることではないみたいなのは他でもよく聞くんですよね。
瞑想はすることではなくて、状態のことを指すみたいにもどっかでも聞いたりしてて、そういう意味かなーみたいに思ってるんですけど、
だからそれを理解するしかない、瞑想を理解するしかない、するんじゃなくて理解する、みたいなことを言ってて、
すべての行為を落として、考えることも行為で、集中することも行為で、行使することも行為、みたいな。
この辺はだいたいそう言われてますよね。
で、ただ自分のほんの僅かな時間であっても、自分の中心にいて完全にくつろいでいたらそれが瞑想だ、みたいに言われてて、
そのコツを、一旦そのコツをつかんだら、
痛いだけその状態にとどまることができるって言ってるんですよ。
瞑想の第二段階
で、最終的には24時間とどまれるって言ってるんですね。
この辺からかなり先の話に行っていくんですけど、
で、その一旦乱されることなく、ただある、みたいなのにとどまれる方法がわかったら、
少しずつ何かをし始めることができると。
その状態にとどまったまんまみたいな意味だと思うんですけど、
ただあるっていうのが乱されないように、油断なくありながら、何かを始めることができる、動作を。
こう言おうかな。
それが瞑想の第二段階だっていう風に言ってて、
最初はただあることを学んで、
で、その第二段階としては簡単な行為。
床を掃除するとかシャワーを浴びるとかを学んで、
ただそれをしながらも自分を中心にとどめておくと。
さっき途中で、ただ自分の中心にいてみたいに言った表現があったんですけど、それのことだと思うんですけど、
行為をしながらも自分を中心にとどめておくみたいに言ってて、
で、だんだん複雑なことができるようになっていくと。
で、その人は例えば、今あなた方に話しかけているけど、私の瞑想は乱されない。
私は話し続けることができると。
だけど、私の最も中心には一つも波紋もない。
みたいな、ただの静寂、完全なる静寂があるみたいな感じで言うんですね。
で、だから、瞑想っていうのは行為に反することではないって言ってて、
あなたが生から、生って生きるって書いて生、生から逃げなくてはならないものではないって言ってて、
それは単にあなたに新しい生き方を教えると。
その状態で瞑想しているのと同じ状態で複雑なこともできるようになっていると、
あなたは台風の中心にとどまれると。
イメージなんでしょうけどね。
で、あなたの性は実により強力になって、より喜びに満ちて、より明晰になって、
より一層のビジョンを持って、より創造的になって、
でも、それでもあなたは孤高の、孤高って孤独の高に高い?
孤高の丘の上の物見に過ぎないって言うんですね。
淡々とあなたの周りで起きていることを全て見ている。
あなたは好意者ではない。あなたは見るものだ。
それが瞑想の秘訣の全てだ。
マインドフルネスとの違い
あなたは見るものになる。みたいなことをおっしゃるんですよ。
なんで、本当か嘘かわかんないんですけど、
僕はその第一段階にすら全然行けてないんで、
何にもしないって言いながら僕はいつもずっと考え続けているし、
眠くなってうたた寝して首かっくんとかなっちゃうし、みたいな感じなんですけど、
ただちょいちょいこの、何て言うんですかね、
優待離脱したみたいに後ろから自分を見ているような感じみたいなのは、
他の人からもちょいちょい僕聞いたりしてて、
他の人っていうのは実際リアルな友達っていうよりは、
ブログ書いてる人だったり、YouTube出てる人だったりするんですけど、
だからその後半で言ってたあなたは好意者じゃなくて見るものになるみたいな、
そういうのはあるんだろうなーって思っていて、
だからそれになったところで何なんだろうってずっと思ってたんですよ、僕。
だけど、もしこの人が言うみたいに、
最初はじーっとしとくときしかそれができないけど、
簡単な行為から始めて、複雑なこともできるようになってってなったら、
