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2023-06-14 41:12

132「やりたいこと」が多すぎるとき何を基準に手を出すものを選ぶか?

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今日は、気力も体力も充実している自分から「やりたいこと」が次々と出てくるとき、何を基準に選ぶかについて話しています。この方法は、痛みや苦しみを伴う悪癖を手放すのにも役立ちます。番組でお知らせした「ワントレ2」のお申し込みはこちら→ https://goodvibes.work/onetore2/

ワントレ2の受講生のストーリー
グッドバイブス、ミッドナイト楽座、 by 倉園佳三
こんばんは、ただいま6月14日水曜日の午前2時6分です。
今日はですね、昨日にね、私がやっているそのワンワンのセッション、ワントレ2というのがあるんですけども、
この受講者の方とね、お話ししている中で、とても良いテーマをね、いただきましたんで、その絵についてね、お話ししようかと思っています。
で、この方がですね、そうだなどのぐらいかな、もう1年ぐらいになるのかな、ちょっと私はあの、この番組でね、お話ししているその終わったことをすべて忘れるっていうのを、
本当に実践してましてね、もう全く覚えてないんですよ。だからなんかもう体感というかね、どのぐらいかなというのをこう、記憶のない中でこう感じてみると、半年から1年とかそのぐらいの多分間だと思うんですよね。
半年は経ってる、これは間違いない。だからやっぱり1年ぐらいはいってる感じがしますね。9ヶ月ぐらいかな、よくわかんないんですけども。
まあそのぐらいの感じで、このワントレをね、続けていただいていまして、まあその最初にね、やっぱりその初めてお目にかかった当初はですね、かなりその状況もそれなりにね、きつい状況だったし、
まあご本人のね、その心のありようというのも、やっぱり私が見ていても、うわこれは相当苦しいだろうなという感じだったんですけども、もうめきめきとですね、まさにその方はですね、やっぱりこの平安でいたい、幸せでいたいというね、この意思をしっかりとやっぱり持たれていた方だったんでね、
本当に日を追うごとにというかな、月を追うごとにこのいい感じになっていただきましてね、この日ももう本当に笑顔で元気なんですよ。それだけじゃなくてね、やっぱり不思議なんですけど、顔立ちがキリッとして見えるんですよね。
さらに言うとですね、光が射しているようなそんな感じ、まあこれはね、もう本当に私の印象なんですけどもね、光が文字通り射しているというよりは顔から光がふわっと出ているようなそんな感じですね、まあ本当に素敵だなというそんな印象なんですけどもね、この日ももうあんまり悩みも相談もなくてですね、
この自分が今ね、日々どんなことを感じて暮らしているかみたいなことを、なんていうのかな、これまでやってきたことを復習するかのように、復習っていうのはこのリベンジじゃない方ね、予習復習の復習ね、復習するかのように淡々と話してくれたんですよね。
今ね、どんなふうに人とかね、それから出来事、仕事、それがね、こう自分の目にどんなふうに映るか、そしてどんな心でそれに向き合っているかみたいなことを、まあ本当に詳しくね、こんなふうに今見えてます、こんなふうな感じがしていますっていうようなことを淡々とお話ししてくれた。
私はそれを黙ってね、伺っていたんですけども、しみじみとですね、やっぱりこのセッションを通して私は何かを教えているのではないんだなということにね、改めて再確認したというか、要はこの本来の自分、いつも私が言うね、前話で我と私という話をしたんですが、
この本来の自分とこの私ね、これはまさにこの番組で私が話しているようなことならもう全て知っているっていうことなんですよね。
これがね、何か新しい知識だったりね、人から聞かなければ全くその心の中とか頭の中にも全くないような情報であるとするとね、もう僕がこの130話に渡って話してきた内容を全て暗記したり覚えたりしなくてはなりませんよね。
そんなメソッドは多分全く役に立たないと思うんですよ。しかもね、すごく落ち込んでいたりね、悩みを抱えたりする。そんな時っていうのは、いろんなことをやってきて、やり尽くして、もう本当に力尽きたみたいな状況じゃないですか。
