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2023-06-16 45:47

133 自分は「いまここ」に留まって世界のほうが動いていると感じてみる

今日は、考えを止めたり何かに集中したりするやり方とは別の「いまここ」にいる方法を紹介しています。映画を観ているように自分はいまに留まり、人や世界が勝手に動いてくれる様子をイメージします。番組でお知らせした「書き上げ塾」と「ワントレ2」のお申し込みはこちら→ https://goodvibes.work/kakiage/ https://goodvibes.work/onetore2/

ポッドキャスト開始〜番組スタート〜
グッドバイブス ミッドナイト楽座
by 倉園佳三 こんばんは、ただいま6月16日金曜日の午前1時12分ですね。
あの実はこの番組がですね、もうすぐ1周年を迎えるということがわかりましてね。 というのも昨年の7月7日七夕の日にね、えっと第一回目をアップしてるんですよね。
だからあとまあ20日ぐらいかな。20日ちょいぐらいでこの番組1周年を迎えることになります。
本当にあのいつも聞いてくださるね、皆さんのおかげでなんとかこのへこたれずにね、続けることができています。
まだ1周年経っていないんですけどね、本当にありがとうございます。
そんなわけでちょっとそれに気づいてですね、どんな話をしてきたのかなと思ってこうタイトルをね、スラスラーとたどってみたところですね。
最初の紹介はえっとポッドキャストを始めますという、多分これはねパイロット版みたいな感じ。
てかそもそもこのポッドキャストを撮ってみたらどうなるんだっていうのを試してみてね。
しかもその配信してみてどのぐらいの方が聞いてくださるのかみたいなことを多分お試しでやってみたんですよね。
そしたらなんていうかな、手応えというか自分の手応えもそうだし評判もね、そこそこ悪くなかったので2話目から本腰入れてやろうかなと。
でまだこの頃は多分週に2回ぐらいの配信でとかっていうかちょっとビビった感じでね、月水にしようぐらいなところでやってたんですけども、その第2回目というのがおそらくこの本格的にねこの番組を始めた初回になる。
第1回目はパイロット版なんですよ多分。
でそのタイトルが今ここで生まれ変わるだったと思うんですよね。
だから実はこのミッドナイトラクザというこの番組はですね、今ここの話から実は始まっていたっていうことに改めて気づきまして、でそのタイトルを見てもう一度ですねこの約1年経った今、もう一度この今ここの話をねしてみようかなと途中で1回か2回したような気もするんですけどもね、改めてちょっとその話がしたくなったんで今日は今ここをテーマにします。
今ここの意義と存在
でまぁいつも言ってるようにそのらせん階段のような感じなんですよね。同じ話に必ず戻ってくるんだけども、なんとなくその1回目と2回目そして3回目はね、まぁなんつーかな奥の深さ、奥じゃないな、なんかちょっとまぁいろいろ変わってると、で1回目よりは少しちょっと深くなってるっていうそんな感触ですかね。
まぁこれは私もその日々いろんな取り組みをねしていまして、全然このgood vibesという風な名前でね、くくっている私のこの一つの提案というのかな、幸せに生きるための提案、これは完成なんか全然してませんからね、さすがに180度撤回するようなそういう内容はないんですけどもね、でもいやこうするよりもこちらの方が多分効果があるとかね、早いとかやりやすいとかね、分かりやすいというのが
日々発見しているような感じで、でまぁさらにこの数回っていうのかな、過去7回ぐらいですかね、この自分で話している話がやっぱりちょっとこの螺旋階段な感じが自分でしていましてね、同じ話を、まぁ言葉を変えたり最近で言うとこの私とがというね、この2つのこの言葉をこう出してきたりとかっていう中で、まぁ私もこう楽しくね、この螺旋階段を少しずつこう上昇しながら話をしているような感じなんですよね。
だからまぁそんなノリの中で、今ここを話すとどうなるかというのをちょっと今日試してみたいんですね。
で、まずはおさらいからいきましょうかね、なぜ僕らはね、今ここにいられないのか、あるいはなぜ今ここにいることが難しいと感じてしまうのかということですね。
だってあの今ここというのはね、唯一実在する時間なんですよ、現在というのはね。
過去と未来はいつもこの番組でお話ししているように、僕らが頭の中で作り出した概念なんですよね。
過去はすでにあったことは確かでしょうね、事実でしょう。でもここにはないんですね。
そして未来はまだ来ていない。だからこれは確実に頭の中で過去と未来というこの概念を僕らが持つ、そのある意味そのバーチャルな時間ですよね。
幻影の時間と言ってもいい。それに対してこの今ここはね、唯一の実在する時間、現実の時間なのに、どうして僕らはここにいられないのかっていうね、どうもおかしな話がここで繰り広げられるんですよね。
で、これはなぜかというと、いつもお話ししているように、二人の自分のうち、この偽りの自分というね、これは僕らがその心で作り出したものなんですよ。
これは偽りの自分というのは実在しない。でもそれが僕らの中にいるような感じが私たちはしていると。
つまり僕らが心の中で作り出したからなんですよね。
これを最近がと呼んだりしている。
過去と未来の影響