だいぶ楽になりそうっていう感覚があるんですよ。
なんか、自分をもう一人の自分が頭の中で操縦してるみたいな感じっていうのに憧れる部分あるんですけど、
それですらなくて、なんか丘の上の物見に過ぎないって言ってるのが結構強烈で、
自分は何も、要はその見てる自分は何もできない。
じゃあできないっていう意味なんだろうなって思ってて、
でもなんかそれがすごい魅力的に映って、
僕の目的があるとしたら、目的とか目標みたいな感覚で言うとここだなーみたいに思って、
それを思い出してこの動画を見返して、
今はちょっとそこを意識しながら瞑想を進めてるとこありますみたいな、
今の報告的な話なんですけど。
なるほど、確かにそれは興味ありますね、すごく。
その状態でやると、やっぱその、
そもそもそこの時間みたいなのが瞑想するのに対して時間を浪費してしまうみたいなイメージがあるところを、
ああおっしゃってましたね。
そうじゃないんだみたいな、そうじゃないんだっていうポイントになるからですね。
そうなんですよね。
常にそのような状態。
言ってることとしては、
マインドフルネスとかとはちょっと違う感じがするので、
動きながらにしても僕の中でのマインドフルネスの理解としては、
完全にその一つのことに集中することっていう理解なんですよ。
なのでその呼吸に集中するっていうことだけでもマインドフルネスとして成り立つし、
ある一定の動きをしてるっていう運動をしながらでもマインドフルネスは成り立つし、
なんならそのゲーム、あるゲーム、ロジックのゲームに熱中して処理してるっていうのをマインドフルネスとして成り立つというふうに思ってて、
それは活動しながらでも実践できる。
食べ物を食べるのも一つ一つ食感とか味合うとかっていうところにそこに集中するっていうだけでも、
そもそもその集中するっていうこと自体が脳のリソースを最適化するからか、
エネルギー消費量的に少ないらしいんですよね。
そもそもぼーっとした状態、何考えてるか分かんないぼーってしてる状態がデフォルトモードネットワークっていって、
デフォルトモードネットワーク。
その状態が一番エネルギーを消費するらしいんですよ。
でもそこでいろんな処理とかされてて、そういうときほどあれらしいんですけどね、
いいアイディアというか何かしらのひらめきみたいなのが生まれやすいのはその状態のときらしいんですけど、
そのときほどエネルギーは食ってるみたいな話を聞いたことがあって。
だから何にしても脳をすっきりさせる、休めるっていう意味では何かしらに集中することっていう風なのがマインドフルネスとしての僕の理解なんですけど、
マインドフルネスと瞑想みたいなところは何か違うんだろうなみたいな、
2回言ったところあるにしても違うんだろうなって思ってて、
それが何か今さっきおっしゃられてたような範疇のところなのかなと思いましたね。
ただ集中するだけじゃなくて、そもそも集中すること自体も否定してますよね。
瞑想の状態としては。
そこがね、難しい。
まあまあ、その微発差。
ごめんなさいごめんなさい。
なんかその領域がすごく違う感じなんだろうなと。
ただちょっと理解がしがたいところはありますよね。
物見として立ってる。
ただ見てるっていうところと、意識を分離するような感じで。
でもそういう領域になった時に、果たしてその活動みたいな主体的な活動、
特に仕事とかできるんだろうか。
その人が言うには、より明晰になりみたいなことをその人は言ってるんですけどね。
行為に反することじゃなくて、むしろより、
何て書いてたっけな。
より強烈になり、喜びに満ち、より明晰になり、より一層のビジョンを持ち、より創造的になり、
何て言ってるんですかね。
まあ分かんないですけどね。全然分かんないんですけど。
でもそれをだいぶ前に確か一回見てて、久しぶりに探して、もう一回見返…。
大丈夫ですか?