そこでね、さらにこの130話これを実践してくださいみたいなことは、とてもとてもありえないわけですよね。だからこんなものは多分私が今お話ししていることはですね、もう全ての方がこの本来の自分が知っていることっていうことをね、何かその方の話を伺いながらそう感じたんですよ。
いや、もうまさにこれはこの人が知ってたことなんだなっていうことをね、そのようにお話しされてたからなんですね。多分私がね、このワントレのセッションを通してやっていることは3つしかない感じがするんですね。
ワントレの哲学
これは別に冒頭からね、ワントレの宣伝がしたいわけではなくて、全ての人がこの彼のようにね、今回の受講者の方のように世界を変えられるというね、そういう事実をお伝えしたいだけなんですね。
しかもこのね、まだ存在しない自分にこの到達するとかね、なるとかたどり着くわけではなくて、まさに今僕らの中にいるその自分を思い出せばいいだけっていうね。だからこれもう原理としては、この瞬間にこれは実現できるんですね。
もう指をパチンと鳴らした瞬間に、よっしゃ本来の自分つって、よっしゃ私って言ってバッと出せばね、もう一瞬で解決する話なんですよね。
まあもちろんそこにね、いつもお話ししているようにこのガヤね、偽りの自分っていうのは、いろんな抵抗をしてきたり、いろんな誘惑を投げかけてくるのでね、そう簡単に指をパンと鳴らすようにはできないんですけども、だからまあこういう試みは続いていくんだけども、でも原理としては一瞬で変われるっていうそういうものなんですね。
これをちょっとね冒頭にお伝えしたくて、この彼の話を今しているわけです。で僕のやってることはさっき言いましたけど3つしかないんですね。要は一つはこの番組でいつもいつも繰り返しお話ししているように、僕らの中にはね、私とかもしくは本来の自分と偽りの自分、この2人がいてね、これ実際には2人はいない。片方はね幻影なのでいないんですが、僕らにとっては2人いるような感じがする。
そしてあらゆる苦悩はね、このがとか偽りの自分がもたらしていて、さらにそのそのそちらの自分がこの苦悩、自分で作った苦悩を感じているっていうね、この事実をしつこくお話しすること。これが1つ目なんですよね。これはまあそのゴールを明確にするという1つの役割がありますよね。
どこに向かうんだ。それからもう1つはその偽りの自分とかがね、抱えているこの苦悩というのがどう考えても解決しなそうな感じがするんだけど、いやいやそんなことはないと。そこにしっかりとこの救いの光というかね、まさに自分の中にそれがあるんだっていうことをね、可能性として可能性じゃないんですけどね。これは事実だと僕は思ってるんだけども、それをお伝えするというまあそういう目的なんだと思います。
そして2つ目がですね。この本来の自分がこの偽りの自分に比べてね、どれだけすごいかというこれを思い出してもらうことなんですね。で、これもえっと僕はそれぞれ全ての人がこのことを実は知っているというふうに捉えています。
そしてなぜね、このわざわざこの本来の自分が偽りの自分に比べてね、どれだけすごいかみたいなことをお話しするかというと。
例えばね、私とかみたいなこの2つがいたときにこの画がなくなったらね、欲がなくなるんじゃないかとか、あるいはもうこの世のものに興味を持てないんじゃないかとかね。
場合によってはもうお金も稼げなくなるんじゃないかみたいなね、そういうことを思われがちなんですよね。
なんかこの俗世と縁を切るような感覚ね。出家するような感覚ね。もしそうだとしたら、そんなものなら私はやっていないし。
大きな誤解です。それはね。そういう雰囲気がするのはわからなくはないんですけどもね。
まあ様々ないろんな情報がありますからね。そのように捉えても仕方ないような情報っていうのがあるんだけども、そういうものだとしたら僕はやってないのでね。
これは大きな誤解。ここをやっぱり解いておかないと、何かその偽りの自分がみたいなものを失ってしまうと、何か大事なものが犠牲になるんじゃないかっていうね。
こういう恐れや不安。まあこれはまさにそのね、偽りの自分がそういうふうに思わせているんですけどもね。
つまんない人生になるぞとかね。そういう囁きが聞こえてくるんですけども、何も失わず、何も犠牲にせずに、まさにこの平安で何でもできる素晴らしい自分だっていうね。
これが本来の自分だっていう事実を伝えること。これが2つ目ですよね。
3つ目は、どうすればその偽りの自分に騙されずに、本来の自分を思い出せるかという具体的な方法。これがたくさんあるんですよね。
偽りの自分に騙されない方法