で、この要は幻影の偽りの自分、幻影のがというのはバーチャルな時間にしか存在できないんですよね。
幻影ですからね。だからこの偽りの自分がですね、自分自分がその存在する時間、これを作りたいということで、僕らにその過去と未来というね、実在しない時間について考えさせるわけですね。
そうすると頭の中にははっきりとこのあたかもその過去と未来がね、今リアルにあるように僕らは感じる。
そこにこの偽りの自分というのはね、この位数あるわけですね。
ここが彼の隅かということになるわけです。
で、前回ね、まさにこの実体のないがというのはいろんなものと一体になると。
一体になることによってそれがあたかも自分であるように感じさせる。
で、この対象の中に時間も含まれるというお話をしましたよね。
これと同じことです。
じゃあどうやってね、このがとか偽りの自分がね、僕らにその過去と未来、この実在しない時間について考えさせているか。
これもう少し詳しく見ていくと、要は一言で言えばその過去のデータをもとに未来を予測するというここをつないでいるわけですね。
僕らはそのすぐその過去を振り返りますわね。
そして後悔したり反省したりします。
場合によってはそれによって罪悪感を持ったり怒りの種を心の中に植え付けたりする。
これが苦悩のもとなんでね、過去は忘れましょうと私はお勧めするんだけども。
要はとんでもないわけです。
そんなものは忘れてはいけない。
現在が支払う過去の代償
このがにとってはね、偽りの自分にとってはその過去のデータこそ僕らにとってね、未来を良くする手がかりなんだっていうふうに言うわけですね。
だから最初にまず過去を見ながら同じことが繰り返されるかもしれない不安というのを持つわけです。
次にだから次の過去から今、そして未来ね、これをより良いものに変えなきゃならないと。
ということはこの過去のデータを振り返ってここから学んだことを現在にやるのであると。
つまり現在というのはより良い未来を迎えるための手段なんだよという、こういう感じにするわけね。
そうするとどうなるかというと、過去と未来が直結して現在が消え去るんですね。
なぜかというとこの現在というのはね、今の仕組みの中で言うとまさにこの過去の代償を支払う時間になるわけですね。
もしここに罪悪感を持った場合は罰を受ける時間というふうに言ってもいいかもしれない。
だからこれはできるだけ早く過ぎ去ってほしい時間でもあるわけです。
そうですよね。過去の反省をもとにより良い未来を築くためにその手段を今やりなさいと言われている。
これは過去の代償を払ってますよね。
だって過去にもしそういう振り返って反省したり後悔したりすることがなければ、
そのようなことはする必要がないわけですね。
でもこの偽りの自分はね、なんとかしてこの現在という時間を消し去りたいんですよ。
だから現在というのは基本的に過去の代償を支払う。
もしくは罰を受ける時間であってなるべく早く過ぎ去ってほしい。
これが早く終わってくれ早く終わってくれっていうね、僕らがいつも感じている生活をしながら
生きていながら何か目の前のことを早く終わらせたい。
早く終わらせたいと思う原因でもあるわけですね。
で言い換えるとこの現在というのは
その過去からさっき言った同じことが繰り返されるかもしれない不安というのがやってくるわけですね。
これを現在はひたすらそれを感じている時間と言ってもいいかもしれない。
多くの場合現在はひたすら恐れや不安もしくは残虐感を抱く時間になっているわけですね。
その上その過去の代償を支払わされているっていうだから早く過ぎ去ってほしい時間になってしまうんですね。
だからとてもなんかあの不安が取れないとかね、いつもなんかこう漠然とした不安を抱いている。
それはなぜかというと現在はひたすら恐れや不安と罪悪感を抱く時間に
この仕組みによってなってしまうからですね。過去と未来に挟まれてしまって
うっすらと存在しているんだけどもそれは僕らにとって
未来を良くするための手段、過去の代償を支払う時間。だからとにかく早く終わってほしい。
こうすることによって僕らは過去か未来に気が向きますよね。
これはまさにこの偽りの自分の作戦なんですよ。
つまりこの偽りの自分は今ここをとても恐れているんですね。
僕らがなるべくそこにいないようにしてほしいと思っている。
なぜかというと先ほど言ったようにこの幻影の偽りの自分は
バーチャルな時間にしか存在できないんですね。
もし僕らがね、ブワンと今ここに立ってしまうと
もう一つのこの本来の自分
私というやつね、こちらが登場してしまうんですよ。
それはすなわちこのが偽りの自分の消滅を意味するわけですね。
消え去ってしまう。だから存続をかけて僕らになるべく今ここにいさせないようにする。
これがまさにそのおさらいの部分で、なぜ今ここにいられないのか
偽りの自分による今ここからの逃避
それが難しく感じるのか。
いやー、今ここにいるって本当に難しいですよね。ってやっぱりね、僕らは言いますよね。
それはとてもシンプルですね。
このもう一人の自分が僕らを今ここにいさせないようにしている。
僕らが今ここにいると消えてしまうからね。
とてもわかりやすい作戦なんですよね。
そして今言ったようなこの過去と未来が直結して現在が消え去る。
これが僕らの平安を奪っている。
そして本来の自分が登場することを妨げている。
だから今ここに戻りましょうというわけですね。
