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2023-01-18 40:08

072 仕事や家族の依頼で本当にやりたいことができないときの過ごし方

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グッドバイズ、ミッドナイトラクザ、 by 倉様圭佐
こんばんは。ただいま1月18日水曜日の午前3時44分です。
早いもので、つい最近まで明けましておめでとうございますみたいな挨拶を交わしていたと思ったら
新しい年が来たと思ったらですね、もう今日1月18日なんですね。
なんか僕らの体の中にはこの数字のマジックというかね、数字の影響がやっぱり強く刻まれていて
1ヶ月が30日という単位があってね、これを半分にすると15っていう数字がポンとすぐに出てくる。
従って15日過ぎるとですね、今月も終わるなあというこの感覚が湧いてきますよね。
そしてもう20日過ぎたりすると、もう来月のことを考えなきゃいけないんじゃないかみたいなそんな感覚になってくる。
なんでね、早くももうこの18日みたいな話をしているかというとですね、
確か年末に緑の本に続くその新刊をね、執筆したいというこの話をしたと思うんですよね。
仮のタイトルでザ・ギフトっていうね、まさにこの私がいつもお話しているギフトモードというね、
与えるというこの与えた瞬間に与えられるという、これは前回の番組でお話ししたね、
この一人の自分のために生きるのか、それとも人のために生きるのかというこの二択、
この中に入っていなかったね、第三の選択肢みたいな感じなんですね、僕の中ではね。
これが与えることによって自分が欲しいものが全て手に入るというこういう発想なんだけども、
まさに真逆のやり方、得るではなく与えるっていうね、ここに答えがあったんじゃないかってそういう本になるんですけども、
これをしかもですね、1月4日かな、仕事を始めるときに私の投稿しましてね、
ソーシャルに明けまして思い出等とともにね、こういう本を今年は書くんだみたいな宣言もしてまして、
しかもただ書くだけじゃなくてね、これを僕はノートに連載として掲載しながら作り上げたいなと思ってるんですね。
ノートというプラットフォームがとてもちょっと気に入っているというか、
執筆教室とか書き上げ塾でね、受講生の皆さんの作品は基本的にノートに公開しながら書くという、
そういう形でやってましてと言いつつ、この講師を務める私はね、
今日のGood Vibesという有料のマガジンはやってるんですけどね、
あともう一つGood Vibesのビデオライブラリーっていうアカウントがありまして、
ここはでもビデオの販売のためだけに使ってて、
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自分でまだこのノートでブログというものをね、誰でも読める形で書いたことがなかったんですよね。
これは前からやってみたいなと思っていて、ただテーマがなかなか決まらなくて、
今回このギフトをノートで公開しながら一冊にまとめていきたいなと思ってるんですね。
みどりの本も実はこれと全く同じやり方をしていまして、
本の作り方っていうのはやっぱり締め切りを決めてね、
編集者の方と締め切りを握って作る場合と、
そうでなくてね、まずはちょっと書き上げてみたいなって思う場合って、
僕の中でやっぱり2種類ありましてね、
今まで出した本もこの2通りで作ってるんですけどね、
どちらも良さはあるんですよ。
やっぱり締め切りがあるということでこの日までに書くという、
まあでもちょっと僕の中では仕事っぽい感じがしていてね、
このみどりの本も実は2013年からこのブログで公開し始めて、
途中1年のブランクがあるんですよね。
これは書けなくなったんですよ。ピタッと筆が止まって。
書きたくなくなったわけでも、書く筆力がなくなったわけでもない、
書きたいんですよ。書きたいんだけども、
どうしてもその先に進めないっていう状況になりまして、
これは振り返ってみると本当に書けなかったんですね。
内容からしてこういう内容なので、
僕が自分で実践をしながらこうやればうまくいくんじゃないかっていう提案を書いているんだけど、
まだ甘かったんですね、そこがね。
修行が足りないみたいなそんな感じ。
課題が山積みだったんですよ。
これじゃあ絵空事だよみたいなね。
これじゃあ頭では理解できても、
実際にやってみるのはとても難しいよとかね、