なぜたくさんあるかというと、その人の個性とかね、その人が置かれている状況によってアプローチが大きく変わるからなんですよね。
その人が今どんな問題を抱えているか、あるいはどんな人間関係を周りに作っているかみたいなことによって、受け入れがたい話と受け入れやすい話というのはね、本当に大きく異なってきますから。
だからいろんな話があるように見えて、でも実はアプローチ、向かっている方向は全て同じなんですよね。
こんなふうに整理してみると、僕のやっているこの3つで何も教えていないし、何も新しいことをレクチャーしているわけじゃないんですよね。
もう本来の自分さえ思い出せば、僕の話していることなんて当たり前に知っているっていうそんな感じですね。
まさにこの今回のね、昨日セッションをやったその方がですね、今その私が日々何を感じながら暮らしているかっていうのをね、本当に淡々と話してくれたわけですね。
これは僕にはこういうことを私は知っていたということを今思い出していますというふうに聞こえていたんですね。
だから俺の教えたことをちゃんと実践してんじゃんみたいな、そういう感じでは全くないってこと。
面白いことにね、そのような感じ、まさにいい感じなんですけどもね、こうなると不思議なことにこの月とかね、幸運に恵まれるんですね。
例えば彼がいくつかの幸運の話を教えてくれたんだけども、彼は引っ越しをずっと躊躇していたんですね。
ある理由の中でね、本当は引っ越しをしたいと思っていたんだけども、それが踏ん切りがついて探し始めたそうなんですよね。
そしたら狙った場所でまさに好みの物件がね、一発目の下見で見つかったっていうふうにおっしゃってましたね。
これはね、全くオカルトではありません。月とか幸運って言うとね、本当にオカルトな感じがするんだけど、これは全然そうじゃない。
例えばその心がね、恐れや不安でいっぱいになっていると、僕らはですね、こういう時にどの不動産屋に問い合わせるかっていうところからもう全然変わってくるんですね。
いつ物件の下見を行くのかとかね、あとは誰と行くのかとか、もしくはもうどういう交通手段で行くのかとかね、何時に行くのかとかっていうあらゆる選択が、
この恐れや不安の自分と平安な自分、これではね、全く異なってくるんですよね。
そのようにね、まず先に私がね、お話ししたんですよ。これはね、そういうことで多分幸運なんですよっていうふうにお話したら、
なんとつってね、その彼がユーニファですよ。今回ね、たまたま物件をこの管理している不動産屋に問い合わせたらしいんですよ。
全くね、知らずに。だから最初に物件を見つけて、それがたまたまそれを直接管理している不動産屋のウェブサイトかなんかだったらしいんですよね。
これで連れて行ってもらって、いい物件だなと思ったんだけども、ちょっと予算を超えていたんでね、少し考えようと思って、その時は保留して帰ってきたらしいんですよね。
そしたら、その物件を管理している不動産屋なので、他の不動産屋に要は広告を出しているわけですよね。ここ紹介してくださいっていう。
そしてその他の不動産屋から、今日の夕方にない件の問い合わせがあったっていう情報を受けたわけ。
そしたらすぐにその方に電話をくれてね、今日の夕方もう一人入りますと連絡があったそうなんですよね。
そこでこれはもう決めろということなんだなっていうふうに決断したらしいんですよ。
だからまさにこの不動産屋選びから変わってくるというところが大きく、本当にこの命運を分けたわけですよね。
他にもね、あんまり詳しくはね、これ以上はちょっと話せないんですけども、本当にいろんな幸運に恵まれた話をしてくれまして、これもとても嬉しかったんだけどもね。
これはなぜそうなるか。もう一つ理由があって、これはいつもジャジュンワークでお話ししてるんですけども、自力とすべて力っていうね、確かこの番組でもお話ししましたね。
偽りの自分は切り離されている。どこともつながっていないのでね、全部自分でやらなきゃいけないと思ってる。
でもこの本来の自分、私はですね、自分と他の人とこの環境がつながって一つであると実感しているんですね。
だからここにギフトモードでいろんな行動をしたりするんだけども、これによって自動的にこの他の人と環境から様々なサポートが得られるようになるわけね。
彼も実際にこの数ヶ月の間から、いろんな特技を持つ友人から数え切れないほどのサポートを受けているんですよ。
さっきその冒頭にキリッとして見えるって言った、ここにも実はこのサポートが関係しているわけね。
幸運に恵まれる理由