で、じゃあどうすればこの今ここにいられるかっていう話になっていくんだけども、
緑の本でもこのまさにね、
偽りの自分が僕らに強いていること、過去や未来を考えさせること、
この反対に行くということを、まあこのやり方をお勧めしたわけですね。
つまり過去や未来についてできるだけ考えないようにするということ。
考えてしまうと今ここにいられなくなる。
だから考えなければおそらく今ここにいられる。
これはまあまあ効果はあるんですね。
おそらくこの瞑想とかね、そこにも同じような効果があると思います。
要は考えを一瞬止めてしまうと。
そうするとそこに残るのは唯一の実在する時間、今ここしかないのでね、
僕らが頭の中に過去や未来の概念を作り出さなければ
今ここにいるための方法
いつでもこの今ここに戻ってこられるという、そういう仕組みになっているわけですね。
ただしこのやり方にはね、一つだけその欠点があって、
一時考えを止めたとしても、
やっぱり僕らのこの我の心っていうのはね、すぐにまた動き出してしまうんですね。
消えることがない。
たまたまこのなんていうのかな、この我の誘惑を
この考えないということで、一回シャットアウトしてるってそれだけなんですよね。
だからまあよくある何かに集中するっていうやり方もありますよね。
例えばこのスポーツをするとか、あるいは一人でカラオケに行ってね、一人カラオケで
熱唱しまくるとか、
あとは機能をおけない仲間たちとね、楽しく飲みに行って
会話で盛り上がるとか、とにかく何かに集中すればね、
読書とかはちょっと難しい感じがするんですけどね、なかなか僕はその過去や未来が気になって考えが止まらない時に
本を読むという、ここにはなかなか入れないんだけども、だからまあもうちょっとこの
単純なことになるでしょうね。やっぱ体を動かすとかね、
知っている歌を歌いまくるとか、
瞑想とデフォルトの状態
まさにこうバカ話をして盛り上がって笑うとか、そういうことになると思うんだけども、
これもまあ一つ同じような効果が得られるわけですね。瞑想とかとね、
考えを止める。だから過去や未来がなくなって、
それをやっている時は、あと今ここにいるような感じね。
でもなんかこのやり方っていうのはね、そのデフォルトの状態が、
やっぱり過去と未来について考えている、この画の時間の中で生きて、
で苦しくなった時に、この今ここというね、避難場所に逃げ込むような感じですよね。
もちろんこれはやらないよりは、やる方が100倍、もっと1000倍ぐらいがいいと思うんですよ。
とにかくやっぱりね、まずこのずーっと過去と未来に考えがとらわれているこの状態を
何とかするってのは先決だと思うんですね。
そうしないと恐れや不安が取り除けませんからね。
その状態では多分何をやってもうまくいかない。
だからまあこの落ち着くというのは非常に重要なポイントなんで、
これが悪いというわけじゃないんですよ。どんな方法であれ、瞑想してもいい、何かに集中してもいい。
一旦はね、ここから抜け出すというのはこれ非常に大切ですよね。
これはまあ、その何だろう、鎮痛剤で一回痛みをね、沈めておいた方がいいっていうのと似てますよね。
これは何をしているかと言ったら不安を消しているんですよ。
この痛いというこの状態はとてもやっぱり怖いのでね、
少なくともその痛みが少し収まるだけで僕らは落ち着くことができる。
だからこれはトータルなこの癒しというかね、まあ健康面であっても心であっても
その癒しにとってはとても大切なステップなんですね。
だからやらないよりは全然いいと思うんだけども、
だから僕もここでね、この考えには意味がないっていうようなワークとかもいくつかね、
提案したりはするんだけども、
ただこれはですね、やっぱりその鎮痛剤を飲み続けるわけにはいきませんよね。
ずっとこれをやるっていうのも、やっぱりさっき言ったこの避難場所に逃げ込むような感じになってしまう。
だからデフォルトがどちらかっていうところがね、非常に重要な気がするんですよ。
やっぱりこの標準っていうのかな、いつも今ここにいる、いつもをここに今ここに変えるっていうのかな、
このトライを私はやっぱりお勧めしたいんですね。
もしデフォルトが今ここでね、油断するとその画の時間に
ポンと飛び出てしまうっていう、この過去と未来について考えてしまう。
この場合はさっきと反対でね、これが避難場所じゃなくて、
デフォルトが今ここですからね、
ポンと飛び出た時に、ああいかんいかんって、この今ここに帰ればいいわけですよね。
だからこの画の時間がデフォルトになってしまうと、
もう一時のシェルターからね、また辛い世界に帰るっていう、こういう関係になってしまうんで、
だからできればね、私はやっぱりこのデフォルトを今ここにするというね、このトライをお勧めしたいわけですね。
空間モード
だから今日はね、この考えを止めるだけではなくて、これはとても有効な方法なんですけどもね、これも交えながら、
もう少し別のアプローチでね、この自分と世界の捉え方を変えて、
今ここに留まるっていう方法をね、ちょっと紹介したいなと思っています。これは、
私がよくやっているつか、いつもいつも心がけているやり方でもあるんですね。
で、最初にどこか、この最近の番組でお話したんですけども、空間モードというのをね、準備編としてやっておくわけですね。
空間モードというのは、まずまっすぐ、外の方がいいんですよね。外に立って、