そういう課題、問題が山積みだったんですよ。
それでそれを自分はね、多分知ってるんですよね。
これじゃダメだっていうの。
そこでピタッと筆が止まって、
その後1年間ね、生活仕事を通していろんな人と関わり合いながらね、
まさにこの実践の中で何が問題だったのか、何が足りなかったのかみたいなことを見つけて、
ある日突然ね、まさにこの手応えっていうかね、
これだ!みたいなのが見つかった時があったんですよね。
そこから躊躇なくもう1回パッとエディターを立ち上げてね、
続きを今まで書いたものを読み直して、
よっしゃこの続きなら書けるぞっていう感じで再開した。
でもその間1年のブランクがあるんですよね。
こういうことが多分締め切りを作ると許されない。
だからきっと僕はもしその時ね、もうすでに出版する日が決まっていたら、
無理やりにでも続きを書いたと思うんですよね。
だからこれはどちらが良い悪いかということではなくて、
なんかそのコンテンツに合った進め方みたいなのがあるような気が僕はしていてね、
それとまあ僕に合ったっていうのかな、ここが重要なのかもしれない。
締め切りがあってもそのようにできる人はね、おそらくいるでしょう。
06:02
ただ私はどうしてもこの納得いかない中ね、
その文字だけ書き綴っていくということがとても苦手なのでね、
今回もやっぱりこのやり方を選ぶ方がいいんじゃないかなと思って、
まだそのどこから出すとかね、どこから出していただくかとかっていうそういう話は一切なしで、
まずは原稿を完成させようというそういうやり方なんですよね。
で、じゃあどうなったかってことなんですよ。
ここは重要なんだけど、さぞかしたくさん書いたでしょうねと思われるかもしれないんですが、
そうですよ、僕もね、12月30日のね、よし今日から休みだっていう時には、
なんかもう申し訳ないけど執筆三昧の生活しちゃうぞ俺はみたいなね、書いちゃうよ。
もう本当にもういつまで書いてんのみたいな感じでこの正月過ごすんだろうなみたいなね、
幸せな映像が頭に浮かんでいたんですけどね。
いつもこの番組で言う通り、この計画、読み、予想なんていうのはね、
全くリアリティがなくて、その通りにはいかないんですよね。
で、今日この18日になった時に振り返ってみると、結果はどうだったかっていうとですね、
まだ600字ぐらいしか書けてないんですね。
さすがにゼロではない。このゼロの手たらくだけではないだろうと僕は思っていたんでね。
でも600のところでピッと止まってるんですよね。
なんかね、書き出しがこれじゃねえなっていうところで、今頭がぐるぐるぐるぐる回ってましてね。
まあ先に進めればそれでもいいんですけどね。
なんかちょっとこう、今はまだここで納得しないと先に進めねえぞみたいなモードなんですよ。
ただそれだけじゃなくて、やっぱりこのタイミングとしてね、
僕が思っていたよりもこの書く時間というのがなかなか取れない。
執筆教室のね、原稿がどんどん上がってきたりとかね、
ワントレがバンバン入ったりとか、
思いもよらの相談を受けたりとかね、
グッドバイブスファクトリーのコミュニティにもその質問を送るコーナーがありましてね、
そこの相談がポンと入ってきたり、
ふたさんとやっている執筆教室も24時間相談、執筆に関する相談を受け付けてますからね、
質問が入ったりすると、
基本このグッドバイブスのメソッドに従って依頼が来たら、
できるだけ早く、できるだけ即座に本気で答えるというのをね、
私は日々実践してますんでね、
ここを何かその書く時間を確保しようなんてことは一切やってないんですね、
そういう努力は全くしていない。
だからよくこの話をするとね、
必ず出る質問でそんなことをしてたら流されて何もできなくなるじゃないですか、
っていう質問があるんですけど、
まさにその通りになってるんですよ。
でも、じゃあこのまま僕は書けないかって言ったら、
そうは思ってないんですね。
だから全然その心配せずに、
来たものを全部受けながら、
09:00
早く書きたいなあみたいなことをね、
日々思いながら、
朝起きたら、
お、今日は2時間半ぐらいは書けるんじゃねえか、
よっしゃここで進むぞとか思っていたらですね、
今言ったようないろんなことが入ってきて、
で僕はそれをもう無防備に受けまくってますからね、
想像通りその質問の方のね、
想像通りできない日々が続くわけです。
でもここに僕は実はものすごい意味があると思っていてね、
このできない時間っていうのも含めて、
やっぱりこのものづくりなんだろうな、
人生なんだろうなという感覚があってね、