この辺りはどういうサポートだったかっていうのは想像してほしいんですが。
で、そのようなサポートを受けながらさらにね、この日もですね、私の周りにいる人たちは友人、すごくグッドバイブスな人たちだったなっていうことを今実感しているというふうにも話してくれたんですよね。
これは要はですね、世界の見え方が変わったということですね。
さっきのその月とか幸運とかというのはね、周りは何も変わってないわけですからね。
人間関係も自分の環境もね、実は何も変わってない。
だけども唯一、この世界の見え方が変わったんですね。
これがまさに偽りの自分で見る世界と本来の自分で見る世界が全く異なっているっていう。
だから指を一本ポンと鳴らすだけでね、実はあらゆる問題が一瞬で解決していくという、先ほどお話した通りなんですが。
ここからが今日のお話なんだけども。
ただね、こうなるとね、その元気いっぱいいい感じ、よっしゃーみたいな感じになるとですね。
このやりたいことっていうのがね、次から次に出てくるっていうこういう現象がね、まあ起こりがちなんですね。
これはね、少しちょっとやっぱり灰になっているっていうことでもあるわけね。
ずっとその、なんていうのかな、この偽りの自分の視点で世界を見ていた。
ここに本来の自分がブワッと蘇ってきてね。
なんて素敵なんだろう。
周りにいる人たちもみんな素晴らしいじゃんってこうなってくるとね、僕らはフワッとここで灰になるんですよね。
で、やりたいことから次から次に出てくるんだけどもちろん全てはやれませんよね。
画と心と体
こういう時どうすればいいかっていう、これが今回唯一の質問だったんですよね。
そこで僕は気になることとかね、やってみたい感じがすること。
いろいろ次から次に出てくるこの中からどうやって本当にやりたいことを見分ければいいかっていうお話をした。
これを今日お届けしたいと思ってるんですね。
これはまさにこの前話のね、がと私、この話が役に立つんですよ。
これ要はですね、本来の自分を思い出していい感じになってね、この世界の見え方も変わりね、
うわぁ、なんかなんでもできそうだぞっていうこの感じになった時に、この隙間を塗ってね、また画がポッとこう出てくるわけですね。
前回お話ししたそのサンルーフからね、頭をポンと出すようなそんな感じかな。
一つはちょっといろんなことをやりたくてね、少しこう急いだりとかね、
じゃあこれもこれもあれもいけるじゃんみたいなそういう感じになった時に、
おしめしめってね、一回おとなしくしたこの画がね、ここでもう一回出てってやろうみたいな感じでスッとこう顔を出す。
これがね、なんかこのやりたいことがたくさん浮かんできてね、ちょっとこう肺になってるみたいな、
これこの状態なのかなというふうに私は見ているんですね。
要はですね、まさにこの私と画というこの話の続編のようなものなんだけどもね、前話の。
その前回もお話ししたように、この画というのは心が作り出しているんですね。
そして心が作り出すこの画というのは実体がないわけです。
実体がない画は単独では存続できないんですね。存在できないんですよ、実体がないのでね。
心が思い描いているその像ですからね。
だからこの画はですね、この生まれた後に僕らがまさにその画がそこにあるんだと思わせられるようにね、
あらゆるこの対象と一体になろうとするんですよ。
なんかこの住処を探すような感じで実体がないので、
よくSFとかアニメとかで形のない悪者が乗組員とかに表現するみたいな、そういう話ってあるじゃないですか。
あれにまあまあ似てるのかな。形がないので何かにクッと住処を得てね、
その中にそれと一体にならないと僕らはそれがあるというふうに感じられないんですよね。
だからこの画が住処に選んだものであれば、何でも僕らはね、これは自分であると感じるようになるということなんですよ。
じゃあこの画はね、一体何とこの一体になるかというと、面白いことにまずはですね、自分を作り出したこの心とね、融合するんですね。
心を自分の住処にする。心も形がないんですけどもね。
でも一応この自分を作り出した心、これをぐわっと乗っ取るわけですね。
だから心が私であるというこの感覚ね。
それから次にそれだとまだこの弱いので、僕らを最もね、この欺きやすい体と結合するんですよ。
次に狙われるのがこの体ね。
画が選ぶ対象
この心と体と画が一体になった時に僕らはですね、本来形がないにも関わらず何となく心が傷ついたように感じる。