まっすぐ景色を眺めるわけですね。そうすると、
まっすぐ眺めているこの視界の中に、
自分が入っていないっていうのに気づけるんですね。
目はパッと開いて、いろんな景色が飛び込んできてるんだけど、私がその中にいないんですよ。
で、この時にこの見えていない体というのを、できるだけ意識しないようにするわけです。
そうすると、なんとなくなんだけども、
体が消えて、私の意識だけがこの景色を見ているという、そういう感覚になれるわけですね。
で、その上で、
さらにね、私は空間の方であるというふうに捉えてみるわけです。
今までは空間の中に自分がポンと存在していたんだけども、
この体が見えずに、景色だけがブワッと意識の中にあるという、これは
なんとなく私が空間になった感じだよねっていう、このイメージを持ちやすいんですね。
で、これは後で出てくるんですけども、なんか映画を見ているような感じにも似てるかもしれない。
うん、なんか映画館の中って真っ暗ですよね。
で、真っ暗の中でこの明るい映像だけを見ていると、いつの間にかこの自分の
体みたいな存在がフッと消えてね、
頭の中にこの世界がこう存在している。それがその
ヨーロッパであったり、太古の昔であったり、ジェラシックワールドであったりね、SFの世界であったりするんだけども、
その実際に存在していない世界が
この私の意識の中にね、ブワーッと浮かび上がっている。
それを存在させているのは私の意識なのでね、
まさに僕という空間の中に世界が出来上がっているっていう、そんな感覚を持つわけですね。
意識と過去・未来からの自由
で、なぜこの感覚、この空間モードを最初にやるかというと、
この体の意識があると、なかなか僕らは過去と未来から逃れられないんですね。
なぜならば、この私のこの体というのはね、子供の頃からずっと変化し続けてきてますよね。
大きくなってきてる。その過去の一部始終を僕らは覚えているんですよ。
僕ももうはるか昔にこの成長という期間を終えてね、
今はシワが増えたり、だから髪の毛が薄くなったり、お腹が出たりしているわけですね。
この変化を僕は全部覚えているわけです。
例えばその歌で言うとね、僕はですね、今までその録音した音源の中で
一番最高音は上のBという音を出してたんですよ。
これが僕のトップの音だったんですね。
で、しばらくしてそれがAに下がり、これがどのくらいかな、3、4年くらい前かな。
ちょっともうBは出ない、Aまでってなって、そこからまたこの3、4年経った今はですね、もうAは
出ることは出るんだけど、なかなかロングトーンはきついなと。
今はこのボイトリでね、一応孔子の歌というのをお届けしているんだけども、
それは最高音をGまでに留めているわけね。
要は僕のキーがどんどんどんどんこの体の変化とともに下がっているということですね。
まあこれはきっと
声帯とか喉に関係しているんでしょう。
要はこういう記憶が体とともにね、僕らの中に染み付いているので、
以前この番組でお話ししたね、過去を自分とみなしてしまうと、
これはこの体の変化、その記憶のせいなんですね。
さらに言うと、これは過去の話なんだけども、実はこの体は未来についても結構
シビアなイメージを抱かざるを得ないんですね。
これはもうシンプルにいつか消えてなくなるというね、過酷な運命を
背負っているっていうこの体を体にフォーカスすると、この体が自分だと
みなしてしまうと、そのような怖さというのもここに加わってくるわけね。
だから過去と未来というのが非常に重要になってくるわけですよ。
で、前回お話ししたような、多分この画はね、これを狙って体と一体になっている。
この感覚があると、この体が私なんだっていうこの感覚しかないと、
今ここにいるのはね、多分至難の技というか、多分不可能だと思うんですね。
だからこのまずはね、
現実にどうかは置いておいて、
僕らはこの意識を本体とみなすというこの空間モードっていうのかな、
ここを体験することができるんで、これを作っておくわけですね。
ああなるほどなるほどと、この意識が私で、そしてこの私という意識の中にこの世界が
存在しているんだなっていうこの感覚を持っておくわけです。
これはそんなに難しくないです。やってみてください。
で、これができたらですね、そのまま歩き出すんですね。
これは空間モード&散歩と呼んでますね。
空間&散歩モードか。
これで歩いてみるわけ。そうすると面白いことが起こるんですね。
景色が前からずっと流れてくるんですよ。動くからね。前に歩いているんで。
で、これを
今までこの体を持って動いているという感覚でこれを認識すると、
自分が例えば散歩をする道を
この今の時点から先に動いている、移動しているというふうに当然だけど感じる。
それが現実なんですけどもね。動いているというのが現実なんだけども、
これをさっきの空間モードで体の意識をスッと外すと
何が起こるかっていうと、足は動いているんですけども、この足を動かしているって意識も少しだけ
なるべく感じないようにして、景色だけ見ると
私が止まっていて、世界が向こうからこっちにやってくるっていう感じが多分
感覚として持てるはずなんですね。
私は止まっているんですよ。
歩いてるんですけどもね。歩くから景色が流れてくる。でも僕は止まっている。
まさにこの今ここに留まっているっていうこの感覚を持つんですね。
そうすると
前から景色がこう動いていって、