大丈夫です。
大丈夫?すいません。
だいぶ前に見てたのをもう一回見返してってやってたんですけど、
多分意識の中にこの人が言ったのが残ってて、
だから集中することも行為だっていうのが多分ワードとして残ってたんですけど、
修羅さんも瞑想を普段やられてるけど、
今日は集中できなかったみたいなこと言われてて、
え?集中するもんなんですか?みたいに言ったんですよね。
それで説明してくれてそれも納得できたし、
まっさの瞑想の本でもどっかに、なんて書いてたっけな。
あ、パッと出ないな。
集中することで、例えば洗面器みたいな器を作ることになるみたいな感じで書いてたんですよ。
ちょっと表現違うかもしれない。
集中することが入れ物、入れ物を作ることで、その入れ物があることによって中に水が溜まっていくみたいな。
なんかそんな、やべ、ほんとに出てこない。
とにかくそういう意味で集中が必要って書いてたと思ったんですよね、このビパッサの瞑想の本では。
だからさっき言われた、マインドフルネスと瞑想の違いっていうのとはまた別で、
その人が言ってる瞑想とこのビパッサの瞑想みたいな、瞑想にもいろいろ種類があるから、
それでまた違うのか、単純にその集中って言ってることの意味合いが違うのか、
みたいなとこはまだ全然。
確かに、言語自体がですね、その人の発した言語と受け取る側の言語とかも全然別物と捉えたほうがいいからですね。
その感覚がどういう感覚なのかっていうのはやっぱり想像をするしかないんですけど。
だから体感的に何もまだ掴んでない状態であんまり話しちゃ良くないことだったかもしれないけど。
なんかついつい面白くて惹かれちゃう内容だったから、ちょっと話したくなっちゃって話しちゃいましたっていう感じなんですけど。
でもそのマインドフルネスで、ある意味こと足りるって言うとしょうがないですけど。
うん。
まあなんか、今この煩わしいというか、忙しい生活を生きる中で、やっぱりきっと時の自分がただここにいるというか、
自分としてのこの自己組織化してるその細胞とか、そういうものがただそこで活動してるみたいなところの実感だったり、
今ここにあるみたいな、そこに集中することがそのマインドフルネスだったりするので、
なんかそういったところに意識を向けることで精神的にすごく落ち着くし、やっぱり頭としてすっきりするんで、
そういう一つのエクササイズとしては十分、そういう意味合いでは十分な感じはしますけど、
まあ瞑想としてはいろんな考え方もあり、
瞑想の目的とメタ認知
しゅうさんが瞑想をやるきっかけになった目的としては、そういうメタ認知的な、俯瞰した自分を常に見てるような感覚状態に常に入れるようになりたいというところがきっかけだったということですね。
そうですね、そうですね、それがでかいんですよね。
なるほどなるほど、確かにそれは憧れますね。
いかにその自分を常に見れてるか。
そこがないとやっぱりこう、そこがないとっていうかそれがあるだけで全然違いますもんね。
憧れちゃうんですよね。
でまあ偶然かわかんないけど、
ビパッサナ瞑想をコニタン、コニタンは会われたことありましたっけ?
会ったことない。
あ、ないか。福岡にはいらっしゃる方なんですけど、
コニタンが何回もそのビパッサナ瞑想の10日間合宿っていうのに参加されたことのある方で、
だから、そのあんまりちゃんと覚えてないけど、
まあポッドキャストで言われて配信されてたから、
その中で1日何時間やるって言われてたかわかんないけど、
まあ10日間ほぼずっと瞑想してるんだと思うんですよ、その合宿では。
それでなんか2日目だか3日目だかにその体の痛みがめちゃくちゃずっと気になるようになっちゃって、
初日は大丈夫なんだけど2日目だか3日目がその一番の壁みたいなこと言ってて、
4日目以降がそこを抜けて痛みが気にならなくなるって言ったかどうかわかんないけど、
なんか僕の印象としてはそんな風に受けたんですね、その話聞いた時に。
で、実際今はそのコニタン何回もその合宿にも参加してるし、
今も毎日瞑想されてるからだと思うんですけど、
本当に痛みに強くなったというか全く気にならないレベルになったらしいんですよ。
だからあの胃カメラかな?胃カメラを鼻から入れるやつ?
僕あれやったことないんですけど、1回希望したら、
なんか僕鼻炎だから鼻炎の人はダメですって言われてダメだったんですけど、
そうなんですか?
やめときましょうとか言われてアウトだったからしょうがなく喉から入れたっていうのがあるんですけど、
その時も確か麻酔した気がするけど、鼻の方も麻酔するらしいですね。
はい、一応しました。
僕もそれも知らなかったんですけど、でもコニタンは平気らしいんですよ。
麻酔なしで。
ビパサな瞑想を受けてから麻酔なしでいけるようになったって、
いけるっていう感覚があったから麻酔なしでお願いしますって言ってやったら実際大丈夫で、
もちろん鼻水とかブワーって出るけど、麻酔なしで別に騒ぎもせずに受けることができるって言ってたんですね。
それ、丘の上の物見状態に近いんじゃないかなって勝手に思ってて。
それ羨ましいなって思ってるとこですね。
確かにですね。羨ましいな。
だから僕のHSPビビリも精神的なものではあるけど、
明らかに痛みに対しても僕は過敏だったり嫌がってる、人より嫌がってる自覚があるから、
それがもしこれで軽減されたらいいなーって勝手に今思ってますね。
ビパッサナ瞑想の経験
話聞いててそのHSP的なところも、
しゅーさんがそこで負担に感じてるところも軽減されそうだなって思いながら聞いてたんですよ。
僕も発作障害がありますけど、そこら辺も多分いいと思うんですよね。
そういうのができると多分症状自体が少なくなったり、
伴う痛みとかもあるからですね。
方法論としては、本当に集中してる?