今日はこの話をしたいなと思うんですね。
なんかこのぼんやりしてるんですけど、
タイトルとしてね、
こうまとめる、
わかりやすくまとめるならば、
大切なことがあって、
それをできればやりたいんだけども、
なかなかそのようにスケジュールが回ってくれないというね、
流れが回ってくれない、
そのタイミングが来ないっていうね、
こういう時にこの時間をどう過ごせばいいのかっていう話なんですよ。
で多くの場合、
僕らはここでストレスを抱えますよね、
仕事なり家のことなりに追われて、
本当に自分のやりたいこと、
自分が大切だと思っていることができないなんて、
本当にこれで自分の人生はいいんだろうか、
みたいな疑問を持ちますよね。
そしてそれが本当はこれがやりたいのに、
また全然違うことをやらされている、
みたいなことでストレスになり、
いつしかですね、
自分は何かの犠牲になっているんじゃないかとかね、
何かを失っているんじゃないか、
何かを奪われているんじゃないかっていう、
そんな恐れや不安も湧き上がってくる。
でもそのようにこの時間を過ごしているとですね、
いつかポッと空いて何かができるという時間がやってきてもね、
タイミングがやってきても、
不思議なことになかなかやりたい気持ちにならないんですよ。
だから僕はね、
この何かができない、
本当にやりたいことができない時間をどう過ごすかっていうことがね、
その後できるタイミングが来た時に、
自分がこのワッとそこにすぐに迎えるかどうかの、
別れ目というかね、
ここが重要なポイントだなといつも思うんですよ。
ジャジンワークというね、
私がやっているその予定とか何をやるかを決めずに、
ひらめきで動いていくというこのやり方でもですね、
なかなか私の本の執筆のようなね、
大切なことをやりたいこと、
これができないこの時間をいかにいい感じで過ごすかが、
本当に重要だみたいなことをお伝えしているんだけど、
今日はね、
だからこのできない時の時間の過ごし方みたいな話をしたいんですよね。
これはですね、
いきなり結論からいくのがね、
一番わかりやすいと思うんですね。
どういうことかというと、
今この瞬間にやっていることを信じるということです。
12:01
それがやりたくてもね、
やりたくないことでもね、
それから自分が決めたことであっても、
人からの依頼であってもね、
なんか楽しくてもつまらなくても面倒でも何でもですよ。
とにかく今この瞬間にやっていることですから、
このポッドキャストを聞き終わった後、
皆さんが次にやることね、
これが何であっても、
今この瞬間にやっていることを信じるということです。
言い換えるならばね、
これこそが今の私に与えられた役割だっていうふうに、
信頼してみてほしいんですよね。
信じるってことです。
これが結論なんですよ。
これをやりさえすれば、
僕はこの時間をいい感じで過ごせると思うんですね。
なぜかというと、
今日、今、
私が例えば、
今このポッドキャストをやってますわね。
これが終わるとまた別のことをする。
そしてもうそろそろその後は寝るかな。
朝起きて、
支度をして、
最初に何かを手掛ける。
これは何か分からないんですね。
僕の場合は完全に決めていないのでね。
そうすると自分で決めたことができるかもしれないし、
他の人からの依頼かもしれない。
それから突然の、
いろんな人からの質問とか相談かもしれないっていうね。
あるいは家族から、
ここを掃除してくれみたいなこと、
このゴミを捨ててくれみたいなことを
頼まれるかもしれない。
それはやりたいことかどうかって言われたら、
必ずしもそうじゃないし、
自分で決めたことじゃないし、
もしかしたらちっともつまらない、
面白いと思わないことかもしれない。
でもですね、
それを私が今手掛けているということは、
必ず何らかの理由があると、
こう捉えるんですね。
これは嘘じゃないと思うんですよ。
なぜならばね、
そこには必ず僕の意思が関係しているんですね。
例えば、
私のようにフリーランスで仕事をしている、
個人事業主とかね、
独立して起業されている方であれば、
独立しようと決めた瞬間っていうのが
あったはずなんですよ。
それから会社で働いている方であれば、
今の職場が必ずしもベストなチョイスではない
っていう可能性はあると思う。
それから入るときに、
職場を決めるときに少し妥協があったかもしれない
みたいな可能性もゼロではないと思います。
でも何にしたってね、
例えば人から誘われたかもしれない、
あるいは紹介で入ったかもしれない。