私は止まっているんだけど、例えば目的地が駅だとすると、その駅が向こうからグーッと
自分の近くにやってくる感じ。
逆なんですね。僕が動いているのではなくて、僕は今ここに留まっていて、
世界が動いてきてくれるっていうこの感覚ね。
実際には何度も言いますけど、足が動いてますからね。歩いてますから、私が動いているんだけど、
さっきの空間モードで、このバーチャルなんだけども、私という体がなくても
この意識の中にその空間が存在している、空間じゃなくて映像が存在している。
だから私は空間側に回るというこの感覚を持てるんだっていう。
このまま歩くと
自分が今ここに留まっていながら景色の方が向こうからやってくるっていうこういう感覚。
これも感じることができるはずなんですね。
なぜかというと、これはですね、映画を見ている自分、さっき言いました、その映画を見ている自分とね、結構近いんです。
空間モード&散歩
しかもですね、普通の映画じゃなくて、例えばVRゴーグルをつけて、よくあるVRゴーグルをつけたら
その映像がですね、私が歩いているかのように向こうが動いてくれるってやつありますよね。
あとあのジェットコースターに乗る体験をできるみたいな、あれは景色が動いてますよね。
でも僕らはあたかもこの自分が動いているような錯覚に陥るわけね。
つまりこれ逆もできるってことなんですよ。
だってそのVRゴーグルの時は自分はとどまってますからね、とどまっていて世界が動いてるじゃないですか。
あと最近で言うと、270度の3面マルチプロジェクションのスクリーンXってのがあるじゃないですか。
あれで映画を鑑賞するのに似てますよね。
この3面のマルチプロジェクションに自分が囲まれていて、僕はシートに座っている。
で、映像が向こうからやってきて、また去っていくわけですね、後ろにね。
で、もう世界各国、その映像が出てくれば、僕はそこに行かなくともロンドンがここにやってくる。
ニューヨークがここにやってくるわけです。この感覚。
私は今ここにとどまっていて、世界が動いてくるっていうね。
自分を今にとどめて、世界が勝手に動いている感覚です。
で、これもう一つ何に似てるかって言ったら、あの音ゲーのね、太鼓の達人、あれに似てるんですよ。
太鼓の達人って曲が流れていきますよね。
でも僕はとどまっているんですよ、一点に。
要はあれ、マークでここに来たら叩けっていうところにとどまっていて、
楽器を演奏するような感覚で仕事をする
曲の音符がそこに来たらポンと太鼓を叩くわけですよね。あれと同じなんですよ。
自分はとどまっている。曲が流れているって感じね。
音楽をやっている人であれば、譜面というのがありますね、楽譜。
これを普通は自分が動いて追っていくわけですよ。
1小節目、2小節目っていう風にね。そうではなくて、私はとどまっている。
譜面の方が勝手に動いてきて、
今、あなたはこの音を出してね、この音を出してね、この音を出してねって言って、向こうからシグナルが来る。
そこに合わせて太鼓の達人のようにドレミという風に吹くという、あの弾くという、そういう感じね。
この太鼓の達人、もしくはVRゴーグル、
スクリーンXみたいな感じで世界を捉えるということですね。
これを散歩モードでまずは体験するわけです。とても簡単ですよね。
歩きながら、世界が向こうからやってきて去っていくぞっていうね。
これはそんなに難しくない。空間モードの次が空間&散歩モードですね。
で、これがなんとなく掴めたら、
これを体験するには、私が今ここでその感覚を持っていないと、
成り立たないっていうことに気づけますよね。
一瞬でもこの雰囲気をポンと解いた瞬間に、いつもの自分が歩いているというところに戻されます。
そうではなくて、今ここでしっかりと自分をポンと留めて、そして景色が流れている。
これをしっかり見ていないと、この感覚は持てないわけですね。
それも確かめながらね、散歩してみてください。そして、自分が留まっていて、
景色が向こうからやってくるという、この感覚を掴んでみてください。
で、これが分かったらですね、そういう感じだねっていうね、なんか掴めたらですね、
これを仕事とかね、プライベートとかあらゆる行動に
応用できないかなというふうに考えてみるわけですね。
例えば、すごく分かりやすい例で言うと、
Excel に何かデータを入力する機械、これがあったとしますよね。
普段は、僕らはこれをどう捉えているかというと、まさにこの広大なExcelシート、
Excelシートってめちゃくちゃ広いときは広いですよね。
これを自分がこの上下左右に動き回ってデータを入力している感じね。
で、同時に多分このデータを入力しながら始まりと終わりの時間というね、
いつから始めてここまでに終わらせなきゃいけないとかね、
この時間の重みも感じているはずなんですね。
で、そこでこのExcelにデータを入力する前に、このパソコンの前でまず空間モードになるわけで、
パソコンの前にこう座ってね、
そして目の前をこう見るわけね、そこに私はいない、
ってことはこの私の意識の中にこのパソコンの画面が今浮かんでいるんだなっていうね、
私という空間の中にこのExcelシートが存在しているんだなというさっきの空間モードと同じですね。
で、ここで僕がさっきとこの散歩と同じで、私がこのセルを移動するのではなくて、
Excel側が勝手に動いてくれて、
セルがね、入力するセルが僕の前にポンと現れて、