集中ですね。
最近やっぱり一番症状が緩和されてるっていうか、出ないみたいな状況は絵描いてる時なんですよね。
あと粘土作ってたりとか。
そういう時なんで、そういう意味でも絵とか描いていこうかなみたいな。
ただ絵を模写するみたいなのとか、
特に今の段階で僕が画家目指してるわけでもないし、
他にやらないといけないことだったりやりたいこととかもある中で、
絵を描くっていうこと自体、
特に創作的な絵だったら何かを模写するとかは全然やる気が大きいなかったんですけど、
最近息子が絵とか結構余ってて、
その辺を伸ばしてあげれればなみたいなところもあって、
隣でガチ目のデッサンをやったりして。
最近ちょっと触発されてるんですけど、
そういうのをやってる間は、そういえばちょっと楽だなっていうのがあって、
そういう瞑想的な意味合いで、
それこそあんまり生産性みたいなのにとらわれてるからなんですけど、
ただ絵を描くっていうのがそれ自体楽しいし、
身体としては楽だし、
ただそこを考えたときに、別にそれでいいじゃんというか、
それで別にその時間を設けてあげればいいだけなので、
そういうのを取り入れていければいいなというのを最近思ってますね。
いやーいいですね。
いやー絵描いてるときに症状が少ないっていうの面白いですね。
集中だから、本当の意味で集中できてないんでしょうね、いろんなときに。
なるほど。
仕事中とかもほとんどだから独り言言っちゃうんですよ。
そうそう。
症状を含めですね。
だから考えたりいろいろしてるけど、本当の意味で全集中できてないというか。
なるほどー。
それが今自分の中で多分できるっていうのは、
意識的に瞑想したりだとか、
アートはもう本当にただ絵描いてるとか、
ただそういうとき、ただ粘土こねてるとか、
そういうときなんだろうなと思って。
その時間を別にいろんな生産性だとかそういうのにとらわれず、
好きだからやるぐらいの感じでやっとけばいいんじゃないかなと思って。
結果それ自体をやることっていうので、
息子の刺激にもつながれば、
一石二鳥だったりもするので。
いいですね。
ちなみに今しょうもさんって瞑想って続けられてる感じですか?
毎日みたいな更新はできてないですけど、
今昼休みにセラビと一緒にセラビの10分瞑想。
はいはいはいはい、あれいいですね。
ありがとうございます。
なるほど。
ちょっとこの最後の方の話になってきてから、
しょうもさんの話聞きながら感じたというか気づいたというか、
今日収録中にしょうもさんの症状が少ないなと思ったんですよ。
本当ですか?
それ意識してなかったからずっと気づいてなかったけど、
いや今日少なくないかなと思って。
書いてるときには出ないみたいな話を聞いたあたりから、
意識して見てたんですけど、少ない気がすると思って。
コンディションにもよるんですよね。
少ないときもあるんですけど。
毎日瞑想がもしかしたら毎日じゃないかもしれないけど、
瞑想の習慣がそれに効果を表しつつあるのかなと思って。
なるほどなるほど。
だからこういう意味でも絶対人生にとってプラスのはずなので、
寿命も伸びそうですしね。
確かに。
本当に自分ごとであるんですけど、
かなりまだ先の話みたいに思ってるから、
銃を突きつけられてる感覚はないんですけど、
やっぱり僕の脱障害は結構体に負担をかけるんで、
それも多分いろいろ相まって、
体重が増えなかったり、いろいろあると思うんですけど、
あと神経痛とかですね、いろんなこととかもあったりしてて、
ただその辺をできる限り少なくできるとだいぶ生きやすくなると思うので、
瞑想の効果と今後の展望
ちょっとそういうふうになっていくと。
いいですね。
瞑想を頑張っていきたいなと。
そうですね。
じゃあ時間的には結構いい感じで撮れてるんで、
あんまりまとまりとかはないかもしれないけど、
途中で僕も全然自分ではわかってないくせに、
人の文章を読み上げるだけみたいになっちゃったけど、
いつかあの時のあれがこういうふうに感じられたんですよみたいな報告ができることを夢見て、
そう続けていこうかなと思ってます。
みたいなのでいいのかな、まとめ。
はい、じゃあ今日はこんな感じで。
はい。
今回もありがとうございました。
ありがとうございました。
32:48

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