でも必ずどこかでここにすると決めなければ
入れないはずなんですよ。
これは僕が言っている意思ってやつですね。
必ずその意思を働かせた瞬間っていうのが
あるはずなんです。
それから誰と知り合うか、
例えば私で言うと、
佐々木さんと一緒に仕事しようかなとかね、
15:01
チェイさんと一緒にやろうか、
エフタさんとやろうかとかね、
加藤さつきとやろうかみたいなことも
どこかでこの人と縁を結ぼうと
私は決めてるはずなんですね。
そうでなければ一緒に何かをやることはできない。
ここにも僕の意思っていうのが
必ず働いているはず。
それから当然だけども今いる家族ね、
この人たちとも基本的には
縁を持つと決めたはずなんですよね。
縁を結ぶと決めたはずなんですよ。
親子みたいな関係であれば
こちらの意思とは無関係に
つながっているような感じがするんだけど、
でも世の中にはですね、
親子の縁を切る人もいなくはないわけですね。
だから今日まで縁を切っていないとすれば
やっぱり親子であっても兄弟であっても
僕の意思は働いていると言っても
間違いではないと思うんですよね。
つまり僕が何らかの意思を発揮してね、
この人と付き合う、この人と家族になる、
ここの会社に入るみたいな
この意思を持った結果というのが
おそらく今やっていることであるはずなんですね。
そこのつながりなしには
多分今僕が手掛けていることっていうのは
起こり得なかった。
つまりここには何らかの理由があるんだ
という風に捉えておくわけです。
じゃあその理由とは何かってね
ここ知りたいとこなんですよね。
自分が手掛けているもの、
これをやっている理由は何なんだ。
これが残念ながら
僕らは知るよしがないんですよ。
なぜかというとこの番組でも繰り返し
お話ししたように
僕らはある出来事が
どんな結果をもたらすかの因果について
本当のことを何も知らないからなんですね。
この未来に何が起こるかと同じように
ある結果、僕が何か
このことを手掛けて
これを仕上げたら
どんな結果がもたらされるのか
この因果はわからないんですよ。
特にすぐにはわからないんですね。
でもこの事実を受け入れておくとね
2つのことをあきらめるしかなくなるんですよ。
今自分がやっていること
これはなぜ私は今これをやっているのかの理由ね。
これはわからないってあきらめるしかない。
それからこれをやることに何の意味があるか
この答えね。
これもあきらめるしかないんですよ。
まあおそらくここがわからないから
僕らはそのなんつーのかな
さっき言ったような本当の
本当に自分が大切にしていることじゃないことを
やっていると不安になるんですよね。
こんなことやってて本当に大丈夫なんだろうかってね。
こんなことばっかりこんな状況にずっといたら
私は何かの犠牲になってしまうんじゃないか
自分の人生を失ってしまうんじゃないか
みたいな不安がわき起こる。
これはしょうがないんですよね。
なぜこれをやっているのか
つまりこの理由ですね意味ですね。
これがわからない。
それからこれをやることに何の意味があるか
もっと言えばこれで何が得られるかですよね。
18:03
ここがね明かされてないってことなんですよね。
これはもうこの僕らの人生の宿命でね
なんかこう理不尽な感じはするんですけどね
これはもうしょうがないですね。
受け入れるしかない。
でもこのように見るとですね
風が吹けばお部屋が儲かるって言葉がありますよね。
これはあの緑の本にも書いたんだけども
これに似ているなって感じが僕はするのね。
自分のまず小さな意思っていうのがね発揮されて
まあおそらくこれは小さな意思だったり
大きな意思だったりすると思うんですけどね
相手によって。
この意思によって知人とか家族とかね
職場の同僚みたいなつながりが生まれるわけですね。
最初にね。
でここからここからさっき言った本当のことはわからない
この因果ですね。
私たちの想像を超えるようなね
ものすごく複雑なプロセスを経て
この今ね自分がやっていることが私の元に届いた
っていう風に見ることができるんですね。
でもちろん。
だからだから何とそれがどんな意味があるの
何が得られるのっていうのがわからないのでね
それを拒んでもいいでしょ。
それからこれの他にもっと有意義な何かをね
やりたいと望んでもいいと思うんですよね。
だからもうほんとやりたくねえなって
ものすごい不本意だなと思いながら
やることもできると思うんですよね。
でもねここでね。
もしここが重要なんですよ。
もしその最初に発した意思ね。
この人とつながろう