ここに数字を入れてって言って目の前にやってくるっていうこういう感じ。
で、これはまさに太鼓の達人と同じなんで、来たセルに合わせてキーボードを叩けばいいわけですね。
で、もちろんこの時そのセルの移動はね、手でやるわけだから、
上下キーとかね、いろんなキーを使って移動してるんですけども、マウスとかでね、
時間にさらわれずに集中する
それをさっきあの歩きながら、えっと散歩をしながらこの足にあまり意識を生かせないで、
止まっているというふうにこう感じる。これと同じようにするんですよ。
まあだから嘘なんですけどもね、本当は自分が動かしてるんだけども、
えっとそうじゃなくて、私は止まっている。Excel側がスッスッと今ここに入れて、ここに入れて、ここに入れてっていうふうに、
向こうからやってくるというこの感覚を得る。
で、これも同じように今ここにいないとこの感覚は持てないわけですね。
文章を書くときも同じです。
普通は1行目から最終行まで自分で動いて、この行を動いて文字を埋めていく感じ。
で、これを今ここにポンと留まりながら、エディターが僕の前に空白の行をボンと運んできてくれて、
ここに書いてっていうこの頼んでいる、この様子をイメージするんですね。
で、そうすると面白いことに、えっと普段このね、自分が動いてこのデータを埋めてる、
自分が動いて空白の行に文字を書き込んでる、これはなんとなく膨大な作業のように感じるんだけども、
それはなぜかというとね、僕らがその過去と未来という概念を持ちながら、
始まりと終わりというね、まさにこの概念を持ちながら、
まだ終わらない、まだこんだけ残ってるっていうね、
この時間の流れでこのExcelやエディターと向き合ってるからですよね。
でもここで私は動かない、私はここに留まってる、今ここにただ留まってる、
そして必要なセルが向こうから僕の目の前にポンと現れてきた、
現れたらそこに数字を打つ、現れたらそこに文字を書くというこの感覚は今ここしかないんですよ。
だから私が動かない、向こうからやってくるというこの感覚で、
あらゆるね仕事とかそういうものをやってみると、面白い感覚が得られると思います。
おそらくね、集中とはこういうことなんですよ。
もう本来の私にとっては当たり前のことなんですね。
だからおそらく集中するという言葉は、
これはね、画の時間から見た状態に過ぎないんじゃないかなと思います。
だから集中しすぎると疲れるみたいな不安を抱きますよね。
これはまさしくこの集中しないでって言っている画の言い分なんですよね。
今ここで世界が向こうからやってきて、
そこに僕が一つ一つ対処しているってこの感覚はですね、
まさに集中してるんだけども、
集中することの意義と感覚
それがこの今ここにいる本来の私にとってはこれしか多分やり方がないのでね。
だからこのやり方を使うことによって多分いくつかいいことがあるはずです。
まずいわゆる一般に言われている集中するというのを自動的に行える。
そして膨大な、例えばセルとかエディターの行を
自分でコードを動いて埋めていく。
数字を埋めたり、移動しながら数字を埋めたり文字を書いたりするのに比べてね、
はるかに多分疲れないだろうなと思います。
あと例えばね、今日のような雨が降る道を歩くときとかね、
もう少しすると多分灼熱の対応の中、
熱中症にお気をつけくださいみたいな気候の中でね、
どこかに移動しなきゃいけないとこで、こういうとき。
それから結構長い新幹線に乗って遠くに行くときとかね、
こういうときにやっぱり自分が今ここに留まっていて
世界が動いていくっていうこの感覚を持つだけで、
ずいぶんとね、例えばその環境に対して辛いなと思うこの感覚とか、
これはおそらくこの時間の流れの中で僕らは感じてるんですね。
これも柔らいでいく感じがします。
そして最後にね、これをせっかくなんでね、
人との対話に使うっていうのがやっぱりおすすめなんですね。
要は僕らはとかくこの人間関係煩わしいなと思いがち。
そして特にね、この人と直接話すとかね、
関わるというところがものすごくやっぱり苦手な感じがするわけね。
人間関係デストロイヤーだった私にとっても、
これは本当にもうこの番組でもお話したように、
パーティー嫌だな、人と初めての人と会うの嫌だなっていうこの感覚。
これをまさに今日のやり方でね、対話に使ってみるんですね。
そうすると何が起こるか。
対話による新しい見方
まず私は今ここに留まってます。
そして誰かが現れる。
これは面白いことに、過去の戦いをもって現れるんじゃなくて、
私の目の前におそらくこのスクリーンに初めて登場する未知の存在なんですよ。
なぜならば、今ここにいる私には過去がないからなんですね。
しかもこの未来もないから、
この人とどんな会話を交わすのかっていう予想をする必要もないんですよ。
ただパッとこうね、映画のスクリーンに、
お、Aさん来たな。
あ、佐々木さんやってきたな。
あ、矢部聖子さんが今登場したなと。
お、何すんだろうと黙って今ここで見てるんですね。
まさに今ここで。
本来の自分と無関係な定義の不要性
普段はどうしてるかっていうと、
僕らはね、空間モードではなくて、
まさにその登場人物としてそこに現れて、
そして過去の戦いとかいろんなことをこの心の中に持って、
あ、あいつ来たよっていう、
もう何かをここでね、感じているわけね。
あんなこれからどうなんだろうな、未来に関してもウォーとなってるわけ。