それから他の人から切り離されてね、いつかはこの世界から消えていく弱くて儚い自分の像みたいなことが僕らの中に出来上がるわけですね。
いわゆる心と体と画が一体になってるってことですよね。
で、これは僕の解釈なんですけども、禅とか瞑想っていうのはね、まさに多分ここを切り離すというかね、元に戻す試みなんじゃないかなというふうに見てるわけですね。
禅で言うと不座っていうのがあるんですね。
要は足を組むやつね、血下不座とか半下不座っていうのをやるんだけども、あれをやるともう体験したことがある人ならわかると思うんですが、すぐに足が痺れたり痛くなったりするんですよ。
やっぱりその30分なり1時間とても我慢できないよっていう時間がやってくるんだけども、この時にそれを感じているのは誰だと問うわけですね。
そうすると、この体と一体になった画だとわかるんですよ。
これを戸画と呼んだりするんですけどもね、個人の戸に画と書いて戸画っていう。
で、これが体と一体になった、私では本来の私ではないこの画なんだ、戸画なんだとわかると、この痛みと私をすっと切り離すことができるっていうね。
そして何が残るかというと、これは戸画に対して真画と呼んだりするんですけどもね、真実の真理、真画、形のない意識が私だっていうふうに、これはもう悟るという世界なんだけどもね。
これはちなみになんですけども、このように最初に画は心と融合し体と融合するわけですね。
そして僕らはそれを自分自身だと見なすようになると。
で、ここら辺はですね、どこまでまさに悟るかっていう話になりますんで、ちょっと今日は飛ばしておきます。
ここは置いておきましょうと。
で、これだけじゃないんですよ。
そうではなくて、画はね、もうあらゆるものを対象に選べるんですね。
まず人ですね。
画と一体になるもの
これは前々回ぐらいにお話したその偽りの自分の不足を埋める同盟関係みたいなものを作る場合、これは自分ではない他の人、こことその画がね、まさに一体となって、この人は私であるというふうに見るようになるわけですね。
この人は私の一部なんだっていうふうなこの見方。
それからもうあらゆるものですね。
それから仕事もあるでしょう。
そしてお金、地位、名声。
それから評価もありますよね。
なんで僕らがこんなに評価を気にするのか。
これは評価と画が一体となって、この評価というものがまさに自分であるかのように、自分の一部であるかのように感じるからなんですね。
そして食べ物、これもありますよね。
遊び。
あらゆる事柄と一体になるわけです。
ギャンブルとかもあるかもしれないね。
場合によってはですね、あんまりこれはいい話ではないんですが、まさにこの不幸な人間関係というのかな。
本当は一緒にいたくないんだけども、この人間関係となぜかこの画が一体になってしまう。
そして病気、暴力、犯罪みたいなね、本来僕らが望んでいないものすらもこの対象に選ぶことがあるわけです。
それから時間とか罪悪感、これがこの番組でよくお話しする僕らを苦しめるものの大きな2つなんだけども、これとも多分画は一体になりますね。
そうすると時間、罪悪感みたいなものがまさに私そのものであるような感じがする。
だから焦ったり時間が気になったりね。
とにかく時間を失うのが怖いというこの思いというのは、この自分が時間と一体になって、時間こそが自分なんである。
もしくは時間が私の一部なんだっていうこの感覚になってるわけですね。
だからよくそのタイムイズマネーを通り越してね、まさに時間とは人生なんだ。
時間とは命と同じなんだみたいなことをよく聞くじゃないですか。
これは僕が思うにおそらくその画がね、この時間というものと一体になっているんじゃないかなと思います。
でも時間もまさにこの心が作り出した概念に過ぎないんですよね。
だから面白いことにこの心から生まれた画というのはね、心が作り出すものなら何でも多分一体になれますね。
要はこのようなものと僕らはね、様々なものと画が結びついて、その対象をまさに自分の一部もしくは自分そのものと思うようになるということですね。
これがその画の働きというか、やめてほしい働きなんですけどね、もちろんね。
これがおそらくやりたいこととかっていう中に様々出てきてるはずなんですよ。
個性に紐づいた幸せな役割
そして一方で、例えば音楽家にとっての音楽とか、この執筆家にとっての文章、それから舞踏家であればダンス、そしてソムリエのワインとかね、あともうその起業家であれば会社そのものですよね。
このようにそのいわゆる実在する本来の自分、この私、こちらにもですね、個性に紐づいた幸せな役割というのがあるわけですね。