この人と縁を結ぼうっていう意思が
間違っていなかったとしたらどうだろうっていう問いなんですよ。
そしてさらにですよ。
その私が縁を結んださまざまな人たち
家族仕事の仲間知人いろんな人たちね。
この人たちが実は僕の幸せに貢献する役割をね
になって僕の前に現れたとしたらどうだろうっていうことなんですね。
それからもう一つ最後にさっき言ったこの複雑なプロセスね。
ここは謎なんですけどね。
想像を超える複雑なプロセス。
これがこの世界が用意してくれたこの複雑なプロセスが
ものの見事に機能しているとしたらどうだろうっていうこの3つなんですよ。
私の意思最初に発した意思が間違ってなかったとしたらどうだろう。
それからそれによって私の周りに集まってくれた人たちがね
実は僕を幸せにするという役割をきっちりとになってくれているとしたらどうだろう。
そしてその間をつなぐねこの世界が作る複雑なプロセスが
完璧に機能しているとしたらどうだっていうね。
ここが揃っていたとしたら最初のやつですよ。
今この瞬間にやっていることを信じていいんじゃないかなって僕は思うのね。
しかもこれこそが今の私に与えられた役割だと
見直してもいいような気がするんですよね。
それは難しいなと。いやいやそんな風には思えないよと思ったらね。
僕は一つの問いを立ててみるといいと思うんですね。
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もしこの今言った一連の流れですね。
自分の意思そしてそれによって集まってくれた人たち
そしてこの世界が織りなす複雑なプロセス
これがこの流れを信頼できないとしたらね
この先僕がどんな意思を発揮したとしてもね
いや今度はこの人とやろうとかね
今度はこの人と仲良くなろうとかね
どんな意思を発揮したとしても
いつか必ず疑いたくなるはずなんですよ。
だってその結果として届く今やっていることが
これは違うと自分で決めるわけですからね。
だから僕はここでいつも思うんですよ。
この3つのさっき言った流れ
これは僕がよく言う自分と他の人とこの世界
この3つの調和なんですね。
この3つが織りなすある意味壮大なメカニズムなんですよ。
これに比べてね
だからといってその届いたこれ
これは俺やりたいことじゃないもんとかね
これやってて全然どんな意味があるか分からないし
何も得られない感じがする。
しかももっと言わせてもらうならば
これをやっていると僕はものすごい犠牲になったり
失ったりしている感じがするんだよねっていうね
この判断はどこがしているかってことなんですよ。
これは間違いなく僕の小さな頭脳なんですよ。
そしてそのこの判断の裏にはね
天気のように移り変わる気分とか
それからこの番組でよくお話しする
心象にまみれた好き嫌いの感覚
そして本当に僕は当てにならないと思ってるんだけど
子供の頃から培ってきた正しさとか価値観ね
これによって今目の前に来た
これなんていうのかな
シェフのお任せコースみたいなことで
僕の前に出されたお皿みたいなもんなんですよ
それを見てこんなん食べたくねーよって言ってる
小さな頭脳、移り変わる気分から好き嫌いから正しさ価値観ね
そもそもこの正しさや価値観なんてものは
どうやって培われたかよく分からないものですからね
親や学校や上司や先輩やいろんなもの
部活の先生とかそういうものなんだろうと思うけど
それを本当に僕はアグリーして受け入れているのかね
それとも世の中そうだと言ってからしょうがねーやつって
渋々それに従っているのか分からないようなものでもあるわけね
こういうものを繰り出してきて
目の前にあることをこれは僕のやるべきことじゃないと否定する
一方でもう一つの大きな流れっていうのね
自分の意思から発して他の人そしてこの世界この環境が用意してくれた
今自分がやっていること
どちらにその信頼を置く方がいいのかって言ったときに
まあそれでも自分だって言い合ってもいいんだけど
僕はとてもそうは思わない
遥かにこの世界のね自分と他の人々と環境の三者が織りなす
24:04
この仕組みの方を信頼する方がいいんじゃないかなと思うんです
でさっき言ったようにそこに自分の意思が働いている
この意思を信頼しないでどうするんだっていう感じがするのね
だから結論として
僕はえっとこのね今日のテーマである大切なことができていない
そのそれとは別のことをやっている
そのやっていること
今この瞬間にやっていることを信じるべきだなと思うんですね
それだけじゃなく
これが今の私に与えられた役割だ