でも、この今日をお勧めしているこの空間モードで、
自分は今ここに留めて、
そして世界が動いてくれるんだっていうこの見方であれば、
まず現れてくる人は必ず未知の存在なんですよね。
今ここしかないから。
そしてさっきのエクセルのセルのように、
相手が勝手に動いてくれて、
僕の目の前にね、例えば質問とか提案とか、
場合によってはクレームみたいなことを投げかけてくれるわけですね。
で、来たら太鼓の達人のように、
お、質問来たな、はいこうやって答えればいい。
あ、提案来たな、どうしよう、いいですよ。
あ、もしくはちょっとそれはどうかなみたいなこれを返せばいい。
で、クレームが来た。
お、クレームかと。
何やったんだ俺。
あ、なるほどね。
あ、わかりました、こうですね。
って言って、その相手が投げかけたものに合わせて、
返事をすればいいだけなんですね。
これって普段のやり方とまるで違うわけです。
私は今ここにいる。
そして向こうから人がやってきて、
僕の目の前に質問、提案、クレームみたいなことを投げかける。
太鼓の達人のようにそこにポンとね、
何か返事をするっていう、たったこれだけ。
実はですね、これがもしできたとしたら、
最近私がお話ししたね、過去を忘れる。
それから未来についての答えを持たない。
それから罪悪感を持たない。
そして例のこの白紙のタグにね、勝手に自分の説明を書き込まないというね。
これが同時に多分実践できるはずなんですね。
なぜならばこの過去も未来も、
今ここに留まって、向こうからいろんなことが現れてくる。
それに対処するこの自分には過去も未来もないわけですね。
そして白紙のタグにこの説明を書き込む。
これは言いみづけなんですけどもね。
この根拠となる過去がないんですね。
ということは書く理由もないし、書けないということです。
あ、こいつ来たなと。
あ、これはこういうやつだみたいなことを書く理由も根拠もない。
これは全部過去にありますからね。
しかもですよ。
この今ここに留まっているこの私は何かというと本来の私なんですね。
偽りの自分がというのは過去と未来というバーチャルの時間を作り出して、
そこに存続する影のような自分。
そして今ここでさっきの空間モード。
そして空間&散歩モード。
世界が動いて私は今ここに留まっているこの私はですね。
もう本来の私なんですよ。
そうすると以前もお話ししたように、
この本来の私というのは自分で自分を定義する必要がないんですね。
そもそもこの私とは何かって考えたところから、
この偽りの自分とかが生まれてきてますからね。
しっかり今ここに実在しているというこの私を定義する必要がないんですね。
これが本来の私の素晴らしいところ。
ということはこの私はですね、
同時に他の人を定義したり評価したり判断したりする必要もないということなんですね。
留まっているということの意味
これがまさに本来の私から見る人の見え方であり、
本来の私の人の関わり方なんですね。
人との関わり方。
つまりこの今ここに留まり世界を動かす。
僕の周りにいろんな人が現れてきて、
そこに一つ一つ今ここで目の前で対処するってこのやり方は、
人間関係の見え方も一変させてくれるっていうことなんですね。
ぜひぜひですね、この私は留まり世界が動いているね、
これを人にこの適用してみるっていうかな、
人でやってみるっていうのを、
これは順番としては最後ぐらいがいいんですけどもね、
まずはその散歩してエクセルやって、
それから文章を書いてね、
その他、洗い物とか掃除とかそういうのをやるのがいいのかもしれない。
そしてなんかこの生き方というかね、
このあり方って悪くないなと思ったら、
ぜひ人で試してみてください。
その時に自分とは何かっていう、
この定義をしなくていい私が現れ、
その私は同時にね、人を評価したり判断したり、
意味付けをしたり、
この過去をもとにね、
それをやる必要がないということ。
これによって随分と恐れや不安、
そして人と関わる上で感じる罪悪感みたいなものね、
そういうものから解放されるんじゃないかなと思います。
まさに人間関係も一変させてくれるというやり方なんじゃないかなと思います。
これをですね、考えを止めるとかではなくてね、
日々のこの暮らしの中に取り入れていけばいくほど、
最初はね忘れてしまうんですけどもね、
気がついたらおっとっとと、
俺は今ここに留まっていて、
世界が動いているっていうこの感覚に戻っていくとですね、
だんだんだんだん、
これはさっき言ったように集中とほぼ同じでね、
そして疲れない集中、
変化しないということの意味
その上にこのパフォーマンスもね、
おそらくこれより良いパフォーマンスはないと思う。
そして恐れや不安は多分最小限、
基本的にはないでしょうね。
このモードで動いている限り、
恐れや不安というものはないでしょう。
もちろん罪悪感もないでしょうね。
よかったらちょっと少しずつでもいいんでね、
トライしてみてください。
僕はこれ楽しいなと思っていつもやってます。
まずはね、散歩モードから試してみてください。
まとめるとですね、
この留まっている、
今ここに留まっているということは、
私は動いていないということでもあるわけですね。
なんか回転寿司でもいいかもしれない。
回転寿司のカウンターに座ってるんですね。
で、レーンがぐーっとこう回ってくる。
私は動いてない。