こことの見分け方なんですよ。
要は今回のテーマはね、やりたいことがたくさん出てくる。それは画が一体化して自分と思わされているものなのか。
それとも本来の自分、私が個性に紐づいた幸せな役割として選ぼうとしているものなのか。
これは大きな違いですよね。
要はこの画が自らの存続をかけて一体になろうとしているものとね、本来の私が本当に愛するもの、この違いなんですよ。
これは実はとても容易く見分けられます。
そこに痛みや苦しみを伴っているかどうか、これだけですね。
もしこの痛みや苦しみというのはわかりやすいんだけども、その元というかね、この痛みや苦しみの源泉は恐れや不安なんですよ。
だからもしここまでこれは恐れや不安だというふうに見抜けるのであれば、そこに恐れや不安があるかどうかというふうに問いかけてもいいですね。
でもまあ痛みや苦しみを伴っているかどうかでずいぶんわかると思います。
痛みや苦しみを伴うもの
例えばですね、食べたくないのについつい口にしてしまう甘いもの。
これはおそらく間違いなくこの画と一体になっていて、甘いものが私になっているんですよ。
ここの甘いものは何に変えてもいいんですけどもね、お酒でもいいし、逆に言うとしょっぱいもの、塩分控えなきゃいけないのに辛いものとか油が多いものとか何でもいいんですよ。
でもこれをつい口にしてしまう。
これはしかもね、それほど食べたくなかったりするんですね。
なんか食べなくてはならないような感じがして甘いものを求めてしまう。
これは私も本当によく感じるのでね、いつも食べているとその夜の3時になると、
僕は昼の3時じゃなくて夜の3時とかがね、おやつの時間なので、この時についついコーラを飲まなきゃならないんじゃないかっていう、
こういうね、なんて言うんですかね、渇望感というのかな。
もう望んで望んで仕方ないみたいなこの感じ。
これは間違いなく僕は僕の画がね、コーラと一体になっているんですよ。
で、これは痛みや苦しみ伴うんですね。
僕の場合はそれをやるとどんどんどんどんお腹が出ていって、見栄えだけならまだしも体が重くなってくるんですよ。
そしてズボンが入らなくなるので着られなくなるとかっていうね、そういう困ったことも起こる。
これが痛みや苦しみに伴ってますよね。
だからよくあるのがその欲しくもないのにね、ポチる手が止まらない買い物ってありますよね。
特にこのネットショッピング、私も随分とハマりましたね。
これもこの買い物という対象と画が一体になって、買い物という行為がまさに自分の一部になっているということね。
それからこれは私は今でもたまたまたびたび出てくるんですけども、何度も見てしまうこのいいねの数ね。
ポッドキャストの視聴者数みたいなやつ。
これもまあしょうがないんですけどね。
自分がその投稿、僕の番組、これと画が一体になって、私そのものになっているんで。
顔を鏡に映して、女性であればこのメイクがどうなっているか気になる感じ。
これは私の顔なので当然ですよね。
僕も顔にちょっと吹き出物か何かできた日にはいつも見ちゃうわけですよね。
もう小さくなったかなとかって。
この感覚とたぶん全く同じはずですよ。
このいいねの数を見てしまうっていうのはね。
まさにこのいいねと画が一体となり、このいいねの数が私になっているってことね。
そして再現のないこのYouTubeを見てしまうとか。
運動や習慣に関する痛みや苦しみ
他の場合によってはこの体を壊すまでやめられない運動みたいなのもありますよね。
本当は健康のためにやったんだけど何か無理してやってしまってどんどん痩せ細っていくみたいなね。
これもおそらく痛みと苦しみ。
今話したやつは全部この痛みと苦しみを伴っていると思います。
そして例えばこのいいねであればどうなってるんだろうっていうこの恐れや不安。
そしてそれが少なかった時に何つったらいいんですかね。
絵も言えないようなこの胸の中にね。
なんかこう重たいものがボーンと一気にのしかかるような感じがありますよね。
ちょっとハラハラしてしまうみたいな感じかな。
こちらは必ず痛みや苦しみを伴っているんですね。
一方でさっき言ったその音楽家にとっての音楽とかね。
ソムリエのワインとかパティシエのデザート。
その幸せな役割の方ね。
これはその対象自体に多分だけども痛みや苦しみを感じることはないはずなんですね。
もちろんその何というのかな。
それを仕事にするという道において練習が大変だなとかね。
この道は険しいなとかね。