っていうふうに信頼するってことです
だから気にしなくていいんですよ
今何がやれていないとか今何ができていないとかね
必ずそこに連れて行ってくれる流れの中に僕はいるんだということ
そして例えばねさっきお話したように
僕は1年間goodvibesご機嫌な仕事をかけない時期があったんですよ
この時期は何だってことなのね
おそらく今言った僕が言ったね
僕らの想像を超えた複雑なプロセスなんですよ
これこそがねこの1年の空白のブランクみたいなのが僕に必要だった
そこにはどんな意味があるのか
それによって何が得られたのか全く今でもわからない
わからないけどもこれはこの世界が用意してくれた
まさに壮大な流れなんですよ
そしてこの緑の本がね出来上がるまでにどうしても必要だった
必然の流れと言ってもいいかもしれませんね
なんか僕はとてもこれをね実感としてそうじゃないかなという風に思うんですよ
でこれが私の言うね
自分と他の人とこの世界この3つこれを無条件で信頼するということでもあるのね
これを信頼するということはこの流れによって
自分の手元にね今届いていること
これが何であっても信頼していいってことでありますよね
この逆は何かというと
このその自分と他の人とこの世界がどうせあれ
自分が何かしなければ幸せになれないっていうこの真逆な発想
だから手元に届いたものをそのまま早いってやってるようじゃダメなんだよと
ここを自分でコントロールしてね
より自分が幸せなものをチョイスし
そして自分が幸せになるような行動を自分自身でしていかなければ
幸せなんてやってこないんだっていう発想なんですね
これ完全に真逆一方はこの世界を信頼して
そこからやってくるものを信頼して
それが自分の役割だと受け入れていればきっといいとこに連れて行ってもらえるって発想
でもう一方はそんなものは信頼できないんだから自分でやらなきゃいけないっていう発想ですね
これ本当に後者だとしたらね
この世界なんて信じちゃダメなんだと
ろくなものはやってこないと
何にもそこには働きも何にも意味もないんだと
27:00
ただただ他の人がいて環境があるだけ
そこには何の働きもないんだと
だから自分でこの幸せを形作っていくように動いたり
考えたり行動しなきゃいけないんだってことだとしたらね
そもそもこの世界というのは僕らが幸せになるようにはできていないってことになりますよね
この時点で僕はもうなんか全部投げ出したくなりますね
あまりに壮大すぎて向かう相手が
しかもそこがデフォルト幸せを用意してくれていないと言うんであったらね
もうこのトライが成功するかどうかも
もうそれこそ本当のことはわからない
よくそれを信じて幸せになろうっていうトライができるなみたいな感じがします
なんかあまりに無謀というかね
そんな風にやっぱり僕には映ってしまうんですね
ここでありふれてますけどね
やっぱり僕はこの自然界に目を向けるんですよ
草や木やその他の生き物たちは
何か幸せになる努力を日々してるんだろうかっていうね
うちにも猫がいますわね
どう見てもこいつらがね
この双子の猫がね
日々世界を信じずにね
他の人も信じずに
まあ僕らって家族ですよね
僕が彼らにとっては他の人なんだけど
こいつが絶対幸せをもたらしてくれるはずはないみたいな感じで
さあ兄ちゃん僕たち二人で強くたくましく生きていこうよ
この人間たちはとてもとても信じちゃいけない存在だから
僕ら二人で強く生きてしっかり生きていくんだよみたいなことを
とてもやっているとは思えない
冬が来て寒くなれば勝手に布団に潜り込み
そして夏になって暑くなればね
涼しい板沼でひっくり返り
まあ本当にもうのんきに暮らしてますよね
ある意味僕らを信じ切ってるっていうかね
そしてこの自分のいる環境を信じ切ってる
だから彼らはいつもいつも幸せでいられるんだなっていう
そんな感じがします
うちの前にベランダに出るとね
森が見えるんですよね
毎朝そこでコーヒーを一杯飲むんだけど
朝ではないね
僕が起きるのは昼なんで
昼にコーヒーを一杯飲むんだけども
そこにいろんな鳥がやってくるんですよね
本当にちっちゃいのから大きいのまで
でもやっぱりこの鳥たちを見ていてもね
虫を捕まえたりね
巣を作ったりするような努力はしてるような感じはするんだけども
なんか非常に行きづらい場所で
自分が一生懸命一人でね
どう生きればいいか
何をすればいいかみたいなことを
すでに考えね
これではない
これではない
私にやりたいのはこれであるみたいなことを
やってるようには全く見えないんですよね
だとすればこのアナガチね