レーンが勝手に動いてくれる。
で、何がやってくるのかなって待っていて、
お、これに何かしよう、
これに何かしよう。
もしくはこれはもう流しとけばいいやっていうふうにね、
まさに太鼓の達人のように反応していくっていうこのやり方。
これ私は動いてないんですね。
さっき言ったこの楽譜をたどるんじゃなくてね、
楽譜が向こうからこの音出してと言ってくる。
そしてExcelが入れてほしいセルがね、
僕の目の前にポンと現れてそこに数字を打つ。
で、会話にしてもいろんな人が僕の前に現れて、
そして質問とか提案とかね、
そういうものを僕に投げかけてくれる。
その見ている今しか存在していないわけですよ。
目の前にあるセル1個しか存在してない。
まさに回転寿司のようにあるマグロ寿司がポンと目の前にある。
これが今なんですね。
で、次にイカが来るんだけど、
その時も今なんですよ。
だから僕は動いてないんですね。
世界が動いていてくれる。
つまり私は今ここに留まっている。
留まっているということは変わっていないということでもあるわけね。
これはさっきの体が変化していく、
歳をとって衰えていくっていうのと真逆なんですよ。
私はずっとこの今ここに留まっている限り、
多分不変なんですね。
変わらないんですよ。
自分が動いてしまうと、
その状況状況によっていろんなところにね、
こう動きながらいろんな変化をこう味わうんだけど、
今ここにいる。
目の前にあることに対応している。
私は不変なんですね。
世界は変わっているけども。
これはどういうことかというと、
おそらく不変というのは永遠でもあるわけね。
だから今ここというのは、
永遠の中にいるのと同じなんですよ。
さらに言うとですね、
変わらないということは、
まさに完全無欠ということなんですね。
変化があるから僕らは衰えたり、
なんか大きくなったり、
ちっちゃくなったりするわけ。
だからそこには当然だけども、
不足を感じる場面というのが大きいわけですね。
変わらないということは、
今ここにいる永遠の時間の中で変わらないということは、
これがまさに十全十美ということなんですね。
留まっていることの実践方法
全てが揃っているということ。
そしてもう一つ変わらないということが、
愛そのものであるということなんですよ。
なぜならば僕らは愛にね、
何をどんな恐れや不安を抱くかというと、
変わってしまうことなんですよ。
自分の愛だとか、
相手の愛が変わってしまうことに恐れや不安を抱き、
その愛そのものでいられなくなっているわけですね。
もっと言うとこの愛そのものに、
恐れや不安を感じていると言ってもいいかもしれない。
この変わらないということが、
すなわち愛そのものなんだということ、
そして変わらないということは、
価値マックスであるということでもあるわけね。
今ここに留まる考え方
つまり今ここにいるのが本来の自分、
私というところに綺麗に繋がっていくわけですね。
だからいつも本来の自分はこうだ、
本来の自分は価値マックスなんだみたいな話だと、
ちょっと納得できないし、
全く実感できないよなっていうふうにね、
思われるかもしれないんだけども、
この今ここで留まっている私、
これが普遍である、永遠であるっていう、
この感覚を得られた時にはね、
あ、それって変わらないってことなのかっていうね、
この実感ももしかしたら得られるかもしれません。
この辺はもう少し別の日に詳しくお話してもいいかなと思っています。
そんな感じですね、今日はね。
これがなんか私のアップデートというかね、
まさに今の今ここのお話です。
今週末はですね、
今ここのボイストレーニングというね、
私が大好きなイベントが一つありますが、
これはですね、おかげさまでまた満席になりまして、
ありがとうございます。
興味のある方はですね、
また来月ぜひぜひお越しください。
今、9月に開校の第9期書き上げ塾の募集を始めています。
これは6月いっぱいがですね、
超早割キャンペーンといって、
一番お得な期間になってますので、
もう次やろうと思ってたという方はですね、
ぜひぜひ今月中にお申し込みください。
本当に一番安い期間ですから。
もう一つ、前回もお話ししましたが、
私のワントレ2がね、
あとキャンペーン枠が2つ増枠したんですけどもね、
まだありますので、
こちらも結構お安くなりますんで、
よかったらこのチャンスにお申し込みください。
そんな感じですかね。
じゃあ今日はですね、
まさに今ここ、
これをですね、
その考えを止めたりね、
何かに集中したりしながら、
ある種のその緊急避難としてね、
シェルターのように使うのも悪くないんですけども、
できればこれをね、
もうデフォルトにする。
そのために自分が今ここに留まって、
イベントや募集の告知
そして世界が動いているっていうこのね、
太鼓の達人も、
回転寿司もね、
たとえとしては非常にしょぼいんですけどもね、
まあでもそのぐらいの気軽さを持って、
世界は回転寿司かと、
俺はカウンターに座ってればいいんだよなと、
はい次何が来るの?
一丁もらおうかみたいなこんな感じでね、
今ここに留まりながら、
ここが永遠の時間というね、
この感覚もちょっと感じながらですね、
いい一日をお過ごしください。
ありがとうございます。
45:47

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