例えばなかなかコンテストで勝てないなとかね。
有名になれない。
その名が売れないなとかっていうそういう悩みはあるでしょう。
でもそれはおそらくですね。
ある種のこの手段に全部関わっているものであって。
自分が愛しているその思い出のある対象から直接やってきているはずはないんですよね。
だからこの痛みや苦しみを伴っているかどうかっていうのはそのもの自体から感じる。
その痛みや苦しみね。
恐れや不安。
これを感じたらですね。
疑ってみる必要があります。
だからなんとなくこれはそのがと一体化した対象なんじゃないかなっていうね。
なんとなくちょっと痛みや苦しみを感じるぞとやめられないにも関わらず。
すごいやってしまうにも関わらず。
すごくやりたいにも関わらず。
やるとなんかしないけど痛みや苦しみを感じるよっていう時はここでね。
これを自分とみなしているのは誰だっていう問いを立ててみてください。
これを自分とみなしているのは誰だ。
自分との対決からの解放
例えば甘いもの。
うわぁ止まらない。
その瞬間にこの甘いものを自分とみなしているのは誰だって聞くわけですね。
買い物をしようとしている。
いやいやいやもう今月相当買ったんだけどな。
でもこれ買わないとなんか気が収まらない。
その時にこの買い物を自分とみなしているのは誰だ。
それからいいねの数何度も見てしまう。
このいいねの数を自分とみなしているのは誰だ。
このように問いかけるわけですね。
運動が止まらない。
この運動を自分とみなしているのは誰だ。
このように問いかけてみてください。
そしてじっくりと答えを探ってみてください。
これは誰だの誰だはもうがだと決まっているわけですね。
でもあえてこれはがだみたいなことを言うとですね。
がを抑えようとしてしまう。
これは前回も言いましたね。
これは抑えられるものでも取り除けるものでもありません。
なぜかというとそれをやろうとしているのががだからなんですよ。
この問いを立てている時点ではね。
まだその本来の自分この私というのが出てきてないわけですね。
だからこれがだよやめようみたいなことを言うこの自分ががなので。
この対決はむなしいわけですね。
だからただただこれを自分とみなしているのは誰だというこの問いをかけることに意味があります。
そしてそのままこの問いを立てたままできれば目をつぶってですね。
本当にこの自分の中を探索してみてください。
このポチッと買い物をするこれを自分とみているのはみなしているのは誰だって言って心の中を探っていくわけですね。
そうするとおそらくだけどもがにたどり着くはずです。
これでいいんですね。これでいいんです。
そうすると発見されてしまったこのがはですね。
なぜか知らないけどこう消え去っていくんですね。
そしてこの後には信頼できる私というのが多分よみがえっているはずです。
失敗から学ぶ笑える日が来るまで続ける
でなんとなくこれはですね。
このそわそわしている感じざわざわしている感じが消えて少し落ち着いた感じがする静かになるってことですね。
これ前回言ったやかましいからね。
静かになるっていうこのちょっとどっしりした浮ついた感じ灰な感じが消えていやいやいや買い物早く買いたいというこのさわざわざわざわしてこの灰になっているこの感じがすっと収まった時におそらく僕らがそれをその答えを探そうとしてがを見つけようとしてそこを見つけてしまったのですっと消え去って本来の私これがよみがえっているはずなんですね。
なんとなくでいいのでね。
この沈まる感覚というのかなちょっと灰になってたのがねフラットに戻るこの感覚を得られたらその私で改めてその対象を見てみてほしいんですね。
甘いものいいねの数ポチポチるがポチるてが止まらない買い物こういうものをもう一度その沈まった自分で見直してみるわけです。
そうするとおそらくねえっとそれその以前この問いを立てる前よりはなんでこんなものに夢中になっていたのかなみたいな感覚がやってくるんじゃないかなと思います。
場合によってはね笑っちゃう時もありますねマジかよなんで俺はこれを自分だと思ってたんだろうみたいなねこういう感じになればまああの大成功なんですけどもね一度や二度ではうまくいかないかもしれないんでねえっとまあ何度も失敗しながらですねこのがにやられながらね諦めずに何度か続けてみてください。
そうしたらいつかね必ずね笑える日が来ると思います。
なんでこんなもんに夢中になってたのか俺はみたいなねもう僕はもうあの随分とこれをやってえっと笑える奴が増えてますね。