私はこの結論から言うと
この世界は僕らにとって
僕らに幸せをもたらすようにできているという風に見ているんですね
30:03
そうでなければつじつまが合わない
生きていけるはずがないのでね
これが火星だったら
僕らは0.1秒も生きられないわけで
ここにこの地球の環境が用意されているということはね
もうそれだけ取っても
幸せに生きられるようなセッティングができてるはずなんですよ
そして何よりも私の周りにいる人たちは
少なくともさっき言ったね
私の意思で選んだ人たちであるはずなんですね
会社に行けばね
一人一人の社員を全部自分が選んだわけじゃないけども
ここに入ろうという意思を発揮したことは間違いない
そうすると自分のつながり
人間関係あらゆるものはね
ここに僕の意思が働いている
これを信じてもいいんじゃないかって気がするんですよね
もちろん私もねこれまでの人生の中で
出会いと別れも繰り返してますからね
もしかしたらその別れは
僕が何かそのいわゆるその意思をね
間違って発揮したのかもしれない
でもそこもわからないんですよね
このわずか1年だけお付き合いをするようなパートナーとかがね
やっぱりこの私の幸せに貢献してくれるのかもしれない
でもこれはだからわからないんですよ
なぜあの人と出会い別れたのか
なぜ僕はあの会社に入り
そしてやっぱり辞めてしまったのか
これはその最初の意思が間違っていたと見ることもできるし
まさに私が1年本を書けなかったかのようなね
そこにはなんだか僕らにはその
計り知れないような
ちゃんとしたその複雑なメカニズムが働いているという風に見ることもできる
これはもう後者と見といたほうが僕はいいと思うんですよね
楽観的と言われるかもしれないけども
そうでなかったらさっき言ったように
この世界は非常に過酷なものということになるんでね
僕は僕はそこで強く生きる気力は持てるほど
なんかこうたくましくはない
だから信じるんですよ
つまり今自分がやっていること
今手がけていることを信頼する
それが今の私の役割だ
幸せな役割だっていう風に信頼するってことですね
ジャジュンワークでもこの点は非常に強調するんですけどね
このようにして自分の大切なこと
本来やりたいことみたいなことではない時間を
いい感じで過ごすことができたら
ここはノンストレスでいけるんですよ
犠牲になっている感失われた感というのを持たずに済むんですね
僕らはこの失っている人によって何か犠牲になっている
誰かの犠牲になっているみたいなことを思い描くとですね
必ずここに怒りを生むんですよ
心の中に怒りが生まれるんですね
当然だけどもその怒りを抱く相手からはね
僕らは完全に分離をしたくなる
切り離してしまうんですね
これによって私と他の人と環境この世界というね
33:00
繋がりが切れてしまうわけ
おそらくその他の人だけじゃなくてね
組織とか会社とか職場とかその環境に対してもね
僕らは怒りを抱きますからね
この犠牲になっている感を持つと
そこも全部切り離す
場合によってはね
私のやりたいことを邪魔する家族みたいなね
身近にいる人たちも自分から切り離す可能性がある
ここで僕らはこのさっき言った壮大なうまくいく
本当はうまくいくはずのメカニズムである
この三者のね調和流れから切り離されてしまうんですよ
この状態でやっていいですよ
今から好きにやっていいですよって言われても
うまくいかないんですね
単純に怒りをかすかに抱いているだけで
何かをすることはものすごく妨げられる
その上にとてもいい流れであったはずなのに
そこから切り離して自分をポンとね
世界からパシッと切り離して
そしてこの時間を確保するとかね
割り込みを排除するみたいな形で
自分の周りにガッチガチにガードを組む
これによって世界から切り離されるんですね
流れからも外れてしまう
だからこの選択はあまり僕はよろしくないなと思うわけですね
その真逆をいきましょうと
何であっても
フワッハみたいなものであってもね
今この瞬間に自分が手がけていることは
私の意思から発せられて
そして複雑な僕には正体がわからない
どんな意味があるのか
何が得られるのかは今はわからない
このメカニズムによってね
ここにもたらされてきたものなんだと
よしじゃあわかったと
これやってみようじゃないかと
この感覚がずっと持てていればね
これは僕の経験から
その時間が来た時に
その流れの中で
その流れの延長としてね
よっしゃここから本書いていいわけね
書いちゃうよみたいな感じでできるんじゃないかと思う
そして今ね
ここからはものすごく言い訳のように聞こえるかもしれないんだけど