まあかつてはねこのガジェットの買い物が止まらないみたいな時があったんですけども今はなんであんなものをねバカみたいに買ってたんだろうそんな感じでえっと慣れてはいます他にもたくさんそのように慣れています。
行動基準を見出す
最近またあのコーラをね復活して飲み始めたんでこのやり方でねえっと以前その5日ぐらい止めてるってお話したんだけどあの後油断してねまた飲み始めてまたお腹出てしまってちょっとあの試みは失敗してねえっと一昨日からかなまたこの子のこれを自分と見直しているのは誰だとコーラに問いかけながらね今はまた2日ぐらいこれを経っていますね。
まあこんな風にやりながらえっとここでこれはうまくいかなかったとしてもねあこいつは要はそのがと一体になってる奴なんだなっていうことはわかりますからねまあ僕の場合でもねもしこのコーラがやめられないとしてももうこんな風に見てしまえばねまさかこれが僕がその本来の私がね真に愛するものだとは思いませんからね。
だからこのトライをやることによって先ほどのねえやりたいことがたくさん出てきた時にえっとどれが私が本当に選ぶべきものなんだろうっていうとても良い基準になるんじゃないかなと思います。
以前にねあの絶対欲と相対欲ってお話をしましたよねまあ要は心の底から欲しいものとえっと人が持っているとかねこれを持ってないと遅れるんじゃないかと思って欲しくなるやつこの2つの違いねこれもなかなか見上げにくいという話があったんですけどもこれも全く今日の話と同じだと思います。
こちらのねこれを自分と見直しているのは誰だという質問の方がもしかしたらわかりやすく聞き目も抜群かもしれませんね。
でえっと最後にねつけ加えるとですねこの本来の自分をねなんとなく思い出した感じがするとそして今あまり恐れや不安もなくね平安に暮らせているぞとそれから体力もね気力も充実しているそんな感じがしているときはですねあえて自分で決めないでですねここで何か自分で決めようとするとね何をやろうかとかこれからどうしようかっていうのを決めようとすると
さっき言ったそのサンルーフからね頭を出しがちなんですねだからここはせっかくその思い出したね本来の自分私にね聞くようにするといいと思います何かをねこう自分で決めようとか判断しようとせずにあえて考えることもせずにねこの本来の自分私に向かってどうすればいいみたいなねあと何か選択肢があったらどちらを選べばいいみたいな形で自分自身に問いかけるような感じで
考えるのではなくてこの答えをその私から待つような感じそしてもっと言うとですねそうなったときこのいい感じになったときはさっき言ったすべて力他の人環境ここから必ずいい誘いが来るのでそれを少しの間待つということも大事な感じがしますね
自ら何かを決めて動き出すってこれではなくてねえっと自分と自分と対話しながらそしてきっと何かいいとこに連れて行ってくれるそういう流れが来るだろうなぁと信頼してねえっとおとなしくしばらく待つこれがね私は一番いい過ごし方なんじゃないかなというこれを最後にちょっと付け加えておきますねまあこの話はねどっか別の機会でもっと詳しくねお伝えしようかなと思っています
今日はそんな感じですかねここからは本当に告知なんですけどもね今日の流れではやっぱりワントレ2の話がいいかなと思います私のワンワンのセッションで今ですねじっくり12チケットという一番おすすめのね12回というのはなかなかいいその頃合いというかちょうどいい感じがしますねこれを割引でご提供していますのでね
あと2枠増やしましたキャンペーン枠をねですんでよろしかったらぜひぜひトライしてみてくださいさっきお伝えしたように私は何かを教えたりリクチャーしたりするわけではなくてですねただ全ての人の中にねえっと眠っているという言い方が一番いいのかなこの最もハイパフォーマンスでそして幸せで平安で愛そのものであるねこの私本来の自分
これをどのようにね甦らせるか思い出すかというそのお手伝いをするだけですなのでぜひ気軽にお申し込みくださいよろしくお願いしますじゃあ今日はですね何かこうやりたいことが山ほど浮かんできてねどれから手をつけたらいいかわからないどれが本当に自分の心からやりたいことなのかわからないという時はですね
そこにこの思い出を持っているのはね本来の自分なのか私なのかねそれとも偽りの自分がなのかこれを見分けてねしっかりとこの幸せな役割の方に導かれながらねいい一日をお過ごしくださいありがとうございます
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