僕は悪いと思ってないんでね
言い訳ではないんですがね
この18日間私はそのように過ごしてきたんだろうなと思いますね
だから未だにこの書きたい気持ちは全然薄れてないし
いつでもチャンスがあればそこに向かおうという
この気力はね保たれたまま
そしていつか必ずね
そんなに遠くない将来に
ノートに公開できるんじゃないかなという風に
信頼してますね
これがまさに自分と他の人と
この世界を信頼するというそんな感じです
今日はですね
なんと始まる前にね
私のこのタイム感覚を
35、6分に調整したんですね
なんかこのあるんですよ
原稿を書く時もね
これを僕は使いますね
千字、二千字、三千字みたいな時にね
体感としてのこの二千字という感覚を持っておくと
このあたりで話展開させないと
そろそろ結論出ちゃうよとかね
36:01
尻切れトンボっていうかね
お尻がつぼんでしまうよみたいなね
しっかりと結論を書きたいんだったら
前からクライマックスに向かわなきゃみたいな
この体感というのは実は
僕はあると思っていてね
自分の中に
これをポッドキャストの時に
持てばね
もしかしたら収まるんじゃないかなと
いい感じでやってみたら
今、36分28秒なんですよ
こんな感じでやりたいな
さすがにちょっともうね
この体感を持った瞬間に
僕の中では50分というのはね
長いなって
まあやっちゃうかもしれないですけどね
しばらくはこの体感で
いきたいなと思っています
今週末のですね
1月22日、日曜日ですね
13時半か1時半から
ご告辞というところでね
加藤さつきと一緒に
ありのままを見るデッサン教室というのをやります
もうこれも6回目ぐらいになるのかな
すでにね
何人かエントリーしていただいてるんですが
まだ空席がありますんでね
これはですね
いつも私がお話ししている
この心象を見ているか
それとも現実を見ているかっていうね
この区別をつける
この能力というのかな
コツというのかな
これをものすごくいい感じで
マスターできると思います
僕も描いてみてね
びっくりしたんだけどね
本当に僕らはモチーフを見ないんですよね
見ようと思うんですよ
見たいなと
見てこの通りに描きたいなと思うんだけど
なんかめんどくさくなって
髪の毛とかを
自分の記憶の中にある
前も言ったかもしれないんですけど
ブルータスの像を見ながらね
僕はゴーヒドミのパーマを描いてしまうっていう
そういうことをやるんですよ
その時に気づくんですよね
目を今
目を今
現実から切り離したなっていうね
そしてその代わりに何を見た
頭の中にある過去の記憶を見てるな
これがわかるとですね
本当に
今自分が心象を作り出してる
ってことにも気づける
だからとてもいいトレーニングになるので
よかったらですね
この心象という言葉が気になっている方は
ぜひこれを体験してみてください
加藤さつきのね
ご家族奥さんとね
11歳になるお子さんがね
毎回手伝いに来てくれるんですよ
そして奥さんも
美大卒のグラフィックデザイナー
この夫婦が描くね
木炭デッサンを見てるだけでも
気持ちがいいんですが
それを自分でやってみてね
俺は今現実を見てるのか
私はちゃんとありのままを見てるのか
っていうことがね
リアルタイムにチェックできるという
なかなかの
なかなかこの普通にはない機会なので
本当にお勧めします
じゃあ今日はそんな感じでですね
とてもシンプルです今日はね
何であろうと
今まさにこの放送が終わった後からですよ
番組が終わった後から
あなたが手がけるもの
これを信じてみてください
これをやっていいんだってことですね
39:00
俺はこれをやってていいんだ
私はこれをやっていていいんだ
そこにどんな意味があるか
何が得られるかわからないけど
気にしないでやってみようと
そしてそれが
今私に与えられた役割なんだ
どこから来た役割なんだ
少なくとも自分の意思を確実に反映して
そして他の人を経由してね
信頼できる他の人を経由して
そしてこの信頼できる
世界の複雑なメカニズムを経由して
私のところに届いた
そういうものなんだっていう風に捉えて
やってみてください
1日だけでもいいんで
トライしてみてください
その時どんな気持ちになるか
嫌な気持ちになるか
それともちょっといつもと違うね
いい感じになるのか
ぜひ試してみてください
そんな感じでいい1日をお過ごしください
ありがとうございます
40:08

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